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●格言風・子育て論

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携帯電話用に書いた「子育て格言」です。

私が利用しているサービス会社には、3
か月以内に内容を更新しないと、サービ
スそのものが、停止されてしまうという、
恐ろしい掟(おきて)があります。

で、ときどき、こうして新しい格言を補
充していかねばなりません。

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☆上下意識は、親子にキレツを入れる

「親が上、子ガ下」という上下意識は、親子の間に、キレツを入れる。「上」の者にとっては、居
心地のよい世界かもしれないが、「下」の者にとっては、そうでない。言いたいことも言えない、
したいこともできないというのは、親子の間では、あってはならないこと。親はいつも子どもの友
として、横に立つ。そういう姿勢が、良好な親子関係を育てる。


☆「ダカラ論」は、論理にあらず

「親だから……」「子だから……」「長男だから……」「夫だから……」というのを、『ダカラ論』と
いう。このダカラ論は、論理ではない。えてして、問答無用式に相手をしばる道具として、利用
される。使い方をまちがえると、相手を苦しめる道具にもなりかねない。先日もテレビを見てい
たら、妻が、夫に、「あなたは一家の大黒柱なんだからね」と言っているのを見かけた。それを
見ていて、そういうふうに言われる夫は、つらいだろうなと、私は、ふと、そう思った。


☆親の恩着せ、子どもの足かせ

「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と親が、子どもに恩を着せれば着せる
ほど、子どもの心は親から遠ざかる。そればかりか、子どもが伸びる芽を摘んでしまうこともあ
る。たとえ親がそう思ったとしても、それを口にしたら、おしまい。親に恩を押しつけられ、苦し
んでいる子どもは、いくらでもいる。


☆家族主義は、親の手本から

まず子どもを幸福な家庭で包んでやる。「幸福な家庭というのは、こういうものですよ」と。それ
が家族主義の原点。見せるだけでは足りない。子どもの体の中にしみこませておく。その(しみ
こみ)があってはじめて、子どもは、今度は、自分が親になったとき、自然な形で、幸福な家庭
を築くことができる。夫婦が助けあい、いたわりあい、励ましあう姿は、遠慮なく、子どもに見せ
ておく。


☆離婚は淡々と、さわやかに

親が離婚するとき、離婚そのものは、大きな問題ではない。離婚にいたる家庭内騒動が、子ど
もの心に暗い影を落とす。ばあいによっては、それがトラウマになることもある。だから離婚す
るにしても、子どもの前では淡々と。子どものいない世界で、問題を解決する。子どもを巻きこ
んでの離婚劇、それにいたる激しい夫婦げんかは、タブー中のタブー。夫婦げんかは、子ども
への「間接虐待」と心得ること。


☆よい聞き役が、子どもの思考力を育てる

親は、子どもの前では、よき聞き役であること。ある人は、『沈黙の価値を知るものだけが、し
ゃべれ』というが、この格言をもじると、『沈黙の価値を知る親だけが、しゃべれ』となる。子ども
の意見だから、不完全で未熟であるのは、当たり前。決して頭ごなしに、「お前の考え方はお
かしい」とか、「まちがっている」とかは、言ってはいけない。「それはおもしろい考え方だ」と言っ
て、いつも前向きに、子どもの意見を引き出す。そういう姿勢が、子どもの思考力を育てる。


☆子どもの前では、いつも天下国家を論じる

子どもに話すテーマは、いつも大きいほうがよい。できれば、天下国家を論ずる。宇宙の話で
も、歴史の話でもよい。親が小さくなればなるほど、子どもは小さくなる。隣や近所の人たちの
悪口や批判は、タブー。見栄、体裁、世間体は、気にしない。こうした生き様は、子どものもの
の考え方を卑屈にする。「日本はねえ……」「世界はねえ……」という語りかけが、子どもを大
きくする。


☆仮面をはずし、子どもには本音で生きる

あなたが悪人なら、悪人でもかまわない。大切なことは、子どもの前では、仮面をはずし、本音
で生きること。あるがままのあなたを、正直にさらけ出しながら生きる。かっこつけたり、飾った
りする必要はない。そういうあなたの中に、子どもは、いつか(一人の人間)を見る。ただし一
言。子育てといっても、あなたはいつも一人の人間として、自分を伸ばしていかねばならない。
それが結局は、真の子育て法ということになる。


☆優越感の押しつけは、子どもをつぶす

おとなや親の優越性を、子どもに押しつけてはいけない。賢い親は、(教師もそうだが……)、
バカなフリをしながら、子どもに自信をもたせ、そして子どもを伸ばす。相手は子ども。本気で
相手にしてはいけない。ゲームをしても、運動をしても、ときにはわざと子どもに負けてみる。子
どもが、「うちの父(母)は、アテにならない」と思うようなったら、しめたもの。勉強について言う
なら、「こんな先生に習うくらいなら、自分でしたほうがマシ」と思うようになったら、しめたもの。


☆親の動揺、子どもを不安にする

たとえば子どもが不登校的な拒否症状を示すと、たいていの親は、狂乱状態になる。そして親
が感ずる不安や心配を、そのまま子どもにぶつけてしまう。が、この一撃が、さらに子どもの心
に、大きなキズをつける。数か月ですんだはずの不登校が、1年、2年とのびてしまう。子ども
の心の問題を感じたら、一喜一憂は、厳禁。半年単位でものを考える。「半年前はどうだった
か?」「1年前はどうだったか?」と。


☆言うべきことは言っても、あとは時を待つ

親は言うべきことは言っても、そこで一歩引き下がる。すぐわからせようとか、実行させようと考
えてはいけない。子どもの耳は、そういう意味で長い。脳に届いてから、それを理解するまで
に、時間がかかる。実行するまでには、さらに時間がかかる。まずいのは、その場で、とことん
子どもを追いつめてしまうような行為。子どもはかえってそれに反発し、その反対のことをする
ようになる。


☆質素が子どもの心を豊かにする

子どもには、質素な生活は、どんどん見せる。しかしぜいたくは、するとしても、子どものいない
ところで、また子どもの見えないところでする。子どもというのは、一度、ぜいたくを覚えると、あ
ともどりできない。だから、子どもにはぜいたくを、経験させない。
なお質素とケチは、よく誤解される。質素であることイコール、貧乏ということでもない。質素と
いうのは、つつましく生活をすることをいう。身のまわりにあるものを大切に使いながら、ムダを
できるだけはぶく。要するに、こまやかな心が通いあう生活を、質素な生活という。


☆うしろ姿を押し売りは、子どもを卑屈にする

 生活のためや、子育てのために苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では、うしろ
姿を子どもに見せることを美徳のように考えている人がいるが、これは美徳でも何でもない。
子どもというのは、親が見せるつもりはなくても、親のうしろ姿を見てしまうかもしれないが、し
かしそれでも、親は親として、子どもの前では、毅然(きぜん)として生きる。そういう前向きの
姿が、子どもに安心感を与え、子どもを伸ばす。


☆生きる力は、死を厳粛に扱うことから

 死があるから、生の大切さがわかる。死の恐怖があるから、生きる喜びがわかる。人の死の
悲しみがあるから、人が生きていることを喜ぶ。どんな宗教でも、死を教えの柱におく。その反
射的効果として、「生」を大切にするためである。子どもの教育においても、またそうで、子ども
に生きることの大切さを教えたかったら、それがたとえペットの死であっても、死は厳粛にあつ
かう。


☆度量の大きさは、立方体で計算する

子育ての度量の大きさは、(たて)X(横)X(高さ)で決まる。(たて)というのは、その人の住む
世界の大きさ。(横)というのは、人間的なハバ。(高さ)というのは、どこまで子どもを許し、忘
れるかという、その深さのこと。もちろんだからといって、子どもに好き勝手なことをさせろという
ことではない。要するに、あるがままの子どもを、どこまで受け入れることができるかというこ
と。


☆「今」を大切に、「今」を懸命に生きる

 過去なんてものは、どこにもない。未来なんてものも、どこにもない。あるのは、「今」という現
実。だからいつまでも過去を引きずるのも、また未来のために、「今」を犠牲にするのも、正しく
ない。「今」を大切に、「今」という時の中で、最大限、自分のできることを、懸命にがんばる。明
日は、その結果として、必ずやってくる。だからといって、過去を否定するものではない。また何
かの目標に向かって努力することを否定するものでもない。しかし大切なのは、「今」という現
実の中で、自分を光り輝かせて生きていくこと。


☆『休息を求めて疲れる』は、愚かな生き方

 イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞のようにもなっている格言である。つまり「い
つか楽になろう、楽になろうとがんばっているうちに、疲れてしまい、結局は何もできなくなる」と
いうこと。しかしほんの少し考え方を変えれば、あなたの生活はみちがえるほど、豊かになる。
方法は簡単。あなたも1呼吸だけ、今までのリズムを遅くすればよい。


☆行きづまったら、生きる源流に視点を

 「子どもがここに生きている」という源流に視点をおくと、そのとたん、子育てにまつわるあら
ゆる問題は、解決する。「この子は生きているだけでいい」と思いなおすことで、すべての問題
は解決する。あなたももし、子育てをしていて、行きづまりを感じたら、この源流から、子どもを
見てみるとよい。それですべての問題は解決する。


☆モノより思い出

 イギリスの格言に、『子どもには、釣りザオを買ってあげるより、いっしょに魚釣りに行け』とい
うのがある。子どもの心をつかみたかったら、そうする。親は、よく、「高価なものを買い与えた
から、子どもは感謝しているはず」とか、「子どもがほしいものを買い与えたから、親子のパイ
プは太くなったはず」と考える。しかしこれはまったくの誤解。あるいは逆効果。子どもは一時
的には、親に感謝するかもしれないが、あくまでも一時的。物欲をモノで満たすことになれた子
どもは、さらにその物欲をエスカレートさせる。


☆子育てじょうずは、よき先輩をもつことから

あなたの近くに、あなたの子どもより、1〜3歳年上の子どもをもつ人がいたら、多少、無理を
してでも、その人と仲よくする。その人に相談することで、たいてい「うちも、こんなことがありま
したよ」というような話で、あなたの悩みは、解消する。「無理をしてでも」というのは、「月謝を払
うつもりで」ということ。相手にとっては、あまりメリットはないのだから、これは当然といえば、当
然。が、それだけではない。あなたの子どもも、その人の子どもの影響を受けて、伸びる。


☆子どもの先生は、子ども

あなたの近くに、あなたの子どもより1〜3歳年上の子どもをもつ人がいたら、その人と仲よくし
たらよい。あなたの子どもは、その子どもと遊ぶことにより、すばらしく伸びる。この世界には、
『子どもの先生は、子ども』という、大鉄則がある。子ども自身も、同じ仲間という意識で見るた
め、抵抗がない。また、こと「勉強」ということになると、1、2年、先を見ながら、勉強するという
ことは、それなりに重要である。


☆指示は具体的に

子どもに与える指示は、具体的に。たとえば「あと片づけしなさい」と言っても、子どもには、あ
まり意味がない。そういうときは、「おもちゃは、一つですよ」と言う。「友だちと仲よくするのです
よ」というのも、そうだ。そういうときは、「これを、○○君に渡してね。きっと、○○君は喜ぶわ
よ」と言う。学校で先生の話をよく聞いてほしいときは、「先生の話をよく聞くのですよ」ではな
く、「学校から帰ってきたら、先生がどんな話をしたか、あとでママに話してね」と言う。
(はやし浩司 子育て格言 子育てのコツ)

※つづきは、HP上、携帯電話HPへ



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●ADHD児

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ADHD児といっても、注意力散漫型
なのか、それとも、多動性型なのか、
2つに分けて考えるようになってきて
いる。

そして近年の傾向としては、多動性よ
りも、注意力散漫型、つまり注意力そ
のものに、障害があると考える学者が
ふえている。

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 最近の文献によれば、アメリカでは、ADHD児といっても、主に、つぎの3つのタイプに分けて
考えていることがわかる(DSM−IV,APA 1994)。文献などを見ていると、(ADHD、C)タイ
プとか、(ADHD、IA)タイプとかいうような表現方法をとっている。

(1)ADHD, Combines Type (ADHD,C)


(2)ADHD,Predominantly Inattentive Type (ADHD,IA)

(3)ADHD,Hyperactive Impulisive Type (ADHD, HI)

 ADHD児といっても、(1)注意力が散漫型なのか、(2)多動性型なのかによって、症状は、
大きくちがう。

 (ADHD、C)というのは、(DSM-IV;APA 1994)の診断基準のうち、注意力散漫項目の9項目
うち、少なくとも6個該当、衝動的多動性項目の9項目のうち、少なくとも6個該当する子どもを
いう。

 (ADHD,IA)というのは、(DSM-IV;APA 1994)の診断基準のうち、注意力散漫項目の9項目
うち、少なくとも6個該当するものの、衝動的多動性項目の9項目のうち、6個より少なく(5個
以下)、該当する子どもをいう。

 (ADHD,HI)というのは、(DSM-IV;APA 1994)の診断基準のうち、衝動的多動性項目の9項
目うち、少なくとも6個該当するものの、注意力散漫項目の9項目のうち、6個より少なく(5個
以下)、該当する子どもをいう。

 つまりADHD児といっても、(1)注意力散漫型+衝動的多動性のある子ども(ADHD、C)タ
イプ、(2)注意力のほうが散漫型で、衝動的多動性の少ない子ども(ADHD、IA)タイプ、(3)
衝動的多動性が強く、注意力散漫が、それほど顕著ではない子ども(ADHD、HI)タイプの三
つに分類されるということ。(「多動性をともなわない、注意力欠陥障害のある、注意力散漫型
タイプの子どもについて」 by J・M Wheeler & C・L Carlson、テキサス大学))

 近年は、学校教育の場でも、ADHD児といっても、注意力欠陥型なのか、多動型なのか、区
別して考えるようになっている。そのため、表記方法も、従来の「ADHD」から「AD・HD」という
ように、間に「・」を入れる学者も少なくない。


(参考文献)
Attention Deficit Disorder Without Hyperactivity:
ADHD, Predominantly Inattentive Type
By Jennifer Wheeler, M.A., and Caryn L. Carlson, Ph.D.
The University of Texas at Austin

+++++++++++++++++++++

In 1980, the third edition of the Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders (DSM
-III) [American Psychiatric Association (APA), 1980] introduced a major change in the 
conceptualization of the childhood disorder that had previously been called "hyperkinesis" 
or "hyperactivity". Because experts had begun to speculate that attention deficits, rather 
than high activity level, might play a greater role in the problems of these children, the 
term "attention deficit disorder" (ADD) replaced the earlier diagnostic terminology. Along 
with this shift in diagnostic emphasis came the recognition that attention deficits could exist 
even in the absence of high activity level, and thus two ADD subgroups were defined: ADD 
with hyperactivity (ADDM) and ADD without hyperactivity (ADD/WO). While the ADD/H 
category was fairly consistent with previous definitions, the latter subtype represented 
essentially a new category, for which there was no previous counterpart. Thus, almost 
everything we know about ADD/WO is based on research conducted since 1980.

1980年に、DSM−III(精神障害の診断および統計的マニュアル)は、それまで「過剰行動」
あるいは「多動児」と呼ばれていた子どもについて、その概念を大きく改めた。

 というのも、専門家たちが、多動性よりも、注意力欠陥のほうに、注目し始めたからである。
そして「注意力欠陥障害(ADD)」が、これらの子どもたちにとっては、より大きな問題であると
わかった。

 そして多動性はなくても、注意力そのものに欠陥のある子どもがいることが、強調されるよう
になり、新たに2つのADD児タイプが、つけ加えられるようになった。

 多動性をともなう、注意力欠陥型タイプ(ADDM)と、多動性をともなわない、注意力欠陥タイ
プ(ADD/WO)の2つである。後者は、それ以前にはわかっていなかったという点で、新しい
カテゴリーを示す。
However, such a classification scheme led to problems in the field as it was inconsistent 
with previous research supporting a behavioral distinction between the ADD subtypes. In 
addition, it was problematic clinically, in that there was no particular symptom 
constellation required for a diagnosis of ADHD, thus allowing children who were previously 
diagnosed as having ADD/WO to be inappropriately included in the ADHD category1. In 
response to such difficulties, the most recent edition of the DSM (DSM-IV; APA 1994) 
returned to DSM-III-type terminology. Current criteria delineates two separate symptom 
lists, inattention and hyperactivity-impulsivity, and allows children to be classified into one 
of three categories based on the presence or absence of symptoms in each of these areas: 
ADHD, Combined Type (ADHD,C), which requires children to display at least six out of 
nine inattentive and six out of nine hyperactive-impulsive symptoms; ADHD, Predominantly 
Inattentive Type (ADHD,IA), which requires at least six out of nine inattentive symptoms 
and less than six hyperactive-impulsive symptoms; and ADHD, Hyperactive-Impulsive Type 
(ADHD,HI), which requires the presence of six out of nine hyperactive-impulsive 
symptoms and less than six inattentive symptoms. The ADHD,IA category is presumed to 
identify children diagnosed with DSM-III as ADD/WO, ADHD,C is thought to identify 
children given DSM-III ADDM or DSM-III-R ADHD diagnoses, and ADHD,HI is essentially a 
new category, presumed to identify extremely active children who do not display gross 
inattention. Although some of the research discussed below was conducted with children 
diagnosed as ADDM, ADD/WO, and ADHD, in this paper we will use the terms ADHD,C 
and ADHD,IA to refer to all attention-disordered children with and without hyperactivity, 
respectively.

●Activity Level(活動性のレベル)

ADHD−Cの子どもについては、しばしば、騒々しさ、興奮性、過剰行動性といった、行動的な
活発さをともなう。が、ADHD−IAの子どもについては。こうした行動的な活発さは、ずっと少な
い。
One area in which fairly consistent findings have emerged involves the "behavioral activity 
style" demonstrated by ADHD,IA children. While children with ADHD,C are often 
described as boisterous, impulsive, excitable, and overactive, children with ADHD,IA 
are much less likely to receive such labels. In fact, studies have found that children with 
ADHD,IA are often described as "hyperactive", i.e., they are likely to show "underactivity
" and be described as sluggish, lethargic, and daydreamy. This unexpected finding has 
generated some interesting speculation about the ADHD,IA subgroup and further 
distinguished them from their ADHD,C peers. While children with ADHD,IA typically do not 
differ in activity level from nondisordered children, they are most notably not impulsive, a 
key characteristic of children with ADHD,C. The so called impulsivity of children with 
ADHD,IA is typically more related to disorganization than the physical impulsivity of 
children with ADHD,C. For example, raters are more likely to endorse items such as an 
inability to complete tasks and poor organizational skills when rating children with ADHD,
IA, and items such as acts without thinking, shifts from one activity to another, and 
frequently interrupts others when rating children with ADHD,C. This distinction was 
clarified in DSM-IV when a factor analysis revealed that many of the DSM-III "impulsivity" 
items clustered with "hyperactivity", and others (e.g., "difficulty organizing tasks") 
clustered with inattention. This led to the current use of a single-symptom list for 
hyperactivity-impulsivity versus two separate listings (impulsivity and hyperactivity) used in 
DSM-III.

●Accompanying Disorders(付随する症状)

ADHD−Cタイプの子どもにも、ADHD−IAタイプの子どもにも、不随的な症状が見られる。A
DHD−IAタイプの子どもは、心配性や行為障害のような、いわゆる「内面性の外見化」の問題
は、あまり示さない。

一方、ADHD−Cタイプの子どもは、落胆感や心配性などの、いわゆる「心の内面的な」問題
を、より多く示す。
Research has shown that accompanying behavior disorders are likely to be found in both 
ADHD,C and ADHD,IA children. Thus, children with ADHD,IA are less likely to display "
externalizing" problems, such as aggression and conduct disorders. Some research also 
finds that among clinic-referred children, ADHD,IA children are more likely than ADHD,C 
children to display "internalizing" problems, such as depression and anxiety. This theory is 
supported by research conducted by Barkley and his colleagues (1990) who, using a clinic-
referred sample, found that the relatives of children with ADHD,C were more likely to 
suffer problems with substance abuse, aggression, and ADHD,C, than the relatives of 
children with ADHD,IA and nondisordered controls. In contrast, the relatives of children 
with ADHD,IA were more likely to have anxiety disorders than the relatives of children in 
the other groups. Still, findings on co-occurring internalizing problems between the ADHD 
subtypes are inconsistent. For example, a recent large-scale school-based study7 found 
that teachers rated ADD,C children as showing more anxiety/depression than ADHD,IA 
children. This finding led the authors to speculate that it may be only among ADHD children 
who are referred to clinics that this pattern of greater internalizing problems among ADHD,
IA children is displayed8. Thus, it may be that children with ADHD,IA who also display high 
levels of anxiety and/or depression are more likely to be referred to clinics than children 
with ADHD,IA alone. However, when identified in a general population, ADHD,IA children 
may not necessarily show greater levels of anxiety/depression than children with ADHD,C.

●Peer Relationships(仲間との関係)

全体的にみれば、ADHD児は、仲間の間で、人気がないという傾向があるが、ADHD−Cタイ
プの子どもと、ADHD−IAタイプの子どもとでは、様子が異なる。

 ADHD−Cタイプの子どものほうが、深刻(severe)であり、ADHD−IAタイプの子どもと比較
して、行動面で嫌われる傾向が強い。一方、ADHD−IAタイプの子どもは、社会的により引き
こもる(withdraw)する傾向が強い。

Since the problematic peer relationships of children with ADHD,C has been consistently 
found, it has been of interest to researchers to examine what, if any, peer relationship 
problems might characterize children with ADHD,IA. Of the studies that have examined this 
issue, the overall conclusion appears to be that both ADHD subtypes are less popular with 
their peers; however, the nature of their unpopularity seems slightly different9. For 
example, there is some evidence that the peer relationship problems of children with 
ADHD,C are more severe than those of children with ADHD,IA10. When rated by their 
peers, some studies find that children with ADHD,C are more "actively disliked" than 
children with ADHD,IA and nondisordered controls, whereas children with ADHD,IA are 
more "socially withdrawn". Based on these findings, some researchers have suggested that 
the nature of the ADHD subtypes' social deficits may, in fact, be qualitatively different. 
Using Gresham's (1988) model of social skills, Wheeler and Carlson (1994) proposed that 
children with ADHD,C may suffer from social performance deficits (i.e., they know what to 
do but do not use this knowledge appropriately), whereas children with ADHD,IA may 
suffer from deficits in both social performance and knowledge (i.e., they don't know what to 
do in social situations, thus they cannot use this knowledge appropriately). The authors 
further speculate that these deficits may be mediated by so-called interfering responses, 
which correspond to symptoms typically associated with the disorder. Thus, impulsivity and 
hyperactivity may prevent a child with ADHD,C from waiting his turn in line, even though 
he knows he is supposed to do so, and "sluggishness" and anxiety may prevent a child with 
ADHD,IA from participating in enough social interactions to learn the rules of the game. 
While this hypothesis has not been empirically tested, it clearly has important treatment 
applications. For example, if children with ADHD,C are found to possess adequate social 
knowledge, attention should be directed at decreasing what prevents them from interacting 
appropriately, rather than focusing exclusively on training in social skills. In contrast, if 
children with ADHD,IA are found not to know what to do in social situations, social skills 
training will be the most useful.

●School Performance(学業)

ADHD−IAタイプの子どもも、ADHD−Cタイプの子どものように、学校では、学業的な問題を
もつことが観察されている。

We have evidence that children with ADHD,IA, like those with ADHD,C, often experience 
school learning problems. Indeed, some research has indicated that children with ADHD,IA 
may show elevated rates of school failure and are rated by teachers as having greater 
problems in learning, relative to nondisordered controls. One relatively recent finding is the 
strong relationship between inattention and academic problems. Studies examining the 
behavioral correlates of the ADHD subtypes have consistently shown greater academic 
difficulties in children diagnosed with ADHD,C and ADHD,IA than children with excess 
motor activity/impulsivity (ADHD,HI) alone11. With respect to intellectual functioning, 
there is little evidence for significant IQ differences between the ADHD groups, however, 
there is some research in support of a higher rate of learning disabilities in children with 
ADHD,IA12. In addition, children with ADHD,IA are typically more similar behaviorally to 
children with learning disabilities than are children with ADHD,C13. However, the specific 
nature of the relationship between learning disabilities and ADHD has not been clearly 
established. More research needs to be conducted before any firm conclusions can be 
drawn.

●Etiology(病因)

ADHDの病因、つまり原因については、不明である。神経学的な理論が、いろいろ取りざたさ
れている。

The precise etiology, or cause, of ADHD is unknown. Numerous theories have been 
proposed, including those relating to abnormal brain development (e.g., an "immature brain
"), neurochemical abnormalities, exposure to environmental toxins, and deficient 
childrearing practices. Although research has been conducted in all of these areas, no firm 
conclusions cam yet be drawn. Also, most studies have been done with children with 
ADHD,C, resulting in even less knowledge about the etiology of ADHD,IA. Some 
researchers have speculated ADHD,IA and ADHD,C are entirely different disorders, in 
which case they may stem from different causes. The most promising theories to date 
include exposure to various agents that can lead to brain injury (e.g., trauma, disease, 
fetal exposure to environmental toxins), diminished brain activity, and heredity14.
Research on children with ADHD,C has found that they seem to have underactive orbital-
frontal regions, the part of the brain which is thought to be responsible for sustaining 
attention, inhibiting behavior, self-control, and planning15. This finding has been 
documented in several studies in which children with ADHD were shown to have diminished 
electrical activity and blood flow in this region, relative to nondisordered controls.
Again, less research exploring the possible cause of ADHD,IA has been conducted. Given 
the "sluggish" cognitive tempo and frequent achievement problems typically occurring in 
this subtype, some researchers have speculated that children with ADHD,IA may suffer 
from posterior, rather than frontal, right hemispheric dysfunction16. However, studies 
using neuropsychological measures that have examined this hypothesis have failed to find 
the predicted deficits17. Thus, research involving more sensitive measures of neurological 
processes are needed before any firm conclusions regarding etiology can be drawn.
It should also be noted that many previous theories of ADHD have not been supported. 
Thus, there is no conclusive evidence that ADHD can be caused by diet, hormones, 
lighting, motion sickness, or bad parenting18. Given the exciting new advances in our 
ability to examine the way the brain works, we can be hopeful that continuing research in 
these areas will soon expand our understanding of the causes of ADHD.

●Treatment Considerations(治療についての考察)

リタリン(Ritarin)の投与について

One of the most pressing issues in developing effective treatments for children with ADHD,
IA has been whether or not these children will show similar responses to stimulant 
medication as do children with ADHD,C. The best evidence that we have concerning this 
issue comes from a study in which the responses of children with ADHD,C and children 
with ADHD,IA were evaluated to 5, 10, and 15 mg doses of methylphenidate (Ritalin)19. 
While the groups did not significantly differ on any of the outcome measures, children with 
ADHD,IA were more likely to be nonresponders (24%) or to respond best to the lowest dose 
(35%) as compared to children with ADHD,C. In contrast, 95% of the ADHD,C children 
were judged to be positive responders, with the majority (71%) recommended to receive a 
moderate or high dose. Thus, it may be that at least a portion of children with ADHD,IA 
respond favorably to stimulant medication, although at a lower dosage than children with 
ADHD,C. One factor that may mediate this subgroup's responsiveness is the presence of co
-occurring internalizing disorders (e.g., anxiety) when they exist. There is some evidence 
that children with ADHD who display accompanying internalizing symptoms are less likely to 
respond positively to stimulant medication than are children who suffer from ADHD alone20. 
In any case, stimulant responsiveness is clearly a matter in which more research needs to 
be done. For any given ADHD child, decisions about the usefulness of medication should be 
made based on am individual child's responsiveness.
It is likely that the development of other effective treatments for children with ADHD,IA 
will depend upon the individual pattern of the accompanying problems they display. The 
information reviewed above suggests several areas of functioning that might be considered 
relevant for evaluation, including school functioning, the presence of other disorders (e.g., 
anxiety or depression), and peer relationship problems. Based on assessment in each of 
these areas, treatment programs can be individually tailored to meet each child's specific 
needs. As is becoming increasingly clear with children with ADHD,C, it is likely that 
children with ADHD,IA will be heterogeneous in many ways and that there will be wide 
individual variation in the types of accompanying problems they display. While we are still in 
the early stages of understanding the disorder, heightened interest in this area and the 
recent publication of DSM-IV should lead to increasing knowledge about its causes and 
responsiveness to treatments.

●Conclusions(結論)

The above review addresses research in many areas affecting children with ADHD. While 
few studies have been conducted using DSM-IV terminology, preliminary reports suggest 
that the findings are consistent. According to these studies, both ADHD subtypes are 
generally less popular than their peers, suffer difficulties academically, and frequently 
display accompanying problems. Given the relatively recent identification of ADHD,IA, it is 
mandatory that further research be conducted. Although these children generally show 
fewer overt behavior problems than their ADHD,C peers, they are just as in need of 
diagnosis and treatment.
(はやし浩司 ADHD−C ADHD、C ADHD,C AD・HD ADHD児)





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●思春期の娘(突然、変わった娘)

++++++++++++++++++

小3、4年生ごろまでは優等生。しかし
その女の子が、突然、変わる……という
ことは、珍しくない。

そんな事例が、アメリカのフリーBLOG、
「ERes」に載っていた。

++++++++++++++++++

Sudden loss of control
by Txxx Nxxxx, posted on 11/21/2005 at 11:30.

I have a female student in my 2nd hour, sixth grade, class that has always been very well 
behaved, always has done assignments, never talks back and has been a modle student. She 
recently has become loud, silly, and basically out of control. I will go to ask her a question 
and she is on the floor sitting. Sometimes I will look up and her legs are sticking up in the air. 
She runs in and out of the class, and has become very active. Of course I have discussed 
the behaviors with her and tried to get some type of logical reason why the change in 
behavior. She cries when I discuss her behaviors and sayes she will do better. I have spoken 
to her mother, she sayes she has noticed the same behaviors at home and is at a loss of 
what to do with her. Is this some type of hormone change? Or is their more going on?

●突然、変わった女子生徒

 (私が教えている)6年生の女子のことです。それまではとても行儀のよいこどもでした。宿題
もきちんとしてきて、私に対して、口答えもしませんでした。が、最近になって、大声を出したり、
愚かなことをしたり、自制心をなくしてしまいました。何か質問しようとしても、床の上に座った
り、足を空にあげたりします。クラスの中や外を走りまわったり、とても活動的になりました。も
ちろん彼女とは、彼女の行動について、なぜ彼女がそんなことをするのか、よく話しあいまし
た。すると彼女は、泣き出したり、つぎからはいいこでいると言ったりします。母親とも話しあい
ましたが、母親は家でも同じようだと気づいていました。そして娘をどうしたらいいのか、わから
ないでいると言いました。これはホルモンのせいでしょうか。あるいは何かもっとほかのことが
起きているのでしょうか。

+++++++++++++++

 こういう例は、多い。概して言えば、教育熱心で、ふつう以上に裕福な家庭に生まれ育った女
子に、よく見られる。それまでは、学習態度も悪くない。勉強も、よくできる。しかし小学5、6年
ごろ、急変する。

 友だちの間でも評判になるほど、男遊びを始めたり、外泊、非行、家出を繰りかえすようにな
る。もちろん学校での態度も、粗放化する。先生が何かを話しかけても、「ウッセー!」と言い
かえしたり、ときには、「コノヤロー!」と、足蹴りを入れてきたりする。

 服装も乱れ、学校の規則を破って、マニキュアをしたり、髪の毛を染めたりする。

 しかしこう書くと、「突然」という印象をもつかもしれないが、こうした傾向は、小学2、3年ごろ
から現れる。気がつかないのは親だけ、ということになる。私のほうも、わかっていても、「もし
まちがっていたら……」という思いもあって、それを口にすることができない。(親のほうから、
相談があれば、話は別だが……。)

 どこかおとなを、なめたような態度を見せる。ルールを無視する、自分勝手になるなど。あと
はお決まりの非行(反社会的逸脱行為)コース。

 BLOGへの書きこみを読んでみよう。

++++++++++++++++++++++

Re: Sudden loss of control
by Bear50, posted on 11/21/2005 at 13:46.

It seems as if it is time to introduce her to the school counselor to do some more in-depth 
talking. There could be many reasons for such behavior, but I would suggest the counselor 
consider approaching the topic of inappropriate sexual contact with adult or adolescent 
relative/friend of family.

もっと内面的な問題をさぐるために、スクールカウンンセラーに紹介すべきときのように思いま
す。何かもっと重大な問題があるように思います。おとなとの不適切な性行為、あるいは、思春
期の問題など、そういった問題にカウンセラーは、踏みこんでくれるだろうと思います。

++++++++++++++

Re: Sudden loss of control
by jdtm, posted on 11/22/2005 at 0:47.

Could drugs be involved? The behaviours you described sound similar to a drug/medication 
change. I know she is young, but today drugs are in most (if not all) of our schools.

ドラッグが関係しているのでは? あなたが書いておられる症状は、ドラッグ・薬物による症状
に似ていると思います。彼女は若いですが、しかし今では、ほとんどの学校に、ドラッグはあり
ます。

+++++++++++++++

Re: Sudden loss of control
by Dxxx Mxxxx, posted on 11/23/2005 at 19:16.

Dear, Txxx Nxxx、 

I can understand your frustration with your student, as it appears she has made a complete 
behavioral change. It seems like she has some emotional problems that she is hiding and the 
only way she can work through them is misbehaving in class. Have you consult with the 
counselor at school? I do see that you have spoken to the mother, but she does not know 
what is wrong her daughter either. I have a few suggestions that might help you. 

あなたが困っている様子が、理解できます。彼女は、まったく態度が変わってしまったのですか
ら。彼女は、何か隠している情緒的な問題があるように思います。そしてそれが教室の中で現
れているのです。学校のカウンセラーに相談しましたか。母親に話したということですが、母親
も、娘のどこが悪いのか、知らないのですね。いくつかの提案をしてみたいと思います。

I suggest that you have a meeting with the mother and counselor and come up with a plan. I 
recommend that you and the mother take data on her behavior, which are called anecdotal. 
An Anecdotal is a daily record on the child behavior, whether it is good or bad. Make sure 
to note the time and the date of each behavior occurrence. Once you begin this process, 
you will be able to recognize whether or not there is a pattern to her behavior. Have the 
counselor come to your class and observe her behavior. I would then suggest having a follow 
up meeting with the mother and counselor in order to go over the findings of the anecdotal 
and the counselor observation. If the data was consistent, then I would suggest that the 
child would receive one on one counseling sessions in order to get to the root of the 
problem. I would also suggest that the mother and the daughter would have a counseling 
session together. 

一度、母親とカウンセラーと3人で、ミーティングをしてみたら、どうでしょうか。そして彼女の行
動の記録を、「逸話的」に話しあいます。(具体的に、どこでどんなことがあったかを話しあうこ
と。)これをしてみると、彼女に何かのパターンがみつかると思います。カウンセラーは、あなた
の教室にやってきて、彼女を観察したことがありますか。そしてその上で、また母親とカウンセ
ラーと3人で、話しあいます。データが集まったところで、問題の根をさぐるために、カウンセリ
ング期間をもつことを提案します。母親も同時に、カウンセリングを受けるとよいでしょう。

I hope that my suggestions are of use to you in dealing with your students・that previously 
had no behavioral problems, but now has suddenly developed emotional outburst. Here are a 
few web sites that might help. Emotional Behavior Resources www.psychology.org/links/
Environment_ Behavior_Relationships/Emotion. Emotional Behavior Disorders www.geocities.
com/Athens/Oracle/1580/pacerebd.html. 

この提案が役に立つことを望みます。ここに役立ちそうなサイトのいくつかを紹介しておきま
す。

Good Luck 
Happy Thanksgiving

+++++++++++++

Re: Sudden loss of control
by Lxxx, posted on 11/24/2005 at 0:24.

Wow! I'm no expert, but it sounds like something major is going on. Was she on medication 
and has suddenly stopped? I know this happens sometimes when we never even knew the 
student was on medication. If this isn't the case, I think something must be going on or 
something has happened. I wouldn't think that hormones alone could cause such a drastic 
change (even as powerful as they can be)! Consider having the counselor talk to her. 
Sometimes they can get things out of them that we can't. Beyond that, you may want to 
have a conference with her parents and bring her in to the meeting at some point. Maybe if 
she sees that everyone is there and working together to help her, she will feel more able to 
cope with whatever is going on. Good luck! 

