【子育て一口メモ】
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子どもをやる気のある子にする、
30の鉄則、です。
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●強化の原理
子どもが、何かの行動をしたとする。そのとき、その行動について、何か、よいことが起きたと
する。ほめられるとか、ほうびがもらえるとか。あるいは心地よい感覚に包まれるとか。そういう 何かよいことが起こるたびに、その行動は、ますます強化される。これを「強化の原理」という。 子どもの能力をのばすための大鉄則ということになる。
●弱化の原理
強化の原理に対して、弱化の原理がある。何か、行動をしたとき、つまずいたり、失敗したり、
叱られたりすると、子どもは、やる気をなくしたり、今度は、その行動を避けるようになる。これ を弱化の原理という。子どもにもよるし、ケースにもよるが、一度弱化の原理が働くようになる と、学習効果が、著しく落ちるようになる。
●内面化
子どもは成長とともに、身長がのび、体重が増加する。これを外面化というのに対して、心の
発達を、内面化という。その内面化は、(1)他者との共鳴性(自己中心性からの脱却)、(2)自 己管理能力、(3)良好な人間関係をみるとよい(EQ論)。ほかに道徳規範や倫理観の発達、 社会規範や、善悪の判断力などを、ふくめる。心理学の世界では、こうした発達を総称して、 「しつけ」という。
●子どもの意欲
子どもは、親、とくに母親の意欲を見ながら、自分の意欲を育てる。一般論として、意欲的な母
親の子どもは、意欲的になる。そうでない母親の子どもは、そうでない。ただし、母親が意欲的 過ぎるのも、よくない。昔から、『ハリキリママのションボリ息子』と言われる。とくに子どもに対し ては、ほどよい親であることが望ましい。任すところは子どもに任せ、一歩退きながら、暖かい 無視を繰りかえす。それが子育てのコツということになる。
●ほどよい目標
過負担、過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そればかりではない。自信喪失から、
やる気をなくしてしまうこともある。仮に一時的にうまくいっても、オーバーヒート現象(燃え尽き 症候群、荷卸し症候群)に襲われることもある。子どもにとって重要なことは、達成感。ある程 度がんばったところで、「できた!」という喜びが、子どもを伸ばす。子どもには、ほどよい目標 をもたせるようにする。
●子どもの恐怖症
恐怖症といっても、内容は、さまざま。対人恐怖症、赤面恐怖症、視線恐怖症、体臭恐怖症、
醜形恐怖症、吃音恐怖症、動物恐怖症、広場恐怖症、不潔恐怖症、高所恐怖症、暗所恐怖 症、閉所恐怖症、仮面恐怖症、先端恐怖症、水恐怖症、火恐怖症、被毒恐怖症、食事恐怖症 などがある。子どもの立場になって、子どもの視線で考えること。「気のせいだ」式の強引な押 しつけは、かえって症状を悪くするので注意。
●子どもの肥満度
児童期の肥満度は、(実測体重Kg)÷(実測身長cmの3乗)×10の7乗で計算する。この計
算式で、値が160以上を、肥満児という(ローレル指数計算法)。もっと簡単に見る方法として は、手の甲を上にして、指先を、ぐいと上にそらせてみる。そのとき、指のつけねに腱が現れる が、この腱の部分にくぼみが現れるようになったら、肥満の初期症状とみる。この方法は、満5 歳児〜の肥満度をみるには、たいへん便利。
●チック
欲求不満など、慢性的にストレスが蓄積すると、子どもは、さまざまな神経症的症状を示す。た
とえば爪かみ、指しゃぶり、夜尿、潔癖症、手洗いグセなど。チックもその一つ。こうした症状を 総称して、神経性習癖という。このチックは、首から上に出ることが多く、「おかしな行動をす る」と感じたら、このチックをうたがってみる。原因の多くは、神経質で、気が抜けない家庭環境 にあるとみて、猛省する。
(はやし浩司 子供の肥満 肥満度 子どもの肥満)
●伸びたバネは、ちぢむ
受験期にさしかかると、猛烈な受験勉強を強いる親がいる。塾に、家庭教師に、日曜特訓な
ど。毎週、近くの公園で、運動の特訓をしていた父親さえいた。しかしこうした(無理)は、一事 的な効果はあっても、そのあと、その反動で、かえって子どもの成績はさがる。『伸びたバネは ちぢむ』と覚えておくとよい。イギリスの教育格言にも、『馬を水場に連れていくことはできても、 水を飲ませることはできない』というのがある。その格言の意味を、もう一度、考えてみてほし い。
●「利他」度でわかる、人格の完成度
あなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうに歩いてみてほしい。そのとき、「ママ、も
ってあげる!」と走りよってくればよし。反対に、知らぬ顔をして、テレビゲームなどに夢中にな っていれば、あなたの子どもは、かなりのどら息子と考えてよい。子どもの人格(おとなも!)、 いかに利他的であるかによって、知ることができる。つまりドラ息子は、それだけ人格の完成 度の低い子どもとみる。勉強のできる、できないは、関係ない。
●見栄、体裁、世間体
私らしく生きるその生き方の反対にあるのが、世間体意識。この世間体に毒されると、子ども
の姿はもちろんのこと、自分の姿さえも、見失ってしまう。そしてその幸福感も、「となりの人よ り、いい生活をしているから、私は幸福」「となりの人より悪い生活をしているから、私は不幸」 と、相対的なものになりやすい。もちろん子育ても、大きな影響を受ける。子どもの学歴につい て、ブランド志向の強い親は、ここで一度、反省してみてほしい。あなたは自分の人生を、自分 のものとして、生きているか、と。
●私を知る
子育ては、本能ではなく、学習である。つまり今、あなたがしている子育ては、あなたが親から
学習したものである。だから、ほとんどの親は、こう言う。「頭の中ではわかっているのですが、 ついその場になると、カッとして……」と。そこで大切なことは、あなた自身の中の「私」を知るこ と。一見簡単そうだが、これがむずかしい。ギリシアのターレスもこう言っている。『汝自身を、 知れ』と。哲学の究極の目標にも、なっている。
●成功率(達成率)は50%
子どもが、2回トライして、1回は、うまくいくようにしむける。毎回、成功していたのでは、子ども
も楽しくない。しかし毎回失敗していたのでは、やる気をなくす。だから、その目安は、50%。 その50%を、うまく用意しながら、子どもを誘導していく。そしていつも、何かのレッスンの終わ りには、「ほら、ちゃんとできるじゃ、ない」「すばらしい」と言って、ほめて仕あげる。
●無理、強制
無理(能力を超えた負担)や強制(強引な指導)は、一時的な効果はあっても、それ以上の効
果はない。そればかりか、そのあと、その反動として、子どもは、やる気をなくす。ばあいによっ ては、燃え尽きてしまったり、無気力になったりすることもある。そんなわけで、『伸びたバネ は、必ず縮む』と覚えておくとよい。無理をしても、全体としてみれば、プラスマイナス・ゼロにな るということ。
●条件、比較
「100点取ったら、お小遣いをあげる」「1時間勉強したら、お菓子をあげる」というのが条件。
「A君は、もうカタカナが読めるのよ」「お兄ちゃんが、あんたのときは、学校で一番だったのよ」 というのが、比較ということになる。条件や比較は、子どもからやる気を奪うだけではなく、子ど もの心を卑屈にする。日常化すれば、「私は私」という生き方すらできなくなってしまう。子ども の問題というよりは、親自身の問題として、考えたらよい。(内発的動機づけ)
●方向性は図書館で
どんな子どもにも、方向性がある。その方向性を知りたかったら、子どもを図書館へ連れてい
き、一日、そこで遊ばせてみるとよい。やがて子どもが好んで読む本が、わかってくる。それが その子どもの方向性である。たとえばスポーツの本なら、その子どもは、スポーツに強い関心 をもっていることを示す。その方向性がわかったら、その方向性にそって、子どもを指導し、伸 ばす。
●神経症(心身症)に注意
心が変調してくると、子どもの行動や心に、その前兆症状として、変化が見られるようになる。
「何か、おかしい?」と感じたら、神経症もしくは、心身症を疑ってみる。よく知られた例として は、チック、吃音(どもり)、指しゃぶり、爪かみ、ものいじり、夜尿などがある。日常的に、抑圧 感や欲求不満を覚えると、子どもは、これらの症状を示す。こうした症状が見られたら、(親 は、子どもをなおそうとするが)、まず親自身の育児姿勢と、子育てのあり方を猛省する。
●負担は、少しずつ減らす
子どもが無気力症状を示すと、たいていの親は、あわてる。そしていきなり、負担を、すべて取
り払ってしまう。「おけいこごとは、すべてやめましょう」と。しかしこうした極端な変化は、かえっ て症状を悪化させてしまう。負担は、少しずつ減らす。数週間から、1、2か月をかけて減らす のがよい。そしてその間に、子どもの心のケアに務める。そうすることによって、あとあと、子ど もの立ちなおりが、用意になる。
●荷おろし症候群
何かの目標を達成したとたん、目標を喪失し、無気力状態になることを言う。有名高校や大学
に進学したあとになることが多い。燃え尽き症候群と症状は似ている。一日中、ボーッとしてい るだけ。感情的な反応も少なくなる。地元のS進学高校のばあい、1年生で、10〜15%の子 どもに、そういう症状が見られる(S高校教師談)とのこと。「友人が少なく、人に言われていや いや勉強した子どもに多い」(渋谷昌三氏)と。
●回復は1年単位
一度、無気力状態に襲われると、回復には、1年単位の時間がかかる。(1年でも、短いほうだ
が……。)たいていのばあい、少し回復し始めると、その段階で、親は無理をする。その無理 が、かえって症状を悪化させる。だから、1年単位。「先月とくらべて、症状はどうか?」「去年と くらべて、症状はどうか?」という視点でみる。日々の変化や、週単位の変化に、決して、一喜 一憂しないこと。心の病気というのは、そういうもの。
●前向きの暗示を大切に
子どもには、いつも前向きの暗示を加えていく。「あなたは、明日は、もっとすばらしくなる」「来
年は、もっとすばらしい年になる」と。こうした前向きな暗示が、子どものやる気を引き起こす。 ある家庭には、4人の子どもがいた。しかしどの子も、表情が明るい。その秘訣は、母親にあ った。母親はいつも、こうような言い方をしていた。「ほら、あんたも、お兄ちゃんの服が着られ るようになったわね」と。「明日は、もっといいことがある」という思いが、子どもを前にひっぱっ ていく。
●未来をおどさない
今、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こす子どもがふえている。おとなになることに、ある
種の恐怖感を覚えているためである。兄や姉のはげしい受験勉強を見て、恐怖感を覚えるこ ともある。幼児のときにもっていた、本や雑誌、おもちゃを取り出して、大切そうにそれをもって いるなど。話し方そのものが、幼稚ぽくなることもある。子どもの未来を脅さない。
●子どもを伸ばす、三種の神器
子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。中学
生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と思って、一日を 終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、全国の小学生3 226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸ばすのは、親の義務と、心 得る。
●受験は淡々と
子ども(幼児)の受験は、淡々と。合格することを考えて準備するのではなく、不合格になったと
きのことを考えて、準備する。この時期、一度、それをトラウマにすると、子どもは生涯にわた って、自ら「ダメ人間」のレッテルを張ってしまう。そうなれば、大失敗というもの。だから受験 は、不合格のときを考えながら、準備する。
●比較しない
情報交換はある程度までは必要だが、しかしそれ以上の、深い親どうしの交際は、避ける。で
きれば、必要な情報だけを集めて、交際するとしても、子どもの受験とは関係ない人とする。 「受験」の魔力には、想像以上のものがある。一度、この魔力にとりつかれると、かなり精神的 にタフな人でも、自分で自分を見失ってしまう。気がついたときには、狂乱状態に……というこ とにも、なりかねない。
●「入試」「合格・不合格」は、禁句
子どもの前では、「受験」「入試」「合格」「不合格」「落ちる」「すべる」などの用語を口にするの
は、タブーと思うこと。入試に向かうとしても、子どもに楽しませるようなお膳立ては、必要であ る。「今度、お母さんがお弁当つくってあげるから、いっしょに行きましょうね」とか。またそういう 雰囲気のほうが、子どもも伸び伸びとできる。また結果も、よい。
●入試内容に迎合しない
たまに難しい問題が出ると、親は、それにすぐ迎合しようとする。たとえば前年度で、球根の名
前を聞かれるような問題が出たとする。するとすぐ、親は、「では……」と。しかし大切なことは、 物知りな子どもにすることではなく、深く考える子どもにすることである。わからなかったら、す なおに「わかりません」と言えばよい。試験官にしても、そういうすなおさを、試しているのであ る。
●子どもらしい子ども
子どもは子どもらしい子どもにする。すなおで、明るく、伸びやかで、好奇心が旺盛で、生活力
があって……。すなおというのは、心の状態と、表情が一致している子どもをいう。ねたむ、い じける、すねる、ひねくれるなどの症状のない子どもをいう。そういう子どもを目指し、それでダ メだというのなら、そんな学校は、こちらから蹴とばせばよい。それくらいの気構えは、親には 必要である。
●デマにご用心
受験期になると、とんでもないデマが飛びかう。「今年は、受験者数が多い」「教員と親しくなっ
ておかねば不利」「裏金が必要」などなど。親たちの不安心理が、さらにそうしたデマを増幅さ せる。さらに口から口へと伝わっていく間に、デマ自身も大きくなる。こういうのを心理学の世界 でも、「記憶錯誤」という。子どもよりも、おとなのほうが、しかも不安状態であればあるほど、そ の錯誤が大きくなることが知られている。
●上下意識は、もたない
兄(姉)が上で、弟(妹)が下という、上下意識をもたない。……といっても、日本人からこの意
識を抜くのは、容易なことではない。伝統的に、そういう意識をたたきこまれている。今でも、長 子相続を本気で考えている人は多い。もしあなたがどこか権威主義的なものの考え方をしてい るようなら、まず、それを改める。
●子どもの名前で、子どもを呼ぶ
「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」ではなく、兄でも、姉でも、子ども自身の名前で、子どもを呼ぶ。た
とえば子どもの名前が太郎だったら、「太郎」と呼ぶ。一般的に、たがいに名前で呼びあう兄弟 (姉妹)は、仲がよいと言われている。
●差別しない
長男、長女は、下の子が生まれたときから、恒常的な愛情不足、欲求不満の状態に置かれ
る。親は「平等」というが、長男、長女にしてみれば、平等ということが、不平等なのである。そ ういう前提で、長男(長女)の心理を理解する。つまり長男(長女)のほうが、不平等に対して、 きわめて敏感に反応しやすい。
●嫉妬はタブー
兄弟(姉妹)の間で、嫉妬感情をもたせない。これは子育ての鉄則と考えてよい。嫉妬は、確
実に子どもの心をゆがめる。原始的な感情であるがゆえに、扱い方もむずかしい。この嫉妬 がゆがむと、相手を殺すところまでする。兄弟(姉妹)を別々に扱うときも、たがいに嫉妬させな いようにする。
●たがいを喜ばせる
兄弟を仲よくさせる方法として、「たがいを喜ばせる」がある。たとえばうち1人を買い物に連れ
ていったときでも、「これがあると○○君、喜ぶわね」「△△ちゃん、喜ぶわね」というような買い 与え方をする。いつも相手を喜ばすようにしむける。これはたがいの思いやりの心を育てるた めにも、重要である。
●決して批判しない
子どもどうしの悪口を、決して言わない。聞かない。聞いても、判断しない。たとえば兄に何か
問題があっても、それを絶対に(絶対に)、弟に告げ口してはいけない。告げ口した段階で、あ なたと兄の関係は、壊れる。反対に兄が弟のことで、何か告げ口をしても、あなたは聞くだけ。 決して相づちを打ったり、いっしょになって、兄を批判してはいけない。
●得意面をさらに伸ばす
子どもを伸ばすコツは、得意面をさらに伸ばし、不得意面については、目を閉じること。たとえ
ば受験生でも、得意な英語を伸ばしていると、不得意だった数学も、つられるように伸び始め るということがよくある。「うちの子は、運動が苦手だから、体操教室へ……」という発想は、そ もそも、その発想からしてまちがっている。子どもは(いやがる)→(ますます不得意になる)の 悪循環を繰りかえすようになる。
●悪循環を感じたら、手を引く
子育てをしていて、どこかで悪循環を感じたら、すかさず、その問題から、手を引く。あきらめ
て、忘れる。あるいはほかの面に、関心を移す。「まだ、何とかなる」「そんなハズはない」と親 ががんばればがんばるほど、話が、おかしくなる。深みにはまる。が、それだけではない。一 度、この悪循環に入ると。それまで得意であった分野にまで、悪影響をおよぼすようになる。自 信喪失から、自己否定に走ることもある。
●子どもは、ほめて伸ばす
『叱るときは、陰で。ほめるときは、みなの前で』は、幼児教育の大鉄則。もっとはっきり言え
ば、子どもは、ほめて伸ばす。仮にたどたどしい、読みにくい文字を書いたとしても、「ほほう、 字がじょうずになったね」と。こうした前向きの強化が、子どもを伸ばす。この時期、子どもは、 ややうぬぼれ気味のほうが、あとあと、よく伸びる。「ぼくはできる」「私はすばらしい」という自 信が、子どもを伸ばす原動力になる。
●孤立感と劣等感に注意
家族からの孤立、友だちからの孤立など。子どもが孤立する様子を見せたら、要注意。「ぼく
はダメだ」式の劣等感を見せたときも、要注意。この二つがからむと、子どものものの考え方 は、急速に暗く、ゆがんでくる。外から見ると、「何を考えているかわからない」というようになれ ば、子どもの心は、かなり危険な状態に入ったとみてよい。家庭教育のあり方を、猛省する。
●すなおな子ども
従順で、親の言うことをハイハイと聞く子どもを、すなおな子どもというのではない。幼児教育の
世界で、「すなおな子ども」というときは、心(情意)と、表情が一致している子どもをいう。感情 表出がすなおにできる。うれしいときは、顔満面にその喜びをたたえるなど。反対にその子ども にやさしくしてあげると、そのやさしさが、スーッと子どもの心の中に、しみこんでいく感じがす る。そういう子どもを、すなおな子どもという。
●自己意識を育てる
乳幼児期に、何らかの問題があったとする。しかしそうした問題に直面したとき、大切なこと
は、そうした問題にどう対処するかではなく、どうしたら、こじらせないか、である。たとえばAD HD児にしても、その症状が現れてくると、たいていの親は、混乱状態になる。しかし子どもの 自己意識が育ってくると、子どもは、自らをコントロールするようになる。そして見た目には、症 状はわからなくなる。無理をすれば、症状はこじれる。そして一度、こじれると、その分だけ、立 ちなおりが遅れる。
●まず自分を疑う
子どもに問題があるとわかると、親は、子どもをなおそうとする。しかしそういう視点では、子ど
もは、なおらない。たとえばよくある例は、親の過干渉、過関心で、子どもが萎縮してしまったよ うなばあい。親は「どうしてうちの子は、ハキハキしないのでしょう」と言う。そして子どもに向か っては、「どうしてあなたは、大きな声で返事ができないの!」と叱る。しかし原因は、親自身に ある。それに気づかないかぎり、子どもは、なおらない。
●「やればできるはず」は禁句
たいていの親は、「うちの子は、やればできるはず」と思う。しかしそう思ったら、すかさず、「や
ってここまで」と思いなおす。何がそうかといって、親の過関心、過負担、過剰期待ほど、子ども を苦しめるものはない。それだけではない。かえって子どもの伸びる芽をつんでしまう。そこで 子どもには、こう言う。「あなたは、よくがんばっているわよ。TAKE IT EASY!(気を楽にし てね)」と。
●「子はかすがい」論
たしかに子どもがいることで、夫婦が力を合わせるということはよくある。夫婦のきずなも、そ
れで太くなる。しかしその前提として、夫婦は夫婦でなくてはならない。夫婦関係がこわれかか っているか、あるいはすでにこわれてしまったようなばあいには、子はまさに「足かせ」でしかな い。日本には『子は三界の足かせ』という格言もある。
●「親のうしろ姿」論
生活や子育てで苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では『子は親のうしろ姿を見て
育つ』というが、中には、そのうしろ姿を子どもに見せつける親がいる。「親のうしろ姿は見せ ろ」と説く評論家もいる。しかしうしろ姿など見せるものではない。(見せたくなくても、子どもは 見てしまうかもしれないが、それでもできるだけ見せてはいけない。)恩着せがましい子育て、 お涙ちょうだい式の子育てをする人ほど、このうしろ姿を見せようとする。
●「親の威厳」論
「親は威厳があることこそ大切」と説く人は多い。たしかに「上」の立場にいるものには、居心地
のよい世界かもしれないが、「下」の立場にいるものは、そうではない。その分だけ、上のもの の前では仮面をかぶる。かぶった分だけ、心を閉じる。威厳などというものは、百害あって一 利なし。心をたがいに全幅に開きあってはじめて、「家族」という。「親の権威」などというのは、 封建時代の遺物と考えてよい。
●「育自」論は?
よく、「育児は育自」と説く人がいる。「自分を育てることが育児だ」と。まちがってはいないが、
子育てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、谷を越えてい る間に、いやおうなしに育てられる。育自などしているヒマなどない。もちろん人間として、外の 世界に大きく伸びていくことは大切なことだが、それは本来、子育てとは関係のないこと。子育 てにかこつける必要はない。
●「親孝行」論
安易な孝行論で、子どもをしばってはいけない。いわんや犠牲的、献身的な「孝行」を子どもに
求めてはいけない。強要してはいけない。孝行するかどうかは、あくまでも子どもの問題。子ど もの勝手。親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。たがいにやさしい、思 いやりのある言葉をかけあうことこそ、大切。親が子どものために犠牲になるのも、子どもが 親のために犠牲になるのも、決して美徳ではない。親子は、あくまでも「尊敬する」「尊敬され る」という関係をめざす。
●「産んでいただきました」論
よく、「私は親に産んでいただきました」「育てていただきました」「言葉を教えていただきました」
と言う人がいる。それはその人自身の責任というより、そういうふうに思わせてしまったその人 の周囲の、親たちの責任である。日本人は昔から、こうして恩着せがましい子育てをしながら、 無意識のうちにも、子どもにそう思わせてしまう。いわゆる依存型子育てというのが、それ。
●「水戸黄門」論に注意
日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっているかといって、身
分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度(=巨悪)にどっぷりとつか りながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわからないほどまで、この 権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひれ伏せさせる前に、その 矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪いことをしようとしたら、どん なことでもできる。ご注意!
●「釣りバカ日誌」論
男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。その背景にあるのが、「男は
仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」と。しかしこれこそまさに、世 界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食い(パーティ)をするときは、妻 の同伴が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすということは、ありえない。そんな ことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本 にあるとみる。
●「MSのおふくろさん」論
夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と泣く民族は、世界広しといえども、そうはい
ない。あの歌の中に出てくる母親は、たしかにすばらしい人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘 になれ」とその母親は教えたというが、こうした美化論にはじゅうぶん注意したほうがよい。マザ コン型の人ほど、親を徹底的に美化することで、自分のマザコン性を正当化する傾向がある。
●「かあさんの歌」論
窪田S氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(三行目と四行目)は、かっこ(「」)つきになって
いる。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」「♪おとうは土間で藁打ち仕 事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」と。しかしこれほ ど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。親が子どもに手紙を書くとしたら、「♪村の祭 に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに似合うと思ったから、買っておいたよ」「♪おとうは 居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「♪春になったら、村のみんなと温泉に行ってくる よ」だ。
●「内助の功」論
封建時代の出世主義社会では、『内助の功』という言葉が好んで用いられた。しかしこの言葉
ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう論ずるまでもない。しかし問題 は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いということ。約23%の女性が、「それでい い」と答えている※。決して男性だけの問題ではないようだ。
※……全国家庭動向調査(厚生省98)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と
いう考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。
●子育ては、考えてするものではない
だれしも、「頭の中では、わかっているのですが、ついその場になると……」と言う。子育てとい
うのは、もともと、そういうもの。そこでいつも同じようなパターンで、同じような失敗をするとき は、(1)あなた自身の過去を冷静に見つめてみる。(2)何か(わだかまり)や(こだわり)があれ ば、まず、それに気づく。あとは時間が解決してくれる。
●子育ては、世代連鎖する
子育ては、世代を超えて、親から子へと、よいことも、悪いことも、そのまま連鎖する。またそう
いう部分が、ほとんどだと考えてよい。そういう意味で、「子育ては本能ではなく、学習によるも の」と考える。つまり親は子育てをしながら、実は、自分が受けた子育てを、無意識のうちに繰 りかえしているだけだということになる。そこで重要なことは、悪い子育ては、つぎの世代に、残 さないということ。これを昔の人、『因を断つ』と言った。
●子育ての見本を見せる
子育ての重要な点は、子どもを育てるのではなく、子育てのし方の見本を、子どもに見せると
いうこと。見せるだけでは、足りない。子どもを包む。幸福な家庭というのは、こういうものだ。 夫婦というのは、こういうものだ。家族というのは、こういうものだ、と。そういう(学習)があっ て、子どもは、親になったとき、はじめて、自分で子育てが自然な形でできるようになる。
●子どもには負ける
子どもに、勝とうと思わないこと。つまり親の優位性を見せつけないこと。どうせ相手にしてもし
かたないし、本気で相手にしてはいけない。ときに親は、わざと負けて見せたり、バカなフリをし て、子どもに自信をもたせる。適当なところで、親のほうが、手を引く。「こんなバカな親など、ア テにならないぞ」「頼りにならない」と子どもが思うようになったら、しめたもの。
●子育ては重労働
子育ては、もともと重労働。そういう前提で、考える。自分だけが苦しんでいるとか、おかしいと
か、子どもに問題があるなどと、考えてはいけない。しかしここが重要だがが、そういう(苦し み)をとおして、親は、ただの親から、真の親へと成長する。そのことは、子育てが終わってみ ると、よくわかる。子育ての苦労が、それまで見えなかった、新しい世界を親に見せてくれる。 子育ての終わりには、それがやってくる。どうか、お楽しみに!
●自分の生きザマを!
