倉庫37
目次へ戻る メインHPへ

●日本の福祉政策

++++++++++++++

母子家庭の子どもが、194万人、
父子家庭の子どもが、27万人
(03年度)。

政府は「福祉よりも雇用」と、母親の
就労支援事業を進めているというが、
常用雇用に結びついているのは、
「ほんの一部」(中日新聞)にすぎ
ないとか。

02年度から公的支援制度が変わり、
公的手当は、実質、減額されることに
なった。

さらに08年4月から、受給開始から
5年後の減額も決定。

母子家庭の母親たちは、ますます
きびしい状況に置かれることに
なる。

++++++++++++++

 日本の福祉政策は、どこか、おかしい。たとえば私の住んでいる地域は、旧国鉄村と呼ばれ
るほど、旧国鉄の退職者たちが多く住んでいる。みな、満55歳で退職した人たちである。

 そういう人たちが、月額33〜35万円前後の年金を受け取っている。その額は、旧三公社五
現業の中でも、最高である。話を聞くと、旧国鉄職員だけは、退職日を、3月31日ではなく、4
月1日にずらしている。つまりたった1日ずらすことによって、1年分、就労年月を長くしている。

 (だからといって、旧国鉄職員の人を責めているのではない。私は制度がおかしいと言ってい
る。誤解のないように!)

 で、最近、近所の男性が亡くなった。85歳でなくなったが、55歳で定年退職してからというも
の、働いたのはただの1日だけ。1日だけ勤めて、そのままその仕事をやめてしまった。つまり
この30年間、何もしなかったことになる。

 で、それで年金の支給が終わったわけではない。残された妻には、「転籍特権」という特権が
ある。夫が亡くなっても、妻がいれば、その妻に、連続的に年金が支払われる。

 まさに至れり尽くせりの、年金制度である。

 その一方で、母子家庭への支援制度は、削減につづく削減。(全国母子世帯等調査)によれ
ば、母子家庭の平均年収は、212万円だそうだ。

 内訳は、就労収入、162万円。それに児童手当、養育費、仕送りなどで、50万円、つまり計
212万円! たったの212万円だぞ。

 旧国鉄職員のばあい、月額37万円も年金を受け取っている人もいるという(某郵便局長の
話)。年収でみると、444万円ということになる。

 このおかしさこそが、日本の福祉政策の矛盾ということになる。

 3年前に書いた原稿を、そのまま掲載する。

++++++++++++++++++

●年金、この不公平!

 官民の年金の不公平さについては、いまさら、言うまでもない。しかし、金額だけの問題では
ない。こんな事実も指摘されている(「文藝春秋」04・5月号・伊藤惇夫氏)。

 公務員には、「転籍特権」という、特権がある。

 たとえば公務員のばあい、それを受給していた夫が死亡したようなとき、その遺族が、ひきつ
づき、その年金の4分の3程度を、「遺族年金」として受給することができる。妻が亡くなって
も、その遺族年金の権利は子供(18歳迄)や父母にも引き継がれる※。

 わかりやすく言えば、夫が死んだあとも、遺族年金を受け取ることができるということ。が、そ
れだけではない。さらに妻が死んでも、子どもが18歳未満のときは、今度はその子ども、もしく
は、父母が、その遺族年金を受け取ることができる。

 そんなわけで、「官民格差は、死んでからも、生きている」(伊藤惇夫氏)と。

 もちろん、一般企業のサラリーマンや、自営業者には、こんな転籍特権はない。本人が死ん
だら、それでおしまい! ゼロ! 遺族は、1円も、もらえない。

 だれでもおかしいと思う。おかしいと思うが、何もできない。日本には、そういうしくみが、でき
あがってしまっている。官僚主義国家という「しくみ」である。

 こうしたしくみの中で、もっとも、「?」なのは、あの「審議会」という「会」。

 ほとんどの審議会は、担当の役人が、開く。方法は簡単。まず、イエスマンや、その道のド素
人だけを集める。人選に関する基準など、どこにもない。その指針もない。座長には、たいてい
著名人を起用する。

 審議会はたいてい数回程度で終わる。重要案件でさえも、10回を超えることは、まずない。

 シナリオは、最初から、役人によって用意されている。たいていは、「資料」という形で、委員
に配布される。あとは、それに添って、審議していくだけ。一応、議論という形をとるということも
あるが、ほとんどのばあい、一人の委員の発言は、一回、5〜10分程度。ふつうは議論にな
る前に、審議打ち切り。

 (議論になりそうな案件については、委員の数を多くする。こうして各自の発言時間を少なくす
る。)

 こうした審議会に多く参加してきたことのある、M東大元教授ですら、こう言っている。「テレビ
タレントやスポーツ選手ばかりを集めて、何が、審議会だ」と。もともと議論らしい議論ができる
雰囲気ではない。

 で、こうした審議会から出される「答申」は、抽象的であればあるほど、よい。わけのわからな
いものであれば、あるほど、役人にとっては、よい。自分たちのつごうのよいに、どのようにでも
解釈できる。

 で、あとは、役人たちは、その答申に従って、やりたい放題。まさにやりたい放題。

 ……これが、日本の官僚主義の基本になっている。そしてその結果が、今の日本である。年
金の官民不公平などは、氷山の一角の、そのまた一角にすぎない。

私「まさに、日本は、官僚主義国家。最終的には、『天皇』という最高権威をもちだすことで、民
を従わせる。この図式は、奈良時代の昔から、まったく変わっていない」
ワイフ「じゃあ、この日本を変えるには、どうしたらいいの?」
私「無理だろうね。与党の党首も、野党の党首も、皆、元中央官僚。主だった県の県知事も、
副知事も、皆、元中央官僚。大都市の市長も、皆、元中央官僚。そんな日本を変えるとなる
と、それこそフランス革命のような革命でも起こさないかぎり、無理」

ワイフ「役人の権限を小さくするとか、そういうことはできないの?」
私「それこそ、絶対に無理。国家公務員や地方公務員だけでも、今の今でさえ、ふえつづけて
いる。その数、450万人。日本には、このほか、準公務員と呼ばれる人たちが、その数倍は、
いる」
ワイフ「給料はどうなっているの?」

私「いまだかって、地方自治体ですら、その手当て額を公表したことがない。しかし予算から逆
算すると、公務員は、一人あたり、800〜1000万円の年収(伊藤惇夫氏)ということになるそ
うだ」
ワイフ「すごい、高額ね」
私「そうだよ。大企業でさえ、平均して、650万円程度だからね」

 ひょっとしたら、この文章を読んでいるあなたも、公務員かもしれない。あなたの家族の中
に、1、2人に公務員がいるかもしれない。私は、何も、そういう一人一人の公務員が悪いと言
っているのではない。

 ただ、こんなバカな政治をつづけていたら、遅かれ早かれ、日本は、本当にダメになってしま
うということ。今の「あなた」は、それでとりあえずは、よいとしても、あなたの子どもは、どうす
る? あなたの孫はどうする? そういう視点で、日本の未来を考えてみてほしい。

ワイフ「公務員の人たちって、死んでからも、年金がもらえるなんて、知らなかった……」
私「そうだね。ぼくも、驚いた。そういうような、つまり、自分たちにとって、どこかつごうの悪い情
報は、絶対に公表しないからね……」
ワイフ「でも、ずるいわ。議会は何をしているのかしら? 日本は民主主義国家なんでしょ」
私「一応ね。しかし議会の議員は、もっと手厚く保護されている。いろいろな恩恵にもあやかっ
ている。だから、官僚主義社会を批判できない。批判したとたん、その世界から、はじき飛ばさ
れてしまう」と。

 私の親しい知人のS市(50歳)は、ある都市で、ある役職のある仕事をしている。そのS氏
が、こう言った。

 「林さん、市議会の議員たちね、自分で作文できる人は、まずいないよ。議会での質問書も、
それに対する答弁書も、みんな、ぼくたちが書いてやっているんだよ。ぼくたちに嫌われたら、
議場に立つことすらできないよ」と。

 日本のみなさんは、こういう現実を、いったい、どこまで知っているのだろうか。
(040417)

++++++++++++++

 ものを言うことすらできない、母子家庭の母親たち。組織もない。知識もない。力もない。しか
もだ、これからの日本を支える子どもたちを支援するために、たったの、1〜4万円(月額)と
は!!

 (母1人、子ども1人のばあいの手当て支給額、07年実績、中日新聞7月22日)

   所得           手当の額(月額)
   57万円         41720円
  130万円         28270円
  220万円         11690円

 その一方で、リストラも、首切りも、転勤もない世界で、仕事をしてきた人たちが、満額の退職
金を手にしたあと、毎月33〜35万円の年金とは!!

 しばらくこの怒りは、収まりそうもない!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 母子
家庭 支援制度 児童扶養手当 福祉制度 転籍特権)

(注※、「国民新聞」より)

通常、夫が亡くなった時、厚生年金の場合は、妻に夫の老齢年金の報酬比例部分の4分の3
相当が遺族厚生年金として支払われる。その妻が亡くなればその時点で終了する。

 ところが公務員は違う。妻が亡くなっても、その遺族年金の権利は子ども(18歳まで)や父母
にも引き継がれる。民間に比べ、公務員は死んだ後まで手厚く保護されている。







目次へ戻る メインHPへ

●他責型人間vs自責型人間

+++++++++++++++++

何か問題が起きると、すぐ「あいつが
悪い」「こいつが悪い」と訴える人がいる。

このタイプの人を、他責型人間という。

一方、何か問題が起きると、すかさず、
「ごめんなさい」「すみません」と、
謝る人がいる。

このタイプの人を、自責型人間という。

「他責型人間」「自責型人間」というのは、
私がつけた名前である。

+++++++++++++++++

 先日、「P−Fスタディと呼ばれるテスト法」について、原稿を書いた。投影法の一種で、心の
中の欲求不満がどこにあるかを調べるための、テスト法である。

 私の教室でも、30〜40人の子どもについて、それを調べてみた。結果、おもしろいことがわ
かった。

【テスト法】

 「昨日はキミが遊びに来たから、今日のテストはできなかった」と友だちが言ったことに対し
て、あなたなら何と答えるかを質問。回答を、口頭で言わせたり、作文させたりする。

 このテストで、

(1)他責型人間は、どこまでも相手が悪いと主張し、自分への責任を回避する。
(2)自責型人間は、自分の非をすなおに認めて、自分に責任があるとして謝罪する。

 その間にあって、だれの責任でもないとあいまいにしてすませてしまうタイプを、無責任型人
間というが、ここでは考えない。

 このテストは、別名「絵画欲求不満テスト」(「臨床心理学」・稲富正治著)とも呼ばれている。
つまり心の奥底に潜む、欲求不満の原因が、どこにあるかを、このテストを通して、知ることが
できる。

 たとえば悶々と、いつ晴れるともわからない気分でいたとする。何かわからないが、モヤモヤ
している。不平、不満も多い。すっきりしない。そういうとき、このテストをしてみるとよい。その
原因がどこにあるかを知ることができる。

 欲求不満の原因が他人にあるときは、他人に向かって責任を求める。たとえばこのテストで
は、こう書く。

 「あなたが遊びに来いと言ったから、来た。それをどうして私のせいにするの。そんなのはあ
なたの勝手よ」と。

 一方、欲求不満の原因が自分にあるときは、自分に向かって責任を求める。たとえばこのテ
ストでは、こう書く。

 「ごめんなさい。テストがあるって、私は知らなかった。言ってくれれば、じゃましなかった。気
がつかなくて、ごめん」と。

 このテストをしてみて、とくに私の注意をひいたのは、双子の兄弟(男児と女児、小3)であ
る。見た感じででは、性格は対照的なほど、大きくちがう。

 男児をA君とする。女児をBさんとする。

 A君は活発で、行動派。わんぱく盛りといった子どもである。自己主張もはげしく、どこかわが
まま。いつもどこか、ガサガサしているといったふう。

 それに対してBさんは、慎重派。理知的で、繊細な感覚をもっている。人格の完成度も高い。
聡明。いつも静かに落ち着いている。

 A君は、このテストでは、あきらかに自責型人間と出た。一方、Bさんは、そのB君とは対照的
に、あきらかに他責型人間と出た。私は当初、この結果にとまどった。しかしやがてすぐ、その
背景が理解できた。

 当然のことながら、A君とBさんは、いつも行動をともにしている。通っている学校も同じ。クラ
スも同じ。きわめて接近した関係にある。

 そういう関係の中で、何かにつけて、A君はBさんに、やりこめられている。勉強という面で
は、いつも負けている。

 一方、Bさんは、A君という兄弟をもちながら、いつも手を焼いている。内心では、「あまり自慢
できない弟(兄)」と思っているのかもしれない。A君を、やんちゃな弟とするなら、Bさんは、でき
のよい姉ということになる。(実際には、双子だが……。)

 こういう関係の中で、A君は、自分に対する評価(=自己評価)をさげていった。一方、Bさん
は、自分に対する評価をあげていった。結果、A君は、自責型人間になり、Bさんは、他責型人
間になった。

 わかりやすく言えば、2人の間で何か問題が起きるたびに、A君は、「どうせ、ぼくが悪い」「ぼ
くの責任」と思うようになった。一方Bさんは、「何でも、あなたが悪い」「あなたの責任」と思うよ
うになった。そのちがいが、このテストで、顕著に現れた。

 が、問題がないわけではない。

 他責型人間は、欲求不満の原因を、いつも他人のせいにする。それゆえに、自分の非を認
めない。タイプとしては、姉御(あねご)タイプ。あるいは親分タイプということになる。

 一方自責型人間は、欲求不満の原因を、いつも自分のせいにする。それゆえに、ときとして
自分を必要以上に、過小評価してしまう。子分タイプ。あるいは隷属タイプということになる。

 どちらがよいとか、悪いとかいうことではない。このテストは、あくまでも、心の奥底をのぞくた
めのもの。だからといって、A君に、こうしなさいとか、Bさんに、こうしなさいとかいう類(たぐい)
のものではない。

 しかしこのテストを通して、私は、たいへん興味深いことを発見した。見かけでは、A君は他責
型人間、Bさんは、自責型人間に思っていたからである。つまり心の奥底というのは、その見
かけでは、わからないということ。

 あなたも一度、このテストをして、自分の心の奥底をのぞいてみたらよい。

 ところで、私は自責型人間。私のワイフは他責型人間である。先のA君とBさんの関係と、た
いへんよく似ている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●外責型人間VS内責型人間

+++++++++++++++++

何かのことで、責任を問われたりすると、
「お母さんが悪い」「友だちが悪い」と、
その責任を、他人に転嫁するタイプの子どもがいる。
このタイプの子どもを、(おとなもそうだが〜)、
外責型人間という。

心理学の世界には、「帰属理論」という言葉も
ある。責任をだれに帰属させるかという点で、
同じように、外的帰属型、内的帰属型に分けて
考える。

用語はちがうが、中身は、同じ。

外責型人間=外的帰属型、内責型人間=
内的帰属型ということになる。

このほかに、その中間にあって、責任を
問われても、へらへらと茶化してしまう、
無罰型というのもある。

たとえば子どもがお茶をこぼしたばあいを
考えてみよう。

子どもが部屋を走っていて、たまたまそこに
客に来ていた人の、お茶をこぼしてしまった
とする。

そのとき、「お母さんが、そんなところに
お茶を置くから悪いのよ」と、即座に、
他人のせいにするのを、外責型人間(外的
帰属型)という。

一方、すかさず、「ごめん。私が走っていたから
悪かった」とあやまるのを、内責型人間(内的
帰属型)という。

その中間にあって、ヘラヘラと笑いながら、
「お茶がこぼれちゃった。ぞうきん、ぞうきん!」と、
その場をやりすごしてしまうタイプを、無罰型と
いう。

外責型人間は、それだけ無責任で、責任を
いつも他人に向けるので、ストレスを内に
ためない。

内責型人間は、それだけ責任感が強く、ストレス
を内にためやすい。「まじめ」という評価を受けるが、
社会生活がその分だけ、ぎくしゃくしやすい。

+++++++++++++++++

 これは私たち夫婦のことだが、私のワイフは、完全に、外責型人間。一方、私は、完全に、
内責型人間。まったくタイプのちがう人間が、今、(夫婦)をしている。(あるいは長い時間をか
けて、たがいに分業するようになったのかもしれない。)

 つい先日も、2人で、コンサートに行くことになっていた。しかし会場に行ってみると、コンサー
トはすでに終わっていた。

 「16:00会場、16:30開演」を、ワイフは、「6時会場、6時半開演」と読みまちがえた。それ
を指摘すると、ワイフはすかさず、こう言った。

ワ「あら、このチケット、時間がちがっている」
私「ちがっていない」
ワ「だって、6時なのに、16:00と書いてあるわ」
私「ちがう。お前が読みまちがえた」
ワ「まぎらわしいわね。ちゃんと、午後4時からと書いてくれればいいのに」と。

 私ならこういうケースでは、即座に、あやまる。「ああ、ごめん。まちがえた。16:00会場を、
午後6時会場と思いこんでしまった」と。

 が、ワイフは、その段階でも、まだ自分の非を認めない。私が、「お前は、16:00と午後6時
のちがいもわからないのか」となじると、「だれだって、まちがえること、あるでしょ」「あなただっ
て、この前、講演時間をまちがえたじゃない」と。

 すなおに、「ごめん、まちがえた」と言ってくれれば、私も救われる。が、ワイフはちがう。つま
りワイフのようなタイプの人間を、外責型人間、あるいは外的帰属型という。

 外責型人間は、言い訳がうまく、自分への圧力を、外の世界にかわす。だからストレスをた
めない。うつ状態になることも少ない。

 一方、内責型人間は、自分の中にストレスをためるので、先にも書いたように、責任感が強
い分だけ、うつ状態になることも多い。

 そこであたた自身は、どうかということ。少し前に書いた原稿を、そのままここに転載する。

【友だちに、あなたはこう言われた。「昨日は君が遊びに来たから、ぼくは(私は)今日のテスト
ができなかった」と。そのとき、あなたはどう言い返すだろうか?】



 
★A(小3・男児)「ごめんね。キミとあそびたかったもんで、あそびにいきたかったんだ。ほんと
うに ごめんね」(自責・固執型)

☆B(小3・女児)「しょうがないじゃん。キミがあそびに きてっていったから、いったんだよ。ボ
クのせいじゃ、ないよ。それにボクと いっしょに やらないから わるいじゃん。それに、キミ 
めんどくさいって いったじゃんか」(他責・固執型)

★(小2・男児)「キミがあそびにくるっていったからだよ」(他責・固執型)