Lxxxx

私は専門家ではありません。しかし何かもっと深刻な問題があるように思います。彼女は何
か、薬物療法を受けていましたか。それを突然、やめたとか。そうでなければ、何かが起きたと
思います。ホルモンだけでは、こんな突然の変化は起きないと思います。カウンセラーに相談
すべきです。カウンセラーは、私たちが知ることができないことを、引き出すことができます。み
ながそこにいて、彼女のために心配していることがわかれば、彼女も、その問題について、よ
り対処できるようになると思います。

++++++++++++++++++

 日本では、この時期、子どもの心は、受験期と思春期がからんで、極度の緊張状態に置か
れるようになる。ときとして、進学校の女子が、(もちろん男子もだが……)、大きく変化するの
は、そのためと考えられる。

 多くの親たちは、(今の状態)を基盤として、「さらによくなること」だけを考えて、子どもを、追
いたてる。しかしその時点で、子どもにとって、選択すべき道は、2つある。(1)親の望みどおり
になるか、(2)それとも、親の望みに反発するようになるか、である。

 可能性は、フィフティ・フィフティ。が、多くの親たちは、「うちの子にかぎって」とか、「まさか…
…」とか考えて、後者の子どもになることを、ほとんど計算に入れていない。進学塾が発表す
る、華々しい合格発表の裏で、どれだけ多くの子どもたちが、キズつき、進学競争から脱落し
ていくか、世の親たちは、そういうことを考えたことがあるのだろうか。

 こうした変化は、ある日、突然、起こる。1か月とか2か月という期間ではなく、1週間とか、2
週間とかいう期間のうちに起こる。はげしい夫婦げんかなど、何かのショックがきっかけとなる
こともある。

それまでは、従順でものわかりのよかった子どもが、突然、反抗的になる。ツッパル。キレやす
くなる。もちろんその時点から、親子の会話は消滅し、親は、悶々とした閉塞状況に置かれる。
が、そのままの状態がつづくわけではない。限界状況に達すると、はげしい衝突が繰りかえさ
れるようになる。

 「バカヤロー! 親に向かって何てことを言う!」「ウッセー、黙れ、このクソ親父!」と。

 概して言えば、男子より、女子のほうが、扱い方がむずかしい。一度お決まりの非行コースに
入ると、そのまま、あっという間に、ドン底のドン底まで落ちていく。それだけ女子を取り巻く世
界は、邪悪であるということを意味する。

 なお平成14年度に、刑法犯として、検挙された少年、少女は、約14万人。その刑法犯の最
近の特徴としては、(1)低年齢化、(2)集団化、粗暴化、(3)一般化、(4)女子の増加、(5)学
校内非行の顕在化だそうだ(深堀著「心理学のすべて」)。

 この中には、いわゆる援助交際から始まった、闇の世界に閉ざされた、性的非行については
含まれていない。が、今では、それを問題にするのもわずらわしいほど、性的非行は、一般化
している。このH市だけでみても、中3レベルで、公然と性的非行を自認している女子は、100
人のうち、1〜2人前後は、いる。(実際には、もっと多い。)

 そして女子のばあい、一度、こうした性的非行に走るようになると、学業がおろそかになるど
ころか、怠学を繰りかえすようになり、教師に対しても、きわめて反抗的な態度をとるようにな
る。まさに「手がつけられない」といった状態になる。

 大切なことは、子どもがそうならないように、その初期の段階で、芽をつむことである。しかし
そこまで勉強している親となると、そうはいない。

 (しかしこの原稿を読んだあなたは、すばらしい。その糸口だけでも、自分でつかんだことに
なる。ホント! たいていの親は、こうした原稿すら読まない。)

 少し話が脱線したが、アメリカの「教育BLOG」を読んでいて、少し気になったので、この問題
を取りあげてみた。
(はやし浩司 突然変わった子供 思春期の女子 非行 反社会的逸脱行為)






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●育児ノイローゼ、Mさんのケース

++++++++++++++++++

以前、Mさん(当時40歳くらい)から、
毎晩のように、子育てについての相談を
受けたことがある。

Mさんは、何かにつけて、子ども(当時
14歳)の問題点を見つけては、それを
大げさに問題にしていた。

明らかに育児ノイローゼであった。

そのMさんについて書く前に、以前書い
た原稿(中日新聞掲載済み)を、ここに
掲載する。

+++++++++++++++++++

【母親が育児ノイローゼになるとき】

●頭の中で数字が乱舞した   
 
 それはささいな事故で始まった。まず、バスを乗り過ごしてしまった。保育園へ上の子ども(4
歳児)を連れていくとちゅうのできごとだった。次に風呂にお湯を入れていたときのことだった。
気がついてみると、バスタブから湯がザーザーとあふれていた。しかも熱湯。すんでのところ
で、下の子ども(2歳児)が、大やけどを負うところだった。次に店にやってきた客へのつり銭を
まちがえた。何度レジをたたいても、指がうまく動かなかった。あせればあせるほど、頭の中で
数字が勝手に乱舞し、わけがわからなくなってしまった。

●「どうしたらいいでしょうか」

 Aさん(母親、36歳)は、育児ノイローゼになっていた。もし病院で診察を受けたら、うつ病と
診断されたかもしれない。しかしAさんは病院へは行かなかった。子どもを保育園へ預けたあ
と、昼間は一番奥の部屋で、カーテンをしめたまま、引きこもるようになった。食事の用意は何
とかしたが、そういう状態では、満足な料理はできなかった。そういうAさんを、夫は「だらしな
い」とか、「お前は、なまけ病だ」とか言って責めた。昔からの米屋だったが、店の経営はAさん
に任せ、夫は、宅配便会社で夜勤の仕事をしていた。

 そのAさん。私に会うと、いきなり快活な声で話しかけてきた。「先生、先日は通りで会ったの
に、あいさつもしなくてごめんなさい」と。私には思い当たることがなかったので、「ハア……、別
に気にしませんでした」と言ったが、今度は態度を一変させて、さめざめと泣き始めた。そして
こう言った。「先生、私、疲れました。子育てを続ける自信がありません。どうしたらいいでしょう
か」と。冒頭に書いた話は、そのときAさんが話してくれたことである。

●育児ノイローゼ

 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。

(1)生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞

(2)思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする(記憶力の低
下)

(3)精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、
日常活動への興味の喪失)

(4)睡眠障害(早朝覚醒に不眠)など。

さらにその状態が進むと、Aさんのように、

(5)風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)、ムダ買いや目的の
ない外出を繰り返す(行為障害)

(6)ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)

(7)同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど、感情のコントロールができなく
なる(感情障害)

(8)他人との接触を嫌う(回避性障害)

(9)過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる

(10)また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)

(11)異常な多弁性をともなうことがあり、一方的にしゃべるだけで、相手の話を聞かない(多
弁性)

(12)ふとしたきっかけで、「死んでしまいたい」と考えることがある(自殺願望)

(13)動悸、息切れ、不眠、早朝覚醒などの身体的症状を伴うことが多い。

こうした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながること
も珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●夫の理解と協力が不可欠

 ただこうした症状が母親に表れても、母親本人がそれに気づくということは、ほとんどない。
脳の中枢部分が変調をきたすため、本人はそういう状態になりながらも、「私はふつう」と思い
込む。あるいは症状を指摘したりすると、かえってそのことを苦にして、症状が重くなってしまっ
たり、さらにひどくなると、冷静な会話そのものができなくなってしまうこともある。Aさんのケー
スでも、私は慰め役に回るだけで、それ以上、何も話すことができなかった。

 そこで重要なのが、まわりにいる人、なかんずく夫の理解と協力ということになる。Aさんも、
子育てはすべてAさんに任され、夫は育児にはまったくと言ってよいほど、無関心であった。そ
れではいけない。子育ては重労働だ。私は、Aさんの夫に手紙を書くことにした。この原稿は、
そのときの手紙をまとめたものである。

+++++++++++++++++

【Mさんのケース】

 Mさんの子ども(名前をA君とする)は、「生まれながらにして、発育不良だった」(Mさんの言
葉)とのこと。そのためMさんは、A君を溺愛する一方、過保護にして育てた。ふつうの過保護
ではない。過保護の上に「超」がつく、超過保護である。つまり、Mさんは、いわゆる(心配先行
型)の子育てを繰りかえした。

 ただ、過保護の基盤に愛情があったかというと、それは疑わしい。Mさんは、子どもを自分の
支配下に置いて、自分の思いどおりにしたかっただけではなかったか。

 たとえばA君が自分で、シャツや服を着るような年齢になったときでも、「心配だ」「心配だ」と
言って、Mさんが手を貸していたという。「どうして手を貸したのですか?」と聞くと、「自分で着さ
せると、前とうしろを反対に着た」「汚れたシャツをそのまま着た」「2枚もセーターを着たことも
ある」と。

 一事が万事。A君が風呂に入っても、「きちんと洗わない」「髪の毛を洗わない」「石鹸で遊ん
でしまう」などといっては、Mさんは、いつもA君といっしょに、風呂に入っていた。A君の体を洗
ってやっていた。そしてそういう状態が、A君が、小学5、6年生になるまでつづいた。

 その間にもいろいろあった。A君は、学校で、いじめを受けていたこともある(Mさんの言
葉)。そのためMさんは、毎日学校まで、A君を迎えに行ったこともある。そしてこんなこともあ
った。

 A君の修学旅行に行ったときのことだったという。Mさんは、恥ずかしげもなく、私にこう言っ
た。「Aのことが心配で、2晩、泣いて明かしました」と。が、そういうMさんだが、その一方で、A
君を虐待していた。虐待といっても、言葉の虐待である。Mさんは、ことあるごとに、A君にこう
言っていたという。

 「あんたのような子は、将来は、こじきをするしかないわね」
 「あんたのような子は、生まれてくるべき子ではなかったのよ」
 「しっかりと勉強しないと、あなたもホームレスの人たちのようになるのよ」
 「あんたさえいなければ、お母さんは、もっと楽しく過ごせるのにね」と。

 Mさんは、A君に自覚をもってもらいたいと願って、そう言ったという。もちろんMさん自身に
は、虐待しているという意識は、まったくなかった。しかしこうした母親の日常的な言葉で、A君
は、ますます萎縮していった。

 そのA君に、大きな変化が見られたのは、A君が中学生になってからである。ものごとに異常
にこだわるようになった。A君は、カード集めをしていたが、そのカードを、何よりも大切にして
いた。そしてそのカードを、数千枚近く(母親の言葉)も、もっていた。

 「部屋中、カードだらけだったので、Aが学校へ行っている間に、ダンボール箱に入れて、納
屋へしまってやりました」(Mさん)と。

 そのとたん、A君は、ふつうではなくなってしまった。何かの拍子に、二階へつづく階段から、
とびおりたりするようになった。腕の骨を折ったこともある。が、何よりも気になったのは、オド
オドと、何かにおびえるような様子を見せるようになったことである。ふだんでも、ときおり、下を
みつめたまま、ニヤニヤ(ニタニタ)と笑いつづけることもあった。

 当時は、今のように、児童相談所も整備されていなく、また虐待に対する認識もそれほど深く
なかった。

 そのころMさんが私に電話で、相談してくるようになった。ときには、毎晩つづけて、1〜2時
間も、電話がかかってくることもあった。内容もさることながら、Mさんは、一方的に、しゃべる
だけ。こちらの私が、何かをアドバイスしようとすると、即座に反論したりして、会話にならなか
ったのをよく覚えている。

 「このままでは、うちの子は、だめになってしまう」
 「こんな状態で、私は、Aのめんどうを、一生みなければならない」と。

 私が「そういうふうに決めてかかってはいけない」と言いかけると、「叔父がそうだった」「近所
の子どももそうだった」と、つぎからつぎへと、そういう話ばかりした。

 Mさんが、ふと、こう漏らしたこともある。「このままでは、Aは、うちの財産を食いつぶしてしま
う」と。Mさんは、そんなことまで心配していた。

 そこで私は、Mさんに、一度、A君を、心療内科医院でみてもらったらよいとアドバイスしたこ
とがある。で、Mさんは、それをしたが、「近所の医院では恥ずかしいから」という理由で、電車
で40分もかかる、隣町にある、医院へ通うようになった。

 が、やがてそれについても、「時間がかかる」「このまま一生、医療費がかかる」などと言い出
した。1つの問題が解決すると、それが解決したことを喜ぶよりも先に、つぎのまた別の問題を
もちだして、それを心配した。そんなとき、また電話がかかってきた。

 「先生、今日、Aを病院へ、車で連れていきました。その途中のことですが、私は思わず、反
対車線に入りそうになってしまいました。このまま死ぬことができたら、どんなに気が楽だろうと
思いました」と。

 明らかにMさんは、育児ノイローゼになっていた。しかしMさんには、その自覚はなかった。
病因で診察を受けたら、「うつ病」と診断されたかもしれない。Mさんは、こう言った。

 「朝は、2時ごろ目がさめてしまいます。はげしい動悸がして、体中が、ほてってしまいます」
 「Aのことを考えると、心配で心配で、夜も眠られません」と。

私「何が、心配なのですか?」
M「夜も、電気ストーブをつけっぱなしです」
私「どうしてそれが心配なのですか」
M「倒れたら、火事になります」
私「なりません。倒れれば、自動的に電気が切れるしくみになっています」
M「カーテンのそばに、電気ストーブがあります。火事になります」と。

 こういう意味のない、押し問答が、いつまでもつづく。

 Mさんの特徴は、ほかにもある。当時書いた原稿をまとめてみると、こうなる。

(1)きわめてささいな、しかも表面的な問題について、心配していた。
(2)私の説明が、理解できない。何かを説明しても、それがどこかへ消えてしまう。
(3)私が言った、何かの言葉じりをつかまえて、私に食ってかかってくることもあった。
(4)一方的にペラペラと話すだけで、私の話を聞かない。ほとんどがグチ。
(5)何冊か本を読むように勧めたこともあるが、「本は読みたくない」と言った。

 Mさんの夫については、私は知らない。会ったことも、電話で話したこともない。ただMさんの
話では、無口で、仕事だけをしているような人らしかった。もちろん家事、育児については、ほ
とんど関心がないといったふうだった。夫婦の会話も、なかった。そのため、よけいにMさん
は、追いつめられていった。

 Mさんからの電話相談は、かれこれ3年近くもつづいた。で、2年前、私はそのMさんだけの
ことが理由ではないが、こうした電話相談については、すべて断るようにした。電話相談だけ
で、午前中の時間が、すべてつぶれてしまうことも珍しくなかった。

 以上、Mさんという母親について書いたが、Mさんと特定できないよう、細部については、私
の方で、ほかのいくつかの事例を混ぜて書いた。そのため、話の流れとして不自然な部分もあ
るかもしれない。それは許してほしい。

 で、今から思うと、Mさんには、育児そのものが負担ではなかったかということ。さらに言え
ば、良好な親子関係、夫婦関係があれば、同じ重荷でも、感じ方がちがったはず。しかしMさ
んには、その両方が欠けていた。さらにMさんは、自分では、「私の両親には問題はなかった」
と何度も言ったが、客観的に判断すると、Mさんはかなり不幸な家庭に生まれ育っていた。

 そういう深い因縁が、回りまわって、そのときのMさんの育児ノイローゼにつながっていった
のではないかと思う。

 それからx年。M君は、無事高校を卒業し、今は、農協関係の仕事をしているという。Mさん
の話は、以来、耳にしていない。

+++++++++++++++++

●どうしたらよいか?

 育児ノイローゼになる人には、ある一定のパターンがある。ここでは思いつくまま、書いてみ
る。

(1)気を抜くための、趣味などがない。

 相談を受けながらいつも思うことは、「この人は、別のところで、つまり子育てを忘れられるよ
うなところで、自分の世界をもてばいいのに……」ということ。しかしそういう人にかぎって、子育
てがすべて、といった感じがする。この閉塞感が、症状を重くする。

 子育ては子育て。しかしその一方で、親は親としてというより、1人の人間として、自分の世界
をもつこと。育児をしながらも、同時進行の形でもつのがよい。

(2)視野が狭い。

 大局的な見方ができない。身近な、ささいな問題をとらえては、それを針小棒大に心配する。
たとえば「学校でしてきたプリントを見たら、計算の答が、すべて一行ずつ、ズレていた。きっと
隣の席の子どもの答を、丸写しにしたにちがいない。こんなことでは、うちの子は、将来、ズル
い人間になってしまう」とか。

 あるいは「体操教室で、跳び箱の練習を見ていたら、うちの子は、順番をうまくすり抜けて、そ
れをしないですませていた。こんなことでは、うちの子は、ダメになってしまう」と心配していた母
親もいた。

 さらにこんな相談もあった。「今、英会話教室に通っているが、先生が、アイルランド人だ。へ
んなナマリがつくのではないかと、心配だ」と。

 こうして自分自身を、小さな世界に押しこめてしまう。その閉塞感が、育児ノイローゼへとつな
がっていく。

 そのため、親は、いつも視野を大きくもつ。大きければ大きいほど、よい。興味の対象を、大
きくする。政治の世界や、絵画、音楽などの芸術の世界に興味をもつのもよい。交際範囲を広
くする。ほかにもいろいろあるが、小さい世界に閉じこもってしまってはいけない。

(3)愛情の欠落

 このタイプの親でも、「私は子どもを愛しているから、心配してやっている」というようなことを
言う。しかし話をよく聞くと、親の心配や不安を子どもにぶつけているだけ、といった感じがす
る。

 「愛」といっても、愛もどきの愛。いわゆる代償的愛というのである。自分の心のすき間(=精
神的な欠陥や、情緒的な未熟性)を埋めるために、子どもを利用する。子どものことを考えて
いるようで、子どもの立場になって、ものを考えていない。よい例が、子どもの受験勉強に狂奔
する親である。親の価値観を一方的に、子どもに押しつけているだけ。

 が、この問題は、それに気づくだけでも、その大半が解決したとみる。愛情がなければない
で、居なおればよい。子どもを愛せないことで、自分を責めてはいけない。子どもが好きでなか
ったら、「私は子どもが好きではない」と、正直に告白すればよい。それがふさいだ心に、風穴
をあける。

(4)哲学、宗教観の欠落

 若い母親に、哲学や、宗教観をもてといっても、むずかしい。しかしそういったものがあれば、
子育ての指針にはなる。が、方法がないわけではない。

 「子どもを育てよう」「子どもを育てている」という意識を捨て、「子どもからものを学ぶ」という
意識に置きかえる。わかりやすく言えば、「私は親だ」という親意識を捨て、子どもの横に、友と
して立つ。さらにもっと言えば、子どもに何かを教わるつもりで、子どもの言うことに耳を傾け
る。

 育児ノイローゼになる親というのは、そういう意味では、親意識が強い。「私は親だから、何と
かしなければ」と思いながら、自分をどんどんと追いこんでしまう。生真面目な人ほど、育児ノイ
ローゼになりやすいと、よく言われるのは、そのため。

 肩の力を抜くためにも、親意識を捨て、子どもに対しては、友だち意識をもつ。子どもは、放
っておいても、いつかはおとなになる。そういう子ども自身がもつ力を信じて、無責任になるとこ
ろは、なって、あとは、子どもに任す。

 親は子どもをもつことで親になるが、それから先、真の親になるためには、幾多の山や谷を
越えなければならない。そしてそういう山や谷を越えるうちに、いつしか自分なりの哲学をもつ
ことができるようになる。

 「親が子どもを育てるのではない。子どもが親を育てる」。それに気がついたとき、あなたは、
今の育児ノイローゼから、解放される。
(はやし浩司 育児ノイローゼ)





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●暴れまわる子ども(キレる子ども)

++++++++++++++++++

アメリカのBLOGサイトに、こんな
相談があった。

預かっている子どもについての相談だが、
暴れまわって、困るという内容のもの。

Bulletin Board for EDSPC 753より転載。

+++++++++++++++++++

We have had custody of my 6 year old stepson for 9 months now, and I am truly worn out 
and need help ASAP. I went to the school today to pick him up for a doctor appointment 
(for his behavior & yes he is on medications for this)and upon seeing me in the hallway he 
became hysterical and ran in the oposite direction screaming. The principal and I caught up 
with him and he began punching, kicking, slapping, biting, and pulling several handfulls of my 
hair out of my head before the principal could restrain him. When he seemed calmed a bit i 
tried to calmly let him know that I was just picking him up for his doctor's appointment, at 
that point he kicked me in the face and continued to scream as loud as he could, disrupting 
several classrooms. The principal tried to carry him out to my vehicle, but once in he began 
kicking the daylights out of my car, he then got out and threw himself on the ground 
screaming. Please tell me what in the world to do and how should this be handled if it should 
occur at school again. The only facts we know about his life with his real mother is that she 
admitted in court to having heavily used methamphetamines daily throughout the 
pregnancy. I am not a teacher, but I fell terrible that the staff at his school had to go 
through this. He had an episode eight weeks ago where he did the same thing to his teacher 
that he did to me, I am in fear that his abuse will only escalate. He is scheduled for a psych 
evaluation in Tacoma in 2 weeks, please give me advice for the mean time, we have 5 other 
well behaved children in our home, how do I keep them safe?

6歳の子どもを預かるようになって、9か月になる。私は本当に疲れた。今日も、ドクターの診
察を受けるため、学校へ子どもを迎えに行った。玄関で私を見るやいなや、子どもはヒステリッ
クになり、反対方向へ走って逃げていった。校長と2人で、追いついたものの、殴ったり、蹴っ
たり、ひっぱたいたり、髪の毛を引っぱったりした。少し落ち着いたところで、今日は、病院へ
行くだけだと話して聞かせた。そのときも、私の顔を蹴り、大声で泣き叫び、いくつかの教室の
授業を混乱させてしまった。どうしたらよいのか、どうか、教えてほしい。また学校で同じような
ことが起きたら、どうすればよいのか。8週間ほど前も同じようなことをしたとき、このままエスカ
レートしたら、どうしようかと悩んだ。彼は、タコマで、心理教育を受けることになっている。この
間、どうすればよいのか、教えてほしい。私のところには、ほかにも5人の子どもを預かってい
るが、みな、行儀がよい。

++++++++++++++++++++

ある教育者からの返事

++++++++++++++++++++

It sounds like you are dealing with an extremely difficult situation. So far the other 
suggestions posted by Dina and Bear should be helpful. I have two more techniques that 
may be helpful for your stepson. One technique that you might want to try is creating a 
behavior contract with your stepson. First, you can figure out what behaviors you would like 
to see him exhibit in school and at home. Some suggestions would be he needs to draw 
when he is feeling angry or he needs to follow directions the first time that they are given. 
Set a time frame for each time you or the teacher will be evaluating his behavior. Start 
small to encourage his success with the technique. You might want to say, if you can do this 
for 30 minutes you will receive a reward. And, keep track of whether or not he is exhibiting 
this behavior every 30 minutes. You will talk to him about what kinds of rewards he is willing 
to work for. If he loves to play with his toy trucks maybe you can use extra play time as a 
reward or getting to watch a favorite movie. It is important to figure out what rewards 
matter to him. You can find more information on using behavior contracting on this website. 
Go to the main behavioradvisor.com screen and you will find the link for contracts. 

たいへん困難な状況にあると思う。先にコメントを書いた、DさんやBさんの意見も、役に立つ
でしょう。で、私は、役にたつであろう2つの技術をもっている。
1つは、まず試してみるべきことは、その子どもとの、(行動契約)を結ぶこと。まず、学校や家
で、彼がどうあるべきかを、あなたがそれを具体的に頭の中で描いてみる。彼が怒っていると
きや、最初に指示に従う必要にあるとき、どうするかを決めるのもよい。それぞれのときに、時
間のワクをつくれば、先生が、子どもの行動を(客観的に)評価するだろう。もし30分以内にで
きれば、ほうびを与えるなどとする。30分ごとに、その契約が守れるかどうかを、観察する。ま
たその子どもがどのようなほうびを求めているかを、子どもと話しあう。たとえばおもちゃのトラ
ックと遊びたいとか、好きな映画を見たいというのであれば、それらをほうびとする。その子ど
もが何をしたがっているかを知ることが、重要。このサイトで、(行動契約)についてのさらなる
情報を、手に入れることができる。そちらを訪問してみたらよい。

The second technique that you might want to try is having your stepson self monitor his 
own behavior. You will start out when he is calm to identify a behavior that you would like to 
encourage. Be confident in his ability to master this technique. It may sound unlike you, but 
give him excessive amounts of your confidence that he can master this behavior. Many 
children take their cues from the adults in their lives. Once you have figured out what 
behavior you will be working on, create a sheet with smily faces and frowning faces. At 
designated times, ask him to circle the smiling face if he is exhibiting this behavior or the 
frowning face if he is not. This will build his own motivation to exhibit appropriate behaviors. 
And, celebrate when he is improving!!! I know this can be difficult to do, as some of the 
improvements will seem small in relation to the problems; however, it is good for you and 
him to recognize when changes are occuring. 
It seems like you are really commited to helping this child and he is lucky to have such a 
stable adult in his life. Good luck with this situation. 

Keely

2番目の技術は、子ども自身の行動について、自己監視させること。子どもがあなたから見
て、落ち着いていて、好ましい状態にあるときから、始める。この技術をマスターするための能
力が子どもにあると、自信をもつこと。子どもが自分で自分を管理できると、あなたが、(今の
あなたには、そうではなくても)、自身をもっていることを、子どもに強く印象づける。多くの子ど
もたちは、彼らの生活において、おとなたちから、その手がかりを得る。どんな様子が望ましい
かがわかったら、(ニコニコマーク)と(しかめっつらマーク)を描いたシートを用意する。このこと
で、子どもに自覚を促す。そしてうまくいったときは、その子どもをほめたたえる。このことはむ
ずかしいことは、わかっている。この問題に関しては、進歩は、少ないだろう。しかしあなたとそ
の子どもにとって、変化が起きつつあることを気がつくためには、よい。その子どもにとって、あ
なたのような安定したおとなをもっているということは、すばらしいことだ。

++++++++++++++++++

●子どもの過剰行動性について

 子どもの突発的な過剰行動性、いわゆるキレる子どもについては、いろいろな分野から考察
が繰りかえされている。

 大脳の微細障害説、環境ホルモン説、食生活説など。それらについて、数年前に書いた原
稿を、ここに添付する。

++++++++++++++++++

【子どもがキレるとき】

●ふえるキレる子ども

 2000年、全国の教育委員会から報告された校内での暴力行為は、前年度より11.4%
ふえて、34595件に達したことがわかった(文部科学省)。「対外的に問題の見られなかった
子どもが、突発的に暴力をふるうケースが目立つ」と指摘。同省・児童生徒課は、キレる子ども
への対応の必要性を強調した(中日新聞)。

 暴力行為が報告された学校の割合は、小学校が全体の2・2%だったが、中学校が35・
8%、高校が47・3%にのぼった。また学校外の暴力行為は、小中高校で、計5779件だっ
た。私が住む静岡県でも、前年度より210件ふえて、1132件だった。マスコミで騒がれること
は少なくなったが、この問題は、まだ未解決のままと考えてよい。

 こうしたキレる子どもの原因について、各方面からさまざまな角度から議論されている。教育
的な分野からの考察については言うまでもないが、それ以外の分野として、たとえば(1)精神
医学、(2)栄養学の分野がある。さらに最近では(3)環境ホルモンの分野からも問題が提起さ
れている。これは、内分泌かく乱化学物質(環境ホルモン)が、子どもの脳に影響を与え、それ
が子どもがキレる原因の一つになっているという説である。以下、これらの問題点について、
考えてみる。

(1)精神医学の分野からの考察

●躁状態における錯乱状態 

 キレる状態は、心理学の世界では、「躁(そう)状態における精神錯乱」と位置づけられてい
る。躁うつ病を定型化したのはクレペリン(ドイツの医学者・1856〜1926)だが、一般的には
躁状態とうつ状態はペアで考えられている。周期性をもって交互に、あるいはケースによって
は、重複して起こることが多いからである。それはそれとして、このキレた状態になると、子ども
は突発的に攻撃的になったり、大声でわめいたりする。(これに対して若い人の間では、ただ
単に、激怒した状態、あるいは怒りをコントロールできなくなった状態を、「キレる」と言うことが
多い。ここでは区別して考える。)私にもこんな経験がある。

●恐ろしく冷たい目

 子どもたち(小3児)を並べて、順に答案に丸をつけていたときのこと。それまでF君は、まっ
たく目立たないほど、静かだった。が、あと一人でF君というそのとき、F君が突然、暴れ出し
た。突然というより、激変に近いものだった。ギャーという声を出したかと思うと、周囲にあった
机とイスを足げりにしてひっくり返した。瞬間私は彼の目を見たが、その目は恐ろしいほど冷た
く、すごんでいた……。

●心の緊張状態が原因

 よく子どもの情緒が不安定になると、その不安定な状態そのものを問題にする人がいる。し
かしそれはあくまでも表面的な症状に過ぎない。情緒が不安定な子どもは、その根底に心の
緊張状態があるとみる。その緊張状態の中に不安が入りこむと、その不安を解消しようと、一
挙に緊張感が高まり、情緒が不安定になる。先のF君のばあいも、「問題が解けなかった」とい
う思いが、彼を緊張させた。そういう緊張状態のところに、「先生に何かを言われるのではない
か」という不安が入りこんで、一挙に情緒が不安定になった。言いかえると、このタイプの子ど
もは、いつも心が緊張状態にある。気を抜かない。気を許さない。周囲に気をつかうなど。表情
にだまされてはいけない。柔和でおだやかな表情をしながら、その裏で心をゆがめる子どもは
少なくない。これを心理学の世界では、「遊離」という。「遊離現象」というときもある。心(情意)
と表情がミスマッチを起こした状態をいう。一度こういう状態になると、教える側からすると、「何
を考えているかわからない子ども」といった感じになる。

 その引き金となる原因はいくつかあるが、その第一に考えるのが、欲求不満である。欲求不
満が日常的に続くと、それがストレッサー(ストレスの原因)となり、心をふさぐ。その閉塞感が、
子どもの心を緊張させる。子どもの心について、こんな調査結果がある(98年・文部省調査)。

 「いらいら、むしゃくしゃすることがあるか」という質問に対して、小学6年生の18.6%が、
「日常的によくある」と答え、59.8%が、「ときどきある」と答えている。その理由としては、

(1)友だちとの人間関係がうまくいかないとき……51.8%
(2)人に叱られたとき……45.7%
(3)家族関係がうまくいかないとき……35.5%
(4)授業がわからないとき……34.1%
(5)意味もなくむしゃくしゃするときがある……18.5%

また「不安を感ずることがあるか」という質問に対しては、やはり小学六年生の7.8%が、「日
常的によくある」と答え、47.7%が、「ときどきある」と答えている。その理由としては、

(1)友だちとの関係がうまくいかないとき……51.0%
(2)授業がわからないとき……47.7%
(3)時間的なゆとりがないとき……29.3%
(4)落ち着ける居場所がないとき……22.4%
(5)進路、進学について……20.4%
 
 この調査結果から、現代の子どもたちは、およそ20人に一人が日常的に、いらいらしたり、
むしゃくしゃし、10人に一人が日常的にある種の不安を感じていることがわかる。

●子どもの欲求不満

 子どもの欲求不満については、その原因となるストレスの大小はもちろんのこと、それを受け
取る子ども側の、リセプターとしての問題もある。同じストレスを与えても、それをストレスと感じ
ない子どももいれば、それに敏感に反応する子どももいる。そんなわけで、子どものストレスを
考えるときは、対個人ではどうなのかというレベルで考える必要がある。それはさておき、子ど
もは自分の欲求が満たされないと、欲求不満になる。この欲求不満に対する反応は、ふつう、
次の三つに分けて考える。

(1)攻撃・暴力タイプ

 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態あ
り、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。母親が、「ピアノのレッスンをしようね」と
話しかけただけで、包丁を投げつけた女の子(年長児)がいた。私が「今日は元気?」と声をか
けて、肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。こう
した攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩する、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイ
プ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)に分けて考えることができる。

(2)退行・依存タイプ

 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったりする(退行性)。あるいは誰かに依存しようとする(依存
性)。このタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱
るほど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。

(3)固着・執着タイプ

 ある特定の「物」にこだわったりする(固着性)。あるいはささいなことを気にして、悶々と悩ん
だりする(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。
最近多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえ
りを起こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、ま
だ大切そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子ど
もはこう言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」
と。

 ものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすための代償行為と考えるとわかり
やすい。よく知られているのに、指しゃぶりや、爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで指の
快感を覚えることで、自分の欲求不満を解消しようとする。
 キレる子どもは、このうち、(1)攻撃・暴力タイプということになるが、しかし同時に退行性や
依存性、さらには固着性や執着性をみせることが多い。 

●すなおな子ども論

 補足だが、従順で、おとなしい子どもを、すなおな子どもと考えている人は多い。しかしそれ
は誤解。教育、なかんずく幼児教育の世界では、心(情意)と表情が一致している子どもを、す
なおな子どもという。うれしいときにはうれしそうな表情をする。悲しいときには悲しそうな表情
をする。しかし心と表情が遊離すると、ここに書いたようにそれがチグハグになる。ブランコを
横取りされても、ニコニコ笑ってみせたり、いやなことがあっても、黙ってそれに従ったりするな
ど。中に従順な子どもを、「よくできた子ども」と考える人もいるが、それも誤解。この時期、よく
できた子どもというのは、いない。つまり「いい子」ぶっているだけ。このタイプの子どもは大き
なストレスを心の中でため、そのためた分だけ、別のところで「心のひずみ」となって現われる。
よく知られた例として、家庭内暴力を起こす子どもがいる。このタイプの子どもは、外の世界で
は借りてきたネコのようにおとなしい。

●おだやかな生活を旨とする

 キレるタイプの子どもは、不安状態の中に子どもを追いこまないように、穏やかな生活を何よ
りも大切にする。乱暴な指導になじまない。あとは情緒が不安定な子どもに準じて、(1)濃厚な
スキンシップをふやし、(2)食生活の面で、子どもの心を落ち着かせる。カルシウム、マグネシ
ウム分の多い食生活にこころがけ、リン酸食品をひかえる。リン酸は、せっかく摂取したカルシ
ウムをリン酸カルシウムとして、体外へ排出してしまう。もちろんストレスの原因(ストレッサー)
があれば、それを除去し、心の負担を軽くすることも忘れてはならない。

●子どもの感情障害

 ほかに自閉症やかん黙児、さらには小児うつ病など、脳に機能的な障害をもつ子ども、さら
に近年問題になっている集中力欠如型多動性児(ADHD)は、感情のコントロールができない
ことがよく知られている。これらのタイプの子どもは、ささいなことがきっかけで、突発的に(1)
激怒する、(2)興奮、混乱状態になる、(3)暴言を吐いたり、暴力行為に及ぶ。攻撃的に外に
向って
暴力行為を及ぶタイプを、プラス型、内にこもり混乱状態になるのをマイナス型と私は分けてい
る。どちらにせよその行動は予想がつきにくく、たいていは子どもの「ギャーッ」という動物的な
叫び声でそれに気づくことが多い。こちらが「どうしたの?」と声をかけるときには、すでに手が
つけられない状態になっている。

(2)栄養学の分野からの考察

●過剰行動性のある子ども

 もう20年以上も前だが、アメリカで「過剰行動性のある子ども」(ヒュー・パワーズ・小児栄養
学)が、話題になったことがある。ささいなことがきっかけで、突発的に過剰な行動に出るタイプ
の子どもである。日本では、このタイプの子どもはほとんど話題にならなかったが、中学生によ
るナイフの殺傷事件が続いたとき、その原因の一つとして、マスコミでこの過剰行動性が取り
あげられたことがある(98年)。日本でも岩手大学の大沢博名誉教授や大分大学の飯野節
夫教授らが、この分野の研究者として知られている。

●砂糖づけのH君(年中児)

 私の印象に残っている男児にH君(年中児)という子どもがいた。最初、Hさん(母親)は私に
こう相談してきた。「(息子の)部屋の中がクモの巣のようです。どうしたらいいでしょうか」と。話
を聞くと、息子のH君の部屋がごちゃごちゃというより、足の踏み場もないほど散乱していて、
その様子がふつうではないというのだ。が、それだけならまだしも、それを母親が注意すると、
H君は突発的に暴れたり、泣き叫んだりするという。始終、こきざみに動き回るという多動性も
気になると母親は言った。私の教室でも突発的に、耳をつんざくような金切り声をあげ、興奮
状態になることも珍しくなかった。そして一度そういう状態になると、手がつけられなくなった。
私はその異常な興奮性から、H君は過剰行動児と判断した。

 ただ申し添えるなら、教育の現場では、それが学校であろうが塾であろうが、子どもを診断し
たり、診断名をくだすことはありえない。第一に診断基準が確立していないし、治療や治療方
法を用意しないまま診断したり、診断名をくだしたりすることは許されない。仮にその子どもが
過剰行動児をわかったところで、それは教える側の内心の問題であり、親から質問されてもそ
れを口にすることは許されない。診断については、診断基準や治療方法、あるいは指導施設
が確立しているケース(たとえば自閉症児やかん黙児)では、専門のドクターを紹介することは
あっても、その段階で止める。この過剰行動児についてもそうで、内心では過剰行動児を疑っ
ても、親に向かって、「あなたの子どもは過剰行動児です」と告げることは、実際にはありえな
い。教師としてすべきことは、知っていても知らぬフリをしながら、その次の段階の「指導」を開
始することである。
 
●原因は食生活?

