●学歴社会(日本の親よ、もっと怒ろう!)
今度、経済協力機構(OECD)が、こんな指標を公表した。それによると、加盟国30か国中、
国内総生産(GDP)に対する、教育機関への公的支出の割合では、日本は、最低だったという (05年09月13日)。
OECD全体の平均値は、5・1%。日本は、大きく下回って、3・5%。
これに対して、大学や短大などでの私費負担の割合は、OECDの平均値は、21・9%。日本
は、反対に大きく上回って、58・5%。韓国についで、2番目の高さだったという。
国は教育費をしぶる。その穴埋めを、親たちがしている。それがこの日本の教育の実情とい
うことになる。
ついでに公的支出の割合が高いのは、
スェーデンやデンマーク……6%
アメリカ、イギリス、フランス……5%台
実は、これについては、私は、すでに5年前につぎのような原稿を書いている(中日新聞発表
ずみ)。それを紹介する。
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●大学生の親、貧乏ざかり
少子化? 当然だ! 都会へ今、大学生を1人出すと、毎月の仕送りだけで、月平均11万7
000円(九九年東京地区私大教職員組合調べ)。もちろん学費は別。
が、それだけではすまない。
アパートを借りるだけでも、敷金だの礼金だの、あるいは保証金だので、初回に40〜50万円
はかかる。それに冷蔵庫、洗濯機などなど。パソコンは必需品だし、インターネットも常識。… …となると、携帯電話のほかに電話も必要。
入学式のスーツ一式は、これまた常識。世間は子どもをもつ親から、一体、いくらふんだくった
ら気がすむのだ!
そんなわけで昔は、「子ども育ち盛り、親、貧乏盛り」と言ったが、今は、「子ども大学生、親、
貧乏盛り」と言う。大学生を2人かかえたら、たいていの家計はパンクする。
一方、アメリカでもオーストラリアでも、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなけ
ればならないほど、少ない。たいていは奨学金を得て、大学へ通う。企業も税法上の控除制度 があり、「どうせ税金に取られるなら」と、奨学金をどんどん提供する。しかも、だ。日本の対G NP比における、国の教育費は、世界と比較してもダントツに少ない。
欧米各国が、7〜9%(スウェーデン9・0、カナダ8・2、アメリカ6・8%)。(UNESCO調べ)
日本はこの10年間、毎年4・5%前後で推移している。大学進学率が高いにもかかわらず、対
GNP比で少ないということは、それだけ親の負担が大きいということ。
日本政府は、あのN銀行という一銀行の救済のためだけに、4兆円近い大金を使った。それだ
けのお金があれば、全国200万人の大学生に、一人当たり200万円ずつの奨学金を渡せ る!
が、日本人はこういう現実を見せつけられても、誰(だれ)も文句を言わない。教育というのは
そういうものだと、思い込まされている。いや、その前に日本人の「お上」への隷属意識は、世 界に名だたるもの。戦国時代の昔から、そういう意識を徹底的に叩(たた)き込まれている。
いまだに封建時代の圧制暴君たちが、美化され、大河ドラマとして放映されている! 日本人
のこの後進性は、一体どこからくるのか。親は親で、教育といいながら、その教育を、あくまで も個人的利益の追求の場と位置づけている。
世間は世間で、「あなたの子どもが得をするのだから、その負担はあなたがすべきだ」と考え
ている。だから隣人が子どもの学費で四苦八苦していても、誰も同情しない。こういう冷淡さが 積もりに積もって、その負担は結局は、子どもをもつ親のところに集中する。
日本の教育制度は、欧米に比べて、30年はおくれている。その意識となると、50年はおくれ
ている。かつてジョン・レノンが来日したとき、彼はこう言った。
「こんなところで、子どもを育てたくない!」と。
「こんなところ」というのは、この日本のことをいう。彼には彼なりの思いがいろいろあって、そう
言ったのだろう。が、それからほぼ30年。この状態はいまだに変わっていない。もしジョン・レ ノンが生きていたら、きっとこう叫ぶに違いない。「こんなところで、孫を育てたくない」と。
私も3人の子どもをもっているが、そのまた子ども、つまりこれから生まれてくるであろう孫の
ことを思うと、気が重くなる。日本の少子化は、あくまでもその結果でしかない。
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
遠い、明治の昔。ときの政府は、身分のある子どもや、金持ちの子どもしか、高等教育を受
けられないような、そんなしくみを作ってしまった。新しい身分制度というか、江戸時代までの、 身分制度を、そういう形で、温存しようと考えた。
それについて書いたのが、つぎの原稿である。(中日新聞発表済み)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●日本の学歴制度
インドのカースト制度を笑う人も、日本の学歴制度は、笑わない。どこかの国のカルト信仰を笑
う人も、自分たちの学校神話は、笑わない。その中にどっぷりとつかっていると、自分の姿が 見えない。
少しかたい話になるが、明治政府は、それまでの士農工商の身分制度にかえて、学歴制度
をおいた。
最初からその意図があったかどうかは知らないが、結果としてそうなった。
明治11年の東京帝国大学の学生の75%が、士族出身だったという事実からも、それがわ
かる。そして明治政府は、いわゆる「学校出」と、そうでない人を、徹底的に差別した。
当時、代用教員の給料が、4円(明治39年)。学校出の教師の給料が、15〜30円、県令
(今の県知事)の給料が250円(明治10年)。
1円50銭もあれば、1世帯が、まあまあの生活ができたという。そして今に見る、学歴制度が
できたわけだが、その中心にあったのが、官僚たちによる、官僚政治である。
たとえて言うなら、文部省が総本山。各県にある教育委員会が、支部本山。そして学校が、
末寺ということになる。
こうした一方的な見方が、決して正しいとは思わない。教育はだれの目にも必要だったし、学
校がそれを支えてきた。
しかし妄信するのはいけない。どんな制度でも、行き過ぎたとき、そこで弊害を生む。日本の
学歴制度は、明らかに行き過ぎている。
学歴のある人は、たっぷりとその恩恵にあずかることができる。そうでない人は、何かにつけ
て、損をする。
この日本には、学歴がないと就けない仕事が、あまりにも多い。多すぎる。親たちは日常の
生活の中で、それをいやというほど、肌で感じている。だから子どもに勉強を強いる。
もし文部省が、本気で、学歴社会の打破を考えているなら、まず文部省が、学歴に関係なく、
職員を採用してみることだ。
過激なことを書いてしまったが、もう小手先の改革では、日本の教育は、にっちもさっちもい
かないところまで、きている。
東京都では、公立高校廃止論、あるいは午前中だけで、授業を終了しようという、午後閉鎖
論まで、公然と議論されるようになっている。それだけ公教育の荒廃が進んでいるということに なる。
しかし問題は、このことでもない。
学歴信仰にせよ、学校神話にせよ、犠牲者は、いつも子どもたちだということ。今の、この時
点においてすら、受験という、人間選別の(ふるい)の中で、どれほど多くの子どもたちが、苦し み、そして傷ついていることか。そしてそのとき受けた傷を、どれだけ多くのおとなたちが、今 も、ひきずっていることか。それを忘れてはいけない。
ある中学生は、こう言った。
「学校なんか、爆弾か何かで、こっぱみじんに、壊れてしまえばいい」と。
これがほとんどの子どもの、偽らざる本音ではないだろうか。ウソだと思うなら、あなたの、あ
るいはあなたの近所の子どもたちに、聞いてみることだ。
子どもたちの心は、そこまで病んでいる。
(はやし浩司 華族 士族 東京帝国大学 自治省)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
こうした封建制度の亡霊が、いまだに、この日本では、大手を振って、のさばっている。その
結果が、日本の教育制度である。
実際、その能力があっても、家庭の経済事情により、進学をあきらめている子どもは、多い。
全体の何割かの子どもがそうであると言っても過言ではないほど、多いのではないか。
日本より私的負担の大きい韓国では、すでに金持ちの子どもしか、ソウル大学へ入れないと
いう現状が生まれつつある。これについては、少し前、『韓国の教育事情』というテーマで、原 稿を書いた。その一部を、抜粋(ばっすい)する。
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【韓国の教育事情(1)】
5月16日(05年)付けの、韓国・東亜日報は、現在の韓国の教育事情を、つぎのように報告
している。ポイントだけを、大きくまとめると、つぎのようになる(アメリカ・シンクタンクのランド研 究所報告)。
(1)過熱する海外留学ブーム
韓国では今、小中学生による、早期留学が、一つのブームになっている。1995年に、225
9人だった、これら早期留学生たちは、04年には、1万人を超えた。その費用は、約2兆500 0億ウォン(=2500億円)。
(2)ソウル江南(カンナム)に集中する教育インフラ
私教育が、ソウルの江南に集中している。そのため、高級人材は、この地を離れたがらず、
離れて仕事をするばあいも、家族を江南に残し、家族と離れて生活するケースが目立つとい う。
たとえば三星(サムスン)電子の忠南天安(チュンナム・チョナン)LCD団地には、ソウルから
通勤する役職員が少なくないという。
(3)失敗する教育政策
ソウル大学の調査によると、高所得者1万人中、ソウル大学へ入学する学生は、85年に
は、8・2人にすぎなく、一般家庭の1・3倍だったが、最近(05)では、それが16・8倍にまで上 昇した。
(4)少子化
日本と同じように、韓国でも、少子化が問題になっている。その理由の第一は、「子どもの教
育費の負担」(韓国女性開発院)で、28%の既婚女性が、それをあげている。
(5)大学教育の停滞
スイス国際経営開発院(IMD)が最近発表した国家競争力評価のうち、「大学教育の社会要求
に対する一致度」では、韓国は60ヵ国のうち52位にとどまったという。
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
こうした韓国の教育事情は、そのまま日本の近未来の教育事情と考えてよい。すでにこの日
本でも、少子化の理由のひとつに、「子どもの教育費の負担」をあげる人が多い。子どもといっ ても、幼児や小中学生をいうのではない。高校生でもない。大学生である。
そこでこの日本では、大学生のアルバイトが、半ば、当たり前のようになっている。またルバ
イトをしなければ、生活できない。
35年前のことだが、私のばあいも、家からの仕送りは、下宿代の1万円だけ。(下宿代は、
当初、8000円。途中から1万円。卒業間近のときは、たしか1万2000円だった。)
残りの生活費や、学費は、アルバイトで稼がねばならなかった。(学費は、半年で、6000円
と格安だったのが、幸いだった。)
しかし今でも、大学や短大への私費負担が、60%弱もあるという。これは「大学教育には、
本来、1人当たり、年間、500万円かかる。本来なら、ほぼ全額を、国を負担しなければならな いが、うち60%の300万円を、親に負担してもらっている」ということを意味する。
アメリカなどでは、親のスネをかじって大学へ通う子どもなど、さがさなければならないほど、
少ない。そのかわり、彼らは、奨学金を得て、大学へ通っている。が、その奨学金を得られな い学生は、銀行から、借金をしながら大学へ通っている。
が、もし日本でこの制度を応用したら、どうなるか?
借金の額そのものが大きくなりすぎてしまう。年間300万円を借りるとしたら、4年間で、120
0万円!