★(小2・男児)「ごめんね。ぼくのせいでテストができなくて、ごめんね。でもぼくだって、あそび
たかった。けれど、きみだって、テストがあるって、言ってくれればよかった」(自責・逡巡型)

☆(小3・女児)「ごめん。きのうあそびにいったから、きみがきょう、テストができなかったんでし
ょ。本当にごめん」(自責・固執型)

★(小3・男児)「なぜ、ぼくのせいにするの」(他責)

★(小3・男児)「そんなこというなよ。いやだな。ぼくそういうこと言われると、気ぶんがわるくな
るんだけど」(他責・逡巡型)

★(小5・男児)「なんで? そんなの ぼくがなんで おこられるの。ぼくが帰ってから べんきょ
うすればよかったじゃん。これからは ぼくにもんくを つけないで」(他責・固執型)

★(小5・男児)「なんで ぼくが わるいんだよ。遊びにきたからじゃ ないよ」(他責・固執型)

★(小6・男児)「人のせいに するなよ。なら、約束しないか、早めに帰らせれば、よかったじゃ
ないか」(他責・固執型)


++++++++++++++++

 ざっと読んだところ、子どもの世界では、「多責・固執型」が目立つ。他人のせいにして、どこ
までも自分には責任がないとがんばるタイプである。

 この中で「オヤッ」と思ったのは、最初のA君と、Bさんの回答である。双子の兄弟だが、A君
は、やんちゃな、わんぱく少年といった感じ。そのA君とは対照的に、Bさんは、思慮深く、静か
な落ち着きのある優等生といった感じ。精神の完成度も高い。

 そのA君が「ごめんね」とあやまる、(自責・固執型)であるのに対して、Bさんが、相手を責め
まくる、(他責・固執型)であるということ。常識で考えれば、それぞれが反対の回答を書いたと
しても、おかしくない。

 A君のもっている深層心理と、Bさんがもっている深層心理に迫ったのではないかという点
で、たいへん興味深かった。

 なおこの(P−Fスタディ)では、

(1)他責型(相手の責任を追及する)
(2)自責型(自分の非を認め、謝罪する)
(3)無責型(どちらの責任でもないとする)の3つに分けて考える。

 さらにそれぞれの内容を、

(1)逡巡型=障害優位型(あいまいで、迷いのあるタイプ)
(2)自我防衛型(相手や自分を罰することによって、自分を守る)
(3)固執型=要求固執型(どこまでも、相手か自分が悪いと、固執する)の3つに分けて考える
(同書)。

 計9タイプの子ども(おとな)に分けて考える。

 さて、あなたの子どもは、どんな回答をするだろうか。一度、家庭で試してみるとおもしろい。

 なおこのテスト法は、もともとは、欲求不満の原因がどこにあるかを知るためのものである。

 欲求不満の原因は、大きく分けると、2つに分類される。

(1)自分自身の中に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。
(2)自分自身の外に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。

 前者を、「超自我阻害場面」、後者を、「自我阻害場面」という(同書)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 P−F
スタディ PFスタディ 絵画欲求不満テスト はやし浩司 外責型人間 内責型人間 帰属理論
 外的帰属型 内的帰属型) 








目次へ戻る メインHPへ

●ぜいたくに育つ子ども

++++++++++++++++

ずいぶんと昔の話だが、レッスン中、
突然、「タクシーを呼んで!」と
叫んだ、女の子(中6)がいた。

理由はわからなかったが、あまりの
あわてように驚いて、私は、言われる
ままタクシーを呼んでやった。

で、あとで、話を聞くと、母親は
こう言った。

「うちの子は、よそのトイレを使う
ことができないのです」と。

ナルホド!

++++++++++++++++

 ここ数年、とくにふえてきたのが、(ぜいたくな子)。ぜいたくであることが当たり前になってい
て、おかしなセレブ意識をもっている。それで私は、そういう子どもを、「セレブ娘」と呼んでい
る。概して、女児に多い。

 机が汚れていると言って、不快な顔をする。「掃除をしたか?」と言って、怒る。
 貸し出しの教科書に、ほこりがついているといって、怒る。
暑くて勉強できないと言って小言を言う。クーラーをつけろと言う。
 蚊を退治するため、スプレーをかけると、服が臭くなると言って怒る。
 蚊取り線香をたくと、髪の毛が臭くなると言って怒る。

 身につけているものはといえば、言わずと知れた、ブランド品。ブランド品ばかり。友人どうし
で、それを競いあっている。たまに、(自分より下?)と思っている子どもが、同じブランドの服を
着ていたりすると、露骨に不快な表情をしてみせる、などなど。

 冒頭に書いた、よそのトイレは使えないという女の子にしても、そうだ。生活に対する耐性
が、極端に弱い。で、なぜ子どもが、そういう子どもになるかと言えば、今さら、理由など、ここ
に書くまでもない。

 しかし一度、子どもでもそういうセレブ意識をもってしまうと、(かえって、子どものほうがタチ
が悪いが)、結局は苦労するのは、その子ども自身ということになる。社会人になってからも、
それだけの生活が維持できればよいが、そうでないとき、その子ども自身が、社会から、はじ
き飛ばされてしまう。社会そのものに、同化できなくなってしまう。

 さらに悲劇的なことに、そういう子どもにしながら、親自身にその自覚がないということ。親自
身も、セレブ意識が強く、たとえば娘に、つぎつぎとブランド品を買い与えながら、それが親とし
て、当然である(?)と考えている。

 で、先にも書いたように、この数年、このタイプの子どもが、急速にふえている。あのバブル
経済期にも、同じような現象が見られたが、最近は、さらにそれに磨き(?)がかかった。一見
何でもなく見えるTシャツだが、一着、数万円というシャツを着ていたりする。ジーパンにしても、
そうだ。靴にしても、そうだ。

 が、私は、あえて言う。

 「子どもは、質素に育てたほうがよい」と。以前『質素を旨(むね)とすべし』という格言を考え
たこともある。今から15年も前に書いた本の中で、である。そのときの原稿を、そのまま転載
する。

+++++++++++++

●ガツガツした子どもは生き残る

 ガツガツすることに抵抗を感ずる人は多い。しかし日本はそのガツガツすることによって、こ
こまでの経済大国になった。もしここでガツガツすることをやめたら、日本はあっという間に、世
界の大波にのみこまれてしまうだろう。「スキあらば……」と日本をねらっている国はいくらでも
ある。

 しかし日本の子どもたちを見る限り、日本の将来はお先真っ暗。このままでは日本はアジア
でもごくふつうの国、あるいはそれ以下になってしまう。ロンドン大学名誉教授の故森嶋氏も、
「2050年には本当に日本はダメになってしまう」と警告している。

 ……というのはマクロ的な見方だが、個人というミクロ単位でみても、同じことがいえる。これ
からの日本や世界で生きていくことができる子どもは、ガツガツした子どもである。ぬるま湯に
どっぷりとつかり、のんきに過ごしている子どもには、未来はない。言いかえると、どうすればそ
のガツガツした子どもを育てられるかということ。それがこれからの子どもをどう育てるかのヒ
ントになる。そこで……。

D子どもにはぜいたくをさせない……子育ては質素を旨とする。与えるもの、着せるもの、食
べさせるもの、あらゆる面で質素にする。中には「高価なものを買い与えることが、親の愛のあ
かし」と考えている人がいるが、これはとんでもない誤解である。

E子どもの言いなりにならない……結局は子どもの言いなりになってしまうという甘い環境が、
子どもをドラ息子(娘)にする。そのためにも、生活の場では、子どもを中心に置かない。いつ
も脇に置く。食事の献立でも休日の過ごし方でも、親は親で、親中心の生活を組み立てればよ
い。

F子どもは使う……「子どもは使えば使うほどいい子になる」と心得る。使えば使うほど、子ど
もは忍耐力を養い、生活力もそこから生まれる。「子どもに楽をさせることが親の愛のあかし」
というのも誤解。使えば使うほど、他人の苦労もわかるようになり、その分だけ、子どもはやさ
しく思いやりのある子どもになる。

 ガツガツする子どもを嫌う人も多いが、本来子どもというのは、ガツガツしているもの。またそ
れが子どものあるべき姿ということになる。今この日本では、どこかナヨナヨし、従順で、満足
げにおっとりしている子どもほど、「いい子」と見る風潮がある。しかしそういう子どもは、これか
らの世界で生き残ることはできない。

●叱るときは恐怖感を与えない

 子どもを叱るとき、最も大切なことは、恐怖感を与えないこと。『威圧で閉じる子どもの耳』と
覚えておく。中に親に叱られながら、しおらしくしている子どもがいる。が、反省しているから、そ
うしているのではない。こわいからそうしているだけ。親が子どもを日常的に叱れば叱るほど、
子どもはいわゆる「叱られじょうず」になる。頭をさげて、いかにも反省しているといった様子を
見せる。しかしこれはフリ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱るときは、次のことを守る。

●叱るときの鉄則

(1)人がいるところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)

(2)大声で怒鳴らない。そのかわり言うべきことは、繰り返し言う。「子どもの脳は耳から遠い」
と覚えておく。話した説教が、脳に届くには、時間がかかる。

(3)相手が幼児のときは、幼児の目線にまで、おとなの体を低くする(威圧感を与えないた
め)。視線をはずさない(真剣であることを示すため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で固
定し、きちんとした言い方で話す。にらむのはよいが、体罰は避ける。とくに頭部への体罰は、
タブー。体罰は与えるとしても、「お尻」と決めておく。

(4)子どもが興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。そしてここが重要だが、

(5)叱ったことについて、子どもが守られるようになったら、「ほら、できるわね」と、ほめてしあ
げる。ちなみに私が調査したところ、相手が幼児のばあい、約50%の母親が何らかの体罰を
加えているのがわかった(浜松市にて調査)。

げんこつ、頭たたき、チビクリ、お尻たたきなど。ほかに「グリグリ(げんこつで頭の両側をグル
グリする)」「ヒネリ(げんこつで頭をひねる)」など。台所のすみで正座、仏壇の前で正座という
ものもあった。「どうして仏壇の前で正座なのか?」と聞いたら、その子ども(中一男子)はこう
話してくれた。「お父さんが数年前に死んだから」と。何でもとても恐ろしいことだそうだ。体罰で
はないが、「(家からの)追い出し」というのも依然と多い。

●ほめるときは、おおげさに

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、『忠告は秘かに、賞賛はおおやけ
に』と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめる。そのとき頭
をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。

 ただ、一つだけ条件がある。子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。が、顔や
スタイルについては、ほめないほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見て
くれや、かっこうばかりを気にするようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女
子中学生がいた。また「頭」については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重に
する。頭をほめすぎて、子どもがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

●励まし方

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、励まし方。いつもプラスの暗示をかけるようにして、励
ますとよい。「あなたはこの前より、すばらしくなった」「去年よりずっとよくなった」など。またすで
に悩んだり、苦しんだり、さらにはがんばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。
意味がないだけではなく、かえって子どもを袋小路へ追い込んでしまう。「やればできる」式の
励まし、「こんなことでは!」式の脅しも、タブー。結果が悪く、子どもが落ち込んでいるようなと
きはなおさら、「あなたはよくがんばった」式の前向きな姿勢で、子どもを温かく包んであげる。

+++++++++++++

ついでにもう1作。

+++++++++++++

子どもをよい子にしたいとき 

●どうすれば、うちの子は、いい子になるの?

 「どうすれば、うちの子どもを、いい子にすることができるのか。それを一口で言ってくれ。私
は、そのとおりにするから」と言ってきた、強引な(?)父親がいた。「あんたの本を、何冊も読
む時間など、ない」と。私はしばらく間をおいて、こう言った。「使うことです。使って使って、使い
まくることです」と。

 そのとおり。子どもは使えば使うほど、よくなる。使うことで、子どもは生活力を身につける。
自立心を養う。それだけではない。忍耐力や、さらに根性も、そこから生まれる。この忍耐力や
根性が、やがて子どもを伸ばす原動力になる。

●100%スポイルされている日本の子ども?

 ところでこんなことを言ったアメリカ人の友人がいた。「日本の子どもたちは、100%、スポイ
ルされている」と。わかりやすく言えば、「ドラ息子、ドラ娘だ」と言うのだ。

そこで私が、「君は、日本の子どものどんなところを見て、そう言うのか」と聞くと、彼は、こう教
えてくれた。「ときどきホームステイをさせてやるのだが、食事のあと、食器を洗わない。片づけ
ない。シャワーを浴びても、あわを洗い流さない。朝、起きても、ベッドをなおさない」などなど。
つまり、「日本の子どもは何もしない」と。

反対に夏休みの間、アメリカでホームステイをしてきた高校生が、こう言って驚いていた。「向こ
うでは、明らかにできそこないと思われるような高校生ですら、家事だけはしっかりと手伝って
いる」と。ちなみにドラ息子の症状としては、次のようなものがある。

●ドラ息子症候群

(1)ものの考え方が自己中心的。自分のことはするが他人のことはしない。他人は自分を喜
ばせるためにいると考える。ゲームなどで負けたりすると、泣いたり怒ったりする。自分の思い
どおりにならないと、不機嫌になる。あるいは自分より先に行くものを許さない。いつも自分が
皆の中心にいないと、気がすまない。

(2)ものの考え方が退行的。約束やルールが守れない。目標を定めることができず、目標を
定めても、それを達成することができない。あれこれ理由をつけては、目標を放棄してしまう。
ほしいものにブレーキをかけることができない。生活習慣そのものがだらしなくなる。その場を
楽しめばそれでよいという考え方が強くなり、享楽的かつ消費的な行動が多くなる。

(3)ものの考え方が無責任。他人に対して無礼、無作法になる。依存心が強い割には、自分
勝手。わがままな割には、幼児性が残るなどのアンバランスさが目立つ。

(4)バランス感覚が消える。ものごとを静かに考えて、正しく判断し、その判断に従って行動す
ることができない、など。

●原因は家庭教育に

 こうした症状は、早い子どもで、年中児の中ごろ(4・5歳)前後で表れてくる。しかし一度この
時期にこういう症状が出てくると、それ以後、それをなおすのは容易ではない。ドラ息子、ドラ
娘というのは、その子どもに問題があるというよりは、家庭のあり方そのものに原因があるか
らである。

また私のようなものがそれを指摘したりすると、家庭のあり方を反省する前に、叱って子どもを
なおそうとする。あるいは私に向かって、「内政干渉しないでほしい」とか言って、それをはねの
けてしまう。あるいは言い方をまちがえると、家庭騒動の原因をつくってしまう。

●子どもは使えば使うほどよい子に

 日本の親は、子どもを使わない。本当に使わない。「子どもに楽な思いをさせるのが、親の愛
だ」と誤解しているようなところがある。だから子どもにも生活感がない。「水はどこからくるか」
と聞くと、年長児たちは「水道の蛇口」と答える。「ゴミはどうなるか」と聞くと、「どこかのおじさん
が捨ててくれる」と。あるいは「お母さんが病気になると、どんなことで困りますか」と聞くと、「お
父さんがいるから、いい」と答えたりする。生活への耐性そのものがなくなることもある。

友だちの家からタクシーで、あわてて帰ってきた子ども(小6女児)がいた。話を聞くと、「トイレ
が汚れていて、そこで用をたすことができなかったからだ」と。そういう子どもにしないために
も、子どもにはどんどん家事を分担させる。子どもが2〜4歳のときが勝負で、それ以後になる
と、このしつけはできなくなる。

●いやなことをする力、それが忍耐力

 で、その忍耐力。よく「うちの子はサッカーだと、一日中しています。そういう力を勉強に向け
てくれたらいいのですが……」と言う親がいる。しかしそういうのは忍耐力とは言わない。好き
なことをしているだけ。幼児にとって、忍耐力というのは、「いやなことをする力」のことをいう。

たとえば台所の生ゴミを始末できる。寒い日に隣の家へ、回覧板を届けることができる。風呂
場の排水口にたまった毛玉を始末できる。そういうことができる力のことを、忍耐力という。こ
んな子ども(年中女児)がいた。その子どもの家には、病気がちのおばあさんがいた。そのお
ばあさんのめんどうをみるのが、その女の子の役目だというのだ。その子どものお母さんは、
こう話してくれた。「おばあさんが口から食べ物を吐き出すと、娘がタオルで、口をぬぐってくれ
るのです」と。こういう子どもは、学習面でも伸びる。なぜか。

●学習面でも伸びる

 もともと勉強にはある種の苦痛がともなう。漢字を覚えるにしても、計算ドリルをするにして
も、大半の子どもにとっては、じっと座っていること自体が苦痛なのだ。その苦痛を乗り越える
力が、ここでいう忍耐力だからである。反対に、その力がないと、(いやだ)→(しない)→(でき
ない)→……の悪循環の中で、子どもは伸び悩む。

 ……こう書くと、決まって、こういう親が出てくる。「何をやらせればいいのですか」と。話を聞く
と、「掃除は、掃除機でものの10分もあればすんでしまう。買物といっても、食材は、食材屋さ
んが毎日、届けてくれる。洗濯も今では全自動。料理のときも、キッチンの周囲でうろうろされ
ると、かえってじゃま。テレビでも見ていてくれたほうがいい」と。

●家庭の緊張感に巻き込む

 子どもを使うということは、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。親が寝そべってテレビを見
ながら、「玄関の掃除をしなさい」は、ない。子どもを使うということは、親がキビキビと動き回
り、子どももそれに合わせて、すべきことをすることをいう。たとえば……。

 あなた(親)が重い買い物袋をさげて、家の近くまでやってきた。そしてそれをあなたの子ども
が見つけたとする。そのときさっと子どもが走ってきて、あなたを助ければ、それでよし。しかし
知らぬ顔で、自分のしたいことをしているようであれば、家庭教育のあり方をかなり反省したほ
うがよい。やらせることがないのではない。その気になればいくらでもある。食事が終わった
ら、食器を台所のシンクのところまで持ってこさせる。そこで洗わせる。フキンで拭かせる。さら
に食器を食器棚へしまわせる、など。

 子どもを使うということは、ここに書いたように、家庭の緊張感に巻き込むことをいう。たとえ
ば親が、何かのことで電話に出られないようなとき、子どものほうからサッと電話に出る。庭の
草むしりをしていたら、やはり子どものほうからサッと手伝いにくる。そういう雰囲気で包むこと
をいう。何をどれだけさせればよいという問題ではない。要はそういう子どもにすること。それ
が、「いい子にする条件」ということになる。

●バランスのある生活を大切に

 ついでに……。子どもをドラ息子、ドラ娘にしないためには、次の点に注意する。

(1)生活感のある生活に心がける。ふつうの寝起きをするだけでも、それにはある程度の苦
労がともなうことをわからせる。あるいは子どもに「あなたが家事を手伝わなければ、家族のみ
んなが困るのだ」という意識をもたせる。