 ヒュー・パワーズは、「脳内の血糖値の変動がはげしいと、神経機能が乱れ、情緒不安にな
り、ホルモン機能にも影響し、ひいては子どもの健康、学習、行動に障害があらわれる」とい
う。メカニズムは、こうだ。ゆっくりと血糖値があがる場合には、それに応じてインスリンが徐々
に分泌される。しかし一時的に多量の砂糖(特に精製された白砂糖)をとると、多量の、つまり
必要とされる量以上の量のインスリンが分泌され、結果として、子どもを低血糖児の状態にし
てしまうという(大沢)。そして(1)イライラする。機嫌がいいかと思うと、突然怒りだす、(2)無気
力、(3)疲れやすい、(4)(体が)震える、(5)頭痛など低血糖児特有の症状が出てくるという
(朝日新聞98年2・12)。これらの症状は、たとえば小児糖尿病で砂糖断ちをしている子ども
にも共通してみられる症状でもある。私も一度、ある子ども(小児糖尿病患者)を病院に見舞っ
たとき、看護婦からそういう報告を受けたことがある。

 こうした突発的な行動については、次のように説明されている。つまり脳からは常に相反する
二つの命令が出ている。行動命令と抑制命令である。たとえば手でものをつかむとき、「つか
め」という行動命令と、「つかむな」という抑制命令が同時に出る。この二つの命令がバランス
よく調和して、人間はスムーズな動きをすることができる。しかし低血糖になると、このうちの抑
制命令のほうが阻害され、動きがカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。先のH君
の場合は、こまかい作業をさせると、震えるというよりは、手が勝手に小刻みに動いてしまい、
それができなかった。また抑制命令が阻害されると、感情のコントロールもできなくなり、一度
激怒すると、際限なく怒りが増幅される。そして結果として、それがキレる状態になる。

●恐ろしいカルシウム不足

 砂糖のとり過ぎは、子どもの心と体に深刻な影響を与えるが、それだけではない。砂糖をとり
過ぎると、カルシウム不足を引き起こす。

糖分の摂取が、体内のカルシウムを奪い、虫歯の原因になることはよく知られている。体内の
ブドウ糖は炭酸ガスと水に分解され、その炭酸ガスが、血液に酸性にする。その酸性化した血
液を中和しようと、骨の中のカルシウムが、溶け出るためと考えるとわかりやすい。体内のカ
ルシウムの98%は、骨に蓄積されている。そのカルシウムが不足すると、「(1)脳の発育が不
良になったり、(2)脳神経細胞の興奮性を亢進したり、(3)精神疲労をしやすくまた回復が遅く
なるなどの症状が現われる」(片瀬淡氏「カルシウムの医学」)という。わかりやすく言えば、カ
ルシウムが不足すると、知恵の発達が遅れ、興奮しやすく、また精神疲労を起こしやすいとい
うのだ。甘い食品を大量に摂取していると、このカルシウム不足を引き起こす。

●生化学者ミラー博士らの実験

 精製されてない白砂糖を、日常的に多量に摂取すると、インスリンの分泌が、脳間伝達物質
であるセロトニンの分泌をうながし、それが子どもの異常行動を引き起こすという。アメリカの
生化学者のミラーは、次のように説召している。

 「脳内のセロトニンという(脳間伝達)ニューロンから脳細胞に情報を伝達するという、神経中
枢に重要な役割をはたしているが、セロトニンが多すぎると、逆に毒性をもつ」(「マザーリン
グ」81年7号)と。日本でも、自閉症や子どもの暴力、無気力などさまざまな子どもによる問題
行動が、食物と関係しているという研究がなされている。ちなみに、食品に含まれている白
砂糖の量は、次のようになっている。

製品名             一個分の量    糖分の量         
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー        
 ヨーグルト    【森永乳業】     90ml  9・6g         
 伊達巻き       【紀文】     39g  11・8g         
 ミートボール   【石井食品】 1パック120g  9・0g         
 いちごジャム   【雪印食品】  大さじ30g  19・7g         
 オレンジエード【キリンビール】    250ml  9・2g         
 コカコーラ              250ml 24・1g         
 ショートケーキ    【市販】  一個100g  28・6g         
 アイス      【雪印乳業】  一個170ml  7・2g         
 オレンジムース  【カルピス】     38g   8・7g         
 プリン      【協同乳業】  一個100g  14・2g         
 グリコキャラメル【江崎グリコ】   4粒20g   8・1g         
 どら焼き       【市販】   一個70g  25g          
 クリームソーダ    【外食】  一杯      26g           
 ホットケーキ     【外食】  一個      27g          
 フルーツヨーグルト【協同乳業】    100g  10・9g         
 みかんの缶詰   【雪印食品】    118g  15・3g         
 お好み焼き   【永谷園食品】  一箱240g  15・0g         
 セルシーチョコ 【江崎グリコ】   3粒14g   5・5g         
 練りようかん     【市販】  一切れ56g  30・8g         
 チョコパフェ     【市販】  一杯      24・0g       

●砂糖は白い麻薬

 H君の母親はこう言った。「祖母(父親の実母)の趣味が、ジャムづくりで、毎週ビンに入った
ジャムを届けてくれます。うちでは、それを食べなければもったいないということで、パンや紅茶
など、あらゆるものにつけて食べています」と。私はH君の食生活が、かなりゆがんだものと知
り、とりあえず「砂糖断ち」をするよう進言した。が、異変はその直後から起きた。幼稚園から帰
ったH君が、冷蔵庫を足げりにしながら、「ビスケットがほしい、ビスケットがほしい」と泣き叫ん
だというのだ。母親は「麻薬患者の禁断症状のようで、恐ろしかった」と話してくれた。が、それ
から数日後。今度はH君が一転、無気力状態になってしまったという。私がH君に会ったのは、
ちょうど一週間後のことだったが、H君はまるで別人のようになっていた。ボーッとして、反応が
まるでなかった。母親はそういうH君を横目で見ながら、「もう一度、ジャムを食べさせましょう
か」と言ったが、私はそれに反対した。

●カルシウムは紳士をつくる

 戦前までは、カルシウムは、精神安定剤として使われていた。こういう事実もあって、イギリス
では、「カルシウムは紳士をつくる」と言われている。子どもの落ち着きなさをどこかで感じた
ら、砂糖断ちをする一方、カルシウムやマグネシウムなど、ミネラル分の多い食生活にこころ
がける。私の経験では、幼児の場合、それだけで、しかも一週間という短期間で、ほとんどの
子どもが見違えるほど落ち着くのがわかっている。川島四郎氏(桜美林大学元教授)も、「ヒス
テリーやノイローゼ患者の場合、カルシウムを投与するだけでなおる」(「マザーリング」81年7
号)と述べている。効果がなくても、ダメもと。そうでなくても、缶ジュース一本を子どもに買い与
えて、「うちの子は小食で困ります」は、ない。体重15キロ前後の子どもに、缶ジュースを一本
与えるということは、体重60キロの人が、4本飲む量に等しい。おとなでも缶ジュースを4本は
飲めないし、飲めば飲んだで、腹の中がガボガボになってしまう。

 なお問題となるのは、精製された白砂糖をいう。どうしても甘味料ということであれば、精製さ
れていない黒砂糖をすすめる。黒砂糖には、天然のミネラル分がほどよく配合されていて、こ
こでいう弊害はない。
 
●多動児(ADHD児)との違い

 この過剰行動性のある子どもと症状が似ている子どもに。多動児と呼ばれる子どもがいる。
前もって注意しなければならないのは、多動児(集中力欠如型多動性児、ADHD児)の診断基
準は、二〇〇一年の春、厚生労働省の研究班が国立精神神経センター上林靖子氏ら委託し
て、そのひな型が作成されたばかりで、いまだこの日本では、多動児の診断基準はないという
のが正しい。つまり正確には、この日本には多動児という子どもは存在しないということにな
る。一般に多動児というときは、落ち着きなく動き回るという多動性のある子どもをいうことにな
る。そういう意味では、活発型の自閉症児なども多動児ということになるが、ここでは区別して
考える。

 ちなみに厚生労働省がまとめた診断基準(親と教師向けの「子どもの行動チェックリスト」)
は、次のようになっている。

(チェック項目)
1行動が幼い
2注意が続かない
3落ち着きがない
4混乱する
5考えにふける
6衝動的
7神経質
8体がひきつる
9成績が悪い
10不器用
11一点をみつめる

たいへんまたはよくあてはまる……2点、
ややまたは時々あてはまる……1点、
当てはまらない……0点として、
男子で4〜15歳児のばあい、
12点以上は障害があることを意味する「臨床域」、
9〜11点が「境界域」、
8点以下なら「正常」

この診断基準で一番気になるところは、「抑え」について触れられていない点である。多動児が
多動児なのは、抑え、つまり指導による制止がきかない点である。教師による抑えがきけば、
多動児は多動児でないということになる。一方、過剰行動児は行動が突発的に過剰になるとい
うだけで、抑えがきく。その抑えがきくという点で、多動児と区別される。また活発型の自閉症
児について言えば、多動性はあくまでも随伴的な症状であって、主症状ではないという点で、こ
の多動児とは区別される。またチェック項目の中の(1)行動が幼い(退行性)は、過保護児、
溺愛児にも共通して見られる症状であり、(7)神経質は、敏感児、過敏児にも共通して見られ
る症状である。さらに(9)成績が悪い、および(10)不器用については、多動児の症状というよ
りは、それから派生する随伴症状であって、多動児の症状とするには、常識的に考えてもおか
しい。

ついでに私は私の経験から、次のような診断基準をつくってみた。

(チェック項目)
1抑えがきかない
2言動に秩序感がない
3他人に無遠慮、無頓着
4雑然とした騒々しさがある
5注意力が散漫
6行動が突発的で衝動的
7視線が定まらない
8情報の吸収性がない
9鋭いひらめきと愚鈍性の同居
10論理的な思考ができない 
11思考力が弱い

 このADHD児については、脳の機能障害説が有力で、そのために指導にも限界がある……
という前提で、それぞれの市町村レベルの教育委員会が対処している。たとえば静岡県のK
市では、指導補助員を配置して、ADHD児の指導に当っている。ただしこの場合でも、あくまで
も「現場教師を補助する」(K市)という名目で配置されている。

(3)環境ホルモンの分野からの考察

●シシリー宣言

1995年11月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった一八名の学者が、緊急宣言を
行った。これがシシリー宣言である。その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピース・JAPAN)な
ものであった。

いわく、「これら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけではな
く、行動的、および身体的異常、さらには精神にも及ぶ。これは、知的能力および社会的適応
性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあらわれる可能性がある」と。

つまり環境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。が、これで驚いて
いてはいけない。シシリー宣言は、さらにこう続ける。「環境ホルモンは、脳の発達を阻害す
る。神経行動に異常を起こす。衝動的な暴力・自殺を引き起こす。奇妙な行動を引き起こす。
多動症を引き起こす。IQが低下する。人類は50年間の間に5ポイントIQが低下した。人類の
生殖能力と脳が侵されたら滅ぶしかない」と。ここでいう「社会性適応性の低下」というのは、具
体的には、「不登校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪のことをさす」(「シシリー宣言」・グリーン
ピース・JAPAN)のだそうだ。

 この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、環境ホ
ルモンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、胎児の脳
に侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのものの発達を損傷す
る」(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。

(4)教育の分野からの考察

 前後が逆になったが、当然、教育の分野からも「キルる子ども」の考察がなされている。しか
しながら教育の分野では、キレる子どもの定義すらなされていない。なされないままキレる子ど
もの議論だけが先行している。ただその原因としては、(1)親の過剰期待、そしてそれに呼応
する子どもの過負担。(2)学歴社会、そしてそれに呼応する受験競争から生まれる子ども側
の過負担などが、考えられる。こうした過負担がストレッサーとなって、子どもの心を圧迫する。
ただこの段階で問題になるのが、子ども側の耐性である。最近の子どもは、飽食とぜいたくの

で、この耐性を急速に喪失しつつあると言える。わずかな負担だけで、それを過負担と感じ、
そしてそれに耐えることがないまま、怒りを爆発させてしまう。親の期待にせよ、学歴社会にせ
よ、それは子どもを取り巻く環境の中では、ある程度は容認されるべきものであり、こうした
環境を子どもの世界から完全に取り除くことはできない。これらを整理すると、次のようにな
る。

(1)環境の問題
(2)子どもの耐性の問題。

 この二つについて、次に考える。

●環境の問題
●子どもの耐性の問題

終わりに……

以上のように、「キレる子ども」と言っても、その内容や原因はさまざまであり、その分野に応じ
て考える必要がある。またこうした考察をしてのみ、キレる子どもの問題を正面からとらえるこ
とができる。一番危険なのは、キレる子どもを、ただばくぜんと、もっと言えば感傷的にとらえ、
それを論ずることである。こうした問題のとらえ方は、問題の本質を見誤るばかりか、かえって
教育現場を混乱させることになりかねない。
(はやし浩司 キレる子ども 過剰行動性 突発的に暴れる子供 暴れる子ども)





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●依存と愛着

++++++++++++++++++

3年前に書いた原稿を改めて
読みなおしてみる。

自分のボケ度を知るには、
たいへんよい。

つまり3年前の自分と、
今の自分を、それで比較する
ことができる。原稿は、
ランダムに選んでみた。

テーマは、『依存と愛着』。

さあ、どうかな?

+++++++++++++++++++

 子どもの依存と、愛着は分けて考える。中には、この2つを混同している人がいる。つまりベ
タベタと親に甘えることを、依存。全幅に親を信頼し、心を開くのを、愛着という。子どもが依存
をもつのは問題だが、愛着をもつのは、大切なこと。

 今、親にさえ心を開かない、あるいは開けない子どもがふえている。簡単な診断方法として
は、抱いてみればよい。心を開いている子どもは、親に抱かれたとき、完全に力を抜いて、体
そのものをべったりと、すりよせてくる。心を開いていない子どもや、開けない子どもは、親に抱
かれたとき、体をこわばらせてしまう。抱く側の印象としては、何かしら丸太を抱いているような
感じになる。

 その抱かれない子どもが、『臨床育児・保育研究会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査による
と、4分の1もいるという。原因はいろいろ考えられるが、報告によれば、「抱っこバンドだ」とい
う。

「全国各地の保育士が、預かった〇歳児を抱っこする際、以前はほとんど感じなかった『拒
否、抵抗する』などの違和感のある赤ちゃんが、4分の1に及ぶことが、『臨床育児・保育研究
会』(代表・汐見稔幸氏)の実態調査で判明した」(中日新聞)と。

報告によれば、抱っこした赤ちゃんの「様態」について、「手や足を先生の体に回さない」が3
3%いたのをはじめ、「拒否、抵抗する」「体を動かし、落ちつかない」などの反応が2割前後見
られ、調査した六項目の平均で25%に達したという。また保育士らの実感として、「体が固い」
「抱いてもフィットしない」などの違和感も、平均で20%の赤ちゃんから報告されたという。さら
にこうした傾向の強い赤ちゃんをもつ母親から聞き取り調査をしたところ、「育児から解放され
たい」「抱っこがつらい」「どうして泣くのか不安」などの意識が強いことがわかったという。また
抱かれない子どもを調べたところ、その母親が、この数年、流行している「抱っこバンド」を使っ
ているケースが、東京都内ではとくに目立ったという。

 報告した同研究会の松永静子氏(東京中野区)は、「仕事を通じ、(抱かれない子どもが)2
〜3割はいると実感してきたが、(抱かれない子どもがふえたのは)、新生児のスキンシップ不
足や、首も座らない赤ちゃんに抱っこバンドを使うことに原因があるのでは」と話している。

 子どもは、生後7、8か月ころから、人見知りする時期に入る。一種の恐怖反応といわれてい
るが、この時期を通して、親への愛着を深める。が、この時期、親から子への愛着が不足する
と、以後、子どもの情緒はきわめて不安定になる。ホスピタリズムという現象を指摘する学者も
いる。いわゆる親の愛情が不足していることが原因で、独得の症状を示すことをいう。だれに
も愛想がよくなる、表情が乏しくなる、知恵の発達が遅れ気味になる、など。貧乏ゆすりなど
の、独得の症状を示すこともあるという。

 一方、冒頭にも書いたように、依存は、この愛着とは区別して考える。依存性があるから、愛
着性があるということにはならない。愛着性があるから、依存性があるということにはならな
い。が、この二つは、よく混同される。そして混同したまま、「子どもが親に依存するのは、大切
なことだ」と言う人がいる。

 しかし子どもが親に依存性をもつことは、好ましいことではない。依存性が強ければ強いほ
ど、自我の発達が遅れる。人格の「核」形成も遅れる。幼児性(年齢に比して、幼い感じがす
る)、退行性(目標や規則、約束が守れない)などの症状が出てくる。もともと日本人は、親子で
も、たがいの依存性がきわめて強い民族である。依存しあうことが、理想の親子と考えている
人もいる。たとえば昔から、日本では、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコー
ル、よい子と考える。そして独立心が旺盛で、何でも自立して行動する子どもを、かわいげのな
い「鬼ッ子」として嫌う。

 こうしたどこかゆがんだ子育て観が、日本独特の子育ての柱になっている。言いかえると、よ
く「日本人は依存型民族だ」と言われるが、そういう民族性の原因は、こうした独特の子育て観
にあるとみてよい。もちろんそれがすべて悪いと言うのではない。依存型社会は、ある意味で
温もりのある社会である。「もちつもたれつの社会」であり、「互いになれあいの社会」でもあ
る。しかしそれは同時に、世界の常識ではないことも事実で、この日本を一歩外へ出ると。こう
した依存性は、まったく通用しない。それこそ生き馬の目を抜くような世界が待っている。そうい
うことも心のどこかで考えながら、日本人も自分たちの子育てを組み立てる必要があるのでは
ないか。あくまでも一つの意見にすぎないが……。
(はやし浩司 愛着 依存 抱かれない子供 抱かれない子ども ホスピタリズム 抱っこバンド
 子どもの依存性 子供の依存性 はやし浩司




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【子どもの緊張感】

+++++++++++++++++

子どもに緊張感をもたせる。その緊張感
が、たとえば受験勉強などにおいて、よ
い方向に作用するという。

しかし本当にそうか? そう言いきって
よいのか?

今、あちこちで、その受験戦争が、火花
を飛ばしている。

その「緊張感」について、ここで、はっ
きりと、結論を出しておきたい。

+++++++++++++++++

●幼児に受験の自覚?

 私のところへきて、1人の母親が、こう言った。「A進学教室(浜松市内)の幼児科では、『子ど
もに受験するという緊張感をもたせるために、毎日、合格しますと子どもに言わせているそうで
す』と。

 5歳、6歳の子どもに、受験の自覚をもたせる? こういう例は、ほかにもある。浜松市内のX
幼稚園では、S小学校を受験する子どもたちだけを集めて、特訓教室を開いている。そしてそ
こでもやはり、「私は、合格します」と、子どもたちに、何度も復唱させているという。

 模擬テストもしているというが、その緊張感のあまり、途中で、泣き出してしまう子どももいると
いう。

 ……これはとんでもない暴論と言ってよい。メチャメチャな指導と言ってもよい。

 この時期、愚かな親たちは、(はっきりそう断言してよいが……)、自分の子どもが合格する
ことしか考えていない。またそのための努力しか、してしない。しかし万が一にも、子どもが受
験に失敗したときは、どうするのか。子どもは、どうなるのか?

 子どもによっては、それを大きな心のキズ(=トラウマ)としてしまう。子ども自身がキズとする
のではなく、親たちが、そういう状態に子どもを追いこんでしまう。子どもが受験に失敗したと
き、狂乱状態になる親も少なくない。そういう親の姿を見て、子どもは、それを(心のキズ)とし
てしまう。

●内的緊張感と外的緊張感

 緊張感にも、2種類ある。その子ども(人)自身の中から、わきでてくる緊張感を、内的緊張
感という。たとえばその子ども自身がもつ、向上心、向学心、競争心、自尊心、好奇心が、そ
の子どもを緊張させる。わかりやすく言えば、これは「善玉緊張感」ということになる。

 一方、外的緊張感というのもある、外部から、子どもを脅したり、子ども自身を絶壁のフチに
負いこんだりして与える、緊張感である。「こんな成績では、A中学に入れないわよ」「A中学へ
入れなかったら、あなたはダメになるのよ」と。わかりやすく言えば、これは「悪玉緊張感」とい
うことになる。

 幼児にも、内的緊張感をもたせる方法はないわけではないが、しかし少なくとも幼児には、外
的緊張感を、自分の中で、自己処理する能力は、まだない。

 理由は明白。自分の立場を、客観的に判断する能力が、まだ育っていないからである。そう
いう幼児に向って、受験の目的、受験の内容、ついでに受験がもつ制度としての社会的意義を
説明しても、意味はない。

 子ども自身が、内的緊張感を理解し、その緊張感で、自発的に自分をコントロールするよう
になるのは、早くても小学校の高学年。ふつうは、中学生くらいになってからである。この時
期、内的緊張感をうまく引き出せば、子どもは、自ら伸びる力で、自分自身を前向きに引っぱ
っていく。

●心のキズ(トラウマ)

 印象に残っている女の子に、Sさん(当時、中学生)がいた。

 彼女はいつも、ここ一番というときになると、何ごとにつけ、自らしりごみしてしまった。私が、
「ここでふんばれ!」「へこたれるな!」と励ましても、彼女の心には届かなかった。理由を聞く
と……というより、いつも、Sさんは、こう言っていた。

 「どうせ、私は、S小学校の入試に落ちたもんね」と。

 つまりSさんは、もうとっくの昔に忘れていてもおかしくないようなことを、心のキズとしていた。
「だから、私は、ダメな人間だ」と。

 親たちは、先にも書いたように、合格することしか考えていない。しかし受験に失敗した子ど
もたちが、いかにそのはざまで、もがき、苦しんでいることか。そういうことについては、親たち
は、ほとんど知らない。Sさんのように、それを心のキズとしてしまう子どもも、決して、少なくな
い。

 ひょっとしたら、あなた自身もそうではないのか。

●落ちることを考えて準備する

 子どもの受験勉強を考えたら、受験に落ちることを考えて準備する。子どもに準備させよ、と
いうのではない。親自身が、準備する。

 万が一にも、不合格の通知が届いたら、あなたは、どうするか。どう対処するか。さらには、
どう子どもには、接するか。それを考えながら、準備する。

 しかしここにも書いたように、5歳、6歳の幼児には、まだ(受験)を自己処理する能力はな
い。仮にあったとしても、この時期、合格して、おかしなエリート意識をもたせることは、長い目
で見て、その子どもにとっては、不幸なことである。

 だから、子どもの受験勉強を考えたら、受験に落ちることを考えて準備する。

 たとえば不合格の通知が届いても、親は、動揺しない。無視する。態度に表さない。平然とし
て、日常生活をつづける。そういう姿勢が、子どもの心を守る。

●情緒不安の原因にも……

 よく誤解されることがある。

 子どもの情緒が不安定になると、親たちは、それを問題として、それをなおそうとする。ぐず
る、いじける、引きこもる子どもをを、内閉型(マイナス型)とするなら、暴れる、怒りっぽくなる、
ピリピリする子どもは、外方型(プラス型)ということになる。

 しかしそれはあくまでも症状。病気にたとえるなら、発熱や悪寒ということになる。

 子どもにとって、(もちろんおとなにとってもそうだが)、情緒不安というのは、心の緊張感が取
れないことをいう。その緊張感の中に、不安や心配が入りこむと、心は、その不安や心配を解
消しようとして、一気に不安定になる。その状態を、情緒不安という。

 こんなことは、心理学の世界でも、常識ではないか。

 そこでこの時期、子どもに外的緊張感を与えれば、子どもの心は、そのまま緊張し、多少の
個人差はあるだろが、子どもの情緒は、不安定化する。何度も書くが、この時期、幼児には、
そうした緊張感を、自己処理する能力は、まだない。

 が、それだけではない。

●抑圧は悪魔を生む

 イギリスの教育格言に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。

 抑圧された心理状態が、恒常的に長くつづくと、子どもの心が悪魔的になることをいう。「死」
「殺す」「地獄」などという言葉に敏感に反応するようになる。それについては、このあとに原稿
(中日新聞掲載済み)を1つ、添付しておく。

 はっきり言えば、子どもの心はゆがむ。さらにそれが原因で、親子関係が、破壊されることも
ある。親がそうではなくても、子どものほうが、親から離れていく。

 たとえば小学校の高学年児でも、進学塾へ入ったとたん、人間性そのものが変化するという
ことは、よくある。決して珍しくない。親は、「おかげで、緊張感が生まれました」と喜んでいる
が、とんでもない誤解。そうした緊張感の裏で、人間的な暖かい心が、いかに破壊されている
ことか!

 毎日、毎晩、成績という点数だけで人間を評価しないような世界が、本当に正常な世界と言
えるのか。そしてその点数だけで、子どもを絶壁のフチに立たせることが、本当に正常な世界
と言えるのか。

 どうして世の親たちよ、そんなことがわからないのか!

●無責任な受験塾 

 受験塾にもいろいろある……と書きたいが、ほんの少しだけ、冷静な目で、受験塾をながめ
てみたらよい。

 どんな講師が、どういう教育的な理念をもって、子どもを指導しているか。それをほんの少し
でも、考えてみたらよい。

 中には、熱血指導を売りものにしている進学塾もある。子どもたちの話を聞くと、「いつも先生
たちは、竹刀(しない)をもち歩いている」という。当然、親たちの了解を得て、そうしているのだ
ろうが、あまりにもバカげている。コメントする気にもならない。

 が、親たちは、そういう進学塾ほど、よい塾だと考える。この愚かしさ。このバカ臭さ。

 彼らこそ、子どもたちが合格することしか、考えていない。不合格になったとき、子どもの心の
ケアを考えている進学塾など、話に聞いたこともない。反対に、合格者は、翌年の生徒募集に
利用されるだけ。

 その陰で、いかに多くの子どもたちが、キズつき、自らダメ人間のレッテルを張っていること
か!

●ゆがむ人生観

 受験期をスイスイと渡り歩いたような人にも、問題がないわけではない。そういう例は、皮肉
なことに、60代、70代の、元エリートと呼ばれる人たちを見ればわかる。

 彼らがもつ、一種独特の、あの鼻もちならないあのエリート意識は、いったい、どこから生ま
れるのか。以前、私にこう言った男(当時50歳くらい)がいた。私が、「幼稚園で講師をしてい
ます」と言ったときのことである。

 「君は、学生運動か何かをしていて、どうせロクな仕事にはつけなかったんだろ」と。

 仕事に、ロクな仕事もなければ、ロクでない仕事もない。

 彼は当時、国の出先機関の公社の副長をしていたが、そういう意識をもつようになる。そして
そうしたゆがんだエリート意識が、その人の人生を、味気なく、つまらないものにする。わかり
やすく言えば、人間の価値そのものを、学歴や経歴でしか見なくなる。

●緊張感

 適度な緊張感が、子どもを伸ばすということは、私も否定しない。ストレス学説の中でも、それ
は肯定されている。

 しかしここでいう緊張感というのは、冒頭に書いた、内的緊張感(善玉緊張感)をいう。向上
心、向学心、競争心、自尊心、好奇心が、その子どもを伸ばす。

 ある男児(当時、小6)は、夏期の合同合宿訓練の長に選ばれた。そのため、訓練の冒頭
で、あいさつをすることになった。

 その男児は、そのため、その1週間ほど前から、毎晩、眠られない夜を経験した。そして当日
は、フラフラの状態で、あいさつに臨んだ。しかし結果的に、それがうまくできた。以後、その子
どもは、「長」という「長」を総なめにして、学業を終えた。

 あるいは、その地域での演奏会に先立って、猛練習をした女児(当時、小5)がいた。そのた
め「演奏会の朝から、胃が痛いと苦しんでいました」(母親談)とのこと。しかし演奏会は、無
事、終わった。その子どもは、そのあと、見ちがえるほど、おとなっぽくなった。

 こうした内的緊張感は、たしかに子どもを伸ばす。子どもを伸ばす原動力として作用する。

 しかし外的緊張感は、どうか?

 「この仕事をしないと殺すぞ」と、ナイフをのどにつきつけられたら、どうか。あなたは、それで
もその仕事をするだろうか。楽しくできるだろうか。自分の力を、じゅうぶん、発揮できるだろう
か。

●結論

 幼児に、緊張感をもたせる? そのために、受験を自覚させる?
 
 あまりにもバカバカしい。反論したり、こうして説明するのも、実のところ、バカバカしい。はっ
きり言えば、そこらのド素人の、とんでもない意見。幼児に関する心理学の本を、一冊でも読ん
だことのある人なら、私のこの気持ちが理解できるはず。

 しかしそういうことを平気で口にして、幼児の受験指導とやらをしている進学塾もある。これが
現実かもしれない。

 だからこそ、私は親たちに向かって、この原稿を書く。そしてもっともっと、親たちに、賢くなっ
てほしい。

+++++++++++++++

子どもの心が破壊されるとき 

●バッタをトカゲのエサに

 A小学校のA先生(小1担当女性)が、こんな話をしてくれた。「1年生のT君が、トカゲをつか
まえてきた。そしてビンの中で飼っていた。そこへH君が、生きているバッタをつかまえてきて、
トカゲにエサとして与えた。私はそれを見て、ぞっとした」と。

 A先生が、なぜぞっとしたか、あなたはわかるだろうか。それを説明する前に、私にもこんな
経験がある。もう20年ほど前のことだが、1人の子ども(年長男児)の上着のポケットを見る
と、きれいに玉が並んでいた。私はてっきりビーズ玉か何かと思った。が、その直後、背筋が
凍りつくのを覚えた。よく見ると、それは虫の頭だった。

その子どもは虫をつかまえると、まず虫にポケットのフチを口でかませる。かんだところで、体
をひねって頭をちぎる。ビーズ玉だと思ったのは、その虫の頭だった。また別の日。小さなトカ
ゲを草の中に見つけた子ども(年長男児)がいた。まだ子どもの小さなトカゲだった。「あっ、ト
カゲ!」と叫んだところまではよかったが、その直後、その子どもはトカゲを足で踏んで、その
ままつぶしてしまった!