子育てをしながらも、親は、親で、自分の生きザマを確立する。「あなたはあなたで、勝手に生
きなさい。私は私で、勝手に生きます」と。そういう一歩退いた目が、ともすればギクシャクとし がちな、親子関係に、風を通す。子どもだけを見て、子どもだけが視野にしか入らないというの は、それだけその人の生きザマが、小さいということになる。あなたはあなたで、したいことを、 する。そういう姿が、子どもを伸ばす。
●問題のない子育てはない
子育てをしていると、子育てや子どもにまつわる問題は、つぎからつぎへと、起きてくる。それ
は岸辺に打ち寄せる波のようなもの。問題のない子どもはいないし、したがって、問題のない 子育ては、ない。できのよい子ども(?)をもった親でも、その親なりに、いろいろな問題に、そ のつど、直面する。できが悪ければ(?)、もっと直面する。子育てというのは、もともとそういう もの。そういう前提で、子育てを考える。
●解決プロセスを用意する
英文を読んでいて、意味のわからない単語にぶつかったら、辞書をひく。同じように、子育てで
何かの問題にぶつかったら、どのように解決するか、そのプロセスを、まず、つくっておく。兄弟 や親類に相談するのもよい。親に相談するのも、よい。何かのサークルに属するのもよい。自 分の身にまわりに、そういう相談相手を用意する。が、一番よいのは、自分の子どもより、2、 3歳年上の子どもをもつ、親と緊密になること。「うちもこうでしたよ」というアドバイスをもらっ て、たいていの問題は、その場で解決する。
●動揺しない
株取引のガイドブックを読んでいたら、こんなことが書いてあった。「プロとアマのちがいは、プ
ロは、株価の上下に動揺しないが、アマは、動揺する。だからそのたびに、アマは、大損をす る」と。子育ても、それに似ている。子育てで失敗しやすい親というのは、それだけ動揺しやす い。子どもを、月単位、半年単位で見ることができない。そのつど、動揺し、あわてふためく。こ の親の動揺が、子どもの問題を、こじらせる。
●自分なら……
賢い親は、いつも子育てをしながら、「自分ならどうか?」と、自問する。そうでない親は親意識
だけが強く、「〜〜あるべき」「〜〜であるべきでない」という視点で、子どもをみる。そして自分 の理想や価値観を、子どもに押しつけよとする。そこで子どもに何か問題が起きたら、「私なら どうするか?」「私はどうだったか?」という視点で考える。たとえば子どもに向かって「ウソをつ いてはダメ」と言ったら、「私ならどうか?」と。
●時間を置く
葉というのは、耳に入ってから、脳に届くまで、かなりの時間がかかる。相手が子どもなら、な
おさらである。だから言うべきことは言いながらも、効果はすぐには、求めない。また言ったか らといって、それですぐ、問題が解決するわけでもない。コツは、言うべきことは、淡々と言いな がらも、あとは、時間を待つ。短気な親ほど、ガンガンと子どもを叱ったりするが、子どもはこ わいから、おとなしくしているだけ。反省などしていない。
●叱られじょうずな子どもにしない
親や先生に叱られると、頭をうなだれて、いかにも叱られていますといった、様子を見せる子ど
もがいる。一見、すなおに反省しているかのように見えるが、反省などしていない。こわいから そうしているだけ。もっと言えば、「嵐が通りすぎるのを待っているだけ」。中には、親に叱られ ながら、心の中で歌を歌っていた子どももいた。だから同じ失敗をまた繰りかえす。
●叱っても、人権を踏みにじらない
先生に叱られたりすると、パッとその場で、土下座をしてみせる子どもがいる。いわゆる(叱ら
れじょうずな子ども)とみる。しかしだからといって、反省など、していない。そういう形で、自分 に降りかかってくる、火の粉を最小限にしようとする。子どもを叱ることもあるだろうが、しかし どんなばあいも、最後のところでは、子どもの人権だけは守る。「あなたはダメな子」式の、人 格の「核」攻撃は、してはいけない。
●子どもは、親のマネをする
たいへん口がうまく、うそばかり言っている子どもがいた。しかしやがてその理由がわかった。
母親自身もそうだった。教師の世界には、「口のうまい親ほど、要注意」という、大鉄則があ る。そういう親ほど、一度、敵(?)にまわると、今度は、その数百倍も、教師の悪口を言い出 す。子どもに誠実になってほしかったら、親自身が、誠実な様子を、日常生活の中で見せてお く。
●一事が万事論
あなたは交通信号を、しっかりと守っているだろうか。もしそうなら、それでよし。しかし赤信号
でも、平気で、アクセルを踏むようなら、注意したほうがよい。あなたの子どもも、あなたに劣ら ず、小ズルイ人間になるだけ。つまり親が、小ズルイことをしておきながら、子どもに向かって、 「約束を守りなさい」は、ない。ウソはつかない。約束は守る。ルールには従う。そういう親の姿 勢を見ながら、子どもは、(まじめさ)を身につける。
●代償的過保護に注意
「子どもはかわいい」「私は子どもを愛している」と、豪語する親ほど、本当のところ、愛が何で
あるか、わかっていない。子どもを愛するということは、それほどまでに、重く、深いもの。中に は、子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいと考えている親もいる。これを 代償的過保護という。一見、過保護に見えるが、その基盤に愛情がない。つまりは、愛もどき の愛を、愛と錯覚しているだけ。
●子どもどうしのトラブルは、子どもに任す
子どもの世界で、子どもどうしのトラブルが起きたら、子どもに任す。親の介入は、最小限に。
そういうトラブルをとおして、子どもは、子どもなりの問題解決の技法を身につけていく。親とし てはつらいところだが、1にがまん、2にがまん。親が口を出すのは、そのあとでよい。もちろん 子どものほうから、何かの助けを求めてきたら、そのときは、相談にのってやる。ほどよい親で あることが、よい親の条件。
●許して忘れ、あとはあきらめる
子どもの問題は、許して、忘れる。そしてあとはあきらめる。「うちの子にかぎって……」「そんな
はずはない」「まだ何とかなる」と、親が考えている間は、親に安穏たる日々はやってこない。そ こで「あきらめる」。あきらめると、その先にトンネルの出口を見ることができる。子どもの心に も風が通るようになる。しかしヘタにがんばればがんばるほど、親は、袋小路に入る。子どもも 苦しむ。
●強化の原理
子どもが、何かの行動をしたとする。そのとき、その行動について、何か、よいことが起きたと
する。ほめられるとか、ほうびがもらえるとか。あるいは心地よい感覚に包まれるとか。そういう 何かよいことが起こるたびに、その行動は、ますます強化される。これを「強化の原理」という。 子どもの能力をのばすための大鉄則ということになる。
●弱化の原理
強化の原理に対して、弱化の原理がある。何か、行動をしたとき、つまずいたり、失敗したり、
叱られたりすると、子どもは、やる気をなくしたり、今度は、その行動を避けるようになる。これ を弱化の原理という。子どもにもよるし、ケースにもよるが、一度弱化の原理が働くようになる と、学習効果は、著しく落ちるようになる。
●内面化
子どもは成長とともに、身長がのび、体重が増加する。これを外面化というのに対して、心の
発達を、内面化という。その内面化は、(1)他者との共鳴性(自己中心性からの脱却)、(2)自 己管理能力、(3)良好な人間関係をみるとよい(EQ論)。ほかに道徳規範や倫理観の発達、 社会規範や、善悪の判断力などを、ふくめる。心理学の世界では、こうした発達を総称して、 「しつけ」という。
●子どもの意欲
子どもは、親、とくに母親の意欲を見ながら、自分の意欲を育てる。一般論として、意欲的な母
親の子どもは、意欲的になる。そうでない母親の子どもは、そうでない。ただし、母親が意欲的 過ぎるのも、よくない。昔から、『ハリキリママのションボリ息子』と言われる。とくに子どもに対し ては、ほどよい親であることが望ましい。任すところは子どもに任せ、一歩退きながら、暖かい 無視を繰りかえす。それが子育てのコツということになる。
●ほどよい目標
過負担、過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そればかりではない。自信喪失から、
やる気をなくしてしまうこともある。仮に一時的にうまくいっても、オーバーヒート現象(燃え尽き 症候群、荷卸し症候群)に襲われることもある。子どもにとって重要なことは、達成感。ある程 度がんばったところで、「できた!」という喜びが、子どもを伸ばす。子どもには、ほどよい目標 をもたせるようにする。
●反面教師
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「反面教師」という言葉がある。
だれか、近くの、自分にとっては批判の
対象でしかない人を見ながら、
「自分はそうでありたくない」と
思いつつ、その人を教師にすること
をいう。
しかしその「反面教師」には、
もう1つの「反面」がある。
反面のそのまた反面と言うべきか。
これがこわい。
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「反面教師」という言葉がある。だれか、近くの、あなたにとっては批判の対象でしかない人を
見ながら、「自分はああはなりたくない」と思いつつ、その人を教師にすることをいう。国語大辞 典(講談社)には、つぎのようにある。
「否定的なことを示すことによって、肯定的なものをいっそう、明らかにするのに役立つこと」
と。
しかしその「反面教師」には、もう1つの「反面」(シャドウ)がある。これがこわい。
たとえばあなたの父親が、たいへん権威主義的な人であったとしよう。親風を吹かし、親の権
威をことあるごとに、あなたに押しつけたとしよう。いばっている。あなたが、何か口答えでもし ようものなら、「親に向かって、何だ!」と、怒鳴り散らす。
そういう父親を見ながら、あなたは、「私は、父のようにはなりたくない」「私は、父のようには
ならない」と思ったとする。そして父親が見せる権威主義的な部分を、ことごとく否定したとす る。「私の父は、まちがっている」と。
このばあい、あなたの父親は、あなたに、反面教師として、権威主義の愚かさを教えていること
になる。
しかし反面教師が近くにいる間は、それはそれでよい。あなたは父親に反発しながら、一応、
(自分)というものをもちつづけることができる。
が、その父親がなくなったとする。あるいは、別れて住むようになったとする。つまりその時点
で、あなたは反面教師としての父親を失ったことになる。そのとき、あなたは、多分、こう思うだ ろう。
「長い間、権威主義の愚かさを身近で見てきたから、私は、権威主義者にはならない」と。
ところが、である。反面教師を失った人は、あたかもつっかい棒をなくしたかのように、今度
は、急速に、その反面教師のようになっていく。親子、兄弟、親類のように、親密度が高い人ほ ど、そうなっていく。
なぜか。
あなたは父親という反面教師を批判しながら、その一方で、父親のもつシャドウ(ユング)を引
きついでしまうからである。同じような例は少なくない。
たとえばあなたがAさんのある部分を、「いやだ」「嫌いだ」と思っていたとする。自分では、そ
れに反発しているつもりなのだが、いつの間にか、そのいやな部分、嫌いな部分を、引きつい でしまうことがある。話し方や、しぐさの中に、ふと気がつくと、自分の中にAさんそっくりの部分 があることを知って、驚く。
親子、兄弟、親類であればなおさらである。しかも近くで、いっしょに住んでいれば、さらに強
く、その影響を受ける。
なぜか。
理由は、簡単である。あなたは、たとえば父親を反面教師として批判しながらも、その一方
で、(自分)をつくるということしなかったからである。もっとわかりやすく言うと、これは、批評家 についても言えることだが、批評するだけでは、ものごとは、足りないということ。
批評するならするで、その一方で、「では、どうあるべきか」という答を常に、用意しなければ
ならない。もっと言えば、二階の屋根へあがった人に対して、ハシゴをはずすのは、簡単なこと である。しかしもっと重要なことは、どうすれば二階の屋根にあがった人を、下へおろしてやる ことができるかを考えること。それを忘れると、批評は、ただの批評で終わってしまう。
同じように、ある特定の人、(このばあいは、あなたの父親ということになるが)、その人を反
面教師にするだけでは、足りないということ。
父親の権威主義を批判するならするで、他方で、それにかわる、それ以上に確固たる(主
義)を自分の中でつくらなければならない。それがないと、結局は、自分自身も、その反面教師 のようになってしまう。もしあなたの父親が権威主義的なものの考え方をする人なら、あなた自 身も、いつか、その権威主義的なものの考え方をするようになる。
その危険性はきわめて高い。
が、悲しいことに、本人自身が、それに気づくことは、まず、ない。それに気づくのは、周囲の
人たちである。あるいはひょっとしたら、あなたの子どもかもしれない。いつか、あなたという親 を見ながら、あなたの子どもは、こう言う。
「お父さん、あなたは権威主義者だ!」と。
繰りかえすが、人を批判するのは、簡単なこと。しかし自分の中に、(それ以上のもの)をつく
ることは、むずかしい。もしあなたの近くに、あなたにとって反面教師と言えるような人がいた ら、いつもこのことを念頭に置くとよい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 反面
教師 シャドウ)
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●反面教師
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昨日、反面教師について書いた。
同じようなテーマで書いた原稿があった。
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反面教師という言葉がある。できの悪い教師をもった生徒が、そのできの悪さを見ながらか
えって成長するということをいったものだが、これはそのまま「親」にも当てはまる。
いろいろな親がいたが、その中でもとくに印象に残っているのが、K君(高1)だった。彼は現役
で医学部に推薦入学で入ったほどの能力をもっていたが、あとでK君の家を見て驚いた。家と いっても、駐車場の奥の一室だけ。ベニヤ板で二つに分けただけの部屋だった。しかも母親は いない。父親はアル中で、毎晩のように酒を飲み、ときにはK君に暴力を振るっていたという。
こういう極端な例は少ないとしても、あなたの身のまわりにも、似たような話はあるはずだ。た
とえばH君。彼は中学を卒業するころ、父親とおおげんか。そのまま家出。12年間ほど音信が なかったが、その12年目のこと。一級建築士の免許をとって実家へ帰ってきたという。
大検で高卒の資格をとり、鉄工場に勤めながら免許を取得した。その彼の父親も、とても「親」
と言えるような親ではなかった。もう1人の娘がいたが、娘の貯金通帳を盗み、勝手にお金を 引き出してしまったこともある。
K君もH君も、こうした親をもったがゆえに、それをバネとして前に伸びたわけだが、だからと
いってそういう環境が好ましいということにはならない。第1、皆が皆、伸びるわけではない。失 敗する可能性のほうが、はるかに高い。
それに「教師」と言いながら、反面教師をもったがために、心に大きなキズをのこすこともある。
ふつう不安定な家庭環境に育つと、子どもの情緒は不安定になり、それが転じて、いろいろな 神経症を引き起こすことが知られている。
ひどくなると、それが情緒障害や精神障害になることもある。私も「温かい家庭」へのあこがれ
は強いものの、実際のところそれがどういうものか、よく知らなかった。戦後の混乱期のこと で、私の親にしても食べていくだけで精一杯。家族旅行など、小学6年生になるまで、一度しか なかった。
その上私の父はアル中で、数日おきに酒を飲んで暴れた。そのためか今でも、何か心配ごと
が重なったりすると、極度の不安状態になったりする。しかしこういうことは、本来あってはいけ ない。また子どもにそういうキズをつけてはいけない。たとえそれでその子どもが、俗にいう「立 派な子ども」になったとしても、だ。
もう1つこんな例もある。高校生のとき、古文の教師の声が小さく、聞き取ることができなかっ
た。それで古文の勉強は、自分ですることにした。結果、私はほとんどの古文を全集で読みき るほどまで古文が好きになった。そういう反面教師もいる。
これはあくまでも余談だが……。
●母親論
●母親が一番保守的?
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教育の世界には、いろいろな謎
がある。
これもその1つ。
かなり進歩的な考え方をする親
でも、こと子どもの教育となると
保守的。
どうしてだろう?
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本来、地位や名誉、肩書きとは無縁のはずの、いわゆるステイ・アト・ホーム・ワイフ(専業主
婦)、略してSAHWが、一番保守的というのは、実に皮肉なことだ。
この母親たちが、もっとも肩書きや地位にこだわる。子供向けの同じワークブックでも、4色刷
りの豪華なカバーで、「○○大学××教授監修」と書かれたものほど、よく売れる。中身はほと んど関係ない。中身はほとんど見ない。見ても、ぱっと見た目の編集部分だけ。子どものレベ ルで、子どもの立場で見る母親は、まずいない。たいていの親は、つぎのような基準でワーク ブックを選ぶ。
(1)信用のおける出版社かどうか……大手の出版社なら安心する。
(2)権威はどうか……大学の教授名などがあれば安心する。
(3)見た目の印象はどうか……デザイン、体裁がよいワークブックは子どもにやりやすいと思
う。
(4)レベルはどうか……パラパラとめくってみて、レベルが高ければ高いほど、密度がこけれ
ばこいほど、よいと考える。中にはぎっしりと文字がつまったワークブックほど、割安と考える親 もいる。
しかしこういうことは大手の出版社では、すでにすべて計算ずみ。親たちの心理を知り尽くし
た上で、ワークブックを制作する。が、ここに書いた(1)〜(4)がすべて、ウソであるから恐ろし い。大手の出版社ほど、制作は下請け会社のプロダクションに任す。そしてほとんど内容がで きあがったところで、適当な教授さがしをし、その教授の名前を載せる。
この世界には、肩書きや地位を切り売りしても、みじんも恥じないようなインチキ教授はいくら
でもいる。出版社にしても、ほしいのは、その教授の「力」ではなく、「肩書き」なのだ。
今でもときどき、テカテカの紙で、鉛筆では文字も書けないようなワークブックをときどき見か
ける。また問題がぎっしりとつまっていて、計算はおろか、式すら書けないワークブックも多い。 さらにおとなが考えてもわからないような難解な問題ばかりのワークブックもある。見た目には よいかもしれないが、こういうワークブックを子どもに押しつけて、「うちの子はどうして勉強しな いのかしら」は、ない。
私も長い間、ワークブックの制作にかかわってきたが、結論はひとつ。かなり進歩的と思わ
れる親でも、こと子どもの教育となると、保守的。むしろ進歩的であることを、「そうは言っても ですねエ……」とはねのけてしまう。しかしこの母親たちが変わらないかぎり、日本の教育は変 わらない。
Hiroshi Hayashi+++++++++OCT 06+++++++++++はやし浩司
●父親は母親がつくる
+++++++++++++++++
父親と母親は、高度な次元で平等である。
「高度な」というのは、たがいに高めあって、
という意味である。
子どもの前では、父親、母親の批判、悪口は
タブーと考えてよい。
+++++++++++++++++
こう書くと、すぐ「男尊女卑思想だ」と言う人がいる。しかしもしあなたという読者が、男性な
ら、私は反対のことを書く。
あなたが母親なら、父親をたてる。そして子どもに向かっては、「あなたのお父さんはすばらし
い人よ」「お父さんは私たちのために、仕事を一生懸命にしてくれているのよ」と言う。そういう 語りかけがあってはじめて、子どもは自分の中に父親像をつくることができる。もちろんあなた が父親なら、反対に母親をたてる。「平等」というのは、互いに高次元な立場で認めあうことを いう。まちがっても、互いをけなしてはいけない。中に、こんなことを言う母親がいる。
「あなたのお父さんの稼ぎが悪いから、お母さん(私)は苦労するのよ」とか、「お父さんは会
社で、ただの倉庫番よ」とか。母親としては子どもを自分の味方にしたいがためにそう言うのか もしれないが、言えば言ったで、子どもはやがて親の指示に従わなくなる。
そうでなくてもむずかしいのが、子育て。父親と母親の心がバラバラで、どうして子育てができ
るというのか。こんな子どもがいた。
男を男とも思わないというか、頭から男をバカにしている女の子(小4)だった。M子という名前
だった。相手が男とみると、とたんに、「あんたはダメね」式の言葉をはくのだ。男まさりというよ り、男そのものを軽蔑していた。もちろんおとなの男もである。
そこでそれとなく聞いてみると、母親はある宗教団体の幹部、学校でもPTAの副会長をしてい
た。一方父親は、地元のタクシー会社に勤めていたが、同じ宗教団体の中では、「末端」と呼 ばれるただの信徒だった。どこかぼーっとした、風采のあがらない人だった。そういった関係が そのまま家族の中でも反映されていたらしい。
で、それから20年あまり。その女の子のうわさを聞いたが、何度見合いをしても、結婚には
至らないという。まわりの人の意見では、「Mさんは、きつい人だから」とのこと。私はそれを聞 いて、「なるほど」と思った。「あのMさんに合う夫をさがすのは、むずかしいだろうな」とも。
子どもはあなたという親を見ながら、自分の親像をつくる。だから今、夫婦というのがどういう
ものなのか。父親や母親というのがどういうものなのか、それをはっきりと子どもに示しておか ねばならない。示すだけでは足りない。子どもの心に染み込ませておかねばならない。そういう 意味で、父親は母親をたて、母親は父親をたてる。
●父親論
父親というのは、自分の息子が、いつ自分を超えるか、いつもそれを気にしているものなの
か。私のばあいは、今まで、ずっと、そうだった。
昨日(22日)、久しぶりに、長男と2人だけで、散歩した。往復、10〜12キロは歩いただろう
か。あちこちに寄り道をしたから、もっと歩いたかもしれない。そんなとき、長男が、ふと、「ぼく は、ときどき、ぼくがどこにいるかわからないときがある」と、弱音を吐いた。私は、それを聞い て、親として、率直に、それをわびた。
長男が、そうなったのは、すべて私に原因がある。
私には、満足な父親像すらなかった。父親像がないまま、長男をもうけ、育てた。当時の私や
ワイフを、助けてくれる人は、ひとりもいなかった。無我夢中だった。何がなんだか、わけがわ からないまま、毎日が過ぎていった。長男が、そういう私たちをどんなふうに感じていたか、私 には、知る由もなかった。
私「ぼくは、父に抱かれたことすら、なかった」
長「……」
私「おかしな家庭でね」
長「……」
私「父は、酒を飲んで、暴れてばかりいた」
長「……」と。
私はそういう父をうらんだ。憎んだこともある。しかしやがて、当時の父の苦しみというか、さ
みしさを理解できるようになった。父は父で、必死だった。
直接的には、出征先の台湾で、貫通銃創を受けたことがある。今でいう、PTSD(ストレス障
害)に苦しんでいたのかもしれない。しかしそれ以上に、父自身の子ども時代に、その原因が あった。
私の祖父(銀吾)と、祖母(たま)は、いわゆる(できちゃった婚)だったらしい。祖父には、別
に、結婚を約束していた女性がいた。が、祖父は、根っからの遊び人で、その遊んでいる最中 に、子ども、つまり私の父を、もうけてしまった。
そういう意味では、父は不幸な人だった。祖父は、父が生まれてからも、家には寄りつかず、
ずっと、愛人、つまり元婚約者の家に入りびたりになっていた。そこで幼い父の仕事(?)といえ ば、その愛人の家の近くに行って、その家に向かって石を投げることだったという。
私の祖母が、父にそれをさせていた。
私の父自身が、(父親像)を知らないまま、育った。だから私という息子を、抱くことさえしなか
った。私の母は、「父ちゃんは、結核だったから」とよく言ったが、父が私を抱かなかった理由 は、もうひとつ別にある。それについては、まだ母が健在だから、ここには書けない。
ともかくも、私の祖父から私の父、そして私を経て、私の長男に、その陰が、流れとしてつづ
いている。私は、長い時間をかけて、それを私の長男に話した。
私「お前が、今、苦しんでいるのは、いわゆる基本的不信関係というのだよ。心理学の教科書
にも載っている言葉だから、一度、自分で調べてみるといい」
長「それが、ぼくを苦しめているのか?」
私「そうだよ。だから(自分のしたいこと)と、(していること)が、いつもくいちがってしまう。お前
も、アイデンティティという言葉を聞いたことがあるだろ」
長「ある……」と。
長男は、子どものころから、自分をさらけ出すことができないタイプの子どもだった。いつも
(いい子)でいようとしていた。(いい子)でいることで、自分を支えていた。
私「お前がペルソナ、つまりね、仮面をかぶっているということは、ぼくも、よく知っていた。だか
らあるときから、いろいろ努力はしてみたよ。しかし気がついたときには、手遅れだった」
長「手遅れ?」
私「そうだ。基本的信頼関係ができるかどうかは、0〜2歳期の問題だからね。絶対的な(さら
け出し)と、絶対的な(受け入れ)。この2つが基盤にあって、その上に、親子の信頼関係が生 まれる」
長「……」
私「その時期に、お前は、その(さらけ出し)ができなかった。『絶対的』というのは、『疑いすらも
たない』という意味だよ」
長「じゃあ、ぼくは、どうすればいい? ぼくは、バラバラになったままなのか」
私「いいや。お前も、そろそろそれに気づく年齢になってきた。今までのお前では理解できなか
ったかもしれないが、これからは理解できる」
長「じゃあ、どうすればいい?」
私「自分がそういう人間であることに気づけばいい。あとは、時間が解決してくれる」と。
私も、それに気づいたのは、35歳も過ぎてからだった。それまでの私は、(自)と(己)が、バ
ラバラだった。何をしたいか、何をすべきか、それがわからなかった。自分がどこにいるかさえ わからなかった。
しかし自分の過去を冷静にみることによって、やがて自分というものが、おぼろげながらにも
わかるようになった。私は、それを長男に説明した。
私「それがアイデンティティ、つまりね、自己の同一性ということになるんだよ」
長「ぼくにできるかなあ」
私「できるとも。お前は、まだ30歳だ。ぼくが気づいたときよりも、5年も早い。あとは時間が解
決してくれる。1年とか2年とかでは無理だけど、5年とか10年とかいう年月をかけてね」
長「……」
私「お前はお前であればいい。居なおるんだよ。いい人間に見せようとする必要はない。ある
がままの自分をさらけ出して生きるんだよ」
長「ぼくも、それは感じている。無理をすれば、疲れてしまう」
私「そう。いつか、オレはオレだあって、空に向かって叫べるようになったとき、お前は今の問
題を、空のかなたに向かって、吹き飛ばすことができるよ」
長「パパ、いつか、ぼくも、いい父親になれるだろうか。ぼくは、パパがもっている、流れを、ぼく
の代で断ち切りたい」
私「お前は、いい父親になれるよ。今度は、ぼくがお前のそばについていてやるから。心配す
るな」と。
途中で、何でもカメラを構えて、写真をとった。コスモスが、秋のそよ風に吹かれて、ゆらゆら
と揺れていた。アゼリアも、ダリアも、ゆらゆらと揺れていた。
途中で、「帰ろうか」「うん」と声をかけあうとき、長男は時計をのぞいた。私ものぞいた。1時
間半近くも歩いていた。「何か食べたいか?」と聞くと、長男は、「コンビニのハンバーガーでい い」と答えた。私たちは、白く乾いた大通りに出て、コンビニに足を向けた。
父親というのは、自分の息子が、いつ自分を超えるか、それをいつも気にしているものなの
か。先を歩く長男の背中を見ながら、私は、長男が、すっかり私を超えているのを知った。
++++++++++++++++
信頼関係について書いた原稿を
いくつか添付します。
++++++++++++++++
●信頼関係
たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。
たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、答え てあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことが できる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。
この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。
子どもの世界は、つぎの3つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第1世界という。園や学校での世界。これを第2世界という。そしてそれ以外の、友だちとの 世界。これを第3世界という。
子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第2世界、つづいて第3世界へと、応用していくこと
ができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第2世界、第3世界での信 頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基本と なる。だから「基本的信頼関係」という。
が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ども は、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。こ れを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。
乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第2世界、第3世界においても、良好な人間関 係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。
つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出しても、気に しない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということにな る。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。
●「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
●子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
●きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるというの
は、避ける。
(030422)
●親の不安
●不安なあなたへ
埼玉県に住む、一人の母親(ASさん)から、「子育てが不安でならない」というメールをもらっ
た。「うちの子(小3男児)今、よくない友だちばかりと遊んでいる。何とか引き離したいと思い、 サッカークラブに入れたが、そのクラブにも、またその友だちが、いっしょについてきそうな雰囲 気。『入らないで』とも言えないし、何かにつけて、不安でなりません」と。
子育てに、不安はつきもの。だから、不安になって当たり前。不安でない人など、まずいな
い。が、大切なことは、その不安から逃げないこと。不安は不安として、受け入れてしまう。不 安だったら、大いに不安だと思えばよい。わかりやすく言えば、不安は逃げるものではなく、乗 り越えるもの。あるいはそれとじょうずにつきあう。それを繰りかえしているうちに、心に免疫性 ができてくる。私が最近、経験したことを書く。
横浜に住む、三男が、自動車で、浜松までやってくるという。自動車といっても、軽自動車。
私は「よしなさい」と言ったが、三男は、「だいじょうぶ」と。で、その日は朝から、心配でならなか った。たまたま小雨が降っていたので、「スリップしなければいいが」とか、「事故を起こさなけ ればいいが」と思った。
そういうときというのは、何かにつけて、ものごとを悪いほうにばかり考える。で、ときどき仕事
先から自宅に電話をして、ワイフに、「帰ってきたか?」と聞く。そのつど、ワイフは、「まだよ」と 言う。もう、とっくの昔に着いていてよい時刻である。そう考えたとたん、ザワザワとした胸騒 ぎ。「車なら、3時間で着く。軽だから、やや遅いとしても、4時間か5時間。途中で食事をして も、6時間……」と。
三男は携帯電話をもっているので、その携帯電話に電話しようかとも考えたが、しかし高速
道路を走っている息子に、電話するわけにもいかない。何とも言えない不安。時間だけが、ジ リジリと過ぎる。
で、夕方、もうほとんど真っ暗になったころ、ワイフから電話があった。「E(三男)が、今、着い
たよ」と。朝方、出発して、何と、10時間もかかった! そこで聞くと、「昼ごろ浜松に着いたけ ど、友だちの家に寄ってきた」と。三男は昔から、そういう子どもである。そこで「あぶなくなかっ たか?」と聞くと、「先月は、友だちの車で、北海道を一周してきたから」と。北海度! 一周! ギョッ!