(2)質素な生活を旨とし、子ども中心の生活を改める。

(3)忍耐力をつけさせるため、家事の分担をさせる。

(4)生活のルールを守らせる。

(5)不自由であることが、生活の基本であることをわからせる。

(6)バランスのある生活に心がける。

 ここでいう「バランスのある生活」というのは、きびしさと甘さが、ほどよく調和した生活をいう。
ガミガミと子どもにきびしい反面、結局は子どもの言いなりになってしまうような甘い生活。ある
いは極端にきびしい父親と、極端に甘い母親が、それぞれ子どもの接し方でチグハグになって
いる生活は、子どもにとっては、決して好ましい環境とは言えない。チグハグになればなるほ
ど、子どもはバランス感覚をなくす。ものの考え方がかたよったり、極端になったりする。

子どもがドラ息子やドラ娘になればなったで、将来苦労するのは、結局は子ども自身。それを
忘れてはならない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 ドラ息
子、ドラ娘 質素 セレブ娘 子供とぜいたく ドラ息子症候群 子どもの耐性 子供の耐性)







目次へ戻る メインHPへ

●釈迦が説いた自由論

++++++++++++++++

釈迦はクシナガラの郊外、シャーラ
(沙羅)樹の林の中で、最後の教え
を説いたという(仏教聖典)。

弟子たちよ、おまえたちは、おのおの、
自らを灯火(ともしび)とし、
自らをよりどころとせよ、
他を頼りとしてはいけない。

この"法"を灯火とし、よりどころと
せよ。他の教えをよりどころとしては
いけない。

++++++++++++++++

●自由

 「自由」という言葉がある。この言葉は、もともとは、「自(みずか)ラニ由(よ)ル」、あるいは
「自ラニ由ラセル」という意味である。

 つまり、(自分で考え)、(自分で行動し)、(自分で責任を取る)ことを、「自由」という。

 釈迦は、仏教聖典(仏教伝道協会発行)によれば、最後に、まさにその「自由」について説い
たことになる。

 ついでながら、私が知るかぎり、釈迦が、「前世」とか「来世」とか、そんなことを説いた形跡
は、どこにもない。あるとすれば、釈迦滅後、数百年を経て書かれた経典の中だけである。そ
うした経典は、ヒンズー教の影響を、モロに受けている。

 それはともかくも、釈迦は、つぎのようにつづける。

『わが身をみては、その汚れを思って、
貪(むさぼ)らず、苦しみも楽しみも、
ともに苦しみの因(もと)であると思って、
ふけらず、わが心を観(み)ては、その
中に「我」はないと思い、それらに
迷ってはならない。そうすれば、すべての
苦しみを断つことができる。
わたしがこの世を去った後も、このように
教えを守るならば、これこそわたしの
まことの弟子である』と。

●煩悩(ぼんのう)

 釈迦によれば、私たちの心というのは、基本的には、「汚れている」ということになる。だか
ら、その汚れた心のまま、「貪ってはならない」と。つまり貪欲になってはいけない、と。もっとわ
かりやすく言えば、情欲の命ずるまま、貪欲になってはいけない、と。

 そしてそれを受けて、『苦しみも楽しみも、ともに苦しみの因であると思って、それにふけって
はいけない』と。

 同じようなことが、東洋医学のバイブルとも言われる、(黄帝内経・素問・上古天真論篇)の中
にも書いてある。「(健康の奥義は)、精神的にも悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とす
る」と。

 つまり「楽しいから」といって、享楽的に、それにふけってはいけないということ。それはそのと
おりで、1人の人の(楽しみ)は、どこか別のところで、別の人の(苦しみ)の上に成り立っている
ことが多い。あるいは享楽的に生きれば生きるほど、その反動は、かならず、自分自身にやっ
てくる。

またつぎの『わが心を観(み)ては、その中に「我」はないと思い、それらに迷ってはならない』の
部分は、フロイトのリピドー論を重ねてみると、意味がよくわかる。

 私たちを根源的な部分で動かしているのは、リピドー、つまり性的エネルギーである。さらに
つっこんで言えば、「子孫存続本能」ということになる。もちろん私たちはそれだけで生きている
わけではないが、しかし私たちの日常的な行動すべては、どこかでその本能と結びついてい
る。

 それがわからなければ、ほかの動物や植物をみればよい。私たち人間も、その一部でしか
ない。

●どこまでが「私」?

 釈迦は、「私たちの中には、『私』という部分は、本当はないのだ」と説いている。つまり「私は
私」と思っている部分にしても、そう思っているだけで、実際には、私ではない、と。

 たとえば若い女性が、化粧をする。その女性は、「私は自分の意思で化粧をしている」と思っ
ているかもしれないが、その意思とて、作られたものにすぎない。結婚前の女性であれば、まさ
に「子孫存続」のための、その準備行動をしているにすぎない。

 実際、私の中の「私」をみつめてみると、どこからどこまでが、「私」で、どこからどこまでが
「私」でないか、それがよくわからないときがある。たとえばもうすぐ60歳という、この年齢にな
っても、性欲は残っている。ときどきエロビデオを見たいという欲求もわいてくる。

 しかしそう思うのは、ここでいう(私であって私でない部分)ということになる。だからつづく行
動、たとえばエロビデオ店へ行って、見たいエロビデオを選んだり、買ったりするのも、(私であ
って私でない部分)ということになる。

 しかしこんなことをおおっぴらに言えば、(すでにおおっぴらに言っているが)、「教育評論家と
呼ばれている男が、何を言うか!」と、非難される。だから私は、こういうことは隠そうとする。
「私は、そういうエロビデオは見ていません」というフリをする。

 「私」がかろうじてあるとすれば、その(隠そうという)部分、もしくは(フリをしている)部分にで
しかない。

●苦しみは煩悩から

要するに、私たちが日常生活でいうところの(苦しみ)などというものは、総じてみれば、(私で
あって私でない部分)から生じている。だから釈迦はこう言う。『私の中に、「我」はないと思い、
それらに迷ってはならない。そうすれば、すべての苦しみを断つことができる』と。

 もう一歩先を言えば、「私は私」と思うから、そこから苦しみが生まれる。「私の財産」「私の名
誉」「私の地位」と。ならば、最初から、運命を受け入れ、それに従えばよい。へたに「私」にこ
だわるから、人は苦しむ。悩む。釈迦もこう言っている。

 『……いたずらに悲しむことはやめて、
 この無常の道理に気がつき、人の世の
 真実のすがたに眼をさまさなければ
 ならない。

 変わるものを変わらせまいとするのは、
 無理な願いである。

 煩悩(ぼんのう)の賊(ぞく)は、
 常におまえたちのすきをうかがって、
 倒そうとしている。

 もしおまえたちの部屋に毒蛇が住んで
 いるのなら、その毒蛇を追い出さない
 かぎり、落ちついてその部屋で、
 眠ることはできないであろう。

 煩悩の賊は追わなければならない。
 煩悩の蛇(へび)は、出さなければ
 ならない。

 おまえたちは慎(つつし)んで、
その心を守るのがよい』(同書)

 あとは、その瞬間、瞬間を、懸命に生きること。ただひたすら懸命に生きること。それがどん
な結果で終ろうとも、それも運命。そのときはそのときで、その運命を、静かに受け入れれば、
それでよい。

 釈迦が説いた「自由」とは、まさに「私」を求める戦いであったということになる。わかりやすく
言えば、「私」を、「私の中の私でない部分から解放させる」。それが真の自由につながる、と。
釈迦は、それを説いた。

++++++++++++++++

黄帝内経・素問・上古天真論篇
について書いた原稿を、添付
します。(中日新聞発表済み)

++++++++++++++++

●子育ては自然体で

 『子育ては自然体で』とは、よく言われる。しかし自然体とは、何か。それがよくわからない。
そこで一つのヒントだが、漢方のバイブルと言われる『黄帝内経・素問』には、こうある。これは
健康法の奥義だが、しかし子育てにもそのままあてはまる。

いわく、「八風(自然)の理によく順応し、世俗の習慣にみずからの趣向を無理なく適応させ、恨
み怒りの気持ちはさらにない。行動や服飾もすべて俗世間の人と異なることなく、みずからの
崇高性を表面にあらわすこともない。身体的には働きすぎず、過労に陥ることもなく、精神的に
も悩みはなく、平静楽観を旨とし、自足を事とする」(上古天真論篇)と。難解な文章だが、これ
を読みかえると、こうなる。

 まず子育ては、ごくふつうであること。子育てをゆがめる三大主義に、極端主義、スパルタ主
義、完ぺき主義がある。極端主義というのは、親が「やる」と決めたら、徹底的にさせ、「やめ
る」と決めたら、パッとやめさせるようなことをいう。

よくあるのは、「成績がさがったから、ゲームは禁止」などと言って、子どもの趣味を奪ってしま
うこと。親子の間に大きなミゾをつくることになる。スパルタ主義というのは、暴力や威圧を日常
的に繰り返すことをいう。このスパルタ主義は、子どもの心を深くキズつける。また完ぺき主義
というのは、何でもかんでも子どもに完ぺきさを求める育て方をいう。子どもの側からみて窮屈
な家庭環境が、子どもの心をつぶす。

 次に子育ては、平静楽観を旨とする。いちいち世間の波風に合わせて動揺しない。「私は私」
「私の子どもは私の子ども」というように、心のどこかで一線を引く。

あなたの子どものできがよくても、また悪くても、そうする。が、これが難しい。親はそのつど、
見え、メンツ、世間体。これに振り回される。そして混乱する。言いかえると、この三つから解放
されれば、子育てにまつわるほとんどの悩みは解消する。

要するに子どもへの過剰期待、過関心、過干渉は禁物。ぬか喜びも取り越し苦労もいけない。
「平静楽観」というのは、そういう意味だ。やりすぎてもいけない。足りなくてもいけない。必要な
ことはするが、必要以上にするのもいけない。「自足を事とする」と。実際どんな子どもにも、自
ら伸びる力は宿っている。そういう力を信じて、それを引き出す。子育てを一言で言えば、そう
いうことになる。

さらに黄帝内経には、こうある。「陰陽の大原理に順応して生活すれば生存可能であり、それ
に背馳すれば死に、順応すれば太平である」(四気調神大論篇)と。おどろおどろしい文章だ
が、簡単に言えば、「自然体で子育てをすれば、子育てはうまくいくが、そうでなければ、そうで
ない」ということになる。

子育てもつきつめれば、健康論とどこも違わない。ともに人間が太古の昔から、その目的とし
て、延々と繰り返してきた営みである。不摂生をし、暴飲暴食をすれば、健康は害せられる。
精神的に不安定な生活の中で、無理や強制をすれば、子どもの心は害せられる。栄養過多も
いけないが、栄養不足もいけない。

子どもを愛することは大切なことだが、溺愛はいけない、など。少しこじつけの感じがしないでも
ないが、健康論にからめて、教育論を考えてみた。








目次へ戻る メインHPへ

【意識論】

++++++++++++++

自分がもっている(意識)ほど、
アテにならないものはない。

「私は私」と思っていても、
そのほとんどは、(作られたもの)。
本当の「私」など、どこにもない?

++++++++++++++

●日本の商社マンは、軽蔑されている?

 今から、40年も前のこと。日本には、まだ綿棒もなかった。バンドエイドもなかった。乾燥機
もなかった。ほとんどの家では、まだボットン便所を使っていた。

 そんなとき、私は、オーストラリアのメルボルン市へと渡った。人口300万人(当時)のメルボ
ルン市ですら、日本人の留学生は、私1人だけだった。そんなある日のこと。ある友人(顔は覚
えているが、名前をどうしても思い出せない)が、私にこう言った。

 「ヒロシ、日本の商社マン(ビジネスマン)は、オーストラリアでは、軽蔑されている」と。「軽蔑
(despise)」という言葉を、はっきりと使った。

 その少し前にも、仲のよかったD君もそう言った。それで気になって、その友人に、私はこう
聞いた。

 「いったい、君は、日本の商社マンのどこを見て、そう思うのか?」と。すると、その友人は、こ
う話してくれた。

 その友人の父親も何かのビジネスをしていたらしい。そしてあるとき、日本の商社マンと知り
あいになった。その商社マンを、食事に招待した。向こうの人たちは、少し親しくなると、自宅へ
食事に招待する習慣がある。

 で、いっしょに食事をしているときのこと。日本の商社マンは、家の中をあちこち見まわしなが
ら、目ざとく日本製を見つけ、「これは日本製」「あれも日本製」と言いだした。日本の商社マン
にしてみれば、親近感をもってもらいために、そう言ったのかもしれない。が、オーストラリア人
であるその父親にしてみれば、不愉快だった。

 しかしそれで終わったわけではない。食事がすむと日本の商社マンは、大きなバッグから、
何かの繊維見本を見せて、「これを買わないか?」ともちかけたという。その父親は、取り扱い
分野がちがうからという理由で、それを断った。するとすかさず、今度は、何か別の商品を取り
出し、「これはどうだ?」と迫ったという。

 ……つまり、そういう経験から、その友人の父親は、日本の商社マンを軽蔑するようになった
という。それでその友人は、そう言った。

●しかし……

 しかし当時の私は、その話を聞いて、日本の商社マンのそうした行為が、どうして「軽蔑」につ
ながるのか、それが理解できなかった。私自身も、日本の商社への入社が内定していたことも
ある。その上、当時の日本の経済は、高度成長期へと突入しつつあった。日本中が、「マネー」
「マネー」の大合唱に揺れていた。

 それに羽田―シドニー間の航空運賃(往復)だけでも、42、3万円の時代である。大卒の初
任給が、やっと5万円を超えた時代である。しかもオーストラリアドルは、1ドルが、400円に固
定されていた。

 オーストラリアでの生活費は、日本での生活費の、10倍、もしくはそれ以上だった。オースト
ラリアへやってきた商社マンたちも、それゆえ、必死だった。

 今でこそ、日本は豊かになった。しかし当時の日本人のだれが、日本がここまで豊かになる
と予想しただろうか。私はあるとき日記に、こう書いたのを覚えている。「日本が、オーストラリ
アに追いつくためには、50年かかる。あるいは、100年でも不可能かもしれない」と。

 ほとんどの学生は、車をもっていた。学生の親たちは、別荘をもっていた。農場を経営してい
たT君(南オーストラリア州)の父親の年収は、1400〜1500万円(当時)もあった。ごくふつう
の、平均的な農場主である。

 「1400〜1500万円」と聞くと驚く人もいるかもしれないが、1ドルを400円で計算すると、そ
うなった。とくにリッチな生活をしていたわけではないのだが……。

●作られる意識

 一方、私たちはどうかというと、みな、就職といえば、迷わず、銀行、証券会社、商社の道を
選んだ。またそれが学生が進むべき道として、正しい方向と信じていた。

 私も三井物産という会社と、伊藤忠商事という会社の2社の入社試験に合格した。しかし「大
きいほうがいい」ということで、三井物産という会社にした。

 日本でいえば「商社マン」だが、オーストラリアでは、「ビジネスマン」。その商社マンが、軽蔑
されていると知って、心底、驚いた。私は、商社マンは尊敬されることはあっても、軽蔑される
存在などとは、考えたこともなかった。

 が、こうした意識も、同じように外国からやってきた留学生たちの意識とくらべてみると、作ら
れたものだということがわかった。たとえばフィリッピンからやってきた留学生は、こう言った。

 「ヒロシ、君は、どうして日本の軍隊に入らないのか?」と。

 当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になること、イコール、出世コースということにな
っていた。(今も、基本的にはそうだが……。)彼らがもっていた、軍事としてのエリート意識に
は、相当なものがあった。

 一方、私は私で、ほかに自慢できるものがなかったこともあり、ことあるごとに、私は、「日本
へ帰ったら、ミツイ&カンパニーの商社マンになる」と、言っていた。が、先の友人は、こう言っ
た。

 「ヒロシ、そんなことを言うのは、もうよせ。君は知らないかもしれないが、日本の商社マン
は、ここオーストラリアでは、軽蔑されている」と。

●それから40年

 それから40年。私ももうすぐ60歳になる。三井物産という会社は、どうにもこうにも肌に合わ
なくて、入社後半年を待たずして、やめた。

 理由はいろいろある。が、その前に、私の意識そのものが変わってしまった。その話はとも
かくも、今度は、反対の立場で、似たような経験をすることになった。

 いきさつはともかくも、ある女性から、ある日、電話がかかってきた。「どうしても会いたいの
で、会ってほしい」「お伝えしたいことがある」と。

 二男が高校生のとき世話になった友人の母親からのものである。私はその申し出をていね
いに受けた。そして食事に招待することにした。

 私はその母親と会うことについて、かなり緊張した。そのとき二男はすでにアメリカに渡って
いた。内心では、二男が何かトラブルでも起こしたのではないかと心配していた。

 が、食事は始終、よい雰囲気のままだった。私はほっとした。が、そのあとのこと。私がおも
むろに、「で、大切な話というのは何ですか?」と切り出した。

 とたんその母親の表情が、さらに緩(ゆる)んだ。その母親は、こう言った。

 「林さん、こういう健康食品がありますが、興味ありません?」と。

 その母親は、ズラズラと、テーブルの上に健康食品を並べた。とたん、私はむっとするような
不快感を覚えた。「私に会いたいというから会ったが、こんな話で会いたかったのか!」と。

 利用されたという不快感。金儲けに利用されたという不快感。そういう商品を売りつけられる
という不快感。そうした不快感は、その女性が、「漢方」という名前を出したときに、頂点に達し
た。

 漢方(東洋医学)の「カ」の字も知らない女性が、私に漢方の説明をし始めた。そしてこうも言
った。

 「林さんは、お顔も広いようですから、ほかに買ってくださる方を紹介してくださったら、1個に
つき、xx%のマージンをさしあげます」と。

 私は、そのときは、はっきりとこう言った。その少し前にも同じような経験をしたこともあった。
「お帰りください。あなたが話があると言ったから、こういう場を用意しました。しかしモノを売り
つけるために、こんな場を利用するなんて、失敬でしょ!」と。

 私は、その瞬間、40年前の、あのオーストラリアの友人の言った言葉を思い出した。

●意識

 私たちがもっている(意識)ほど、アテにならないものはない。40年前のその少しあと、私は、
三井物産という会社をやめ、そのあとしばらくして、幼稚園の講師になった。それについても、
当時の私を知る人たちは、みな、こう言った。

 「あの林は、頭がおかしくなった」と。

 たしかに私の頭はおかしい。今も、おかしい。それはわかる。しかしそうした私を支えてくれた
のは、実は、オーストラリアの友人たちだった。私が幼稚園で働いていると手紙に書くと、み
な、こう言った。