最後の頼みの綱(つな)は、奨学金ということになる。
アメリカや欧米では、無数の企業が、奨学金を提供している。奨学金を出した分だけ、税控
除ができるしくみになっている。だから、どんどん奨学金を提供している。
この方式は、企業側にとっても、メリットがある。優秀な学生に、最初から、ツバをつけておく
ことができる。……などなど。
これから先、この日本はどうなるか? 少なくとも私が知るかぎり、日本の教育制度は、この
35年間だけでも、明らかに後退している。年々、つりあげられる学費。高騰する生活費。遊び ほける大学生たち。
かろうじて今は、日本には経済力がある。しかしこの経済力に陰(かげ)りが出てきたとき、こ
の日本は、どうなるか? OECDは、「大学教育の停滞」という言葉を使っているが、とても「停 滞」という程度では、すまないのではないか。
これについては、韓国の現状を見ればわかる。
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
【韓国の教育事情(2)】
現在、韓国では、富裕層を中心に、小中学生の海外留学が、さかんであるということ。またそ
の教育インフラが、ソウル江南に集中しているため、子どもの教育を考えて、その地を離れた がらない親が多いということ。
さらに韓国でも少子化が始まっているということ。理由の第一は、子どもの教育費。ソウル大
学入学者についても、富裕層ほど年々、有利になりつつあるということ。
また大学教育も、日本以上に権威主義的であり、そのため硬直した教育体制の中で、想像
的な教育ができなくなっているということ……らしい。
また、この調査とは別だが、現在、多くの若者たちが、韓国を離れ、海外へ移住を始めてい
るという事実もある。(出稼ぎではなく、定住を目的とした移住である点に注意。)
韓国では、ここ数年、毎年、1万4000人前後が、アメリカを中心として、海外へ移住している。
海外定住をめざした留学生も、02年末までに、34万人を越えた。そのため、外貨の流出も、 大きな問題になっている。
(仮に韓国で大学を卒業して学位を取得しても、アメリカでは通用しない。そのため、アメリカへ
移住しても、単純肉体労働につくケースがほとんどだろいう。)
ご存知のように、今、韓国では、一部の大企業のみが、巨額の経常黒字をあげている。その
代表的なものとして、S電子工業や、H自動車工業がある。
しかしこれらの企業は、いわゆる「国策企業」であり、国の保護を徹底的に受けている企業で
ある。(国営とまではいかないが、しかし民営とは言えないという点で、「国策企業」と呼ばれて いる。)
が、何よりも深刻なのは、「海外定住をめざした留学生も、02年末までに、34万人を越え
た」という事実。日本の人口に換算すると、約120万人ということになる。
もし日本の若者たちが、120万人も、海外定住を目ざして日本を離れるようになったら、その
とき日本は、どうなるか? それだけでも、たいへんな社会問題になるだろう。しかも、そういう 若者たちは、当然のことながら、多額の外貨をもちだす。そのため韓国政府は、一時期、その 持ち出し額(送金額)を制限したほどである。
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【提言】
日本人よ、もっと、中身をつくろう。その中身をつくるために、もっと、お金をかけよう。
●刻印づけ
++++++++++++++++
自分は、どこでどのようにして
作られていくのだろう?
そしてそういう自分は、変える
ことができるのだろうか?
++++++++++++++++
子どもは、その成長過程において、最初に、脳の中に刻印されたものを、生涯にわたって、
保つようになる。つまりは、第一印象で、そのほとんどが、決まるということ。
これを「刻印づけ」というが、「刷りこみ」とも、「インプリンティング」ともいう。あのコンラッド・ロ
ーレンツが、灰色ガンという鳥を飼育していたとき、発見した現象である。
そして最近の研究によれば、人間にも、同じような現象が見られることがわかってきた。生後
直後から、数週間にかけての時期だという。この時期を「敏感期」という。が、それだけではな い。
人間のばあい、親子関係のみならず、あらゆる事象において、そのつど、自分の脳に刻印を
していく。飲食物、環境、しつけ。さらに恐怖心や、不安感、信頼関係などなど。
その時期は、当然のことながら、幼少であればあるほど、刻印づけは、強力なものとなる。そ
してここが重要だが、一度、何らかの刻印づけがなされると、それを修正したり、補修したりす ることは、たいへんむずかしいということ。
たとえば性格というものを考えてみよう。
どんな子どもにも、生まれながらにしてもっている「質」というものがある。それを「性質」とい
う。その性質を基盤に、子どもは、成長する過程の中で、さまざまな、心理的な特徴を身につ けていく。これを「性格」という。
この性格は、こうした刻印づけが、集合されてできあがると考えてよい。たとえば、あなた。も
しあなたが、いじけやすい、くじけやすい、ねたみやすい、ひがみやすい、わがままで、自分勝 手……ということであれば、それは生まれながらにしてそうであったというよりは、生後の成長 する過程の中で、作りあげられたものと考えてよい。
だれにでも、そういう性格は、ある。幸福な家庭に育った子どもでも、また不幸にして不幸な
家庭に育った子どもであっても、だ。
問題は、そういう性格があることではなく、そういう性格があることも知らず、その性格に振り
回されること。性質についても、そうだ。
そこで重要なことは、まず、性格なり、性質なり、そういったものに、自分で気がつくこと。が、
しかしこれは簡単なことではない。哲学の一つのテーマにも、なっている。自分を知るということ は、それくらい、むずかしいことでもある。
が、あきらめてはいけない。
方法がないわけではない。自分の生い立ちを知り、自分の周囲の人たちが、自分に対して、
どのように言い、どのように反応したかを知る。そういった記憶を頼りに、自分を知る。一枚ず つ、ベールをはがすようにして、自分をさぐる。
すると、やがて、その先に、自分の姿が見えてくる。
で、それがよい性質や性格であれば、問題はない。しかしそうでなければ、しっかりとそれを
見つめる。見つめるだけでよい。あとは、時間が、解決してくれる。すぐにはどうにもならない が、10年、20年とたつうちに、自分を変えることができる。
実は、たった今、こんなテレビドラマを見てきた。ちょうど朝食時で、何となく、見た。その中
に、こんなシーンがあった。
父と娘の葛藤を描いたものだが、その娘は、父から受けた心のキズが原因(?)で、新婚生
活に、どうしても、自信がもてなかった。娘は、こう言う。「私は子どものときから、父から、何を しても、だめな人間と思われてきた。だから結婚しても、不安でならない」と。
セリフどおりではないが、要約すると、そういうことになる。
で、母親が、その娘を説得する。「お父さんは、不器用なだけよ。本当は、あなたを愛してい
るのよ」と。
その言葉を聞いて、娘は安心し、再び、新婚生活へともどっていく。
私はそのシーンを見ていて、思わず、こうつぶやいてしまった。「そんな単純なものでもないよ
うに思うけど……」と。ワイフも、横で見ていて、「そうね……」と。
10年、20年もかけてできた心のキズ……。「わだかまり」といってもよい。そういうものが、た
った一晩の母親の説得で、癒(いや)されるはずはない。テレビドラマとしては、そういう結末に したかったのだろう。しかし現実には、ありえない。
私は、ここで「時間が解決してくれる」と書いた。しかし実際には、それなりの努力も、必要で
ある。勉強もしなければならない。自分と戦うことも、ときには、必要かもしれない。ともかくも、 放っておいて、それで、癒されるということはない。
私などは、まさに心の中は、キズまるけ。いまだに、そのキズと戦っている。で、先日も、私
は、ワイフにこう言って、あやまった。
「お前は、ぼくのような男と結婚したばかりに、苦労ばかりしている。もっと、ほかにいい男が
いただろうに、ごめんね」と。
さらに、「今のお前にとって、一番、幸福になる道は、ぼくと離婚することだと思う。ぼくと離婚
すれば、ぼくから解放される。お前は、ぼくの束縛から解放されて、自由になることができる。し かし、ぼくには、その勇気もない。もし、本当にそういうことになったら、ぼくは、生きていく勇気 すら、なくすかもしれない」とも。
ときどき、本当の私はどこにいるのかとさえ、思う。だから、やはり、あのテレビドラマは、お
かしいと思う。心のキズが、たった一晩の母親の説得で、癒されるなどということはありえない。 もしそうなら、それはキズではなく、ただ単なる誤解か、いやな思い出の一つだったということに なる。
で、また私の話にもどるが、こういうキズをもっていて、一番、つらいのは、他人には、理解し
てもらえないということ。とくに私は、見た目には、ごくふつうの男に見える(多分?)。快活で、 ユーモアのセンスもある。行動的で、判断力も悪くない。
しかしその底では、私は、いつも、必死で、別の自分と戦っている。そういう自分がいること
を、恐らく、私のワイフ以外は、知らない。母も知らないだろうし、姉も知らないだろう。また、そ ういう自分のことを、他人に話したところで、理解もしてもらえるとは思わない。話しても、意味 はない。
先日も少しだけそのことを姉に話したら、姉は、こう言った。「そんなの、気持ちのもちようよ」
と。
結局、私は死ぬまで、仮に100歳まで生きたとしても、それを引きずっていくしかない。『三つ
子の魂、100まで』というのは、そういう意味では、まさに的を得た格言ということになる。
(はやし浩司 子供の心 子供の心理 心の問題 心の傷 刻印づけ)
●無知の無知
自分の無知を、無知であることぐらい、恐ろしいことはない。そのことは、何か、新しいことを
知ったときに、思い知らされる。
ときどき私は、「こんなことも知らなかったのか」と、自分で思うときがある。あるいは、「どうし
てこのことを、もっと早く知らなかったのか」と思うときもある。「私は、いったい、何をしていたの か」と。
一方、たいへん失礼なことだが、だれかと話していて、「どうして、この人は、こんなことも知ら
ないのか」と、思うときもある。が、そう思ったとたん、「では、自分はどうなのか」と。
まず、自分の無知を知る。そして、そのためには、他人だけではなく、まわりのあらゆるもの
に対して、謙虚になる。まずいのは、傲慢(ごうまん)になること。人は、傲慢になったとたん、自 分を見失う。
釈迦は、こうした「心の浄化」を、「精進(しょうじん)」と、呼んだ。「死ぬまで。精進せよ」と。仏
教の実践者は、よく「悟りを開く」などという言葉を使うが、そんなことは、そこらの人間には、あ りえない。あるとするなら、その人が、そう思いこんでいるだけ。そのまわりの人が、そう思いこ んでいるだけ。
ついでに申し添えるなら、釈迦仏教、なかんずく大乗仏教が、なぜに、こうまで混乱したかと
いえば、「我こそが仏である」と、勝手なことを言う人が、あまりにも多かったからである。今で も、少なくない。「悟りを開いたものは、すべて仏である」という考えに、もとづく。
さらにこの日本では、死んだ人すべてを、「仏様」という。こういう安易な、「仏教観」が、さらに
釈迦仏教を、混乱させている。
しかし道は、険(けわ)しい。少しぐらい精進したくらいで、先に進むことはできない。少し進め
ば、さらにその先には、道がある。行っても、行っても先がある。つまりそれを謙虚に認めるこ とが、無知を知るということになる。
このことは、子どもを教えていると、わかる。
私は、幼稚園講師になったころ、最初に、アンケート調査したのは、「子どもの住環境と、
騒々しさの関係」である。
私は「静かな団地に住む子どもは、もの静かで、町中の繁華街の中に住む子どもは、騒々し
い」という先入観をもって、調査を始めた。結果は、みごとに、ハズレ!