……というようなことがあってから、私は、もう三男のドライブには、心配しなくなった。「勝手
にしろ」という気持ちになった。で、今では、ほとんど毎月のように、三男は、横浜と浜松の間 を、行ったり来たりしている。三男にしてみれば、横浜と浜松の間を往復するのは、私たちがそ こらのスーパーに買い物に行くようなものなのだろう。今では、「何時に出る」とか、「何時に着 く」とか、いちいち聞くこともなくなった。もちろん、そのことで、不安になることもない。
不安になることが悪いのではない。だれしも未知で未経験の世界に入れば、不安になる。こ
の埼玉県の母親のケースで考えてみよう。
その母親は、こう訴えている。
●親から見て、よくない友だちと遊んでいる。
●何とか、その友だちから、自分の子どもを離したい。
●しかしその友だちとは、仲がよい。
●そこで別の世界、つまりサッカークラブに自分の子どもを入れることにした。
●が、その友だちも、サッカークラブに入りそうな雰囲気になってきた。
●そうなれば、サッカークラブに入っても、意味がなくなる。
小学3年といえば、そろそろ親離れする時期でもある。この時期、「○○君と遊んではダメ」と
言うことは、子どもに向かって、「親を取るか、友だちを取るか」の、択一を迫るようなもの。子 どもが親を取ればよし。そうでなければ、親子の間に、大きなキレツを入れることになる。そん なわけで、親が、子どもの友人関係に干渉したり、割って入るようなことは、慎重にしたらよい。
その上での話しだが、この相談のケースで気になるのは、親の不安が、そのまま過関心、過
干渉になっているということ。ふつう親は、子どもの学習面で、過関心、過干渉になりやすい。 子どもが病弱であったりすると、健康面で過関心、過干渉になることもある。で、この母親のば あいは、それが友人関係に向いた。
こういうケースでは、まず親が、子どもに、何を望んでいるかを明確にする。子どもにどうあっ
てほしいのか、どうしてほしいのかを明確にする。その母親は、こうも書いている。「いつも私の 子どもは、子分的で、命令ばかりされているようだ。このままでは、うちの子は、ダメになってし まうのでは……」と。
親としては、リーダー格であってほしいということか。が、ここで誤解してはいけないことは、
今、子分的であるのは、あくまでも結果でしかないということ。子どもが、服従的になるのは、そ もそも服従的になるように、育てられていることが原因と考えてよい。決してその友だちによっ て、服従的になったのではない。それに服従的であるというのは、親から見れば、もの足りない ことかもしれないが、当の本人にとっては、たいへん居心地のよい世界なのである。つまり子ど も自身は、それを楽しんでいる。
そういう状態のとき、その友だちから引き離そうとして、「あの子とは遊んではダメ」式の指示
を与えても意味はない。ないばかりか、強引に引き離そうとすると、子どもは、親の姿勢に反発 するようになる。(また反発するほうが、好ましい。)
……と、ずいぶんと回り道をしたが、さて本題。子育てで親が不安になるのは、しかたないと
しても、その不安感を、子どもにぶつけてはいけない。これは子育ての大鉄則。親にも、できる ことと、できないことがある。またしてよいことと、していけないことがある。そのあたりを、じょう ずに区別できる親が賢い親ということになるし、それができない親は、そうでないということにな る。では、どう考えたらよいのか。いくつか、思いついたままを書いてみる。
●ふつうこそ、最善
朝起きると、そこに子どもがいる。いつもの朝だ。夫は夫で勝手なことをしている。私は私で
勝手なことをしている。そして子どもは子どもで勝手なことをしている。そういう何でもない、ごく ふつうの家庭に、実は、真の喜びが隠されている。
賢明な人は、そのふつうの価値を、なくす前に気づく。そうでない人は、なくしてから気づく。健
康しかり、若い時代しかり。そして子どものよさ、またしかり。
自分の子どもが「ふつうの子」であったら、そのふつうであることを、喜ぶ。感謝する。だれに
感謝するというものではないが、とにかく感謝する。
●ものには二面性
どんなものにも、二面性がある。見方によって、よくも見え、また悪くも見える。とくに「人間」は
そうで、相手がよく見えたり、悪く見えたりするのは、要するに、それはこちら側の問題というこ とになる。こちら側の心のもち方、一つで決まる。イギリスの格言にも、『相手はあなたが相手 を思うように、あなたを思う』というのがある。心理学でも、これを「好意の返報性」という言葉が ある。
基本的には、この世界には、悪い人はいない。いわんや、子どもを、や。一見、悪く見えるの
は、子どもが悪いのではなく、むしろそう見える、こちら側に問題があるということ。価値観の限 定(自分のもっている価値観が最善と決めてかかる)、価値観の押しつけ(他人もそうでなけれ ばならないと思う)など。
ある母親は、長い間、息子(21歳)の引きこもりに悩んでいた。もっとも、その引きこもりが、
3年近くもつづいたので、そのうち、その母親は、自分の子どもが引きこもっていることすら、忘 れてしまった。だから「悩んだ」というのは、正しくないかもしれない。
しかしその息子は、25歳くらいになったときから、少しずつ、外の世界へ出るようになった。
が、実はそのとき、その息子を、外の世界へ誘ってくれたのは、小学時代の「ワルガキ仲間」 だったという。週に2、3度、その息子の部屋へやってきては、いろいろな遊びを教えたらしい。 いっしょにドライブにも行った。その母親はこう言う。「子どものころは、あんな子と遊んでほしく ないと思いましたが、そう思っていた私がまちがっていました」と。
一つの方向から見ると問題のある子どもでも、別の方向から見ると、まったく別の子どもに見
えることは、よくある。自分の子どもにせよ、相手の子どもにせよ、何か問題が起き、その問題 が袋小路に入ったら、そういうときは、思い切って、視点を変えてみる。とたん、問題が解決す るのみならず、その子どもがすばらしい子どもに見えてくる。
●自然体で
とくに子どもの世界では、今、子どもがそうであることには、それなりの理由があるとみてよ
い。またそれだけの必然性があるということ。どんなに、おかしく見えるようなことでも、だ。たと えば指しゃぶりにしても、一見、ムダに見える行為かもしれないが、子ども自身は、指しゃぶり をしながら、自分の情緒を安定させている。
そういう意味では、子どもの行動には、ムダがない。ちょうど自然界に、ムダなものがないの
と同じようにである。そのためおとなの考えだけで、ムダと判断し、それを命令したり、禁止した りしてはいけない。
この相談のケースでも、「よくない友だち」と親は思うかもしれないが、子ども自身は、そういう
友だちとの交際を求めている。楽しんでいる。もちろんその子どものまわりには、あくまでも親 の目から見ての話だが、「好ましい友だち」もいるかもしれない。しかし、そういう友だちを、子 ども自身は、求めていない。居心地が、かえって悪いからだ。
子どもは子ども自身の「流れ」の中で、自分の世界を形づくっていく。今のあなたがそうである
ように、子ども自身も、今の子どもを形づくっていく。それは大きな流れのようなもので、たとえ 親でも、その流れに対しては、無力でしかない。もしそれがわからなければ、あなた自身のこと で考えてみればよい。
もしあなたの親が、「○○さんとは、つきあってはだめ」「△△さんと、つきあいなさい」と、いち
いち言ってきたら、あなたはそれに従うだろうか。……あるいはあなたが子どものころ、あなた はそれに従っただろうか。答は、ノーのはずである。
●自分の価値観を疑う
常に親は、子どもの前では、謙虚でなければならない。が、悪玉親意識の強い親、権威主義
の親、さらには、子どもをモノとか財産のように思う、モノ意識の強い親ほど、子育てが、どこか 押しつけ的になる。
「悪玉親意識」というのは、つまりは親風を吹かすこと。「私は親だ」という意識ばかりが強く、
このタイプの親は、子どもに向かっては、「産んでやった」「育ててやった」と恩を着せやすい。 何か子どもが口答えしたりすると、「何よ、親に向かって!」と言いやすい。
権威主義というのは、「親は絶対」と、親自身が思っていることをいう。
またモノ意識の強い人とは、独特の話しかたをする。結婚して横浜に住んでいる息子(30
歳)について、こう言った母親(50歳)がいた。「息子は、嫁に取られてしまいました。親なんて さみしいもんですわ」と。その母親は、息子が、結婚して、横浜に住んでいることを、「嫁に取ら れた」というのだ。
子どもには、子どもの世界がある。その世界に、謙虚な親を、賢い親という。つまりは、子ど
もを、どこまで一人の対等な人間として認めるかという、その度量の深さの問題ということにな る。あなたの子どもは、あなたから生まれるが、決して、あなたの奴隷でも、モノでもない。「親 子」というワクを超えた、一人の人間である。
●価値観の衝突に注意
子育てでこわいのは、親の価値観の押しつけ。その価値観には、宗教性がある。だから親子
でも、価値観が対立すると、その関係は、決定的なほどまでに、破壊される。私もそれまでは 母を疑ったことはなかった。しかし私が「幼児教育の道を進む」と、はじめて母に話したとき、母 は、電話口の向こうで、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と泣き崩れてしまった。私が23 歳のときだった。
しかしそれは母の価値観でしかなかった。母にとっての「ふつうの人生」とは、よい大学を出
て、よい会社に入社して……という人生だった。しかし私は、母のその一言で、絶望の底にた たき落とされてしまった。そのあと、私は、10年ほど、高校や大学の同窓会でも、自分の職業 をみなに、話すことができなかった。
●生きる源流に
子育てで行きづまりを感じたら、生きる源流に視点を置く。「私は生きている」「子どもは生き
ている」と。そういう視点から見ると、すべての問題は解決する。
若い父親や母親に、こんなことを言ってもわかってもらえそうにないが、しかしこれは事実で
ある。「生きている源流」から、子どもの世界を見ると、よい高校とか、大学とか、さらにはよい 仕事というのが、実にささいなことに思えてくる。それはゲームの世界に似ている。「うちの子 は、おかげで、S高校に入りました」と喜んでいる親は、ちょうどゲームをしながら、「エメラルド タウンで、一〇〇〇点、ゲット!」と叫んでいる子どものようなもの。あるいは、どこがどう違うの というのか。(だからといって、それがムダといっているのではない。そういうドラマに人生のお もしろさがある。)
私たちはもっと、すなおに、そして正直に、「生きていること」そのものを、喜んだらよい。また
そこを原点にして考えたらよい。今、親であるあなたも、5、60年先には、この世界から消えて なくなる。子どもだって、100年先には消えてなくなる。そういう人間どうしが、今、いっしょに、 ここに生きている。そのすばらしさを実感したとき、あなたは子育てにまつわる、あらゆる問題 から、解放される。
●子どもを信ずる
子どもを信ずることができない親は、それだけわがままな親と考えてよい。が、それだけでは
すまない。親の不信感は、さまざまな形で、子どもの心を卑屈にする。理由がある。
「私はすばらしい子どもだ」「私は伸びている」という自信が、子どもを前向きに伸ばす。しかし
その子どものすぐそばにいて、子どもの支えにならなければならない親が、「あなたはダメな子 だ」「心配な子だ」と言いつづけたら、その子どもは、どうなるだろうか。子どもは自己不信か ら、自我(私は私だという自己意識)の形成そのものさえできなくなってしまう。へたをすれば、 一生、ナヨナヨとしたハキのない人間になってしまう。
【ASさんへ】
メール、ありがとうございました。全体の雰囲気からして、つまりいただいたメールの内容は別
として、私が感じたことは、まず疑うべきは、あなたの基本的不信関係と、不安の根底にある、 「わだかまり」ではないかということです。
ひょっとしたら、あなたは子どもを信じていないのではないかということです。どこか心配先行
型、不安先行型の子育てをなさっておられるように思います。そしてその原因は何かといえ ば、子どもの出産、さらにはそこにいたるまでの結婚について、おおきな(わだかまり)があった ことが考えられます。あるいはその原因は、さらに、あなた自身の幼児期、少女期にあるので はないかと思われます。
こう書くと、あなたにとってはたいへんショックかもしれませんが、あえて言います。あなた自
身が、ひょっとしたら、あなたが子どものころ、あなたの親から信頼されていなかった可能性が あります。つまりあなた自身が、(とくに母親との関係で)、基本的信頼関係を結ぶことができな かったことが考えられるということです。
いうまでもなく基本的信頼関係は、(さらけ出し)→(絶対的な安心感)というステップを経て、
形成されます。子どもの側からみて、「どんなことを言っても、またしても許される」という絶対的 な安心感が、子どもの心をはぐくみます。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味 です。
これは一般論ですが、母子の間で、基本的信頼関係の形成に失敗した子どもは、そのあと、
園や学校の先生との信頼関係、さらには友人との信頼関係を、うまく結べなくなります。どこか いい子ぶったり、無理をしたりするようになったりします。自分をさらけ出すことができないから です。さらに、結婚してからも、夫や妻との信頼関係、うまく結べなくなることもあります。自分の 子どもすら、信ずることができなくなることも珍しくありません。(だから心理学では、あらゆる信 頼関係の基本になるという意味で、「基本的」という言葉を使います。)具体的には、夫や子ど もに対して疑い深くなったり、その分、心配過剰になったり、基底不安を感じたりしやすくなりま す。子どもへの不信感も、その一つというわけです。
あくまでもこれは一つの可能性としての話ですが、あなた自身が、「心(精神的)」という意味
で、それほど恵まれた環境で育てられなかったということが考えられます。経済的にどうこうと いうのではありません。「心」という意味で、です。あなたは子どものころ、親に対して、全幅に 心を開いていましたか。あるいは開くことができましたか。もしそうなら、「恵まれた環境」という ことになります。そうでなければ、そうでない。
しかしだからといって、過去をうらんではいけません。だれしも、多かれ少なかれ、こうした問
題をかかえているものです。そういう意味では、日本は、まだまだ後進国というか、こと子育て については黎明(れいめい)期の国ということになります。
では、どうするかですが、この問題だけは、まず冷静に自分を見つめるところから、始めま
す。自分自身に気づくということです。ジークムント・フロイトの精神分析も、同じような手法を用 います。
まず、自分の心の中をのぞくということです。わかりやすく言えば、自分の中の過去を知るとい
うことです。まずいのは、そういう過去があるということではなく、そういう過去に気づかないま ま、その過去に振りまわされることです。そして結果として、自分でもどうしてそういうことをする のかわからないまま、同じ失敗を繰りかえすことです。
しかしそれに気づけば、この問題は、何でもありません。そのあと少し時間はかかりますが、
やがて問題は解決します。解決しないまでも、じょうずにつきあえるようになります。
さらに具体的に考えてみましょう。
あなたは多分、子どもを妊娠したときから、不安だったのではないでしょうか。あるいはさら
に、結婚したときから、不安だったのではないでしょうか。さらに、少女期から青年期にかけて、 不安だったのではないでしょうか。おとなになることについて、です。
こういう不安感を、「基底不安」と言います。あらゆる日常的な場面が、不安の上に成りたっ
ているという意味です。一見、子育てだけの問題に見えますが、「根」は、ひょっとしたら、あな たが考えているより、深いということです。
そこで相手の子どもについて考えてみます。あなたが相手の子どもを嫌っているのは、本当
にあなたの子どものためだけでしょうか。ひょっとしたら、あなた自身がその子どもを嫌ってい るのではないでしょうか。つまりあなたの目から見た、好き・嫌いで、相手の子どもを判断して いるのではないかということです。
このとき注意しなければならないのは、(1)許容の範囲と、(2)好意の返報性の二つです。
(1)許容の範囲というのは、(好き・嫌い)の範囲のことをいいます。この範囲が狭ければせ
まいほど、好きな人が減り、一方、嫌いな人がふえるということになります。これは私の経験で すが、私の立場では、この許容の範囲が、ふつうの人以上に、広くなければなりません。(当然 ですが……。)子どもを生徒としてみたとき、いちいち好き、嫌いと言っていたのでは、仕事そ のものが成りたたなくなります。ですから原則としては、初対面のときから、その子どもを好き になります。
といっても、こうした能力は、いつの間にか、自然に身についたものです。が、しかしこれだけ
は言えます。嫌わなければならないような悪い子どもは、いないということです。とくに幼児につ いては、そうです。私は、そういう子どもに出会ったことがありません。ですからASさんも、一 度、その相手の子どもが、本当にあなたの子どもにとって、ふさわしくない子どもかどうか、一 度、冷静に判断してみたらどうでしょうか。しかしその前にもう一つ大切なことは、あなたの子ど も自身は、どうかということです。
子どもの世界にかぎらず、およそ人間がつくる関係は、なるべくしてなるもの。なるようにしか
ならない。それはちょうど、風が吹いて、その風が、あちこちで吹きだまりを作るようなもので す。(吹きだまりというのも、失礼な言い方かもしれませんが……。)今の関係が、今の関係と いうわけです。
だからあなたからみて、あなたの子どもが、好ましくない友だちとつきあっているとしても、そ
れはあなたの子ども自身が、なるべくしてそうなったと考えます。親としてある程度は干渉でき ても、それはあくまでも「ある程度」。これから先、同じようなことは、繰りかえし起きてきます。 たとえば最終的には、あなたの子どもの結婚相手を選ぶようなとき、など。
しかし問題は、子どもがどんな友だちを選ぶかではなく、あなたがそれを受け入れるかどうか
ということです。いくらあなたが気に入らないからといっても、あなたにはそれに反対する権利 はありません。たとえ親でも、です。同じように、あなたの子どもが、どんな友だちを選んだとし ても、またどんな夫や妻を選んだとしても、それは子どもの問題ということです。
しかしご心配なく。あなたが子どもを信じているかぎり、あなたの子どもは自分で考え、判断し
て、あなたからみて好ましい友だちを、自ら選んでいきます。だから今は、信ずるのです。「うち の子は、すばらしい子どもだ。ふさわしくない子どもとは、つきあうはずはない」と考えのです。
そこで出てくるのが、(2)好意の返報性です。あなたが相手の子どもを、よい子と思っている
と、相手の子どもも、あなたのことをよい人だと思うもの。しかしあなたが悪い子どもだと思って いると、相手の子どもも、あなたのことを悪い人だと思っているもの。そしてあなたの前で、自 分の悪い部分だけを見せるようになります。そして結果として、たいがいの人間関係は、ますま す悪くなっていきます。
話はぐんと先のことになりますが、今、嫁と姑(しゅうとめ)の間で、壮絶な家庭内バトルを繰り
かえしている人は、いくらでもいます。私の近辺でも、いくつか起きています。こうした例をみて みてわかることは、その関係は、最初の、第一印象で決まるということです。とくに、姑が嫁に もつ、第一印象が重要です。
最初に、その女性を、「よい嫁だ」と姑が思い、「息子はいい嫁さんと結婚した」と思うと、何か
につけて、あとはうまくいきます。よい嫁と思われた嫁は、その期待に答えようと、ますますよい 嫁になっていきます。そして姑は、ますますよい嫁だと思うようになる。こうした相乗効果が、た がいの人間関係をよくしていきます。
そこで相手の子どもですが、あなたは、その子どもを「悪い子」と決めてかかっていません
か。もしそうなら、それはその子どもの問題というよりは、あなた自身の問題ということになりま す。「悪い子」と思えば思うほど、悪い面ばかりが気になります。そしてあなたは悪くない面ま で、必要以上に悪く見てしまいます。それだけではありません。その子どもは、あえて自分の悪 い面だけを、あなたに見せようとします。子どもというのは、不思議なもので、自分をよい子だと 信じてくれる人の前では、自分のよい面だけを見せようとします。
あなたから見れば、何かと納得がいかないことも多いでしょうが、しかしこんなことも言えま
す。一般論として、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)を経験しておくことは、 それほど悪いことではないということです。あとあと常識豊かな人間になることが知られていま す。ですから子どもを、ある程度、俗世間にさらすことも、必要といえば必要なのです。むしろま ずいのは、無菌状態のまま、おとなにすることです。子どものときは、優等生で終わるかもしれ ませんが、おとなになったとき、社会に同化できず、さまざまな問題を引き起こすようになりま す。
もうすでにSAさんは、親としてやるべきことをじゅうぶんしておられます。ですからこれからの
ことは、子どもの選択に任すしか、ありません。これから先、同じようなことは、何度も起きてき ます。今が、その第一歩と考えてください。思うようにならないのが子ども。そして子育て。そう いう前提で考えることです。あなたが設計図を描き、その設計図に子どもをあてはめようとすれ ばするほど、あなたの子どもは、ますますあなたの設計図から離れていきます。そして「まだ前 の友だちのほうがよかった……」というようなことを繰りかえしながら、もっとひどい(?)友だち とつきあうようになります。
今が最悪ではなく、もっと最悪があるということです。私はこれを、「二番底」とか「三番底」と
か呼んでいます。ですから私があなたなら、こうします。
(7)相手の子どもを、あなたの子どもの前で、積極的にほめます。「あの子は、おもしろい子
ね」「あの子のこと、好きよ」と。そして「あの子に、このお菓子をもっていってあげてね。きっと 喜ぶわよ」と。こうしてあなたの子どもを介して、相手の子どもをコントロールします。
(8)あなたの子どもを信じます。「あなたの選んだ友だちだから、いい子に決まっているわ」「あ
なたのことだから、おかしな友だちはいないわ」「お母さん、うれしいわ」と。これから先、子ども はあなたの見えないところでも、友だちをつくります。そういうとき子どもは、あなたの信頼をど こかで感ずることによって、自分の行動にブレーキをかけるようになります。「親の信頼を裏切 りたくない」という思いが、行動を自制するということです。
(9)「まあ、うちの子は、こんなもの」と、あきらめます。子どもの世界には、『あきらめは、悟り
の境地』という、大鉄則があります。あきらめることを恐れてはいけません。子どもというのは不 思議なもので、親ががんばればがんばるほど、表情が暗くなります。伸びも、そこで止まりま す。しかし親があきらめたとたん、表情も明るくなり、伸び始めます。「まだ何とかなる」「こんな はずではない」と、もしあなたが思っているなら、「このあたりが限界」「まあ、うちの子はうちの 子なりに、よくがんばっているほうだ」と思いなおすようにします。
以上ですが、参考になったでしょうか。ストレートに書いたため、お気にさわったところもある
かもしれませんが、もしそうなら、どうかお許しください。ここに書いたことについて、また何か、 わからないところがあれば、メールをください。今日は、これで失礼します。
(030516)
●基底不安
【私論】