 「ヒロシ、すばらしい選択だ」と。

 今でこそ、私のような生き方をする人がふえてきた。だから商社マンをやめて、幼稚園の講
師になった人がいたとしても、それほど目立たない。しかし当時は、ちがった。私の母ですら、
電話口の向こうで泣き崩れてしまった。「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と。

 けっして母を責めているのではない。母は、母で、当時の常識をもとにして、そう言った。「常
識」というよりは、「意識」と言ったほうがよいかもしれない。

 で、この話の結論。

 私たちは、無数の意識をもっている。しかしその意識にも、2種類ある。意識的に意識する意
識と、無意識のまま意識しない意識である。

 脳みその活動をもとにすると、私たちが意識できる(意識)というのは、脳みそ全体の数10
万分の1にもならないという。あるいは、もっと少ないかもしれない。

 つまり人間の脳みその中には、無意識のまま意識しない意識のほうが、絶対的に多いという
こと。ほとんどがそうであるとみてよい。

 この無意識のまま意識しない意識が、実は、私たちの意識を、ウラから操る。が、その操ら
れる私たちは、それに気づかない。操られていると知ることもなく、操られている。実は、ここ
に、(意識)のおもしろさというか、恐ろしさがある。

 ……ということで、この話は、おしまい。今までに「意識」について書いた原稿を、ここに添付
する。

+++++++++++++

●指で鼻をさす(教育のダークサイド)

 子どもたち(小学生)は、「自分」を表すとき、指で鼻先を押さえる。欧米では、親指で自分の
胸を押さえる。そこで私はいつごろから、子どもたちが自分の鼻を押さえるようになるかを調べ
てみた。「調べた」というのもおおげさだが、授業の途中で、子どもたちにどうするかを聞いてみ
た。

結果、年長児ではほぼ全員。年中児でも、ほぼ全員。年少児になると、何割かは鼻先を押さえ
るが、ウロウロと迷う子どもが多いということがわかった。そんなことで、こういう習慣は、四歳
から五歳ぐらいにかけてできるということがわかった。つまりこの時期、子どもたちは誰に教え
てもらうわけでもなく、いつの間にか、そういう習慣に染まっていく。

 私は何も、ここでジェスチャについて書くつもりはない。私が言いたいのは、教育には、常に
「教えずして教える」という、ダークサイドの部分があるということだ。これはジェスチャという、ど
うでもいいようなことだが、ものの考え方や道筋、思考回路などといったものも、実はこのダー
クサイドの部分でできる。

しかもその影響は、当然のことながら、幼児期ほど、大きい。この時期に論理的なものの考え
方を見つけた子どもは、ずっと論理的なものの考え方ができるいようになるし、そうでない子ど
もは、そうでない。そればかりではない。

この時期に、人生観や価値観の基本までできる。異性観や夫婦像といったものまで、この時期
に完成される。少なくとも、それ以後、大きく変化するということはない。そのことはあなた自身
を静かに観察してみれば、わかる。

 たとえば私は、今、いろいろなことを考え、こうして文を書いているが、基本的なものの考え方
が、幼児期以後、変わったという記憶がない。途中で大きく変化したということは、ないのだ。
今の私は、幼児期の私であり、その幼児期の私が、今の私になっている。それはちょうど金太
郎飴のようなもので、私の人生は、どこで切っても、「私」にほかならない。幼児期に桃太郎だ
った私が、途中で金太郎になるなどということは、ありえない。

 もうわかっていただけると思うが、幼児教育の重要性は、実はここにある。この時期に作られ
る「私」は、一生、「私」の基本になる。あるはその時期にできた方向性に従うだけである。中に
は幼児教育イコール、幼稚教育と考えている人がいるが、それはとんでもない誤解である。

 ……と書いたところで、今、ふと、別のことが頭の中を横切った。実は今、ある男の子(小二)
のことが気になっている。彼は男の子なのだが、言い方、ものごしが、女の子っぽいというよ
り、その女の子を通り越して、同性愛者ぽい。まちがいを指摘したりすると、「イヤーン」と甘っ
たるい声を出したりする。いくら注意してもなおらない。

で、私が悩んでいることは、このことではなく、それを親に言うべきかどうかということだ。もうこ
の傾向は、ここ1年以上続いている。
なおそうとしてもなおるものではないし、さりとて放置しておくわけにもいかない。放置しておけ
ば、彼はひょっとしたら、一生、そのままになるだろう。近く、結論を出すつもりでいる。(以上、
01年記「子育て雑談」)

(付記)

 教えずして教えてしまうこと。実は、これがこわい。ユングも、「シャドウ」という言葉を使って、
それを説明した。

 たとえばあなたが、本当は邪悪な人間であったとする。その邪悪さをおおいかくして、善人ぶ
っていたとする。そのときその邪悪さが、その人のシャドウとなる。子どもは、あなたの近くにい
るため、そのシャドウをそのまま引き継いでしまう。

 要するに、ウソやインチキ、ごまかしや仮面で、いくら善人ぶっても、子どもはだませないとい
うこと。子どもは、あなたのすべてを見ている。

 そういう意味で、子育ては怖いぞ〜オ!

++++++++++++++

内容が少しダブりますが、
こんな原稿を書いたこともあり
ます。
(中日新聞、掲載済み)

++++++++++++++

●国によって違う職業観

 職業観というのは、国によって違う。もう30年も前のことだが、私がメルボルン大学に留学し
ていたときのこと。当時、あの人口300万人と言われたメルボルン市でさえ、正規の日本人留
学生は私1人だけ。(もう1人、Mという女子学生がいたが、彼女は、もともとメルボルンに住ん
でいた日本人。)そのときのこと。

 私が友人の部屋でお茶を飲んでいると、1通の手紙を見つけた。許可をもらって読むと、「君
を外交官にしたいから、面接に来るように」と。

私が喜んで、「外交官ではないか! おめでとう」と言うと、その友人は何を思ったか、その手
紙を丸めてポイと捨てた。「アメリカやイギリスなら行きたいが、99%の国は、行きたくない」
と。考えてみればオーストラリアは移民国家。「外国へ出る」という意識が、日本人のそれとは
まったく違っていた。

 さらにある日。フィリッピンからの留学生と話していると、彼はこう言った。「君は日本へ帰った
ら、ジャパニーズ・アーミィ(軍隊)に入るのか」と。私が「いや、今、日本では軍隊はあまり人気
がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の伝統ある軍隊になぜ入らないのか」と、やんや
の非難。

当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になることイコール、そのまま出世コースというこ
とになっていた。で、私の番。

 私はほかに自慢できるものがなかったこともあり、最初のころは、会う人ごとに、「ぼくは日本
へ帰ったら、M物産という会社に入る。日本ではナンバーワンの商社だ」と言っていた。が、あ
る日、1番仲のよかったデニス君が、こう言った。「ヒロシ、もうそんなことを言うのはよせ。日本
のビジネスマンは、ここでは軽蔑されている」と。彼は「ディスパイズ(軽蔑する)」という言葉を
使った。

 当時の日本は高度成長期のまっただ中。ほとんどの学生は何も迷わず、銀行マン、商社マ
ンの道を歩もうとしていた。外交官になるというのは、エリート中のエリートでしかなかった。こ
の友人の一言で、私の職業観が大きく変わったことは言うまでもない。

 さて今、あなたはどのような職業観をもっているだろうか。あなたというより、あなたの夫はど
のような職業観をもっているだろうか。それがどんなものであるにせよ、ただこれだけは言え
る。

こうした職業観、つまり常識というのは、決して絶対的なものではないということ。時代によっ
て、それぞれの国によって、そのときどきの「教育」によってつくられるということ。大切なこと
は、そういうものを通り越した、その先で子どもの将来を考える必要があるということ。

私の母は、私が幼稚園教師になると電話で話したとき、電話口の向こうで、オイオイと泣き崩
れてしまった。「浩ちャーン、あんたは道を誤ったア〜」と。母は母の時代の常識にそってそう
言っただけだが、その一言が私をどん底に叩き落したことは言うまでもない。

しかしあなたとあなたの子どもの間では、こういうことはあってはならない。これからは、もうそう
いう時代ではない。あってはならない。









目次へ戻る メインHPへ

●織田信長

 昨日、小5のM君と、織田信長について、話をした。織田信長を理想の指導者として称える
人も多い。郷里の岐阜県岐阜市では、毎年、信長祭りなるものをしている。M君も、そうした視
点で、つまり信長は偉人であるという視点で、信長について調べていた。

私「織田信長は狂っていたというテーマで、夏休みの宿題を書くといいよ」
M「そんなことを書いたら、賞はもらえない」
私「何だ、賞をねらっているのか?」
M「そうだよ……」と。

 しかし信長は、どこからどう調べても、おかしい。狂っていた。14歳で初陣に出たときから、
殺戮(さつりく)と焼き打ちの繰りかえし。特筆すべきは、一向宗の弾圧である。一向宗の信徒
を一か所に集め、兵糧攻めにしたあと、信長は一人残らず殺している※。

 もちろん信長は、民衆のために戦った人ではない。民主主義や、自由、平等を求めて戦った
人でもない。「日本を支配する」という己(おのれ)の、野望を満足させるために戦った人にすぎ
ない。大義名分など、どこにもない。わかりやすく言えば、信長は我利我欲のかたまりのような
人だった。

 もちろん歴史は歴史だから、そうした人物であっても、そらなりの評価は必要である。しかし、
信長という人物を一方的に美化するのは、たいへん危険なことでもある。以前、どこかの県知
事は、信長を称え、「今の日本に必要なのは、信長のような人物である」と、新聞や月刊誌など
で述べていた。

 もしその県知事が、ほんの少しでも信長について勉強したら、そんな言葉は、口から出てこな
かっただろう。あるいは信長が活躍した(?)ような、まさに恐怖政治の時代が、「理想の時代」
とでも言うのだろうか。

 同じようなことが、徳川家康についても言える。ただ家康については、その後つづく300年と
いう江戸時代に、国策として徹底的に美化される一方、家康について都合の悪い記録は、そ
れ以上に徹底的に抹消された。だから家康にまつわる、都合の悪い記録は、今、ほとんど残っ
ていない。

 が、それ以上に残念なのは、こうした問題について、この日本では、自由に討論する雰囲気
さえないこと。とくにこの静岡県では、徳川家康は、「大偉人」として評価されている。家康の悪
口を書いただけで、袋叩きにあう、そんな雰囲気さえある。

 これでいいのか、日本!、……と問いかけたところで、この話は、おしまい。私ひとりくらいが
叫んだところで、この流れを変えることはできない。これから先、何十年も、何百年も、織田信
長にせよ、徳川家康にせよ、「偉人」と評価されていくのだろう。

 ちなみに、中学校の教科書では、こうなっている。

「信長は古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、楽市、楽座を出して、自由な商業
ができるようにしました」(帝国書院版)と。

注※1……北陸における一向一揆は、1488(長享2)年に、一向宗の門徒らが守護の富樫政
親を攻め滅ぼしたのが始まる。以後、加賀は「百姓の持ちたる国」と呼ばれ、織田信長によっ
て1582(天正10)年に鳥越城が落城するまでつづいた(参考:「織田信長BLOG」)。

++++++++++++++

信長について書いたわけではないが、
以前、こんな原稿を書いたことがある。
(中日新聞発表済み)

++++++++++++++

「偉い」を廃語にしよう

●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう

日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人」と言う。よく似たような言葉だ
が、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。日本で「偉い人」と言うとき
は。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり偉い人とは言わない。一方英語で
は、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。

 そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、こう
言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」と聞くと、「信
長は天下を統一したから」と。

中学校で使う教科書にもこうある。「信長は古い体制や社会を打ちこわし、…関所を廃止して、
楽市、楽座を出して、自由な商業ができるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読むと、
信長があたかも自由社会の創始者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?  
  
実際のところそれから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒かつ恐
怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民は極貧の生活
を強いられた。もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。

由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は縁者
すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、「(そのため)安部川近くの小川は血で染まり、ききょう川と
呼ばれた」(中日新聞コラム)と書いている。

家康にしても、その後300年をかけて徹底的に美化される一方、彼に都合の悪い事実は、こ
れまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、あくまでもその結果でしかない。

 ……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこであなた
自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。もしあなたが
地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊を、いまだに心
のどこかで引きずっていることになる。そこで提言。

「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人をめざす出世主義がは
びこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだしも、政治にそれが利用さ
れると、とんでもないことになる。

「私、日本で一番偉い人」と言った首相すらいた。そういう意識がある間は、日本の民主主義
は完成しない。






目次へ戻る メインHPへ

【不登校児についての相談】

++++++++++

くりかえし相談があるのが
この問題。

つまり不登校児についての
相談。

++++++++++

+++++++++++++++++++++++++++++

 広島県H市に住んでいる、MEさん(母親)から、二男の不登校に
ついて、相談がありました。MEさんから、掲載許可をいただきまし
たので、紹介します。

+++++++++++++++++++++++++++++

【MEさんから、はやし浩司へ】

 今年の7月10日から二男(小6)のGDが不登校になりました。夏休み明けから、資料室登校
を何日か続けていましたが、狭い資料室で一日を過ごすという異常な学校生活だったためか、
なかなか教室に戻ることが出来ずにまた不登校になり、現在に至っております。

 このホームページを拝見するようになったのは5日ほど前です。書かれてあるとおり、私は半
狂乱になり、どうにか登校してくれるように刺激した結果、底だと思っていた底にもっと底があ
り、次々と子どもといっしょに別の底へも落ちていきました。

 私は腹をくくり、……とは言っても、毎日くくった紐はほどけ絞めなおし、それを繰り返している
毎日です。

 二男はテレビゲームとパソコン三昧の怠惰な生活を続けています。幼稚園のころからKK
式、4年生になって中学受験を目標にN研へ変わり、そこそこの成績で地元のトップばかりを
集めた中央の本校へと変わり、広島でも難関の、RA中学、HU附属中を目指しておりました。

 本人が負担に思っていたのにもかかわらず、バカな親でした。こうした生活からそうなってい
ったのではないかと思います。夏休みから、塾は一切やめて、隣町の小学校へ転校しようとし
ていたのですがうまくいかず、今では転校しても登校しそうにありません。

 このまま何もせず、ゲーム三昧の日々をだまって見ているのがいいのでしょうか。本人は毎
日「悲しい、僕は僕で悩んでいろいろ考えている、学校へ行くことを考えると緊張する」と言いま
す。

 土日は主人とキャッチボールやバッティングセンターに、楽しんでいっていました。先週主人
と小学校で見た、地元のソフトボールチーム(小学生の)に入りたいと言い出して、今頃から入
部してもどうだろうかと思ったのですが、お願いして練習に体験入部させてもらいました。

 やはり、思ったとおりには行かず、4時間の練習時間でしたがすることもわからず、困惑した
状態で終わってしまいました。自信をなくしたようで、翌日は少し荒れていました。家の中でゴロ
ゴロしているのが、私にはたまらなく耐えられないのですが、それでいいのでしょうか。
(広島県H市 MEより)

+++++++++++++++++++++++++

【はやし浩司から、MEさんへ】

 メールの様子からして、つまり二男の方の症状からして、このタイプの不登校は、かなり長く
つづくと思います。半年とか、1年ではなく、数年以上になるということです。

 いただいたメールの中で、もっとも気になるのは、MEさんが、二男の様子について、「怠けて
いる」という表現を使っておられる点です。

 二男のGD君は、怠けているのではありません。そう見えるだけです。心は、いつも張りつめ
た緊張感でおおわれています。その緊張感をほぐすために、やむをえず、自ら心をいやしてい
るのです。その方法として、テレビゲームをしたり、パソコンをしたりしている……。

 風邪をひいて、家でゴロゴロしている子どもを、あなたは、「怠けている」と言うでしょうか。言
わないですよね。それと同じです。

 風邪のように、熱が出るとかいう症状がないため、外からはわかりにくいのが、この不登校
の特徴です。(私のHPの不登校の記事を参考にしてください。グーグルか何かで、「はやし浩
司 学校恐怖症」を検索してくださると、いくつか、ヒットするはずです。)

 そしてつぎに大切なことは、「なおそう」と思わないこと。「今の状態を、今以上に悪くしないこ
とだけを考えて、様子をみる」です。

 ときどきこまかい周期(数週間から1か月単位)で、症状が改善したかのように見えたり、悪く
なったかのように見えることがありますが、そういった変化に、一喜一憂しないこと。半年単位
で、様子をみます。

 ……と書くと、「学校はどうする?」「受験はどうする?」となりますね。

 答えは、簡単。あきらめなさい。あきらめるのです。

 MEさんが、「まだ何とかなる」「うちの子にかぎって」と思っている間は、この問題は、解決し
ません。MEさんのもっている緊張感が、そのままGD君に伝わってしまうからです。この緊張
感が、症状を長引かせます。

 この問題は、一見、子どもの問題に見えますが、実は、親の問題です。親自身が、学歴信
仰、学校神話という呪縛から、いかに自分を解き放つかということです。もし今、MEさんが、
(恐らく、そうだろうと思いますが……)、「学校とは行かねばならないところ」「学校へ行かなけ
れば、うちの子はダメになる」と思っているなら、そういう考えは、捨てることです。

 といっても、簡単なことでないことはよくわかります。カルト教を信じている、信者のようなもの
です。しかもあなたが子どものときから、あなたの親によって、徹底的に叩きこまれている。そ
のカルトを体から、抜くことは、たいへんなことです。よくわかっています。しかし、抜くのです。

 この問題は、あなたがそのカルトから抜け出たとき、解決します。今は、カガミの向こうの世
界のようで、信じられないかもしれませんが、カガミの向こうは、実に広く、ゆったりとした、おお
らかな世界です。

 今は、学校だけがすべてという時代ではありません。無数の選択肢も用意されています。ま
た不登校児になったからすべておしまいというより、むしろ、不登校を起こす子どもほうが、(ま
とも)なのです。

 たしかに原因の一つとして、過負担、親の過剰期待などがあったと思います。いわゆる子ど
もが、オーバーヒ−トしてしまったというわけです。燃え尽きたのかもしれません。あるいは何ら
かの原因で、集団に対して恐怖心をもったためかもしれません。このあたりの子どもの心理
は、複雑で、簡単には説明できないことが、多いです。

 で、これから先、どうしたらよいかということですが、いくつかのポイントがあります。

(2)おどし、励ましは、タブー。

 「こんなことでは、将来、ダメになる」式のおどし。「がんばれ」式の励ましは、禁物です。あくま
でも、子どもの立場で、考えます。

 「あなたもつらい思いをしたのね」「よくがんばったのよ」式の、ねぎらいの言葉を多くかけてあ
げてください。

(2)ほどよい親、暖かい無視 

 やりすぎず、しかし、やるべきことはする。そして子どもを暖かく、無視する。子どもが愛情の
より所を求めてきたら、すかさず、いとわず、愛情表現をしてあげてください。添い寝、抱っこな
ど。