静かな団地に住んでいる子どもでも、騒々しい子どもは、いくらでもいる。反対に、町中の繁
華街に住む子どもでも、静かな子どもは、いくらでもいる。そうした住環境は、子どもの性格と は、まったく関係ないことがわかった。
これが私の幼児教育の第一歩だった。が、もしあのとき、そうした視点をもたなかったら、今
でも、「町の繁華街に住む子どもは騒々しい」という先入観だけで、持論を組みたてていたかも しれない。
私は、無知だった。
だからそれから一〇年間、当時の園長に頼んで、毎週のように、アンケート調査を繰りかえし
た。その回答用紙だけでも、ダンボール箱につめて、六畳間くらいの倉庫がいっぱいになった ほどである。
今でも、私は、毎日のように新しい発見をする。そしてそのたびに、冒頭に書いたように、「な
ぜ、今まで、こんなことに気づかなかったのか」と思う。そしてますます謙虚になる。
と、同時に、無知な人を見ると、それがよくわかる。とくに幼児教育の世界では、そうだ。よく
その人(学者)の意見を聞いていると、「この人は、私が30歳のときのレベルだな」とか、「この 人は、私が40歳くらいのときに気づいたことを話している」と思うことがある。
しかしそう思うのは、正直言って、楽しい。何とも言えない、優越感を覚える。が、もちろん、そ
の反対のこともある。「この人は、ものすごい人だ」と思うときである。そういうときは、本当に、 頭をハンマーで叩かれたような気分になる。
自分の無知を知る。それは、一見、簡単なようなことで、本当にむずかしい。たいていの人
は、無知であることに気がつかないまま、自分のカラにこもってしまう。そしてその場で、釈迦が 説くところの、精進を止めてしまう。
繰りかえすが、かく言う私だって、偉そうなことは言えない。ふと油断すると、無知であること
を忘れてしまう。そしてそれこそ偉そうなことを、口にしてしまう。しかし、これは、本当に、恐ろ しいことだ。
最近になって、その「恐ろしさ」が、ますますわかるようになった。つまり以前の私は、この点
についても、無知だった。
【忙しい人へ】
ときどき、政治家の人たちは、どこで勉強するのだろうかと思う。毎日、分きざみの生活をし
ていて、どうして自分で考える時間をもつことができるのだろうか、と。
「考える」ためには、「それだけの時間」が、必要である。静かに考える時間である。それはま
さに、「習慣」と言えるようなもので、習慣として、静かに考える。そういう時間である。
あるいは、そんな習慣がなくても、政治家になれるのか? 私には、よくわからないが……。
【集団に溶けこめない子ども】
++++++++++++++++++
集団に溶けこめない……。そのため、
集団の中にいると、気疲れを起こしや
すくなる。
さらにそれが慢性化すると、不登校の
原因になったりすることもある。
++++++++++++++++++
●集団の中では……
小学校の低学年児で、集団に溶け込めない子どもというのは、10人のうち、1〜2人は、い
る。主な症状としては、つぎのような点が、あげられる。
(1)集団の中では、おとなしく、おだやか。遠慮深い。やさしい。静かで目立たない。
(2)自己主張が弱く、いつも、ほかの子どものうしろをついていくといった感じ。
(3)何か話しかけると、柔和な笑みで、答えたりするが、感情表現はいつも、控え目。
(4)学習態度は比較的よく、そのため、成績も、それほど、悪くない。
(5)外の世界(学校や塾)では、大声で笑ったり、声を出したりするということはない。
これらの症状は、家の中での様子とは、正反対のことが多い。家の中では、別人のように活
発に行動する。かつ、親に対しては、言いたいことを言ったり、したりする。そのため、こうした 外での様子を指摘されたりすると、たいていの親は、それを否定する。「うちでは、ふつうです」 と。
しかしこのタイプの子どもは、その分だけ、ストレスを内へ内へとためやすい。様子だけを見
ると、仮面をかぶった子どもに似ている。俗にいう「ぶりっ子」をいう。仮面をかぶった子ども は、いつもどこかで他人の目を気にしている。どうすれば、自分が、いい子に見られるか、それ だけを考えている。
これに対して、集団に溶けこめない子どもは、集団そのものを恐れ、他人の目から、逃れよう
とする。そのため、ひとり静かに行動し、できるだけ目立たないようにしていることが多い。
このタイプの子どもは、教える側としては、教えやすい。従順で、すなお。みなに迷惑をかけ
るということはない。しかしそれは子ども本来の姿ではない。このタイプの子どもは、心を自由 に、開けない。みなが大声で笑うようなときども、そのリズムにのれない。そのため、いじけや すく、くじけやすい。心をゆがめやすい。
そして長い時間をかけて、ストレスを蓄積し、そのストレスが、さまざまな問題を、引き起こ
す。
たとえばこのタイプの子どもは、集団の中では、神経疲労を起こしやすい。そしてその結果と
して、神経症や、心身症による、さまざまな症状を起こす。そしてその症状は、多岐にわたる。 「何か、うちの子は、おかしい?」と感じたら、神経症、もしくは、心身症を疑ってみる。
●子どもの神経症について
心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。子どもの
神経症は、精神面、身体面、行動面の三つの分野に分けて考える。
(1)精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる)、強迫症状
(周囲の者には理解できないものに対して、おののく、こわがる)、不安症状(理由もなく悩 む)、抑うつ感(ふさぎ込む)など。混乱してわけのわからないことを言ってグズグズしたり、反 対に大声をあげて、突発的に叫んだり、暴れたりすることもある。
(2)身体面の神経症……夜驚症(夜中に狂人的な声をはりあげて混乱状態になる)、夜尿症、
頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、睡眠障害(寝ない、早朝覚醒、寝言)、嘔吐、下痢、便秘、発 熱、喘息、頭痛、腹痛、チック、遺尿(その意識がないまま漏らす)など。一般的には精神面で の神経症に先立って、身体面での神経症が起こることが多く、身体面での神経症を黄信号とと らえて警戒する。
(3)行動面の神経症……神経症が慢性化したりすると、さまざまな不適応症状となって行動面
に表れてくる。不登校もその一つということになるが、その前の段階として、無気力、怠学、無 関心、無感動、食欲不振、引きこもり、拒食などが断続的に起こるようになる。パンツ一枚で出 歩くなど、生活習慣がだらしなくなることもある。
その中の一つが、学校恐怖症(後述、参照)ということになる。その学校恐怖症については、
すでにたびたび書いてきたので、ここでは省略する。
●対処のし方
では、どうするか?
このタイプの子どもは、心の開放を第一に考えて指導する。たとえば大声を出させる、大声で
笑わせる、など。しかしそれは簡単なことではない。友だちどうしの間では、結構、心を開くこと ができても、集団の中へ入ったとたん、かん黙してしまう子どももいる。教師を前にしただけで、 緊張して、体をこわばらせてしまう子どももいる。
こうした症状を不適応症状というが、その症状して、よく見られるものを列挙してみると、つぎ
のようなものがある。
(1)対人恐怖症、集団恐怖症、回避性障害(他人との接触ができない)など。
(2)緊張性の頭痛、腹痛、下痢、嘔吐など。
本来なら、一対一、もしくは、きわめて小人数(3〜4人程度)のようなていねいな指導が望ま
しいが、しかしそれにも程度の問題があって、小人数にしたからといって、心を開くということは ない。とくに小学校へ入学したあとでは、指導による改善は、ほとんど望めない。おとなになっ てからも、そのままつづくというケースは、少なくない。
もしどうしても……ということなら、まったく別の環境の中で、その子どもが心を開けるような、
ばしょをさがすしか、ない。スポーツやサークル活動など。一度、その世界で、何らかのこだわ りを作ってしまうと、そのこだわりを、消すのは、むずかしい。
J君(小5)の子どもがいた。彼は、集団の中では、ほとんど心を開くことはなかったが、サッカ
ーをしているときだけは、黙々と、それに励むことができた。
一方、Cさん(小2)の子どもがいた。小1のはじめから、私の教室へ来たが、小2の途中でや
めるまで、一度とて、大声で歌を歌ったり、笑ったりすることはなかった。いりいろな方法で、手 を変え、品を変え、私なりに努力はしてみたが、結局は、Cさんの心を開くことはできなかった。
このことからも、わかるように、集団に溶けこめない子どもの、「根」は、深い。時期を言え
ば、0歳から、1、2歳前後までに、そういった方向性ができあがると考えてよい。そのため、た いていのばあい、まず母子関係の不全を疑ってみる。
このタイプの子どもは、母子の間の基本的信頼関係ができあがっていないことが多い。何ら
かの理由で、絶対的な安心感を、母親に対していだくことができなかった。「絶対的」というの は、「疑いすらもたない」という意味である。つまり、それから生まれる、不信感が、子どもの心 を閉じさせ、ついで、子どもの心を緊張させるようになると考える。
しかもなお悪いことに、母親に、その自覚がないことが多い。そういう自分の子どもを見て、
むしろ、「できのいい子」と思ってしまうケースが目立つ。そしてそのままの母子関係をつづけて しまう。
で、問題が起きてはじめて、自分の子育てのどこにどういう問題があったかを知る。(が、そ
れでも気づかないケースも、少なくない。ここにあげたCさんのケースでは、Cさん自身は、私の ところへは、彼女なりに楽しんできていた。しかし伸びやかさには、欠けた。母親はそういう姿 を見て、「うちの子は、この教室には合っていない」と判断したようだ。
で、さらに、ここに書いた不適応症状がこじれて、学校恐怖症から、不登校へと進むこともあ
る。この段階でも、親は、自分を反省するということは、ない。子どもの言い分だけを聞いて、 「教師の指導が悪い」「いじめが原因だ」と。
●まとめ
本来なら、集団に溶けこめない子どもについては、それを「悪」と決めてかかるのではなく、そ
の子どもにあった、環境を用意してやるのがよい。苦手なものは、苦手。だれにも、そういう面 の一つは二つは、ある。
何でもかんでも、学校という集団教育の場で解決しようという発想そのものが、おかしい。そう
いう前提で考える。
コツは、無理をしないこと。そしてこのタイプの子どもほど、家の中では、態度が横柄になった
り、乱暴になったりする。そういうときは、「ああ、うちの子は、外の世界でがんばっているから、 こうなのだ」というふうに考えて、理解してやる。
家の中でも、静かで、おとなしく……ということになると、子どもは、やがて行き場をなくし、外
の世界で、さまざまな問題を引き起こすようになる。しかもたいてい、深刻な問題へと発展する ことが多い。
(はやし浩司 子供の心理 集団 集団に入れない子供 集団に溶け込めない子供 集団が
苦手な子供 外で静かな子供 はやし浩司)
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以前、書いた、「内弁慶、外幽霊」の
原稿を添付します。
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●内弁慶、外幽霊
家の中ではおお声を出していばっているものの、一歩家の外に出ると、借りてきたネコの子
のようにおとなしくなることを、「内弁慶、外幽霊」という。
といっても、それは二つに分けて考える。自意識によるものと、自意識によらないもの。緊張し
たり、恐怖感を感じて外幽霊になるのが、前者。情緒そのものに何かの問題があって、外幽霊 になるのが、後者ということになる。たとえばかん黙症などがあるが、それについてはまた別の ところで考える。
子どもというのは、緊張したり、恐怖感を覚えたりすると、外幽霊になるが、それはごく自然な
症状であって、問題はない。しかしその程度を超えて、子ども自身の意識では制御できなくなる ことがある。対人恐怖症、集団恐怖症など。子どもはふとしたきっかけで、この恐怖症になりや すい。その図式はつぎのように考えるとわかりやすい。
もともと手厚い親の保護のもとで、ていねいにかつわがままに育てられる。→そのため社会
経験がじゅうぶん、身についていない。この時期、子どもは同年齢の子どもととっくみあいのけ んかをしながら成長する。→同年齢の子どもたちの中に、いきなりほうりこまれる。→そういう 変化に対処できず、恐怖症になる。→おとなしくすることによって、自分を防御する。
このタイプの子どもが問題なのは、外幽霊そのものではなく、外で幽霊のようにふるまうこと
によって、その分、ストレスを自分の内側にためやすいということ。そしてそのストレスが、子ど もの心に大きな影響を与える。家の中で暴れたり、暴言をはくのをプラス型とするなら、ぐずっ たり、引きこもったりするのはマイナス型ということになる。
こういう様子がみられたら、それをなおそうと考えるのではなく、家の中ではむしろ心をゆるめ
させるようにする。リラックスさせ、心を開放させる。多少の暴言などは、大目に見て許す。
とくに保育園や幼稚園、さらには小学校に入学したりすると、この緊張感は極度に高くなるので