++++++++++++++++
3年前に書いた原稿を読みなおす。
「私」とは何か、もう一度、それに
ついて、書いてみたい。
++++++++++++++++
●基底不安
家庭という形が、まだない時代だった。少なくとも、戦後生まれの私には、そうだった。今でこ
そ、「家族旅行」などいうのは、当たり前の言葉になったが、私の時代には、それすらなかっ た。記憶にあるかぎり、私の家族がいっしょに旅行にでかけたのは、ただの一度だけ。伊勢参 りがそれだった。が、その伊勢参りにしても、夕方になって父が酒を飲んで暴れたため、私た ちは夜中に、家に帰ってきてしまった。
私はそんなわけで、子どものころから、温かい家庭に飢えていた。同時に、家にいても、いつ
も不安でならなかった。自分の落ちつく場所(部屋)すら、なかった。
……ということで、私は、どこかふつうでない幼児期、少年期を過ごすことになった。たとえば
私は、父に、ただの一度も抱かれたことがない。母が抱かせなかった。父が結核をわずらって いたこともある。しかしそれ以上に、父と母の関係は、完全に冷えていた。そんな私だが、かろ うじてゆがまなかった(?)のは、祖父母と同居していたからにほかならない。祖父が私にとっ ては、父親がわりのようなところがあった。
心理学の世界には、「基底不安」という言葉がある。生まれながらにして、不安が基底になっ
ていて、そのためさまざまな症状を示すことをいう。絶対的な安心感があって、子どもの心とい うのは、はぐくまれる。しかし何らかの理由で、その安心感がゆらぐと、それ以後、「不安」が基 本になった生活態度になる。たとえば心を開くことができなくなる、人との信頼関係が結べなく なる、など。私のばあいも、そうだった。
●ウソつきだった私
よく私は子どものころ、「浩司は、商人の子だからな」と、言われた。つまり私は、そう言われ
るほど、愛想がよかった。その場で波長をあわせ、相手に応じて、自分を変えることができた。 「よく気がつく子だ」「おもしろい子だ」と言われたのを、記憶のどこかで覚えている。笑わせじょ うずで、口も達者だった。当然、ウソもよくついた。
もともと商人は、ウソのかたまりと思ってよい。とくに私の郷里のM市は、大阪商人の影響を
強く受けた土地柄である。ものの売買でも、「値段」など、あってないようなもの。たがいのかけ 引きで、値段が決まった。
客「これ、いくらになる?」
店「そうですね、いつも世話になっているから、一〇〇〇円でどう?」
客「じゃあ、二つで、一五〇〇円でどう?」
店「きついねえ。二つで、一八〇〇円。まあ、いいでしょう。それでうちも仕入れ値だよ」と。
実際には、仕入れ値は、五〇〇円。二個売って、八〇〇円のもうけとなる。こうしたかけ引き
は、日常茶飯事というより、すべてがその「かけ引き」の中で動いていた。商売だけではなく、 近所づきあい、親戚づきあい、そして親子関係も、である。
もっとも、私がそういう「ウソの体質」に気づいたのは、郷里のM市を離れてからのことであ
る。学生時代を過ごした金沢でも、そして留学時代を過ごしたオーストラリアでも、この種のウ ソは、まったく通用しなかった。通用しないばかりか、それによって、私はみなに、嫌われた。
さらに、この浜松でも、そうだ。距離にして、郷里から、数百キロしか離れていないのに、たとえ
ばこの浜松では、「かけ引き」というのをまったくしない。この浜松に住んで、三〇年以上になる が、私は、客が店先で値段のかけ引きをしているのを、見たことがない。
私はウソつきだった。それはまさに病的なウソつきと言ってもよい。私は自分を飾り、相手を
楽しませるために、よくウソをついた。しかし誤解しないでほしいのは、決して相手をだますた めにウソをついたのではないということ。金銭関係にしても、私は生涯において、モノやお金を 借りたことは、ただの一度もない。いや、一度だけ、一〇円玉を借りたが、それは緊急の電話 代だった。
●防衛機制
こうした心理状態を、「防衛機制」といってよいのかどうかは知らない。自分の身のまわりに、
自分にとって居心地のよい世界をつくり、その結果として、自分の心を防衛する。自分の心が 崩壊するのを防ぐ。私によく似た例としては、施設児がいる。生後まもなくから施設などに預け られ、親子の相互愛着に欠けた子どもをいう。このタイプの子どもも、愛想がよくなることが知 られている。
一方、親の愛情をたっぷりと受けて育ったような子どもは、どこかどっしりとしていて、態度が
大きい。ふてぶてしい。これは犬もそうで、愛犬家のもとで、ていねいに育てられたような犬は、 番犬になる。しかしそうでない犬は、だれにでもシッポを振り、番犬にならない。私は、そういう 意味では、番犬にならない人間だった。
ほかに私の特徴としては、子どものころから、忠誠心がほとんどないことがある。その場、そ
の場で、相手に合わせてしまうため、結果として、ほかのだれかを裏切ることになる。そのとき は気づかなかったが、今から思い出すと、そういう場面は、よくあった。だから学生時代、ある 時期、あのヤクザの世界に、あこがれたのを覚えている。映画の中で、義理だ、人情だなどと 言っているのを見たとき、自分にない感覚であっただけに、新鮮な感じがした。
が、もっとも大きな特徴は、そういう自分でありながら、決して、他人には、心を許さなかった
ということ。表面的には、ヘラヘラと、ときにはセカセカとうまくつきあうことはできたが、その 実、いつも相手を疑っていた。そのため、相手と、信頼関係を結ぶことができなかった。いつも 心のどこかで、「損得」を考えて行動していた。しかしこのことも、当時の私が、知る由もないこ とであった。私は、自分のそういう面を、母を通して、知った。
●母の影響
私の母も、よくウソをついた。(ウソといっても、繰りかえすが、他人をだますためのウソでは
ない。誤解のないように!)で、ある日、私の中に「ウソの体質」があるのは、母の影響だという ことがわかった。が、それだけではなかった。私の母は、私という息子にさえ、心を開くことをし ない。詳しくは書けないが、八〇歳をすぎた今でも、私やワイフの前で、自分を飾り、自分をご まかしている。そういう母を見たとき、母が、以前の私そっくりなのを知った。つまりそういう母を 通して、過去の自分を知った。
が、そういう私という夫をもつことで、一番苦しんだのは、私のワイフである。私たちは、何と
なく結婚したという、そういうような結婚のし方をした。まさにハプニング的な結婚という感じであ る。電撃に打たれるような衝撃を感じて結婚したというのではない。そのためか、私たちは、当 初から、夫婦というよりは、どこか友だち的な夫婦だった。いつもいっしょにいた。いっしょに行 動した。
そういうこともあって、私は、ワイフと、夫婦でありながら、信頼関係をつくることができなかっ
た。「この女性が、私のそばにいるのは、私がお金を稼ぐからだ」「この女性は、もし私に生活 力がなければ、いつでも私から去っていくだろう」と、そんなふうに考えていた。同時に、私は嫉 妬(しっと)深く、猜疑心(さいぎしん)が強かった。町内会の男たちとワイフが、親しげに話して いるのを見ただけで、頭にカーッと血がのぼるのを感じたこともある。
まるで他人のような夫婦。当時を振りかえってみると、そんな感じもする。それだけに皮肉な
ことだが、新鮮といえば、新鮮な感じがした。おかげで、結婚後、五年たっても、一〇年たって も、新婚当初のままのような夫婦生活をつづけることができた。これは男女のどういう心理によ るものかは知らないが、事実、そうであった。
が、そういう自分に気づくときがやってきた。私は幸運(?)にも、幼児教育を一方でしてき
た。その流れの中で、子どもの心理を勉強するようになった。私はいつしか、自分の子ども時 代によく似ている子どもを、さがすようになった。と、言っても、これは決して、簡単なことではな い。
●自分をさがす
「自分を知る」……これは、たいへんむずかしいことである。何か特別な事情でもないかぎ
り、実際には、不可能ではないか。どの人も、自分のことを知っているつもりで、実は知らな い。私はここで「自分の子ども時代によく似ている子ども」と書いたが、本当のところ、それはわ からない。無数の子どもの中から、「そうではないか?」と思う子どもを選び、さらにその子ども の中から共通点をさがしだし、つぎの子どもを求めていく……。こうした作業を、これまた無数 に繰りかえす。
手がかりがないわけではない。
私は毎日、真っ暗になるまで、外で遊んでいた。
私は毎日、家には、まっすぐ帰らなかった。
私は休みごとに、母の実家のある、I村に行くのが何よりも楽しみだった。
こうした事実から、私は、帰宅拒否児であったことがわかる。
私は泣くと、いつもそのあとシャックリをしていた。
静かな議論が苦手で、喧嘩(けんか)になると、すぐ興奮状態になった。
私は喧嘩をすると、相手の家の奥までおいかけていって、相手をたたいた。
こうした事実から、私は、かんしゃく発作のもち主か、興奮性の強い子どもであったことがわ
かる。
私はいつも母のフトンか、祖父母のフトンの中にもぐりこんで寝ていた。
町内の旅行先で、母のうしろ姿を追いかけていたのを覚えている。
従兄弟(いとこ)たちと寝るときも、こわくてひとりで、寝られなかった。
こうした事実から、私は分離不安のもち主だったことがわかる。
……こうした事実を積み重ねながら、「自分」を発見する。そしてそうした「自分」に似た子ども
をさがす。そしてそういう子どもがいたら、なぜ、その子どもがそうなったかを、さぐってみる。印 象に残っている子ども(年長男児)に、T君という男の子がいた。
●T君
T君は、いつも祖母につられて、私の教室にやってきた。どこかの病院では、自閉症と診断さ
れたというが、私はそうではないと思った。こきざみな多動性はあったが、それは家庭不和など からくる、落ち着きなさであった。脳の機能障害によるものなら、たとえばADHD児であれば、 子どもの気分で、静かになったり、あるいはおとなしくなったりはしない。T君は、私がうまくのせ ると、ほかの子どもたちと同じように、ゲラゲラと笑ったり、あるいは気が向くと、静かにプリント 学習に取りくんだりした。
そのT君の祖母からいつも、こんなことを言われていた。「母親が会いにきても、絶対に会わ
せないでほしい」と。その少し前、T君の両親は、離婚していた。が、その日が、やってきた。
まずT君の母親の姉がやってきて、こう言った。「妹(T君の母親)に、授業を参観させてほし
い」と。私は祖母との約束があったので、それを断った。断りながら、姉を廊下のほうへ、押し 出した。私はそこにT君の母親が泣き崩れてかがんでいるのを見た。私はつらかったが、どう しようもなかった。T君が母親の姿を見たら、T君は、もっと動揺しただろう。そのころ、T君は、 やっと静かな落ち着きを取りもどしつつあった。
T君が病院で、自閉症と誤診されたのは、T君に、それらしい症状がいくつかあったことによ
る。決して病院を責めているのではない。短時間で、正確な診断をすることは、むずかしい。こ うした心の問題は、長い時間をかけて、子どもの様子を観察しながら診断するのがよい。しか し一方、私には、その診断する権限がない。診断名を口にすることすら、許されない。私はT君 の祖母には、「自閉症ではないと思います」ということしか、言えなかった。
●T君の中の私
T君は、暴力的行為を、極度に恐れた。私は、よくしゃもじをもって、子どもたちのまわりを歩
く。背中のまがっている子どもを、ピタンとたたくためである。決して痛くはないし、体罰という体 罰でもない。
しかしT君は、私がそのしゃもじをもちあげただけで、おびえた。そのおびえ方が、異常だっ
た。私がしゃもじをもっただけで、体を震わせ、興奮状態になった。そして私から体をそらし、手 をバタつかせた。私が「T君、君はいい子だから、たたかないよ。心配しなくてもいいよ」となだ めても、状態は同じだった。一度、そうなると、手がつかられない。私はしゃもじを手から離し、 それをT君から見えないところに隠した。
こういうのを「恐怖症」という。私は、T君を観察しながら、私にも、似たような恐怖症があるの
を知った。
私は子どものころ、夕日が嫌いだった。赤い夕日を見ると、こわかった。
私は子どものころ、酒のにおいが嫌いだった。酒臭い、小便も嫌いだった。
私は毎晩、父の暴力を恐れていた。
私の父は、私が五歳くらいになるころから、アルコール中毒になり、数晩おきに近くの酒屋で
酒を飲んできては、暴れた。ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと、人が変わった。そして 食卓のある部屋で暴れたり、大声で叫びながら、近所を歩きまわったりした。私と姉は、その たびに、家の中を逃げまわった。
●フラシュバック
そんなわけで今でも、ときどき、あのころの恐怖が、もどってくることがある。一度、とくに強烈
に覚えているのは、私が六歳のときではなかったかと思う。姉もその夜のことをよく覚えてい て、「浩ちゃん、あれは、あんたが六歳のときよ」と教えてくれた。
私は父の暴力を恐れて、二階の一番奥にある、物干し台に姉と二人で隠れた。そこへ母が
逃げてきた。が、階下から父が、「T子(=母の名)! T子!」と呼ぶ声がしたとき、母だけ、別 のところへ逃げてしまった。
そこには私と姉だけになってしまった。私は姉に抱かれると、「姉ちゃん、こわいよ、姉ちゃ
ん、こわいよ」と声を震わせた。
やがて父は私たちが隠れている隣の部屋までやってきた。そして怒鳴り散らしながら、また
別の部屋に行き、また戻ってきた。怒鳴り声と、はげしい足音。そしてそのつど、バリバリと家 具をこわす音。私は声をあげることもできず、声を震わせて泣いた……。
声を震わせた……今でも、ときどきあの夜のことを思い出すと、そのままあの夜の状態にな
る。そういうときワイフが横にいて、「あなた、何でもないのよ」と、なだめて私を抱いてくれる。 私は年がいもなく、ワイフの乳房に口をあて、それを無心で吸う。そうして吸いながら、気分を やすめる。
数年前、そのことを姉に話すと、姉は笑ってこう言った。「そんなの気のせいよ」「昔のことでし
ょ」「忘れなさいよ」と。残念ながら、姉には、「心の病気」についての理解は、ほとんどない。な いから、私が受けた心のキズの深さが理解できない。
●ふるさと
私にとって、そんなわけで、「ふるさと」という言葉には、ほかの人とは異なった響きがある。ど
こかの学校へ行くと、「郷土を愛する」とか何とか書いてあることがあるが、私は、心のどこか で、「それができなくて苦しんでいる人もいる」と思ってしまう。
私はいつからか、M市を出ることだけしか考えなくなった。M市というより、実家から逃げるこ
とばかりを考えるようになった。今でも、つまり五五歳という年齢になっても、あのM市にもどる というだけでも、ゾーッとした恐怖感がつのる。実際には、盆暮れに帰るとき、M市に近づくと、 心臓の鼓動がはげしくなる。四〇歳代のころよりは、多少落ちついてはきたが、その状態はほ とんど変わっていない。
しかし無神経な従兄弟(いとこ)というのは、どこにでもいる。先日もあれこれ電話をしてきた。
「浩司君、君が、あの林家の跡取りになるんだから、墓の世話は君がするんだよ」と言ってき た。しかし私自身は、死んでも、あの墓には入りたくない。M市に葬られるのもいやだが、あの 家族の中にもどるのは、もっといやだ。私は、あの家に生まれ育ったため、自分のプライドす ら、ズタズタにされた。
私が今でも、夕日が嫌いなのは、その時刻になると、いつも父が酒を飲んで、フラフラと通り
を歩いていたからだ。学校から帰ってくるときも、そのあたりで、何だかんだと理由をつけて、 友だちと別れた。ほかの時代ならともかくも、私にとってもっとも大切な時期に、そうだった。
●自分を知る
そういう自分に気づき、そういう自分と戦い、そういう自分を克服する。私にはずっと大きなテ
ーマだった。しかし自分の心のキズに気づくのは、容易なことではない。心のキズのことを、心 理学の世界では、トラウマ(心的外傷)という。仮に心にキズがあっても、それ自体が心である ため、そのキズには気づかない。
それはサングラスのようなものではないか。青いサングラスでも、ずっとかけたままだと、サン
グラスをかけていることすら忘れてしまう。サングラスをかけていても、赤は、それなりに赤に見 えてくる。黄色も、それなりに黄色に見えてくる。
たとえば私は子どものころ、頭にカーッと血がのぼると、よく破滅的なことを考えた。すべてを
破壊してしまいたいような衝動にかられたこともある。こうした衝動性は、自分の心の内部から 発生するため、どこからが自分の意思で、どこから先が、自分の意思でないのか、それがわか らない。あるいはすべてが自分の意思だと思ってしまう。
あるいは自分の思っていることを伝えるとき、ときとして興奮状態になり、落ちついて話せなく
なることがあった。一番よく覚えているのは、中学二年になり、生徒会長に立候補したときのこ と。壇上へあがって演説を始めたとたん、何がなんだか、わからなくなってしまった。そのとき は、「あがり性」と思ったが、そんな簡単なものではなかった。頭の中が混乱してしまい、口だけ が勝手に動いた。
私がほかの人たちと違うということを発見したのは、やはり結婚してからではないか。ワイフと
いう一人の人間を、至近距離で見ることによって、自分という人間を逆に、浮かびあがらせるこ とができた。そういう点では、私のワイフは、きわめて常識的な女性だった。情緒は、私よりは るかに安定していた。精神力も強い。たとえば結婚して、もう三〇年以上になるが、私はいまだ かって、ワイフが自分を取り乱して、ワーワーと泣いたり、叫んだりしたのを、見たことがない。
一方、私は、よく泣いたり、叫んだりした。情緒も不安定で、何かあると、すぐふさいだり、落
ちこんだりする。精神力も弱い。すぐくじけたり、いらだったりする。私はそういう自分を知りな がら、他人も似たようなものだと思っていた。少なくとも、私が身近で知る人間は、私によく似て いた。祖母も、父も、母も、姉も。だから私が、ほかの人と違うなどというのは、思ったことはな い。違っていても、それは「誤差」の範囲だと思っていた。
●衝撃
ふつうだと思っていた自分は、実は、ふつうではなかった。……もっとも、私は、他人から見
れば、ごくうつうの人間に見えたと思う。幸いなことにというか、心の中がどうであれ、人前で は、私は自分で自分をコントロールすることができた。たとえばいくらワイフと言い争っていて も、電話がかかってきたりすると、その瞬間、ごくふつうの状態で、その電話に出ることができ た。
そう、自分がふつうでないことを知るのは、衝撃的なことだ。私の中に、別の他人がいる……
というほど、大げさなことではないが、それに近いといってもよい。自分であって、自分でない部 分である。それが自分の中にある! そのことは、子どもたちを見ているとわかる。
ひがみやすい子ども、いじけやすい子ども、つっぱりやすい子どもなど。いろいろな子どもが
いる。そういう子どもは、自分で自分の意思を決定しているつもりでいるかもしれないが、本当 のところは、自分でない自分にコントロールされている。そういう子どもを見ていると、「では、私 はどうなのか?」という疑問にぶつかる。
この時点で、私も含めて、たいていの人は、「私は私」「私はだいじょうぶ」と思う。しかしそう
は言い切れない。言い切れないことは、子どもたちを見ていれば、わかる。それぞれの子ども は、それぞれの問題をかかえ、その問題が、その子どもたちを、裏から操っている。たとえば 分離不安の子どもがいる。親の姿が見えなくなると、ギャーッとものすごい声を張りあげて、あ とを追いかけたりする。先にあげた、T君も、その一人だ。
その分離不安の子どもは、なぜそうなるのか。また自分で、なぜそうしているかという自覚は
あるのか。さらにその子どもがおとなになったとき、その後遺症はないのか、などなど。
●なぜ自分を知るか
ここまで書いて、ワイフに話すと、ワイフは、こう言った。「あなたは自分を知れと言うけど、知
ったところで、それがどうなの?」と。
自分を知ることで、少なくとも、不完全な自分を正すことができる。人間の行動というのは、一
見、複雑に見えるが、その実、同じようなパターンの繰りかえし。その繰りかえしが、こわい。本 来なら、「思考」が、そのパターンをコントロールするが、その思考が働く前に、同じパターンを 繰りかえしてしまう。もっとわかりやすく言えば、人間は、ほとんどの行動を、ほとんど何も考え ることなしに、繰りかえす。
そのパターンを裏から操るのが、ここでいう「自分であって、自分でない部分」ということにな
る。よい例が、子どもを虐待する親である。
●子どもを虐待する親
子どもを虐待する親と話していて不思議だなと思うのは、そうして話している間は、そういう親
でも、ごくふつうの親であるということ。とくに変わったことはない。ない、というより、むしろ、子 どものことを、深く考えている。もちろん虐待についての認識もある。「虐待は悪いことだ」とも 言う。しかしその瞬間になると、その行動をコントロールできなくなるという。
ある母親(三〇歳)は、子ども(小一)が、服のソデをつかんだだけで、その子どもをはり倒し
ていた。その衝撃で、子どもは倒れ、カベに頭を打つ。そして泣き叫ぶ。そのとたん、その母親 は、自分のしたことに気づき、あわてて子どもを抱きかかえる。
その母親は、私のところに相談にきた。数回、話しあってみたが、理由がわからなかった。し
かし三度目のカウンセリングで、母親は、自分の過去を話し始めた。それによるとこうだった。
その母親は、高校を卒業すると同時に、一人の男性と交際を始めた。しばらくはうまく(?)い
ったが、そのうち、その母親は、その男性が、自分のタイプでないことに気づいた。それで遠ざ かろうとした。が、とたん、相手の男性は、今でいうストーカー行為を繰りかえすようになった。
執拗(しつよう)なストーカー行為だった。で、数年がすぎた。が、その状態は、変わらなかっ
た。本来なら、その母親はその男性と、結婚などすべきではなかった。しかしその母親は、心 のやさしい女性だった。「結婚を断れば、実家の親たちに迷惑がかかるかもしれない」というこ とで、結婚してしまった。
「味気ない結婚でした」と、その母親は言った。そこで「子どもができれば、その味気なさから
解放されるだろう」ということで、子どもをもうけた。それがその子どもだった。
このケースでは、夫との大きなわだかまりが、虐待の原因だった。子どもが母親のソデをつ
かんだとき、その母親は、無意識のうちにも、結婚前の心の様子を、再現していた。
●だれでも、キズはある
だれでも、キズの一つや二つはある。キズのない人は、いない。だから問題は、キズがあるこ
とではなく、そのキズに気づかないまま、そのキズに振りまわされること。そして同じ失敗を繰り かえすこと。これがこわい。
そのためにも、自分を知る。自分が、いつ、どのような形で、今の自分になったかを知る。知
ることにより、その失敗から解放される。
ここにあげた母親も、しばらくしてから私のほうから電話をすると、こう話してくれた。「そのと
きはショックでしたが、そこを原点にして、立ちなおることができました」と。
しかし自分を知ることには、もう一つの重要な意味がある。
●真の自由を求めて
自分の中から、自分でないものを取り去ることによって、その人は、真の自由を手に入れる
ことができる。別の言葉で言うと、自分の中に、自分でない部分がある間は、その人は、真の 自由人ということにはならない。
たとえば本能で考えてみる。わかりやすい。
今、目の前にたいへんすてきな女性がいる。(あなたが女性なら、男性ということになる。)そ
の女性と、肌をすりあわせたら、どんなに気持ちがよいだろうと、あなたは頭の中で想像する。
……そのときだ。あなたは本能によって、心を奪われ、その本能によって行動していることに
なる。極端な言い方をすれば、その瞬間、本能の奴隷(どれい)になっていることになる。(だか らといって、本能を否定しているのではない。誤解のないように!)