 年齢的にむずかしいかもしれませんが、入浴なども、子どもがいやがらなければ、いっしょに
してあげてください。

 症状が改善に向かい始めると、一度、幼児がえりを起こすかもしれません。赤ちゃんぽくなっ
て、お母さんのおっぱいを求めるなど。いとわず、応じてあげてください。

(3)キーワード、ターゲットに注意

 子どもがとくにいやがるキーワードなどがあれば、努めて、その話題から遠ざかります。「受
験」、「入試」、「不合格」など。子どもによって、とくに気にしている言葉がありますので、それに
ついては、触れないようにします。

 またこの時期、子どもは、あれこれ理由らしきことを言いますが、そうした言葉にまどわされ
てはいけません。「A君がいじめる」「先生が怒った」など。これをターゲット(標的)といいます。
この時期、子どもが口にする、ターゲットは、いろいろ変化します。

 しかしもともと、理由などないのです。ですから理由を聞いたり、原因をさがしても、意味はあ
りません。

(4)退屈作戦

 とにかく、退屈にさせます。退屈で、退屈でしかたないといった状況にします。しばらくすると、
子どものほうから、何かアクションが始まります。そのアクションを、じょうずに、引き出していき
ます。

 このタイプの子どもがよく見せる症状は、幼児期からの「成長の再現」です。一度、赤ちゃん
ぽくなって、幼児期に使っていた本や玩具を取り出して遊んだりすることがあります。そういう意
味では、勉強にあけくれた少年期で、幼児期から今の時代に、間が抜け落ちてしまったのかも
しれませんね。

 もし幼児がえり的な現象が見られたら、「ここからやりなおし」と思って、暖かく見守ってあげて
ください。

(5)CA、MGの多い食生活

 わかりやすく言えば、海産物主体の食生活にします。心を安定させるためです。不安や心配
ごとが入り込んでも、動揺しないようにします。リン酸食品などは、避けます。私のHPのどこか
に、詳しく書いておきましたので、また参考にしてください。

 最後になりましたが、MEさん自身の学歴信仰などと戦うためには、私のマガジンを、また読
んでください。ところどころで、それについて書いています。

 お気づきのように、今が、まだ「底」ではありません。ですから、今の状態を悪くしないことだけ
を考えて対処してください。無理は禁物。半日、資料室登校をしたら、「よくがんばったわね。3
時間も行かなくてもいいのよ。2時間で帰ってきなさいよ」と言ってあげてください。

 この親の心の余裕が、子どもの心を溶かします。

 あとあと、よい思い出になりますよ。この時期は、遅々として進まないように見えるかもしれま
せんが、終わってみれば、あっという間のこと。今こそ、あなたとお子さんの、暖かいドラマを、
しっかりと思い出の中に、刻むときです。

 暗くて長いトンネルに見えるかもしれませんが、終わってみると、あっという間のできごと。こ
の時代を光り輝かせることができるかどうかは、あなたがGD君を信じきったかどうか、決まり
ます。

 あなたの子どもを信じてあげてください。不登校など、いろいろな問題がありますが、何でもな
い問題です。いつか必ず、笑い話になります。「ようし、私も、十字架の一つや二つ、背負って
やる」「嵐がこなければ、航海もおもしろくない。来るなら、来い!」と、あなたも、前向きに、そう
怒鳴ってみてください。

 心が、ずっと軽くなりますよ。

 では……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 不登
校 対処 し方 仕方 対処の仕方 親の心構え 学校恐怖症 不登校 不登校児 相談)









目次へ戻る メインHPへ

●被害妄想

+++++++++++++

うつになるから妄想が生まれるのか。
それとも妄想が重なるから、うつに
なるのか。

うつと妄想は、いつも同時進行の形で
その人を襲う。

+++++++++++++

 ありもしない恐怖や脅威を、ことさら心の中で肥大化させ、被害者意識をもつ。それを被害妄
想という。

 その被害妄想にも、いろいろある。

 よく知られた例に、追跡妄想や被毒妄想がある。追跡妄想というのは、いつもだれかに追跡
されているのではないかという、妄想観念をいう。被毒妄想というのは、だれかに毒をもられて
いるのではないかという、妄想観念をいう。

 しかし、こういう被害妄想もある。

 X氏(65歳)は、ある日、隣のY氏(50歳)と、けんかした。「お前は、いつもオレのうちをのぞ
いている!」「のぞいていない!」と。

 X氏は、それをさかのぼること、数年前から、隣のY氏が気になり始めた。最初のきっかけ
は、ささいなことだったというが、それについては、私は知らない。

 そこでX氏は、自分の家のまわりに木を植えた。しかし冬になると、葉が落ちる。そこでブロッ
クの塀の内側に、さらに、木の塀をとりつけた。

 が、それでは足りない(?)。今度は、X氏は、Y氏の家に面している窓ガラスを、すべてすり
ガラス(型ガラス)にかえた。部屋のすべてに、厚手のカーテンをつけ、さらに、家の中で電気を
つけるときは、雨戸をすべて閉めるようになった。

 被害妄想である。

 Y氏は、私が知るところ、隣の家をのぞくような人ではない。だいたいにおいて、X氏の家な
ど、のぞいてもしかたない。X氏は、妻と2人暮らし。

 ……と、このように、「家の中をのぞかれている」「いつも監視されている」というような、妄想
観念をもつことを、注察妄想という。この注察妄想をもつ人は、多い。

 Aさん(45歳、女性)も、そうだ。「道をはさんだ、向かいのBさん(女性)が、私の家をいつも
監視している」と、悩んでいる。

 が、それだけではない。ある日、私にこう言った。

 「私が、新しいバックででかけるとき、Bさんが、『いつも、新しいバックを買って、バカみたい』
と言って笑っています」と。

 しかしこの話は、おかしい。Aさんは、どうしてBさんが、そう言っているのを知ったのか? そ
こで私が、「本当にBさんが、そんなこと言っているのですか?」と聞くと、「私には、Aさんの言
っている声が、聞こえます。目つきや、顔の表情を見れば、それがわかります」と。

 こうした被害妄想は、つぎつぎと、新しい妄想を生む。そしてあとは、底なしの妄想地獄。

「では、どうしたらいいか?」ということになるが、脳の機能の問題とからんでいるだけに、こと
は簡単ではない。先のX氏にしても、Aさんにしても、どこか、うつ的。X氏は、異常に几帳面(き
とうめん)なところがあるし、Aさんは、反対に、生活習慣が、きわめて怠惰(たいだ)。だらしな
い。日常の生活そのものが、ふつうではない。

 言いかえると、被害妄想をもちやすい人は、あらゆる面で、そうした妄想観念をもちやすい。
大切なのは、まず、自分がそうであることを知ること。日ごろから、思い過ごしや、取り越し苦労
をしやすい人は、それだけ被害妄想をもちやすいということになる。

 もちろんうつ病タイプの人は。要注意! あれこれと悶々と悩み始めたら、できるだけ早く、
気分転換をしたほうがよい。そしてそのことを忘れる……。

 (しかし実際には、忘れようとすればするほど、かえって、深みにはまってしまう。私のばあい
は、周囲の状況や、自分の心の中を、徹底的に分析することで、こうした妄想観念と戦うように
している。わかりやすく言えば、相手を乗り越えるということ。相手が、自分よりバカに見えたと
き、はじめて、その妄想観念から抜け出ることができる。)

 どんな人でも、ふとしたことから、妄想観念をもちやすい。そしてそれが被害妄想になり、ここ
でいう注察妄想になったりする。くれぐれも、ご注意!

 ちなみに、広辞苑には、こうある。

 被害妄想……自分が他から迫害されていると信ずる妄想。多くは精神分裂病に見られる、
と。ゾーッ!
(はやし浩司 妄想 被害妄想 被毒妄想 追跡妄想 注察妄想 妄想観念)






目次へ戻る メインHPへ

●夫婦の相補性

++++++++++++++

夫婦が円満に暮らすためには、
相補性が必要である。

たがいにたがいを補いあう。それ
を「相補性」という。

++++++++++++++

 仲のよい夫婦を観察してみると、そこにはひとつの共通点があるのがわかる。「相補性」とい
う共通点である。たがいにたがいを補いあう。それを「相補性」という。

 たとえば1人の人間には、得意な点もあれば、不得意な点もある。良点もあれば、欠点もあ
る。そうしたもろもろの(点)を、たがいに補いあう。それが歯車のように、しっかりとかみあう。
それが「相補性」ということになる。

 もし夫婦のどちらも、勝ち気で社交的ということになれば、衝突から離婚……ということにな
る。タレントどうしの結婚を例にあげるまでもない。が、そういう夫婦でも仲良くやっているという
ケースもなくはないが、しかしよくよく観察してみると、ここでいう相補性があることがわかる。

 反対に言うと、夫婦が円満であるためのコツは、いかにしてその相補性をつくるかということ
にもなる。

 これは私たち夫婦のばあいだが、私は車の運転免許証をもっていない。いろいろ理由はあ
るが、私は車には、興味がない。だからワイフが近くにいないと、身動きが取れない。たとえ夫
婦げんかの最中でも、頭をさげなければならないときは、さげる。しかたないから、さげる。これ
も相補性のひとつということになる。

 車を運転できない私を、ワイフが補ってくれる。

 つまり夫婦というのは、たがいに無数の相補性をもっている。結婚生活が長ければ長いほ
ど、歯車の数もふえ、そしてそれぞれの歯車が、しっとりとかみ合うようになる。私が担当すべ
きところは、私が担当する。半面、ワイフに任すべきところは、ワイフに任す。一方、身を引くと
ころは、引く。

 車の運転を例にあげるなら、車の運転は、ワイフに任せておけばよい。こうしてたがいの相
補性を、さらに濃密にしていく。

 が、それだけではない。

 相補性には、それぞれの分野で、主従関係をもつ。車を運転するワイフが、(主)であるとす
るなら、乗せてもらう私は、(従)ということになる。一方、仕事、収入という面では、私が(主)で
あるとするなら、家計を管理するワイフは、(従)ということになる。

 この主従関係をうまくつくるのも、相補性を考える点で大切である。「夫が主で、妻が従」とい
うのではない。それぞれの分野で、主従関係をつくる。つくるというより、自然にできる。もっと
も、だからといって、私たち夫婦が、仲がよいというわけではない。

 要するに、私はワイフなしでは生きていかれないし、一方、ワイフは、私なしでは生きていか
れない。そういうたがいの関係が、ときに(あきらめ)につながり、ついで(妥協)につながる。総
じていえば、結婚生活などというものは、そういうもの。またそれができる夫婦のことを、「仲の
よい夫婦」という。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 夫婦
の相補性 仲のよい夫婦 仲の良い夫婦)





目次へ戻る メインHPへ

●ニヒリズム

 もし道路わきで、1人の病人が倒れていたら、そしてもしあなたが、それを見たとしたら、あな
たはどうするだろうか。どう思うだろうか。

 当然、あなたは声をかけるにちがいない。「どうか、しましたか?」と。

 しかしもしそれが、いつも見慣れたホームレスの人だったとした、どうだろうか。私ははからず
も、そういう場面に、昨夜遅く、出くわした。ワイフと深夜の映画を見て、駐車場にもどる途中の
ことだった。

 そこには1人の男性がいた。その男性の様子は、冒頭に書いたとおりである。私はその男性
の様子を、今、思いだすだけでも、ゾーッとする。理由も、そこに書いた。

 しかし私は、あえて自分の心を押し殺して、足早にして、その場から離れた。離れながら、そ
の男性のことを忘れようとした。

 こういうのをニヒリズムと呼ぶ。「虚無主義」と訳す。「無関心で冷酷な様」(日本語大辞典)と
ある。

●ニヒリズムの原点

 私たちは日常的に、(欲望)と(反欲望)の世界で生きている。(〜〜したい)という欲望と、(〜
〜したくない)という反欲望。(〜〜したくない)というのは、(〜〜してはだめ)という、「抑制」と
はちがう。

 たとえば「お金がほしい」というのは、(欲望)。「人のものを盗んではいけない」というのは、
(抑制)。それに対して、「めんどうなことはしたくない」というのは、(反欲望)ということになる。

 その反欲望の世界で、私たちはいつも、自分を犠牲にして生きている。たとえば仕事。

 好きでその仕事をしている人もいるかもしれない。しかし大半の人は、生活のため。したくも
ない仕事をしながら、じっとがまんしている。

 このがまんから、ニヒリズムが生まれる。もう少し先を言えば、がまんから解放されたいという
欲求から、ニヒリズムが生まれる。

 たまたま昨夜も、こんなことがあった。

 家に帰ると、留守番電話が入っていた。夜中の12時半ごろだった。それを聞くと、兄が入院
したという、姉からの連絡だった。兄は、このところ数か月おきに、肺炎を起こしている。何か
のことで咳きこんだとき、肺のほうへ食べ物を送ってしまうためらしい。

 しかし兄の世話は、今に始まったことではない。私は23、4歳のときから、自分の収入の約
半額を、実家に納めてきた。親子関係や兄弟関係が良好であれば、まだ救われる。しかしそ
の関係にキレツが入った状態で、それをするのは、つらい。

 経済的負担はともかくも、それから受ける精神的負担には、相当なものである。私は身をも
って、それを体験した。

 だから母はともかくも、仕事らしい仕事もせず、のんべんだらりとした生活をしている兄を見る
と、いつも心のどこかで腹立たしく思っていた。ほんの1、2年前のことだが、兄の健康診断書
を見たときも、驚いた。

 頭こそ、ボケてしまってどうしようもないが、それを除けば、数値は、すべて「健康」を示してい
た。9歳若い私より、すべてよかった。それを見たとき、ワイフも思わず、こう言った。「兄さん
は、苦労してないから……」と。

 起きたいときに起き、寝たいときに寝る。めんどうなことは、いさい、しない。もちろん「苦労」と
は無縁。30代のころから、まさに年金生活者のような生活をしていた。

 そういう兄だから、姉から入院したという連絡を受けたときも、「そう……」「また何かあった
ら、連絡してほしい」で終わってしまった。こういうケースのばあい、「兄弟だから……」という『ダ
カラ論』ほど、アテにならないものはない。私は子どものころから、兄といっしょに遊んだ記憶す
らない。

 つまり私は、こと兄とのことに関して言うなら、反欲望の世界で生きてきたことになる。それが
今の私のニヒリズムにつながっている。

●ホームレスの男性

 私たちは今の生活を維持するために、懸命にもがいている。それだけで精いっぱい。そして
その一方で、いつも何かを、自分の中で押し殺している。

 ときどきふと、こう思う。「ホームレスのような人の生き方をしたら、どんなに気が楽になること
か」と。本当はそうではないのかもしれない。ホームレスの人たちは、ホームレスの人たちなり
に、もがいているのかもしれない。苦しんでいるのかもしれない。

 それは別として、その(押し殺している部分)で、私たちは、ホームレスの人たちに、ある種の
ニヒリズムをもつようになる。ときにふと、あまった小遣いを分けてやろうと思うことはあるが、
(実際、若いころは、よくそうしたが……)、それに自らブレーキを、かけてしまう。

 「そんなことをしたら、かえって彼らのためにならない」と。

 しかしこれは自己弁護にすぎない。もし本当に彼らがもつ孤独感やさみしさを理解できたとし
たら、そんな言いわけ程度で、自分を正当化することは無理だろう。やろうと思えば、この私に
だって、ホームレスの人たちを救済する運動なり、活動ができるはず。

 食事の炊き出しだってよい。

 しかし実際には、私は、何もしていない。何もしない。ただそういう人たちを見て見ぬフリをし
て、その場を立ち去るだけ。

●博愛とは……

 ニヒリズムを「悪」と位置づけるなら、その反対側にあるのが、「博愛」ということになる。それ
を教えたのが、イエス・キリストということになる。私たちは、そんなわけで、いつも心の中で、ニ
ヒリズムと博愛のはざまで、迷う。行ったり来たりする。「揺れ動く」と表現してもよいのかもしれ
ない。

 今の私がそうだ。

 兄は現在、グループホームに身を寄せているが、その費用だけでも、月額12〜3万円はか
かる。入院したりすれば、さらにかかる。すべて私の負担である。加えて母の介護費用もある。
けっして楽な額ではない。

 姉は心のやさしい女性だから、それを連絡しながらも、「あなたも心配でしょう」と、言外でそ
れをにおわす。しかし、今の私は、そういう気持ちは、ほとんどない。あるとすれば、何かあれ
ば、母のほうが心配するだろうから、そういう心配を、母にはかけたくないという思いだけ。

 仮に兄に万が一のことがあったとしても、私は母には、そのことを話さない。

 かといって、自分の心を偽るのも苦しい。それほど心配もしていないのに、口じょうずに、そ
れを表現するのもつらい。心配しているというフリをするのは、さらにつらい。だから私はだまっ
て、姉の報告を聞くだけ。

 一方、「そうであってはいけない」という自分が別のところにいて、自分を責める。「お前の家
族ではないか」「もしお前の息子だったら、どうする」と。

 こんなとき私は、ニヒリズムと博愛の間で、揺れ動く。「なるようにしかならない」という思いと、
「弟としてお前は冷たい人間だ」と自分を責める思い。その間で揺れ動く。

 博愛……同じく日本語大辞典には、こうある。「だれでも平等に愛すること」と。

 しかしそんなことは、本当に可能なのだろうか。博愛でないにしても、(部分愛)でもよい。少な
くとも身内や、道路で見かけた人でもよい。その範囲の人を、自分のワイフや息子たちと同じよ
うに、愛することでもよい。

 しかし今の私には、その自信はない。つまり私も、その程度の人間ということか。

 欲望と闘うことは、むずかしい。しかし反欲望と闘うことは、もっとむずかしい。いま、それを再
発見した。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 欲望
論 反欲望論)









目次へ戻る メインHPへ

●赤ちゃんがえりのあとに……

+++++++++++++

子どもの赤ちゃんがえりを、
決して軽くみてはいけない。

嫉妬という、原罪的な問題
にからむだけに、一度こじ
らせると、あとがやっかい。

+++++++++++++

 下の子どもが生まれると、上の子どもが、赤ちゃんがえりを起こすことは、よくある。それはそ
れだが、そのとき、上の子どもが、下の子どもに、執拗な攻撃性を示すことがある。