●心が壊れる子どもたち

 原因はいろいろある。貧困(それにともなう家庭騒動)、家庭崩壊(それにともなう愛情不
足)、過干渉(子どもの意思を無視して、何でも親が決めてしまう)、過関心(子どもの側からみ
て息が抜けない家庭環境)など。威圧的(ガミガミと頭ごなしに言う)な家庭環境や、権威主義
的(「私は親だから」「あなたは子どもだから」式の問答無用の押しつけ)な子育てが、原因とな
ることもある。

もちろんその中には、受験競争も含まれる。

要するに、子どもの側から見て、「安らぎを得られない家庭環境」が、その背景にあるとみる。
さらに不平や不満、それに心配や不安が日常的に続くと、それが子どもの心を破壊することも
ある。

イギリスの格言にも、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。抑圧的な環境が長く続くと、ものの
考え方が悪魔的になることを言ったものだが、このタイプの子どもは、心のバランス感覚をなく
すのが知られている。「バランス感覚」というのは、してよいことと悪いことを、静かに判断する
能力のことをいう。これがないと、ものの考え方が先鋭化したり、かたよったりするようになる。

昔、こう言った高校生がいた。「地球には人間が多すぎる。核兵器か何かで、人口を半分に減
らせばいい。そうすれば、ずっと住みやすくなる」と。そういうようなものの考え方をするが、言
いかえると、愛情豊かな家庭環境で、心静かに育った子どもは、ほっとするような温もりのある
子どもになる。心もやさしくなる。

●無関心、無感動は要注意

 さて冒頭のA先生は、トカゲに驚いたのではない。トカゲを飼っていることに驚いたのでもな
い。A先生は、生きているバッタをエサとして与えたことに驚いた。A先生はこう言った。「そうい
う残酷なことが平気でできるということが、信じられませんでした」と。

 このタイプの子どもは、総じて他人に無関心(自分のことにしか興味をもたない)で、無感動
(他人の苦しみや悲しみに鈍感)、感情の動き(喜怒哀楽の情)も平坦になる。よく誤解される
が、このタイプの子どもが非行に走りやすいのは、そもそもそういう「芽」があるからではない。
非行に対する抵抗力がないからである。悪友に誘われたりすると、そのままスーッと仲間に入
ってしまう。ぞっとするようなことをしながら、それにブレーキをかけることができない。だから結
果的に、「悪」に染まってしまう。

●心の修復は、4、5歳までに

 そこで一度、あなたの子どもが、どんなものに興味をもち、関心を示すか、観察してみてほし
い。子どもらしい動物や乗り物、食べ物や飾りであればよし。しかしそれが、残酷なゲームや、
銃や戦争、さらに日常的に乱暴な言葉や行動が目立つというのであれば、家庭教育のあり方
をかなり反省したらよい。子どものばあい、「好きな絵をかいてごらん」と言って紙とクレヨンを
渡すと、心の中が読める。子どもらしい楽しい絵がかければ、それでよし。しかし心が壊れてい
る子どもは、おとなが見ても、ぞっとするような絵をかく。

 ただし、小学校に入学してからだと、子どもの心を修復するのはたいへん難しい。修復すると
しても、4、5歳くらいまで。穏やかで、静かな生活を大切にする。
(はやし浩司 受験 子供の受験 緊張 内的緊張感 外的緊張感 受験の心構え 子どもの
バランス感覚 バランス感覚 はやし浩司)




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【シャドウ】

●親の心を代弁する娘 

 20年ほど前のことだが、こんな事件があった。

 あるときある母親が、教室へやってきて、こう言った。「先生、うちの娘(6歳)は、私の心を、
そっくりそのまま口にしてします。

 たとえば私が祖母(義理の母親)のことを、内心で、『汚い』と思っていたりすると、娘が、私の
横で、祖母に向って、『あんたは、汚い!』と言うのです。

 あるいは、私が内心で、『祖母なんか、いないほうがいい』と思ったとします。するとすかさず
娘が、祖母に向って、「あんたなんか、あっちへ行っていてよ」と言うのですね。

 そういう娘を見ていると、ときどき、自分がこわくなります」と。

●親がつくる、シャドウ

 いくら善人の仮面をかぶっても、邪悪な心までは、隠せない。他人ならまだしも、自分の子ど
もの前では隠せない。親子というのは、そういうもの。子どもは、親が、心の裏でつくるシャドウ
を、そっくりそのまま読んでしまう。

 たとえば(あなた)で、考えてみよう。

 あなたには、善良な部分もあれば、邪悪な部分もある。が、接する相手によって、あなたは仮
面をかぶる。

 仮面をかぶることが悪いというのではない。だれしも、そのときどきにおいて、ある程度の仮
面をかぶる。よい例が営業上の仮面。ショッピングセンターなどへ行くと、若い女性が、豊かな
笑みを浮かべて、「いらっしゃいませ」と、あいさつする。

 しかしそれは営業上の仮面。そういう笑みを見て、「この子は、私に気があるのかも」「人間
的にできた女性だ」と思っていはいけない。仮面は、仮面。

 しかし中には、その仮面をかぶっていることを、忘れてしまう人がいる。脱ぎ忘れてしまう人も
いる。

●偽善者

 仮面をかぶればかぶるほど、邪悪な心を、心の奥底に封じこめようとする。自分の心の中
に、いわばゴミ箱のようなものをつくる。そこへ邪悪な心を押しこむことによって、さらに、自分
が仮面をかぶっていることを忘れてしまう。

 よい例が、牧師や教師が、性的な話や、セックスの話を、ことさら嫌ってみせるというのがあ
る。中には、そういう話題になると、顔を不愉快に曇らせる人もいる。

 そういう人というのは、牧師の仮面、教師の仮面をかぶっていることになる。そして自分の中
にある邪悪な心、(だれにでもあるものだが……)、それをゴミ箱の中に押しこんでしまう。

 しかしそれで邪悪な心が消えるわけではない。ゴミ箱に入った邪悪な心は、その人のシャドウ
となって、その人を、今度は、裏から操るようになる。その一例が、「偽善者」と呼ばれる人たち
である。

 自分の名声を利用して、苦しんでいる人や、貧しい人たちのための救済運動をしてみせたり
する。そうしてさらに、自分の名声にハクをつけ、何らかの利己的利益へと結びつけていく。

●シャドウを受けつぐ子ども

 このシャドウをウラからしっかりと見ている人たちがいる。こんな例がある。

 ある夜夫が、自宅へ帰ってきた。そしてワイフにこう言った。「今夜、○○の十字路にさしかか
ったとき、突然、横から、自転車が飛び出してきて、ぼくは、ハンドルを右へ切った。そのとき、
あやうく対向車と衝突しそうになったよ」と。

 それを聞いたワイフは、すかさず、こう言った。「あんたが、悪いからよ!」と。

 夫の話を半分も聞かないうちに、妻が、「あんたが、悪いからよ!」と。

 その女性、つまり夫のワイフは、人前では、献身的で従順な妻を演じていた。自分でも、「よく
できた家庭的な妻だ」と思っていた。しかしそれはいわば仮面にすぎなかった。内心では、不本
意な夫と結婚したことを、いつも不満に思っていた。

 そういう不満が、姿を変えてシャドウとなり、とっさのときに、思わず、口をついて出てきた。
「あんたが、悪いからよ!」と。そう言わさせたのは、まさに、そのシャドウということになる。

●邪悪な心は、伝播(でんぱ)する

 昔から、『親も親なら、子も子だ』という言い方をする。そういう言い方をするときは、決してそ
の親子をほめているからではない。「親も悪いやつだが、子も悪いヤツだ」というニュアンスを
こめて、そう言う。

 実際、そういう例は、多い。たいていのばあい、親が小ズルいと、子も小ズルくなる。そうでな
いケースのばあいは、ふつう、子どものほうが、たいへん苦しむ。さらにこんな例もある。

 日本中を驚かせるようたような事件を起こしたような子どもの両親をみると、ときとして、「どう
して?」とわからなくなってしまうことが多い。ふつう以上に、ふつうの家庭。両親は、教育熱心
な教師であったりする。地域でも、評判はよい。ある凶悪事件を起こした少年の父親は、その
地域のミニコミ紙を発行していた。

 そういう親をもちながら、子どもは、想像もつかないような凶悪な犯罪を犯す! こうした例で
よく持ちだされるのが、今村昌平が監督した映画、『復讐するは我にあり』である。佐木隆三の
同名フィクション小説を映画化したものである。名優、緒方拳が、みごとな演技をしている。

 あの映画の主人公の榎津厳は、5人を殺し、全国を逃げ歩く。が、その榎津厳もさることなが
ら、この小説の中には、もう1本の複線がある。それが三國連太郎が演ずる、父親、榎津鎮雄
との、葛藤(かっとう)である。榎津厳自身が、「あいつ(妻)は、おやじにほれとるけん」と言う。
そんなセリフさえ出てくる。

 父親の榎津鎮雄は、倍賞美津子が演ずる、榎津厳の嫁と、不倫関係に陥る。映画を見た人
なら知っていると思うが、風呂場でのあのなまめかしいシーンは、見る人に、強烈な印象を与
える。嫁は、義理の父親の背中を洗いながら、その手をもって、自分の乳房を握らせる。

 つまり父親の榎津鎮雄は、厳格なクリスチャンで、それを仮面とするなら、息子の嫁と不倫関
係になる部分が、シャドウということになる。主人公の榎津厳は、そのシャドウを、そっくりその
まま引き継いでしまった。そしてそれが榎津厳をして、犯罪者に仕立てあげた原動力になっ
た。

 子育てをしていて、こわいところは、実は、ここにある。

 親は仮面をかぶり、子どもをだましきったつもりでいるかもしれないが、子どもは、その仮面
を通して、そのうしろにあるシャドウまで見抜いてしまうということ。見抜くだけならまだしも、そ
のシャドウをそのまま受けついでしまう。

●教師とて、例外ではない

 親子の関係ほどではないが、教師と生徒との関係においても、同じようなことが起きるときが
ある。生徒が、教師のシャドウをウラから読んでしまう。あるいは、受けついでしまう。

 「この先生は、給料のためだけに仕事をしている」「うわべでは、かっこうのいいことばかり言
っているが、実は、オレたちを利用しているだけだ」と。

 こうなると、生徒は、その教師の指導に従わなくなる。

 私にも経験がある。昔、もう25年ほど前のことだが、月謝袋をポンと爪先ではじいて、私にこ
う言った生徒(高2・男子)がいた。

 「おい、あんた、あんたのほしいのは、これだろ!」と。

 私は激怒して、即刻、その生徒を退塾処分にしたが、そのときのその生徒は、私のシャドウ
を見抜いていたのかもしれない。あのころの私は、(今でもそうかもしれないが……)、お金の
ために、進学指導をしていた。

●シャドウを消すために

 シャドウを消すことは、決して簡単なことではない。それこそ10年単位の年月が必要となる。
何はともあれ、まず、それに自分で気がつかねばならない。

 仮面をかぶっているなら、かぶる必要がないときには、その仮面をはずす。はずして本来
の、ありのままの自分にもどる。

 つぎに、どんなささいなことからでもよいから、正直に、かつ誠実に生きる。とくに子どもに対
しては、そうだ。ウソをつかない。約束は、かならず守る、など。インチキはしない。ルールは守
る。

 そしてそのワクを、自分から、家庭へと広げていく。そういう操作を、繰りかえす。一年や2年
では足りない。ここに「10年単位」と書いたが、私の経験では、それでも少ないのではないかと
思っている。

 こうした積み重ねが、やがてシャドウを自分から消していく。そして(あなた)が、「私は私だ」
「これが私だ」と、ありのままの自分で生きることができるようになったとき、同時に、シャドウ
は、あなたから消える。

 シャドウは、あなたの子どもの心をゆがめる大敵と考えて、対処する。
(はやし浩司 シャドウ シャドー論 子どもの心 子供の心)




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【子育て一口メモ】

● 父親(母親)の悪口は、言わない

心理学の世界にも、「三角関係」という言葉がある。父親が母親の悪口を言ったり、批判したり
すると、夫婦の間に、キレツが入る。そして父親と母親、母親と子ども、子どもと父親の間に、
三角関係ができる。子どもが幼いうちはまだしも、一度、この三角関係ができると、子どもは、
親の指示に従わなくなる。つまりこの時点で、家庭教育は、崩壊する。


● 逃げ場を大切に

どんな動物にも、最後の逃げ場というのがある。子どもも、またしかり。子どもは、その逃げ場
に逃げ込むことによって、身の安全をはかり、心をいやす。たいていは自分の部屋ということに
なる。その逃げ場を荒らすようになると、子どもの心は、一挙に不安定になる。だから子どもが
逃げ場に逃げたら、その逃げ場を荒らすようなことはしてはいけない。


●心は、ぬいぐるみで……

年長児にぬいぐるみを見せると、「かわいい」と言って、やさしそうな表情を見せる子どもが、約
80%。しかし残りの20%は、ほとんど、反応を示さない。示さないばかりか、中には、キックし
てくる子どもがいる。小学校の高学年児でも、日常的にぬいぐるみをもっている子どもは、約8
0%。男女の区別はない。子どもの中に、親像が育っているかどうかは、ぬいぐるみを抱かせ
てみるとわかる。


●国語教育は、言葉から
子どもの国語力は、母親の会話能力によって決まる。たとえば幼稚園バスがやってきたとき、
「ほらほら、バス。ハンカチは? 帽子は? 急いで」というような言い方を、母親がしていて、ど
うして子どもの中に、国語力が育つというのか。そういうときは、めんどうでも、「バスがきます。
あなたは急いで、外に行きます。ハンカチをもっていますか。帽子をかぶっていますか」と話
す。そういう母親の会話力が、子どもの国語力の基本になる。


●計算力は、早数えで……

「ヒトツ、フタツ、ミッツ……」と数えられるようになったら、早数えの練習をする。「イチ、ニ、サン
……」から、さらに、「イ、ニ、サ、シ、ゴ、ロ、シ、ハ、ク、ジュウ」と。さらに手をパンパンとたた
いてみせ、それを数えさせる。なれてくると、子どもは、数を信号化する。たとえば「2足す3」
も、「ピ、ピ、と、ピ、ピ、ピで、5」と。これを数の信号化という。この力が、計算力の基礎とな
る。


●やさしさは苦労から

ためしにあなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうな表情をして歩いてみてほしい。
そのとき、「ママ(パパ)、助けてあげる!」と言って走り寄ってくればよし。そうでなく、テレビや
ゲームに夢中になっているようなら、かなりのドラ息子(娘)とみてよい。今は、(かわいい子)か
もしれないが、やがて手に負えなくなる。子どもは(おとなも)、自分で苦労をしてみてはじめて、
他人の苦労がわかるようになる。やさしさも、そこから生まれる。


●釣りザオを買ってやるより……

イギリスの教育格言に、『釣りザオを買ってやるより、いっしょに、釣りに行け』というのがある。
子どもの心をつかみたかったら、そして親子のキズナを太くしたかったら、いっしょに釣りに行
け、と。多くの人は、子どものほしがるものを与えて、それで子どもは喜んでいるはず。感謝し
ているはず。親子のキズナも、それで太くなったはずと考える。しかしこれは幻想。誤解。むし
ろ逆効果。


●100倍論

子ども、とくに幼児に買い与えるものは、100倍してえる。たとえば100円のものでも、100倍
して、1万円と考える。安易に、お金で、子どもの欲望を満足させてはいけない。一度、お金
で、満足させることを覚えてしまうと、年齢とともに、その額は、10倍、100倍とエスカレートし
ていく。高校生や大学生になるころには、1000円や1万円では、満足しなくなる。子どもが幼
児のときから、慎重に!
●子どもは、信じて伸ばす

心理学の世界にも、「好意の返報性」という言葉がある。イギリスの格言にも、『相手は、あな
たが相手を思うように、あなたのことを思う』というのがある。あなたがその人を、いい人だと思
っていると、その相手も、あなたをいい人だと思っている。しかしそうでなければそうでない。子
どものばあいは、さらにそれがはっきりと現れる。だから子どもを伸ばしたいと思うなら、まず
自分の子どもをいい子どもだと思うこと。子どもを伸ばす、大鉄則である。


●強化の原理

前向きに伸びているという実感が、子どもを伸ばす。そのため、「あなたはどんどんよくなる」
「すばらしくなる」という暗示を、そのつど、子どもにかけていく。まずいのは、未来に不安をいだ
かせること。仮に子どもを叱っても、そのあと何らかの方法でそれをカバーして、「ほら、やっぱ
り、できるじゃない!」と、ほめて仕あげる。


●叱るときの原則

子どもを叱るときは、自分の姿勢を低く落とし、子どもの目線の高さに自分の目目線の高さを
あわせる。つぎに子どもの両肩を、やや力を入れて両手でつかみ、子どもの目をしっかりと見
つめて叱る。大声を出して、威圧したり、怒鳴ってはいけない。恐怖心をもたせても意味はな
い。中に叱られじょうずな子どもがいて、いかにも反省していますというような様子を見せる子
どもがいる。しかしそういう姿に、だまされてはいけない。


●仮面に注意

絶対的なさらけ出しと、絶対的な受け入れ。この基盤の上に、親子の信頼関係が築かれる。
「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味。あなたの子どもが、あなたの前で、そう
であればよし。しかしあなたの前で、いい子ぶったり、仮面をかぶったりしているようであれば、
親子の関係は、かなり危機的な状況にあると考えてよい。あなたから見て、「何を考えているか
わからない」というのであれば、さらに要注意。
●根性・がんこ・わがまま

子どもの根性、がんこ、わがままは、分けて考える。がんばって何か一つのことをやりとげると
いうのは、根性。何かのことにこだわりをもち、それに固執することを、がんこ。理由もなく、自
分の望むように相手を誘導しようとするのが、わがままということになる。その根性は、励まし
て伸ばす。がんこについては、子どもの世界では望ましいことではないので、その理由と原因
をさぐる。わがままについては、一般的には、無視して対処する。


●アルバムを大切に

おとなは過去をなつかしんで、アルバムを見る。しかし子どもは、自分の未来を見るために、ア
ルバムを見る。が、それだけではない。アルバムには、心をいやす作用がある。それもそのは
ず。悲しいときやつらいときを、写真にとって残す人は、少ない。つまりアルバムには、楽しい
思い出がぎっしり。そんなわけで、親子の絆(きずな)を太くするためにも、アルバムを、部屋の
中央に置いてみるとよい。


●名前を大切に

子どもの名前は大切にする。「あなたの名前は、すばらしい」「いい名前だ」と、ことあるごとに
言う。子どもは、自分の名前を大切にすることをとおして、自尊心を学ぶ。そしてその自尊心
が、何かのことでつまずいたようなとき、子どもの進路を、自動修正する。たとえば子どもの名
前が、新聞や雑誌に載ったようなときは、それを切り抜いて、高いところに張ったりする。そう
いう親の姿勢を見て、子どもは、名前のもつ意味を知る。


●子どもの体で考える

体重10キロの子どもに缶ジュースを一本与えるということは、体重50キロのおとなが、5本、
飲む量に等しい。そんな量を子どもに与えておきながら、「どうしてうちの子は、小食なのかし
ら」は、ない。子どもに与える量は、子どもの体で考える。


●CA、MGの多い食生活を!

イギリスでは、『カルシウムは、紳士をつくる』と言う。静かで落ちついた子どもにしたかったら、
CA(カルシウム)、MG(マグネシウム)の多い食生活、つまり海産物を中心とした献立にする。
こわいのは、ジャンクフード。さらにリン酸添加物の多い、食べもの。いわゆるレトルト食品、イ
ンスタント食品類である。リン酸は、CAの大敵。CAと化合して、リン酸カルシウムとして、CA
は、体外へ排出されてしまう。


●親の仕事はすばらしいと言う

親が生き生きと仕事をしている姿ほど、子どもに安心感を与えるものは、ない。が、それだけで
はない。中に、自分の子どもに、親の仕事を引き継がせたいと考えている人もいるはず。そう
いうときは、常日ごろから、「仕事は楽しい」「おもしろい」を口ぐせにする。あるいは「私の仕事
はすばらしい」「お父さんの仕事は、すばらしい」を口ぐせにする。まちがっても、暗い印象をも
たせてはいけない。


●はだし教育を大切に

将来、運動能力のある子どもにしたかったら、子どもは、はだしにして育てる。子どもは、足の
裏からの刺激を受けて、敏捷性(びんしょうせい)のある子どもになる。この敏捷性は、あらゆ
る運動能力の基本となる。分厚い靴下と、分厚い底の靴をはかせて、どうしてそれで敏捷性の
ある子どもになるのか。今、坂や階段を、リズミカルにのぼりおりできない子どもがふえてい
る。川原の石の上に立つと、「こわい」と言って動けなくなる子どもも多い。どうか、ご注意!


●自己中心性は、精神的未熟さの証拠

相手の心の中に、一度入って、相手の立場で考える。これを心理学の世界でも、「共鳴性」(サ
ロヴェイ「EQ論」)という。それができる人を、人格の完成度の高い人という。そうでない人を、
低い人という。学歴や地位とは、関係ない。ないばかりか、かえってそういう人ほど、人格の完
成度が低いことが多い。そのためにも、まず親のあなたが、自分の自己中心性と戦い、子ども
に、その見本を見せるようにする。


●役割形成を大切に

子どもが「お花屋さんになりたい」と言ったら、すかさず「すてきね」と言ってあげる。「いっしょ
に、お花を育ててみましょうね」「今度、図書館で、お花なの図鑑をみましょうね」と言ってあげ
る。こうすることで、子どもは、自分の身のまわりに、自分らしさをつくっていく。これを「個性化」
という。この個性化が、やがて、子どもの役割となり、夢、希望、そして生きる目的へとつながっ
ていく。


●父親の二大役割

母子関係は重要であり、絶対的なものである。しかしその母子関係が濃密過ぎるのも、また子
どもが大きくなったとき、そのままの状態でも、よくない。その母子関係に、くさびを打ち込み、
是正していくのが、父親の役割ということになる。ほかに、社会性を教えるのも、重要な役割。
昔で言えば、子どもを外の世界に連れ出し、狩の仕方を教えるのが、父親の役割ということに
なる。


●欠点は、ほめる

子どもに何か、欠点を見つけたら、ほめる。たとえば参観授業で、ほとんど手をあげなかったと
しても、「手をもっと、あげなさい」ではなく、「この前より、手がよくあがるようになったわね」と言
うなど。子どもが皆の前で発表したようなときも、そうだ。「大きな声で言えるようになったわね」
と。押してだめなら、思い切って引いてみる。子どもを伸ばすときに、よく使う手である。


●負けるが、勝ち

ほかの世界でのことは、別として、間に子どもをはさんでいるときは、『負けるが勝ち』。これは
父母どうしのつきあい、先生とのつきあいの、大鉄則である。悔しいこともあるだろう。言いた
いこともあるだろう。しかしそこはぐっとがまんして、「負ける」。大切なことは、子どもが、楽し
く、園や学校へ行けること。あなたのほうから負けを認めれば、そのときから人間関係は、スム
ーズに流れる。あなたががんばればがんばるほど、事態はこじれる。


●ベッドタイム・ゲームを大切に

子どもは(おとなも)、寝る前には、決まった行動を繰りかえすことが知られている。これをベッ
ドタイム・ゲームという、日本語では、就眠儀式という。このしつけに失敗すると、子どもは眠る
ことに恐怖心をいだいたり、さらにそれが悪化すると、情緒が不安定になったりする。いきなり
ふとんの中に子どもを押しこみ、電気を消すような乱暴なことをしてはいけない。子どもの側か
らみて、やすらかな眠りをもてるようにする。


●エビでタイを釣る

「名前を書いてごらん」と声をかけると、体をこわばらせる子どもが、多い。年長児でも、10人
のうち、3、4人はいるのでは。中には、涙ぐんでしまう子どももいる。文字に対して恐怖心をも
っているからである。原因は、親の神経質で、強圧的な指導。この時期、一度、文字嫌いにし
てしまうと、あとがない。この時期は、子どもがどんな文字を書いても、それをほめる。読んであ
げる。そういう努力が、子どもを文字好きにする。まさに『エビでタイを釣る』の要領である。


●子どもは、人の父

空に虹を見るとき、私の心ははずむ。
私が子どものころも、そうだった。
人となった今も、そうだ。
願わくは、私は歳をとっても、
そうでありたい。
子どもは、人の父。
自然の恵みを受けて、
それぞれの日々が、そうであることを、
私は願う。
(ワーズワース・イギリスの詩人)


●冷蔵庫をカラにする

子どもの小食で悩んだら、冷蔵庫をカラにする。ついでに食べ物の入った棚をカラにする。そ
のとき、食べ物を、袋か何かに入れて、思い切って捨てるのがコツ。「もったいない」と思った
ら、なおさら、そうする。「もったいない」という思いが、つぎからの買い物グセをなおす。子ども
の小食で悩んでいる家庭ほど、家の中に食べ物がゴロゴロしているもの。そういう買い物グセ
が、習慣になっている。それを改める。

●正しい発音で……

世界広しといえども、幼児期に、子どもに発音教育をしないのは、恐らく日本くらいなものでは
ないか。日本人だから、ほうっておいても、日本語を話せるようになると考えるのは、甘い。子
どもには、正しい発音で、息をふきかけながら話すとよい。なお文字学習に先立って、音の分
離を教えておくとよい。たとえば、「昨日」は、「き・の・う」と。そのとき、手をパンパンと叩きなが
ら、一音ずつ、子どもの前で、分離してやるとよい。


●よい先生は、1、2歳、年上の子ども

子どもにとって、最高の先生は、1、2歳年上で、めんどうみがよく、やさしい子ども。そういう子
どもが、身近にいたら、無理をしてでも、そういう子どもと遊んでもらえるようにするとよい。「無
理をして」というのは、親どうしが友だちになるつもりで、という意味。あなたの子どもは、その
子どもの影響を受けて、すばらしく伸びる。


●ぬり絵のすすめ

手の運筆能力は、丸を描かせてみるとわかる。運筆能力のある子どもは、スムーズで、きれい
な丸を描く。そうでない子どもは、ぎこちない、多角形に近い丸をかく。もしあなたの子どもが、
多角形に近い丸を描くようなら、文字学習の前に、塗り絵をしてくとよい。小さなマスなどを、縦
線、横線、曲線などをまぜて、たくみに塗れるようになればよし。


●ガムをかませる

もう15年ほど前のことだが、アメリカの「サイエンス」と雑誌に、「ガムをかむと、頭がよくなる」
という研究論文が発表された。で、その話を、年中児をもっていた母親に話すと、「では」と言っ
て、自分の子どもにガムをかませるようになった。で、それから4、5年後。その子どもは、本当
に頭がよくなってしまった。それからも、私は、何度も、ガムの効用を確認している。この方法
は、どこかボーッとして、生彩のない子どもに、とくに効果的である。


●マンネリは大敵

変化は、子どもの知的能力を刺激する。その変化を用意するのは、親の役目。たとえばある
母親は、一日とて、同じ弁当をつくらなかった。その子どもは、やがて日本を代表する、教育評
論家になった。こわいのは、マンネリ化した生活。なお一般論として、よく「転勤族の子どもは、
頭がいい」という。それは転勤という変化が、子どもの知能によい刺激になっているからと考え
られる。
●本は抱きながら読む

子どもに本を読んであげるときは、子どもを抱き、暖かい息をふきかけながら、読んであげると
よい。子どもは、そういうぬくもりを通して、本の意味や文字のすばらしさを学ぶ。こうした積み
重ねがあってはじめて、子どもは、本好きになる。なお、「読書」は、あらゆる学習の基本とな
る。アメリカには、「ライブラリー」という時間があって、読書指導を、学校教育の基本にすえて
いる。


●何でも握らせる

子どもには、何でも握らせるとよい。手指の感覚は、そのまま、脳細胞に直結している。その感
触が、さらに子どもの知的能力を発達させる。今、ものを与えても、手に取らない子どもがふえ
ている。(あくまでも、私の印象だが……。)反面、好奇心が旺盛で、頭のよい子どもほど、もの
を手にとって調べる傾向が強い。


●才能は見つけるもの

子どもの才能は、つくるものではなく、見つけるもの。ある女の子は、2歳くらいのときには、風
呂にもぐって遊んでいた。そこで母親が水泳教室に入れてみると、水を得た魚のように泳ぎ出
した。そのあとその女の子は、高校生のときには、総体に出るまでに成長した。また別の男の
子(年長児)は、スイッチに興味をもっていた。そこで父親がパソコンを買ってあげると、小学3
年生のときには、自分でプログラムを組んでゲームをつくるようにまでなった。子どもの才能を
見つけたら、時間とお金を惜しみなく注ぐのがコツ。


●「してくれ」言葉に注意
日本語の特徴かもしれない。しかし日本人は、何かを食べたいときも、「食べたい」とは言わな
い。「おなかが、すいたア。(だから何とかしてくれ)」というような言い方をする。ほかに、「たいく
つウ〜(だから何とかしてくれ)」「つまらないイ〜(だから何とかしてくれ)」など。老人でも、若い
人に向って、「私も歳をとったからねエ〜(だから大切にしてほしい)」というような言い方をす
る。日本人が、依存性の強い民族だと言われる理由の一つは、こんなところにもある。


●人格の完成度は、共鳴性でみる

他人の立場で、その他人の心の中に入って、その人の悲しみや苦しみを共有できる人のこと
を、人格の完成度の高い人という。それを共鳴性という(サロヴェイ・「EQ論」)。その反対側に
いる人を、ジコチューという。つまり自己中心的であればあるほど、その人の人格の完成度
は、低いとみる。ためしにあなたの子どもの前で、重い荷物をもって歩いてみてほしい。そのと
きあなたの子どもが、さっと助けにくればよし。そうでなく、知らぬフリをしているようなら、人格
の完成度は、低いとみる。


●平等は、不平等

下の子が生まれると、そのときまで、100%あった、親の愛情が、半減する。親からみれば、
「平等」ということになるが、上の子からみれば、50%になったことになる。上の子は、欲求不
満から、嫉妬したり、さらには、心をゆがめる。赤ちゃんがえりを起こすこともある。それまでし
なかった、おもらしをしたり、ネチネチ甘えたりするなど。下の子に対して攻撃的になることもあ
る。嫉妬がからんでいるだけに、下の子を殺す寸前までのことをする。平等は、不平等と覚え
ておくとよい。


●イライラゲームは、禁物

ゲームにもいろいろあるが、イライラが蓄積されるようなゲームは、幼児には、避ける。動きが
速いだけの、意味のないゲームも避ける。とくに、夕食後から、就眠するまでの間は、禁物。以
前だが、夜中に飛び起きてまで、ゲームをしていた子ども(小5)がいた。そうなれば、すでに
(ビョーキ)と言ってもよい。子どもには、さまざまな弊害が現れる。「ゲーム機器は、パパのも
の。パパの許可をもらってから遊ぶ」という前提をつくるのもよい。遊ばせるにしても、時間と場
所を、きちんと決める。


●おもちゃは、一つ

あと片づけに悩んでいる親は、多い。そういうときは、『おもちゃは、一つ』と決めておくとよい。
「つぎのおもちゃで遊びたかったら、前のおもちゃを片づける」という習慣を大切にする。子ども
は、つぎのおもちゃで遊びたいがため、前のおもちゃを片づけるようになる。


●何でも半分

子どもに自立を促すコツがこれ。『何でも半分』。たとえば靴下でも、片方だけをはかせて、もう
片方は、子どもにはかせる。あるいは途中まではかせて、あとは、子どもにさせる。これは子ど
もを指導するときにも、応用できる。最後の完成は、子どもにさせ、「じょうずにできるようにな
ったわね」と言って、ほめてしあげる。手のかけすぎは、子どものためにならない。


●核(コア)攻撃はしない

子どもの人格そのものに触れるような、攻撃はしない。たとえば「あなたは、やっぱりダメ人間
よ」「あんたなんか、人間のクズよ」「あんたさえいなければ」と言うなど。こうした(核)攻撃が日
常化すると、子どもの精神の発達に、さまざまな弊害が現れてくる。子どもを責めるとしても、
子ども自身が、自分の力で解決できる範囲にする。子ども自身の力では、どうにもならないこと
で責めてはいけない。それが、ここでいう(核)攻撃ということになる。
●引き金を引かない

仮に心の問題の「根」が、生まれながらにあるとしても、その引き金を引くのは、親ということに
なる。またその「根」というのは、だれにでもある。またそういう前提で、子どもを指導する。たと
えば恐怖症にしても、心身症にしても、そういった状況におかれれば、だれでも、そうなる。たっ
た一度、はげしく母親に叱られたため、その日を境に、一人二役の、ひとり言をいうようになっ
てしまった女の子(2歳児)がいた。乳幼児の子どもほど、穏やかで、心静かな環境を大切にす
る。


●二番底、三番底に注意

子どもに何か問題が起きると、親は、そのときの状態を最悪と思い、子どもをなおそうとする。
しかしその下には、二番底、さらには三番底があることを忘れてはいけない。たとえば門限を
破った子どもを叱ったとする。しかしそのとき叱り方をまちがえると、外泊(二番底)、さらには
家出(三番底)へと進んでいく。さらに四番底もある。こうした問題が起きたら、それ以上、状況
を悪くしないことだけを考えて、半年、1年単位で様子をみる。


●あきらめは、悟りの境地

押してもダメ、引いても、ダメ。そういうときは、思い切ってあきらめる。が、子どもというのは、
不思議なもの。あきらめたとたん、伸び始める。親が、「まだ何とかなる」「こんなはずはない」と
がんばっている間は、伸びない。が、あきらめたとたん、伸び始める。そこは、おおらかで、実
にゆったりとした世界。子育てには、行きづまりは、つきもの。そういうときは、思い切って、あ
きらめる。そのいさぎのよさが、子どもの心に風穴をあける。

●自らに由らせる

子育ての要(かなめ)は、「自由」。「自らに由(よ)らせる」。だから自由というのは、自分で考え
させる。自分で行動させる。そして自分で責任を取らせることを意味する。好き勝手なことを、
子どもにさせることではない。親の過干渉は、子どもから考える力をうばう。親の過保護は、子
どもから、行動力をうばう。そして親のでき愛は、子どもから責任感をうばう。子育ての目標
は、子どもを自立させること。それを忘れてはいけない。


●旅は、歩く

便利であることが、よいわけではない。便利さに甘えてしまうと、それこそ生活が、地に足がつ
かない状態になる。……というだけではないが、たとえば旅に出たら、歩くように心がけるとよ
い。車の中から、流れるようにして見る景色よりも、一歩、一歩、歩きながら、見る景色のほう
が、印象に強く残る。しかし、これは人生そのものに通ずる、大鉄則でもある。いかにして、そ
のときどきにおいて、地に足をつけて生きるか。そういうことも考えながら、旅に出たら、ゆっく
りと歩いてみるとよい。


●指示は、具体的に

「友だちと仲よくするのですよ」「先生の話をしっかりと聞くのですよ」と子どもに言っても、ほとん
ど、意味がない。具体性がないからである。そういうときは、「これを○君にもっていってあげて
ね。○君、きっと喜ぶわよ」「学校から帰ってきたら、先生がどんな話をしたか、あとでママに話
してね」と言う。子どもに与える指示には、具体性をもたせるとよい。

●休息を求めて、疲れる
イギリスの格言に、『休息を求めて疲れる』というのがある。愚かな生き方の代名詞にもなって
いる格言である。幼稚園教育は小学校へ入学するため。小学校教育は、中学校へ入学する
ため。中学校や高校教育は、大学へ入学するため……、というのが、その愚かな生き方にな
る。やっと楽になったと思ったら、人生が終わっていたということにもなりかねない。


●子どもの横を歩く

親には、三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どものうしろを
歩く。そして友として、子どもの横を歩く。日本人は、概して言えば、ガイドと保護者は得意。し
かし友として、子どもの横を歩くのが苦手。もしあなたがいつも、子どもの手を引きながら、「早
く」「早く」と言っているようなら、一度、子どもの歩調に合わせて、ゆっくりと歩いてみるとよい。
それまで見えなかった、子どもの心が、あなたにも、見えてくるはず。


●先生の悪口、批評はしない

学校から帰ってきて子どもが先生の悪口を言ったり、批評したりしても、決して、相づちを打っ
たり、同意したりしてはいけない。「あなたが悪いからでしょう」「あの先生は、すばらしい人よ」
と、それをはねかえす。親が先生の悪口を言ったりすると、子どもはその先生に従わなくなる。
これは学校教育という場では、決定的にまずい。もし先生に問題があるなら、子どもとは関係
のない世界で処理する。


●子育ては楽しむ

子どもを伸ばすコツは、子どものことは、あまり意識せず、親が楽しむつもりで、楽しむ。その
楽しみの中に、子どもを巻き込むようにする。つまり自分が楽しめばよい。子どもの機嫌をとっ
たり、歓心を買うようなことは、しない。コビを売る必要もない。親が楽しむ。私も幼児にものを
教えるときは、自分がそれを楽しむようにしている。


●ウソはていねいにつぶす

子どもの虚言にも、いろいろある。頭の中で架空の世界をつくりあげてしまう空想的虚言、あり
もしないことを信じてしまう妄想など。イギリスの教育格言にも、『子どもが空中の楼閣に住まわ
せてはならない』というのがある。過関心、過干渉などが原因で、子どもは、こうした妄想をもち
やすくなる。子どもがウソをついたら、叱っても意味はない。ますますウソがうまくなる。子ども
がウソをついたら、あれこれ問いかけながら、静かに、ていねいに、それをつぶす。そして言う
べきことは言っても、あとは、無視する。


●本物を与える

子どもに見せたり、聞かせたり、与えたりするものは、いつも、本物にこころがける。絵でも、音
楽でも、食べ物でも、である。今、絵といえば、たいはんの子どもたちは、アニメの主人公のキ
ャラクターを描く。歌といっても、わざと、どこか音のずれた歌を歌う。食べ物にしても、母親が
作った料理より、ファミリーレストランの料理のほうが、おいしいと言う。こういう環境で育つと、
人間性まで、ニセモノになってしまう(?)。今、外からの見栄えばかり気にする子どもがふえて
いるので、ご注意!


●ほめるのは、努力とやさしさ

子どもは、ほめて伸ばす。それはそのとおりだが、ほめるのは、子どもが努力したときと、子ど
もがやさしさを見せたとき。顔やスタイルは、ほめないほうがよい。幼いときから、そればかりを
ほめると、関心が、そちらに向いてしまう。また「頭」については、慎重に。「頭がいい」とほめす
ぎるのも、またまったくほめないのも、よくない。ときと場所をよく考えて、慎重に!
●親が、前向きに生きる

親自身に、生きる目的、方向性、夢、希望があれば、よし。そういう姿を見て、子どももまた、
前向きに伸びていく。親が、生きる目的もない。毎日、ただ何となく生きているという状態では、
子どももまた、その目標を見失う。それだけではない。進むべき目的をもたない子どもは、悪
の誘惑に対して抵抗力を失う。子育てをするということは、生きる見本を、親が見せることをい
う。生きザマの見本を、親が見せることをいう。


●機嫌をとらない

子どもに嫌われるのを恐れる親は、多い。依存性の強い、つまりは精神的に未熟な親とみる。
そして(子どもにいい思いをさせること)イコール、(子どもをかわいがること)と誤解する。子ど
もがほしがりそうなものを買い与え、それで親子のキズナは太くなったはずと考えたりする。
が、実際には、逆効果。親は親として……というより、一人の人間として、き然と生きる。子ども
は、そういう親の姿を見て、親を尊敬する。親子のキズナも、それで太くなる。


●親のうしろ姿を見せつけない

生活で苦労している姿……それを日本では、「親のうしろ姿」という。そのうしろ姿を、親は見せ
たくなくても、見せてしまう。しかしそのうしろ姿を、子どもに押し売りしてはいけない。つまり恩
着せがましい子育てはしない。「産んでやった」「育ててやった」「お前を大きくするために、私は
犠牲になった」と。うしろ姿の押し売りは、やがて親子関係を、破壊する。


●親孝行を美徳にしない
日本では、親孝行を当然の美徳とするが、本当にそうか? 「お前の人生は、お前のもの。私
たちのことは心配しなくていいから、思う存分、この世界をはばたいてみろ」と、一度は、子ども
の背中をたたいてあげてこそ、親は、親としての責任を果たしたことになる。もちろんそのあ
と、子どもが自分で考えて、親孝行するというのであれば、それはそれ。しかし親孝行は美徳
でも何でもない。子どもにそれを強要したり、求めたりしてはいけない。


●「偉い」を廃語に!