人間の行動は、こうした本能にかぎらず、そのほとんどが、実は、「私は私」と思いつつ、結局
は、私でないものに操られている。一日の行動を見ても、それがわかる。
家事をする。仕事をする。育児をする。すべての行為が何らかの形で、私であって私でない
部分によって、操られている。ショッピングセンターで、値ごろなスーツを買い求めるような行為 にしても、もろもろの情報に操られているといってもよい。もっともそういう行為は、生活の一部 であり、問題とすべきではない。
問題は、「思想」である。思想面でこそ、あらゆる束縛から解放されたとき、その人は、真の
自由を、手に入れることになる。少し飛躍した結論に聞こえるかもしれないが、その第一歩が、 「自分を知る」ということになる。
●自分を知る
私は私なのか。本当に、私と言えるのか。どこからどこまでが本当の私であり、どこから先
が、私であって私でない部分なのか。
私は嫉妬深い。その嫉妬にしても、それは本当に私なのか。あるいはもっと別の何かによっ
て、動かされているだけなのか。今、私はこうして「私」論を書いている。自分では自分で考えて 書いているつもりだが、ひょっとしたら、もっと別の力に動かされているだけではないのか。
もともと私はさみしがり屋だ。人といるとわずらわしく感ずるくせに、そうかといって、ひとりで
いることができない。ショーペンハウエルの「ヤマアラシの話」※は、どこかで書いた。私は、そ のヤマアラシに似ている。まさにヤマアラシそのものと言ってもよい。となると、私はいつ、その ようなヤマアラシになったのか。今、こうして「私」論を書いていることについても、自分の孤独 をまぎらわすためではないのか。またこうして書くことによって、その孤独をまぎらわすことがで きるのか。
自分を知るということは、本当にむずかしい。しかしそれをしないで、その人は、真の自由を
手に入れることはできない。それが、私の、ここまでの結論ということになる。
●私とは……
私は、今も戦っている。私の体や心を取り巻く、無数のクサリと戦っている。好むと好まざると
にかかわらず、過去のわだかまりや、しがらみを引きずっている。そしてそういう過去が、これ また無数に積み重なって、今の私がある。
その私に少しでも近づくために、この「私」論を書いてみた。
(030304)(06−10−24改)
※ショーペンハウエルの「ヤマアラシの話」……寒い夜だった。二匹のヤマアラシは、たがいに
寄り添って、体を温めようとした。しかしくっつきすぎると、たがいのハリで相手の体を傷つけて しまう。しかし離れすぎると、体が温まらない。そこで二匹のヤマアラシは、一晩中、つかず離 れずを繰りかえしながら、ほどよいところで、体を温めあった。
●間接虐待
【掲示板への相談より】
●間接虐待
++++++++++++++++++
Sさんという人から、父親の暴力に
ついての相談があった。
私は、それについて、自分の過去を
書いた。私も、子どものころ、父親の
暴力を、見て育っている。
++++++++++++++++++
【Sさんより、はやし浩司へ】
時々、登校拒否を起こす小学2年生の息子について相談させてください。
元夫との関係はDVでした。現在は息子と二人で自分としては息子を笑わせながらそれなりに
愉快に暮らしているつもりです。
ただ時々学校に行けなくなるのが問題です。確かに妊娠中から暴力を受け、かなりの緊張状
態の中に息子はあったと思います。学校にいく直前になるととても緊張し、寝癖や忘れ物など 必要以上に気にします。
どう父親の事を話すのが息子が納得できるのか、またおそらく息子には訳がわからない状態
をどう整理してあげればよいのか、悩みます。
息子が自信をもって学校に行かせる為に今私がなすべき事をよろしくご指導戴きたくお願い申
し上げます。
【はやし浩司より、Sさんへ】
はげしい夫婦げんかを、私は、「間接虐待」と呼んでいます。当然、子どもの心に深いキズを
残します。
「私論」(改)を読んでくださり、ありがとうございました。
(「私論」は、前回、マガジンで取りあげましたので、省略します。)
【Sさんより、はやし浩司へ】
社会においては見ないふりをしてしまいがちな心の闇に、道標をつけてくださいましてありがと
うございました。闇の心理に深い洞察と理解を示してくださったこと感謝申し上げます。
暴力的な生活は一掃したつもりでしたが、息子の中に恐怖心が残って、それが息子を時々コ
ントロールしているのだということを今改めて認識することが出来ました。
息子は明るい性格で息子と私の今の笑いの絶えない生活は、普段はなんの問題もないのです
が、いざ学校に行く前になると、異常に神経質になりパンツを何度も取り替えたり、なにかこう 清水の舞台から飛び降りるような一大決心というような状況になります。
幼稚園の頃は甘やかしが原因と先生に言われておりました。しかし一方で私は「さびしいのか
な」とも思い、頭の中はいつも堂々巡りでした。
「恐怖心」というのは思いつきませんでした。息子を背後から操っている者の正体がやっと闇の
中から浮かび上がってきました。暴力の現場がそれほどまでに子供に影響を与えるということ を認識していませんでした。
それを知るのと知らないのでは大違いです。知らなければ、息子を助けたくて、私自身が迷路
のなかでさまようところでした。
ひょっとすると先生ご自身が傷つく覚悟で、ご経験を聞かせてくださいまして本当にありがとうご
ざいました。先生が私共親子の闇を背負ってくださった現実があるからこそ、見えにくい心の深 部の問題に、明快な指針を戴き私共親子は救われました。
【補記】
●間接虐待
直接虐待を受けなくても、まわりの騒動が原因で、子どもが、心理的に、虐待を受けたのと同
じ状態になることがある。これを私は、「間接虐待」と呼んでいる。
たとえばはげしい夫婦げんかを見て、子どもがおびえたとする。「こわいよ」「こわいよ」と泣い
たとする。が、その夫婦には、子どもを虐待したという意識はない。しかし子どもは、その恐怖 感から、虐待を受けたときと同じキズが、心につく。これが間接虐待である。
というのも、よく誤解されるが、虐待というのは、何も肉体的暴力だけではない。精神的な暴
力も、それに含まれる。言葉の虐待も、その一つである。言いかえると、心理的な苦痛をともな うようであれば、それが直接的な虐待でなくても、虐待ということになる。
たとえば、こんな例を考えてみよう。
ある父親が、アルコール中毒か何かで、数日に1回は、酒を飲んで暴れたとする。食器棚を
押し倒し、妻(子どもの母親)を、殴ったり、蹴ったりしたとする。
それを見て、子どもが、おびえ、大きな恐怖感を味わったとする。
このとき、その父親は、直接子どもに暴力を加えなくても、その暴力と同じ心理的な苦痛を与
えたことになる。つまりその子どもに与える影響は、肉体的な虐待と同じということになる。それ が私がいう、間接虐待である。
が、問題は、ここにも書いたように、そういう苦痛を子どもに与えながら、その(与えている)と
いう意識が、親にないということ。家庭内騒動にせよ、はげしい夫婦げんかにせよ、親たちは それを、自分たちだけの問題として、かたづけてしまう。
しかしそういった騒動が、子どもには、大きな心理的苦痛を与えることがある。そしてその苦
痛が、まさに虐待といえるものであることがある。
H氏(57歳)の例で考えてみよう。
H氏の父親は、戦争で貫通銃創(銃弾が体内を通り抜けるようなケガ)を受けた。そのためも
あって、日本へ帰国してからは、毎晩、酒に溺れる日々がつづいた。
今でいう、PTSD(心的外傷後ストレス症候群)だったかもしれない。H氏の父親は、やがてア
ルコール中毒になり、家の中で暴れるようになった。
当然、はげしい家庭内騒動が、つづくようになった。食卓をひっくりかえす、障子戸をぶち破
る、戸だなを倒すなどの乱暴を繰りかえした。今なら、離婚ということになったのだろうが、簡単 には離婚できない事情があった。H氏の家庭は、そのあたりでも本家。何人かの親戚が、近く に住んでいた。
H氏は、そういうはげしい家庭内騒動を見ながら、心に大きなキズを負った。
……といっても、H氏が、そのキズに気がついていたわけではない。心のキズというのは、そ
ういうもの。脳のCPU(中央演算装置)にからんでいるだけに、本人が、それに気づくということ は、むずかしい。
しかしH氏には、自分でもどうすることもできない、心の問題があった。不安神経症や、二重
人格性など。とくに二重人格性は、深刻な問題だった。
ふとしたきっかけで、もう一人の人格になってしまう。しかしH氏のばあい、救われるのは、そ
うした別の人格性Yをもったときも、それを客観的に判断することができたこと。もしそれができ なければ、まさに二重人格者(障害者)ということになったかもしれない。
が、なぜ、H氏が、そうなったか? 原因を、H氏の父親の酒乱に結びつけることはできない
が、しかしそれが原因でないとは、だれにも言えない。H氏には、いくつか思い当たる事実があ った。
その中でも、H氏がとくに強く覚えているのは、H氏が、6歳のときの夜のことだった。その夜
は、いつもよりも父親が酒を飲んで暴れた。そのときH氏は、5歳年上の姉と、家の物置小屋 に身を隠した。
その夜のことは、H氏の姉もよく覚えていたという。H氏は、その姉と抱きあいながら、「こわ
い」「こわい」と、泣きあったという。その夜のことについて、H氏は、こう言う。
「今でも、あの夜のことを思い出すと、体が震えます」と。
心のキズというのは、そういうもの。キズといっても、肉体的なキズのように形があるわけでは
ない。外から見えるものでもない。しかし何らかの形で、その人の心を裏からあやつる。そして あやつられるその人は、あやつられていることにすら、気がつかない。そして同じ苦痛を、繰り かえし味わう。
間接虐待。ここにも書いたが、この言葉は、私が考えた。
【注意】
動物愛護団体の世界にも、「間接虐待」という言葉がある。飼っているペットを、庭に放置した
り、病気になっても、適切な措置をとらないことなどをいう。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 夫婦
喧嘩 夫婦げんか 間接虐待 夫婦喧嘩という間接虐待 夫婦喧嘩と子供の心理)
+++++++++++++++++
この間接虐待に関連して、同じころ書いた
原稿を1つ、添付します。
+++++++++++++++++
●ある離婚
昨夜、ハナ(犬)との散歩を終えて、家に入ろうとすると、そこにMさん(女性、41歳)が立って
いた。
「どうかしましたか?」と、自転車を車庫に入れながら声をかけると、「先生、私、今度、実家
に帰ることにしました」と。
懸命に笑顔をつくろうとしていたが、どこか苦痛に、その顔は、ゆがんでいた。車のライトを背
に、表情はよく見えなかったが……。
私「やはり、無理ですか……」
M「いろいろ努力はしてみましたが……」
私「お子さんたちは、納得していますか?」
M「まだ、話していませんが、しかたありません」と。
Mさん夫婦の関係がおかしくなって、もう5年になるだろうか。いつだったか、Mさんの夫が私
にこう言ったことがある。「私たちは、もう形だけの夫婦なんです」と。
その言葉が、頭の中を横切った。
Mさんは、東北のY県から、嫁いで、このH市にやってきた。間に、友人のT氏がいて、それで
親しくなった。T氏が、Mさん夫婦の間をとりもった。夫のM氏に、奥さんのMさんを紹介したの も、T氏だった。
しかしこうした離婚騒動は、1度や2度だけではなかった。そのつど、私は、それに振り回され
た。
私「Tさん(間の友人)に、相談しました?」
M「しても、どうせ、夫の味方をするだけですから……」
私「でも、こういう問題は、したほうがいいと思います」
M「しても、どうせ、ムダですから……」と。
この5年間で、Mさんには、いろいろあった。育児ノイローゼ、うつ状態などなど。夫のM氏や
T氏が、Mさんを入院させようとしたこともある。しかしMさんは、がんとして、それを拒んだ。
そんなことを頭の中で思い浮かべていると、Mさんが、あれこれ不平、不満を並べ始めた。
M「先生、Dさんを知っているでしょう? あのDさんが、私に意地悪をします。私が声をかける
と、わざと車のドアをバタンと閉めて、プイとするのです」「私の車に、いたずらをする子どもが います。近所の子どもなんですが、バックミラーにキズをつけました」などなど。
Mさんの精神状態は、あまりよくないといったふうだった。こまかいことを気にして、それをお
おげさにとりあげた。
しかし不平や不満を並べるうちは、まだよい。こういうときは聞き役にまわって、Mさんの心の
中にたまった、うっぷんを抜くのがよい。うまくいけば、離婚話をやわらげることができるかもし れない。
10分たち、20分がすぎた。Mさんは、立ったまま、私に、よどみなく話しかけてきた。私は、
自転車にもたれかかったまま、Mさんの話を聞いた。が、やはり、話題は、離婚の話にもどっ た。
私「でも、やはり、お子さんの気持ちを聞いてみなくちゃ?」
M「でも、夫では、子どもを育てることはできません」
私「そう決めてかかってはいけません。お子さんたちが、さみしい思いをするでしょう?」
M「でも、私、こういう都会は、好きではありません。子どもを育てる環境としては、よくありませ
ん」と。
Mさんは、今にも、私に体を投げ出しそうだった。「ワイフを呼んできますから、いっしょに相
談してみますか?」と言うと、「それは勘弁してください」と。
しかし私には、どうすることもできなかった。両手で自転車のハンドルを握りなおした。
私「やはり、私のほうから、Tさんに相談してみてあげましょうか?」
M「いいです。それは……。もう決めましたから……」
私「決めたって……?」
M「来月、Y県の実家に帰ります」と。
秋のかわいた風が、何度も、車の流れとともに、間に流れた。私は、「そういうものかなア?」
と思いながら、その場を離れた。Mさんは、本当にそのまま離婚してしまうかもしれないし、ある いはいつもの夫婦げんかで終わるかもしれない。
いつか私のワイフは、私にこう言った。「女っていうのはね、離婚するときは、黙って、だれに
も相談せず、離婚するものよ」と。
私のワイフのように、強い女性は、そうはいない。私も、ワイフとけんかすると、すぐ「離婚して
やる」とは言う。しかし、本気で、離婚を考えたことなどは、一度もない。それは口グセのような ものかもしれない。あるいは出まかせのようなものかもしれない。自分でも、よくわからないが ……。
家に入ってから、Mさんのことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。
「そうねえ……。前から思っていたんだけど、私は、離婚したほうがいいと思うわ」と。
「そういう簡単な話でもないのだがなあ……」と私は思いながら、私は自分の書斎に入った。
T氏に手紙を書き始めた。
【Tさんへ】
お元気ですか。先日は改築祝いにお招きくださって、ありがとうございました。あれからもう半
年になります。新居の住み具合は、いかかがですか。
ところで、今夜突然、手紙を書くことにしたのは、実は、あのMさん夫婦のことです。かなり深
刻な、様子です。M氏には、この数か月会っていませんが、ときどき奥さんのMさんが、私のと ころへやってきます。
今夜も、やってきました。私が散歩から帰るまで、そこでじっと待っていたようです。で、いつも
の離婚話です。どこまで本気で聞いてよいものやらという思いで、話を聞くだけは、聞いてあげ ました。
奥さんのMさんは、Y県へ子どもを連れて帰ると言っています。ご存知のように、こうした夫婦
の問題は、私たちには、どうすることもできません。間に子どもがいれば、なおさらです。しかも 今の状態をみると、「離婚しないほうがいい」とか、「離婚してはだめだ」と言うこともできませ ん。M氏自身も、「私たちは、もう形だけの夫婦です」と言っています。
Tさんとしては、さぞかしつらい思いをなさっておられることだろうと思います。しかし私の印象
では、Mさん夫婦がこうなったことについて、だれにも責任はないと思います。Mさんにしても、 Tさんを、うらんだりしているような様子は、まったく見られません。
しかしやはり問題は、3人のお子さんだろうと思います。養育費の問題もありますし、今のM
氏の収入では、生活もたいへんだろうと思われます。それはわかります。そこで奥さんのMさ んは、『私は仕事をする』と言っていますが、あの精神状態では、私は、無理ではないかと思っ ています。率直に言って、それこそ何か、事件になるのではないかと、心配しています。
でも、本当の原因は、私は奥さんのMさん自身にあるのではないかと思っています。もっと
も、なぜ奥さんのMさんが、今のようなうつ状態になったかといえば、M氏にも責任がないとは 言えません。もう少し、奥さんのMさんのことを、心配してやるべきだったと思っています。
無知というか、無責任というか……。以前、奥さんのことを、Mさんは、『あいつは、怠け病だ』
と、私に言ったことがあります。もう少し、ことは深刻だったのですが、M氏には、奥さんの心の 状態が理解できなかったようです。
ともかくも、今は、こういう状態です。報告だけの、わけのわからない手紙になってしまいまし
た。私自身も、こういう手紙を書きながら、責任のがれをしているのかもしれません。あとにな って、『どうしてもっと、早く知らせてくれなかったのか』と言われるのが、つらいからです。
みんな無責任ですね。しかしやはり、どうすることもできません。最終的に、Mさん夫婦のこと
を決めるのは、Mさん夫婦だからです。私としては、来週あたり、またケロッとして、「先生、こ んにちは!」と声をかけてくれるのを、望んでいますが……。
奥さんのMさんが話してくれた、不平、不満を、箇条書きにしておきます。何かの参考になれ
ばうれしいです。
(9)夫が子どもたちの教育に無関心。
(10)夫の収入だけでは、生活が苦しい。
(11)夫が、仕事ばかりで、ほとんど家にいない。
(12)生活環境がよくない。今のようなマンション生活はいやだ。
(13)(家が大通りに面していて)、騒々しくて、よく眠れない。
(14)このところ、駐車場にとめてある車に、いたずらをする人がいる。
(15)近所のXさんと、いつもけんかをしている。
(16)長男の友人がよくない。悪い遊びを覚えている、など。
私の印象としては、ああまで趣味などがちがう夫婦ですから、いっしょに何かをするというわ
けにも、いかないのではないかと思っています。もちろん考え方もちがいますし……。M氏は、 のんびりとした性格。しかし奥さんのMさんは、異常なまでに、教育に熱心です。
先日も、となりのA小学校よりも、教える進度が遅れていると、学校へ文句を言っていったそ
うです。長男には、毎朝6時に起こし、勉強をさせているそうです。今夜も、私が、「そこまでさ せてはだめです」と言ったのですが、聞いてもらえませんでした。過激というよりも、めちゃめち ゃといった感じです。
奥さんのMさんの、育児ノイローゼは、そんなわけで、相変わらず、つづいているようです。今
はまだ長男も小さいからいいのですが、そのうち、反抗するようになると思います。
どう思いますか? 奥さんのMさんは、さかんに、「夫では、子育ては無理だ」と言っています
が、本当のところは、M氏に任せたほうが、よいのではないかと思っています。3人の子どもた ちも、父親のM氏のほうを、より慕っているように思います。あくまでも、私の感じた印象ですが ……。
もう少し、時間をおいて様子をみてみます。
では、今夜は、これで失礼します。奥様によろしくお伝えください。おやすみなさい。
2004年X月X日 林 浩司
++++++++++++++++++
Mさんは、ここにも書いたような精神状態で、自分のことを考えるだけで、精一杯。そんな感
じである。
「(Mさんの)子どもたちは、どう思っていますか?」
「子どもたちは、東北へいっしょに帰りたいと言っていますか?」
「ご主人は、どう言っていますか?」
……などと聞いても、「子どもたちは問題ない」「夫には相談する必要はない」と、そんな言い方
ばかりをする。
自己中心的というか、他人の心まで、自分で決めてしまっている。Mさん自身が、厚いカプセ
ルの中に閉じこもってしまっている。話していて息苦しさを感ずるのは、そのためである。はっ きり言えば、自分勝手。わがまま。
Mさんは、「あれが悪い」「これが悪い」と言う。しかし本当のところ、その原因は、Mさん自身
にある。
たとえばMさんは、こう言った。
「近所のXさんと、けんかはした。私が悪かった。しかしそのあと、私は、お菓子をもって、あ
やまりに行った。だけど、許してくれなかった」と。
Mさんは、「お菓子までもってあやまりにいったんだから、許してくれてもいいハズ。もう怒って
いないハズ。トラブルは解決したハズ」と、すべてを、自分勝手な、「ハズ論」で考えている。
しかし一度こわれた人間関係は、そんな簡単には、修復できない。そういった常識が、Mさん
には、欠けていた。つまりそれこそが、自己中心性の表れということになる。
はっきり言おう。
離婚することが決して不幸と言っているのではない。幸福に形はない。だから、結婚するとき
も、反対に、離婚するときも、そのときどきにおいて、それぞれの人は、自分の道を選べばよ い。
しかし不幸になっていく人には、いつも1本の道がある。しかしその本人には、その道が見えな
い。自分で、見ようともしない。見えないまま、その道にそって、まっしぐらに、不幸になってい く。
賢い人は、そこで立ち止まって、自分の道を見る。しかし愚かな人は、だれかがその道を見
せてくれても、それを自ら否定する。目を閉じる。
【補記】
人格の完成度は、(1)他者との共鳴性、(2)自己管理能力、(3)他者との良好な人間関係
でみる。
その中で、(2)の自己管理能力について言うなら、感情のおもむくまま、そして欲望のおもむ
くまま、行動する人は、それだけ自己管理能力の低い人とみる。
Mさんは、その自己管理能力に欠けていると思う。近所のXさんとのトラブルの原因も、そこ
にあった。
近所のXさんは、毎朝、ベランダでふとんをたたいていたのだが、たまたま風向きで、大きな
ホコリが、Mさんの部屋のほうまで飛んできた。それでMさんが、Xさんに電話した。
もしそのとき、ほんの少しだけ、Mさんに自己管理能力があれば、ほかの言い方もできたの
だろう。しかしMさんは、電話口で、大声で怒鳴ってしまった。それで電話を受けたXさんも、感 情的になってしまった。
「フトンのゴミを落さないで!」「何よ、あんたんどころだって、フトンくらい、たたくでしょう!」
と。恐らく、そういう言い争いになったのだろうと思う。以後、ことあるごとに、2人は、いがみあ うようになった。
またMさんの夫が、家族のことを、顧(かえり)みなくなったことについても、Mさんにも責任が
ある。
Mさんは私にさえ、こう言ったことがある。「夫の給料が少なくて、困っています。夫の実家の
助けを受けているくらいです。あの人が、もう少し、仕事ができたらいいんですが……」と。
恐らく、夫のM氏には、もっと直接的に、不満をぶつけていたにちがいない。「こんな給料で
は、生活できないわよ」とか、何とか。夫のM氏が、家庭から遠ざかったとしても、不思議では ない。
もちろんすべての原因が、Mさんにあったというわけではない。しかしもう少し、Mさんが、自
分が進んでいる道に気がついていたら、こういうことにはならなかったと思う。
【補記2】
「私が絶対正しい」「私はまちがっていない」と思うのは、その人の勝手だが、他人に対する謙
虚さをなくしたとき、その人は、独善の道に入る。
その独善の道に入れば入るほど、視野がせまくなる。自分の道が見えなくなる。Mさんは、
「子どもことは、私が一番よく知っている」と何度も言った。
しかし本当にそうだろうか? 私の印象では、3人の子どもたちは、父親のM氏のほうを、よ
り慕っているように見える。ただ今は、まだ幼いということもあって、絶対的な母子関係という呪 縛の中に、とらわれているだけ。
Mさんは、その呪縛をよいことに、3人の子どもを支配している。しかしその呪縛は、それほ
ど、長くはつづかない。もうあと、1、2年もすれば、長男のほうが、その呪縛からのがれ、個人 化(私は私という生きザマを求める)を始めるようになる。
子どもにとって母親は、絶対的な存在である。命を育てられ、生まれたあとも、乳を与えられ
る。子どもは父親なしでも、生まれ育つことはできる。しかし母親なしでは、生まれることも、育 つこともできない。それがここでいう呪縛ということになる。
母親たちは、その呪縛に甘えてはいけない。その呪縛をよいことに、子どもをしばってはいけ
ない。子どもを支配してはいけない。
Mさんは、そうした事実にも、気がついていない。気がつかないまま、「私は絶対だ」と思いこ
んでいる。つまりこのタイプの母親ほど、子育てをしながら、子どもの心を見失う。私の印象で は、母親と子どもたちが断絶するのは、時間の問題だと思う。
【注】
どこか男の立場だけで、Mさんの問題を考えたような気がする。もちろんMさんというのは、
架空の女性である。実在しない。ある読者から、いただいたメールをもとに、いろいろな例をま ぜて、私が、想像して書いた。どうか、そういうことも念頭において、この「ある離婚」を読んでほ しい。
●代償的過保護
+++++++++++++++++
昨日、ある幼稚園で講演をしたとき、
代償的過保護の話をした。
時間がなく、どこか中途半端な
説明だったので、改めて、その
代償的過保護についての記事を、
ここに載せることにした。
+++++++++++++++++
同じ過保護でも、その基盤に愛情がなく、子どもを自分の支配下において、自分の思いどお
りにしたいという過保護を、代償的過保護という。
ふつう「過保護」というときは、その背景に、親の濃密な愛情がある。
しかし代償的過保護には、それがない。一見、同じ過保護に見えるが、そういう意味では、代
償的過保護は、過保護とは、区別して考えたほうがよい。
親が子どもに対して、支配的であると、詫摩武俊氏は、子どもに、つぎのような特徴がみられ
るようになると書いている(1969)。
服従的になる。
自発性がなくなる。
消極的になる。
依存的になる。
温和になる。
さらにつけ加えるなら、現実検証能力の欠如(現実を理解できない)、管理能力の不足(して
よいことと悪いことの区別ができない)、極端な自己中心性なども、見られるようになる。
この琢摩氏の指摘の中で、私が注目したのは、「温和」という部分である。ハキがなく、親に
追従的、依存的であるがために、表面的には、温和に見えるようになる。しかしその温和性 は、長い人生経験の中で、養われてできる人格的な温和性とは、まったく異質のものである。
どこか、やさしい感じがする。どこか、柔和な感じがする。どこか、穏かな感じがする……とい
ったふうになる。
そのため親、とくに母親の多くは、かえってそういう子どもほど、「できのいい子ども」と誤解す
る傾向がみられる。そしてますます、問題の本質を見失う。
ある母親(70歳)は、そういう息子(40歳)を、「すばらしい子ども」と評価している。臆面もな
く、「うちの息子ほど、できのいい子どもはいない」と、自慢している。親の前では、借りてきたネ コの子のようにおとなしく、ハキがない。
子どもでも、小学3、4年生を境に、その傾向が、はっきりしてくる。が、本当の問題は、その
ことではない。
つまりこうした症状が現れることではなく、生涯にわたって、その子ども自身が、その呪縛性
に苦しむということ。どこか、わけのわからない人生を送りながら、それが何であるかわからな いまま、どこか悶々とした状態で過ごすということ。意識するかどうかは別として、その重圧感 は、相当なものである。
もっとも早い段階で、その呪縛性に気がつけばよい。しかし大半の人は、その呪縛性に気が
つくこともなく、生涯を終える。あるいは中には、「母親の葬儀が終わったあと、生まれてはじめ て、解放感を味わった」と言う人もいた。
題名は忘れたが、息子が、父親をイスにしばりつけ、その父親を殴打しつづける映画もあっ
た。アメリカ映画だったが、その息子も、それまで、父親の呪縛に苦しんでいた。
ここでいう代償的過保護を、決して、軽く考えてはいけない。
【自己診断】
ここにも書いたように、親の代償的過保護で、(つくられたあなた)を知るためには、まず、あ
なたの親があなたに対して、どうであったかを知る。そしてそれを手がかりに、あなた自身の中 の、(つくられたあなた)を知る。
( )あなたの親は、(とくに母親は)、親意識が強く、親風をよく吹かした。
( )あなたの教育にせよ、進路にせよ、結局は、あなたの親は、自分の思いどおりにしてき
た。
( )あなたから見て、あなたの親は、自分勝手でわがままなところがあった。
( )あなたの親は、あなたに過酷な勉強や、スポーツなどの練習、訓練を強いたことがある。
( )あなたの親は、あなたが従順であればあるほど、機嫌がよく、満足そうな表情を見せた。
( )あなたの子ども時代を思い浮かべたとき、いつもそこに絶大な親の影をいつも感ずる。
これらの項目に当てはまるようであれば、あなたはまさに親の代償的過保護の被害者と考え
てよい。あなた自身の中の(あなた)である部分と、(つくられたあなた)を、冷静に分析してみる とよい。
【補記】
子どもに過酷なまでの勉強や、スポーツなどの訓練を強いる親は、少なくない。「子どものた
め」を口実にしながら、結局は、自分の不安や心配を解消するための道具として、子どもを利 用する。
あるいは自分の果たせなかった夢や希望をかなえるための道具として、子どもを利用する。
このタイプの親は、ときとして、子どもを奴隷化する。タイプとしては、攻撃的、暴力的、威圧
的になる親と、反対に、子どもの服従的、隷属的、同情的になる親がいる。
「勉強しなさい!」と怒鳴りしらしながら、子どもを従わせるタイプを攻撃型とするなら、お涙ち
ょうだい式に、わざと親のうしろ姿(=生活や子育てで苦労している姿)を見せつけながら、子 どもを従わせるタイプは、同情型ということになる。
どちらにせよ、子どもは、親の意向のまま、操られることになる。そして操られながら、操られ
ているという意識すらもたない。子ども自身が、親の奴隷になりながら、その親に、異常なまで に依存するというケースも多い。
(はやし浩司 代償的過保護 過保護 過干渉)
【補記2】
よく柔和で穏やか、やさしい子どもを、「できのいい子ども」と評価する人がいる。
しかし子どもにかぎらず、その人の人格は、幾多の荒波にもまれてできあがるもの。生まれ
ながらにして、(できのいい子ども)など、存在しない。もしそう見えるなら、その子ども自身が、 かなり無理をしていると考えてよい。
外からは見えないが、その(ひずみ)は、何らかの形で、子どもの心の中に蓄積される。そし
て子どもの心を、ゆがめる。
そういう意味で、子どもの世界、なかんずく幼児の世界では、心の状態(情意)と、顔の表情と
が一致している子どものことを、すなおな子どもという。
うれしいときには、うれしそうな顔をする。悲しいときには、悲しそうな顔をする。怒っていると
きは、怒った顔をする。そしてそれらを自然な形で、行動として、表現する。そういう子どもを、 すなおな子どもという。
子どもは、そういう子どもにする。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 すな
おな子ども 素直な子供 子どもの素直さ 子供のすなおさ)
●おとなの夢
今日、リンゴの木を植えることだ!