注意する。仮に家でおさえつけるようなことがあると、子どもは行き場をなくし、さらに対処がむ ずかしくなる。
本来そうしないために、子どもは乳幼児期から、適度な刺激を与え、社会性を身につけさせ
る。親子だけのマンツーマンの子育ては、子どもにとっては、決して好ましい環境とはいえな い。
(はやし浩司 子供の心理 内弁慶 外幽霊 集団になじめない子供)
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合わせて、学校恐怖症の原稿を
添付します。
原文(英文)は、私のHPのほうに
収録しておきました。
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子どもが学校恐怖症になるとき
●四つの段階論
同じ不登校(school refusal)といっても、症状や様子はさまざま(※)。私の二男はひどい花粉
症で、睡眠不足からか、毎年春先になると不登校を繰り返した。
が、その中でも恐怖症の症状を見せるケースを、「学校恐怖症」、行為障害に近い不登校を
「怠学(truancy)」といって区別している。これらの不登校は、症状と経過から、三つの段階に 分けて考える(A・M・ジョンソン)。心気的時期、登校時パニック時期、それに自閉的時期。こ れに回復期を加え、もう少しわかりやすくしたのが次である。
(1)前兆期……登校時刻の前になると、頭痛、腹痛、脚痛、朝寝坊、寝ぼけ、疲れ、倦怠感、
吐き気、気分の悪さなどの身体的不調を訴える。症状は午前中に重く、午後に軽快し、夜にな ると、「明日は学校へ行くよ」などと、明るい声で答えたりする。これを症状の日内変動という。 学校へ行きたがらない理由を聞くと、「A君がいじめる」などと言ったりする。そこでA君を排除 すると、今度は「B君がいじめる」と言いだしたりする。理由となる原因(ターゲット)が、そのつ ど移動するのが特徴。
(2)パニック期……攻撃的に登校を拒否する。親が無理に車に乗せようとしたりすると、狂っ
たように暴れ、それに抵抗する。が、親があきらめ、「もう今日は休んでもいい」などと言うと、 一転、症状が消滅する。ある母親は、こう言った。「学校から帰ってくる車の中では、鼻歌まで 歌っていました」と。たいていの親はそのあまりの変わりように驚いて、「これが同じ子どもか」 と思うことが多い。
(3)自閉期……自分のカラにこもる。特定の仲間とは遊んだりする。暴力、暴言などの攻撃
的態度は減り、見た目には穏やかな状態になり、落ちつく。ただ心の緊張感は残り、どこかピ リピリした感じは続く。そのため親の不用意な言葉などで、突発的に激怒したり、暴れたりする ことはある(感情障害)。この段階で回避性障害(人と会うことを避ける)、不安障害(非現実的 な不安感をもつ。おののく)の症状を示すこともある。が、ふだんの生活を見る限り、ごくふつう の子どもといった感じがするため、たいていの親は、自分の子どもをどうとらえたらよいのか、 わからなくなってしまうことが多い。こうした状態が、数か月から数年続く。
(4)回復期……外の世界と接触をもつようになり、少しずつ友人との交際を始めたり、外へ遊
びに行くようになる。数日学校行っては休むというようなことを、断続的に繰り返したあと、やが て登校できるようになる。日に一〜二時間、週に一日〜二日、月に一週〜二週登校できるよう になり、序々にその期間が長くなる。
(注、この(4)の回復期は、ジョンソンの論文にはないものである。私が勝手に加筆した。)
●前兆をいかにとらえるか
要はいかに(1)の前兆期をとらえ、この段階で適切な措置をとるかということ。たいていの親
はひととおり病院通いをしたあと、「気のせい」と片づけて、無理をする。この無理が症状を悪 化させ、(2)のパニック期を招く。
この段階でも、もし親が無理をせず、「そうね、誰だって学校へ行きたくないときもあるわよ」と
言えば、その後の症状は軽くすむ。一般にこの恐怖症も含めて、子どもの心の問題は、今の 状態をより悪くしないことだけを考える。なおそうと無理をすればするほど、症状はこじれる。悪 化する。
※……不登校の態様は、一般に教育現場では、(1)学校生活起因型、(2)遊び非行型、(3)
無気力型、(4)不安など情緒混乱型、(5)意図的拒否型、(6)複合型に区分して考えられてい る。
またその原因については、(1)学校生活起因型(友人や教師との関係、学業不振、部活動な
ど不適応、学校の決まりなどの問題、進級・転入問題など)、(2)家庭生活起因型(生活環境 の変化、親子関係、家庭内不和)、(3)本人起因型(病気など)に区分して考えられている(「日 本教育新聞社」まとめ)。
しかしこれらの区分のし方は、あくまでも教育者の目を通して、子どもを外の世界から見た区
分のし方でしかない。
(参考)
●学校恐怖症は対人障害の一つ
こうした恐怖症は、はやい子どもで、満4〜5歳から表れる。乳幼児期は、主に泣き叫ぶ、睡
眠障害などの心身症状が主体だが、小学低学年にかけてこれに対人障害による症状が加わ るようになる(西ドイツ、G・ニッセンほか)。集団や人ごみをこわがるなどの対人恐怖症もこの 時期に表れる。ここでいう学校恐怖症はあくまでもその一つと考える。
●ジョンソンの「学校恐怖症」
「登校拒否」(school refusal)という言葉は、イギリスのI・T・ブロードウィンが、1932年に最初
に使い、1941年にアメリカのA・M・ジョンソンが、「学校恐怖症」と命名したことに始まる。ジョ ンソンは、「学校恐怖症」を、(1)心気的時期、(2)登校時のパニック時期(3)自閉期の三期に 分けて、学校恐怖症を考えた。
(はやし浩司 子どもの心理 学校恐怖症 対人障害 不登校 不登校児)
【観念的親子論】
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今、親子であるという関係の中で、
もがき苦しんでいる人は多い。
日本人が本来的にもつ親子意識が、
今ここで、大きく変わろうとしている。
こうして苦しみは、その変革期の
一現象とも考えられる。
旧態的な親子観。新しい世界での
親子観。
この二つの親子観が、世代間の問題として、
水面下で、はげしく対立している。
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●親子の縁
「親子の縁」「夫婦の縁」というように、日本では、濃厚な人間関係を意味する言葉として、
「縁」という言葉を使う。しかしそこには、物理的な糸や、ヒモがあるわけではない。しかし実際 には、そこに、切っても切れない、糸や、ヒモのようなものを、感ずる。それが「縁」である。
私たちの織りなす人間関係は、それぞれが、複雑多岐に、からみあっている。英語の表現を
借りるなら、「クモの巣(ウェブ)のように」、ということになる。それぞれの人間関係において、人 は、それぞれの「縁」を感ずる。
しかし縁には、実態があるわけではない。縁というのは、どこまでも、観念的なものにすぎな
い。
それはそれとして、もちろん、その糸や、ヒモの太さは、一様ではない。太いほうから、順に並
べてみると、つぎのようになる。(もちろん、これはあくまでも、一般論にすぎないが……。)
(1)母子の間の糸
(2)父子の間の糸
(3)兄弟の間の糸
(4)夫婦の間の糸
(5)親類の間の糸
(6)友人の間の糸など。
ここで注意しなければならないのは、たとえば母子の間でも、母親側が感ずる、糸やヒモの
(太さ)と、子どもの側が感ずる、(太さ)には、差があるということ。私はこのことを、ある虐待児 を見て、知った。
●悲しき子どもの心
その母親は、中学生になった子ども(男子)に、階段などの掃除をさせるのだが、少しでもゴ
ミが残っていると、すかさず、やりなおしを命じていた。母親の趣味は、植木栽培。植木鉢で花 を育てることだったが、その水のかけ方が悪いときも、そうだ。
虐待といっても、言葉の虐待だったようだ。「お前なんか、生まれてこなければよかった」「だ
れのおかげで、ここまで大きくなれたか、わかっているのか?」「お前を産んで、育ててやった のは、この私だからね」と。
そして子どもが大きなヘマをしたとすると、(実際には、煮物を焦がしたとか、そういうことだが
……)、母親は、息子に向って、こう叫んでいた。「お前なんか、工場でもどこでもいいから、自 分で働き口を見つけて、働きに行け!」と。ときには、「もう、お前なんか、生きている価値など ない。どこかへ行って、死んでしまえ!」とも。
しかしそれでも、その子どもは、母親に従順に従った。で、こんなことがあったという。
その子どもが、小学4年生のときのこと。見るに見かねた、クラスの担任が、校長に相談し
た。そのときは、顔に、スリッパ大のアザが残っていた。それで校長は、近くの児童相談所に通 報。それを聞いて、相談員が、家庭訪問をした。
そのときのこと。子どもは、母親の前で、泣きながら、こう訴えていたという。「ぼく、ちゃんと、
いい子になるから、施設へ入れないで」「お願いだから、ぼくを捨てないで」「お母さんの言うこと を、ちゃんと、聞くから」と。
子どもにしてみれば、いくら虐待されても、母親は、母親。悲しき子どもの心、である。
で、その母親は、子どもの横で、口をつぐみ、どこか柔和な笑みまで浮かべて、仏様のような
顔をしていたという。相談員の人は、こう言った。
「あんなやさしそうな顔をした女性が、家の中では、子どもを虐待しているなんて、とても信じ
られませんでした」「自分の子どものことなのに、まるで他人ごとのような口ぶりでした」と。
●観念的な人間関係
このケースでもわかるように、子どもが母親に感ずる糸(縁)と、母親が子どもに感ずる糸
(縁)は、必ずしも、同一のものではない。太さそのものが、ちがうということも、珍しくない。
夫婦についても、そうだ。私の年代には、「熟年離婚」「定年離婚」というのがある。こうした離
婚劇についても、離婚を一方的に申し出るのは、妻のほうである。しかも、その直前まで、夫の ほうは、それに気づかないことが多いという。
実は、私の知人というか、少し離れた友人に、最近、離婚した人がいる。58歳のときのこと
である。会社を退職し、退職金を手にしたとたん、妻のほうから、離婚の申し出があったとい う。青天の霹靂(へきれき)というのは、まさにそのこと。その瞬間まで、その知人は、妻が離婚 を考えていたことなど、まったく思いもつかなかったという。
このケースでも、妻が夫に感じている糸(縁)と、夫が妻に感じている糸(縁)とは、かなりちが
っていたということになる。
そういう意味でも、人間関係を結ぶ、糸にせよ、ヒモにせよ、それはあくまでも、観念的なもの
にすぎないということになる。わかりやすく言えば、心の中で、そう思うだけ。
●刷りこみよってなされる親への思い
で、問題は、親子の縁の中でも、子どもの側に作られるヒモ(縁)である。子どもは、とくに母
親に対して、強烈なヒモを心の中に、つくる。それもそのはずで、子どもは、母親から生まれた あと、乳を受けるという形で、命をはぐくむ。この時点で、母親なくして、子どもは一日とて、生き ていくことはできない。
(こうした母子の間のヒモを調整するのが、父親の役目の一つということになる。したがって、
父親不在の家庭ほど、つまり父親の存在感に薄い家庭ほど、この母子間のヒモが太くなりや すいということになる。)
そこで子どもは、懸命に、母親に好かれるように表情や動作で、母親の愛情を、自分に向け
させようとする。これを「アタッチメント」と言う。そして自分の中に、母親の姿を、刻みこんでい く。
一連のこうした心理は、本能に近い部分にまで、脳ミソの奥深くに、刷りこまれていく。したが
って、一度、こうした刷りこみがなされると、それから子どもが解放されるということは、まず、な い。仮に解放されたとしても、そのあと、その人は、自らの精神的基盤を失い、情緒的に、きわ めて不安定になることが多い。
そこで重要なことは、母親にせよ、父親にせよ、それをよいことに、子どもを、いつまでも、こ
うした呪縛(じゅばく)で、子どもをしばってはいけないということ。その時期がきたら、(それは 子どもが、小学3、4年生のころとみるが)、子どもがじょうずに、親離れできるように、親のほう が、子どもをしむけなければならない。
その手順がまずいと、今度は、子どもは、こうした観念的な縁がもつ呪縛、それを心理学の
世界では、「家族自我群」というが、その自我群のもつ重圧感(=幻惑)の中で、子どものほう が苦しむことになる。
●日本人の子育て観
とくに日本人は、そういう意味での、子どもの自立を認めない。逆に、ベタベタの親子関係で
あればあるほど、よい親子と判断する。さらに家族自我群を悪用して(?)、逆に、子どもをしば りつけることもある。
「お前はだれのおかげで、ここまで大きくなれたか、それがわかっているのか」とか、「今まで
育ててやった恩を忘れるのは、人間のクズ」とか。そう言って、高校生になった自分の息子に 叫んでいた、父親がいた。さらに父親に反発した子ども(25歳くらい)に向って、「お前が、言葉 を話せるようになったのも、親のおかげだ。親の恩を忘れるな」と、説教していた男性(50歳く らい。その父親の兄)もいた。
親子といい、夫婦といい、兄弟、親戚といい、それはあくまでも観念的な人間関係に過ぎな
い。(だから、つまらないものと言っているのではない。誤解のないように!)