 ふつうの攻撃性ではない。「殺す」寸前のところまでする。そのため、下の子どもが、上の子
どもに、恐怖心さえもつようになることがある。

 ……という話は、この世界では常識だが、今日、こんなメールを、ある女性(埼玉県U市在
住、TEさん)から、もらった。

 その女性は、三人兄弟(上から、兄、自分、妹)の、まん中の子どもだった。兄とは、4歳ちが
い。妹ととは、1歳ちがいだった。いわく……。

 「私は、もの心つくころから、兄にいじめられました。そんな記憶しかありません。父や母に訴
えても、相手にしてもらえませんでした。兄は、父や母の前では、借りてきたネコの子のように、
おとなしく、静かだったからです。

 で、私は毎日、学校から家に帰るのがいやでなりませんでした。兄は、父や母の目を盗んで
は、私と妹を、(とくに私を)、いじめました。何をどういじめたかわからないようないじめ方でし
た。意地悪というか、いやがらせというか、そういういじめ方でした。

 よく覚えているのは、私が飲んだ牛乳に、兄が、何かへんなものを入れたことです。おかしな
味がしたので、すぐ吐き出したのですが、かえって母に叱られてしまいました。『どうして、そん
なもったいないことをするのか!』とです。

 で、私が中学生になったとき、とうとうキレてしまいました。兄ととっくみあいの喧嘩になり、兄
の顔に、花瓶をぶつけてしまいました。そのため兄は、下あごの骨を折ってしまいました。

 たいへんな事件でしたが、それ以後は、兄のいじめは止まりました」と。

 ……と書いて、私は、今、おかしな気分でいる。

 今の仕事を35年近くもしてきたにもかかわらず、こういう問題があることに気づかなかった。
自分の盲点をつかれた感じである。赤ちゃんがえりを起こした子どもについては、よく考えてき
た。が、しかし、その赤ちゃんがえりを起こした兄や姉の下で、いじめに苦しんだ、弟や妹のこ
とについては、考えたことがなかった。

 つまり赤ちゃんがえりを起こす子どもの側だけで、私は、ものを考えてきた。そして赤ちゃん
がえりを起こした子どもについて、「被害者」という前提で、その対処法を書いてきた。しかしそ
の赤ちゃんがえりを起こした子どもは、一方で、下の子どもに対しては、加害者でもあった。

 実際、このタイプの子どものいじめには、ものすごいものがある。ここにも書いたように、(下
の子どもを殺す)寸前までのことをする。そういう意味で、動物がもつ嫉妬という感情は、恐ろし
い。人間がもつ本性そのものまで、狂わす。

 弟を、家のスミで、逆さづりにして、頭から落とした例。自転車で体当たりした例。シャープペ
ンシルで、妹の手を突き刺した例。チョークをこまかく割って、妹の口の中につっこんだ例など
がある。

 このタイプのいじめには、つぎのような特徴がある。

(11)執拗性……繰りかえし、つづく。
(12)攻撃的……下の子を、殺す寸前までのことをする。
(13)仮面性……上の子が、親の前では、仮面をかぶり、いい子ぶる。
(14)計画的……策略的で、「まさか」と思うような計画性をもつ。
(15)陰湿性……ネチネチと陰でいじめる。

 この中で、とくに注意したいのが、(3)の仮面性である。もともと親の愛情を、自分に取りかえ
すための無意識下の行為であるため、親の前ではいい子ぶることが多い。そのため下の子ど
もが、上の子どものいじめを訴えても、親が、それをはねのけてしまう。親自身が、「まさか」と
思ってしまう。

 で、さらに一歩、踏みこんで考えてみると、実は、こうした陰湿な攻撃性をもつことによって、
上の子ども自身も、心のキズを負うということ。将来にわたって、対人関係において、支障をも
ちやすい。こうした陰湿な攻撃性は、外の世界でも、別の形で現れやすい。

 たとえば学校などで、陰湿ないじめを繰りかえす子どもというのは、たいてい、長男、長女と
みてよい。

 そういう意味でも、人間の心は、それほど、器用にはできていない。結局は、その子ども自身
も、苦しむということになる。

 さらにいじめられた下の子どもも、大きな心のキズをもつ。たとえば兄に対してそういう恐怖
心をもったとする。その恐怖心が潜在意識としてその人の心の中にもぐり、その潜在意識が、
自分が親となったとき、自分の子どもへのゆがんだ感情となって、再現されるということも考え
られる。

 実はここに書いた、埼玉県のTEさんも、そうだ。最初は、「上の兄(8歳)を、どうしても愛する
ことができない」という悩みを、私に訴えてきた。その理由としては、TEさん自身の子ども時代
の体験が、じゅうぶん、考えられる。断定はできないが、その可能性は高い。

 何度も今までにそう書いてきたが、決して赤ちゃんがえりを、軽く考えてはいけない。この問
題は、乳幼児期の子どもの心理においては、重大な問題と考えてよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 赤ち
ゃんがえり 赤ちゃん返り 下の子いじめ 攻撃性)







目次へ戻る メインHPへ

【子どもに育てられる】

●奇跡

 そのとき私とワイフは、貸し船の上で、横になっていた。三男は船のうしろに立って、海のほう
を見ていた。のどかな午後だった。船がゆらゆらと揺れるたびに、夏の白い日差しが、ビニー
ルのおおいを通して、同じようにゆらゆらと揺れた。

 そのころ私とワイフは、毎週のように近くの浜名湖へ出かけ、そこで船遊びをしていた。船と
いっても、500ccの小さなエンジンをつけた釣り船である。それを貸し船屋で借りて、浜名湖へ
と出た。1日、7000円とか8000円の賃料だった。

 その船で、浜名湖の中央あたりまで行くと、広く遠浅になったところがある。深さは、深いとこ
ろでもおとなのひざの下。私たちはそれを「天然のプール」と呼んでいた。その日もそうだった。
私たちはあえて人の姿が見えない場所を選んで、そこに船を止めた。いかりをおろした。

 言い忘れたが、そのとき長男は9歳、二男は6歳、そして三男は3歳だった。

 私とワイフは、いつものように、子どもたちをそこで遊ばせると、そのまま船の上で横になっ
た。どれくらい時間がすぎただろう。と、そのとき、突然、三男が叫んだ。「お兄ちゃんが、いな
い!」と。

 その声に驚いて海のほうを見ると、そこにいるはずの長男と二男がいない。あわてて船のう
しろのほうを見ると、長男と二男が波の中で両手をあげているのがわかった。私はそのまま海
に飛び込んだ。

 浜名湖といっても、ところどころ川になったようなところがある。もちろん上からはわからな
い。その川に沿って、潮が満ちたり、引いたりする。そのときになると、ゴーゴーと渦を巻きなが
ら流れることもある。

 船はいつの間にか、その川の中に入っていた。知らなかった。気がつかなかった。

 私は長男の手をつかむとそのまま船にもどった。その手をワイフに渡したあと、二男のほうを
見ると、二男はすでに50〜60メートル先を流されているのがわかった。二男の両手だけが、
波の間から見えたり隠れたりしていた。私はとっさの判断で、船に飛び乗った。私は二男が泳
げないことを知っていた。

 錨(いかり)をたぐろうとした。が、その錨が長くのびきっていて、びくともしない。海の流れに、
船全体の重さが、それに加わっていた。斧(おの)のようなものがあれば、それを切ることもで
きたのだろうが、それもなかった。「ああああ」と思うのが精一杯だった。

 が、そのとき、奇跡が起きた。ほんとうに奇跡だ。

 あの広い海で、しかも私たちは、わざと人目のないところを選んで船を止めたその場所で、1
人だけ、魚を釣っている男性がいた。あとで話を聞くと、その人は、私たちの行動の一部始終
を遠くから見ていたという。そして私が船から飛び込むと同時に、その人も、海へ飛び込んでく
れた。

 私がもう一度二男のほうを振り向くと、その男性は、まさにモーターボートのような水しぶきを
あげて、二男を海から救い出すところだった。私がそれまで見たことのない泳ぎ方だった。これ
もあとで話を聞いて知ったことだが、その男性は、水泳の元国体選手だったという。

 私はそれを見て、そのまま船の上ですわりこんでしまった。

●親を育てる子ども

 親が子どもを育てるというのは、ウソと断言してよい。親が子どもを育てるのではない。子ど
もが親を育てる。よく「育自」と書いて、「子育てとは、自分を育てること」と書く人がいる。まちが
ってはいないが、子育ては、そんな甘いものではない。

 親はいくたの苦労を重ねながら、それこそ山を越え、谷を越えるうちに、否応なしに、子ども
によって育てられる。たとえばはじめて幼稚園へ子どもを連れてくる母親というのは、たしかに
若くて美しい。しかしどこかツンツンとしていて、中身がない。送迎バスの運転手や、炊事室の
女性にだと、あいさつすらしない。

 しかしそんな母親でも、2年、3年と子どもとともに幼稚園ですごし、卒園するころになると、み
なに深々と頭をさげるようになる。

 が、それだけではない。ある母親は、自分の2歳の息子が大病を患い、生死の境をさまよっ
ていたとき、天に向かってこう祈ったという。「私の命はどうなってもいい。私の命と交換してで
も、あの子の命を救って」と。

 こうした自分の命すら惜しくないという、まさに至上の愛は、人は親になり、子どもをもっては
じめて知る。友人や夫婦の間でも、似たような愛を覚えることはあるが、それはまれ。先日も私
はワイフにこう聞いた。おそるおそる、聞いた。

 「なあ、もしぼくの腎臓が、2つともだめになったら、お前の腎臓を1つくれるか?」と。

 それに答えて、しばらく考えたあとワイフはこう言った。「考えとくわ」と。

 そこで質問を変えた。「もし息子のうちのだれかの腎臓が2つもだめになったら、どうする?」
と。するとワイフは一も二もなく、こう言った。「あげるわ。両方ともあげるわ」と。

●こいつは生きているだけでいい

 話がそれたが、以後、私は、二男に対しては、子育てのし方そのものが、変わってしまった。
長男や三男はともかくも、二男に対しては、何があっても、「こいつは生きているだけでいい」と
思うようになった。

 たとえば二男は、毎年春先になると、重い花粉症が原因で、不登校を繰り返した。夜、眠ら
れないから、し方のないことだった。で、そのまま夏休みが終わるまで、学校へ行かないことも
あった。

 そういうときでも私は、「こいつは生きているだけでいい」と思うことで、自分を納得させること
ができた。さらにこんなこともあった。

 二男が中学2年生になってしばらくのこと。突然、二男がこう言った。「パパ、ぼくは受験勉強
なんかしないと思う。そう思うから、しない」と。話を聞くと、こう言った。

 そのとき二男は生徒会の学年代表をしていた。そのこともあって、二男はひとりで、朝のあい
さつ運動を始めた。校門のところに立って、そこを通り抜ける先生や生徒に、あいさつをした。
で、それが先生たちに評価された。

 当時、(今もそうだが)、成績表には、ボランティア点というのがあった。何かのボランティア活
動をすると、それが評価されて成績表に記されるしくみになっていた。その得点が多い子ども
は、それだけ高校受験に有利になる。

 朝のあいさつ運動が、そのボランティア活動に認定された。とたん、校門から玄関まで、学生
たちがズラリと並ぶところとなった。あいさつをするというよりは、たがいにふざけあうだけ。そ
れを見て、二男は、「受験勉強なんて、くだらない」「みんなは、ああまでしてでも、点数がほしい
のか」と。

 この言葉に私はともかくも、ワイフは少なからずあわてた。私が住む静岡県では、高校受験
が、人間選別の重要な関門になっている。二男は、自ら、それを放棄してしまった。が、私はそ
のときも、「ああ、こいつは生きているだけでいい」と、自分を納得させることができた。

●私を超えた二男

 その二男でとくに印象に残ったことに、こんなことがある。

 二男が、高校に入学した直後のことだった。二男が、毎晩、学校から帰ってくると、ジョギング
に出かけるようになった。それについて、ワイフに、「どうして?」と聞くと、ワイフがこう話してく
れた。

 「体の弱い子がいるからよ。同じワンゲル部に入りたいという友だちがいるのだけど、その子
の体は弱くて、ワンゲル部を落とされそうなの。それでその子のために、伴走しているのよ」と。

 私はそれを聞いたとき、二男という子どもが、私を超えたのを知った。事実、それからは二男
を、私の子どもというよりは、対等の人間としてみるようになった。そういう意味では、親という
のは、いつ自分の息子たちが自分を超えるか気にしているもの。

 自分より大きな魚を釣ったとき。自分より腕相撲が強くなったとき。自分より背が高くなったと
き。そのときもそうだった。

 その相手の子どもについても、こんな思い出がある。二男がそのときいっしょに伴走してい
た、相手の子どもでのことである。

 受験勉強を放棄してしまった二男は、そのあと、実に優雅な中学生生活を送った。毎日、受
験塾に通う仲間たちを尻目に、好き勝手なことをして遊んだ。パソコンに夢中になったのも、そ
のころのことだった。

 そしていよいよ高校受験ということになった。当時、この浜松市では、(今も、基本的には同じ
だが……)、高校には、偏差値に応じて、ランクづけがなされていた。上はSS高校から、下
は、FF高校、GG高校。さらに「ボトム校」と呼ばれる、LL高校、MM高校まで。そういうランク
づけが、ずらりとできていた。

 二男が選んだのは、その中でもボトム校に近い学校だった。「何も、そこまで……」と言いか
けたがやめた。そのときも「こいつは生きているだけでいい」という思いが、その言葉を、胸の
中に押し込めた。が、事件は、そのあと起きた。

 高校受験が近づいてきたある夜のこと。正月になる前のことだった。2人の母親から、同時
に電話がかかってきた。そしてこう言った。

 「お宅の息子さんが、どこの高校に行こうと、私は知りません。あなたがたの勝手です。が、
どうかうちの子を、その高校に誘わないでください」と。ものすごい剣幕だった。ワイフはそうい
う電話を受けて、「すみません」「すみません」とだけ言って、謝っていた。

 で、私も二男にこう言った。「お前がその高校へ行くのはかまわないが、友だちを誘うな」と。
すると二男はこう言った。「ぼくは誘わない。あいつらが勝手にぼくについてくると言っているだ
けだ」と。

●優雅な高校生活 

 高校へ入ってからも、二男は勉強らしき勉強をほとんど、しなかった。当初は意気込んでいた
ようだったが、中学のときの教科書より簡単な教科書を見て、ショックを受けたらしい。さらに進
学高校で使う教科書とは比較にならないほど簡単な教科書であるのを知って、さらにショックを
受けたらしい。その高校では、国立大学に入る子どもは、数年に1人、いるかいないかというよ
うな状況だった。

 二男は、再び、コンピュータに没頭するようになった。一方、私は惜しみなく、二男には最新
型のコンピュータを買い与えた。

 二男は、小学3年生のころには、ベーシック言語を使って、自分でゲームを作って遊んでい
た。中学生になるころには、C言語をマスターしていた。そして高校生になるころには、自分で
ウィルス対策ソフトを作って遊んでいた。

 作曲のためのソフトや機器も買いそろえた。もともとは私がしていたものだが、それらはす
ぐ、二男のものになった。二男が、NEC主催の作曲コンテストで、全国大会に出たのもこのこ
ろである。

●二男のこと

 二男が高校2年生、三男が中学3年生になる前のこと。三男が、中学校で生徒会長に選ば
れた。それを二男に話すと、二男はこう言った。「ぼくにだって、なれるよ」と。

私「そうは言っても、昔からこう言うだろ。『言うは易(やす)し、するは難(かた)し』とね。生徒会
長に当選するというのは、簡単なことではないよ」
二「なれるよ。その気になれば」と。

 そこで二男がとった方法は、こうだ。

 二男は、1人の友人を生徒会長の立候補者に立てた。自分は、選挙責任者になった。二男
は幼児のころからそういう子どもだった。

 ある日、幼稚園へ行ってみると、二男は、みなを三輪車に乗せて、それをうしろから押してい
た。みなは、その三輪車に乗りたいため、列を作って待っていた。私が、「たまには、お前が三
輪車に乗って、だれかに押してもらったら」と言うと、二男は、こう言った。

 「ぼくは、このほうが楽しいもん」と。

 で、その友人は、無事当選。生徒会長になった。二男はそのまま、文化祭の実行委員長にな
った。

 実はその友人というのは、あの夜、ワイフに電話をかけてきた母親の息子だった。「どうかう
ちの子を、誘わないでください」と言った、あの母親の息子である。もちろんそのことを私は知ら
なかった。が、あとで、つまり卒業式の日に、そのことをワイフから聞いて知った。

 その母親がワイフのところへきて、こう言ったという。「うちの子が、ここまでなれたのは、お宅
の息子さんのおかげです」「ありがとうございました」と。

 私はその言葉を聞いて、涙を流した。ワイフも涙を流した。

●私は実存の世界に

 親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。それを知るかどうかは、ひとえに親の
育児姿勢による。子どもの横に立ち、謙虚に耳を傾ける。それができれば子どもの声が聞こえ
てくる。そうでなければ、そうでない。

 この先を話す前に、少し自分のことを書かねばならない。戦後生まれの多くの学生たちが、
そうであったように、私もサルトル※やボーボワール※の影響を強く受けた。学生時代には、
バートランド・ラッセル※の本をよみふけっていた。

 そんなわけで「自由」という言葉に、特別の響きを覚える。言いかえると、私は学生のころか
ら、「自由」をひとつのテーマとして生きてきた。自ら実存主義者と称したこともある。が、実のと
ころ、それがどういうものであるかさえ、ほんとうのところは知らなかった。

 しかしそんな私でも、サルトルが説いたところの「自由刑」という言葉の意味は理解できた。自
由になればなるほど、自分の行動を規定するものを、何ももたなくなる。つまりその分だけ、い
つも孤独に苦しむ。苛(さいな)まれる。

 ハイデッガー※風に言えば、「死といつも隣り合わせの限界状況で生きる」ということになる。
もっとわかりやすく言えば、自由に生きるといっても、そこにはいつも限界がある。いくら「私は
自由だ」と声を高くして叫んでも、死によって、すべての自由を奪われる。

 その点、神や仏を心の中にもつ人は、それだけでも、気が楽。神や仏が、行動を規定してく
れる。が、それすら、私にはない。自由に生きるということは、まさにひとりで生きることを意味
する。

 が、それについて、二男はこんなことを教えてくれた。

●子どもが巣立つとき

 あれほど勉強しなかった二男だが、アメリカの私立大学に入ってからは、ちがった。あとにな
って二男はこう言った。「ぼくは気が狂ったように勉強した」と。

 アメリカの私立大学には、私の友人を介して入学した。私は「1、2年、英語をかじってくれば
いい」と、そんな軽い気持ちで二男を送り出した。

 そのころこんなエッセーを書いたことがある。そのまま紹介する。今まで書いてきたことと、少
し内容が重複するが、許してほしい。この原稿は、子育てエッセーとして、当時、中日新聞に掲
載してもらったものである。