このところ、反対に読者の方に励まされることが、多くなった。一生懸命、励ましているつもり
が、逆に私が励まされている? 今朝(3月16日)も、SZさんから、そういうメールをもらった。 「先生は、リンゴの木を植えていますよ」と。3月15日号のマガジンで、つぎのように書いたこと について、だ。
「ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。1901年生まれというから、今、生きていれば、1
02歳ということになる。そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。
『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっ
ていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。」
「二十五時」は、角川書店や筑摩書房から、文庫本で、翻訳出版されている。内容は、ヨハ
ン・モリッツという男の、収容所人生を書いたもの。あるときはユダヤ人として、強制収容所に。 またあるときは、ハンガリア人として、ルーマニア人キャンプに。また今度は、ドイツ人として、 ハンガリア人キャンプに送られる。そして最後は、ドイツの戦犯として、アメリカのキャンプに送 られる……。
人間の尊厳というものが、たった一枚の紙切れで翻弄(ほんろう)される恐ろしさが、この本
のテーマになっている。それはまさに絶望の日々であった。が、その中で、モリッツは、「今日、 リンゴの木を植えることだ」と悟る。
ゲオルギウは、こうも語っている。「いかなる不幸の中にも、幸福が潜んでいる。どこによいこ
とがあり、どこに悪いことがあるか、私たちはそれを知らないだけだ」(「第二のチャンス」)と。 たいへん参考になる。
もっとも私が感じているような絶望感にせよ、閉塞(へいそく)感にせよ、ゲオルギウが感じた
であろう、絶望感や閉塞感とは、比較にならない。明日も、今日と同じようにやってくるだろう。 来年も、今年と同じようにやってくるだろう。そういう「私」と、明日さえわからなかったゲオルギ ウとでは、不幸の内容そのものが、違う。程度が、違う。が、そのゲオルギウが、『どんなときで も、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっていても、今日、 リンゴの木を植えることだ』と。
私も、実はSZさんに励まされてはじめて、この言葉のもつ意味の重さが理解できた。「重さ」
というよりも、私自身の問題として、この言葉をとらえることができた。もちろんSZさんにそう励 まされたからといって、私には、リンゴの木を植えているという実感はない。ないが、「これから も、最後の最後まで、前向きに生きよう」という意欲は生まれた。
SZさん、ありがとう! 近くそのハンガリーへ転勤でいかれるとか、どうかお体を大切に。ゲオ
ルギウ(Constantin Virgil Gheorgiu) は、ヨーロッパでは著名な作家ですから、また耳にされる こともあると思います。「よろしく!」……と言うのもへんですが、私はそんなうような気持ちでい ます。(ただしもともとは左翼系の作家ですから、少し、ご注意くださいね。)
(030316)
+++++++++++++++++++
同じころ書いた原稿を、もう1つ。
+++++++++++++++++++
●おとなの夢
ある講演会で、「子どもの夢を伸ばすのは、親の役目」と話した。それについて、「おとなの夢
は、どう伸ばせばよいか」という質問をもらった。
……が、私は、この質問に、頭をかかえてしまった。第一、そういう視点で、ものを考えたこと
がない。
私たちの世界には、内政不干渉という、大原則がある。かりに子どもに問題があるとしても、
親の側から質問があるまで、それについて、とやかく言うことは、許されない。わかっていても、 わからないフリをして、親や子どもと接する。
子どもに対してですら、そうなのだから、おとなである親に対しては、なおさらである。たとえば
レストランで、タバコを吸っている人がいたとしても、「タバコをやめたほうがいい」などとは、言 ってはならない。言う必要も、ない。それこそ、「いらぬお節介(せっかい)」というもの。
そういう意味で、「おとなの指導」については、どこか、タブー視してきた。
それに、もう一つの理由、では、私自身はどうなのかということ。私には、夢があるのか。また
その夢を、自分で育てているのか、と。
●私の夢
私も40歳をすぎるころから、自分の限界を、強く感ずるようになった。「まだ、何かができるぞ」
という思いが残っている一方で、「もうだめだ」という思いが、強くなった。
いくら本を出しても、私の本は、売れない。たいてい初版だけで、絶版。二刷、三刷と増刷した
本など、数えるほどしかない。
それだけではない。
数年前、一度、東京のMテレビで、一週間にわたって、ドクターの海原J氏と、都立大学の宮
台S氏と、対談したことがある。一応、たがいに議論したつもりだが、あとで送られてきたビデ オを見て、驚いた。私の意見のほとんどは、カットされていた。そして私は、どこか司会者のよ うに、仕立てられていた。
海原氏にしても、宮台氏にしても、中央で活躍している著名人である。「やはり、地方にいた
のではダメだ」と、そのときほど、私は強く思い知らされたことはない。
また地元のテレビ局で、4回にわたって、「T寺子屋」という番組に出させてもらったことがあ
る。しかし視聴率は、最低だった。(視聴率にも、ひかからないほど、低かったとか……。)
挫折することばかりだった。たとえば講演会にしても、東は大井川、西は名古屋を越えると、
集まりは、極端に悪くなる。ときには、予定人数の、30%とか、40%とかになる。あるいは、そ れ以下になることもある。主催者は、「申しわけありません」とあやまるが、本当にあやまりたい のは、むしろ、私のほうだ。
で、このところ、もう夢は捨てた。夢をもてばもつほど、その挫折感が大きい。
そんなわけで、いつしか私は、スティーブンソンの残した言葉で、自分を支えるようになった。
『我らが目的は、成功することではない。失敗にめげず、前に進むことである』と。
●英語の「ドリーム」
夢を英語では、「ドリーム」という。で、日本語の「夢」のように、よく外国の友だちに、「ぼくの夢
はね……」と、私は話す。しかしそういうとき、外国の友だちは、「夢?」と、よく聞きかえす。
少し、言葉のニュアンスが、ちがうようだ。
たとえばあのM・R・キング牧師は、「私は夢を見た……」と、演説をした。そのときも、キング
牧師は、「夢を見た」とは言ったが、「それが夢である」とは、言っていない。日本語でいう「夢」 というのは、英語では、「希望(Hope)」のことらしい。
そこでネットサーフィンしながら、イギリスのあちこちのサイトをのぞいてみた。
カール・サンバーグ(Carl Sandburg・詩人)という人は、こう言っている。
「最初は、すべて夢から始まる」(Nothing happens unless first a dream.)と。
このばあいも、「夢」というのは、私たちが眠っているときに見るような、あやふやな「映像」を
いう。
だからやはり、つまり国際的な言い方をすれば、「夢」と言うのではなく、「希望」と言うべき
か。
●おとなの希望
「明日は今日より、よくなるだろう」という期待が、人間を、前向きに、引っぱっていく。またそ
の期待が、あれば、人生も楽しい。困難や苦労を、乗り越えることができる。
しかし反対に、生活が、防衛的になると、自分を支えるだけで、精一杯。さらに、「明日が、今
日より悪くなるだろう」とわかれば、生きていくことさえ、つらくなる。しかし、今、ほとんどの人に とって、ほとんどのばあい、みな、そうではないのか。
「幸福だ」と実感するときなど、一か月のうち、何日あるだろうか。その何日のうち、何時間、
あるだろうか。さらにその何時間のうち、何分、あるだろうか。
否定的なことを書いたが、人生というのは、もともと、そういうもの? またそういう前提で、つ
きあったほうが、気が楽になる。言いかえると、夢にせよ、希望にせよ、それはいわば、馬の前 にぶらさげた、ニンジンのようなものかもしれない。
いつまでたっても、馬(私たち)は、ニンジン(希望)にたどりつくことはできない。
が、それでも走りつづける。同じく、カール・サンバーグは、こうも言っている。
「私は、理想主義者だ。今、どこへ向って歩いているかわからない。しかしどこかへ行く途中
にいる」(I am an idealist: I don't know where I'm going, but I'm on my w ay.)と。
しかし、こうも言える。
夢にせよ、希望にせよ、それは向こうからやってくるものではない。自分で、つかまえるもの
だ、と。さらにあえて言うなら、希望とは、その瞬間において、やりたいことがあること。またそ れに向って、前向きに取り組むことができること、ということになるのか。
いくらがんばっても、手に入れることができないとわかっていても、馬(私たち)は、それを手
に入れるために、前に進むしかない。まさに「♪届かぬ星に届く」と歌った、「ラマンチャの男(ド ンキホーテ)」の心境かもしれない。つまり、それが生きるということになる。
●子どもの夢を育てる
講演の中で、たしかに私は、そう言った。
しかしそれは、「自己同一性(アイデンティティ)」の問題として、そう言った。子どもの役割形
成の大切さを話し、そのために、「夢を育てる」と。
このことは、反対の立場で考えてみると、よくわかる。たとえばあなたがやることなすこと、だ
れかが、あなたの横にいて、「それなダメだ」「これはダメだ」と言ったら、あなたはやる気をなく すだろう。
さらに夢や希望をもっても、「そんなのはダメだ」と言ったら、あなたは生きる目的すら、なくす
かもしれない。
子どものばあいも、そうで、えてして、親は、無意識のうちにも、子どもの夢や希望をつぶして
しまう。たとえば「勉強しなさい」という言葉も、そうである。これも反対の立場で考えてみればわ かる。
あなたが、「日本を車で、一周したい」という夢をもっていたとする。そういうときだれかが、横
で、「仕事をしなさい」「お金を稼いできなさい」「出世しなさい」と言ったら、あなたは、それに納 得するだろうか。
つまり「勉強しなさい」「いい高校へ入りなさい」と、子どもに言うのは、むしろ、子どもに役割
混乱を引きおこし、かえって子どもの夢や希望をつぶしてしまうことになる。私は、それについ て、講演で話した。
●では、どうするか……
私たちは、どうやって、自分の夢や希望を育てたらよいのか。もっとわかりやすく言えば、私
たちは、何をニンジンとして、前に向って走っていけばよいのか。
これはあくまでも、私のばあいだが、今のこの時点での、私の夢は、「マガジンを1000号ま
で、つづける」こと。
最初は、読者の数を目標にしたこともある。「500人を目標にしよう」と。しかしすぐ、私は、そ
れがまちがっていることに気づいた。読者が、500人になるか、1000人になるかは、あくまで も結果であって、目標ではない。
それに読者の数を気にすると、どうしても、ものの書き方が迎合的になる。コビを売るように
なる。それに電子マガジンの特徴として、仮に、500人になっても、1000人になっても、その 実感が、まったくない。もちろん、それで利益になることもない。
ただ、励みにはなる。実際、毎回、少しずつでも読者がふえていくのを知ると、うれしかった。
それは、ある。しかしそれは、夢でも、希望でもない。
しかし「1000号までつづける」というのは、ここでいう夢になる。2日おきに発行しても、200
0日。約5年5か月! その間、私は、前に向って、歩きつづけることができる。その先に、何 があるか、私にもわからない。しかしそれでも、私は前に向って歩きつづけることができる。
そう、それこそが、まさしく私が、自分で見つけた、ニンジンということになる。
【質問を寄せてくれた方へ】
ご質問をいただいて、私も考えてしまいました。私はいつも、「おとな」の視点から、「子どもの
世界」をながめていました。しかし結局は、「子ども」イコール、「私」なのですね。
私は講演の中で、「いい高校へ入る」「いい大学へ入る」というのは、もう「夢」ではないという
ような話をしました。
昔は、「出世しろ」「博士になれ」「大臣になれ」というのが、「夢」ということになっていました。
親にも、そして学校の先生たちにも、いつも、そう言われました。しかしそれは、あくまでも、「結 果」であって、「夢」ではないのですね。
たとえば今の子どもたちは、「有名になりたい」とか、「お金もちになりたい」とか、言います。し
かし「有名になる、ならない」は、あくまでも結果。またお金があるとしても、「では、そのお金で どうするのか」という部分がなければ、ただの紙くずです。
つまり私たち、おとながいう「夢」とは、結局は、私たちの「生きザマ」の問題ということになりま
す。さらにもっと言えば、「なぜ、私たちが、ここに生きているか」という問題にまで、つながって しまいます。「夢」というのは、つまりは、「人生の目標」ということにもなるからです。
だから、考えてしまいました。で、その結果、私も、ふと気づきました。私には、夢があるか、
とです。
もちろんここにも書いたように、「夢」らしきものはあります。小さな夢です。「1000号までつ
づける」といっても、その気にさえなれば、だれにだってもてる夢です。あるいは、夢と言えるよ うなものではないかもしれません。今の私は、そういう夢に、しがみついているだけかもしれま せん。だって、ほかに、何もありませんから……。
ただ願わくは、あとは、私の3人の息子たちが、それぞれ独立して、幸福な生活をするように
なってくれることです。あのクモは、自分の体を子どもたちに食べさせて、その生涯を終えると いうことですが、今の私の心境としては、それに近いものです。
こんな回答が、もちろんあなたのご質問の答にはならないことは、よく知っています。しかし、
何かの参考にしていただければ、うれしいです。では、今日は、これで失礼します。
(031112)
●「どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっ
ていても、今日、リンゴの木を植えることだ」(「二十五時」・ゲオルギウ・ルーマニアの作家・19 01年生まれ)
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
++++++++++++++++
この春に書いた原稿を、ここに
添付します。「希望」について
書いたつもりです。
3年前、私は、初老性の何とかで、
何かと、落ちこんでばかりいました。
そのころ書いた原稿なので、どこか
暗いです。
(03年)
++++++++++++++++
●春
私のばあい、春は花粉症で始まり、花粉症で終わる。……以前は、そうだった。しかしこの8
年間、症状は、ほとんど消えた。最初の1週間だけ、つらい日がつづくが、それを過ぎると、花 粉症による症状が、消える。……消えるようになった。
一時は、杉の木のない沖縄に移住を考えたほど。花粉症のつらさは、花粉症になった人でな
いと、わからない。そう、何がつらいかといって、夜、安眠できないことほど、つらいことはない。 短い期間なら、ともかくも、それが年によっては、2月のはじめから、5月になるまでつづく。そ のうち、体のほうが参ってしまう。
そういうわけで、以前は、春が嫌いだった。2月になると、気分まで憂うつになった。しかし今
は、違う。思う存分、春を楽しめるようになった。風のにおいや、土や木のにおい。それもわか るようになった。ときどき以前の私を思い出しながら、わざと鼻の穴を大きくして、息を思いっき り吸い込むことがある。どこかに不安は残っているが、くしゃみをすることもない。それを自分で たしかめながら、ほっとする。
よく人生を季節にたとえる人がいる。青年時代が春なら、晩年時代は、冬というわけだ。この
たとえには、たしかに説得力がある。しかしふと立ち止まって考えてみると、どうもそうではない ような気がする。
どうして冬が晩年なのか。晩年が冬なのか。みながそう言うから、私もいつしかそう思うように
なったが、考えてみれば、これほど、おかしなたとえはない。人の一生は、80年。その80年 を、一年のサイクルにたとえるほうが、おかしい。もしこんなたとえが許されるなら、青年時代 は、沖縄、晩年時代は、北海道でもよい。あるいは青年時代は、富士山の三合目、晩年時代 は、九合目でもよい。
さらに、だ。昔、オーストラリアの友人たちは、冬の寒い日にキャンプにでかけたりしていた。
今でこそ、冬でもキャンプをする人はふえたが、当時はそうではない。冬に冷房をかけるような もの。私は、友人たちを見て、そんな違和感を覚えた。
また同じ「冬」でも、オーストラリアでは、冬の間に牧草を育成する。乾燥した夏に備えるため
だ。まだある。砂漠の国や、赤道の国では、彼らが言うところの「涼しい夏」(日本でいう冬)の ほうが、すばらしい季節ということになっている。そういうところに住む友人たちに、「ぼくの人生 は、冬だ」などと言おうものなら、反対に「すばらしいことだ」と言われてしまうかもしれない。
が、日本では、春は若葉がふき出すから、青年時代ということになるのだが、何も、冬の間、
その木が死んでいるというわけではない。寒いから、休んでいるだけだ。……とまあ、そういう 言い方にこだわるのは、私が、晩年になりつつあるのを、認めたくないからかもしれない。自分 の人生が、冬に象徴されるような、寒い人生になっているのを認めたくないからまもしれない。
しかし実際には、このところ、その晩年を認めることが、自分でも多くなった。若いときのよう
に、がむしゃらに働くということができなくなった。当然、収入は減り、その分、派手な生活が消 えた。世間にも相手にされなくなったし、活動範囲も狭くなった。それ以上に、「だからどうな の?」という、迷いばかりが先に立つようになった。
あとはこのまま、今までの人生を繰りかえしながら、やがて死を迎える……。「どう生きるか」
よりも、「どう死ぬか」を、考える。こう書くと、また「ジジ臭い」と言われそうだが、いまさら、「どう 生きるか」を考えるのも、正直言って、疲れた。さんざん考えてきたし、その結果、どうにもなら なかった。「がんばれ」と自分にムチを打つこともあるが、この先、何をどうがんばったらよいの か!
本当なら、もう、すべてを投げ出し、どこか遠くへ行きたい。それが死ぬということなら、死ん
でもかまわない。そういう自分が、かろうじて自分でいられるのは、やはり家族がいるからだ。 今夜も、仕事の帰り道に、ワイフとこんな会話をした。
「もしこうして、ぼくを支えてくれるお前がいなかったら、ぼくは仕事などできないだろうね」
「どうして?」
「だって、仕事をしても、意味がないだろ……」
「そんなこと、ないでしょ。みんなが、あなたを支えてくれるわ」
「しかし、ぼくは疲れた。こんなこと、いつまでもしていても、同じことのような気がする」
「同じって……?」
「死ぬまで、同じことを繰りかえすなんて、ぼくにはできない」
「同じじゃ、ないわ」
「どうして?」
「だって、5月には、二男が、セイジ(孫)をつれて、アメリカから帰ってくるのよ」
「……」
「新しい家族がふえるのよ。みんなで楽しく、旅行もできるじゃ、ない。今度は、そのセイジが
おとなになって、結婚するのよ。私は、ぜったい、その日まで生きているわ」
セイジ……。と、考えたとたん、心の中が、ポーッと温かくなった。それは寒々とした冬景色の
中に、春の陽光がさしたような気分だった。
「セイジを、日本の温泉に連れていってやろうか」
「温泉なんて、喜ばないわ」
「じゃあ、ディズニーランドに連れていってやろう」
「まだ一歳になっていないのよ」
「そうだな」と。
ゲオルギウというルーマニアの作家がいる。1901年生まれというから、今、生きていれば、
102歳になる。そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。
『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっ
ていても、今日、リンゴの木を植えることだ』と。
私という人間には、単純なところがある。冬だと思えば、冬だと思ってしまう。しかしリンゴの
木を植えようと思えば、植える。そのつど、コロコロと考えが変わる。どこか一本、スジが通って いない。あああ。
どうであるにせよ、今は、春なのだ。それに乗じて、はしゃぐのも悪くない。おかげで、花粉症
も、ほとんど気にならなくなるほど、楽になった。今まで、春に憂うつになった分だけ、これから は楽しむ。そう言えば、私の高校時代は、憂うつだった。今、その憂うつで失った部分を、取り かえしてやろう。こんなところでグズグズしていても、始まらない。
ようし、前に向かって、私は進むぞ! 今日から、また前に向かって、進むぞ! 負けるもの
か! 今は、春だ。人生の春だ!
(030307)
【追記】「青春」という言葉に代表されるように、年齢と季節を重ねあわせるような言い方は、も
うしないぞ。そういう言葉が一方にあると、その言葉に生きザマそのものが、影響を受けてしま う。人生に、春も、冬もない。元気よく生きている毎日が、春であり、夏なのだ!