大切なことは、もともとそこには、何もないということ。何も、ない。まったく、何もない。「ある」
と感ずるのは、それは観念の世界で、そう感ずるからにすぎない。もっとわかりやすく言えば、 ただの思いすごし。想像。空想。
●人間としての親子関係
そこで私たちは、こうした観念的な人間関係から、実存的な人間関係へと、心のどこかで、人
とのかかわり方を、変革していかねばならない。もちろん、親子関係とて、例外ではない。親子 といえども、つきつめて考えれば、一対一の人間関係にすぎない。
が、親子の縁など、くだらないから、切ってしまえと言っているのではない。むしろ、その反対で
ある。つまり子どもを、1人の人間として認める。そのレベルまで、子どもの人格を、もちあげ る。言いかえると、親になるということは、それほどまでに、きびしいことであるということ。決し て、親子であるという関係に、親のほうが、子どもに甘えてはいけない。
そうでない親子には、信じられないような話だが、この世界には、自分の息子をだまして、金
をまきあげ、自分の実家(母親の生まれ育った実家)に、金を注いでいた母親がいた。さらに、 嫁いで家を出た娘に向って、「私が死んでからも、お前が地獄へ落ちるのを楽しみに見ていて やる」と言った母親もいた。
そういう母親であっても、息子や娘は、その呪縛の中で苦しむ。こうした自我群から生まれる
特殊な苦しみを、「幻惑」という。そう、まさに、幻惑である。その苦しみの深さは、それを経験し たものでないとわからない。「悶々として、一日とて、気が晴れることがありません」と訴えた、 女性がいた。「思わず、自分の車を、反対車線のほうへ車をつっこんで、死にたくなったことも あります」と訴えた、女性もいた。
そういう親をもつと、おかしなことに、本当におかしなことに、一方的に苦しむのは、子どもの
側ということになる。親が悪ければ悪いほど、子どものほうが、それに苦しむ。子どもの側に、 何も責任がなくても、苦しむ。つまりそれほどまでに、この糸や、ヒモは、太い。簡単には、切れ ない。
が、それだけではない。
さらに一言つけ加えるなら、こうなる。本文の中で少し触れたが、この糸や、ヒモを切れば切
ったで、子どもの方は、その時点で、精神的基盤を失うことになる。はげしい情緒不安症状を 訴える人も少なくない。それはちょうど、熱心な信仰者が、信仰の基盤を失ったときの心理状 態に似ている。
その子どもは、精神的に、とことん追いつめられる。自らダメ人間のレッテルを張り、自己否
定の世界におちいることもある。「それでも、親は、親だ。私は、人間として、失格者だ」と。
●時間という解決方法
しかし救いの道がないわけではない。
こうした幻惑による苦しみは、重くてつらいものだが、時間が解決してくれる。ある男性は、ほ
ぼ10か月にわたって、毎晩、床につくと同時に、はげしい動悸とともに、熱病に似た症状で苦 しんだという。
その男性の母親は、その男性が所有していた土地などを、その男性が、6か月間、外国へ
行っている間に、他人に売ってしまったという。その男性は、土地の権利書や預金通帳など を、留守の間、母親に預けておいた。そこでその男性が、母親に抗議すると、その母親は、こ う言ったという。「親が、先祖を守るために、息子の財産を使って、何が悪い! このバチ当た りめ!」と。
しかしその10か月をすぎてみると、母親への情が消えているのを知った。その男性はこう言
った。「今ならもう、いつ母親が死んでも、平然と、葬式ができるでしょうね。涙は、ぜったいに 出ませんよ」と。
こうした心の問題には、時間という解決方法がある。そうした問題に気がついたら、あとは、
その時間に、心をゆだねればよい。その時間が、あなたの心を溶かし、やがて問題を解決して くれる。
(はやし浩司 観念的親子論 家族自我群 幻惑 自我群からの脱却 開放 呪縛からの解放
親子の縁 はやし浩司)
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【付記】
この原稿について、R天日記BLOGのほうに、こういうコメントが寄せられました。参考まで
に、ここに掲載しておきます。
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参考になる考え方ですが、若干の疑義があります。親子で縁のイトの太さ勝ちがうのはよく感
じることですが、私自身も含め身辺では親の側が糸を太くまた短く感じていてしっかとつかんで 離さない例の方を多く見ます。子供に裏切られたと感じている(実は子供が親離れした)親の 方が多い時代では? 例示は存在することは知っていても身近には実感として持てない、犯罪 的事例と思います。
●母性本能
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母性本能って、何か?
本当に、それは本能と言ってよい、本能なのか?
また、どんな女性にも、母性本能があると
簡単に、言い切って、よいのか。
男性には、母性本能はないのか。
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女性には、母性本能があると、よく言われる。しかし、本当にそうか? 本当に、そう言い切っ
てよいのか?
私の調査でも、こんなことがわかっている。たとえば、幼稚園児から小学校の低学年児につ
いて、暖かい素材でできたぬいぐるみを見せたとき、たいていの子どもは、「かわいい」と言っ て、それを抱きしめたり、頬ずりをしてみせたりする。しかし、反応をほとんど示さない女児もい る。約20%弱はいる。その割合は、男児と、同じである。
そこで、これはあくまでも私の仮説だが、私は、こう考える。
子犬やペットなど、かわいいものを子どもに見せると、子どもは、「かわいい」という。こうした
愛着意識は、その子ども自身が乳幼児期に、子育てをとおして、親から、心の中に植えつけら れるものと考えてよい。親、とくに母親の豊かな愛情に包まれて育てられた子どもほど、いわゆ る親としての、親像を、自然な形で、身につけていく。
しかしこの時期に、親の無視、冷淡、虐待、育児放棄などを経験した子どもは、親像を作れ
ないまま、少年少女期を迎えてしまう。「子育ては、本能ではなく、学習である」という定説は、 そういうところから生まれた。子どもは、親によって育てられたという経験があってはじめて、自 分が親になったとき、今度は、自分で子育てができるようになる。
で、この親像が基盤となり、その上に、母性本能が形成されていく。が、それが形成されるの
は、子どもが生まれてからのこと。早くても、子どもを妊娠してからのこと。しかし本格的に形成 されるのは、やはり、子どもが生まれてから。
母親は、オギャーオギャーと泣く子どもを見て、心の中に、特殊な意識を作っていく。それまで
は、他人の子どもを見て、「かわいい」と表現することはあっても、母性本能と言えるほどの、強 力な愛着意識にまでは、発展しない。
つまり、私たちが「母性本能」と呼んでいるところの特殊な意識は、新生児が生まれた直後か
ら、母親の脳の中に、意識として、作られるものと考えてよい。それは母親が新生児を見た瞬 間に始まり、その瞬間に、そのほとんどが完成される。
だからこんな話がある。
アメリカには、代理出産制度というのがある。父親の精子を使って、別の女性に、自分の子
どもを代理出産させるという制度である。
こうして子どものいない夫婦は、別の女性に自分の子どもを産んでもらう。で、そのときのこと
だが、生まれた子どもは、出産と同時に、その出産した女性から、離すそうである。乳を与えさ せないことはもちろんのこと、たがいに顔さえ合わせないまま、離す。
そうでないと、その子どもを産んだ女性に、ある特殊な感情、つまり私たちが言うところの、母
性本能と言われるものが生まれてしまう。そして一度、その特殊な意識が生まれてしまうと、代 理で産んだはずなのに、その女性は、その子どもと別れられなくなってしまう。
ふつうは、性別も、その子どもの行き先も、教えないという。これはあとあとのトラブルを避け
るためだそうだ。(それでも、ときどきトラブルが起こると聞いている。産んだとたん、その子ど もを手放せなくなってしまうことも、あるそうだ。)
以上のことから、冒頭に書いたように、私は、「女性には、母性本能がある」と言い切るの
は、危険なことだと思う。また、そう決めてかかってはいけない。約7〜10%の母親は、自分の 子どもを愛せないと、人知れず、悩んでいる。その悩みの原因になっているのが、「母親なら、 母性本能があるはず」という、『ハズ論』である。
で、その反対に、父親を、子どもの出産に立ち会わせることによって、父親にも、母親と同
じ、ある特殊な感情をもたせることもできるそうだ。そんなことも、最近の研究でわかってきた。 つまりこのばあい、父親が感ずる特殊な感情と、母親が感ずる特殊な感情との間には、ちが いはない、ということになる。
わかりやすく言えば、父親も、その方法によって、私たちが「母性本能」と呼んでいるところ
の、意識(本能ではない!)をもつようになる。
だから、「母親だから……」「父親だから……」という、『ダカラ論』ほど、あてにならないものは
ない。現に、自分の子どもを虐待する母親となると、この日本だけでも、ゴマンという。全体の 約30〜35%の母親が、虐待もしくは、虐待に近い行為をしているということも、わかってい る。
つまり私たちが「母性本能」と呼んでいるところの特殊な意識は、本能ではなく、子どもが生ま
れる前後から、母親の脳の中に、つくられる意識ということになる。
このことは、さらに、つぎのような事実によっても、証明される。
よく子どもの受験勉強に狂奔する親というのが、いる。すさまじいほどの時間とエネルギー
を、子どもの受験競争に注ぎこむ。そういう親でも、なぜそうするかと聞くと、「子供のため」「子 どもを愛しているから」と答える。「少しくらい子どもに嫌われても、かまわない。子どものために さえなれば」と言う人もいる。
しかし実際には、子どもを愛しているから、そうしているのではない。自分の中に潜む不安や
心配を解消するために、そうしている。子どもを利用している。学歴に対する大きなわだかまり が、引き金になることもある。ともかくも、真の愛情に根ざしたものではない。
そういうタイプの母親をよく観察してみると、子どものためとは言いながら、その実、子どもを
虐待しているのが、わかる。まさに、虐待である。
泣き叫んで抵抗する子どもを、ベッドから引きずりだして、ワークブックをさせるなど。成績が
少しでもさがったりすると、小遣いを減らしたり、ゲーム機器を取りあげたりする。「勉強しろ!」 「いやだ!」の大喧嘩をするほうは、まだよいほう。
中には、神経戦をとおして、子どもを追いつめる親だっている。体罰を加える親だって、い
る。
つまりもし、こうした親たちに、「本能」と言えるような強力な意識があるなら、親は、本来的
に、そんなことはしないはず。言うまでもなく、もしそれが本能なら、意識の向こうにあり、意識 ではコントロールできない。逆に、意識そのものをコントロールする。
たとえばそれが本能なら、子どもが「いやだ」と泣き叫んだだけで、親は、手を引いてしまうだ
ろう。
そこでここで、このエッセーの結論。野生児の例を出すまでもなく、私たちがもつ意識は、そ
のほとんどが、生後直後から、脳の中に、意識として作られていく。そう考えることによって、子 育てにまつわる矛盾を解くことができる。子育てにまつわる問題を解くことができる。
(はやし浩司 母性 母性本能 父性本能 子供の心理 母親の心理 親像 はやし浩司)
●大乗仏教
+++++++++++++++++
どうして、日本へ伝わってきた仏教を
大乗仏教(だいじょうぶっきょう)と
言うか、知っていますか。
一方、釈迦の生誕地から、南、つまり
今の東南アジア方面に伝わった仏教を
小乗仏教といいますね。
どうして小乗仏教というか、知ってい
ますか。
+++++++++++++++++
「大乗」というのは、「みんなが乗る」という意味です。つまりですね、とくに出家しなくても、信