「偉い」という言葉を、廃語にしよう。日本では、地位の高い人や、何かの賞をとった人を、「偉
い人」という。しかし英語国では、日本人が、「偉い人」と言いそうなとき、「リスペクティド・マン」
という。「尊敬される人」という意味である。リスペクティド・マンというときは、地位や、名誉には
関係ない。その人自身の中身を見て、そう判断する。あなたの子どもには、「偉い人になれ」と
言うのではなく、「尊敬される人になれ」と言おう。


●家族を大切に

『オズの魔法使い』という、小説がある。あの中で、ドロシーという女の子は、幸福を求めて、虹
の向こうにあるというエメラルドタウンを冒険する。しかし何のことはない。最後にドロシーは、
真の幸福は、すぐそばの家庭の中にあることを知る。今、「家族が一番大切」と考える人が、8
0〜90%になっている。99年の文部省の調査では、40%前後でしかなかったから、これはま
さにサイレント革命というにふさわしい。あなたも自信をもって、子どもには、こう言おう。「この
世界で、一番大切なものは、家族です」と。


●迷信は、否定しよう

子どもたちの世界では、今、占い、まじない、予言、超能力などが、大流行。努力して、自ら立
ちあがるという姿勢が、ますます薄らいできている。中には、その日の運勢に合わせて行動
し、あとで、「運勢が当たった」と言う子どもさえいる。(自分で、運勢に合わせただけなのだが
……。)子どもが迷信らしいことを口にしたら、すかさず、「そんなのはウソ」と言ってやろう。迷
信は、まさに合理の敵。迷信を信ずるようになればなるほど、子どもは、ものごとを合理的に考
える力を失う。


●死は厳粛に

ペットでも何でも、死んだら、その死は厳粛にあつかう。そういう姿を見て、子どもは、「死」を学
び、ついで、「生」を学ぶ。まずいのは、紙か何かに包んで、ゴミ箱に捨てるような行為。決して
遊んだり、茶化したりしてはいけない。子どもはやがて、生きることそのものを、粗末にするよう
になるかもしれない。なぜ、ほとんどの宗教で、葬儀を重要な儀式と位置づけているかと言え
ば、それは死を弔(とむら)うことで、生きることを大切にするためである。生き物の死は、厳粛
に。どこまでも厳粛に。


●悪玉親意識

「私は親だ」というのが、親意識。この親意識にも、二種類をある。善玉親意識と、悪玉親意識
である。「私は親らしく、子どもの見本になろう」「子どもをしっかりと育てて、親の責任をはたそ
う」というのが、善玉親意識。一方、「親に向かって何よ!」と、子どもに対して怒鳴り散らすの
が、悪玉親意識。いわゆる『親風を吹かす』ことをいう。なお親は絶対と考えるのを、「親・絶対
教」という。

●達成感が子どもを伸ばす

「ヤッター!」という達成感が、子どもを伸ばす。そんなわけで子どもが幼児のうちは、(できる・
できない)という視点ではなく、(がんばってやった・やらない)という視点で子どもを見る。たとえ
まちがっていても、あるいは不十分であっても、子どもががんばってしたようなら、「よくやった
わね」とほめて終わる。こまごまとした神経質な指導は、子どもをつぶす。


●子どもは下から見る

子育てで行きづまったら、子どもは、下から見る。「下を見ろ」ではない。「下から見る」。今、こ
こに生きているという原点から見る。そうすると、すべての問題が解決する。昔の人は、こう言
った。『上見て、キリなし。下見て、キリなし』と。つまり上ばかり見ていると、人間の欲望には、
際限がなく、いつまでたっても、安穏とした世界はやってこない。しかし生きているという原点か
ら見ると、とたんに、すべての世界が平和になる。子育ても、また同じ。


●失敗にめげず、前に進む

「宝島」という本を書いたのが、スティーブンソン。そのスティーブンソンがこんな言葉を残してい
る。『我らが目的は、成功することではない。我らが目的は、失敗にめげず、前に進むことであ
る』と。もしあなたの子どもが何かのことでつまずいて、苦しんでいたら、そっとそう言ってみて
ほしい。「あなたの目的は、成功することではない。失敗にめげず、前に進むことですよ」と。


●すばらしいと言え、親の仕事

親の仕事は、すばらしいと言う。それを口ぐせにする。どんな仕事でも、だ。仕事に上下はな
い。あるはずもない。しかしこの日本には、封建時代の身分制度の名残というか、いまだに、
職業によって相手を判断するという風潮が、根強く残っている。が、それだけではない。生き生
きと仕事をしている親の姿は、子どもに、大きな安心感を与える。その安心感が、子どもの心
を豊かに育てる。

●逃げ場を大切に

どんな動物にも、最後の逃げ場というのがある。その逃げ場に逃げこむことによって、身の安
全をはかり、心をいやす。子どもも、またしかり。子どもがその逃げ場へ入ったら、親は、そこ
を神聖不可侵の場と心得て、そこを荒らすようなことをしてはいけない。たいていは子ども部屋
ということになるが、その子ども部屋を踏み荒らすようなことをすると、今度は、「家出」というこ
とにもなりかねない。


●代償的過保護に注意

過保護というときは、その背景に、親の濃密な愛情がある。しかし代償的過保護には、それが
ない。子どもを親の支配下において、親の思いどおりにしたいというのを代償的過保護という。
いわば親自身の心のスキマを埋めるための、親の身勝手な過保護をいう。子どもの受験競争
に狂奔している親が、それにあたる。「子どものため」と言いながら、子どものことなど、まったく
考えていない。ストーカーが、好きな相手を追いかけまわすようなもの。私は「ストーカー的愛」
と呼んでいる。


●同居は出産前に

夫(妻)の両親との同居を考えるなら、子どもの出産前からするとよい。私の調査でも、出産前
からの同居は、たいていうまくいく(90%)。しかしある程度、子どもが大きくなってからの同居
は、たいてい失敗する。同居するとき、母親が苦情の一番にあげるのが、「祖父母が、子ども
の教育に介入する」。同居するにしても、祖父母は、孫の子育てについては、控えめに。それ
が同居を成功させる、秘訣のようである。


●無能な親ほど、規則を好む

イギリスの教育格言に、『無能な教師ほど、規則を好む』というのがある。家庭でも、同じ。『無
能な親ほど、規則を好む』。ある程度の約束ごとは、必要かもしれない。しかし最小限に。また
規則というのは、破られるためにある。そのつど、臨機応変に考えるのが、コツ。たとえば門限
にしても、子どもが破ったら、そのつど、現状に合わせて調整していく。「規則を破ったから、お
前はダメ人間だ」式の、人格攻撃をしてはいけない。


●プレゼントは、買ったものはダメ

できれば……、今さら、手遅れかもしれないが、誕生日にせよ、クリスマスにせよ、「家族どうし
のプレゼントは、買ったものはダメ」というハウス・ルールを作っておくとよい。戦後の高度成長
期の悪弊というか、この日本でも、より高価であればあるほど、いいプレゼントということになっ
ている。しかしそれは誤解。誤解というより、逆効果。家族のキズナを深めたかったら、心のこ
もったプレゼントを交換する。そのためにも、「買ったものは、ダメ」と。


●子育ては、質素に

子育ての基本は、「質素」。ときに親は、ぜいたくをすることがあるかもしれない。しかし、そうい
うぜいたくは、子どもの見えない世界ですること。一度、ぜいたくになれてしまうと、子どもは、あ
ともどりができなくなってしまう。そのままの生活が、おとなになってからも維持できればよし。そ
うでなければ、苦しむのは、結局は子ども自身ということになる。


●ズル休みも、ゆとりのうち
子どもが不登校を起こしたりすると、たいていの親は、狂乱状態になる。そのときのためという
わけでもないが、自分の中に潜む、学歴信仰や学校神話とは、今から戦っていく。その一つの
方法が、「ズル休み」。ときには、園や学校をズル休みさせて、親子で、旅行に行く。平日に行
けば、動物園でも遊園地でも、ガラガラ。あなたは、言いようのない解放感を味わうはず。「そ
んなことできない!」と思っている人ほど、一度、試してみるとよい。


●ふつうこそ、最善

ふつうであることには、すばらしい価値がある。しかし、親たちには、それがわからない。「もっ
と……」「もう少し……」と思っている間に、かえって子どもの伸びる芽をつんでしまう。よい例
が、過干渉であり、過関心である。さらに親の過剰期待や、子どもへの過負担もある。賢い親
は、そのふつうの価値に、それをなくす前に気づき、そうでない親は、それをなくしてから気づ
く。


●限界を知る

子育てには、限界はつきもの。いつも、それとの戦いであると言ってもよい。子どもというのは
不思議なもので、親が、「まだ、何とかなる」「こんなはずではない」「うちの子は、やればできる
はず」と思っている間は、伸びない。しかし親が、「まあ、うちの子は、こんなもの」「よくがんばっ
ている」と、その限界を認めたとたん、伸び始める。皮肉なことに、親がそばにいるだけで、萎
縮してしまう子どもも、少なくない。


●子どもの世界は、社会の縮図

子どもの世界だけを見て、子どもの世界だけを何とかしようと考えても、意味はない。子どもの
世界は、まさに社会の縮図。社会に4割の善があり、4割の悪があるなら、子どもの世界にも、
4割の善があり、4割の悪がある。つまり私たちは子育てをしながらも、同時に、社会にも目を
向けなければならない。子どもがはじめて覚えたカタカナが、「ホテル」であったり、「セックス」
であったりする。そういう社会をまず、改める。子どもの教育は、そこから始まる。


●よき家庭人

日本では、「立派な社会人」「社会に役立つ人」が、教育の柱になっていた。しかし欧米では、
伝統的に、「よき家庭人(Good family man )」を育てるのが、教育の柱になっている。そのため
学習内容も、実用的なものが多い。たとえば中学校で、小切手の切り方(アメリカ)などを教え
る。ところで隣の中国では、「立派な国民」という言葉がもてはやされている。どこか戦後直後
の日本を思い出させる言葉である。


●読書は、教育の要(かなめ)

アメリカには、「ライブラリー」という時間がある。週1回は、たいていどこの学校にもある。つま
り、読書指導の時間である。ふつうの教科は、学士資格で教壇に立つことができるが、ライブ
ラリーの教師だけは、修士号以上の資格が必要である。ライブラリーの教師は、毎週、その子
どもにあった本を選び、指導する。日本でも、最近、読書の重要性が見なおされてきている。
読書は、教育の要である。


●教師言葉に注意

教師というのは、子どもをほめるときは、本音でほめる。だから学校の先生に、ほめられたら、
額面どおり受け取ってよい。しかしその反対に、何か問題のある子どもには、教師言葉を使
う。たとえば学習面で問題のある子どもに対しては、「運動面では問題ないですが……」「私の
指導力が足りないようです」「この子には、可能性があるのですが、今は、まだその力を出し切
っていませんね」というような言い方をする。


●先取り教育は、幼児教育ではない

幼児教育というと、小学校でする勉強を先取りしてする教育だとか、あるいは小学校の入学準
備のための教育と考えている人は多い。そのため漢字を教えたり、掛け算の九九を教えたり
するのが、幼児教育と思っている人も多い。しかしこれは、まったくの誤解。幼児期には幼児期
で、しておくべきことが、山のようにある。子どもの方向性も、このころ決まる。その方向性を決
めるのが、幼児教育である。


●でき愛は、愛にあらず

でき愛を、「愛」と誤解している人は多い。しかしでき愛は、愛ではない。親の心のスキマをうめ
るための、親の身勝手な愛。それをでき愛という。いわばストーカーがよく見せる「愛?」とよく
似ている。たとえば子どもの受験勉強に狂奔している親も、それにあたる。「子どものことを心
配している」とは言うが、本当は、自分の不安や心配を解消するために、子どもを利用している
だけ。そしてベタベタの親子関係をつづけながら、かえって子どもの自立をじゃましてしまう。


●悪玉家族意識

家族のもつ重要性は、いまさら説明するまでもない。しかしその家族が、反対に、独特の束縛
性(家族自我群)をもつことがある。そしてその家族に束縛されて、かえってその家族が、自立
できなくなってしまうことがある。あるいは反対に、「親を捨てた」という自責の念から、自己否
定してしまう人も少なくない。家族は大切なものだが、しかし安易な論理で、子どもをしばっては
いけない。


●伸びたバネは、ちぢむ

受験期にさしかかると、猛烈な受験勉強を強いる親がいる。塾に、家庭教師に、日曜特訓な
ど。毎週、近くの公園で、運動の特訓をしていた父親さえいた。しかしこうした(無理)は、一事
的な効果はあっても、そのあと、その反動で、かえって子どもの成績はさがる。『伸びたバネは
ちぢむ』と覚えておくとよい。イギリスの教育格言にも、『馬を水場に連れていくことはできても、
水を飲ませることはできない』というのがある。その格言の意味を、もう一度、考えてみてほし
い。


●「利他」度でわかる、人格の完成度

あなたの子どもの前で、重い荷物をもって、苦しそうに歩いてみてほしい。そのとき、「ママ、も
ってあげる!」と走りよってくればよし。反対に、知らぬ顔をして、テレビゲームなどに夢中にな
っていれば、あなたの子どもは、かなりのどら息子と考えてよい。子どもの人格(おとなも!)、
いかに利他的であるかによって、知ることができる。つまりドラ息子は、それだけ人格の完成
度の低い子どもとみる。勉強のできる、できないは、関係ない。


●見栄、体裁、世間体

私らしく生きるその生き方の反対にあるのが、世間体意識。この世間体に毒されると、子ども
の姿はもちろんのこと、自分の姿さえも、見失ってしまう。そしてその幸福感も、「となりの人よ
り、いい生活をしているから、私は幸福」「となりの人より悪い生活をしているから、私は不幸」
と、相対的なものになりやすい。もちろん子育ても、大きな影響を受ける。子どもの学歴につい
て、ブランド志向の強い親は、ここで一度、反省してみてほしい。あなたは自分の人生を、自分
のものとして、生きているか、と。


●私を知る

子育ては、本能ではなく、学習である。つまり今、あなたがしている子育ては、あなたが親から
学習したものである。だから、ほとんどの親は、こう言う。「頭の中ではわかっているのですが、
ついその場になると、カッとして……」と。そこで大切なことは、あなた自身の中の「私」を知るこ
と。一見簡単そうだが、これがむずかしい。ギリシアのターレスもこう言っている。『汝自身を、
知れ』と。哲学の究極の目標にも、なっている。


●成功率(達成率)は50%

子どもが、2回トライして、1回は、うまくいくようにしむける。毎回、成功していたのでは、子ども
も楽しくない。しかし毎回失敗していたのでは、やる気をなくす。だから、その目安は、50%。
その50%を、うまく用意しながら、子どもを誘導していく。そしていつも、何かのレッスンの終わ
りには、「ほら、ちゃんとできるじゃ、ない」「すばらしい」と言って、ほめて仕あげる。


●無理、強制

無理(能力を超えた負担)や強制(強引な指導)は、一時的な効果はあっても、それ以上の効
果はない。そればかりか、そのあと、その反動として、子どもは、やる気をなくす。ばあいによっ
ては、燃え尽きてしまったり、無気力になったりすることもある。そんなわけで、『伸びたバネ
は、必ず縮む』と覚えておくとよい。無理をしても、全体としてみれば、プラスマイナス・ゼロにな
るということ。


●条件、比較

「100点取ったら、お小遣いをあげる」「1時間勉強したら、お菓子をあげる」というのが条件。
「A君は、もうカタカナが読めるのよ」「お兄ちゃんが、あんたのときは、学校で一番だったのよ」
というのが、比較ということになる。条件や比較は、子どもからやる気を奪うだけではなく、子ど
もの心を卑屈にする。日常化すれば、「私は私」という生き方すらできなくなってしまう。子ども
の問題というよりは、親自身の問題として、考えたらよい。(内発的動機づけ)


●方向性は図書館で

どんな子どもにも、方向性がある。その方向性を知りたかったら、子どもを図書館へ連れてい
き、一日、そこで遊ばせてみるとよい。やがて子どもが好んで読む本が、わかってくる。それが
その子どもの方向性である。たとえばスポーツの本なら、その子どもは、スポーツに強い関心
をもっていることを示す。その方向性がわかったら、その方向性にそって、子どもを指導し、伸
ばす。


●神経症(心身症)に注意

心が変調してくると、子どもの行動や心に、その前兆症状として、変化が見られるようになる。
「何か、おかしい?」と感じたら、神経症もしくは、心身症を疑ってみる。よく知られた例として
は、チック、吃音(どもり)、指しゃぶり、爪かみ、ものいじり、夜尿などがある。日常的に、抑圧
感や欲求不満を覚えると、子どもは、これらの症状を示す。こうした症状が見られたら、(親
は、子どもをなおそうとするが)、まず親自身の育児姿勢と、子育てのあり方を猛省する。


●負担は、少しずつ減らす

子どもが無気力症状を示すと、たいていの親は、あわてる。そしていきなり、負担を、すべて取
り払ってしまう。「おけいこごとは、すべてやめましょう」と。しかしこうした極端な変化は、かえっ
て症状を悪化させてしまう。負担は、少しずつ減らす。数週間から、1、2か月をかけて減らす
のがよい。そしてその間に、子どもの心のケアに務める。そうすることによって、あとあと、子ど
もの立ちなおりが、用意になる。

●荷おろし症候群

何かの目標を達成したとたん、目標を喪失し、無気力状態になることを言う。有名高校や大学
に進学したあとになることが多い。燃え尽き症候群と症状は似ている。一日中、ボーッとしてい
るだけ。感情的な反応も少なくなる。地元のS進学高校のばあい、1年生で、10〜15%の子
どもに、そういう症状が見られる(S高校教師談)とのこと。「友人が少なく、人に言われていや
いや勉強した子どもに多い」(渋谷昌三氏)と。


●回復は1年単位

一度、無気力状態に襲われると、回復には、1年単位の時間がかかる。(1年でも、短いほうだ
が……。)たいていのばあい、少し回復し始めると、その段階で、親は無理をする。その無理
が、かえって症状を悪化させる。だから、1年単位。「先月とくらべて、症状はどうか?」「去年と
くらべて、症状はどうか?」という視点でみる。日々の変化や、週単位の変化に、決して、一喜
一憂しないこと。心の病気というのは、そういうもの。


●前向きの暗示を大切に

子どもには、いつも前向きの暗示を加えていく。「あなたは、明日は、もっとすばらしくなる」「来
年は、もっとすばらしい年になる」と。こうした前向きな暗示が、子どものやる気を引き起こす。
ある家庭には、4人の子どもがいた。しかしどの子も、表情が明るい。その秘訣は、母親にあ
った。母親はいつも、こうような言い方をしていた。「ほら、あんたも、お兄ちゃんの服が着られ
るようになったわね」と。「明日は、もっといいことがある」という思いが、子どもを前にひっぱっ
ていく。


●未来をおどさない

今、赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起こす子どもがふえている。おとなになることに、ある
種の恐怖感を覚えているためである。兄や姉のはげしい受験勉強を見て、恐怖感を覚えるこ
ともある。幼児のときにもっていた、本や雑誌、おもちゃを取り出して、大切そうにそれをもって
いるなど。話し方そのものが、幼稚ぽくなることもある。子どもの未来を脅さない。


●子どもを伸ばす、三種の神器

子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。中学
生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と思って、一日を
終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、全国の小学生3
226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸ばすのは、親の義務と、心
得る。

 
●受験は淡々と

子ども(幼児)の受験は、淡々と。合格することを考えて準備するのではなく、不合格になったと
きのことを考えて、準備する。この時期、一度、それをトラウマにすると、子どもは生涯にわた
って、自ら「ダメ人間」のレッテルを張ってしまう。そうなれば、大失敗というもの。だから受験
は、不合格のときを考えながら、準備する。


●比較しない

情報交換はある程度までは必要だが、しかしそれ以上の、深い親どうしの交際は、避ける。で
きれば、必要な情報だけを集めて、交際するとしても、子どもの受験とは関係ない人とする。
「受験」の魔力には、想像以上のものがある。一度、この魔力にとりつかれると、かなり精神的
にタフな人でも、自分で自分を見失ってしまう。気がついたときには、狂乱状態に……というこ
とにも、なりかねない。


●「入試」「合格・不合格」は、禁句

子どもの前では、「受験」「入試」「合格」「不合格」「落ちる」「すべる」などの用語を口にするの
は、タブーと思うこと。入試に向かうとしても、子どもに楽しませるようなお膳立ては、必要であ
る。「今度、お母さんがお弁当つくってあげるから、いっしょに行きましょうね」とか。またそういう
雰囲気のほうが、子どもも伸び伸びとできる。また結果も、よい。


●入試内容に迎合しない

たまに難しい問題が出ると、親は、それにすぐ迎合しようとする。たとえば前年度で、球根の名
前を聞かれるような問題が出たとする。するとすぐ、親は、「では……」と。しかし大切なことは、
物知りな子どもにすることではなく、深く考える子どもにすることである。わからなかったら、す
なおに「わかりません」と言えばよい。試験官にしても、そういうすなおさを、試しているのであ
る。


●子どもらしい子ども

子どもは子どもらしい子どもにする。すなおで、明るく、伸びやかで、好奇心が旺盛で、生活力
があって……。すなおというのは、心の状態と、表情が一致している子どもをいう。ねたむ、い
じける、すねる、ひねくれるなどの症状のない子どもをいう。そういう子どもを目指し、それでダ
メだというのなら、そんな学校は、こちらから蹴とばせばよい。それくらいの気構えは、親には
必要である。


●デマにご用心

受験期になると、とんでもないデマが飛びかう。「今年は、受験者数が多い」「教員と親しくなっ
ておかねば不利」「裏金が必要」などなど。親たちの不安心理が、さらにそうしたデマを増幅さ
せる。さらに口から口へと伝わっていく間に、デマ自身も大きくなる。こういうのを心理学の世界
でも、「記憶錯誤」という。子どもよりも、おとなのほうが、しかも不安状態であればあるほど、そ
の錯誤が大きくなることが知られている。


●上下意識は、もたない

兄(姉)が上で、弟(妹)が下という、上下意識をもたない。……といっても、日本人からこの意
識を抜くのは、容易なことではない。伝統的に、そういう意識をたたきこまれている。今でも、長
子相続を本気で考えている人は多い。もしあなたがどこか権威主義的なものの考え方をしてい
るようなら、まず、それを改める。


●子どもの名前で、子どもを呼ぶ

「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」ではなく、兄でも、姉でも、子ども自身の名前で、子どもを呼ぶ。た
とえば子どもの名前が太郎だったら、「太郎」と呼ぶ。一般的に、たがいに名前で呼びあう兄弟
(姉妹)は、仲がよいと言われている。


●差別しない

長男、長女は、下の子が生まれたときから、恒常的な愛情不足、欲求不満の状態に置かれ
る。親は「平等」というが、長男、長女にしてみれば、平等ということが、不平等なのである。そ
ういう前提で、長男(長女)の心理を理解する。つまり長男(長女)のほうが、不平等に対して、
きわめて敏感に反応しやすい。


●嫉妬はタブー

兄弟(姉妹)の間で、嫉妬感情をもたせない。これは子育ての鉄則と考えてよい。嫉妬は、確
実に子どもの心をゆがめる。原始的な感情であるがゆえに、扱い方もむずかしい。この嫉妬
がゆがむと、相手を殺すところまでする。兄弟(姉妹)を別々に扱うときも、たがいに嫉妬させな
いようにする。


●たがいを喜ばせる

兄弟を仲よくさせる方法として、「たがいを喜ばせる」がある。たとえばうち1人を買い物に連れ
ていったときでも、「これがあると○○君、喜ぶわね」「△△ちゃん、喜ぶわね」というような買い
与え方をする。いつも相手を喜ばすようにしむける。これはたがいの思いやりの心を育てるた
めにも、重要である。


●決して批判しない

子どもどうしの悪口を、決して言わない。聞かない。聞いても、判断しない。たとえば兄に何か
問題があっても、それを絶対に(絶対に)、弟に告げ口してはいけない。告げ口した段階で、あ
なたと兄の関係は、壊れる。反対に兄が弟のことで、何か告げ口をしても、あなたは聞くだけ。
決して相づちを打ったり、いっしょになって、兄を批判してはいけない。


●得意面をさらに伸ばす

子どもを伸ばすコツは、得意面をさらに伸ばし、不得意面については、目を閉じること。たとえ
ば受験生でも、得意な英語を伸ばしていると、不得意だった数学も、つられるように伸び始め
るということがよくある。「うちの子は、運動が苦手だから、体操教室へ……」という発想は、そ
もそも、その発想からしてまちがっている。子どもは(いやがる)→(ますます不得意になる)の
悪循環を繰りかえすようになる。


●悪循環を感じたら、手を引く

子育てをしていて、どこかで悪循環を感じたら、すかさず、その問題から、手を引く。あきらめ
て、忘れる。あるいはほかの面に、関心を移す。「まだ、何とかなる」「そんなハズはない」と親
ががんばればがんばるほど、話が、おかしくなる。深みにはまる。が、それだけではない。一
度、この悪循環に入ると。それまで得意であった分野にまで、悪影響をおよぼすようになる。自
信喪失から、自己否定に走ることもある。


●子どもは、ほめて伸ばす

『叱るときは、陰で。ほめるときは、みなの前で』は、幼児教育の大鉄則。もっとはっきり言え
ば、子どもは、ほめて伸ばす。仮にたどたどしい、読みにくい文字を書いたとしても、「ほほう、
字がじょうずになったね」と。こうした前向きの強化が、子どもを伸ばす。この時期、子どもは、
ややうぬぼれ気味のほうが、あとあと、よく伸びる。「ぼくはできる」「私はすばらしい」という自
信が、子どもを伸ばす原動力になる。


●孤立感と劣等感に注意

家族からの孤立、友だちからの孤立など。子どもが孤立する様子を見せたら、要注意。「ぼく
はダメだ」式の劣等感を見せたときも、要注意。この二つがからむと、子どものものの考え方
は、急速に暗く、ゆがんでくる。外から見ると、「何を考えているかわからない」というようになれ
ば、子どもの心は、かなり危険な状態に入ったとみてよい。家庭教育のあり方を、猛省する。


●すなおな子ども

従順で、親の言うことをハイハイと聞く子どもを、すなおな子どもというのではない。幼児教育の
世界で、「すなおな子ども」というときは、心(情意)と、表情が一致している子どもをいう。感情
表出がすなおにできる。うれしいときは、顔満面にその喜びをたたえるなど。反対にその子ども
にやさしくしてあげると、そのやさしさが、スーッと子どもの心の中に、しみこんでいく感じがす
る。そういう子どもを、すなおな子どもという。


●自己意識を育てる
乳幼児期に、何らかの問題があったとする。しかしそうした問題に直面したとき、大切なこと
は、そうした問題にどう対処するかではなく、どうしたら、こじらせないか、である。たとえばAD
HD児にしても、その症状が現れてくると、たいていの親は、混乱状態になる。しかし子どもの
自己意識が育ってくると、子どもは、自らをコントロールするようになる。そして見た目には、症
状はわからなくなる。無理をすれば、症状はこじれる。そして一度、こじれると、その分だけ、立
ちなおりが遅れる。


●まず自分を疑う

子どもに問題があるとわかると、親は、子どもをなおそうとする。しかしそういう視点では、子ど
もは、なおらない。たとえばよくある例は、親の過干渉、過関心で、子どもが萎縮してしまったよ
うなばあい。親は「どうしてうちの子は、ハキハキしないのでしょう」と言う。そして子どもに向か
っては、「どうしてあなたは、大きな声で返事ができないの!」と叱る。しかし原因は、親自身に
ある。それに気づかないかぎり、子どもは、なおらない。


●「やればできるはず」は禁句

たいていの親は、「うちの子は、やればできるはず」と思う。しかしそう思ったら、すかさず、「や
ってここまで」と思いなおす。何がそうかといって、親の過関心、過負担、過剰期待ほど、子ども
を苦しめるものはない。それだけではない。かえって子どもの伸びる芽をつんでしまう。そこで
子どもには、こう言う。「あなたは、よくがんばっているわよ。TAKE IT EASY!(気を楽にし
てね)」と。


●「子はかすがい」論
たしかに子どもがいることで、夫婦が力を合わせるということはよくある。夫婦のきずなも、そ
れで太くなる。しかしその前提として、夫婦は夫婦でなくてはならない。夫婦関係がこわれかか
っているか、あるいはすでにこわれてしまったようなばあいには、子はまさに「足かせ」でしかな
い。日本には『子は三界の足かせ』という格言もある。


●「親のうしろ姿」論

生活や子育てで苦労している姿を、「親のうしろ姿」という。日本では『子は親のうしろ姿を見て
育つ』というが、中には、そのうしろ姿を子どもに見せつける親がいる。「親のうしろ姿は見せ
ろ」と説く評論家もいる。しかしうしろ姿など見せるものではない。(見せたくなくても、子どもは
見てしまうかもしれないが、それでもできるだけ見せてはいけない。)恩着せがましい子育て、
お涙ちょうだい式の子育てをする人ほど、このうしろ姿を見せようとする。


●「親の威厳」論

「親は威厳があることこそ大切」と説く人は多い。たしかに「上」の立場にいるものには、居心地
のよい世界かもしれないが、「下」の立場にいるものは、そうではない。その分だけ、上のもの
の前では仮面をかぶる。かぶった分だけ、心を閉じる。威厳などというものは、百害あって一
利なし。心をたがいに全幅に開きあってはじめて、「家族」という。「親の権威」などというのは、
封建時代の遺物と考えてよい。


●「育自」論は?

よく、「育児は育自」と説く人がいる。「自分を育てることが育児だ」と。まちがってはいないが、
子育てはそんな甘いものではない。親は子どもを育てながら、幾多の山を越え、谷を越えてい
る間に、いやおうなしに育てられる。育自などしているヒマなどない。もちろん人間として、外の
世界に大きく伸びていくことは大切なことだが、それは本来、子育てとは関係のないこと。子育
てにかこつける必要はない。


●「親孝行」論

安易な孝行論で、子どもをしばってはいけない。いわんや犠牲的、献身的な「孝行」を子どもに
求めてはいけない。強要してはいけない。孝行するかどうかは、あくまでも子どもの問題。子ど
もの勝手。親子といえども、その関係は、一対一の人間関係で決まる。たがいにやさしい、思
いやりのある言葉をかけあうことこそ、大切。親が子どものために犠牲になるのも、子どもが
親のために犠牲になるのも、決して美徳ではない。親子は、あくまでも「尊敬する」「尊敬され
る」という関係をめざす。

●「産んでいただきました」論

よく、「私は親に産んでいただきました」「育てていただきました」「言葉を教えていただきました」
と言う人がいる。それはその人自身の責任というより、そういうふうに思わせてしまったその人
の周囲の、親たちの責任である。日本人は昔から、こうして恩着せがましい子育てをしながら、
無意識のうちにも、子どもにそう思わせてしまう。いわゆる依存型子育てというのが、それ。


●「水戸黄門」論に注意

日本型権威主義の象徴が、あの「水戸黄門」。あの時代、何がまちがっているかといって、身
分制度(封建制度)ほどまちがっているものはない。その身分制度(=巨悪)にどっぷりとつか
りながら、正義を説くほうがおかしい。日本人は、その「おかしさ」がわからないほどまで、この
権威主義的なものの考え方を好む。葵の紋章を見せつけて、人をひれ伏せさせる前に、その
矛盾に、水戸黄門は気づくべきではないのか。仮に水戸黄門が悪いことをしようとしたら、どん
なことでもできる。ご注意!


●「釣りバカ日誌」論

男どうしで休日を過ごす。それがあのドラマの基本になっている。その背景にあるのが、「男は
仕事、女は家庭」。その延長線上で、「遊ぶときも、女は関係なし」と。しかしこれこそまさに、世
界の非常識。オーストラリアでも、夫たちが仕事の同僚と飲み食い(パーティ)をするときは、妻
の同伴が原則である。いわんや休日を、夫たちだけで過ごすということは、ありえない。そんな
ことをすれば、即、離婚事由。「仕事第一主義社会」が生んだ、ゆがんだ男性観が、その基本
にあるとみる。


●「MSのおふくろさん」論

夜空を見あげて、大のおとなが、「ママー、ママー」と泣く民族は、世界広しといえども、そうはい
ない。あの歌の中に出てくる母親は、たしかにすばらしい人だ。しかしすばらしすぎる。「人の傘
になれ」とその母親は教えたというが、こうした美化論にはじゅうぶん注意したほうがよい。マザ
コン型の人ほど、親を徹底的に美化することで、自分のマザコン性を正当化する傾向がある。


●「かあさんの歌」論

窪田S氏作詞の原詩のほうでは、歌の中央部(三行目と四行目)は、かっこ(「」)つきになって
いる。「♪木枯らし吹いちゃ冷たかろうて。せっせと編んだだよ」「♪おとうは土間で藁打ち仕
事。お前もがんばれよ」「♪根雪もとけりゃもうすぐ春だで。畑が待ってるよ」と。しかしこれほ
ど、恩着せがましく、お涙ちょうだいの歌はない。親が子どもに手紙を書くとしたら、「♪村の祭
に行ったら、手袋を売っていたよ。あんたに似合うと思ったから、買っておいたよ」「♪おとうは
居間で俳句づくり。新聞にもときどき載るよ」「♪春になったら、村のみんなと温泉に行ってくる
よ」だ。


●「内助の功」論

封建時代の出世主義社会では、『内助の功』という言葉が好んで用いられた。しかしこの言葉
ほど、女性を蔑視した言葉もない。どう蔑視しているかは、もう論ずるまでもない。しかし問題
は、女性自身がそれを受け入れているケースが多いということ。約23%の女性が、「それでい
い」と答えている※。決して男性だけの問題ではないようだ。
※……全国家庭動向調査(厚生省98)によれば、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と
いう考えに反対した人が、23・3%もいることがわかった。


 ●子育ては、考えてするものではない

だれしも、「頭の中では、わかっているのですが、ついその場になると……」と言う。子育てとい
うのは、もともと、そういうもの。そこでいつも同じようなパターンで、同じような失敗をするとき
は、(1)あなた自身の過去を冷静に見つめてみる。(2)何か(わだかまり)や(こだわり)があれ
ば、まず、それに気づく。あとは時間が解決してくれる。


●子育ては、世代連鎖する

子育ては、世代を超えて、親から子へと、よいことも、悪いことも、そのまま連鎖する。またそう
いう部分が、ほとんどだと考えてよい。そういう意味で、「子育ては本能ではなく、学習によるも
の」と考える。つまり親は子育てをしながら、実は、自分が受けた子育てを、無意識のうちに繰
りかえしているだけだということになる。そこで重要なことは、悪い子育ては、つぎの世代に、残
さないということ。これを昔の人、『因を断つ』と言った。


●子育ての見本を見せる

子育ての重要な点は、子どもを育てるのではなく、子育てのし方の見本を、子どもに見せると
いうこと。見せるだけでは、足りない。子どもを包む。幸福な家庭というのは、こういうものだ。
夫婦というのは、こういうものだ。家族というのは、こういうものだ、と。そういう(学習)があっ
て、子どもは、親になったとき、はじめて、自分で子育てが自然な形でできるようになる。


●子どもには負ける

子どもに、勝とうと思わないこと。つまり親の優位性を見せつけないこと。どうせ相手にしてもし
かたないし、本気で相手にしてはいけない。ときに親は、わざと負けて見せたり、バカなフリをし
て、子どもに自信をもたせる。適当なところで、親のほうが、手を引く。「こんなバカな親など、ア
テにならないぞ」「頼りにならない」と子どもが思うようになったら、しめたもの。


●子育ては重労働

子育ては、もともと重労働。そういう前提で、考える。自分だけが苦しんでいるとか、おかしいと
か、子どもに問題があるなどと、考えてはいけない。しかしここが重要だがが、そういう(苦し
み)をとおして、親は、ただの親から、真の親へと成長する。そのことは、子育てが終わってみ
ると、よくわかる。子育ての苦労が、それまで見えなかった、新しい世界を親に見せてくれる。
子育ての終わりには、それがやってくる。どうか、お楽しみに!


●自分の生きザマを!