注……ゲオルギウについて、「二十五時」というのは、まちがいです。読者の方の指摘で知りま
した。詳しくは、HP(書斎)にて。
●4つの心の物語
【4つの心の物語】(未完成の講演原稿です。)
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地元の入野中学校区での講演会まで、あと
1か月になった。
昨日から、その講演用の原稿を書き始めた。
が、うまく、はかどらない。
おとといの講演会が、失敗だったこともある。
野球でいえば、三打席、ノーヒットで終わった
感じ。
どこか気分が重い。
入野中学校区での講演会だけは、失敗したくない。
ホームランなど、もとから期待していないが、
空振りの三振だけは、したくない。
全力で、取り組むしかない。
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とりあえず……ということでもないが、
今日、その「柱(プロット)」を考えて
みた。
これから先、この原稿を何度も推敲して、
当日に間に合わせたい。
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【4つの心の物語】
(1)子育ての学習(親を引きつぐ子どもたち)******************
●親像のない親たち
「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた父親がいた。「子ど
もがそこにいても、どうやってかわいがればいいのか、それがわからない」と訴えた父親もい た。
あるいは子どもにまったく無関心な母親や、子どもを育てようという気力そのものがない母親す
らいた。また二歳の孫に、ものを投げつけた祖父もいた。このタイプの人は、不幸にして不幸 な家庭を経験し、「子育て」というものがどういうものかわかっていない。つまりいわゆる「親像」 のない人とみる。
●チンパンジーのアイ
ところで愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所には、アイという名前のたいへん頭
のよいチンパンジーがいる。人間と会話もできるという。もっとも会話といっても、スイッチを押 しながら、会話をするわけだが、そのチンパンジーが98年の夏、一度妊娠したことがある。
が、そのとき研究員の人が心配したのは、妊娠のことではない。「はたしてアイに、子育てがで
きるかどうか」(新聞報道)だった。人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができな い。チンパンジーのような、頭のよい動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回る のもいるという。いわんや、人間をや。
●子育ては学習によってできる
子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てられた」という体験があ
ってはじめて、自分でも子育てができるようになる。しかしその「体験」が、何らかの理由で十分 でないと、ここでいう「親像のない親」になる危険性がある。
……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、この日本ではタブー。いろいろな団体から、
猛烈な抗議が殺到する。先日もある新聞で、「離婚家庭の子どもは離婚率が高い」というような 記事を書いただけでその翌日、10本以上の電話が届いた。「離婚についての偏見を助長す る」「離婚家庭の子どもがかわいそう」「離婚家庭の子どもは幸せな結婚はできないのか」な ど。「離婚家庭を差別する発言で許せない」というのもあった。
私は何も離婚が悪いとか、離婚家庭の子どもが不幸になると書いたのではない。離婚が離婚
として問題になるのは、それにともなう家庭騒動である。この家庭騒動が子どもに深刻な影響 を与える。そのことを主に書いた。たいへんデリケートな問題であることは認めるが、しかし事 実は事実として、冷静に見なければならない。
●原因に気づくだけでよい
これらの問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上は解決したとみる
からである。つまり「私にはそういう問題がある」と気づくだけでも、問題の半分は解決したとみ る。
それに人間は、チンパンジーとも違う。たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や親類の家
族を見ながら、自分の中に「親像」をつくることもできる。ある人は早くに父親をなくしたが、叔 父を自分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくった。また別の人は、ある作家に傾倒し て、その作家の作品を通して、やはり自分の父親像をつくった。
●幸福な家庭を築くために
……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。するとこうなる。もしあなた
が、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っているなら、あなたは 今、あなたの子どもに、そういう家庭がどういうものであるかを、見せておかねばならない。い や、見せるだけではたりない。しっかりと体にしみこませておく。
そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子育てがで
きるようになる。と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭の中ではわかってい ても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育てをする上での、一つの努力目標と考 えてほしい。
……が、これだけではない。親から子どもへと、(子育て)は連鎖していくが、その過程で、子
どもは、親から、善と悪の価値基準まで、引きついでしまう。
●4割の善と4割の悪
社会に4割の善があり、4割の悪があるなら、子どもの世界にも、4割の善があり、4割の悪が
ある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさないで、子どもの世 界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であったり、 「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。
つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をする者は、子
どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマりやすい。ある中学校 の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生徒を、プールの中に放 り投げていた。
その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対してはどうな
のか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできびしいのか。親だ ってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強している親は、少ない。
●善悪のハバから生まれる人間のドラマ
話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動物た
ちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界になってしまっ たら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおも しろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話 が残っている。
ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすくらいなら、
最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。神はこう答え ている。「希望を与えるため」と。もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はより よい人間になるという希望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい 人間にもなれる。神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」 と。
●子どもの世界だけの問題ではない
子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それが
わかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世界だけ をどうこうしようとしても意味がない。たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問 題ではない。問題は、そういう環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないと いうのなら、あなたの仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたは どれほどそれと闘っているだろうか。
私の知人の中には50歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校生の娘も
いる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際をしていたら、 君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。「うちの娘は、そういうことはしない よ。うちの娘はまともだからね」と。
私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が
悪い」と。こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界をゆがめる。そ れが問題なのだ。
●悪と戦って、はじめて善人
よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけでもない。
悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、 大きく変わる。子どもの世界も変わる。
●やがて親が、評価される
やがていつか、あなたという親も、子どもに評価される時代がやってくる。つまり対等の、1人
の人間として、子どもに評価されるときがやってくる。
そのとき、あなたの子どもが、あなたを、「すばらしい親だった」と評価すれば、それでよし。し
かしそうでなければ、そうでない。
そのときのためというわけではないが、あなたは1人の人間として、あなたも前に進まなけれ
ばならない。
(付記)
●なぜアイは子育てができるか
一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子育ての「情報」そのも
のが脳にインプットされていないからである。このことは本文の中に書いたが、そのアイが再び 妊娠し、無事出産。そして今、子育てをしているという(01年春)。
これについて、つまりアイが子育てができる理由について、アイは妊娠したときから、ビデオを
見せられたり、ぬいぐるみのチンパンジーを与えられたりして、子育ての練習をしたからだと説 明されている(報道)。しかしどうもそうではないようだ。アイは確かに人工飼育されたチンパン ジーだが、人工飼育といっても、アイは人間によって、まさに人間の子どもとして育てられてい る。
アイは人工飼育というワクを超えて、子育ての情報をじゅうぶんに与えられている。それが今、
アイが、子育てができる本当の理由ではないのか。
(2)親子のきずな(過去を引きずるこどもたち)*****************
●信頼性
たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。
たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、答え てあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことが できる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。
●基本的信頼関係
この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。
子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの 世界。これを第三世界という。
子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していくこ
とができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での 信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基 本となる。だから「基本的信頼関係」という。
●一貫性
が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ども は、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。こ れを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。
乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関 係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。
つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出しても、気に しない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということにな る。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。
★「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
★子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
★きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるというの
は、避ける。
(030422)
(3)心の抵抗力(夢、希望、そして未来へ、外に向かう子どもたち)********
●アイデンティティ
自己同一性のことを、アイデンティティという。(もともとは、アイデンティティを、「自己同一性」
と翻訳した。)
自己同一性とは、その言葉どおり、自分の同一性をいう。
たとえば「私」。私の中には、私であって、私である部分と、私でない部分がある。その私であ
って私である部分が、本来の「私」。その私が、そのままストレートに、外の世界へ出てくれば、 よし。そうでないときに、いろいろな問題が起きる。
(あるいは問題があるから、ストレートに出てこないということにもなる。)
その「私」の中でも、他人と比較したとき、きわだって、私らしい部分が、ある。これを、「コア
(核)・アイデンティティ」という。
●子どものつかみどころ
しかし、自分でそれを知るのは、むずかしい。私がどんなアイデンティティをもっているかとい
うことを知るためには、一度、視点を、自分の外に置かねばならない。他人の目をとおして、自 分を見る。ちょうど、ビデオカメラか何かに、自分の姿を映して見るように、である。
そこで、反対に、つまり自分のアイデンティティを知るために、他人のアイデンティティを、観
察してみる。
子どものばあい、このアイデンティティのしっかりしている子どもは、「この子は、こういう子ど
もだ」という輪郭(りんかく)が、はっきりしている。「こうすれば、この子は、喜ぶだろう」「怒るだ ろう」「こう反応するだろう」ということが、わかりやすい。
この輪郭というか、つかみどころを、「コア(核)」という。
そうでない子どもは、輪郭が、どこか軟弱で、わかりにくい。つかみどころがなく、予想がつか
ない。何を考えているか、わからない。
●たとえば……
たとえばある子ども(年中児)が、ブランコを横取りされたとする。そのとき、その横取りされた
子どもが、横取りした子どもに向かって、「おい、ぼくが乗っているではないか!」「どうして、横 取りするのだ!」と、一喝する。ばあいによっては、取っ組みあいのけんかになるかもしれな い。
そういう子どもは、わかりやすい。心の状態と、外に現れている様子が、一致している。つま
り、自己の同一性が守られている。
が、このとき、中には、柔和な笑みを浮かべたまま、「いいよ」「貸してあげるよ」と言って、ブ
ランコを明け渡してしまう子どもがいる。
本当は貸したくない。不愉快だと思っている「私」を、その時点で、ねじまげてしまう。が、表面
的には、穏やかな顔をして、明け渡す。……つまり、ここで本来の「私」と、外に現れている 「私」が、別々の私になる。不一致を起こす。
一時的な不一致や、部分的な不一致であれば、問題ではない。しかしこうした不一致が日常
的に起こるようになると、外から見ても、いったいその子どもはどんな子どもなのか、それがわ からなくなる。
ときには、虚飾と虚栄、ウソとごまかしで、身を包むようになる。世間体ばかりを気にしたり、
見栄や体裁ばかりを、とりつくろうようになる。
この時点においても、意図的にそうしているなら、それほど、問題はない。たとえばどこかの
商店主が、客に対して、そうする、など。しかし長い時間をかけて、それを日常的に繰りかえし ていると、その人自身も、自分でわけがわからなくなってしまう。自己の同一性が、ここで大きく 乱れる。
●「私」を知る
そこで問題は、私(あなた)自身は、どうかということ。
私は私らしい生き方をしているか。私はありのままの私で、生きているか。本当の私と、今の
私は、一致しているか。さらに「私は私」という、コアを、しっかりともっているか。
くだらないことだが、私は、そのアイデンティティの問題に気づいた事件(?)にこんなことがあ
る。
実は、私は、子どものころから、台風が大好きだった。台風が自分の住んでいる地方に向っ
てくるのを知ったりすると、言いようのない興奮に襲われた。うれしかった。
しかしそれは悪いことだと思っていた。だからその秘密は、だれにも話せなかった。とくに(教
師)という仕事をするようになってからは、話せなかった。台風が近づいてくるというニュースを 聞いたりすると、一応、顔をしかめて、「いやですね」などと言ったりしていた。
つまりこの時点で、本当の私と、表面に現れている私は、不一致を起こしていたことになる。
が、こんなことがあった。
●すなおな心
アメリカ人の友人が、こう言った。彼はそのとき、すでに日本に、5、6年住んでいた。私が50
歳くらいのときのことである。
「ヒロシ、ぼくは台風が好きだよ。台風が、浜松市へくるとね、(マンションの)ベランダに椅子
を出して、それに座って台風を見ているよ。ものが、ヒューヒューと飛んでいくのを見るのは、実 に楽しいよ」と。
私は、それを聞いて、「何〜ダ」と思った。「そういうことだったのか」と。
そのアメリカ人の友人は、自分の心を実にすなおに表現していた。そのすがすがしさに触れ
たとき、それまでの私が、バカに見えた。私は、台風についてですら、自分の心を偽っていた。
何でもないことだが、好きだったら、「好き」と言えばよい。いやだったら、「いやだ」と言えばよ
い。そういう「私」を、すなおに外に出していく。そしてそれが、無数に積み重なり、「私」をつくり あげていく。
それがアイデンティティである。「私」である。
●さらけ出す
さて、あなたはどうだろうか? 一度、あなた自身を、客観的に見つめてみるとよい。なお、こ
のアイデンティティが、乱れると、その人の情緒は、きわめて不安定になる。いろいろな情緒障 害、さらには精神障害の遠因になる。よいことは何もない。
そうであっても、そうでなくても、自分をすなおに表現していく。それはあなた自身の精神生活
を守るためにも、とても重要なことである。
さあ、あなたも今日から、勇気をもって、「YES」「NO」を、はっきりと言ってみよう。がまんす
ることはない。とりつくろうことはない。どこまでいっても、私は私だ。あなたはあなただ。
●心理学でいう、アイデンティティ
心理学でいう「アイデンティティ」とは、(私らしさ)の追求というよりは、(1)「自分は、他者とは
ちがうのだ」という独自性の追求、(2)「私にはさまざまな欲求があり、多様性をもった人間で ある」という統合性の容認、(3)「私の思想や心情は、いつも同じである」という一貫性の維持 をいう。
こうしたアイデンティティを、自分の中で確立することを、「アイデンティティの確立」という(エリ
クソン)。
ただ注意しなければならないのは、こうしたアイデンティティは、他者とのかかわりの中でこ
そ、確立できるものだということ。
暗い一室に閉じこもり、独善、独尊の世界で、孤立することは、アイデンティティではない。
「私らしさ」というのは、あくまでも、他者あっての「私らしさ」ということになる。
【補記】
仮にアイデンティティを確立したとしても、それがそのまま、その人の個性となって、外に現れ
るわけではない。ストレートに、そのアイデンティティが外に出てくる人もいれば、そうでない人も いる。
たとえば今、コップの中に、色水が入っているとする。その色水は、うすいブルー色であると
する。
もしこのとき、コップが、無色の透明であれば、コップの外からでも、色水は、うすいブルー色
に見える。
しかしもしコップに、黄色い色がついていたりすると、コップの中の色水は、グリーンに見える
かもしれない。
このとき、コップの中の色水を、「真の私」とするなら、外から見える私は、「ニセの私」という
ことになる。真の私は、外に出るとき、コップの色によって、さまざまな色に変化する。
たとえば私は、他人の目から見ると、明るく快活で、愛想のよい男に見えるらしい。しかし真
の私は、そうではない。どちらかというと、わがままで、むずかしがり屋。孤独に弱く、短気。い つも不平、不満が、心の奥底で、ウズを巻いている。……というのは、言い過ぎかもしれない が、少なくとも、(真の私)と、(外に出ている私)の間には、大きなギャップがある。
真の私が入っているコップには、あまりにも、さまざまな色が混ざりすぎている。そのため、私
は、外の世界では、真の私とはちがった私に見られてしまう。
まあ、私自身は、他人にどう見られようとかまわないが、しかし子どもを見るときは、こうした
視点をもたないと、その子どもを理解できなくなってしまうことがある。
その子どもは、どんな色水の子どもか? そしてその子どもは、どんな色のコップに入ってい
るか? それを正しく判断しないと、その子どものアイデンティティを見失ってしまうということ。
アイデンティティの問題には、そんな問題も含まれる。
(4)人格の完成(利己から利他へ、内へ向かう子どもたち)***********
●人格の完成度
子どもの人格の完成度は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。
(19)共感性
(20)自己認知力
(21)自己統制力
(22)粘り強さ
(23)楽観性
(24)柔軟性
これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の高い子
どもとみる(「EQ論」)。
順に考えてみよう。
(19)共感性
人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーターが、
「共感性」ということになる。
つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲し
み、悩みを、共感できるかどうかということ。
その反対側に位置するのが、自己中心性である。
乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、その
自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。
が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さらにこの
自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、権威主義、世 間体意識へと、変質することもある。
(20)自己認知力
ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私は何を
したいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。
この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているかわから
ない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっきりしない。優柔 不断。
反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言っているこ
とを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方を示すことが多 い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。
(21)自己統制力
すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子どもの
ばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。
たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらにため
て、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。
が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけのた
めに使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわらず、お菓 子をみな、食べてしまうなど。
感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口にし
たり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統制力の弱い 子どもとみる。
ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制力に
分けて考える。
(22)粘り強さ
短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界を見て
いると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。
能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題のある
子どもでも、短気な子どもは多い。
集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気にな
る。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ子どもも いる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。
この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。
(23)楽観性
まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向きに、も
のを考えていく。
それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしなところ
で、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、悩んだりすること もある。
簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。
ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲気にも
よるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。
たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観的と言え
ば、楽観的。超・楽観的。
先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」と。そこで
「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。さらに、「なおらなか ったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、しかたないでしょう」と。
冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、考える人
もいる。
(24)柔軟性
子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。
この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。
●がんこ
心に何か、問題が起きると、子どもは、(がんこ)になる。ある特定の、ささいなことにこだわ
り、そこから一歩も、抜け出られなくなる。
よく知られた例に、かん黙児や自閉症児がいる。アスペルガー障害児の子どもも、異常なこ
だわりを見せることもある。こうしたこだわりにもとづく行動を、「固執行動」という。
ある特定の席でないとすわらない。特定のスカートでないと、外出しない。お迎えの先生に、
一言も口をきかない。学校へ行くのがいやだと、玄関先で、かたまってしまう、など。
こうした(がんこさ)が、なぜ起きるかという問題はさておき、子どもが、こうした(がんこさ)を
示したら、まず家庭環境を猛省する。ほとんどのばあい、親は、それを「わがまま」と決めてか かって、最初の段階で、無理をする。この無理が、子どもの心をゆがめる。症状をこじらせる。
●柔軟な思考性
一方、人格の完成度の高い子どもほど、柔軟なものの考え方ができる。その場に応じて、臨
機応変に、ものごとに対処する。趣味や特技も豊富で、友人も多い。そのため、より柔軟な子 どもは、それだけ社会適応性がすぐれているということになる。
一つの目安としては、友人関係を見ると言う方法がある。(だから「社会適応性」というが…
…。)
友人の数が多く、いろいろなタイプの友人と、広く交際できると言うのであれば、ここでいう人
格の完成度が高い、つまり、社会適応性のすぐれた子どもということになる。
【子ども診断テスト】
( )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
( )してはいけないこと、すべきことを、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
( )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
( )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
( )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
( )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
( )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。
ここにあげた項目について、「ほぼ、そうだ」というのであれば、社会適応性のすぐれた子ども
とみる。
●沈黙論
●沈黙の価値のわからない者は、しゃべるな
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スペインの格言に、「沈黙の価値のわからない者は、
しゃべるな」というのがある。
その「沈黙」には、重大な意味が隠されている。
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スペインの格言に、「沈黙の価値のわからない者は、しゃべるな」(Don't speak unless you
can improve upon the silence. )というのがある。
正確には、この英文は、どう訳せばよいのか。「しゃべるとしても、沈黙の価値を知った上で、
しゃべれ」ということか。要するに、「沈黙」には、しゃべること以上に、重要な意味がある。しゃ べるとしても、その重要性を知った上で、しゃべる。
簡単な例では、ウソがある。昔、オーストラリアの友人が、私にこう言った。「ウソをつくくらい
なら、黙っていたほうがいい」「聞かれるまで、本当のことを言う必要はない」と。
一理ある。
もちろん言うべきときには、言う。しかしそれも相手による。言う価値のない相手だったら、沈
黙を守ったほうがよい。たとえば少し前、私に意味のない説教をしてきた人(男性、70歳くら い)がいた。が、その瞬間、私は、相手を見て、沈黙した。実際には、「そうですね。そのとおり です」と言って、笑って逃げた。
相手にしても、しかたのない人だったからである。その相手は、私の表面的な部分だけを見
て、あれこれと言った。反論することもできたが、それには、こちらの事情も話さなければなら ない。それがめんどうだった。
あとは、沈黙。
つまりこうしたケースでは、ムキになって、反論する必要はない。相手が、それなりの人徳者
なら、話は別。が、そうでないなら、そっとしておいてやるのも、(思いやり)というもの。その人 には、その人なりの人生がある。その人生を支えてきた哲学(?)がある。たとえばこんな例が ある。
この話は、すでに何度もマガジンで取りあげたことがあるので、覚えている人もいるかもしれ
ない。
ある女性のことだが、現在は、カナダに住んでいる。で、その女性の実の父親が危篤状態に
なったときのこと。その女性は、2人の子どもを夫に預けて、カナダから急きょ、帰国した。で、 その夜のこと。
父親の容態がひとまず安定したので、その女性は、実家に帰って休むことにした。長旅の疲
れもあった。が、それについて、姉の義理の叔父が、(血縁関係のない、姉の義理の叔父だ ぞ!)、その女性を責めた。
「実の娘なら、たとえ長旅で疲れていても、寝ずの看病をするのが当たり前だ。何という娘だ」
と。
この言葉に、その女性は、かなりのショックを受けた。私にメールで相談してきたのは、その
直後のことだった。言い忘れたが、その女性は、35歳。義理の叔父は、70歳だった。
こういうケースのばあい、その叔父というのが、ここでいう(相手にする価値もない相手)という
ことになる。ムキになって反論したところで、意味はないし、またそれで納得して、引きさがるよ うな相手でもない。
それに70歳という年齢を知ると、それなりの人格者を想像する人も多いかもしれない。しか
し70歳は、70歳。実際には、加齢とともに、人格そのものが後退する人となると、ゴマンとい る。脳みその活動がコチコチになる人というと、さらに多い。
そういう人は、相手にしない。
つまり沈黙を守る。言葉はきついが、相手を、サルかイヌとでも、思えばよい。私のばあい
は、即座に相手の背景を見抜き、相手にすべきかどうか、その場で判断するようにしている。 たとえば、道路で、チンピラ風の男にからまれたようなとき、など。「すみません」と言って、頭を さげて、その場を離れる。
つまり、それが沈黙の価値ということになる。ときには、悔しい思いをすることもあるだろう。
不愉快さが、心をふさぐこともあるだろう。が、しばらくすると、その分だけ、自分の心が広くな ったように感ずる。そしてそれを繰りかえしていると、沈黙のもつ価値が、わかるようになる。
しゃべるとしても、その上で、しゃべる。その価値を熟知した上で、しゃべる。
それが「沈黙の価値のわからない者は、しゃべるな」(Don't speak unless you can improve
upon the silence. )という格言の意味ということになる。
この英文を直訳すると、「沈黙の上に発展したものでなければ、しゃべるな」ということにな
る。そしてその意味は、「沈黙の価値を知り、その沈黙を知り尽くしたものだけが、しゃべれ」と いうことになる。
まことにもって、「ナルホド」と納得できる、格言だと、私は思う。
【補記】
二男の妻のデニーズに、さっそく、問いあわせる。
その返事が、届いた。
Hello, Hiroshi!
Another way of saying, "Don't speak unless you can improve upon the
silence." might be "Don't say anything unless it's something worth
hearing." Mindless chatter is not valuable. Silence is better. If a
person wants to speak, he should make sure that what he says is useful
or beneficial.
こんにちは、ヒロシ!
「Don't speak unless you can improve upon the silence.」の、もうひとつの言い方は、「それが
聞く価値のないものであるなら、何も言うな」ではないかと思います。意味のないおしゃべりは、 価値がありません。沈黙のほうが、ベターです。もし人がしゃべりたいなら、自分の言っている ことが価値あることかどうか、あるいは相手に恩恵を与えるものであるかどうかを、確かめるべ きです。
How are you and your family? Did you have a nice birthday? I enjoyed
your picture at the flower park; it reminded us of when we visited in
autumn 3 years ago.
家族のみなさんは、いかがですか。よい誕生日でしたか。あなたのフラワーパークでの写真を
楽しみました。3年前の秋、そこを訪れたのを、その写真は、思い起こさせました。
Denise
デニーズ
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●沈黙の価値(2)
++++++++++++++++++
日本では、昔から、『負けるが、勝ち』と
いう。
同じように、『沈黙は、勝ち』と覚えて
おくとよい。
相手にもよるが、とるに足りない相手な
ら、言いたいように、言わせておけば
よい。
それができる人を、度量の大きい人と
いう。
++++++++++++++++++
近所づきあい、親類づきあいというのは、とかく、わずらわしい。子どもの親どうしのつきあい
となると、さらにわずらわしい。
こういうときの鉄則は、ただひとつ。『負けるが、勝ち』。相手の言ったことを真(ま)に受けて、
決してムキになってはいけない。ムキになった瞬間、相手と同等のレベルの人間になったこと を意味する。
では、どうするか。
『負けるが、勝ち』なら、『沈黙は、勝ち』と覚えておくとよい。沈黙を守って、その場をやりすご
す。言いたいこともあるだろう。不愉快に思うこともあるだろう。悔しい思いをすることもあるだ ろう。しかしそこは、ぐっとがまん。
それができる人を、度量の大きい人という。
ところで私は、つい先日、満59歳になった。50代の終わりということだが、心理学の世界で
は、「満55歳が、ひとつの節目」と考えられている。この年齢を境に、展望性(未来に向かうエ ネルギー)と、回顧性(過去に向かうエネルギー)が、ちょうど、交差するという。わかりやすく言 えば、未来を展望する力よりも、過去を回顧する力のほうが、強くなるということ。
80歳をすぎても、乳幼児の医療費無料化運動に取り組んでいた女性がいた。このタイプの
女性は、展望性が強い人ということになる。反対に、ある女性(65歳くらい)は、会うたびに、仏 壇の金具をみがいてばかりいた。このタイプの女性は、回顧性が強い人ということになる。
どちらを選ぶかは、その人の自由だが、しかしこの時期、つまり満55歳前後を境に、ほとん
どの人は、進歩することを、自ら放棄してしまう。が、人がもつ精神力というか、精神的エネル ギーというのは、つねに補充していかないと、どんどんと減少する。
それはたとえて言うなら、穴のあいたバケツのようなもの。加齢とともに、その穴は、ますます
大きくなる。だから人は、加齢とともに、さらに多くの情報を吸収し、さらによくものを考えなけれ ばならない。
が、それでも現状維持が精一杯。進歩など、もう望むべくもない。が、進歩することをやめた
とたん、その人の人格は、後退し始める。精神力は低下し、精神的エネルギーは、減少する。
それは健康論に似ている。究極の健康法というのは、ない。健康というのは、日々の体の鍛
錬(たんれん)のみによって、維持される。鍛錬をやめたとたん、その人の健康は、低下する。
話が脱線したが、私の年齢になると、その人が健康であるかどうか、一目(ひとめ)でわかる
ようになる。同じように、その人の精神的レベルも、一目でわかるようになる。つまり相手にす べき人かどうか、それが一目でわかる。
そこで沈黙論。
相手にすべきでないとわかったら、沈黙する。これにまさる対処法はない。仮にそれでも、そ
の相手がからんできたら、適当にあしらって、その場から去る。
時の流れは無限だが、こと個人について言えば、有限である。私にしても、平均寿命の年齢
まで生きられれば、御(おん)の字。しかしそのころには、頭もボケて、生きる屍(しかばね)とな っているかもしれない。だから(生きる)ということになれば、あと5年か、10年。そのうち、大病 が襲ってくるかもしれない。
だから無駄にできる時間など、ない。『時は金(マネー)なり』というが、私にとっては、『時その
ものが、金(ゴールド)』ということになる。だからこそ、よけいに、つまらない人たちを相手にし て、時間を無駄にしたくない。そういう思いが強くなる。
そんなわけで……というのでもないが、このところ毎日のように、『沈黙の価値のわからない
者は、しゃべるな』の意味ばかり、考えている。私は、今まで、あまりにも、おしゃべりだった。 時間を無駄にした。
そうそう嫁のデニーズが、おもしろいことを言った。
『相手にとって、価値のないこと、恩恵のないことは、しゃべるべきではない』と。まさにその通
りだと思う。卑近な例では、人の悪口、中傷、批判、それにグチは、言うべきでないということに なる。ナルホド!