仰すれば、だれでも、大きな船に乗って、悟りの彼岸へ行けるという意味なんですよ。
一方、「小乗」というのは、出家して、特別の修行をした人たちだけが、悟りの彼岸へ行ける
船に乗ることができるという意味です。つまりは、小さな船ということかな。
ただし小乗仏教では、いくら修行しても、ブッダには、なれません。最高でも、阿羅漢(あらか
ん)という位までです。(位なんて、どうでもよいことですが……。)
大乗仏教の人たちは、自分たちこそ正当であるという意味で、「大乗」と言い、どこかさげす
んだ意味をこめて、いわゆる南伝仏教を、「小乗」と言います。かたや、小乗仏教の人たちは、 自分たちこそ正当であるという意味をこめて、「上座部」と言い、大乗仏教を、やはりさげすん だ意味をこめて、「大衆部」と言います。
これも、どうでもよいことですが……。
こうした分派は、釈迦滅後、約100年くらいしてから、始まったそうです。この分派以前の釈
迦仏教を、原始仏教と呼ぶ人もいます。「原始」というと、何か、劣っているような印象を受けま すが、仏教の研究をしようと考えたら、原始仏教から始めなければなりませんね。
だいぶ前に亡くなりましたが、東大の中村元(はじめ)名誉教授は、「大乗非仏説」を唱えてい
ましたよ。つまり、ガンダーラから、中国を経て日本へ入ってきた釈迦仏教は、本来の釈迦の 教えとは、似ても似つかぬ、異質のものである、と。中村元氏は、その原始仏教の分野では、 超一級の研究者でした。
これも、私たち、凡人には、どうでもよいことですが……。
大切なことは、私たち一人ひとりが、それぞれの方法で、満ち足りた幸福を追求するというこ
とですね。どの宗派が正しいとか、まちがっているとか、正当であるとか、ないとか、そんなこと を論じても、意味がないということ。
いわんやこの日本という小さな島国の中で、「オレたちは、絶対正しい」「あとは、みんなまち
がっている」と、つまらない言い争いをしても、意味はありませんね。わかりやすく言うとです ね、宗教論争ほど、無意味で、空虚なものは、ないということ。
私もかつて一度、そういう宗教論争に巻きこまれ、不愉快な思いをしたことがあります。それ
こそ、重箱のスミを、爪楊枝(つまようじ)で、ほじくりかえすような論争ばかり。ささいな字句の 解釈のちがいをとらえて、ああでもない、こうでもないと論争するのですから……。
でもね、一度は、仏教の勉強も軽くしておくとよいですね。何といっても、日本は、一応、仏教
国。生活のあらゆる場面に、仏教のにおいが、しみこんでいますから。何も考えないまま、ある いは疑わないまま、風習だけに振りまわされていると、ときとして、自分を見失うことにも、なり かねません。
そのレッスン・ワン。大乗仏教と、小乗仏教について、ここで考えてみました。
(はやし浩司 大乗仏教 小乗仏教 上座部 大衆部 阿羅漢 原始仏教)
●四法印
私の先祖がまつってある墓地の入り口に、正方形の石碑が建っている。そしてその四面に
は、(1)諸行無常(しょぎょうむじょう)、(2)一切行苦(いっさいぎょうく)、(3)諸法無我(しょほ うむが)、(4)涅槃寂静(ねはんじゃくせい)の、文字が刻んである。
これを仏教の世界では、「四法印」と呼んでいる。つまり、この四法印こそが、仏教の教義の
根幹と思えばよい。
つまり、この世の中のすべてのものは、流転して定まることはない(=諸行無常)。そして生き
ることには、困苦はつきもの。困苦のない人生など、ありえない(=一切行苦)。またあらゆるも のは、いわば幻想のようなもの。もっと言えば、「空」。つまり実体のあるものは、何ひとつない (=諸法無我)。で、最後に、すべての欲望から解放されたとき、人は、はじめて心の静寂を自 分のものにすることができる(=涅槃寂静)と。
釈迦のこうした教えの基盤にあるのは、「救済」と考えてよいのでは……? つまり今、苦しん
でいる人を、どう救うかということ。そのため、釈迦仏教というと、どこか、暗い。この四法印に ついても、そうだ。
かつて、これについて書いた原稿があるので、ここに転載する。今から、3、4年前に書いた
原稿である。
++++++++++++++++++
●30年、一世代
「世」という漢字は、もともと「十十十」、つまり「三十」を意味するという。ちょうど30年で、一世
代を繰りかえすことから、そういう字を使うようになったという。
たとえば30年後、あなたの子どもは、あなたの年齢になり、あなたの子どもと同じ年齢の子
どもをもつようになる。反対に30年前には、あなたの両親が、今のあなたの年齢で、あなたは 今のあなたの子どもの年齢だった……。
しかし私は、この30年という数字を、別の意味で、とらえている。
私もこの浜松市に住むようになって、今年で、33年になる。ちょうど一世代分、この町で生き
たことになる。先日もそのことについて、ワイフと、こんな話をした。
「この30年間で、ぼくたちのまわりは、すっかり変ったね」と。
そう、この30年間で、大きく変わった。小さな店を経営していた商店主が、全国規模の大会
社の社長になったというようなケースがある一方で、浜松市でも一、二を争っていた資産家が、 落ちぶれて、見る影もなくなってしまったというようなケースもある。
まさに栄枯盛衰。仏教的無常観を借りるなら、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり
※』(平家物語)ということになる。
で、そういう世間を見ながら、かろうじてふんばっている我が身を知り、「こんな自分も、いつ
までつづくのか?」と、ふと、思う。
ただ、だからといって、生きていることが、虚(むな)しいとか、そういうことを言っているのでは
ない。成功した人がどうとか、失敗した人がどうとか言っているのではない。人は、人それぞれ だし、私は私だ。
が、30年も生きてみると、世の移り変わりというものが、実感として、自分の心の中でわかる
ようになる。そしてふと立ち止まったようなとき、「あのときの、あの人は何だったのかなあ」と、 思う。
しかしそれは、そのまま私自身の未来の姿でもある。いつかだれかが、ふと、私のことを思い
出しながら、「はやし浩司って、何だったのかなあ」と思うかもしれない。何もかもあいまいな世 界だが、はっきりしていることもある。
それは、つぎの30年後には、私はこの世から消えていなくなっているということ。ワイフの父親
も、もう死んでいるし、私の父親も死んでいる。それと同じになる。
「世」という漢字は、もともと「十十十」、つまり「三十」を意味するという。
今、つくづくと、「なるほどなア」と思う。
【補記】
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声
諸行無常(しょぎょうむじょう)の響きあり
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色
盛者必衰(しょうじゃひっすい)の理(ことわり)をあらわす
おごれる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂(つい)には滅びぬ
偏に風の前の塵(ちり)に同じ
+++++++++++++++
【追記】
仏教的無常観……つまり、何をしてもムダ、何をしても意味がない、という無常観は、正しくな
い。当時は、そういう世相であったかもしれないが、それをそのまま受け入れると、たいへんな ことになる。まさに(生きること)を、否定してしまうことになりかねない。
私はこのことを、中学生のときに、感じたことがある。
私は、中学生のころ、自分で空を飛んでみたかった。それ以前からそうだったが、毎日、どう
すれば、自分で空を飛べるか、そればかりを考えていた。
小学4年生くらいのときには、板を切って、翼(はね)を作ったこともある。で、あれこれいろい
ろ実験を繰りかえしていた。一度は、それを背中につけて、一階の屋根の上から、飛び降りた こともある。
……というより、そんなわけで、中学生になるころには、飛行機が飛ぶ原理を、ほぼ完ぺきに
近いほど、知りつくしていた。
そんな中、一人、たいへん冷めた男がいた。いつも私がすることを、遠巻きにして、ニヤニヤ
と笑って見ているような男だった。今、ここで具体的にどんなことがあったかを、書くことはでき ない。よく覚えていない。しかしその冷めた目つきだけは、今でも忘れない。
軽蔑の眼(まなこ)というか、いつもそういう眼で、私を見ていた。
つまり自分では、何もしないで、他人のすることを、あれこれ、批判、批評ばかりしていた。
「そんなことしても、ムダだ」とか、「意味がない」とか。
仏教的無常観というのは、それに似ている。仏教的無常観を信ずる人は、その人の勝手だ
が、しかしだからといって、この世の中で、懸命に生きている人を否定するための道具に、そ れを使ってはいけない。
先日も、こんなことを言った人(男性、60歳くらい)がいた。
「林君、どうせ有名になっても、意味はないよね。死んで10年もすれば、たいてい忘れられ
る。総理大臣だって、そうだ。今の若い人は、30年前の総理大臣の名前すら、覚えていないだ ろ」と。
たしかにそうだが、しかしだからといって、懸命に生きること、それを否定しては、いけない。
ちなみにその人は、どこからどう見ても、ただの平凡な男だった。
仏教的無常観をもつ人は、どこか、独特の優越感を覚えることが多い。「冷めた考え方」とい
うのは、そういう考え方をいう。
失敗してもようではないか。つまずいてもよいではないか。有名になれなくてもよいではない
か。大切なことは、その人が、いかに充実した人生を、満足に送ることができるか、だ。
仏教にも、いろいろな側面がある。しかし私は、仏教がもつ、(あるいは宗教全般がそうかも
しれないが)、現世逃避的なものの考え方には、どうしても、ついていけない。ここでいう仏教的 無常観も、その一つである。
私なら、平家物語を、こう書く。
++++++++++++++++++
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の鐘の声
夢と希望の、明るい音色。
沙羅双樹(さらそうじゅ)の花の色
我らが目的は、失敗にめげず、前に進むこと
懸命に生きる、人の美しさ
未来に向かって、ひたすら生きる
その命、人から人へと、永遠につづく
そこに、人が生きる意味がある。価値がある。
+++++++++++++++++++++++
しかし仏教というと、どうしてこうまで考え方が、うしろ向きなのだろうか。これはあくまでも私
の印象で、こういう私の意見に猛反発する人もいるかもしれない。しかしさんさんと明るく輝く、 太陽のようなぬくもりはない。
どこか、線香臭く、どこか、湿っぽい。本当は、そうではないのかもしれない。たとえば、「あの
世」についても、原始仏教の中では、つぎのように説いている。
+++++++++++++++++++++++
●あの世論
あの世はあるのだろうか。それともないのだろうか。釈迦は『ダンマパダ』(原始経典のひと
つ、漢訳では「法句経」)の中で、つぎのように述べている。
「あの世はあると思えばあるし、ないと思えばない」と。
わかりやく言えば、「ない」と。「あの世があるのは、仏教の常識ではないか」と思う人がいるか
もしれないが、そうした常識は、釈迦が死んだあと、数百年あるいはそれ以上の年月を経てか らつくられた常識と考えてよい。もっとはっきり言えば、ヒンズー教の教えとブレンドされてしまっ た。そうした例は、無数にある。
たとえば皆さんも、日本の真言密教の僧侶たちが、祭壇を前に、大きな木を燃やし、護摩(ご
ま)をたいているのを見たことがあると思う。あれなどはまさにヒンズー教の儀式であって、それ 以外の何ものでもない。
むしろ釈迦自身は、「そういうことをするな」と教えている。(「バラモンよ、木片をたいて、清浄
になれると思ってはならない。なぜならこれは外面的なことであるから」(パーリ原典教会本「サ ニュッタ・ニカーヤ」)と。
++++++++++++++++++
●なぜ生きるかについて
ではなぜ、私たちは生きるか、また生きる目的は何かということになる。釈迦はつぎのように