子育てをしながらも、親は、親で、自分の生きザマを確立する。「あなたはあなたで、勝手に生
きなさい。私は私で、勝手に生きます」と。そういう一歩退いた目が、ともすればギクシャクとし
がちな、親子関係に、風を通す。子どもだけを見て、子どもだけが視野にしか入らないというの
は、それだけその人の生きザマが、小さいということになる。あなたはあなたで、したいことを、
する。そういう姿が、子どもを伸ばす。


●問題のない子育てはない

子育てをしていると、子育てや子どもにまつわる問題は、つぎからつぎへと、起きてくる。それ
は岸辺に打ち寄せる波のようなもの。問題のない子どもはいないし、したがって、問題のない
子育ては、ない。できのよい子ども(?)をもった親でも、その親なりに、いろいろな問題に、そ
のつど、直面する。できが悪ければ(?)、もっと直面する。子育てというのは、もともとそういう
もの。そういう前提で、子育てを考える。


●解決プロセスを用意する

英文を読んでいて、意味のわからない単語にぶつかったら、辞書をひく。同じように、子育てで
何かの問題にぶつかったら、どのように解決するか、そのプロセスを、まず、つくっておく。兄弟
や親類に相談するのもよい。親に相談するのも、よい。何かのサークルに属するのもよい。自
分の身にまわりに、そういう相談相手を用意する。が、一番よいのは、自分の子どもより、2、
3歳年上の子どもをもつ、親と緊密になること。「うちもこうでしたよ」というアドバイスをもらっ
て、たいていの問題は、その場で解決する。


●動揺しない
株取引のガイドブックを読んでいたら、こんなことが書いてあった。「プロとアマのちがいは、プ
ロは、株価の上下に動揺しないが、アマは、動揺する。だからそのたびに、アマは、大損をす
る」と。子育ても、それに似ている。子育てで失敗しやすい親というのは、それだけ動揺しやす
い。子どもを、月単位、半年単位で見ることができない。そのつど、動揺し、あわてふためく。こ
の親の動揺が、子どもの問題を、こじらせる。


●自分なら……

賢い親は、いつも子育てをしながら、「自分ならどうか?」と、自問する。そうでない親は親意識
だけが強く、「〜〜あるべき」「〜〜であるべきでない」という視点で、子どもをみる。そして自分
の理想や価値観を、子どもに押しつけよとする。そこで子どもに何か問題が起きたら、「私なら
どうするか?」「私はどうだったか?」という視点で考える。たとえば子どもに向かって「ウソをつ
いてはダメ」と言ったら、「私ならどうか?」と。


●時間を置く

葉というのは、耳に入ってから、脳に届くまで、かなりの時間がかかる。相手が子どもなら、な
おさらである。だから言うべきことは言いながらも、効果はすぐには、求めない。また言ったか
らといって、それですぐ、問題が解決するわけでもない。コツは、言うべきことは、淡々と言いな
がらも、あとは、時間を待つ。短気な親ほど、ガンガンと子どもを叱ったりするが、子どもはこ
わいから、おとなしくしているだけ。反省などしていない。


●叱られじょうずな子どもにしない

親や先生に叱られると、頭をうなだれて、いかにも叱られていますといった、様子を見せる子ど
もがいる。一見、すなおに反省しているかのように見えるが、反省などしていない。こわいから
そうしているだけ。もっと言えば、「嵐が通りすぎるのを待っているだけ」。中には、親に叱られ
ながら、心の中で歌を歌っていた子どももいた。だから同じ失敗をまた繰りかえす。


●叱っても、人権を踏みにじらない

先生に叱られたりすると、パッとその場で、土下座をしてみせる子どもがいる。いわゆる(叱ら
れじょうずな子ども)とみる。しかしだからといって、反省など、していない。そういう形で、自分
に降りかかってくる、火の粉を最小限にしようとする。子どもを叱ることもあるだろうが、しかし
どんなばあいも、最後のところでは、子どもの人権だけは守る。「あなたはダメな子」式の、人
格の「核」攻撃は、してはいけない。


●子どもは、親のマネをする

たいへん口がうまく、うそばかり言っている子どもがいた。しかしやがてその理由がわかった。
母親自身もそうだった。教師の世界には、「口のうまい親ほど、要注意」という、大鉄則があ
る。そういう親ほど、一度、敵(?)にまわると、今度は、その数百倍も、教師の悪口を言い出
す。子どもに誠実になってほしかったら、親自身が、誠実な様子を、日常生活の中で見せてお
く。


●一事が万事論

あなたは交通信号を、しっかりと守っているだろうか。もしそうなら、それでよし。しかし赤信号
でも、平気で、アクセルを踏むようなら、注意したほうがよい。あなたの子どもも、あなたに劣ら
ず、小ズルイ人間になるだけ。つまり親が、小ズルイことをしておきながら、子どもに向かって、
「約束を守りなさい」は、ない。ウソはつかない。約束は守る。ルールには従う。そういう親の姿
勢を見ながら、子どもは、(まじめさ)を身につける。


●代償的過保護に注意
「子どもはかわいい」「私は子どもを愛している」と、豪語する親ほど、本当のところ、愛が何で
あるか、わかっていない。子どもを愛するということは、それほどまでに、重く、深いもの。中に
は、子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしたいと考えている親もいる。これを
代償的過保護という。一見、過保護に見えるが、その基盤に愛情がない。つまりは、愛もどき
の愛を、愛と錯覚しているだけ。


●子どもどうしのトラブルは、子どもに任す

子どもの世界で、子どもどうしのトラブルが起きたら、子どもに任す。親の介入は、最小限に。
そういうトラブルをとおして、子どもは、子どもなりの問題解決の技法を身につけていく。親とし
てはつらいところだが、1にがまん、2にがまん。親が口を出すのは、そのあとでよい。もちろん
子どものほうから、何かの助けを求めてきたら、そのときは、相談にのってやる。ほどよい親で
あることが、よい親の条件。


●許して忘れ、あとはあきらめる

子どもの問題は、許して、忘れる。そしてあとはあきらめる。「うちの子にかぎって……」「そんな
はずはない」「まだ何とかなる」と、親が考えている間は、親に安穏たる日々はやってこない。そ
こで「あきらめる」。あきらめると、その先にトンネルの出口を見ることができる。子どもの心に
も風が通るようになる。しかしヘタにがんばればがんばるほど、親は、袋小路に入る。子どもも
苦しむ。


 ●強化の原理

子どもが、何かの行動をしたとする。そのとき、その行動について、何か、よいことが起きたと
する。ほめられるとか、ほうびがもらえるとか。あるいは心地よい感覚に包まれるとか。そういう
何かよいことが起こるたびに、その行動は、ますます強化される。これを「強化の原理」という。
子どもの能力をのばすための大鉄則ということになる。


●弱化の原理

強化の原理に対して、弱化の原理がある。何か、行動をしたとき、つまずいたり、失敗したり、
叱られたりすると、子どもは、やる気をなくしたり、今度は、その行動を避けるようになる。これ
を弱化の原理という。子どもにもよるし、ケースにもよるが、一度弱化の原理が働くようになる
と、学習効果は、著しく落ちるようになる。


●内面化
子どもは成長とともに、身長がのび、体重が増加する。これを外面化というのに対して、心の
発達を、内面化という。その内面化は、(1)他者との共鳴性(自己中心性からの脱却)、(2)自
己管理能力、(3)良好な人間関係をみるとよい(EQ論)。ほかに道徳規範や倫理観の発達、
社会規範や、善悪の判断力などを、ふくめる。心理学の世界では、こうした発達を総称して、
「しつけ」という。


●子どもの意欲

子どもは、親、とくに母親の意欲を見ながら、自分の意欲を育てる。一般論として、意欲的な母
親の子どもは、意欲的になる。そうでない母親の子どもは、そうでない。ただし、母親が意欲的
過ぎるのも、よくない。昔から、『ハリキリママのションボリ息子』と言われる。とくに子どもに対し
ては、ほどよい親であることが望ましい。任すところは子どもに任せ、一歩退きながら、暖かい
無視を繰りかえす。それが子育てのコツということになる。


●ほどよい目標

過負担、過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そればかりではない。自信喪失から、
やる気をなくしてしまうこともある。仮に一時的にうまくいっても、オーバーヒート現象(燃え尽き
症候群、荷卸し症候群)に襲われることもある。子どもにとって重要なことは、達成感。ある程
度がんばったところで、「できた!」という喜びが、子どもを伸ばす。子どもには、ほどよい目標
をもたせるようにする。





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●男女共同参画社会(男女の平等社会)

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女は家庭を守るべし(?)

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 いきなり「ぼくは、男女共同参画社会などには、反対だよ」と言った男性(60歳くらい)がい
た。公的な機関で、長い間、「長」の仕事を歴任してきた人物である。

 「いいかね、林君、女が男のようになって、どうする? どうなる? 女が家庭から抜けたら、
家庭はバラバラになってしまうよ。女は、家庭を守らなければならない。それが女の役目だよ」
と。話のきっかけは、NHKの今度の、大河ドラマだった。

 土佐藩の基礎を築いた戦国武将に、山内一豊がいた。その夫を支え、夫の出世をなしとげ
たのが、妻の千代。その千代の物語が、今度の大河ドラマのテーマになっている。『内助の功』
という言葉も、そこから生まれた。その男性は、その千代を懸命にたたえながら、「女はそうで
なくてはいけないよ、林君」と。

 私は、「ハア〜」と思っただけで、つぎの言葉が出てこなかった。その男性との間に、遠い距
離を感じた。どこからどう説明したらよいのかさえ、皆目、見当もつかなかった。

 つぎに、その男性は、それなりの人物である。私の思想が私の思想であるように、その男性
の思想もまた、その男性の思想である。その上、この話は、相手がもち出した話題である。一
応の敬意は、払わなければならない。いきなり反論するというのも、その男性に対して、失敬な
こと。

 そこで私は、こんなことをさぐってみた。

 その男性が、どうしてそういう思想をもったかという、その背景である。つまり思想には、必
ず、それをもつに至った背景というものがある。生まれ育った環境や、教育など。しかし何より
も重要なのは、その男性が、どの程度の問題意識をもっているかということ。どんな本を読み、
どの程度の文章を書き、自分の思想を思想として、まとめあげたかということ。

 方法は簡単。いくつかの専門用語を、ぶつけてみればよい。勉強している人は、それなりに、
即座に反応してくる。そうでない人は、そうでない。

私「ジェンダー(社会的性差別)の問題は、世界的な問題だよ」
男「それは知っているが、いくらがんばっても、女は男にはなれないよ、君!」
私「最近の研究によれば、男にも、女にも、両性性があることがわかってきた」
男「何だね、その両性性って、いうのは?」

私「男が男らしくなるのも、女が女らしくなるのも、3歳までの育て方の問題ということ。もともと
男と女を区別するほうが、おかしいということかな」
男「男は、子どもを産むことができない。大きなちがいだよ、これは!」と。

 そこでこんな例を出して、説明してやった。

 あるところに1人の女の子(?)がいた。5歳くらいまで、女の子として育てられた。その女の
子は、外性器も女の子のもので、見た感じも女の子だった。しかし6歳を過ぎるころから、卵巣
がないことがわかってきた。

 そこで調べてみると、腹の中に、睾丸があることがわかった。その女の子(?)は、実は男の
子だった。この女の子(?)のケースは、さらに、染色体レベルまで調べられて、最終的には、
男の子と確定されたが、しかしそれで問題が解決したわけではなかった。

 ここにも書いたように、男の子が男の子らしくなる、女の子が女の子らしくなるというのは、3
歳ごろまでに決まる。これを心理学の世界でも、「役割形成」と呼ぶ。しかしその女の子(?)の
ばあいは、6歳前後まで、女の子として育てられた。が、そこで、男の子と判定された。

 その女の子にすれば、「私はどうすればいいのか?」ということになる。

 やはり心理学の世界では、こうした混乱を、「役割混乱」と呼んでいる。たとえて言うなら、トラ
ックの運転手に、いきなり、リカちゃん人形のコスチュームを着せるようなもの。ばあいによって
は、自己嫌悪から自己否定につながるかもしれない。精神は、極度の緊張状態に置かれる。

 「わかりました。では、私は、今日から、男の子になります」というわけには、いかない。

 つまり私たちがもっている「男意識」「女意識」といったものは、その延長線上にあるにすぎな
い。もっと言えば、「ジェンダー」なるものは、生まれたあと、生まれ育った環境の中で、作りあ
げられたものにすぎない。つまりそういったもので、そもそも、人間を、「男」と「女」に区別する
ほうが、おかしい。まちがっている。

 ついでだが、私が子どものころには、こんな話も残っていた。

 江戸時代という封建時代が終わって150年もたっていたというのに、身分に応じて、着る服
の色が、ある程度決まっていたということ。商人は、茶系統、農家の人は、青系統……というよ
うに(この部分は、不確か)。今でも、その傾向がないとは言わない。しかし江戸時代には、着
物の色はもちろん、模様のあるなしまで、さらに厳格に決められていた。

 だから子どもながらに、その人の物腰、話し方によって、私は、その人の職業が何であるか、
だいたいのことはわかった。つまりこうした「その人の様子」にしても、その人が生まれ育った
環境の中で、つくりあげられたものということになる。

 さて、現在、男女の両性化は、ますます進んでいる。男が女性化し、女が男性化するというよ
りは、ともに、その両性性に、気づき始めている。今では、使う言葉にしても、男女の区別はな
い。意識や価値観にしても、男女の区別はない。「男だから……」「女だから……」と言うほう
が、おかしい。

 しかし現実には、冒頭にあげたような男性のような考え方をしている人は、決して、少なくな
い。そういう環境で生まれ育っているから、そういった意識は、心の奥底に、しっかりと根づい
ている。加えて、そういう意識を、疑ってみたこともない。もちろん、それなりの勉強もしていな
い。言うなれば、思想が、サビついたまま硬直化してしまっている。

 だから、議論してもムダ!

私「まあ、そうは言っても、今は、そういう時代でもないように思いますがね」
男「だから、今の時代は、おかしいのだよ。教育がまちがっている」
私「しかしつぎの時代を決めるのは、私たちではありませんから。こういう問題は、若い人たち
に任すしかないでしょう」
男「いやな時代になったものだよ。若い人は、もっと、NHKの大河ドラマでも見て、勉強したら
いい」と。
(はやし浩司 ジェンダー 男女論 男女の両性化 両性性 意識 はやし浩司 山内一豊 千
代 内助の功 内助の功論)


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数年前書いた原稿を添付します。
(中日新聞、発表済み)

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子どもに性教育を語るとき

●性の解放とは偏見からの解放 

 若いころ、いろいろな人の通訳として、全国を回った。その中でもとくに印象に残っているの
が、ベッテルグレン女史という女性だった。スウェーデン性教育協会の会長をしていた。そのベ
ッテルグレン女史はこう言った。

「フリーセックスとは、自由にセックスをすることではない。フリーセックスとは、性にまつわる偏
見や誤解、差別から、男女を解放することだ」「とくに女性であるからという理由だけで、不利益
を受けてはならない」と。それからほぼ30年。日本もやっとベッテルグレン女史が言ったことを
理解できる国になった。

 話は変わるが、先日、女房の友人(48歳)が私の家に来て、こう言った。「うちのダンナなん
か、冷蔵庫から牛乳を出して飲んでも、その牛乳をまた冷蔵庫にしまうことすらしないんだわ
サ。だから牛乳なんて、すぐ腐ってしまうんだわサ」と。

話を聞くと、そのダンナ様は結婚してこのかた、トイレ掃除はおろか、トイレットペーパーすら取
り替えたことがないという。私が、「ペーパーがないときはどうするのですか?」と聞くと、「何で
も『オーイ』で、すんでしまうわサ」と。

●家事をしない男たち

 国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「家事は全然しない」という夫が、まだ50%
以上もいるという(2000年)(※)。年代別の調査ではないのでわからないが、50歳以上の男
性について言うなら、何か特別な事情のある人を除いて、そのほとんどが家事をしていないと
みてよい。

この年代の男性は、いまだに「男は仕事、女は家事」という偏見を根強くもっている。男ばかり
ではない。私も子どものころ台所に立っただけで、よく母から、「男はこんなところへ来るもんじ
ゃない」と叱られた。こうしたものの考え方は今でも残っていて、女性自らが、こうした偏見に手
を貸している。「夫が家事をすることには反対」という女性が、23%もいるという(同調査)! 

 が、その偏見も今、急速に音をたてて崩れ始めている。私が99年に浜松市内でした調査で
は、20代、30代の若い夫婦についてみれば、「家事をよく手伝う」「ときどき手伝う」という夫
が、65%にまでふえている。欧米並みになるのは、時間の問題と言ってもよい。

●男も昔はみんな、女だった?

 実は私も、先に述べたような環境で育ったため、生まれながらにして、「男は……、女は…
…」というものの考え方を日常的にしていた。高校を卒業するまで洗濯や料理など、したことが
ない。たとえば私が小学生のころは、男が女と一緒に遊ぶことすら考えられなかった。遊べば
遊んだで、「女たらし」とバカにされた。そのせいか私の記憶の中にも、女の子と遊んだ思い出
がまったく、ない。が、その後、いろいろな経験を通して、私がまちがっていたことを思い知らさ
れた。その中でも決定的に私を変えたのは、次のような事実を知ったときだ。

つまり人間は男も女も、母親の胎内では一度、皆、女だったという事実だ。このことは何人もの
ドクターに確かめたが、どのドクターも、「知らなかったのですか?」と笑った。正確には、「妊娠
後3か月くらいまでは胎児は皆、女で、それ以後、Y遺伝子をもった胎児は、Y遺伝子の刺激を
受けて、睾丸が形成され、女から分化する形で男になっていく。分化しなければ、胎児はその
まま成長し、女として生まれる」(浜松医科大学O氏)ということらしい。

このことを女房に話すと、女房は「あなたは単純ね」と笑ったが、以後、女性を見る目が、180
度変わった。「ああ、ぼくも昔は女だったのだ」と。と同時に、偏見も誤解も消えた。言いかえる
と、「男だから」「女だから」という考え方そのものが、まちがっている。「男らしく」「女らしく」とい
う考え方も、まちがっている。ベッテルグレン女史は、それを言った。

※……国立社会保障人口問題研究所の調査によると、「掃除、洗濯、炊事の家事をまったくし
ない」と答えた夫は、いずれも50%以上であったという。

 部屋の掃除をまったくしない夫          ……56・0%
 洗濯をまったくしない夫             ……61・2%
 炊事をまったくしない夫             ……53・5%
 育児で子どもの食事の世話をまったくしない夫   ……30・2%
 育児で子どもを寝かしつけない夫(まったくしない)……39・3%
 育児で子どものおむつがえをまったくしない夫   ……34・0% 
(全国の配偶者のいる女性約1万4000人について調査・98年)

●平等には反対?

 これに対して、「夫も家事や育児を平等に負担すべきだ」と答えた女性は、76・7%いるが、
その反面、「反対だ」と答えた女性も23・3%もいる。男性側の意識改革だけではなく、女性側
の意識改革も必要なようだ。ちなみに「結婚後、夫は外で働き、妻は主婦業に専念すべきだ」
と答えた女性は、半数以上の52・3%もいる(同調査)。

 こうした現状の中、夫に不満をもつ妻もふえている。厚生省の国立問題研究所が発表した
「第二回、全国家庭動向調査」(1998年)によると、「家事、育児で夫に満足している」と答え
た妻は、51・7%しかいない。この数値は、前回1993年のときよりも、約10ポイントも低くな
っている(93年度は、60・6%)。「(夫の家事や育児を)もともと期待していない」と答えた妻
も、52・5%もいた。
(はやし浩司 男の家事 夫の家事 性教育 性の解放 男女意識 はやし浩司)





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【子どもとゲーム】

子どもがゲームづけになるとき

●ゲームづけの子どもたち 

 小学生の低学年は、「遊戯王」。高学年から中学生は、「マジック・ザ・ギャザリング(通称、マ
ジギャザ)」。遊戯王について言えば、小学3年生で、約25%以上の男児がハマっている(20
00年11月、小3児53名中13名、浜松市内)。

ある日、一人の子ども(小3男児)が、こう教えてくれた。「ブルーアイズを3枚集めて、融合させ
る。融合させるためには、融合カードを使う。そうすればアルティメットドラゴンをフィールドに出
せる。それに巨大化をつけると、攻撃力が9000になる」と。

子どもの言ったことをそのままここに書いたが、さっぱり意味がわからない。カードゲームという
のは、基本的にはカードどうしを戦わせるゲームだと思えばよい。戦いは、勝ったほうが相手
のカードを取る「カケ勝負」と、取らない「カケなし勝負」とがある。カードは、一パック5枚入り
で、150円から330円程度。「アルティメット入りのパックは、値段が高い」そうだ。

●ポケモンからマジギャザまで

 あのポケモン世代が、小学校の高学年から中学1、2年になった。そこで当時ハマった子ども
たち何人かに、「その後」を聞くと、いろいろ話してくれた。M君(中2)いわく、「今はマジギャザ
だ。少し前までは、遊戯王だったけどね」と。

カード(15枚で500円。デパートやおもちゃ屋で販売。遊戯王は、5枚で200円)は、1000枚
近く集めたそうだ。

マジギャザというのは、基本的にはポケモンカードと同じような遊び方をするゲームのことだと
思えばよい。ただ内容は高度になっている。私も一時間ほど教えてもらったが、正直言ってよく
わからない。要するに、ポケモンカードから遊戯王、さらにその遊戯王からマジギャザへと、子
どもたちの遊びが移っているということ。カードを戦わせながら遊ぶという点では、共通してい
る。

●現実感を喪失する子どもたち

 話はそれるが、以前、「たまごっち」というゲームが全盛期のころのこと。あのわけのわからな
い生き物が死んだだけで大泣きする子どもはいくらでもいた。東京には、死んだたまごっちを
供養する寺まで現れた。ウソや冗談でしているのではない。本気だ。

中には北海道からやってきて、涙をこぼしながら供養している、20歳代の女性までいた(NHK
「電脳の果て」97年12月28日放送)。そういうゲームにハマっている子どもに向かって、「これ
は生き物ではない。ただの電気の信号だ」と話しても、彼らには理解できない。

が、たかがゲームと笑ってはいけない。その少しあと、ミイラ化した死体を、「生きている」とが
んばったカルト教団が現れた。この教団の教祖はその後逮捕され、今も裁判は継続中だが(2
000年当時)、もともと生きていない「電子の生物」を死んだと思い込む子どもと、「ミイラ化した
死体」を生きていると思い込むその教団の信者は、どこがどうちがうのか。方向性こそ逆だ
が、その思考回路は同じとみる。あるいは同じ。ゲームには、そういう危険な面も隠されてい
る。

●思考回路はそのまま

 で、さらに、浜松市内の中学1年生について調べたところ、男子の約半数がマジギャザと遊
戯王に、多かれ少なかれハマっているのがわかった。1人が平均約1000枚のカードを持って
いる。中には1万枚も持っている子どももいる。

マジギャザはもともとアメリカで生まれたゲームで、そのためアメリカバージョン、フランスバー
ジョン、さらに中国バージョンもある。カード数が多いのは、そのため。「フランス語版は質がよ
くて、プレミヤのついたカードは、4万円。印刷ミスのも、4万円の価値がある」と。

さらにこのカードをつかって、別のカケをしたり、大会で賞品集めをすることもあるという。「大会
で勝つと、新しいカードをたくさんもらえる」とのこと。「優勝するのは、たいてい20歳以上のお
となばかりだよ」とも。

 わかりやすく言えばポケモン世代が、思考回路だけはそのままで、体だけが大きくなったとい
うこと。いや、「思考回路」と言えばまだ聞こえはよいが、その中身は中毒。カード中毒。この中
毒性がこわい。だから一万枚もカードを集めたりする。一枚のカードに4万円も払ったりする!

●子どもをダシに金儲け

 子どもをダシにした金儲けは、この不況下でも、大盛況。カードの販売だけで、年間100億
円から200億円の市場になっているという(経済誌・00年前後)。しかしこれはあくまでも表の
数字。闇から闇へと動いているお金はその数倍はあるとみてよい。

たとえば今、「融合カード」は、発売中止になっている(注)。子どもたちがそのカードを手に入
れるためには、交換するか、友だちから買うしかない。希少価値がある分だけ、値段も高い。
しかも、だ。子どもたちは自分の意思というよりは、おとなたちの醜い商魂に操られるまま、そ
うしている。しかしこんなことが子どもの世界で、許されてよいのか。野放しになってよいのか。

(注)この原稿を書いた2001年はじめには発売中止になっていたが、2001年の終わりには
再び発売されているとのこと。

●はびこるカルト信仰

 ある有名なロックバンドのHという男が自殺したとき、わかっているだけでも女性を中心に、3
〜4名の若者が、そのあとを追い、自殺した。家族によって闇から闇へと隠された自殺者とな
ると、もっと多いはず。自殺をする人にはそれなりの人生観があり、また理由があってそうする
のだろうから、私のような部外者がとやかく言っても始まらない。しかしそれがもし、あなたの子
どもであるとしたら……。こんなこともあった。

 1997年の3月、ヘールボップすい星が地球に近づいたとき、世にも不可解な事件がアメリカ
で起きた。「ハイアーソース」と名乗るカルト教団による、集団自殺事件である。

当時の新聞記事によると、この教団では、「ヘールボップすい星とともに現われる宇宙船とラン
デブーして、あの世に旅立つ」と、教えていたという。結果、39人の若者が犠牲になった。

この種の事件でよく知られている事件に、1978年にガイアナで起きた人民寺院信徒による集
団自殺事件がある。この事件では、何と914名もの信者が犠牲になっている。なぜこんな忌ま
わしい事件が起きたのか。また起きるのか。「日本ではこんな事件は起きない」と考えるのは
早計である。子どもたちの世界にも大きな異変が起きつつある。現実と空想の混濁が、それで
ある。

 そのよく知られた事件に、あの『淳君殺害事件』がある。それについて書く前に、「右脳教育」
について、少しだけ、考えてみたい。

●左脳と右脳

 左脳は言語をつかさどり、右脳はイメージをつかさどる(R・W・スペリー)。その右脳をきたえ
ると、たとえば次のようなことができるようになるという(七田眞氏)。

(1)インスピレーション、ひらめき、直感が鋭くなる(波動共振)、
(2)受け取った情報を映像に変えたり、思いどおりの映像を心に描くことができる(直観像
化)、
(3)見たものを映像的に、しかも瞬時に記憶することができる(フォトコピー化)、
(4)計算力が速くなり、高度な計算を瞬時にできる(高速自動処理)など。こうした事例は、現
場でもしばしば経験する。

●こだわりは能力ではない

たとえば暗算が得意な子どもがいる。頭の中に仮想のそろばんを思い浮かべ、そのそろばん
を使って、瞬時に複雑な計算をしてしまう。あるいは速読の得意な子どもがいる。読むというよ
りは、文字の上をななめに目を走らせているだけ。それだけで本の内容を理解してしまう。

しかし現場では、それがたとえ神業に近いものであっても、教育の世界では、「神童」というの
は認めない。もう少しわかりやすい例で言えば、100種類近い自動車の、その一部を見ただ
けでメーカーや車種を言い当てたとしても、それを能力とは認めない。「こだわり」とみる。

たとえば自閉症の子どもがいる。このタイプの子どもは、ある特殊な分野に、ふつうでないこだ
わりを見せることが、よく知られている。全国の電車の発車時刻を暗記したり、音楽の最初の
一小節を聞いただけで、その音楽の題名を言い当てたりするなど。つまりこうしたこだわりが強
ければ強いほど、むしろ心のどこかに、別の問題が潜んでいるとみる。

●論理や分析をつかさどるのは左脳

 そこで右脳教育を信奉する人たちは、有名な科学者や芸術家の名前を取りあげ、そうした成
果の陰には、発達した右脳があったと説く。しかしこうした科学者や芸術家ほど、一方で、変人
というイメージも強い。つまりふつうでないこだわりが、その人をして、並はずれた人物にしたと
考えられなくもない。

 言いかえると、右脳が創造性やイメージの世界を支配するとしても、右脳型人間が、あるべ
き人間の理想像ということにはならない。むしろゆっくりと言葉を積み重ねながら(=論理)、他
人の心を静かに思いやること(=分析)ができる子どものほうが、望ましい子どもということにな
る。その論理や分析をつかさどるのは、右脳ではなく、左脳である。

●右脳教育は慎重に

 右脳教育が脳のシステムの完成したおとなには、有効な方法であることは、私も認める。し
かしだからといって、それを脳のシステムが未発達な子どもに応用するのは、慎重でなければ
ならない。脳にはその年齢に応じた発達段階があり、その段階を経て、論理や分析を学ぶ。右
脳ばかりを刺激すればどうなるか? 一つの例として、神戸でおきた『淳君殺害事件』をあげる
研究家がいる(福岡T氏ほか)。

●少年Aは直観像素質者

 あの事件を引き起こした少年Aの母親は、こんな手記を残している。いわく、「(息子は)画数
の多い難しい漢字も、一度見ただけですぐ書けました」「百人一首を一晩で覚えたら、5000円
やると言ったら、本当に一晩で百人一首を暗記して、いい成績を取ったこともあります」(「少年
A、この子を生んで」文藝春秋)と。

 少年Aは、イメージの世界ばかりが異常にふくらみ、結果として、「幻想や空想と現実の区別
がつかなくなってしまった」(同書)ようだ。

その少年Aについて、鑑定した専門家は、「(少年Aは)直観像素質者(一瞬見た映像をまるで
目の前にあるかのように、鮮明に思い出すことができる能力のある人)であって、(それがこの
非行の)一因子を構成している」(同書)という結論をくだしている。

 要はバランスの問題。左脳教育であるにせよ右脳教育であるにせよ、バランスが大切。子ど
もに与える教育は、いつもそのバランスを考えながらする。

●才能とこだわり

 ところでここにも書いたように、たとえば自閉症の子どもが、ふつうでない「こだわり」を見せる
ことは、よく知られている。たとえば、CDを何枚も集めたり、ゲームソフトを、何千個も集めたり
するなど。

 先にも書いたように、そういった「こだわり」が、神業的なものになることもある。

 が、こうした「こだわり」は、才能なのか。それとも才能ではないのか。一般論としては、教育
の世界では、繰りかえすが、たとえそれが並はずれた「力」であっても、こうした特異な「力」は、
才能とは認めない。たとえば瞬時に、難解な計算ができる。あるいは、20ケタの数字を暗記で
きるなど。あるいは一回、サーッと曲を聞いただけで、それをそっくりそのまま、ピアノで演奏で
きた子どももいた。まさに神業(わざ)的な「力」ということになるが、やはり「才能」とは認めな
い。「こだわり」とみる。

 教育が教育となりうるためには、普遍性(だれにも応用しうるもの)や、再現性(同じことをす
れば、みながそうなる)、が必要である。そしてそういったものが、教育プロセスとして、確立さ
れなければならない。もっと言えば「だからどうなの?」という部分がない「力」は、教育の世界
では、「力」とは認めない。

 ここで取りあげた、「少年A」については、精神鑑定の結果、「直観像素質者※」と鑑定されて
いる。直観像素質者というのは、瞬間見ただけで、見たものをそのまま脳裏に焼きつけてしま
うことができる子どもをいう。もっとわかりやすく言えば、空想の世界が、かぎりなくふくらんでし
まい、空想と現実の世界の区別がつかなくなってしまった子どもということになる。

「少年A」も、一晩で百人一首を暗記できるような力をもっていた。そういう特異な「力」が、あの
悲惨な事件を引き起こす遠因になったと、考えられなくもない。

●才能とは何か

 と、なると、改めて才能とは何かということになる。ひとつの条件として、子ども自身が、その
「力」を、意識しているかどうかということがある。たとえば練習に練習を重ねて、サッカーの技
術をみがくというのは才能だが、列車の時刻表を見ただけで、それを暗記できてしまうというの
は、才能ではない。

 つぎに、才能というのは、人格のほかの部分とバランスがとれていなければならない。まさに
それだけしかできないというのであれば、それは才能ではない。たとえば豊かな知性、感性、
理性、経験が背景にあって、その上ですばらしい曲を作曲できるのは、才能だが、まだそうし
た背景のない子どもが、一回曲を聞いただけで、その曲が演奏できるというのは、才能ではな
い。
 
 脳というのは、ともすれば欠陥だらけの症状を示すが、同じように、ともすれば、並はずれ
た、「とんでもない力」を示すこともある。私も、こうした「とんでもない力」を、しばしば経験してい
る。印象に残っている子どもに、S君(中学生)がいた。

●一小節を聞いただけで、曲名を当てた、S君

ここに書いた、「クラッシック音楽の、最初の一小節を聞いただけで、曲名と作曲者を言い当て
た子ども」というのが、その子どもだが、一方で、金銭感覚がまったくなかった。ある程度の計
算はできたが、「得をした」「損をした」「増えた」「減った」ということが、まったく理解できなかっ
た。

1000円と2000円のどちらが多いかと聞いても、それがわからなかった。1000円程度のも
のを、200円くらいのものと交換しても、損をしたという意識そのものがなかった。母親は、S
君の特殊な能力(?)ばかりをほめ、「うちの子は、もっとできるはず」とがんばったが、しかしそ
れはS君の「力」ではなかった。

 教育の世界で「才能」というときは、当然のことながら、教育とかみあわなければならない。
「かみあう」というのは、それ自体が、教育できるものでなければならないということ。「教育する
ことによって、伸ばすことができること」を、才能という。それが先に書いた、「教育プロセス」と
いうことになる。

が、それだけでは足りない。その方法が、ほかの子どもにも、同じように応用できなければなら
ない。またそれができるから、教育という。つまりその子どもしかできないような、特異な「力」
は、才能ではない。

 要するに、「だからどうなの?」という部分がないのは、才能とは言えない。「瞬間に見ただけ
で、車の車種から型、メーカー名まで言える子どもがいたとする。しかしそれができたからとい
って、だから、どうだというのか?

 こう書くと、こだわりをもちつつ、懸命にがんばっている子どもを否定しているようにとらえられ
るかもしれないが、それは誤解である。多かれ少なかれ、私たちは、ものごとにこだわること
で、さらに自分の才能を伸ばすことができる。

現に今、私は電子マガジンを、ほとんど2日おきに出版している。毎日そのために、数時間。
土日には、4、5時間を費やしている。その原動力となっているのは、実は、ここでいう「こだわ
り」かもしれない。

時刻表を覚えたり、音楽の一小節を聞いただけで曲名を当てるというのは、あまり役にたたな
い「こだわり」ということになる。が、中には、そうした「こだわり」が花を咲かせ、みごとな才能と
なって、世界的に評価されるようになった人もいる。あるいはひょっとしたら、私たちが今、名前
を知っている多くの作曲家も、幼少年時代、そういう「こだわり」をもった子どもだったかもしれ
ない。そういう意味では、「こだわり」を、頭から否定することもできない。

 しかしその「こだわり」には、いつも、一定の限度がある。「こだわり」が限度を超えたときに、
さまざまな問題が生ずる。

●カルト性をもつゲーム

ところで、最近のアニメやゲームの中には、カルト性をもったものも多い。今はまだ娯楽の範囲
だからよいようなものの、もしこれらのアニメやゲームが、思想性をもったらどうなるか。

仮にポケモンのサトシが、「子どもたちよ、未来は暗い。一緒に死のう」と言えば、それに従って
しまう子どもが続出するかもしれない。そうなれば、言論の自由だ、表現の自由だなどと、のん
きなことを言ってはおれない。あと追い自殺した若者たちは、その延長線上にいるにすぎな
い。

 思いだしてみればよい。旧ソ連崩壊のときロシアで、旧東ドイツ崩壊のときドイツで、それぞ
れカルト教団が急速に勢力を伸ばした。社会情勢が不安定になり、人々が心のよりどころをな
くしたとき、こうしたカルト教団が急速に勢力を伸ばす。終戦直後の日本がそうだったが、最近
でも、経済危機や環境問題、食糧問題にかこつけて、急速に勢力を拡大しているカルト教団が
ある。

あやしげなパワーや念力、超能力を売りものにしている。「金持ちになれる」とか「地球が滅亡
するときには、天国へ入れる」とか教えるカルト教団もある。フランスやベルギーでは、国をあ
げてこうしたカルト教団への監視を強めているが、この日本ではまったくの野放し。果たしてこ
のままでよいのか。子どもたちの未来は、本当に安全なのか。あるいはあなた自身はだいじょ
うぶなのか。あなたの子どもが犠牲者になってからでは遅い。このあたりで一度、腰を落ちつ
けて、子どもの世界をじっくりとながめてみてほしい。

●ゲーム脳

 さらに最近では、急に脚光を浴びてきた話題に、「ゲーム脳」がある。ゲームづけになった脳
ミソを「ゲーム脳」いう。このタイプの脳ミソには、特異的な特徴がみられるという。しかし、「ゲ
ーム脳」とは、何か。NEWS WEB JAPANは、つぎのように報道している(05年8月11
日)。

『脳の中で、約35%をしめる前頭葉の中に、前頭前野(人間の拳程の大きさで、記憶、感情、
集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分)
という、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔がある。

この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎると働か
なくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるという。それを科学的に証明したのが、日
大大学院の森教授である』(以上、NEWS WEB JAPAN※)。

 つまりゲーム脳になると、管理能力全般にわたって、影響が出てくるというわけである。この
ゲーム脳については、すでに、さまざまな分野で話題になっているから、ここでは、省略する。
要するに、子どもは、ゲームづけにしてはいけないということ。

 が、私がここで書きたいのは、そのことではない。

 この日本では、(世界でもそうかもしれないが)、ゲームを批判したり、批評したりすると、もの
すごい抗議が殺到するということ。上記の森教授のもとにも、「多くのいやがらせが、殺到して
いる」(同)という。

 考えてみれば、これは、おかしなことではないか。たかがゲームではないか(失礼!)。どうし
てそのゲームのもつ問題性を指摘しただけで、抗議の嵐が、わき起こるのか?