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
昨日、「沈黙」について、書いた。「相手にとって、価値のないこと、役に立たないことは、話す
な」と。『沈黙の価値のわからない者は、しゃべるな』ともいう。
で、そのあと、ずっと、それについて考えていた。私は今まで、おしゃべりだった。沈黙の価値
など、考えたこともなかった。今、こうしてものを書いていることでさえ、見方によっては、(おし ゃべり)ということになる。
が、今日からでも、遅くない。実際、昨日は、沈黙の価値をずっと、かみしめながら行動した。
「かみしめた」というのは、「自分に言い聞かせながら」という意味である。たとえば何人かの母 親たちと会話を交わしたが、そのつど、相手にとって、価値のあること、役にたちそうなことだ けを、心がけて話した。
子ども(生徒)たちにもそうした。「この子どもは、何を求めているだろう」「この子には、どんな
話をすればいいだろう」と。しゃべる前に、一呼吸、おくことにした。が、それについてワイフに 説明すると、ワイフは、こう言った。
「向こうから、話しかけてきたら、どうしたらいいの?」「中には、ゴシップ好きの人もいるわ」
と。
女性の世界には、女性の世界独特の雰囲気というものがある。おしゃべりの人も多い。一日
中、ムダなことを、ペチャペチャとしゃべっている。
私「相手にしないことだよ」
ワ「そんなわけには、いかないわよ」
私「だったら、最初から、そんな質問を、ぼくにするな」
ワ「どうして?」
私「うるさい。それがおしゃべりということ」と。
私のワイフも、おしゃべり。沈黙の価値というのが、わかっていない。
そうそう先日、地元のバス会社が運営する、Bツアーというので、長野県のほうまで行ってき
た。「うまいもの、食べ歩き」という名前のツアーである。
そのときのガイドのうるさいことといったら、なかった。意味のない、どうでもよいことを、何時
間も、ひとりでしゃべっていた。本人はあれで、ガイドをしているつもりなのだろうが、あまりの 低レベルに驚いた。「みやげものの日本一は、xxx。二番目は、yyy……」と。
しかも甲(かん)高い声で、キンキンと言っては、自分で笑っていた。
私は紅葉を始めた山々の景色をのんびりと楽しみたかった。が、それができなかった。だか
ら帰りに渡された、会社へのアンケート用紙には、こう書いてやった。
「ガイドの低劣なおしゃべりには、閉口しました」と。
そう言えば、数日前に、市内のあるところで、瀬戸物祭というのがあった。先日、愛知県の瀬
戸市の瀬戸物祭に行ってからというもの、このところ、瀬戸物に興味がある。それで、その会 場へ、行ってみた。
その瀬戸物祭の会場でも、中央に、大きなラジカセを置き、ガンガンと音楽を流していた。若
い女の子が好みそうな、キャンキャンとした音楽だった。まさに、騒音! それが、うるさくてた まらなかった。
ガイドのおしゃべりと、瀬戸物祭での音楽。これも、「沈黙」の価値の知らないものによる、無
駄なおしゃべりと同じに考えてよいのではないだろうか。
●一貫性
●一貫性(人格の連続性)
++++++++++++++++
ボケるから一貫性がなくなるのか。
それとも、一貫性がなくなることを、
ボケの初期症状ととらえてよいのか。
その一貫性について……。
++++++++++++++++
一貫性、つまり人格の連続性には、2つの意味がある。
(1)精神的、情緒的、連続性
(2)知的、論理的、連続性
(1)精神的、情緒的、連続性
たとえば会うたびに、気分が変化しているというのは、それだけで一貫性がないということに
なる。
印象に残っている男性(当時50歳くらい)に、F氏という人がいた。そのF氏だが、会うたび
に、様子がちがっていた。妙になれなれしく、愛想がよいと思ったその数日後には、私があいさ つをしても、むっとした表情で、私をにらみ返したりするなど。
私のほうが、どう対処してよいか、困ったことさえある。
そのF氏は、7〜8人ほどの従業員を使って、弁当屋を経営していたが、私が「?」と感じ始め
たころから、経営がおかしくなったと聞いている。従業員との間でトラブルを連発するようにな り、そのあと、F氏は、今で言う認知症と診断され、入院。その5、6年後に、なくなってしまっ た。
(2)知的、論理的、連続性
言っていることに連続性がないというのも、困る。
こんなことがあった。地域の子ども会の役員をしていたときのこと。ある催しものをすることに
なり、Aさんという女性(当時、60歳くらい)に、仕事を頼んだことがある。
電話で、私がそれを頼むと、Aさんは、明るい声で、「いいですよ。そんなことは。何でもありま
せんから。ちょっと、車を走らせれば、それですむことですから」と。
私は安心して、その仕事を、Aさんに任すことにした。が、である。
無事、その催し物がすんで、Aさんの家に電話を入れると、様子が一変していた。私は、お礼
を言うつもりだけだった。が、Aさんは、あれこれ苦情を並べ始めた。「Bさんが、あと片づけし ないで、帰ってしまった」「Cさんにも仕事をしてもらったが、Cさんが、ブツブツ、不平を言ってい た」と。
さらに数日後、今度は、Bさんのほうから電話があり、Bさんは、私にこう言った。「あのAさん
が、林さんから、一方的に仕事を押しつけられたとかで、怒っていますよ」と。
私は、何がなんだか、わけがわからなくなってしまった。
一方、一貫性のある人は、精神的な面でも、また知的な意味においても、一貫性がある。こ
の一貫性こそが、良好な信頼関係をつくる、基礎となる。友人や知人だけには、かぎらない。 親子の間でも、そうである。
よきにつけ、悪しきにつけ、親は、一貫性をもつ。これも、子育ての基本のひとつと考えてよ
い。たとえば親が、そのときどきの気分に応じて、子どもに甘くなったり、反対にきびしくなった りしていて、どうして親子の間で、安定的な人間関係を結ぶことができるというのか。
ここでいう「よきにつけ、悪しきにつけ、一貫性をもつ」というのは、たとえば過保護的である
にせよ、あるいは過干渉的であるにせよ、「いつもそうである」という一貫性をもつことをいう。 その一貫性さえあれば、やがて子どものほうが、親に合わせて、自分を調整するようになる。
その一貫性だが、10年ほど前、私は、こんなことを経験している。当時の私は、毎日のよう
に電話相談を受けていた。
ある母親からの、子どもの不登校についての相談であった。子どもはそのとき、小学2年生
だった。
最初は、「何とか、学校へ行かせたい」という相談だった。で、何か月かあとには、その母親
が望むように、何とか、昼間の数時間だけだが、その子どもは、学校へ行くようになった。が、 しばらくすると今度は、「毎日、学校への送り迎えがたいへん」「時間がとられる」「勤務先で、上 司に注意された」と。
そこでまた、あれこれと相談にのっていると、その子どもは、何とか、みなと同じように、朝、
自分で学校へ行くようになった。が、学校では、理科の実験室に閉じこもったまま。そこで今度 は、その母親は、「何とか、教室で勉強できるようにしたい」と。
そこであるとき、私は、その母親にこう言った。
「問題は、少しずつかもしれないが、1つずつ解決している。少なくとも、今は、いい方向に向
かって、ものごとが進んでいる。まず、そのことを、すなおに喜びましょう」と。
実際、このタイプの母親の要求には、際限がない。子どもが教室で勉強できるようになると、
「何とか、給食時間まで」となる。そして子どもが給食を食べるようになると、今度は、「何とか、 終わりのあいさつの時間まで」となる。
中には、別の母親のことだが、こんなことを言ってきた人もいた。
「2年間も不登校児でした。やっと学校へ行くようになったが、勉強の遅れを取りもどすために
は、どうしたらいいか」「進学の準備もしたいが、どうしたらいいか」と。
これも、やはり一貫性の問題と考えてよい。相談にのっている私のほうが、そのつど、振りま
わされるだけ。こういう例は、多いが、問題は、人はなぜそうなるかということ。
で、最近、自分自身がその危険年齢に達したこともあるが、こんなことに気づいた。一貫性の
ある、なしは、頭のボケ症状と関連があるのではないかということ。ボケとは、直接関係なくて も、頭の働きが鈍くなると、一貫性がなくなる(?)。あくまでも素人判断だが、そのように感ずる 場面が、しばしばある。
頭のボケ始めた人は、そのつど、言うことがクルクルと変わる。そのことに気づいたのは、こ
んな事件があったからだ。
私のワイフが、Xさん(女性、65歳くらい)のお金を、何かのことで、立て替えて支払ったこと
がある。金額は、6万円だった。
で、1、2か月後、ワイフが、Xさんに電話をすると、Xさんは、こう言ったという。「あのお金は、
水色の封筒に入れて、バッグの中に入れたままにしてある。返すのを忘れた」と。
で、それからさらに数か月後。再び、そのお金のことで、Xさんに電話をすると、「そんなお金
のことは知らない」と。水色の封筒についても、「そんな話をした覚えはない」と。
ワイフは、「あのXさん、ボケたみたい」と言っていたが、やはりそのXさんには、一貫性がない
ということになる。
言い忘れたが、EQ論(=人格の完成論)でも、この一貫性のあるなしを、ひとつの目安にし
ている。言うまでもなく、一貫性、つまり人格の連続性のある人ほど、人格の完成度が高い人 ということになる。そうでなければそうでない。
言いかえると、一貫性のある人は、他者と安定的な人間関係を結ぶことができる。そして良
好な人間関係を築くことができる。が、その一貫性がないと、他者と安定的な人間関係を結ぶ ことができない。ボケが進むと、その一貫性が消える。精神面はもちろん、知的な意味でも、き わめて不安定になる。
繰りかえすが、親子の間でも、そうである。子どもの前では、努力して、この一貫性を守る。こ
こではボケとからめて一貫性について考えてみたが、ボケていなくても、一貫性のない親という のは、いくらでもいる。
さて、あなたは、だいじょうぶか? (あるいは、私もあぶないかもしれない……。)
(付記)
ここに書いたXさんだが、ワイフは、こう話してくれた。
ペラペラとよくしゃべるが、そのつど、思いついたことをしゃべっているだけという感じだそうだ。
しかもひとつのことについて話していると、話の内容が、どんどんとこまかくなっていくという。
電話で話していても、一方的にしゃべるだけ。そしてそれが終わると、突然、ガチャンと電話
を切ってしまう、とか。
ワイフは、こう言う。「以前から、大局的にものを考えて、総合的に判断することができない人
だとは思っていたけど、このところ、ますますその症状がひどくなってきたみたい」と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 親子
の一貫性 良好な人間関係 人格の完成度 子供の心理 親の心理 人格の一貫性 連続 性)
●観察学習
+++++++++++++++
子どもの世界には、「観察学習」と
呼ばれる、よく知られた現象がある。
子どもは、まわりの人たちの様子を
見ながら、自ら学習していく。
それを「観察学習」という。
+++++++++++++++
子どもの世界には、「観察学習」と呼ばれる、よく知られた現象がある。子どもは、まわりの人
たちの様子を見ながら、自ら学習していく。それを「観察学習」という。
この観察学習のすぐれている点は、子どもが自発的に学んでいくという点で、それがよい方
向性をもっているものであれば、きわめて効果的であるということ。(もちろん、その反対もある が……。)
たとえばあることをして、隣のA君が、先生にほめられたとする。すると、その子どもはそれを
見ながら、「自分も同じことをすれば、先生にほめられる」ということを学ぶ。そしてつぎの機会 に、その子どもは、A君がしたことと同じようなことをして、先生にほめられようとする。
子どもは、さまざまな経験を通して、自分自身の精神力を、(強く)していく。これを発達心理
学の世界でも、「強化」という。わかりやすく言えば、(やる気につなげていく)ということ。たとえ ば(何かをする)→(先生にほめられる)→(それがよいことだと学ぶ)→(さらに同じことを繰り かえす)と。
この強化が重なって、子どもは、自発的に、かつ、前向きに行動するようになる。
観察学習は、直接、自分で経験するのではないという意味で、「代理強化」と呼ばれている。
が、そのモデルは、必ずしも、現実のものとはかぎらない。テレビや本の主人公をモデルにす ることもある。映画のヒーローを見ながら、モデルにすることもある。
たとえば私は子どものころ、自分がその子どもであることを忘れて、よくこう言った。「ぼくは、
女と子どもは相手にしない」と。多分、何かの映画の中で出てきたセリフを、そのまま口にして いたのだと思う。それを口にしたとき、どこか、自分がヒーローにでもなったかのように気分が よかったのを、今でも、よく覚えている。
で、この観察学習には、二面性がある。先にも書いたように、それがよい方向性をもってい
ればよい。しかし、ときとして、それが悪い方向性をもつこともある。
たとえばB君ならB君が、何か悪いことをして、得をしたのを、ある子どもが見たとしよう。万
引きでもよい。B君が、万引きをして、その子どもがほしかった、ゲーム機器を手に入れたとす る。それをその子どもが見ていたとする。
このときその子どもは、万引きをすれば、自分のほしいものを手に入れることができるという
ことを、学習する。が、こうしたケースでは、それが発覚すれば、当然のことながら、罰を受ける ことになる。(万引きをする)→(罰を受ける)、と。それを見ながら、今度は、その子どもは、「万 引きをすることは、悪いことだ」ということを学習する。
そこで重要なことは、子どもは、子ども時代に、できるだけ多くの経験をし、行動のレパートリ
ーをたくさんもつということ。もちろんその中には、ここでいう観察学習も、含まれる。多ければ 多いほど、よい。万引きをして得をした子どもだけではなく、万引きをして、親に叱られる子ども も、同時に観察しておかねばならない。
まずいのは、たとえば親子だけのマン・ツー・マンの世界をつくりあげ、その中で子どもを育て
ること。子ども自身は、一見、ものわかりのよい子どもになるが、レパートリーが少ない分だ け、小回りができなくなる。臨機応変に判断し、行動できなくなる。判断するとしても、どこか偏 (かたよ)ったものになる。
話が脱線したが、私は、「子どもの先生は、子ども」と考えている。だから私が主宰するBW
教室では、ある学年(小学4、5年生)を過ぎるころから、上級生といっしょに座らせて、勉強さ せるようにしている。
こうすることによって、上級生から(勉強ぐせ)を受け継ぐことができる。言うなれば、これも観
察学習ということになる。
この方法のすぐれている点は、1年先、2年先の自分の未来像を、子ども自身がもつことが
できるということ。わかりやすく言えば、未来に向かう(地図)を手に入れることができる。
またまた話が脱線したが、この「観察学習」という言葉を、心のどこかに留めておくと、子ども
を指導する上で、役立てることができる。子どもが、子どもの目を通して、そのとき、何を見、何 を考えているかを知る。それだけでも、子どもの指導法が、大きく変わってくる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 観察
学習 強化 代理強化 モデル)
●非行
●親との時間短いと、非行に(?)
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親や大人と過ごす時間が短ければ短いほど、
子供は問題行動に走りやすいという調査結果が、
イギリスのシンクタンクより発表された。
+++++++++++++++++++++++
親や大人と過ごす時間が短ければ短いほど、子供は問題行動に走りやすいという調査結果
が、イギリスのシンクタンクより発表された。
しかし、こうした調査結果を読むとき、注意しなければならないのは、どちらが卵で、どちらがニ
ワトリかということ。
つまり(親との時間が短い)から(子どもが非行に走りやすくなる)のか、それとも、(子ども非
行に走るようになる)から(親との時間が短くなる)のかということ。さらに、(親との時間)といっ ても、幼児期のことをいうのか、それとも非行が問題になる、少年、少女期のことをいうのかと いう問題もある。
短絡的に、(親との時間が短い)イコール、(子どもの非行)と考えると、誤解のもととなる。
もう少し、調査結果をていねいに読んでみよう。TBS−iニュースは、つぎのように伝える。
+++++++++++
……イギリスの有力シンクタンク、「IPPR」は11月6日、ヨーロッパ各国の青少年の行動を調
査した、30年に及ぶデータの分析結果を発表しました。
それによりますと、15歳の子供で、暴力や飲酒、薬物、性行為などの行動をする割合が高
く、「ヨーロッパ・最悪の国」とされたのがイギリスでした。
そのイギリスと、問題行動が少なかったイタリアのデータを比較したところ、「日ごろ、家族と
一緒に夕食を食べる」では、イギリスが64%、イタリアが93%、また、「親とよく話をする」で は、イギリスが62%、イタリアが86%などという結果になっています。
「親と一緒に過ごす時間の少ない若者が、反社会的な行動を、より取りやすいことを示す膨
大な証拠があります」(「IPPR」 ジュリア・マーゴ担当研究員)。
ちなみに、日本のデータは、それぞれの質問で82%、58%でした。
今回の調査結果は、子供たちの行動において、家庭の役割が、いかに大きいかを改めて示
していると言えます。
++++++++++
もう少しわかりやすくするために、数字を整理してみよう。
●日ごろ、家族と一緒に夕食を食べる
イギリス ……64%
イタリア ……93%
日本 ……82%
●親とよく話をする
イギリス ……62%
イタリア ……86%
日本 ……58%
●上記2つの数値を平均してみると……
イギリス ……63%
イタリア ……90%
日本 ……70%
この平均値をみるかぎり、日本のそれは、イタリアよりも、イギリスに近いということになる。
(イタリアとの差は20%、イギリスとの差は7%。)
と考えていくと、親との時間が短いと、非行に走りやすいとは、必ずしも、言えないのではない
のか。あるい意味で、「親と一緒に過ごす時間の少ない若者が、反社会的な行動を、より取り やすい」というのは、常識。放任主義が、子どもの教育にとってよくないことは、だれでも知って いる。それを、あえて「それを示す膨大な証拠があります」とは!?
かりに15歳のときはよくても、イタリアのばあい、そののち、おとなに近づくにつれて、非行化
が急速に進む。
ちなみに、犯罪被害者数の対人口比でみると、つぎのようになっている(OECD、Factboo
k・2006)。
イギリス ……26・4人(2000年)
イタリア ……24・6人(1989年)(2000年度の資料なし)
日本 ……15・2人(2000年)
犯罪被害者数でみるかぎり、イギリスもイタリアも、それほど、ちがわないのがわかる。なおこ
の調査結果によると、あのオーストラリアが1位で、30・0人(2000年)だそうだ。
OECD諸国では、全体に、犯罪被害者数は、増加している。同じ、1989年で比較すると、つ
ぎのようになる。
イギリス ……19・4人(1989年)
イタリア ……24・6人(1989年)
日本 …… 8・5人(1989年)
つまり、イギリスより、イタリアのほうが、はるかに犯罪被害者数が多いのである。
こうした調査結果というのは、決して、一元的な側面からのみで、うのみにしていはいけな
い。仮に、「IPPR」の ジュリア・マーゴ担当研究員の言っていることが正しいとしても、見方を変 えれば、それだけイギリスの子どもたちは、親から独立しているということになる。
……で、今ごろは、どこかの教育団体や、教育者たちが、「そら、見ろ!」と、この数字をとり
あげて、「親との会話の重要性」と説いていることだろう。それはまちがっていない。常識であ る。
ただ現実問題として、ではどうすれば、親との会話の時間をふやせるかということになると、
ことは簡単ではない。『言うは易(やす)し、行なうは難(かた)し』ということになる。
……この私の考え方は、少しヒネクレているかな?
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 親と
の対話 親子の触れ合い ふれあい 親と子どもの非行 子供の非行)
●子どもの国語力が決まるとき
●幼児期に、どう指導したらいいの?
以前……と言っても、もう30年近くも前のことだが、私は国語力が基本的に劣っていると思
われる子どもたちに集まってもらい、その子どもたちがほかの子どもたちと、どこがどう違うか を調べたことがある。結果、つぎの3つの特徴があるのがわかった。
(1)使う言葉がだらしない……ある男の子(小2)は、「ぼくジャン、行くジャン、学校ジャン」とい
うような話し方をしていた。「ジャン」を取ると、「ぼく、行く、学校」となる。
たまたま『戦国自衛隊』という映画を見てきた中学生がいたので、「どんな映画だった?」と聞く
と、その子どもはこう言った。「先生、スゴイ、スゴイ! バババ……戦車……バンバン。ヘリコ プター、バリバリ」と。何度か聞きなおしてみたが、映画の内容は、まったくわからなかった。
(2)使う言葉の数が少ない……ある女の子(小四)は、家の中でも「ウン、ダメ、ウウン」だけで
会話が終わるとか。何を聞いても、「まあまあ」と言う、など。母「学校はどうだったの?」、娘「ま あまあ」、母「テストはどうだったの?」、娘「まあまあ」と。
(3)正しい言葉で話せない……そこでいろいろと正しい言い方で話させようとしてみたが、どの
子どもも外国語でも話すかのように、照れてしまった。それはちょうど日本語を習う外国人のよ うにたどたどしかった。私「山の上に、白い雲がありますと、言ってごらん」、子「山ア……、上に イ〜、白い……へへへへ」と。
原因はすぐわかった。たまたま子どもを迎えにきていた母親がいたので、その母親にそのこ
とを告げると、その母親はこう言った。「ダメネエ、うちの子ったら、ダメネエ。ホントにモウ、ダ メネエ、ダメネエ」と。原因は母親だった!
●国語能力は幼児期に決まる
子どもの国語能力は、家庭環境で決まる。なかんずく母親の言葉能力によって決まる。
毎日、「帽子、帽子、ハンカチ、ハンカチ! バス、バス、ほらバス!」というような話し方をして
いて、どうして子どもに国語能力が身につくというのだろうか。こういうケースでは、たとえめん どうでも、「帽子をかぶりましたか。ハンカチを持っていますか。もうすぐバスが来ます」と言って あげねばならない。……と書くと、決まってこう言う親がいる。「うちの子はだいじょうぶ。毎晩、 本を読んであげているから」と。
言葉というのは、自分で使ってみて、はじめて身につく。毎日、ドイツ語の放送を聞いている
からといって、ドイツ語が話せるようにはならない。また年中児ともなると、それこそ立て板に水 のように、本をスラスラと読む子どもが現れる。しかしたいていは文字を音にかえているだけ。 内容はまったく理解していない。
なお文字を覚えたての子どもは、黙読では文を理解できない。一度文字を音にかえ、その音を
自分の耳で聞いて、その音で理解する。音読は左脳がつかさどる。一方黙読は文字を「形」と して認識するため、一度右脳を経由する。音読と黙読とでは、脳の中でも使う部分が違う。そ んなわけである程度文字を読めるようになったら、黙読の練習をするとよい。具体的には「口 を閉じて読んでごらん」と、口を閉じさせて本を読ませる。
●幼児教育は大学教育より奥が深い
今回はたいへん実用的なことを書いたが、幼児教育はそれだけ大切だということをわかって
もらいたいために、書いた。相手が幼児だから、幼稚なことを教えるのが幼児教育だと思って いる人は多い。
私が「幼稚園児を教えています」と言ったときのこと。ある男(五四歳)はこう言った。「そんなの
誰にだってできるでしょう」と。しかし、この国語力も含めて、あらゆる「力」の基本と方向性は、 幼児期に決まる。そういう意味では、幼児教育は大学教育より重要だし、奥が深い。それを少 しはわかってほしかった。
【心的外傷後ストレス障害(PTSD、Post traumatic Stress Disorder)】
++++++++++++++++++
PTSD、つまり心的外傷後ストレス
障害で苦しんでいる人は、多いですね。
私も苦しみました。
そんな経験を、書いてみました。
++++++++++++++++++
●PTSD
その人の処理能力を超えた、強烈なストレスが加わると、その人の心に、大きな影響を与え
る。そのときそれがふつうの記憶とは異なり、脳に外傷的記憶として残ることがある。そして日 常生活において、さまざまな症状や障害を示すことがある。こうした一連のストレス性障害を、 心的外傷後ストレス障害という。
Aさんは、あやうく上の子どもを、水死させるところだった。家族でキャンプに行ったときのこと
だった。水から救い出したときには、すでに意識はなかったが、幸い、父親が人工呼吸をほど こしたところ、息を吹きかえした。上の子どもが6歳、したの子どもが4歳のときのことだった。
以後しばらくは、その子どもが無事だったとことを喜んだが、しかしそれが落ちつくと、ここで
いう心的外傷後ストレス障害が現れた。当時の事故のことを思い出すと、極度の不安状態に なるという。あるいはその事故のことを忘れようと、思えば思うほど、当時の状況が、思い出さ れてしまうという。届いたメールから、引用させてもらう。
★私は、それ以来今では少なくなっていますが、夜ふとんに入ると思い出して眠れなくなってし
まうことがあります。
★子どもの下校時間が近づくとそわそわして、家の中と外とを行ったりきたりしてしまいます。
★これから先もずっと心配していかなければいけないかと思うと将来が不安でしかたがありま
せん。
★まわりに相談しても、助かったんだからとか、子離れしたらとか言われます。
★主人もいろいろ考えてはくれますが、どうしたらいいのか分からないみたいです。結局は自
分の中で勝手にいろいろ想像して勝手に悩んでいるだけなのですが、何とかこの状態からぬ けだしたいです。
●フラッシュバック
心的外傷後ストレス障害では、その種の状況になると、強い感情的反応が現れることが知ら
れている。言いようのない不安感や恐怖感、絶望感や虚脱感など。ときに当時の状況をその まま再体験、もしくは心の中で再現したりする。これを「フラッシュバック」という。
強度の心的外傷後ストレス障害になると、日常生活にも影響が出てくる。感情鈍麻、麻痺、
回避性障害(人と会うのを避ける)、行為障害(ふつうでない行動を繰りかえす)など。多く見ら れるのが、不眠である。
【心的外傷後ストレス障害、私のばあい】
私もまったく同じような経験をしている。家族で、近くの湖へ海水浴に行ったときのことであ
る。3人の息子を連れていったが、とくに二男については、今、こうして命があるのは、まさに奇 跡中の奇跡である。
その直後の私は、たしかにおかしかった。二男が生きているにもかかわらず、生きていること
を不思議に思い、思うと同時に、背筋が何度も凍りつくのを感じた。「ほんのもう少しまちがって いたら、私が殺していた」という、自責の念にかられた。そして夜、床についたあとなど、その日 のことを思い出すと、そのまま興奮状態になり、眠られなくなってしまった。
それは恐怖、そのものであった。しかしその恐怖は、外からくる恐怖ではなく、自分自身の内
部から、襲ってくる恐怖であった。つかみどころがなかった。「もしもあのとき……」と、そんなこ とを考えていると、妄想が妄想を呼び、わけがわからなくなってしまった。それに、思い出したく はないのだが、事故の生々しい様子が、心にペッタリと張りついて、それが取れない。かきむし っても、かきむしっても、取れない。
本来なら、二男が生きていることを喜べばよいのだが、そういう気持ちにはなれない。「よか
った」と思うより先に、「どうしてあんなことをしたのだろう」と、自分を責めてしまう。そして一度、 そういう状態になると、足元をすくわれるような不安状態になってしまう。じっとしておられないと いうか、何をしても、手につかない状態になってしまう。
よく覚えているのは、そのあと、湖を見るのもこわかったということ。実際には、それ以後、一
度も、湖へは行っていない。正確には、海水浴には、行っていない。おかしな妄想が頭にとりつ いたこともある。「今度、息子たちを湖へ連れていったら、湖の悪魔に、命を取られるぞ」と。そ ういうオカルト的な現象など、まったく信じていない私が、である。
私のばあいは、「湖」とか、「海水浴」が、心的外傷後ストレス障害のキーワードになってい
た。それでそれを避けることで、やがて、少しずつだが、気持ちが和らいでいった。あれからも う、25年になるが、こうして思い出してみると、いつの間にか、それが一つの思い出になってい るのに、今、気づく。以前のような、フラッシュバックに陥るということは、もうない。
ただあのとき、二男を湖から救い出してくれた恩人(私はいつも「恩人」と呼んでいる)につい
ては、その恩を忘れたことはない。二男に何かあるたびに、私とワイフ、ときには二男を連れて あいさつに行っている。中学を卒業したとき。アメリカへ出発したときなど。相手の人は、ひょっ としたらそういう私たちを迷惑がっているかもしれないが、私はどうしても、それをしたい。しな いわけにはいかない。つまりすることによって、二男が、助かるべきして助かったという実感を ものにしている。
専門的には、心的外傷後ストレス障害の人に対して、グループ治療や、行動療法が効果的と
いう説もある。私のばあいは、精神科のドクターの世話になることはなかった。ただワイフが、 たいへん精神的にタフな女性で、その点では、ワイフに助けられた。私がフラッシュバックに襲 われたときも、私に、「あんたは、バカねえ。助かったのだから、それでいいじゃない」と言ってく れたりした。
【Aさんへ】
私の経験では、こうした心的外傷後ストレス障害は、なおらないということ。そのため、なおそ
うと思わないことだと思います。それを悪いこと、あるいは、あってはならないことと思ってしまう と、かえって自分を責め、ストレスが倍加してしまいます。
もっとも効果的な方法は、とにかく忘れること。そのため、その事故を思い起こさせるようなで
きごとを、自分から遠ざけることです。私のばあい、一時は、湖の方角さえ向きませんでした。 ただそのあと、水泳の能力の必要性を痛感し、息子たちを水泳教室へは入れました。
そしてここが重要ですが、あとは時間が解決してくれます。『時は、心の治療人』と考えてくだ
さい。こうしたもろもろの心の問題は、心的外傷後ストレス障害にかぎらず、時が解決してくれ ます。悪いことばかりではありません。
とくに二男は、生きていることのすばらしさを、そのあと、教えてくれました。また心的外傷後
ストレス障害といいますが、そういう状態になると、感性がとぎすまされ、他人が見ることができ ないものが、見えてきたりします。言いかえると、そういう経験をとおして、あなたの子どもは、 今、あなたに何かを教えようとしているのです。
ここに添付したような原稿(中日新聞に発表済み)は、そういう私の気持ちを書いたもので
す。どうか、参考にしてください。何かのお役にたてるものと思います。今の私の立場で言える ことは、「どうか、一日も早く、いやな思い出は忘れて、明るい太陽の方に顔を向けてください」 という程度でしかありません。
●苦しんでいるAさんへ、
心を解き放て!
解き放って、空を飛べ!
あなたは、今、生きている。
あなたの子どもも、今、生きている。
それを、友よ、すなおに喜ぼうではないか。
苦しんでいるあなたは、幸いなれ!
あなたには、他人に見えないものが見える。
命の尊さ、命の美しさ、
そして命のあやうさ、
だからあなたは、人一倍
自分の人生を大切にする。
生きる尊さを、まっとうする。
事故?
とんでもない!
あなたの子どもは
あなたに、生きる意味を、教えるために
今、そこにいる。
それを、友よ、すなおに受け入れようではないか。
そして、友よ、あなたの子どもに感謝しようではないか。
あなたのおかげで、私は生きる意味がわかったわ、と。
苦しんでいるあなたは、幸いなれ!
真理への道は、いつも苦しい。
その苦しさを通ってのみ、
あなたは、その真理にたどりつく。
だから友よ、恐れてはいけない。
だから友よ、逃げてはいけない。
あなたは自分を受け入れ、
あなたの子どもを受け入れる。
さあ、友よ、明日からあなたは、
新しい人生を歩く。
勇気を出して、歩く。
もうこわがるものは、何もない。
なぜなら、あなたは、今、
生きる意味を、知っている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 PTS
D 心的外傷後ストレス症候群 ストレス障害 心的外傷後ストレス障害)
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よろしかったら、お読みください。また二男については、
私のホームページのトップページから、二男のサイトに
アクセスできます。去年、かわいい孫が生まれました。
一度、見てやってください。あなたの子どもも、いつか、
孫をつれてあなたのところにやってきますよ。
(何度もマガジンで取りあげた原稿なので、以前、
お読みくださった方は、とばしてください。)
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●子どもが巣立つとき
階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそん
な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の 腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。
男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ をしめてやったとき。そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのこ とだ。二男が毎晩、ランニングに行くようになった。
しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちのために伴走しているのよ。同じ
山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそうだから」と。その話を聞いたと き、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもというよりは、対等の人 間として見るようになった。
その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや ればよかった」と、悔やむこともある。
そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そ
していつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。
その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。うしろから女房が、「S よ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。
何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭 い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ ういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。
そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは!
子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいな あ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レ ストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たち も、ああだったなあ」と。
問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、
何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が 人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。
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