述べている。
「つとめ励むのは、不死の境地である。怠りなまけるのは、死の足跡である。つとめ励む人は
死ぬことがない。怠りなまける人は、つねに死んでいる」(四・一)と述べた上、「素行が悪く、心 が乱れて一〇〇年生きるよりは、つねに清らかで徳行のある人が一日生きるほうがすぐれて いる。愚かに迷い、心の乱れている人が、一〇〇年生きるよりは、つねに明らかな智慧あり思 い静かな人が一日生きるほうがすぐれている。怠りなまけて、気力もなく一〇〇年生きるより は、しっかりとつとめ励む人が一日生きるほうがすぐれている」(二四・三〜五)(中村元訳)と。
要するに真理を求めて、懸命に生きろということになる。言いかえると、懸命に生きることは
美しい。しかしそうでない人は、そうでない。こうした生き方の差は、一〇年、二〇年ではわから ないが、しかし人生も晩年になると、はっきりとしてくる。
先日も、ある知人と、三〇年ぶりに会った。が、なつかしいはずなのに、そのなつかしさが、
どこにもない。会話をしてもかみ合わないばかりか、砂をかむような味気なさすら覚えた。話を 聞くと、その知人はこう言った。「土日は、たいていパチンコか釣り。読む新聞はスポーツ新聞 だけ」と。こういう人生からは何も生まれない。
++++++++++++++++++++++
少しきびしいことを書いてしまったが、仏教も、ほんの少しだけ視点を変えると、明るさがまし
てくるのではないか。またそれが本来の仏教ではないか。「どう、心安らかに死ぬか」というの ではなく、「どう、明るく、前向きに生きるか」。それを教えているのが、私は仏教だと思っている が……。
この先は、またゆっくりと考えてみたい。少し、疲れた。
(05年9月24日)
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●すべて「空」
大乗仏教といえば、「空(くう)」。この空の思想が、大乗仏教の根幹をなしているといっても過
言ではない。つまり、この世のすべてのものは、幻想にすぎなく、実体のあるものは、何もな い、と。
この話は、どこか、映画、『マトリックス』の世界と似ている。あるいは、コンピュータの中の世
界かもしれない。
たとえば今、目の前に、コンピュータの画面がある。しかしそれを見ているのは、私の目。そ
のキーボードに触れているのは、私の手の指、ということになる。そしてその画面には、ただの 光の信号が集合されているだけ。
私たちはそれを見て、感動し、ときに怒りを覚えたりする。
しかし目から入ってくる視覚的刺激も、指で触れる触覚的刺激も、すべて神経を介在して、脳
に伝えられた信号にすぎない。「ある」と思うから、そこにあるだけ(?)。
こうした「空」の思想を完成したのは、実は、釈迦ではない。釈迦滅後、数百年後を経て、紀
元後200年ごろ、竜樹(りゅうじゅ)という人によって、完成されたと言われている。釈迦の生誕 年については、諸説があるが、日本では、紀元前463年ごろとされている。
ということは、私たちが現在、「大乗仏教」と呼んでいるところのものは、釈迦滅後、600年以
上もたってから、その形ができたということになる。そのころ、般若経や法華経などの、大乗経 典も、できあがっている。
しかし竜樹の知恵を借りるまでもなく、私もこのところ、すべてのものは、空ではないかと思い
始めている。私という存在にしても、実体があると思っているだけで、実は、ひょっとしたら、何 もないのではないか、と。
たとえば、ゆっくりと呼吸に合わせて上下するこの体にしても、ときどき、どうしてこれが私な
のかと思ってしまう。
同じように、意識にしても、いつも、私というより、私でないものによって、動かされている。仏
教でも、そういった意識を、末那識(まなしき)、さらにその奥深くにあるものを、阿頼那識(あら やしき)と呼んでいる。心理学でいう、無意識、もしくは深層心理と、同じに考えてよいのでは (?)。
こう考えていくと、肉体にせよ、精神にせよ、「私」である部分というのは、ほんの限られた部
分でしかないことがわかる。いくら「私は私だ」と声高に叫んでみても、だれかに、「本当にそう か?」と聞かれたら、「私」そのものが、しぼんでしまう。
さらに、生前の自分、死後の自分を思いやるとよい。生前の自分は、どこにいたのか。億年
の億倍の過去の間、私は、どこにいたのか。そしてもし私が死ねば、私は灰となって、この大 地に消える。と、同時に、この宇宙もろとも、すべてのものが、私とともに消える。
そんなわけで、「すべてが空」と言われても、今の私は、すなおに、「そうだろうな」と思ってしま
う。ただ、誤解しないでほしいのは、だからといって、すべてのものが無意味であるとか、虚(む な)しいとか言っているのではない。私が言いたいのは、その逆。
私たちの(命)は、あまりにも、無意味で、虚しいものに毒されているのではないかということ。
私であって、私でないものに、振りまわされているのではないかということ。そういうものに振り まわされれば振りまわされるほど、私たちは、自分の時間を、無駄にすることになる。
●自分をみがく
そこで仏教では、修行を重んじる。その方法として、たとえば、八正道(はっしょうどう)があ
る。これについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。正見、正思惟、正語、 正業、正命、正精進、正念、正定の8つをもって、八正道という。
が、それでは足りないとして生まれたのが、六波羅密ということになる。六波羅密では、布
施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵を、6つの徳目と位置づける。
八正道が、どちらかというと、自己鍛錬のための修行法であるのに対して、六波羅密は、「布
施」という項目があることからもわかるように、より利他的である。
しかし私は、こうしてものごとを、教条的に分類して考えるのは、あまり好きではない。こうした
教条で、すべてが語りつくされるとは思わないし、逆に、それ以外の、ものの考え方が否定され てしまうという危険性もある。「まあ、そういう考え方もあるのだな」という程度で、よいのではな いか。
で、仏教では、「修行」という言葉をよく使う。で、その修行には、いろいろあるらしい。中に
は、わざと体や心を痛めつけてするものもあるという。怠(なま)けた体には、そういう修行も必 要かもしれない。しかし、私は、ごめん。
大切なことは、ごくふつうの人間として、ごくふつうの生活をし、その生活を通して、その中で、
自分をみがいていくことではないか。悩んだり、苦しんだりしながらして、自分をみがいていくこ とではないか。奇をてらった修行をしたからといって、その人の人格が高邁(こうまい)になると か、そういうことはありえない。
その一例というわけでもないが、よい例が、カルト教団の信者たちである。信者になったとた
ん、どこか世離れしたような笑みを浮かべて、さも自分は、すぐれた人物ですというような雰囲 気を漂わせる。「お前たち、凡人とは、ちがうのだ」と。
だから私たちは、もっと自由に考えればよい。八正道や、六波羅密も参考にしながら、私たち
は、私たちで、それ以上のものを、考えればよい。こうした言葉の遊び(失礼!)に、こだわる 必要はない。少なくとも、今は、そういう時代ではない。
私たちは、懸命に考えながら生きる。それが正しいとか、まちがっているとか、そんなことを
考える必要はない。その結果として、失敗もするだろう。ヘマもするだろう。まちがったこともす るかもしれない。
しかしそれが人間ではないか。不完全で未熟かもしれないが、自分の足で立つところに、
「私」がいる。無数のドラマもそこから生まれるし、そのドラマにこそ、人間が人間として、生きる 意味がある。
今は、この程度のことしかわからない。このつづきは、もう少し頭を冷やしてから、考えてみた
い。
(050925記)
(はやし浩司 八正道 六波羅密 竜樹 大乗仏教 末那識 阿頼那識)
【ゲーム脳】(改)
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ゲームばかりしていると、脳ミソがおかしくなるぞ!
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最近、急に脚光を浴びてきた話題に、「ゲーム脳」がある。ゲームづけになった脳ミソを「ゲー
ム脳」いう。このタイプの脳ミソには、特異的な特徴がみられるという。しかし、「ゲーム脳」と は、何か。NEWS WEB JAPANは、つぎのように報道している(05年8月11日)。
『脳の中で、約35%をしめる前頭葉の中に、前頭前野(人間の拳程の大きさで、記憶、感情、
集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分) という、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔がある。
この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎると働か
なくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるという。それを科学的に証明したのが、日 大大学院の森教授である』(以上、NEWS WEB JAPAN※)。
つまりゲーム脳になると、管理能力全般にわたって、影響が出てくるというわけである。この
ゲーム脳については、すでに、さまざまな分野で話題になっているから、ここでは、省略する。 要するに、子どもは、ゲームづけにしてはいけないということ。
が、私がここで書きたいのは、そのことではない。
この日本では、(世界でもそうかもしれないが)、ゲームを批判したり、批評したりすると、もの
すごい抗議が殺到するということ。上記のK教授のもとにも、「多くのいやがらせが、殺到してい る」(同)という。
考えてみれば、これは、おかしなことではないか。たかがゲームではないか(失礼!)。どうし
てそのゲームのもつ問題性を指摘しただけで、抗議の嵐が、わき起こるのか?
K教授らは、「ゲームばかりしていると、脳に悪い影響を与えますよ」と、むしろ親切心から、
そう警告している。それに対して、(いやがらせ)とは!
実は、同じことを私も経験している。5、6年前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)という本
を書いた。そのときも、私のところのみならず、出版社にも、抗議の嵐が殺到した。名古屋市 にあるCラジオ局では、1週間にわたって、私の書いた本をネタに、賛否両論の討論会をつづ けたという。が、私が驚いたのは、抗議そのものではない。そうした抗議をしてきた人のほとん どが、子どもや親ではなく、20代前後の若者、それも男性たちであったということ。
どうして、20代前後の若者たちが、子どものゲームを批評しただけで、抗議をしてくるのか?
出版社の編集部に届いた抗議文の中には、日本を代表する、パソコン雑誌の編集部の男性 からのもあった。
「子どもたちの夢を奪うのか!」
「幼児教育をしながら、子どもの夢が理解できないのか!」
「ゲームを楽しむのは、子どもの権利だ!」とか何とか。
私の本の中の、ささいな誤字や脱字、どうでもよいような誤記を指摘してきたのも多かった。
「貴様は、こんな文字も書けないのに、偉そうなことを言うな」とか、「もっと、ポケモンを勉強し てからものを書け」とか、など。
(誤字、脱字については、いくら推敲しても、残るもの。100%、誤字、脱字のない本などな
い。その本の原稿も、一度、プロの推敲家の目を経ていたのだが……。)
反論しようにも、どう反論したらよいかわからない。そんな低レベルの抗議である。で、そのと
きは、「そういうふうに考える人もいるんだなあ」という程度で、私はすませた。
で、今回も、森教授らのもとに、「いやがらせが、殺到している」(同)という。
これはいったい、どういう現象なのか? どう考えたらよいのか?