++++++++++++

階段でふとよろけたとき、たまたまそこにいた三男が、うしろから私を抱き支えてくれた。苦笑
いをして、その場はやりすごしたが、いつの間にか、私はそんな年齢になった。腕相撲では、も
うとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の腕を見ながら、うれしさとさみしさ
の入り交じった気持ちになる。

男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ
をしめてやったとき。そのつど、「まだまだだな」と思ってみたり、「もう勝てないな」と思ってみた
りする。そうそう二男のときは、こんなことがあった。

二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、学校から帰ってくると、ランニングに行くように
なった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているの
よ。同じワンゲル部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。

その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもという
よりは、対等の人間として見るようになった。

その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ
る。

「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてやれ
ばよかった」と、悔やむこともある。

そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そ
していつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。

その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が机のうしろから出てきた。私は最初、それが誰の写真
かわからなかった。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろか
ら女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。

何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手な
ことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭い、
臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そうい
う三男を、横からからかう。

そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。そのときはわからなかった。その「何でもな
い」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは! 子育てというのは、そういうものかもしれ
ない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいなあ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬
間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見て
も、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たちも、ああだったなあ」と。

問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、何
らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が人
生の中で、光り輝いているのを知る。

もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やがてくる未来に視点を置いてみたらよい。
心がずっと軽くなるはずだ。

++++++++++++

 二男は、2年間、その私立大学に通ったあと、となりの州立大学に移った。そしてそこでさら
に2年間通ったあと、学位を取って、無事、その大学を卒業した。

●ガールフレンド

 「卒業式に来てくれるか?」というので、「卒業式には無理だが、3月には行ける」ということ
で、私とワイフは、3月にアメリカに向かった。その飛行機の中でのこと。

 私とワイフは、二男にガールフレンドができたことを知っていた。メールにそう書いてあった。
それなりの覚悟はしていた。が、できればガールフレンドの段階で、止まってほしいと願ってい
た。

私「しかしなあ……。結婚の話が出たら、どうする?」
ワ「そうねえ……」
私「急だろ。卒業間際になってできたガールフレンドだし……。親としては、そのまま日本に帰
ってきてほしいね」
ワ「S(=二男)の様子を見なければ、わからないわ」と。

 が、私の期待は、淡くもそのまま消えた。二男はガールフレンドを紹介してくれたが、そのとき
も、また車を運転しているときも、食事をしているときも、2人は片時も手を放さなかった。二男
は左利き。ガールフレンドは右利きだった。

 私とワイフは、それを見て、あきらめた。

私「あれじゃあ、だめだよ」
ワ「そうねえ」
私「結婚に反対したら、たいへんなことになるよ」
ワ「私も、そう思う……」と。

 で、その日は、そのまま終わった。ただ一言、ガールフレンドがひとりになったとき、彼女に私
はこう聞いた。ガールフレンドといっても、アメリカ南部の州で生まれ育っ女性である。人種偏
見のはげしい土地柄と聞いていた。アジア人は、黒人よりも下に見られている。相手の親だっ
て、アジア人と結婚すると言えば、いい気はしないだろう。

 「Dさん、あなたは、息子のEを愛しているか?」と。

 それに答えてDは、顔を輝かせて、大きな声でこう答えた。「Yes, I do love him.」と。
その一言で、私たちの心は決まった。

●「日本人であることをやめるのか?」

 その日は、リトルロックにあるホテルに泊まった。由緒あるホテルらしかった。調度品のどれ
を見ても、ズシリとした歴史の重みを感じた。

 その夜のこと。私とワイフは、ベッドの上にすわっていた。二男は、床の上に座っていた。しば
らくいろいろな会話をした。その会話が不自然に途切れたとき、二男が、口を開いた。

二「パパ、ぼく、Dと結婚するよ」
私「……。人種偏見の問題はないのか?」
二「そんな問題は、どこにでもあるよ」
私「わかった」と。

 その少し前、私とワイフは近くを散歩した。ちょうど1ブロック離れたところが、州議会の議事
堂になっていた。ワシントン市にあるホワイトハウスは、その議会がモデルになったという。そ
の議事堂の上には、アメリカ国旗と並んで、南軍の国旗がはためいていた。アーカンソー州
は、そういう州である。英語にしても、みな、あのジョン・ウェインそっくりの話し方をする。

二「でね、パパ、結婚式は、こちらでするよ」
私「こちらで……? 日本では、花婿のほうで結婚式をすることになっている」
二「いいや、アメリカでは、花嫁のようで結婚式をする」
私「へえ、アメリカでは、花嫁のほうでするのか」
二「花婿が、花嫁のほうに迎えにくるという形をつくる。でね、結婚式には来てくれるか?」
私「もちろん、来るよ」と。

 窒息しそうな胸苦しさを覚えた。胸の奥がつまったような感じだった。「オレの子ではないか」
「どうしてその子が、アメリカ人なんかと結婚するんだ」「日本へ帰って来い」と。

二「パパ、それで……」
私「何だ?」
二「でね、ぼくね、洗礼を受けてクリスチャンになるよ」
私「クリスチャン? ……あのなあ、うちは、真言宗大谷派だぞ」
二「でも、インチキな結婚式はしたくない」
私「わかった……」と。

 いくら「生きているだけでいい」と思って育ててきた息子かもしれないが、そのつど、私は自分
の心をグイグイと押しつぶさなければならなかった。のどのすぐそこまで、つぎの言葉が出かか
っていた。「帰ってこい」と。しかしそれは言わなかった。……言えなかった。苦しかった。つらか
った。するとまた二男がこう言った。

二「パパ、就職はこちらでするよ」
私「……うん、日本は今、不景気だからな……。いいところは見つかったのか」
二「教授が、ひとつ勧めてくれたところがある」
私「わかった……」と。

 私の胸は張り裂けそうだった。ワイフのほうを見る余裕は、とっくの昔に消えていた。体中が
硬く、こわばっているのが、自分でもよくわかった。一言、一言、私はふりしぼるような声で、二
男の言葉に答えた。

 しかしさすがの私も、つぎの言葉を聞いたときには、手が震えた。体も震えた。

二「パパ……。ぼくね、アメリカ国籍を取るよ」
私「……お前……、日本人であることをやめるのか?」
二「……そうだ……」と。

 と、そのときのこと。「わかった」と言うのと同時に、一抹の軽い風が、心の中をスーッと通り
抜けるのを感じた。それはさわやかな風だった。それまで心をふさいでいた、重しが、その風と
ともに、どこかへ消えた。それが自分でもよくわかった。

 実にさわやかな風だった。言うなれば、1人の子どもを育てきったという思い、1人の子どもを
育てきったという思い、そして1人の子どもを信じきったという思い、そういうものが一体となっ
て、心の中を駆け抜けた。

 私たちがなぜ子育てをするかといえば、いつか子どもを自立させるため。子どもの背中をた
たいて、こう言う。

 「さあ、お前の人生だ。思いっきり、この広い世界を、羽ばたいてみろ。だれにも遠慮すること
はない。思う存分、羽ばたいてみろ」と。

 そのときが、そのときだった。

●死の克服

 私たちは、なぜ死ぬのがこわいか。……という質問は、私たちは、なぜ失うことを恐れるかと
言いかえてもよい。

 あのサルトルは、実存主義を追求しながら、最終的には、「無」の概念に行き着く。意識から
自我を排除しようと試みた。同じように、なぜ私たちがなぜ失うことを恐れるかと聞かれれば、
そこに「私」があるからにほかならない。

 もし私の中に「私」がなければ、私はそも、失うことを恐れないはず。たとえば無一文の人は、
泥棒を恐れない。それと同じ理屈で、もしこの私から、「私」を取り除けば、ひょっとしたら、死す
らも、克服できる。そのときがきたら、笑ってそれを迎えることができる。

 「やあ、おいでになりましたか」「いっしょに、あの世へ行きましょう」と。

 が、私には、「私」というしがらみが、無数にまとわりついている。「私の財産」「私の名誉」「私
の地位」「私の経歴」と。そういったものが、私をがんじがらめにしている。だから、こわい。失う
のがこわい。死ぬのがこわい。

 だからといって、私は、二男をあきらめたわけではない。二男を捨てたわけでもない。私は二
男に二男の人生を、渡した。「私の二男」という「私の」を取り払った。

 さわやかな風を感じたのは、そのためだった。

●『許して忘れる』

 親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる。育てるだけではなく、子どもは、親で
ある私という人間に、何かを教えるために、そこにいる。

 ミニチュアの世界かもしれないが、子育てをしながら、野を越え、山を越え、さらに谷を越えて
いると、そこに人としての気高さを覚えることもある。そう、子育ては、まさに『許して忘れる』の
連続。『許して忘れる』というのは、英語では、「for・give & fo・rget」という。この単語をよく
見ると、「与えるため&得るため」とも読める。

 何をか?
 
 つまり『許して忘れる』というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るた
めに忘れる」という意味になる。その度量の広さが、結局は、愛の深さということになる。

 子どもは、けっして、ただの子どもではない。何かを教えるために、そこにいる。それがわか
るかどうかは、つまるところ私たち自身の姿勢による。昔、オーストラリアの友人はこう教えてく
れた。

 「ヒロシ、親には3つの役目がある。ひとつは、子どもの前に立って、子どもの手を引きなが
ら、歩くこと。ガイドとして。2つめは、子どものうしろに立って、子どもの背中を守りながら歩くこ
と。保護者として。そして3つめは、子どもの横に立って、子どもと手をつなぎながら、前を向い
て歩くこと。子どもの友として」と。

 日本人は、伝統的に、ガイドや保護者になるのは得意。しかし友として、子どもの横に立つの
が苦手。そういう習慣すらない。

 が、もしあなたが子どもの横に立ったら……。その謙虚さを大切にしたとき、あなたの子育て
は大きく変わる。子育ての世界が、大きく広がる。

 二男は、そのとき、私に自由の意味を教えてくれた。もちろんだからといって、私が死の恐怖
から解放されたというわけではない。私には、まだ「私」というしがらみが、無数にまとわりつい
ている。しかし二男が、その目標を示してくれた。サルトルが説いたところの、(無の存在)がど
ういうものであるかを、教えてくれた。今はまだ無理かもしれないが、いつか、そういう心境に達
することができるかもしれない。

 その夕刻、私とワイフは、リトルロックの町の中を歩いた。子どものように、はしゃぎながら…
…。

(注※)

サルトル……ジャン・ポール・サルトル(1905〜1980)、フランスの思想家
ボーボワール……シモン・ドゥ・ボーボワール(1908〜1986)、フランスの女流小説家
バートランド・ラッセル……(1872〜1970)、イギリスの哲学者
ハイデッガー……マルティン・ハイデッガー(1889〜1976)、ドイツ哲学者







目次へ戻る メインHPへ

●親の愛情不足

++++++++++++++

ある講演会場で、1人の父親が、
こんな質問をしてきた。

++++++++++++++

Q:私がテレビを見ていると、四歳の娘がすぐひざの上にのってきます。どう対処したらいいで
しょうか。(父親、IセンターA保育園での講演後の質問より)

A:よく誤解されるが、親に愛情がないから、子どもが愛情不足の症状(欲求不満など)を示す
のではない。子ども側から、働きかけがあり、そのとき、親が拒否的な態度に出たりすると、子
どもは愛情不足の症状を示すようになる。もう少しわかりやすく説明すると、こうなる。

 親子の愛情(たがいの愛着行動)は、相互的なものである。親は子どもに対して、愛着行動
を示す。たとえば子どもを抱きあげ、「かわいい、かわいい」と言って、頬ずりするのがそれ。一
方、ここで重要なのは、子どもも、親に対して愛着行動を示すということ。

最近の研究では、生まれたばかりの新生児ですら、親に対して、愛着行動を働きかけているこ
とがわかっている(イギリス、ボウルビー、ケンネル※)。親に微笑みかけたり、手足をバタつか
せたり、あるいは泣いて甘えたりするなど。

 この子どもからの愛着行動の働きかけがあったとき、親がそれを受け止めてやるかやらない
かで、愛情不足かどうかが決まる。つまりこのとき、子どもの側から見て、それを親に受けいれ
てもらえないとき、その時点で、子どもは「不満足感」を、欲求不満症状に変える。このことは、
つぎの点で重要な意味をもつ。

(愛情表現)

子どもを抱きながら、「かわいい、かわいい」と言って、頬ずりするのは、ここにも書いたよう
に、親側から子どもへの愛着行動ということになる。しかしそのとき、子どもがそれを望んでい
ないとしたら、子ども側からみれば、それは迷惑な行為ということになる。親は、「子どもは喜ん
でいるハズ」「うれしがっているハズ」と考えてそうするが、それは親の身勝手というもの。また
そういうことをしたからといって、子どもが満足したり、深い親の愛を感ずるということにはなら
ない。それがわからなければ、あなた自身のことで考えてみればよい。

 もしあなたが妻で、今、部屋を掃除していたとする。そのとき夫がうしろからやってきて、あな
たにその気もないのに、あなたを抱き、「愛している、愛している」と、体中をさわり始めたとす
る。そのとき、あなたは夫に愛されていると感じ、それを喜ぶだろうか。喜ぶ人もいるかもしれ
ないが、しかし大半は、それを迷惑に思うに違いない。

 しかしあなたが反対に、体の中に燃えるものを感じ、それとなく夫の体に触れたとする。その
ときあなたの夫が、「うるさいな……」というような表情をして、あなたの体を払いのけたとする。
つまり夫に拒否されたとする。そのときあなたはどう感ずるだろうか。

 つまり子どもも同じで、子どもが愛情不足を感ずるのは、子ども側から何かの働きかけをし、
それが親に拒否されたときである。言いかえると、子どもが何らかの形で、親に対して愛着行
動の働きかけがあったときこそ、親側の愛情表現の見せどころということになる。いくつかの例
で考えてみる。

●子どもが親のひざの上に座ろうとするとき
●子どもが親に甘え、体をすりよせてくるとき
●子どもがぐずり、わけのわからないことを言って、ダダをこねるとき
●何か新しいことができるようになて、それを親に見せにきたようなとき

こうした働きかけは、必ずしも平和的なものばかりではない。中には、わざと親を困らせたり、
あるいは攻撃的、暴力的な方法で表現する子どももいる。こういうときどのように対処したらよ
いかは、また別に考えるとして、基本的には、子どもの心を大切に受け止めてあげること。つま
り相談(冒頭)のケースでは、父親は、ある程度子どもが満足するまで、そのままの姿勢を保つ
のがよい。

 というのも、こうしたケースでは、子どもが親のひざに抱かれたいと思うのは、あくまでも症状
とみる。もっと言えば、情緒を安定させるための、代償行為と考える。だからこの段階で、父親
が、娘を拒否すれば、その時点で、子どもの情緒は一挙に不安定になる。言いかえると、子ど
もはこうした代償行為(よく知られた例に、指しゃぶりなどがある)を繰りかえすことで、自分の
情緒を安定させようとする。もっと言えば、「なぜ抱かれてくるか」という原因をさぐってみること
こそ大切。その原因を放置したまま、症状だけを攻撃しても意味はない。それはたとえて言うな
ら、肺炎で熱を出して苦しんでいる子どもに、「熱をさます」という理由で、水をかけるようなも
の。

(愛情は量ではなく質)

よく「私は子どもを愛せない」と悩む親がいる。しかし問題は、愛せないことではない。問題は、
子どもが親に対して何らかの愛着行動を働きかけてきたとき、それに答えることができるかど
うかである。つまりその答え方ができれば、それでよし。しかしそれができないときに、問題が
起きる。たとえば子どもが、母親の服のゾデを引っぱりながら、「ママ〜」と甘えてきたとする。
そのとき大切なのは、その瞬間だけでもよいから、子どもの甘えを受け止めてあげること。そし
て子どもの側からみて、「絶対的な安心感」を覚えられるような状態にすること。「絶対的」とい
うのは、「疑いをいだかない」という意味。

 そういう意味では、愛情は、量の問題ではなく、質の問題である。ベタベタの愛情が、好まし
いわけではない。先にも書いたように、親側の一方的な愛情は、子どもにとっては、迷惑ですら
ある。つまり愛情が多いからよいというのでも、また少ないから悪いというのでもない。要は、子
どもがそれで安心感を得られるかどうかである。その点だけ注意すれば、「子どもを愛していな
い」ということに悩む必要はない。(愛していれば、それに越し
たことはないが……。)

 結論から言えば、子どもが親のひざのなかに入ってきて、甘えるしぐさを見せたら、子どもが
ある程度満足するまで、抱いてあげる。子どもにとって、父親のひざは、まさにいこいの場。体
を休め、心をいやす場。それだけではない。親子の情愛も、それで深めることができる。また
親の立場からしても、子どもの体のぬくもりを感ずることは、とても大切なことである。こういう
時期は、その渦中にいると、長く見えるが、終わってみると、あっという間のできごと。あとあと
人生の中で、光り輝くすばらしい瞬間となる。だからそういう時期は、そういう時期として、子育
てとは別に、大切にしたらよい。

※……母親は新生児を愛し、いつくしむ。これを愛着行動(attachment)という。これはよく知ら
れた現象だが、最近の研究では、新生児の側からも、母親に「働きかけ行動」があることがわ
かってきた(イギリス、ボウルビー、ケンネルほか)。こうした母子間の相互作用が、新生児の
発育には必要不可欠であり、それが阻害されると、子どもには顕著な情緒的、精神的欠陥が
現れるという。





目次へ戻る メインHPへ

【子どもの道徳・道徳の完成度】

●地球温暖化

+++++++++++++

子どもたちほど、地球温暖化の
問題を真剣に考えているという
のは、興味深い。

他方、おとなほど、この問題に
関して言えば、無責任(?)。

「何とかなるさ」という言い方をする
おとな。「だれかが何とかしてくれ
る」とか、「私ひとりが、がんばって
も、どうしようもない」とか。

そんなふうに考えているおとなは、
多い。

+++++++++++++

 道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、(2)いかに自分を超えたものであるか、その2
点で判断される(コールバーク)。

 いかに公正であるか……相手が知人であるとか友人であるとか、あるいは自分がその立場
にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、公正に判断して行動できるかどうかで、その人
の道徳的完成度は決まる。

 いかに自分を超えたものであるか……乳幼児が見せる原始的な自己中心性を原点とするな
ら、いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的であるかによって、その人の道徳的完成
度は決まる。