 M教授らは、「ゲームばかりしていると、脳に悪い影響を与えますよ」と、むしろ親切心から、
そう警告している。それに対して、(いやがらせ)とは!

●ポケモンカルト

 実は、同じことを私も経験している。5、6年前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)という本
を書いた。そのときも、私のところのみならず、出版社にも、抗議の嵐が殺到した。名古屋市
にあるCラジオ局では、1週間にわたって、私の書いた本をネタに、賛否両論の討論会をつづ
けたという。が、私が驚いたのは、抗議そのものではない。そうした抗議をしてきた人のほとん
どが、子どもや親ではなく、20代前後の若者、それも男性たちであったということ。

 どうして、20代前後の若者たちが、子どものゲームを批評しただけで、抗議をしてくるのか?
 出版社の編集部に届いた抗議文の中には、日本を代表する、パソコン雑誌の編集部の男性
からのもあった。

 「子どもたちの夢を奪うのか!」
 「幼児教育をしながら、子どもの夢が理解できないのか!」
 「ゲームを楽しむのは、子どもの権利だ!」とか何とか。

 私の本の中の、ささいな誤字や脱字、どうでもよいような誤記を指摘してきたのも多かった。
「貴様は、こんな文字も書けないのに、偉そうなことを言うな」とか、「もっと、ポケモンを勉強し
てからものを書け」とか、など。

 (誤字、脱字については、いくら推敲しても、残るもの。100%、誤字、脱字のない本などな
い。その本の原稿も、一度、プロの推敲家の目を経ていたのだが……。)

 反論しようにも、どう反論したらよいかわからない。そんな低レベルの抗議である。で、そのと
きは、「そういうふうに考える人もいるんだなあ」という程度に考えて、私はすませた。

 で、今回も、森教授らのもとに、「いやがらせが、殺到している」(同)という。

 これはいったい、どういう現象なのか? どう考えたらよいのか?

●カルト的連帯感をもつゲーマーたち

 一つ考えられることは、ゲームに夢中になっている、ゲーマーたちが、横のつながりをもちつ
つ、カルト化しているのではないかということ。ゲームを批判されるということは、ゲームに夢中
になっている自分たちが批判されるのと同じ……と、彼らは、とらえるらしい(?)。おかしな論
理だが、そう考えると、彼らの心理状態が理解できる。

 実は、カルト教団の信者たちも、同じような症状を示す。自分たちが属する教団が批判され
たりすると、あたかも自分という個人が批判されたかのように、それに猛烈に反発したりする。
教団イコール、自分という一体感が、きわめて強い。

 あのポケモン全盛期のときも、こんなことがあった。私が、子どもたちの前で、ふと一言、「ピ
カチューのどこがかわいいの?」ともらしたときのこと。子どもたちは、その一言で、ヒステリー
状態になってしまった。ギャーと、悲鳴とも怒号ともわからないような声をあげる子どもさえい
た。

 そういう意味でも、ゲーム脳となった脳ミソをもった人たちと、カルト教団の信者たちとの間に
は、共通点が多い。たとえばゲームにハマっている子どもを見ていると、どこか狂信的。現実と
空想の世界の区別すら、できなくなる子どもさえいる。たまごっちの中の生き物(?)が死んだ
だけで、ワーワーと大泣きした子ども(小1女児)もいた。

これから先、ゲーム脳の問題は、さらに大きく、マスコミなどでも、とりあげられるようになるだ
ろう。これからも注意深く、監視していきたい。

 ところで、今日の(韓国)の新聞によれば、テレビゲームを50時間もしていて、死んでしまっ
た若者がいるそうだ。たかがゲームと、軽くみることはできない。

注※……K教授は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)と、ファンクショナルMRI(機能的磁
気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置で、実際にゲームを使い、数十人を測定した。
そして、2001年に世界に先駆けて、「テレビゲームは前頭前野をまったく発達させることはな
く、長時間のテレビゲームをすることによって、脳に悪影響を及ぼす」という実験結果をイギリ
スで発表した。

この実験結果が発表された後に、ある海外のゲーム・ソフトウェア団体は「非常に狭い見識に
基づいたもの」というコメントを発表し、教授の元には多くの嫌がらせも殺到したという(NEWS
 WEB JAPANの記事より)。

●M君、小3のケース

 M君の姉(小5)が、ある日、こう言った。「うちの弟、夜中でも、起きて、ゲームをしている!」
と。

 M君の姉とM君(小3)は、同じ部屋で寝ている。二段ベッドになっていて、上が、姉。下が、
M君。そのM君が、「真夜中に、ガバッと起きて、ゲームを始める。そのまま朝まで、しているこ
ともある」(姉の言葉)と。

 M君には、特異な症状が見られた。

 祖父が、その少し前、なくなった。その通夜の席でのこと。M君は、たくさん集まった親類の人
たちの間で、ギャーギャーと笑い声で、はしゃいでいたという。「まるで、パーティでもしているか
のようだった」(姉の言葉)と。

 祖父は、人一倍、M君をかわいがっていた。その祖父がなくなったのだから、M君は、さみし
がっても、よいはず。しかし、「はしゃいでいた」と。

 私はその話を聞いて、M君はM君なりに、悲しさをごまかしていたのだろうと思った。しかし別
の事件が、そのすぐあとに起きた。

 M君が、近くの家の庭に勝手に入り込み、その家で飼っていた犬に、腕をかまれて、大けが
をしたというのだ。その家の人の話では、「庭には人が入れないように、柵がしてあったのです
が、M君は、その柵の下から、庭へもぐりこんだようです」とのこと。

 こうした一連の行為の原因が、すべてゲームにあるとは思わないが、しかしないとも、言い切
れない。こんなことがあった。

 M君の姉から、真夜中にゲームをしているという話を聞いた母親が、M君から、ゲームを取り
あげてしまった。その直後のこと。M君は狂ったように、家の中で暴れ、最後は、自分の頭をガ
ラス戸にぶつけ、そのガラス戸を割ってしまったという。

 もちろんM君も、額と頬を切り、病院で、10針前後も、縫ってもらうほどのけがをしたという。
そのあまりの異常さに気づいて、しばらくしてから、M君の母親が、私のところに相談にやって
きた。

 私は、日曜日にときどき、M君を教えるという形で、M君を観察させてもらうことにした。その
ときもまだ、腕や顔に、生々しい、傷のあとが、のこっていた。

 そのM君には、いくつかの特徴が見られた。

(1)まるで脳の中の情報が、乱舞しているかのように、話している話題が、めまぐるしく変化し
た。時計の話をしていたかと思うと、突然、カレンダーの話になるなど。

(2)感情の起伏がはげしく、突然、落ちこんだかと思うと、パッと元気になって、ギャーと騒ぐ。
イスをゴトゴト動かしたり、机を意味もなく、バタンとたたいて見せたりする。

(3)頭の回転ははやい。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、あっという間に、計算問題(割
り算)をすませてしまう。そして「終わったから、帰る」などと言って、あと片づけを始める。

(4)もちろんゲームの話になると、目の色が変わる。彼がそのとき夢中になっていたのは、N
社のGボーイというゲームである。そのゲーム機器を手にしたとたん、顔つきが能面のように無
表情になる。ゲームをしている間は、目がトロンとし、死んだ、魚の目のようになる。

 M君の姉の話では、ひとたびゲームを始めると、そのままの状態で、2〜3時間はつづける
そうである。長いときは、5時間とか、6時間もしているという。(同じころ、12時間もゲームをし
ていたという中学生の話を聞いたことがある。)

 以前、「脳が乱舞する子ども」という原稿を書いた(中日新聞発表済み)。話は少しそれるが、
それをここに紹介する。もう4、5年前に書いた原稿だが、状況は改善されるどころか、悪化し
ている。

●収拾がつかなくなる子ども

 一方、学校という場でも、こんな珍現象が起きつつある。

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ
ンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよ
う。動作も一貫性がない。騒々しい。

ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そしてそ
のままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目
が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。30年前には
このタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。小1児で、10人に2人
はいる。

今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、そ
れだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒
ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 こうした現象だけが原因とは言えないが、そのため、「学級指導の困難に直面した経験があ
るか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育
大学秋葉英則氏調査)。

「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名
以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子ども
については、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友
だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破った
り捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。

●ふえる学級崩壊

 学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日教組と
全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告されてい
る。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道や
東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにされた」
(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。

 北海道のある地方都市で、小学一年生70名について調査したところ、
 授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない ……19人
 教師の指示を行動に移せない        ……17人
 何も言わず教室の外に出て行く       ……9人、など(同大会)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。

「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、
キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわ
からなくなった」とこぼす。

日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(1
4%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と続く。そしてその結果
として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という
先生が、60%(同調査)もいるそうだ。

●心を病む教師たち

 こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する
約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年210人から2
20人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は355人にふえていること
がわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。

この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、96年
度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。

この数字は全休職者の約52%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171人で、
精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ
状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係
のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊
家庭は少なくなった。

むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発
的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きてい
る。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビ
やゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。

「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もし
ませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。
速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。
速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その
証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができ
ない。

浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、お
しっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直感的
で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさど
るのは、左脳である(R・W・スペリー)。

テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新し
い刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、こ
こにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。

●その対策

 現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラスを1
クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとっている
(共同通信社まとめ)。

また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学1、2年について、
新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県では40人いるクラスを、2人担任制に
し、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だという。

福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30〜36人のばあいでも、もう1人教
員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学校で
は、6年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入している。大分
県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施している(01年度調べ)。

●失行

 近年、さらに、「失行」という言葉が、よく聞かれるようになった。96年に、ドイツのシュルツと
いう医師が使い始めた言葉だという。

 失行というのは、本人が、わかっているのに、できない状態をいう。たとえば風呂から出たと
き、パジャマに着がえなさいと、だれかが言ったとする。本人も、「風呂から出たら、パジャマに
着がえなければならない」と、理解している。しかし風呂から出ると、手当たり次第に、そこらに
ある衣服を身につけてしまう。

 原因は、脳のどこかに何らかのダメージがあるためとされる。

 それはさておき、人間が何かの行動をするとき、脳から、同時に別々の信号が発せられると
いう。行動命令と抑制命令である。

 たとえば腕を上下させるときも、腕を上下させろという命令と、その動きを抑制する命令の二
つが、同時に発せられる。

 だから人間は、(あらゆる動物も)、スムーズな行動(=運動行為)ができる。行動命令だけだ
と、まるでカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。抑制命令が強すぎると、行動その
ものが、鈍くなり、動作も緩慢になる。

 精神状態も、同じように考えられないだろうか。

●抑制命令

 たとえば何かのことで、カッと頭に血がのぼるようなときがある。激怒した状態を思い浮かべ
ればよい。

 そのとき、同時に、「怒るな」という命令も、働く。激怒するのを、精神の行動命令とするなら、
「怒るな」と命令するのは、精神の抑制命令ということになる。

 この「失行」についても、精神の行動命令と、抑制命令という考え方を当てはめると、それなり
に、よく理解できる。

 たとえば母親が、子どもに向かって、「テーブルの上のお菓子は、食べてはだめ」「それは、こ
れから来る、お客さんのためのもの」と話したとする。

 そのとき子どもは、「わかった」と言って、その場を去る。が、母親の姿が見えなくなったとた
ん、子どもは、テーブルのところへもどってきて、その菓子を食べてしまう。

 それを知って、母親は、子どもを、こう叱る。「どうして、食べたの! 食べてはだめと言った
でしょ!」と。

 このとき、子どもは、頭の中では「食べてはだめ」ということを理解していた。しかし精神の抑
制命令が弱く、精神の行動命令を、抑制することができなかった。だから子どもは、菓子を食
べてしまった。

●前頭連合野

 ……実は、こうした精神のコントロールをしているのが、前頭連合野と言われている。そして
この前頭連合野の働きが、何らかの損傷を受けると、その人は、自分で自分を管理できなくな
ってしまう。いわゆるここでいう「失行」という現象が、起きる。

 前述のWEB・NEWSの記事によれば、「(前頭連合野は)記憶、感情、集団でのコミュニケ
ーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分」とある。

 どれ一つをとっても、良好な人間関係を維持するためには、不可欠な働きばかりである。一
説によれば、ゲーム脳の子どもの脳は、この前頭連合野が、「スカスカの状態」になっているそ
うである。

 言うまでもなく、脳には、そのときどきの発達の段階で、「適齢期」というものがある。その適
齢期に、それ相当の、それにふさわしい発達をしておかないと、あとで補充したり、修正したり
するということができなくなる。

 ここにあげた、感情のコントロール、集団におけるコミュニケーション、創造性な学習能力と
いったものも、ある時期、適切な指導があってはじめて、子どもは、身につけることができる。
その時期に、ゲーム脳に示されるように、脳の中でもある特異な部分だけが、異常に刺激され
ることによって、脳のほかの部分の発達が阻害されるであろうことは、門外漢の私にさえ、容
易に推察できる。

 それが「スカスカの脳」ということになる。

 これから先も、この「ゲーム脳」については、注目していきたい。




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●子どもの人格の完成度

 「ゲーム脳」になると、子どもは管理能力を喪失するという。しかしこの現象を、安易に考えて
はいけない。管理能力は、その子ども(人)の人格をも決定する、重要な要素だからである。

 たとえば、子どもの人格の完成度は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。話を先
に進める前に、あなた自身の子どもの人格の完成度はどうか。参考までに、一度、立ち止まっ
て判断してみてほしい。テストの内容、項目は、子ども向けに私がアレンジしてみた。

(7)共感性

Q:友だちに、何か、手伝いを頼まれました。そのとき、あなたの子どもは……。

(4)いつも喜んでするようだ。
(5)ときとばあいによるようだ。
(6)いやがってしないことが多い。

(8)自己認知力

Q:親どうしが会話を始めました。大切な話をしています。そのとき、あなたの子どもは……

(4)雰囲気を察して、静かに待っている。(4点)
(5)しばらくすると、いつものように騒ぎだす。(2点)
(6)聞き分けガなく、「帰ろう」とか言って、親を困らせる。(0点)

(9)自己統制力

Q;冷蔵庫にあなたの子どものほしがりそうな食べ物があります。そのとき、あなたの子どもは
……。

○親が「いい」と言うまで、食べない。安心していることができる。(4点)
○ときどき、親の目を盗んで、食べてしまうことがある。(2点)
○まったくアテにならない。親がいないと、好き勝手なことをする。(0点)

(10)粘り強さ

Q:子どもが自ら進んで、何かを作り始めました。そのとき、あなたの子どもは……。

○最後まで、何だかんだと言いながらも、仕あげる。(4点)
○だいたいは、仕あげるが、途中で投げだすこともある。(2点)
○たいていいつも、途中で投げだす。あきっぽいところがある。(0点)

(11)楽観性

Q:あなたの子どもが、何かのことで、大きな失敗をしました。そのとき、あなたの子どもは…
…。

○割と早く、ケロッとして、忘れてしまうようだ。クヨクヨしない。(4点)
○ときどき思い悩むことはあるようだが、つぎの行動に移ることができる。(2点)
○いつまでもそれを苦にして、前に進めないときが多い。(0点)
 

(12)柔軟性

Q:あなたの子どもの日常生活を見たとき、あなたの子どもは……

○友だちも多く、多芸多才。いつも変わったことを楽しんでいる。(4点)
○友だちは少ないほう。趣味も、限られている。(2点)
○何かにこだわることがある。がんこ。融通がきかない。(0点)

***************************

(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )自分の立場を、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。

 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の高い子
どもとみる(「EQ論」)。

***************************

●順に考えてみよう

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーターが、
「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲し
み、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、その
自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さらにこの
自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、権威主義、世
間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私は何を
したいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているかわから
ない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっきりしない。優柔
不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言っているこ
とを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方を示すことが多
い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子どもの
ばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらにため
て、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけのた
めに使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわらず、お菓
子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口にし
たり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統制力の弱い
子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制力に
分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界を見て
いると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題のある
子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気にな
る。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ子どもも
いる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(7)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向きに、も
のを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしなところ
で、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、悩んだりすること
もある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲気にも
よるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観的と言え
ば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」と。そこで
「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。さらに、「なおらなか
ったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、考える人
もいる。

(8)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。

 一般論として、(がんこ)は、子どもの心の発達には、好ましいことではない。かたくなになる、
かたまる、がんこになる。こうした行動を、固執行動という。広く、情緒に何らかの問題がある
子どもは、何らかの固執行動を見せることが多い。

 朝、幼稚園の先生が、自宅まで迎えにくるのだが、3年間、ただの一度もあいさつをしなかっ
た子どもがいた。

 いつも青いズボンでないと、幼稚園へ行かなかった子どもがいた。その子どもは、幼稚園で
も、決まった席でないと、絶対にすわろうとしなかった。

 何かの問題を解いて、先生が、「やりなおしてみよう」と声をかけただけで、かたまってしまう
子どもがいた。

 先生が、「今日はいい天気だね」と声をかけたとき、「雲があるから、いい天気ではない」と、
最後までがんばった子どもがいた。

 症状は千差万別だが、子どもの柔軟性は、柔軟でない子どもと比較して知ることができる。
柔軟な子どもは、ごく自然な形で、集団の中で、行動できる。

+++++++++++++++++++++

 EQ(Emotional Intelligence Quotient)は、アメリカのイエール大学心理学部教授。ピーター・
サロヴェイ博士と、ニューハンプシャー大学心理学部教授ジョン・メイヤー博士によって理論化
された概念で、日本では「情動(こころ)の知能指数」と訳されている(Emotional Educatio
n、by JESDA Websiteより転写。)

++++++++++++++++++++

●EQ論

 ついでながら、EQ論について以前、書いた原稿を添付しておく。

 ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emotional Intell
igence Quotient)」、つまり、「情動の知能指数」では、主に、つぎの3点を重視する。

(4)自己管理能力
(5)良好な対人関係
(6)他者との良好な共感性

 ここではP・サロヴェイのEQ論を、少し発展させて考えてみたい。

 自己管理能力には、行動面の管理能力、精神面の管理能力、そして感情面の管理能力が
含まれる。

●行動面の管理能力

 行動も、精神によって左右されるというのであれば、行動面の管理能力は、精神面の管理能
力ということになる。が、精神面だけの管理能力だけでは、行動面の管理能力は、果たせな
い。

 たとえば、「銀行強盗でもして、大金を手に入れてみたい」と思うことと、実際、それを行動に
移すことの間には、大きな距離がある。実際、仲間と組んで、強盗をする段階になっても、その
時点で、これまた迷うかもしれない。

 精神的な決断イコール、行動というわけではない。たとえば行動面の管理能力が崩壊した例
としては、自傷行為がある。突然、高いところから、発作的に飛びおりるなど。その人の生死に
かかわる問題でありながら、そのコントロールができなくなってしまう。広く、自殺行為も、それ
に含まれるかもしれない。

 もう少し日常的な例として、寒い夜、ジョッギングに出かけるという場面を考えてみよう。

そういうときというのは、「寒いからいやだ」という抵抗感と、「健康のためにはしたほうがよい」
という、二つの思いが、心の中で、真正面から対立する。ジョッギングに行くにしても、「いやだ」
という思いと戦わねばならない。

 さらに反対に、悪の道から、自分を遠ざけるというのも、これに含まれる。タバコをすすめら
れて、そのままタバコを吸い始める子どもと、そうでない子どもがいる。悪の道に染まりやすい
子どもは、それだけ行動の管理能力の弱い子どもとみる。

 こうして考えてみると、私たちの行動は、いつも(すべきこと・してはいけないこと)という、行動
面の管理能力によって、管理されているのがわかる。それがしっかりとできるかどうかで、その
人の人格の完成度を知ることができる。

 この点について、フロイトも着目し、行動面の管理能力の高い人を、「超自我の人」、「自我の
人」、そうでない人を、「エスの人」と呼んでいる。

●精神面の管理能力

 私には、いくつかの恐怖症がある。閉所恐怖症、高所恐怖症にはじまって、スピード恐怖症、
飛行機恐怖症など。

 精神的な欠陥もある。

 私のばあい、いくつか問題が重なって起きたりすると、その大小、軽重が、正確に判断できな
くなってしまう。それは書庫で、同時に、いくつかのものをさがすときの心理状態に似ている。
(私は、子どものころから、さがじものが苦手。かんしゃく発作のある子どもだったかもしれな
い。)

 具体的には、パニック状態になってしまう。

 こうした精神作用が、いつも私を取り巻いていて、そのつど、私の精神状態に影響を与える。

 そこで大切なことは、いつもそういう自分の精神状態を客観的に把握して、自分自身をコント
ロールしていくということ。

 たとえば乱暴な運転をするタクシーに乗ったとする。私は、スピード恐怖症だから、そういうと
き、座席に深く頭を沈め、深呼吸を繰りかえす。スピードがこわいというより、そんなわけで、そ
ういうタクシーに乗ると、神経をすり減らす。ときには、タクシーをおりたとたん、ヘナヘナと地面
にすわりこんでしまうこともある。

 そういうとき、私は、精神のコントロールのむずかしさを、あらためて、思い知らされる。「わか
っているけど、どうにもならない」という状態か。つまりこの点については、私の人格の完成度
は、低いということになる。

●感情面の管理能力

 「つい、カーッとなってしまって……」と言う人は、それだけ感情面の管理能力の低い人という
ことになる。

 この感情面の管理能力で問題になるのは、その管理能力というよりは、その能力がないこと
により、良好な人間関係が結べなくなってしまうということ。私の知りあいの中にも、ふだんは、
快活で明るいのだが、ちょっとしたことで、激怒して、怒鳴り散らす人がいる。

 つきあう側としては、そういう人は、不安でならない。だから結果として、遠ざかる。その人は
いつも、私に電話をかけてきて、「遊びにこい」と言う。しかし、私としては、どうしても足が遠の
いてしまう。

 しかし人間は、まさに感情の動物。そのつど、喜怒哀楽の情を表現しながら、無数のドラマを
つくっていく。感情を否定してはいけない。問題は、その感情を、どう管理するかである。

 私のばあい、私のワイフと比較しても、そのつど、感情に流されやすい人間である。(ワイフ
は、感情的には、きわめて完成度の高い女性である。結婚してから30年近くになるが、感情
的に混乱状態になって、ワーワーと泣きわめく姿を見たことがない。大声を出して、相手を罵倒
したのを、見たことがない。)

 一方、私は、いつも、大声を出して、何やら騒いでいる。「つい、カーッとなってしまって……」
ということが、よくある。つまり感情の管理能力が、低い。

 が、こうした欠陥は、簡単には、なおらない。自分でもなおそうと思ったことはあるが、結局
は、だめだった。

 で、つぎに私がしたことは、そういう欠陥が私にはあると認めたこと。認めた上で、そのつど、
自分の感情と戦うようにしたこと。そういう点では、ものをこうして書くというのは。とてもよいこと
だと思う。書きながら、自分を冷静に見つめることができる。

 また感情的になったときは、その場では、判断するのを、ひかえる。たいていは黙って、その
場をやり過ごす。「今のぼくは、本当のぼくではないぞ」と、である。

(2)の「良好な対人関係」と、(3)の「他者との良好な共感性」については、また別の機会に考
えてみたい。

●終わりに……

 子どもたちを取り巻く環境は、現在、急速に変化している。恐ろしいほどの勢いである。しか
も、こうした変化は、社会の水面下で起きている。毎日、多くの子どもたちと接している私です
ら、気がつかないことが多い。

 そうした変化の中でも、最大のものはといえば、言うまでもなく、ゲームであり、テレビゲーム
である。こうした変化が、子どもたちの心にどのような変化をおよぼしつつあるか。

 そこで文部科学省は、ゲームやテレビなどを含む生活環境要因が子どもの脳にどう影響を
与えるかを研究するために、2005年度から1万人の乳幼児について、10年間長期追跡調査
することを決めた。この中で、ゲームの影響も調べられるという(「脳科学と教育」研究に関する
検討会の答申)。

 近く中間報告が、公表されるだろう。が、しかしここで誤解してはいけないのは、「ゲームは危
険でないから、子どもにやらせろ」ということではない。「ゲームは、危険かもしれないから、や
らせないほうがよい」と、考えるのが正しい。とくに動きのはげしい、反射運動型のゲームは、
避けたほうがよい。

 具体的には、私は、つぎのような方法を提唱する。

(1)ゲーム機器の所有権、占有権は、親に!

 もともと高額なゲーム機器である。そうした機器を安易に子どもに与えること自体にも、問題
がある。されはさておき、ゲーム機器、およびそのソフロ類の所有権、占有権は、一義的に
は、親にあるとする。またそういう前提で、考える。

 だから子どもがゲームをしたいときは、子どもは、親から貸してもらう。そういう立場を、徹底
する。子どもの立場からすれば、自由にゲームをできないということになるが、そういう形で、親
は、子どものゲームに干渉することができる。

 (ゲーム機器メーカーには、ゲーム機器に、カギのようなものでロックできないかと、提案して
いる。こうすれば、親の許可があったときだけ、子どもはゲームをすることができる。)

(2)反射神経運動型のゲームは避ける

 テレビゲームといっても、いろいろある。将棋や囲碁のような、オーソドックスなものから、戦
争ゲームのようなものまで。その中には、都市形成ゲームや、鉄道敷設ゲームのようなものも
ある。

 一方、アメリカでさえ発売禁止になったような、意味のない殺戮(さつりく)ゲームが、この日本
では、野放しになっているというケースもある。こうしたゲームが子どもの精神の発育によくない
ことは、言うまでもない。

 で、あえて言えば、こうしたゲームのほか、動きがきわめて速い、反射神経運動型のゲーム
は、子どもには、避けたほうがよい。私もときどき、ショッピングセンターなどで、体験をさせても
らうが、あまりの速さに目が回る……というよりは、しばらくしていると、気がヘンにすらなる。

 そういうゲームを、3〜6歳の子どもたちが、一心不乱に画面を見つめながらしている……。
この異常さに、まず、おとなの私たちが、気がつくべきである。

 忘れてならないのは、97年に起きた「ポケモンパニック事件」である。

●ポケモンパニック事件

 劇場で映画を見るとどうなるかを、子どもたち(小学4〜6年生)に聞いてみた。

    見ると、たいてい頭が痛くなる……1人
    見ると、ときどき痛くなる  ……2人
    ほぼ何ともない       ……2人(そのときの体の調子によるとのこと)
    何ともない         ……4人
    眠くなったりする      ……1人

 この質問をした背景に、私自身は、「いつも痛くなる」ということがある。先日もデパートで、子
どもたちがテレビゲーム(「スーパーマリオ・サンシャイン」)をしているのを、横で見ていたが、
それだけで、私は頭が痛くなってしまった。どういうメカニズムによるのかはわからないが、日
常的でない刺激が、脳にダメージを与えるらしい。

年齢的な問題もある。最近では家庭でビデオを見ていても、頭痛が起きることがある。いや、
子どもだって無難ではない。この調査でもわかるように、10人中、3人までが、「痛くなる」「とき
どき痛くなる」と答えている。

 ここでいう「日常的でない刺激」というのは、はげしい光の点滅による刺激をいう。その刺激
が脳にある種の緊張感をつくり、その緊張感が頭痛を起こすということは、容易に察しがつく。
よい例が、97年に起きた「ポケモンパニック事件」である。

その年の12月16日、テレビ東京系列のポケモンを見ていた子どもが、光過敏性てんかんと
いう、わけのわからない症状を示して倒れた。はげしいけいれんと、嘔吐。その日の午後11時
までにNHKが確認したところ、埼玉県下だけでも、59人。全国で382人。さらに翌々日の18
日までには、その数は全国で、0歳児から58歳の人まで、750人にもなった。気分が悪くなっ
たという被害者まで含めると、全国で1万人以上! 大阪では発作を起こして、呼吸障害にな
った上、意識不明の重症におちいった5歳の子ども(女児)もいた。「酸素不足により脳障害の
後遺症が残るかもしれない」(大阪府立病院)と。たかが映画ではないかと、軽く片づけること
はできない。

 が、問題はここで終わらない。こうした刺激が、子どもから、「論理的にものを考える力」をう
ばう危険性すらある。今、授業中、イメージが乱舞してしまい、静かな指導になじまない子ども
が急増している。これはあくまでも私の推察だが、その理由の一つに、ここでいう「日常的でな
い刺激」があるのでは……? 

法律の世界には、「疑わしきは罰せず」という不文律がある。しかし子どもの世界では、「疑わ
しきは、先手先手で、どんどん罰する」。それが原則である。
(はやし浩司 テレビゲーム ゲーム ポケモンパニック事件)







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●共依存

依存症にも、いろいろある。よく知られているのが、アルコール依存症や、パチンコ依存症な
ど。

もちろん、人間が人間に依存することもある。さしずめ、私などは、「ワイフ依存症」(?)。

しかしその依存関係が、ふつうでなくなるときがある。それを「共依存」という。典型的な例とし
ては、つぎのようなものがある。

夫は、酒グセが悪く、妻に暴力を振るう。仕事はしない。何かいやなことがあると、妻に怒鳴り
散らす。しかし決定的なところまでは、しない。妻の寛容度の限界をよく知っていて、その寸前
でやめる。(それ以上のことすれば、本当に、妻は家を出ていってしまう。)

それに、いつも、暴力を振るっているのではない。日ごろは、やさしい夫といった感じ。サービス
精神も旺盛。ときに、「オレも、悪い男だ。お前のようないい女房をもちながら、苦労ばかりかけ
ている」と、謝ったりする。

一方妻は、妻で、「この人は、私なしでは生きていかれない。私は、この人には必要なのだ。だ
からこの人のめんどうをみるのは、私の努め」と、夫の世話をする。

こうして夫は、妻にめんどうをかけることで、依存し、妻は、そういう夫のめんどうをみることで、
依存する。

ある妻は、夫が働かないから、朝早くに家を出る。そして夜、遅く帰ってくる。子どもはいない。
その妻が、毎朝、夫の昼食まで用意して家を出かけるという。そして仕事から帰ってくるとき
は、必ず、夕食の材料を買って帰るという。

それを知った知人が、「そこまでする必要はないわよ」「ほっておきなさいよ」とアドバイスした。
しかしその妻には、聞く耳がなかった。そうすることが、妻の努めと思いこんでいるようなところ
があった。

つまり、その妻は、自分の苦労を、自分でつくっていたことになる。本来なら、夫に、依存性をも
たせないように、少しずつ手を抜くとか、自分でできることは、夫にさせるといったことが必要だ
った。当然、離婚し、独立を考えてもよいような状態だった。

が、もし、夫が、自分で何でもするようになってしまったら……。夫は、自分から離れていってし
まうかもしれない。そんな不安感があった。だから無意識のうちにも、妻は、夫に、依存心をも
たせ、自分の立場を守っていた。

ところで一般論として、乳幼児期に、はげしい夫婦げんかを見て育った子どもは、心に大きな
キズを負うことが知られている。「子どもらしい子ども時代を過ごせなかったということで、アダ
ルト・チェルドレンになる可能性が高くなるという」(松原達哉「臨床心理学」ナツメ社)。

「(夫婦げんかの多い家庭で育った子どもは)、子どもの人格形成に大きな影響を与えます。こ
のような家庭環境で育った子どもは、自分の評価が著しく低い上、見捨てられるのではないか
という不安感が強く、強迫行動や、親と同じような依存症に陥るという特徴があります。

子ども時代の自由を、じゅうぶんに味わえずに成長し、早くおとなのようなものわかりのよさを
見につけてしまい、自分の存在を他者の評価の中に見いだそうとする人を、『アダルト・チェル
ドレン』と呼んでいます」(稲富正治「臨床心理学」日本文芸社)と。

ここでいう共依存の基本には、たがいにおとなになりきれない、アダルト・チェルドレン依存症と
も考えられなくはない。もちろん夫婦喧嘩だけで、アダルト・チェルドレンになるわけではない。
ほかにも、育児拒否、家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児放棄などによっても、ここでいうような
症状は現れる。

で、「見捨てられるのではないかという不安感」が強い夫が、なぜ妻に暴力を振るうのか……と
いう疑問をもつ人がいるかもしれない。

理由は、簡単。このタイプの夫は、妻に暴力を振るいながら、妻の自分への忠誠心、犠牲心、
貢献心、服従性を、そのつど、確認しているのである。

一方、妻は妻で、自分が頼られることによって、自分の存在感を、作り出そうとしている。世間
的にも、献身的なすばらしい妻と評価されることが多い。だからますます、夫に依存するように
なる。

こうして、人間どうしが、たがいに依存しあうという関係が生まれる。これが「共依存」であるが、
しかしもちろん、この関係は、夫婦だけにはかぎらない。

親子、兄弟の間でも、生まれやすい。他人との関係においても、生まれやすい。

生活力もなく、遊びつづける親。それを心配して、めんどうをみつづける子ども(娘、息子)。親
子のケースでは、親側が、たくみに子どもの心をあやつるということが多い。わざと、弱々しい
母親を演じてみせるなど。

娘が心配して、実家の母に電話をすると、「心配しなくてもいい。お母さん(=私)は、先週買っ
てきた、イモを食べているから……」と。

その母親は、「心配するな」と言いつつ、その一方で、娘に心配をかけることで、娘に依存して
いたことになる。こういう例は多い。

息子や娘のいる前では、わざとヨロヨロと歩いてみせたり、元気なさそうに、伏せってみせたり
するなど。前にも書いたが、ある女性は、ある日、駅の構内で、友人たちとスタスタと歩いてい
る自分の母親を見て、自分の目を疑ってしまったという。

その前日、実家で母親を訪れると、その女性の母親は、壁につくられた手すりにつかまりなが
ら、今にも倒れそうな様子で歩いていたからである。その同じ母親が、その翌日には、友人た
ちとスタスタと歩いていた!

その女性は、つぎのようなメールをくれた。

「母は、わざと、私に心配をかけさせるために、そういうふうに、歩いていたのですね」と。

いわゆる自立できない親は、そこまでする。「自立」の問題は、何も、子どもだけの問題ではな
い。言いかえると、今の今でも、精神的にも、自立できていない親は、ゴマンといる。決して珍し
くない。

で、その先は……。

今度は息子や娘側の問題ということになるが、依存性の強い親をもつと、たいていは、子ども
自身も、依存性の強い子どもになる。マザコンと呼ばれる子どもが、その一例である。

そのマザコンという言葉を聞くと、たいていの人は、男児、もしくは男性のマザコンを想像する
が、実際には、女児、女性のマザコンもすくなくない。むしろ、女児、女性のマザコンのほうが、
男性のそれより、強烈であることが知られている。

女性どうしであるため、目立たないだけ、ということになる。母と成人した息子がいっしょに風呂
に入れば、話題になるが、母と成人した娘がいっしょに風呂に入っても、それほど、話題には
ならない。

こうして親子の間にも、「共依存」が生まれる。

++++++++++++++++++

言うなれば、共依存関係になる夫婦は、その両方、もしくは一方に、情緒的な欠陥、もしくは精
神的な未熟性があるとみてよい。その(心のすき間)を埋めるために、夫や妻を利用する。

 ここにあげたA氏にしても、B氏にしても、(A氏は心筋梗塞だが、しかし同じ血栓性の病気と
いうことで、脳のほうにも、ダメージを受けている可能性は、高い)、脳梗塞による影響とも考え
られなくはない。

 そこでネットを使っていろいろ調べてみると、こんなことがわかった。つまり脳梗塞や心筋梗
塞を起こした人が、さまざまな精神障害的な症状を示すようになるのは、薬の副作用によるも
のも少なくない、ということ。

 それぞれ専門のサイトには、投薬名と、その副作用が列挙してあるので、興味のある人は、
そちらをみたらよい。私は、ヤフーの検索エンジンを使って、「脳梗塞 随伴症状 孤独」で調
べてみた。

 ナルホド!