 たとえばひとつの例で考えてみよう。

 あなたはショッピングセンターで働いている。そのとき1人の男性が、万引きをしたとする。男
性は品物をカートではなく、自分のポケットに入れた。あなたはそれを目撃した。

 そこであなたはその男性がレジを通さないで外へ出たのを見計らって、その男性に声をかけ
た。が、あなたは驚いた。他人だと思っていたが、その男性は、あなたの叔父だった。

 こういうケースのばあい、あなたなら、どう判断し、どう行動するだろうか。「叔父だから、その
まま見過ごす」という意見もあるだろう。反対に、「いくら叔父でも、不正は不正と判断して、事
務所までいっしょに来てもらう」という意見もあるだろう。

 つまりここであなたの公正さが、試される。「叔父だから、見過ごす」という人は、それだけ道
徳の完成度が低い人ということになる。

 またこんな例で考えてみよう。

 今、地球温暖化が問題になっている。その地球温暖化の問題について、いろいろな考え方
がある。コールバークが考えた、「道徳的発達段階」を参考に、考え方をまとめてみた。

(第1段階)……自分だけが助かればばいいとか、自分に被害が及ばなければ、それでいいと
考える。被害が及んだときには、自分は、まっさきに逃げる。

(第2段階)……仕事とか、何か報酬を得られるときだけ、この問題を考える。またそのときだ
け、それらしい意見を発表したりする。

(第3段階)……他人の目を意識し、そういう問題にかかわっていることで、自分の立場をつくっ
たりする。自分に尊敬の念を集めようとする。

(第4段階)……みなでこの問題を考えることが重要と考え、この問題について、みなで考えた
り、行動しようとしたりする。

(第5段階)……みなの安全と幸福を最優先に考え、そのために犠牲的になって活動すること
を、いとわない。日夜、そのための活動を繰りかえす。

(第6段階)……地球的規模、宇宙的規模で、この問題を考える。さらに、人類のみならず生物
全体のことを念頭において、この問題を考え、その考えに沿って、行動する。

 この段階論は、子どもたちの意見を聞いていると、よくわかる。「ぼくには関係ない」と逃げて
しまう子どももいれば、とたん、深刻な顔つきになる子どももいる。さらに興味深いことは、幼少
の子どもほど、真剣にこの問題を考えるということ。

 子どもも中学生や高校生になると、「何とかなる」「だれかが何とかしてくれる」という意見が目
立つようになる。つまり道徳の完成度というのは、年齢とかならずしも比例しないということ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子供
の道徳 道徳の完成度 道徳 完成度 はやし浩司 道徳の完成度 コールバーク 道徳完
成度 完成度段階説)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●道徳の完成度(2)

+++++++++++++++++++

道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、
二十七、いかに自分を超えたものであるか、
その2点で判断される(コールバーク)という。

 いかに公正であるか……相手が知人である
とか友人であるとか、あるいは自分がその立場
にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、
公正に判断して行動できるかどうかで、その人の
道徳的完成度は決まる。

 いかに自分を超えたものであるか……乳幼児
が見せる原始的な自己中心性を原点とするなら、
いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的
であるかによって、その人の道徳的完成度は決
まる。

+++++++++++++++++++

 この2日間、「道徳の完成度」について、考えてきた。「言うは易(やす)し」とは、よく言う。しか
し実際に、どうすれば自己の道徳を完成させるかということになると、これはまったく別の問題
と考えてよい。

 たとえば公正性についても、そのつど心の中で揺れ動く。情に動かされる。相手によって、白
を黒と言ってみせたり、黒を白と言ってみせたりする。しかしそれでは、とても公正性のある人
間とは言えない。

 またその視野の広さについても、ふと油断すると、身近なささいな問題で、思い悩んだり、自
分を取り乱したりする。天下国家を論じながら、他方で、近隣の人たちとのトラブルで、醜態を
さらけだしたりする。

 コールバークの道徳論を、もう一度、おさらいしてみよう。

(1)「時、場所、そして人のいかんにかかわらず、公正に適応されるという原則」
(2)「個人的な欲求や好みを超えて、個人の行為を支配する能力」(引用文献:「発達心理学」
ナツメ社)。

 そこで重要なことは、日々の生活の中での心の鍛錬こそが重要、ということになる。常に公正
さを保ち、常に視野を広くもつということ。が、それがむずかしい。ときとして問題は、向こうから
飛びこんでくる。こんな話を聞いた。

 よくある嫁―姑(しゅうとめ)戦争だが、嫁の武器は、子ども。「孫がかわいい」「孫に会いた
い」という姑の心を逆手にとって、その嫁は、姑を自分のよいように操っていた。具体的には、
姑のもつ財産をねらっていた。

 いつしか姑が、息子夫婦の生活費を援助するようになっていた。嫁の夫(=姑の息子)の給
料だけでは、生活が苦しかった。質素に生活すれば、できなくはなかったが、嫁には、それが
できなかった。嫁は、派手好きだった。

 そのうち、姑は、孫(=嫁の息子、娘)の学費、教育費まで負担するようになった。しかし土地
などの財産はともかくも、現金となると、いつまでもつづくわけではない。そこで姑が、支出を断
り始めた。「お金がつづかない」とこぼした。とたん、嫁は、姑と息子と娘(=姑の孫)が会うのを
禁止した。

 息子(小4)と娘(小1)は、「おばあちゃんに会いたい」と言った。
 嫁は、「会ってはだめ」「電話をしてもだめ」と、自分の子どもにきつく言った。
 姑は「孫たちに会いたいから、連れてきてほしい」と、嫁に懇願した。
 嫁は間接的ながら、「お金がなかったら、土地を売ってお金をつくってほしい」と迫った。

 ……という話を書くのが、ここでの目的ではない。こういう話は、あまりにも低レベルという
か、あさましい。できるなら、こういう話は聞きたくない。話題にしたくもない。が、現実の世界で
は、こうした問題が、つぎからつぎへと起きてくる。いくら道徳的に高邁(こうまい)でいようとして
も、ふと気がつくと、こうした問題のウズの中に巻き込まれてしまう。

 言いかえると、道徳の問題は、頭の中だけで論じても、意味はないということ。この私だって、
偉そうなことなら、いくらでも言える。それらしい顔をして、それらしい言葉を口にしていれば、そ
れでよい。それなりの道徳家に見える。

 しかし実際には、中身はガタガタ。私はその嫁とはちがうと思いたいが、それほどちがわな
い。そこで繰りかえすが、「日々の生活の中での心の鍛錬こそが重要」ということになる。

 私たちは常に試される。この瞬間においても、またつぎの瞬間においても、だ。何か大きな問
題が起きれば、なおさら。そういうときこそ、日々の鍛錬が、試される。つまりその人の道徳性
は、そういう形で、昇華していくしかない。

(道徳性について、付記)

 高邁な道徳性をもったからといって、どうなのか……という問題が残る。たとえばこんな例で
考えてみよう。最近、実際、あった事例である。

 あなたは所轄官庁の担当部長である。今度、遠縁にあたる親類の1人が、介護施設を開設
した。あなたは自分の地位を利用して、その親類に、多額の補助金を交付した。その額、数億
円以上。

 そのあなたが、ある日、その親類から、高級車の提供をもちかけられた。別荘の提供ももち
かけられた。飲食して帰ろうとすると、みやげを渡された。みやげの中には、現金数百万円が
入っていた。

 こういうケースのばあい、あなたならどう判断し、どう行動するだろうか?

 「私はそういう不正なことは、しません」と、それを断るだろうか。その勇気はあるだろうか。ま
た断ったところで、何か得るものは、あるだろうか。

 私はそういう場に立たされたことがないので、ここでは何とも言えない。しかし私なら、かなり
迷うと思う。今の私なら、なおさらそうだ。いまだに道路にサイフが落ちているのを見かけただ
けで、迷う。

不運にも(?)、この事件は発覚し、マスコミなどによって報道されるところとなった。しかしこう
した事例は、小さなものまで含めると、その世界では、日常茶飯事。それこそ、どこでも起きて
いる。

 つまり道徳性の高さで得られるものは、何かということ。それがこの世界では、たいへんわか
りにくくなっている。へたをすれば、「正直者がバカをみる」ということにもなりかねない。

 ところで、今朝の新聞によれば、中央教育審議会は、道徳の教科化を見送ることにしたとい
う(9月18日)。当然である。

 「学習指導要領の見直しを進めている中央教育審議会は、18日、道徳の授業を教科としな
い方針を固めた。政府の教育再生会議は、規範意識の向上を目的に、第二次報告で道徳を
『徳育』としたうえで、教科化するよう求めていた。もともと中教審の内部では、教科化に慎重な
意見も強かったが、安倍首相の辞任後、『教育再生』路線との距離の置き方も、明確になった
格好だ」(中日新聞・9月19日)とある。

 わかりやすく言えば、安倍総理大臣が辞任したこともあり、安倍総理大臣が看板にしていた
徳育教育(?)が、腰砕けしたということ。

 閣僚による数々の不祥事。加えて、安倍総理自身も、3億円の脱税問題がもちあがってきて
いる。「何が、道徳か!」、ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 道徳
 道徳教育 徳育 徳育教育)







検索文字(以下、順次、収録予定)
BWきょうしつ BWこどもクラブ 教育評論 教育評論家 子育て格言 幼児の心 幼児の心理 幼児心理 子育て講演会 育児講演会 教育講演会 講師 講演会講師 母親講演会 はやし浩司 林浩司 林浩 子供の悩み 幼児教育 幼児心理 心理学 はやし浩司 親子の問題 子供 心理 子供の心 親子関係 反抗期 はやし浩司 育児診断 育児評論 育児評論家 幼児教育家 教育評論家 子育て評論家 子育ての悩みはやし浩司 教育評論 育児論 幼児教育論 育児論 子育て論 はやし浩司 林浩司 教育評論家 評論家 子供の心理 幼児の心理 幼児心理 幼児心理学 子供の心理 子育て問題 はやし浩司 子育ての悩み 子供の心 育児相談 育児問題 はやし浩司 幼児の心 幼児の心理 育児 はやし浩司 育児疲れ 子育てポイント はやし浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市 金沢大学法文学部卒 はやし浩司 教育評論家 幼児教育評論家 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやしひろし 林ひろし 静岡県 浜松幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 はやし浩司・林浩二(司) 林浩司 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ 金沢大学法文学部卒 教育評論家 Hiroshi Hayashi / 1970 IH student/International House / Melbourne Univ. writer/essayist/law student/Japan/born in 1947/武義高校 林こうじ はやしこうじ 静岡県 浜松市 幼児教育 岐阜県美濃市生まれ金沢大学法文学部卒 教育評論家 ハローワールド(雑誌)・よくできました(教材) スモッカの知恵の木 ジャックと英語の木 (CAI) 教材研究  はやし浩司 教材作成 教材制作 総合目録 はやし浩司の子育て診断 これでわかる子育てアドバイス 現場からの子育てQ&A 実践から生まれたの育児診断 子育てエッセイ 育児診断 ママ診断 はやし浩司の総合情報 はやし浩司 知能テスト 生活力テスト 子どもの能力テスト 子どもの巣立ち はやし浩司 子育て診断 子育て情報 育児相談 子育て実践論 最前線の子育て論 子育て格言 はやし浩司 子どもの問題 子供の問題 育児相談 子どもの心 子供の心 子どもの心理 子供の心 はやし浩司 不登校 登校拒否 学校恐怖症 はやし浩司 子育て実例集 子育て定期検診 子どもの学習指導 はやし浩司 子供の学習 学習指導 子供の学習指導 はやし浩司 子どもの生活指導 子供の生活 子どもの心を育てる 子供の心を考える 発語障害 浜松中日文化センター BW教室 はやし浩司の才能教室 幼児教室 幼児知能教室 浜松市 BWこどもクラブ はやし浩司 子育て診断 育児アドバイス 子育てアドバイス 子育て情報 育児情報 育児調査 はやし浩司 子育ての悩み 育児問題 育児相談 はやし浩司 子育て調査 子育て疲労 育児疲れ 子どもの世界 中日新聞 Hiroshi Hayashi Hamamatsu Shizuoka/Shizuoka pref. Japan 次ページの目次から選んでください はやし浩司のホームページ 悩み調査 はやし浩司の経歴 はやし浩司 経歴 人物 子どもの叱り方 ポケモンカルト ポケモン・カルト 子どもの知能 世にも不思議な留学記 武義高・武義高校同窓会 古城会 ドラえもん野比家の子育て論 クレヨンしんちゃん野原家の子育て論 子育て教室 はやし浩司 浜松 静岡県 はやし浩司 子どもの指導法 子どもの学習指導 家族主義 子どものチエックシート はやし浩司 はやしひろし 林ひろし 林浩司 静岡県浜松市 岐阜県美濃市 美濃 経済委員会給費留学生 金沢大学法文学部法学科 三井物産社員 ニット部輸出課 大阪支店 教育評論家 幼児教育家 はやし浩司 子育てアドバイザー・育児相談 混迷の時代の子育て論 Melbourne Australia International House/international house/Hiroshi Hayashi/1970/ はやし浩司 ママ診断 過保護 過干渉・溺愛 過関心 教育論 子どもの巣立ち論 メルマガ Eマガ はやし浩司 子育て最前線のあなたへ・子育てはじめの一歩 子育て はじめの一歩・最前線の子育て論 子育て最前線の育児論 はやし浩司 入野町 林浩司 林 浩司 東洋医学基礎 目で見る漢方・幼児教育評論家 子育てアドバイザー 子どもの世界 子供の世界 育児如同播種・育児相談 子育てアドバイス 教育相談 はやし浩司・はやしひろし 林ひろし 林浩司 林こうじ 浜松市入野町 テレビ寺子屋 最前線の子育て論 子育てストレス 最前線の子育て はやし浩司 著述 執筆 評論 ファミリス ママ診断 メルボルン大学 はやし浩司 日豪経済委員会 日韓交換学生 三井物産元社員 子どもの世界 子供の世界 子育ての悩み 育児一般 子供の心 子どもの心 子育て実戦 実践 静岡県在住 はやし浩司 浜松 静岡県浜松市 子育て 育児相談 育児問題 子どもの心 子供の心 はやし浩司 心理 心理学 幼児教育 BW教室 はやし浩司 子どもの問題 子供の問題 発達心理 育児問題 はやし浩司子育て情報 子育ての悩み 無料相談 はやし浩司 無料マガジン 子育て情報 育児情報 はやし浩司 林浩司 林ひろし 浜松 講演会 講演 はやし浩司 林浩司 林 浩司 林こうじ コージ 林浩司 はやしひろし はやしこうじ 林浩二 浩司 東洋医学 経穴 基礎 はやし浩司 教材研究 教材 育児如同播種 育児評論 子育て論 子供の学習 学習指導 はやし浩司 野比家の子育て論 ポケモン カルト 野原家の子育て論 はやし浩司 飛鳥新社 100の箴言 日豪経済委員会 給費 留学生 1970 東京商工会議所 子育ての最前線にいるあなたへ 中日新聞出版 はやし浩司 林浩司 子育てエッセイ 子育てエッセー 子育て随筆 子育て談話 はやし浩司 育児相談 子育て相談 子どもの問題 育児全般 はやし浩司 子どもの心理 子育て 悩み 育児悩み 悩み相談 子どもの問題 育児悩み 子どもの心理 子供の心理 発達心理 幼児の心 はやし浩司 幼児の問題 幼児 相談 随筆家 育児 随筆家 育児エッセー 育児エッセイ 母親の心理 母親の問題 育児全般 はやし浩司 林浩司 林こうじ はやしこうじ はやしひろし 子育て アドバイス アドバイザー 子供の悩み 子どもの悩み 子育て情報 ADHD 不登校 学校恐怖症 怠学 はやし浩司 はやし浩司 タイプ別育児論 赤ちゃんがえり 赤ちゃん言葉 悪筆 頭のいい子ども 頭をよくする あと片づけ 家出 いじめ 子供の依存と愛着 育児ノイローゼ 一芸論 ウソ 内弁慶 右脳教育 エディプス・コンプレックス おてんばな子おねしょ(夜尿症) おむつ(高層住宅) 親意識 親の愛 親離れ 音読と黙読 学習机 学力 学歴信仰 学校はやし浩司 タイプ別育児論 恐怖症 家庭教師 過保護 過剰行動 考える子ども がんこな子ども 緩慢行動 かん黙児 気うつ症の子ども 気負い 帰宅拒否 気難しい子 虐待 キレる子ども 虚言(ウソ) 恐怖症 子供の金銭感覚 計算力 ゲーム ケチな子ども 行為障害 心を開かない子ども 個性 こづかい 言葉能力、読解力 子どもの心 子離れ はやし浩司 タイプ別育児論 子供の才能とこだわり 自慰 自意識 自己嫌悪 自殺 自然教育 自尊心 叱り方 しつけ 自閉症 受験ノイローゼ 小食 心的外傷後ストレス障害 情緒不安 自立心 集中力 就眠のしつけ 神経質な子ども 神経症 スキンシップ 巣立ち はやし浩司 タイプ別育児論 すなおな子ども 性教育 先生とのトラブル 善悪 祖父母との同居 大学教育 体罰 多動児男児の女性化 断絶 チック 長男・二男 直観像素質 溺愛 動機づけ 子供の同性愛 トラブル 仲間はずれ 生意気な子ども 二番目の子 はやし浩司 タイプ別育児論 伸び悩む子ども 伸びる子ども 発語障害 反抗 反抗期(第一反抗期) 非行 敏捷(びんしょう)性 ファーバー方式 父性と母性 不登校 ぶりっ子(優等生?) 分離不安 平和教育 勉強が苦手 勉強部屋 ホームスクール はやし浩司 タイプ別育児論 本嫌いの子ども マザーコンプレックス夢想する子ども 燃え尽き 問題児 子供のやる気 やる気のない子ども 遊離(子どもの仮面) 指しゃぶり 欲求不満 よく泣く子ども 横を見る子ども わがままな子ども ワークブック 忘れ物が多い子ども 乱舞する子ども 赤ちゃんがえり 赤ちゃん帰り 赤ちゃん返り 家庭内暴力 子供の虚言癖 はやし浩司 タイプ別育児論はじめての登園 ADHD・アメリカの資料より 学校拒否症(不登校)・アメリカ医学会の報告(以上 はやし浩司のタイプ別育児論へ)東洋医学 漢方 目で見る漢方診断 東洋医学基礎編 はやし浩司 東洋医学 黄帝内経 素問 霊枢 幼児教育 はやし浩 林浩司 林浩 幼児教育研究 子育て評論 子育て評論家 子どもの心 子どもの心理 子ども相談 子ども相談 はやし浩司 育児論 子育
て論 幼児教育論 幼児教育 子育て問題 育児問題 はやし浩司 林浩司