 簡単には結論づけられないが、A氏もB氏も、何らかの薬を服用している。その結果として、
妄想観念や被害妄想をもちやすくなったと考えられなくはない。A氏の妻は、私のワイフにこう
言った。

 「私がトイレに入っている間、夫は、そのトイレのドアの外で、立って待っているのですよ」と。

 ふつうなら笑い話になるような話だが、「明日は我が身か」と思うと、笑うことはできない。

 Aさん、Bさん、病気なんかに負けないで、がんばって生きてくださいよ!




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●親子の確執

+++++++++++++++++++++

掲示板のほうに、親子の問題に悩む、1人の
女性から、相談の書きこみがあった。

いわく、「良好な人間関係がベースにあれば、
苦労も苦労ではなくなるのですが、それがないと、
親子でも、苦労は倍化します。

ときどき、『どうして私なんか、産んでくれたのよ』と
母に叫びたくなることもあります。

子どものころから、親のことでは、苦労のしっぱなし。
結婚してからも、一日とて、気が晴れる日は
ありませんでした」(静岡県S市・Yより)と。

このメールを読んで、数年前、私にこんなメールを
くれた人のことを思い出した。

それをここに再掲載します。

++++++++++++++++++++++

【NEより、はやし浩司へ】

はやし浩司さま

突然のメールで、失礼します。
暑いですが、いかがお過ごしですか?

今回のメールは、悩み相談の形をとってはいますが、ただ単に自分の気持ちを整理するため
に書いているものです。返信を求めているものではないので、どうかご安心ください。

結婚後、三重県S市で生活していた私たち夫婦は、主人が東京都の環境保護検査師採用試
験に合格したこともあり、今春から東京で生活することになりました。実は、そのことをめぐって
私の両親と大衝突しています。

嫁姑問題ならまだしも、実の親子関係でこじれて悩んでいるなんて、当事者以外にはなかなか
理解できない話かもしれません。このような身内の恥は、あまり誰にも相談もできません。人生
経験の浅い同年代の友人ではわからない部分も多いと感じ、人生の先輩である方のご意見を
聞かせていただけたら…(今すぐにということではなく、やはり問題解決に至らなくて、どうにも
ならなくなったときに、いつか…)と思い、メールを出させていただきました。

まずはざっと話させていただきます。

事の発端は、私たち夫婦が東京に住むことになったことです。
表面上は…。

私の実家は、和歌山市にあります。夫の実家は、東京都のH市にあります。東京へ移る前は、
三重県のS市に住んでいました。

けれども、日頃積もり積もった不満が、たまたま今回爆発してしまったというほうが正確なのか
もしれません。

母は、私たちが三重県のS市を離れるとき、こう言いました。

「結婚後しばらくは三重県勤務だが、(私の実家のある)和歌山県の採用試験を受験しなおす
と言っていたではないか。都道府県どうしの検査師の交換制度に申し込んで、三重県から和歌
山県に移るとかして、いつかは和歌山市にくるチャンスがあれば…と、待っていた。それがだ
めでも、三重県なら隣の県で、まあまあ近いからとあきらめて結婚を許した。それが突然、東
京に行くと聞いて驚いた。同居できなくてもいいが、できれば、親元近くにいてほしかった。あな
たに見棄てられたという気分だ」と。

親の不安と孤独を、あらためて痛感させられた一件でした。「いつか和歌山市にくるかもしれな
い」というのは、あくまで両親の希望的観測であり、私たちが約束したことではありません。母も
体が丈夫なほうではないので、確かにその思いは強かったかも知れませんが…。

ですので、いちいち明言化しなくても、娘なら両親の気持ちを察して、親元近くに住むのが当然
だろう、という思いが、母には強かったようです。

しかし、最初からどんな条件をクリアしようと、結婚に賛成だったかといえば疑問です。昔風の
理想像を、娘の私に押しつけるきらいがありました。

たとえ社会的地位や財産のある(彼らの基準でみて)申し分ない結婚相手であっても、相手を
自分たちの理想像に押し込めようとするのをやめない限り、いつかは結局、同様の問題が噴
き出していたと思うのです。

配偶者(夫)に対して、貧乏ゆすりが気に入らないだとか、食べ物の好き嫌いがあるのがイヤ
だなどと…。配偶者(夫)と結婚したのか、親と結婚したのかわからないほど、結婚当初は、親
の顔色をうかがってばかりいました。両親の言い分を尊重しすぎて、つまらぬ夫婦喧嘩に発展
したこともしばしばありました。

いつまでも頑固に、私の夫を「気に入らない!」と、わだかまりを抱えているようでは、近くに住
んでもうまくいくとは思えません。両親にとって、娘という私の結婚は、越えられないハードルだ
ったのかもしれませんね。

結婚後、実家を離れ、三重県で生活していても、「そんな田舎なんかに住んで」とバカにして電
話の一本もくれませんでした。私が妊娠しても「誰が喜ぶと思ってるんだ」という調子。結局、流
産してしまったときも「私が言った(暴言)せいじゃない(←それはそうかもしれませんが、ひどい
ことを言ってしまって謝るという気持ちがみられない)」と。

出産後も頼れるのは、夫の母親、つまり義母だけでした。実の母は「バカなあんたの子どもだ
から、バカにきまってる」「いまは紙おむつなんかあるからバカでも子育てできていいね」などな
ど。なんでそんなことまでいわれなければならないのかと、夢にまでうなされ夜中に叫んで目が
さめたこともしばしば…

そんな調子ですから、結婚後、実家にかえったことも、数えるほどしかありません。行くたびに
面とむかってさらに罵詈雑言を浴びせられ、必要以上に緊張してしまうことの繰り返しです。

このまま三重県生活を続けていてもいいと考えたのですが、子どもが生まれると近くに親兄弟
の誰もいない土地での生活は大変な苦労の連続。私の実家のある和歌山市と、旦那の実家
のある東京のそれぞれに帰省するのも負担で、盆正月からずらして休みをとってやっと帰る…
などをくりかえしていました。そのためお彼岸のお墓参りのときには、何もせずに家にいるだけ
というふうでした。

さらに子どもの将来の進路・進学の選択肢の多さ少なさを比較すると、このまま三重県で暮ら
していていいのだろうかと思い、それで夫婦ではなしあった結果、今回思いきって旦那が東京
を受験しました。ただでさえ少子化の今の時代ですから、近くに義父母や親戚、兄弟が住んで
いる街で、多くの目や手に支えられた環境の中で子育てしていこう!、との結論にいたったの
でした。

このことについて実の母に相談をしませんでした。事後報告だったので、(といっても相談なん
てできるような関係ではなかったですし)、和歌山市の両親を激怒させたことは悪かったとは思
います。しかし、これが発端となり、母や父からも猛攻撃が始まりました。

「親孝行だなんて、東京に遠く離れて、一体何ができるっていうの? 調子いいこと言わない
で!」
「孫は無条件にかわいいだろうなんて、馬鹿にしないで! もう孫の写真なんか送ってこなくて
いいから」
「偽善者ぶって母の日に花なんかよこさないで!」
「言っとくけど東京人なんて、世間の嫌われ者だからね」云々…。

電話は怖くて鳴っただけで体のふるえがとまらなくなり、いつ三重までおしかけてこられるかと
恐怖でカーテンをしめきったまま、部屋にとじこもる日々でした。それでも子どもをつれて散歩
にいかなければならないと外出すれば、路上で和歌山の両親の車と同じ車種の車とでくわした
りすると、足がすくんでうごけなくなってしまい、職場にいる主人に助けをもとめて電話する…そ
んな日々がしばらく続きました。

いつしか『親棄て』などと感情的な言葉をあびせかけられ、話が大上段で感情的な応酬になっ
てしまっています。親の気持ちも決して理解できないわけではないのですが…。

ふりかえると、両親も、夫婦仲が悪く、弟も進学・就職で家を離れ、私がまるで一人っ娘状態と
なり、過剰な期待に圧迫されて共依存関係が強まり、「一卵性母娘」関係になりかけた時期が
ありました。

もしかするとその頃から、親子関係にほころびが生じてしまったのかもしれません。こちらの言
い分があっても、パラサイト生活の状態だったので、最後には「上げ膳据え膳の身で、何を生
意気言ってるの!」とピシャリ! 何も反論できませんでした。

親が憎いとか、断絶するとか、そんな気持ちはこちらにはないのです。実の親子なのですか
ら、ケンカしても、必ず関係修復できることはわかっています。でも、うまく距離がとれず、ちょっ
と苦しくなってしまったというだけ。

「おまえは楽なほうに逃げるためにあんな男つれてきて、仕事もやめて田舎にひっこんで結婚
しようとしてるんだ」
「連中はこっちが金持ちだとおもってウハウハしてるんだ」
「人間はいつのまにか染まっていくもの。あんたもあんな汚らしい長家に住んでる人間たちと一
緒になりたければ、出て行けばいい」などなどと、吐かれた暴言は、心にくいとなってつきささ
り、ひどく傷つきました。

結婚に反対され、家をとびだし一人暮らしを始めたのも、「このままの関係ではまずい」と思っ
たことがきっかけでした。ついに一人ではそんな暴言の嵐を消化しきれず、旦那や義父母に泣
いてすがると、私の両親は「お前が何も言わなければ、そんなことあっちには伝わらなかった
のに。余計なことしゃべりやがって。あっちの親ばっかりたてて、自分の親は責めてこきおろし
て…。よくもそんなに人バカにしてくれたね。もう私達の立場はないじゃないか。親が地獄のよ
うな日々おくっているのに、自分だけが幸せになれるなんて思うなよ」と。

そんな我が家の場合、もう一度、適切な親子の距離をとり直すために、もめるだけもめて、こ
れまでの膿を全部出し切っていくという、痛みをともなうプロセスを、避けて通れないようです。

本や雑誌で、家族や親子の問題を扱った記事を目にすると、子ども側だけが一方的に悪いわ
けではないようだと知り安心するものの、それは所詮こじつけではないか?、と堂々巡りに迷
いこみ、訳がわからなくなってしまいます。

娘の幸せに嫉妬してしまう母、愛情が抑圧に転じてしまう親、アダルトチルドレン、心理学用語
でいう「癒着」、育ててもらった恩に縛られすぎて、自分の意思で生きていけない子ども…など
など。そんな事例もあるのだなーと飽くまで参考にする程度ですが、どこかしらあてはまる話に
は、共感させられることも多いです。

世間一般には、「スープの冷めない距離」に住むことが親孝行だとされています。私の母は、
「近所のだれそれさんはちゃんと親近くに住んでいる。いい子だね」という調子で、それにあて
はまらない子は、「ヘンな子ね、いやだわ」で終わり。スープの冷めない距離に住めなかった私
は「親不孝者だ…」と己を責め、自分そのものを肯定できなくなることもあります。

こんな親不孝者には、子育ても人間関係も仕事もうまくいくわけがないのだ。親を棄てて、幸せ
だなんて自己満足で、いつか必ずしっぺ返しをくらって当然だ。父母の理想から外れた人生を
選び、それによってますます彼らを傷つけている私に、存在価値なんてあるのだろうか…など
と。

子どもは24時間待ったなしで愛情もとめてすりよってきますが、東大に入れて外交官にして、お
まけにプロのピアニスト&バイオリニストなどにでもしなければ、子育てを認めないような、かた
よった価値観の両親のものさしを前に、無気力感でいっぱいになってしまいます。よってくる我
が子をたきしめることもできずに、ただただ涙…そんな日々もあります。

実はこの親子関係がらみの問題は、私の弟の問題でもあります。

彼は転職する際、両親と大衝突し、罵詈雑言の矛先が選択そのものにではなく、人格にまで
向けられたことに対して、相当トラウマを感じているようです。(事実、1年近く、実家との一切の
関わりを断ち切った時期もあったほどです)。

結局、転職先は両親の許容範囲におさまり、表層は解決したように見えるのですが、本質的な
信頼の回復には至っていません。子の人生を受け入れることができない両親の狭量さを、彼
はいまだに許していません。

弟は「親は親の人生、子は子の人生。親の期待に子が応えるという、狭い了見から脱して、成
人した子どもとの関係を築こうとしない限り、両親が子どもの生き方にストレスをためる悪循環
からは抜け出せないよ」と、両親を諭そうとした経験があります(もちろん人間そう簡単には変
わりませんが…)。

今回の私の件も、問題の根本は同じであると受け止め、(今後、彼の人生にもあれこれ影響が
出てくるのは必至なので)、「他人事ではない」と味方についてくれました。

まだ人生経験が浅い私には、親が遠距離にいるという事実が、将来的に、今は予想もつかな
いどんな事態を覚悟しておかねばならないのか、具体的なシミュレーションすらできていませ
ん。(せめて今後の参考に…と思い、ある方が書いた、「親と離れて暮らす長男長女のための
本」を借りてきて、眺めたりしています。)

親の不安と孤独を軽減するには、一にも二にも顔を見せることですね。夫の実家に子どもを預
けて、和歌山市にどんどん帰省しようと思います。そういう面では、親戚など誰も頼る人のいな
い三重県S市在住の今よりも、ずっと帰省しやすくなるはずです。あとはお互いの気持ちの問
題です。そう前向きに思うようにはしたいのですが…

人は誰にも遠慮することなく、幸せをつかむ権利があり、そうした自己完結的な充足の中に、
ある面では躊躇を感じる気質も持ち合わせていて、そこに人間の心の美しさがあるのかもしれ
ない…そんなことを言っている人がいました。

私はこれまで両親から受けた恩に限りない感謝を覚えていますし、折に触れてその感謝を形
に表していきたいと思っています。が、今はそんな思いは看過ごされ、けんかばかり。「親棄て」
の感情論のみ先行してしまっていることが残念です。

我が家の親子関係再構築の闘いは、まだまだ続きそうです。でも性急さは何の解決も生み出
しません。まずは悲観的にならず、感情的にならず、静かに思慮深く、自分の子どもにしっかり
愛情注いで過ごしていくしかないと思います。

そして、原因を親にばかりなすりつけるのではなく、これまで育ててもらった愛情に限りない感
謝の気持ちを忘れずに、折々に言葉や態度で示しつつ、前進していかなければ…と思ってい
ます。

理想の親子関係って何でしょうね?
親孝行って何でしょうね?

勝手なおしゃべりで失礼しました。
誰かの助言ですぐに好転する問題ではないので、急ぎの回答など気にしないでください!こう
して打ち明けることで、もう既にカウンセリング効果を得たようなものですから。(と、言っている
間にも、状況はどんどん変わりつつあり、解決しているといいのですが…)

ただ、私が最近思うことは、私の両親の意識改革も必要なのではないかということです。彼ら
の親戚も、数少ない友人もほとんどつきあいのない隣り近所も誰も、彼らのかたよった親意識
にメスを入れることのできる人はいない状況です。

先日は父の還暦祝いに…と、弟と二人でだしあって送った旅行券もうけとってもらえず、ふだん
ご無沙汰している弟が、母の日や父の日にひとことだけ電話をいれたときにも話したくなさそう
に、さも、めんどくさそうに、短く応答してすぐブツリときられてしまったそうです。

彼らはパソコン世代ではありません。親の心に染入るような書物を紹介する読書案内のダイレ
クトメールですとか、講演会のお知らせなどを、(私がしむけているなどとは決してわからないよ
うに)、ある日突然郵送で何度か、繰り返し送っていただくことはできませんでしょうか?

そのハガキに目がとまるかどうかが、彼らが意識を改革できるかどうかの最後のきっかけであ
るような気がしてならないのです。

そういうふうに、相手にかわってくれ!、と望んでいる私の姿勢も無駄なんですよね。

はやしさんのHPにあった親離れの事例などは、うちよりもさらに深刻な実の母親のストーカー
の話でしたから、最近の世の中には増えてきていることなのだろうと思いました。

友達に相談しても、早くから親元はなれてそういう衝突したことのない人からみれば、まったく
わからない話ですし、「あなたを今まで育ててくれたご両親に対する、そういう態度みてあきれ
た」と、去っていった友人もいました。また、あまり親しくない人たちのまえでは、実の親子なん
ですからもちろんうまくいっているかのようにとりつくろわなければならず、非常に疲れます。

時間はかかるでしょうが、両親があきらめてくれるかもしれないきっかけとしては、いろいろや
るべきことがあるようです。たとえば両親の家は、新築したばかりの家ですので、和歌山市に
帰って年老いた両親のかわりに、家の掃除や手入れなどをひきうけること。私が仕事(検査助
手)に復帰し、英検・通検などを取得すること。小さい頃から習い続けてきて途中で放棄された
ままのピアノも、もういちど始めること(和歌山市の実家に置き去りになっているアップライトの
ピアノがある)。母の着物一式をゆずりうけるために気付など着物の知識をしっかり勉強するこ
と。同じく母の花器をつかって玄関先に生けてもはずかしくないくらいのいけばなができるよう
になること。梅干やおせち料理、郷土料理など母から(TVや雑誌などでは学べない)母の味を
しっかり受け継ぐこと…などなどが考えられます。

東京で勤務し続ける弟とは、両親に何かあればひきとる考えでいることを話し合っています(実
際にはかなり難しいでしょうが…)。弟も私が和歌山市に戻り、ここまでこじれても一言子どもの
立場から折れて謝罪すれば、ずいぶん状況が違うだろうといってくれてはいるのですが、ほん
とうに謝る気もないのにくちさきだけ謝ったとしても、いつかは親の枕もとに包丁をもって立って
いた…なんてことにもなりかねません。謝ってしまうと親のねじまがった価値観を認めることに
なりそうでそれは絶対にできません。

万一のときには実家に駆けつけるつもりですが、正直、今の気持ちとしては何があろうと親の
顔も見たくありません。

すみません。長くなりました。

急ぎではありませんので、多くの事例をご覧になってきたはやしさんの立場から何かご意見が
ございましたら、いつかお時間に余裕ができましたときにお聞かせいただければと思いました。

HPでは現在ご多忙中につき、相談おことわり…とありましたのに、それを承知でお便りしてしま
いまして、勢いでまとまらない文章におつきあいくださいましてありがとうございました。

暑さはこれからが本番です。
どうぞお体ご自愛なさってお過ごしください。

現在は東京都F市に住んでいます。 NEより

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【静岡県S市・Yさんへ】

 『悪魔は、それを笑ったものからは退散し、それを恐れたものには、重い十字架となって、容
赦なく、襲いかかる』

 親子の問題を、「悪魔」にたとえましたが、親子であるがゆえに、その関係も一度こじれると、
「悪魔」にたとえてもおかしくないほど、問題は、深刻になりがちです。

 実は、私も同じような問題をかかえています。しかもそれが、断続的ではあるにせよ、定期的
にやってきては、私を苦しめます。

 しかしそんなとき私は、ふと、こう思います。「笑ってやろうではないか」と。

 笑えばよいのです。笑えば……。「バカめ!」と、です。すると、悪魔は向こうのほうから、シッ
ポを巻いて退散していきます。それが、ときとして、「実感」として体感できるから、おもしろいで
す。とたん、心も軽くなります。

 親に対して、「親だから……」という幻想は、捨てること。ただのジジイ、もしくは、ただのババ
アと思えばよいのです。私たちが幼少の子どもを本気で相手にしないように、老人など、本気
で相手にしてはいけません。そのためにも、ここに書いたように、「親であるという幻想」を捨て
ることです。

 親だから、人生の先輩のはず。
 親だから、すばらしいはず。
 親だから、子どものことを愛しているはず。
 親だから、子どものことを心配しているはず。……みんな、幻想です。

 もちろん中には、そういうすばらしい親もいますが、大半は、ただのジジイか、ババアです。最
近聞いた話には、子どもを虐待し、子どもを精神病に追いこんでしまった親の例もあります。
が、当の親には、その自覚がありません。「あの子は、生まれつき、ああだ」などと、平然として
いるそうです。

 親もただの人間。私と同じ人間。そう気づいたとき、暗くて長いトンネルの向こうに、あなた
も、一筋の光を見ることができるはずです。

 で、あなたが感じているような苦しみを、心理学の世界でも、「幻惑」(=家族自我群という束
縛があるゆえの、苦しみ)と呼んでいます。こうした独立した言葉があることからもわかるよう
に、広く、たいへん多くの人たちが、あなたのかかえるような問題で苦しんでいます。

 決して、あなた1人だけがそうであると思わないこと、ですね。がんばりましょう!





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●利己主義と孤独

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孤独ほど、恐ろしいものはない。
孤独は最大の恐怖であり、ときに
その人の命すらも、うばう。

なぜ、人は、孤独になるのか。
どうすれば、人は、その孤独から、
自分を回避することができるのか。

+++++++++++++++++

 世に、孤独ほど、恐ろしいものはない。本当に、恐ろしい。仏教でも孤独を、無間地獄の1つ
に数えている。

その孤独だが、だれでも経験しうるものだろうが、その恐ろしさは、経験したものでなければ、
わからない。

 夜、ふとんの中で身を丸めて、ただひたすら震える。体を縮(ちぢ)めても、縮めても、その恐
怖から逃れることはできない。身の置き場がない。つらい。さみしい。自分の心が、どこにある
さえあるかわからない。

 恐ろしいほどの虚無感。むなしさ。味気なさ。

 それは病気にたとえるなら、不治の病を宣告されたようなもの。断崖絶壁に立たされたような
絶望感。ひしひしと迫りくる、絶望感。

 その孤独を、あのイエス・キリストも経験している。あのマザーテレサは、つぎのように語って
いる。

 訳はかなりラフにつけたので、必要な方は、原文をもとに、自分で訳してほしい。

When Christ said: "I was hungry and you fed me," he didn't mean only the hunger for bread 
and for food; he also meant the hunger to be loved. Jesus himself experienced this 
loneliness. He came amongst his own and his own received him not, and it hurt him then and 
it has kept on hurting him. The same hunger, the same loneliness, the same having no one to 
be accepted by and to be loved and wanted by. Every human being in that case resembles 
Christ in his loneliness; and that is the hardest part, that's real hunger. 

【キリストが言った。「私は空腹だった。あなたが食事を与えてくれた」と。彼はただ食物として
のパンを求める空腹を意味したのではなかった。彼は、愛されることの空腹を意味した。キリ
スト自身も、孤独を経験している。つまりだれにも受け入れられず、だれにも愛されず、だれに
も求められないという、孤独を、である。彼自身も、孤独になった。そしてそのことが彼をキズつ
け、それからもキズつけつづけた。どんな人も孤独という点では、キリストに似ている。孤独は、
もっともきびしい、つまりは、真の空腹ということになる。】

 孤独は、あらゆる人が共通してもつ、人生、最大の問題といってよい。だからもしあなたが
今、孤独だからといって、それを恥じることはない。隠すこともない。大切なことは、その孤独か
ら自分を回避させるために、自分はどうあるべきかを、いつも考えること。それについて書く前
に、世界の賢者たちは、どのように考えていたか、それを拾ってみる。

No one would choose a friendless existence on condition of having all the other things in the 
world. ―Aristotle
世界中のあらゆるものを手に入れたとしても、だれも、孤独(friendless condition)は選ばない
だろう。(アリストテレス)

No my friend, darkness is not everywhere, for here and there I find faces illuminated from 
within; paper lanterns among the dark trees. - Carole Borges
友がいれば、暗闇ばかりとはかぎらない。私は彼らの輝く顔を思い浮かべるが、それが暗い
木々にかかる、ちょうちんのようなものだ。(C・ボーグ)

To dare to live alone is the rarest courage; since there are many who had rather meet their 
bitterest enemy in the field, than their own hearts in their closet. - Charles Caleb Colton
あえてひとりで生きるというのも、勇気のいることだ。なぜならクロゼットに心をしまっておくより
も、戦場で、最悪の敵に会うことを望む人は多い。(C・C・コルトン)

Pray that your loneliness may spur you into finding something to live for, great enough to 
die for. - Dag Hammarskjold
あなたが孤独であるなら、何かそのために生きることができる目標が見つかるように、できれ
ばそのために死ぬことができる目標が見つかるように、祈れ。(D・ハマーショルド)

There is no greater sorrow than to recall in misery the time when we were happy. - Dante
あなたが幸福だったときを、みじめな状態で思い起こすほど、悲しいものはない。(ダンテ)

We're all lonely for something we don't know we're lonely for. How else to explain the curious 
feeling that goes around feeling like missing somebody we've never even met? - David 
Foster Wallace
私たちがなぜさみしいか、それがわからないのに、私たちは、みな、さみしい。会ったこともな
いような人をしのぶような、実におかしな感情を、どうやって説明したらよいのか。(D・F・ウォレ
ス)

The most I ever did for you was to outlive you. But that is much. - Edna St. Vincent Millay
あなたのためにした最大のことといえば、あなたより長生きをしたことです。それだけです。(E・
S・V・ミレー)

The end comes when we no longer talk with ourselves. It is the end of genuine thinking and 
the beginning of the final loneliness. The remarkable thing is that the cessation of the inner 
dialogue marks also the end of our concern with the world around us. It is as if we noted the 
world and think about it only when we have to report it to ourselves. - Eric Hoffer
自分と話をすることが、もうないとき、終わりはやってくる。それは純粋な思想の終わりであり、
かつ最終的な孤独のはじまりでもある。はっきりわかっていることは、心の対話の終わりは、私
たちのまわりの世界に関心をもつことの終わりであるということ。つまり世界というのは、私た
ちがそれを、自分に問いかけるときのみ、そこにある。(E・ホッファー)

With some people solitariness is an escape not from others but from themselves. For they 
see in the eyes of others only a reflection of themselves. ー Eric Hoffer
他人から逃れるから、孤独になるのではなく、自分から逃れるから孤独になる。なぜなら彼ら
は、他人に目の中に、自分の姿を見るからである。(E・ホッファー)

It is loneliness that makes the loudest noise. This is true of men as of dogs. ー Eric Hoffer
もっとも騒々しいのは、さみしさである。犬も、人間も同じ。(E・ホッファー)

"Don't you want to join us?" I was recently asked by an acquaintance when he ran across 
me alone after midnight in a coffeehouse that was already almost deserted. "No, I don't," I 
said. ー Franz Kafka
「いっしょに、やらないか?」と、真夜中の、みすぼらしいコーヒーショップで、最近、知りあいの
男にたずねられた。私は、「いいや」と答えた。(F・カフカ)

I've never found a companion as companionable as solitude. ー Henry David Thoreau
孤独ほど仲がよくなりやすい友だちはいないことを、私は知った。(H・D・ソロー)

Ships that pass in the night, and speak each other in passing, Only a signal shown, and a 
distant voice in the darkness; So on the ocean of life, we pass and speak one another, Only 
a look and a voice, then darkness again and a silence. ー Henry Wadsworth Longfellow
夜、行きかいながら交信する船。
暗闇の中の、ただの信号と遠くの声。
人生の海においても、またそうで、
私たちは通りすぎ、会話を交わす。
ただ見て、たがいに声をかける。
それから再びやってくる、暗闇と静寂。(W・ロングフェロー)

Oh, sweet sorrow, the time you borrow, will you be here when I wake up tomorrow? ー 
Katherine Wolf
オー、甘い悲しみよ、生きながらえて、あなたは明日、私が目ざめるとき、ここにいるだろうか。
(K・ウルフ)

What should young people do with their lives today? Many things, obviously. But the most 
daring thing is to create stable communities in which the terrible disease of loneliness can 
be cured. ー Kurt Vonnegut
今日、若い人たちは、自分の人生をどうすべきか? 明らかに多くのことがある。しかしもっと
も大切なことは、孤独という恐ろしい病気が癒されるべき、確かな人間関係をつくりあげること
である。(K・ボネー)

In solitude, where we are least alone ー Lord Byron
孤独の中で、我、ひとりにあらず。(L・バイロン)

Life dies inside a person when there are no others willing to beーfriend him. He thus gets 
filled with emptiness and a nonーexistent sense of selfーworth. ー Mark R. J. Lavoie
喜んで彼の友になる人なければ、人生は、その人は死ぬ。彼はかくして、空しさに包まれ、生
きる価値を見失う。(M・R・J・ラボー)

Music was my refuge. I could crawl into the spaces between the notes and curl my back to 
loneliness. ー Maya Angelou
音楽は、私の逃げ場。私は音符の間の空間に身をすべらせ、孤独に身をかがめる。(Mアンジ
ェロウ)

There is no pleasure to me without communication: there is not so much as a sprightly 
thought comes into my mind that it does not grieve me to have produced alone, and that I 
have no one to tell it to. Michel Eyquem De Montaigne
人との交わりのない喜びというのは、私には考えられない。たとえばこれはと思うひらめきがあ
ったとき、私はそれを自分ひとりで考え出したとは思わないし、それをだれかに話さずにはおら
れない。(M・E・D・モンテニュー)

Our language has widely sensed the two sides of being alone. It has created the word "
loneliness" to express the pain of being alone. And it has created the word "solitude" to 
express the glory of being alone. ー Paul Tillich
私たちの言語は、ひとりでいることについて、二つの見方をする。一つは、「さみしさ」という語
で、これは、ひとりでいることの苦痛を意味する。そしてもう一つは、「孤独」という語で、これは
ひとりでいることの栄光を意味する。(P・チリッヒ)

God made everything out of nothing, but the nothingness shows through. -Paul Valery
神は、無からすべて作り出した。しかし無は、透けて現れる。(P・バレリイ)

The person who tries to live alone will not succeed as a human being. His heart withers if it 
does not answer another heart. His mind shrinks away if he hears only the echoes of his 
own thoughts and finds no other inspiration. ー Pearl S. Buck
ひとりでいようと思う人は、人間としては、成功しない。もしだれの心にも答えることがなけれ
ば、その人の心は、しぼみ、もし彼自身の心のエコーだけを聞いているならば、その人の心
は、縮む。そして新しい発見も、そこで終わる。(P・S・バック)

When you're lonley, go to the music store and visit with your friends. ー Penny 
Lane, "Almost Famous"
さみしかったら、あなたの友と、ミュージック・ショップへ行け。(P・レイン)

The body is a house of many windows: there we all sit, showing ourselves and crying on the 
passersーby to come and love us. ー Robert Louis Stevenson
体は、たくさんの窓がある家。その窓辺に座って、自分を見せ、その外を行き交う人に、やって
きて、自分を愛するようにと泣き叫ぶ。(R・L・スティーブンソン)

Time takes it all, whether you want it to or not. Time takes it all, time bears it away, and in 
the end there is only darkness. Sometimes we find others in that darkness, and sometimes 
we lose them there again. ー Stephen King, "The Green Mile"
時は、すべてを奪う。あなたがそれを望むと、望まないとにかかわらず。時は、すべてを奪い、
運び去る。そして最後には、暗闇のみ。ときに私たちはその暗闇の中に、人を見る。そしてとき
に私たちは、その人すら再び見失う。(A・キング・「グリーンマイル」)

Better be alone than in bad company ー Thomas Fuller
悪い仲間といるくらいなら、ひとりのほうがよい。(T・フラー)

The whole conviction of my life now rests upon the belief that loneliness, far from being a 
rare and curious phenomenon, peculiar to myself and to a few other solitary men, is the 
central and inevitable fact of human existence. ー Thomas Wolfe
今や私は、人生の中で、孤独というのが、人間の存在には欠かせないものであることを、信念
として発見した。その孤独というのは、とくに私や、二、三の孤独な人にとっては、まったく理解
しがたい奇妙な現象ではあるが……。(T・ウルフェ)

And I look again towards the sky as the raindrops mix with the tears I cry. - Unknown
雨と涙が混ざるように、私は再び空を見あげる。(作者不詳)

One may have a blazing hearth in one's soul, and yet no one ever comes to sit by it. ー 
Vincent Van Gogh
人は、魂の中に、燃えさかる暖炉をもっているかもしれないが、だれもそのそばにきて、座るこ
とはない。(V・V・ゴッフォ)

Skillful listening is the best remedy for loneliness, loquaciousness, and laryngitis. ー William 
Arthur Ward
孤独な人、多弁な人、咽頭炎の人には、しっかりと耳を傾けてあげよう。それが最善の治療法
だから。(W・A・ウォード)

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(付記)

 ここでは「loneliness」(さみしさ)と「solitude」(孤独)を、ともに「孤独」と訳した。孤独は、たいて
いさみしさをともなう。中に、孤独を楽しむ人もいるというが、私にはそういう人の気持ちが、理
解できない。私にとって孤独は、人生、最大の敵。孤独と戦うことが、生きることの目的にもな
っている。

 私は冒頭で、「孤独との戦い」を口にした。いかなる方法をもってしても、孤独を取り除くこと
ができないなら、共存するしかない。それが今の、私の考え方である。それは人間が、原罪とし
てもって生まれたものではないかと思う。つまり「知恵ある生物」が、その知恵で、自分が孤独
な存在であることに気づいてしまった。

 もし人間が、もう少しバカなら、バカなまま、何も考えることもなく、従って孤独になることもな
かった。へたに利口になってしまったから、孤独を感ずるようになってしまった。「原罪的」という
のは、そういう意味である。

 こうして世界の賢人の言葉を拾い集めてみると、幸福論と孤独論は、ちょうど紙の表と裏の
関係にあるのがわかる。そして多くの賢人が、幸福を追求するかたわら、孤独について語って
いる。この中で、とくに私の関心をひいたのが、マザーテレサの言葉。「イエスも孤独だった」と
いう言葉である。私は、これを読んでほっとした。多分、あなたもそうであろう。

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●利己主義との戦い

 人は、なぜ孤独になるのか。その最大のカギを握るのが、「利己」と「利他」ではないか。つま
り利己主義に陥れば陥るほど、人は孤独に襲われる。しかし利他主義になれば、孤独を避け
ることはできないにしても、孤独の恐怖をやわらげることができる。

 その利他主義を、仏教の世界では、「慈悲」といい、キリスト教の世界では、「愛」という。マザ
ーテレサによれば、イエス・キリストは、「飢え」という「孤独」に苦しんだという。そしてその苦し
みの結果、「愛」を説くようになったという。

 つまり宗教がもつ究極の目標は、ここにある。いかにすれば私たちは、利己から脱し、利他
の世界へと、自らを導くことができるか。いくつかのヒントがある。

(1)まず、誠実であること。他人に対しては、もちろん、自分に対しても、だ。ウソやインチキ
は、心のゴミとなって、やがてその人自身の人生観を、暗く、見苦しいものにする。それは、実
は、ささいな日常的な行為から始まる。その日々の積み重ねが、月となり、月々の積み重ね
が、年となり、やがてその人の人格となって熟成される。

(2)いつも前向きに生きる。前向きに生きるということには、ある種の緊張感がただよう。その
緊張感を、決して、失ってはいけない。それは健康論に似ている。立ち止まって、休んだときか
ら、その人の健康は、失われる。が、前向きに生きるだけでは足りない。日々に補ったところ
で、脳ミソの底からは、容赦なく、知識や経験は、流れ出ていく。失う分以上のものを、補って
生きる。だから生きることには、ゴールはない。死ぬまで、前に進む。精進(しょうじん)する。

(3)生きていることを喜び、そして感謝する。この広大な宇宙の一点で、生きていること自体
が、奇跡。アインシュタインも、そう言っている。金銭的な損得勘定から、自らを解き放つ。いわ
んや人間関係を、その損得勘定で判断してはいけない。この世界では、マネーは、必要だ。マ
ネーがなければ、不幸になることはある。しかしマネーは、決して、人を幸福にすることはな
い。

(4)幸福感や充足感は、薄いガラス箱のようなもの。幸福感や充足感を覚えたら、静かに、そ
っとそのまま、守り育てていく。自分の中に、「利他」を感じたときも、そうだ。それらはとても、こ
われやすい。決して、うぬぼれたり、ごう慢になってはいけない。幸福感や充足感は、一度こわ
れると、取りもどすのに、その何倍もの時間とエネルギーが必要となる。

(5)他人の目の中に、自分を置く。その相手と対峙してすわったときでも、自分の視点を一度、
相手の視点の中に置いてみる。その相手から、自分を見る。それを繰りかえしていると、やが
て相手の心の状態や、何を考えているかまで、わかるようになる。言うなれば、「利他」の深さと
いうのは、どこまで相手の立場でものを考えられるかによって決まる。

 もっとも、孤独になることが悪いというのではない。死の恐怖があるからこそ、生きていること
の喜びがわかるように、孤独になることがあるからこそ、利他のすばらしさがわかる。あなたな
らあなたが、利己主義でも、一向に構わない。しかしその結果として、孤独を覚えたら、そのあ
と、その苦しみを、利他主義に転化すればよい。……と口でいうほど、実は、簡単なことではな
いが……。がんばろう!
(はやし浩司 利己主義 利他主義 孤独論)

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