一つ考えられることは、ゲームに夢中になっている、ゲーマーたちが、横のつながりをもちつ
つ、カルト化しているのではないかということ。ゲームを批判されるということは、ゲームに夢中 になっている自分たちが批判されるのと同じ……と、彼らは、とらえるらしい(?)。おかしな論 理だが、そう考えると、彼らの心理状態が理解できる。
実は、カルト教団の信者たちも、同じような症状を示す。自分たちが属する教団が批判され
たりすると、あたかも自分という個人が批判されたかのように、それに猛烈に反発したりする。 教団イコール、自分という一体感が、きわめて強い。
あのポケモン全盛期のときも、こんなことがあった。私が、子どもたちの前で、ふと一言、「ピ
カチューのどこがかわいいの?」ともらしたときのこと。子どもたちは、その一言で、ヒステリー 状態になってしまった。ギャーと、悲鳴とも怒号ともわからないような声をあげる子どもさえい た。
そういう意味でも、ゲーム脳となった脳ミソをもった人たちと、カルト教団の信者たちとの間に
は、共通点が多い。たとえばゲームにハマっている子どもを見ていると、どこか狂信的。現実と 空想の世界の区別すら、できなくなる子どもさえいる。たまごっちの中の生き物(?)が死んだ だけで、ワーワーと大泣きした子ども(小1女児)もいた。
これから先、ゲーム脳の問題は、さらに大きく、マスコミなどでも、とりあげられるようになるだ
ろう。これからも注意深く、監視していきたい。
ところで、今日の(韓国)の新聞によれば、テレビゲームを50時間もしていて、死んでしまっ
た若者がいるそうだ。たかがゲームと、軽くみることはできない。
注※……K教授は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)と、ファンクショナルMRI(機能的磁
気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置で、実際にゲームを使い、数十人を測定した。 そして、2001年に世界に先駆けて、「テレビゲームは前頭前野をまったく発達させることはな く、長時間のテレビゲームをすることによって、脳に悪影響を及ぼす」という実験結果をイギリ スで発表した。
この実験結果が発表された後に、ある海外のゲーム・ソフトウェア団体は「非常に狭い見識に
基づいたもの」というコメントを発表し、教授の元には多くの嫌がらせも殺到したという(NEWS WEB JAPANの記事より)。
(はやし浩司 ゲーム ゲームの功罪 ゲーム脳 ゲームの危険性)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●ゲーム脳(2)
【M君、小3のケース】
M君の姉(小5)が、ある日、こう言った。「うちの弟、夜中でも、起きて、ゲームをしている!」
と。
M君の姉とM君(小3)は、同じ部屋で寝ている。二段ベッドになっていて、上が、姉。下が、
M君。そのM君が、「真夜中に、ガバッと起きて、ゲームを始める。そのまま朝まで、しているこ ともある」(姉の言葉)と。
M君には、特異な症状が見られた。
祖父が、その少し前、なくなった。その通夜の席でのこと。M君は、たくさん集まった親類の人
たちの間で、ギャーギャーと笑い声で、はしゃいでいたという。「まるで、パーティでもしているか のようだった」(姉の言葉)と。
祖父は、人一倍、M君をかわいがっていた。その祖父がなくなったのだから、M君は、さみし
がっても、よいはず。しかし、「はしゃいでいた」と。
私はその話を聞いて、M君はM君なりに、悲しさをごまかしていたのだろうと思った。しかし別
の事件が、そのすぐあとに起きた。
M君が、近くの家の庭に勝手に入り込み、その家で飼っていた犬に、腕をかまれて、大けが
をしたというのだ。その家の人の話では、「庭には人が入れないように、柵がしてあったのです が、M君は、その柵の下から、庭へもぐりこんだようです」とのこと。
こうした一連の行為の原因が、すべてゲームにあるとは思わないが、しかしないとも、言い切
れない。こんなことがあった。
M君の姉から、真夜中にゲームをしているという話を聞いた母親が、M君から、ゲームを取り
あげてしまった。その直後のこと。M君は狂ったように、家の中で暴れ、最後は、自分の頭をガ ラス戸にぶつけ、そのガラス戸を割ってしまったという。
もちろんM君も、額と頬を切り、病院で、10針前後も、縫ってもらうほどのけがをしたという。
そのあまりの異常さに気づいて、しばらくしてから、M君の母親が、私のところに相談にやって きた。
私は、日曜日にときどき、M君を教えるという形で、M君を観察させてもらうことにした。その
ときもまだ、腕や顔に、生々しい、傷のあとが、のこっていた。
そのM君には、いくつかの特徴が見られた。
(1)まるで脳の中の情報が、乱舞しているかのように、話している話題が、めまぐるしく変化し
た。時計の話をしていたかと思うと、突然、カレンダーの話になるなど。
(2)感情の起伏がはげしく、突然、落ちこんだかと思うと、パッと元気になって、ギャーと騒ぐ。
イスをゴトゴト動かしたり、机を意味もなく、バタンとたたいて見せたりする。
(3)頭の回転ははやい。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、あっという間に、計算問題(割
り算)をすませてしまう。そして「終わったから、帰る」などと言って、あと片づけを始める。
(4)もちろんゲームの話になると、目の色が変わる。彼がそのとき夢中になっていたのは、N
社のGボーイというゲームである。そのゲーム機器を手にしたとたん、顔つきが能面のように無 表情になる。ゲームをしている間は、目がトロンとし、死んだ、魚の目のようになる。
M君の姉の話では、ひとたびゲームを始めると、そのままの状態で、2〜3時間はつづける
そうである。長いときは、5時間とか、6時間もしているという。(同じころ、12時間もゲームをし ていたという中学生の話を聞いたことがある。)
以前、「脳が乱舞する子ども」という原稿を書いた(中日新聞発表済み)。それをここに紹介す
る。もう4、5年前に書いた原稿だが、状況は改善されるどころか、悪化している。
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
子どもの脳が乱舞するとき
●収拾がつかなくなる子ども
「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、あ
あ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポ ンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよ う。動作も一貫性がない。騒々しい。
ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そしてそ
のままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目 が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。
多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、症状が
急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。30年前には このタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。小1児で、10人に2人 はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もい ると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあ ちらが騒ぐ。そんな感じになる。
●崩壊する学級
「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答え
た先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。
「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名
以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子ども については、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友 だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破った り捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。
●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが
最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。
「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、
キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわ からなくなった」とこぼす。
日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を
感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(1 4%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と続く。そしてその結果 として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という 先生が、60%(同調査)もいるそうだ。
●原因の一つはイメージ文化?
こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲー
ムをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊 家庭は少なくなった。
むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発
的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きてい る。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビ やゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。
「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もし
ませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。 速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。 速すぎる。
●ゲームは右脳ばかり刺激する
こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりや
すく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その 証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができ ない。
浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、お
しっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直感的 で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさど るのは、左脳である(R・W・スペリー)。
テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新し
い刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、こ こにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。
学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊を
あげる。
(付記)
●ふえる学級崩壊
学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日教組と
全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告されてい る。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道や 東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにされた」 (中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。
北海道のある地方都市で、小学一年生70名について調査したところ、
授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
教師の指示を行動に移せない ……17人
何も言わず教室の外に出て行く ……9人、など(同大会)。
●心を病む教師たち
こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する
約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年210人から2 20人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は355人にふえていること がわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。
この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、96年
度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。
この数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171人
で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、う つ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関 係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。
●その対策
現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラスを1
クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとっている (共同通信社まとめ)。
また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学1、2年について、
新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県では40人いるクラスを、2人担任制に し、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だという。
福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30〜36人のばあいでも、もう1人教
員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学校で は、6年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入している。大分 県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施している(01年度調べ)。
(はやし浩司 キレる子供 子ども 新しい荒れ 学級崩壊 心を病む教師)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●失行
近年、「失行」という言葉が、よく聞かれるようになった。96年に、ドイツのシュルツという医師
が使い始めた言葉だという。
失行というのは、本人が、わかっているのに、できない状態をいう。たとえば風呂から出たと
き、パジャマに着がえなさいと、だれかが言ったとする。本人も、「風呂から出たら、パジャマに 着がえなければならない」と、理解している。しかし風呂から出ると、手当たり次第に、そこらに ある衣服を身につけてしまう。
原因は、脳のどこかに何らかのダメージがあるためとされる。
それはさておき、人間が何かの行動をするとき、脳から、同時に別々の信号が発せられると
いう。行動命令と抑制命令である。
たとえば腕を上下させるときも、腕を上下させろという命令と、その動きを抑制する命令の二
つが、同時に発せられる。
だから人間は、(あらゆる動物も)、スムーズな行動(=運動行為)ができる。行動命令だけだ
と、まるでカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。抑制命令が強すぎると、行動その ものが、鈍くなり、動作も緩慢になる。
精神状態も、同じように考えられないだろうか。
たとえば何かのことで、カッと頭に血がのぼるようなときがある。激怒した状態を思い浮かべ
ればよい。
そのとき、同時に、「怒るな」という命令も、働く。激怒するのを、精神の行動命令とするなら、
「怒るな」と命令するのは、精神の抑制命令ということになる。
この「失行」についても、精神の行動命令と、抑制命令という考え方を当てはめると、それなり
に、よく理解できる。
たとえば母親が、子どもに向かって、「テーブルの上のお菓子は、食べてはだめ」「それは、こ
れから来る、お客さんのためのもの」と話したとする。
そのとき子どもは、「わかった」と言って、その場を去る。が、母親の姿が見えなくなったとた
ん、子どもは、テーブルのところへもどってきて、その菓子を食べてしまう。
それを知って、母親は、子どもを、こう叱る。「どうして、食べたの! 食べてはだめと言った
でしょ!」と。
このとき、子どもは、頭の中では「食べてはだめ」ということを理解していた。しかし精神の抑
制命令が弱く、精神の行動命令を、抑制することができなかった。だから子どもは、菓子を食 べてしまった。
……実は、こうした精神のコントロールをしているのが、前頭連合野と言われている。そして
この前頭連合野の働きが、何らかの損傷を受けると、その人は、自分で自分を管理できなくな ってしまう。いわゆるここでいう「失行」という現象が、起きる。
前述のWEB NEWSの記事によれば、「(前頭連合野は)記憶、感情、集団でのコミュニケ
ーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分」とある。
どれ一つをとっても、良好な人間関係を維持するためには、不可欠な働きばかりである。一
説によれば、ゲーム脳の子どもの脳は、この前頭連合野が、「スカスカの状態」になっているそ うである。
言うまでもなく、脳には、そのときどきの発達の段階で、「適齢期」というものがある。その適
齢期に、それ相当の、それにふさわしい発達をしておかないと、あとで補充したり、修正したり するということができなくなる。
ここにあげた、感情のコントロール、集団におけるコミュニケーション、創造性な学習能力と
いったものも、ある時期、適切な指導があってはじめて、子どもは、身につけることができる。 その時期に、ゲーム脳に示されるように、脳の中でもある特異な部分だけが、異常に刺激され ることによって、脳のほかの部分の発達が阻害されるであろうことは、門外漢の私にさえ、容 易に推察できる。
それが「スカスカの脳」ということになる。
これから先も、この「ゲーム脳」については、注目していきたい。
(補記)大脳生理学の研究に先行して、教育の世界では、現象として、子どもの問題を、先にと
らえることは、よくある。
たとえば現在よく話題になる、AD・HD児についても、そういった症状をもつ子どもは、すでに
40〜50年前から、指摘されていた。私も、幼児に接するようになって36年になるが、36年前 の私でさえ、そういった症状をもった子どもを、ほかの子どもたちと区別することができた。
当時は、もちろん、AD・HD児という言葉はなかった。診断基準もなかった。だから、「活発型
の遅進児」とか、「多動性のある子ども」とか、そう呼んでいた。「多動児」という言葉が、雑誌な どに現れるようになったのは、私が30歳前後のことだから、今から、約30年前ということにな る。
ゲーム脳についても、最近は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)や、ファンクショナルM
RI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置などの進歩により、脳の活動そ のものを知ることによって、その正体が、明らかにされつつある。
しかし現象としては、今に始まったことではない。私が書いた、「脳が乱舞する子ども」という
のは、そういう特異な現象をとりあげた記事である。
(はやし浩司 脳が乱舞する子ども 子供 ゲーム脳 前頭連合野 管理能力 脳に損傷のあ
る子ども 子供 失行 ドイツ シュルツ 医師 行動命令 抑制命令 はやし浩司)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●シシリー宣言
1995年11月、イタリアのシシリー島のエリゼに集まった18名の学者が、緊急宣言を行った。
これがシシリー宣言である。その内容は「衝撃的なもの」(グリーンピース・JAPAN)なものであ った。
いわく、「これら(環境の中に日常的に存在する)化学物質による影響は、生殖系だけではな
く、行動的、および身体的異常、さらには精神にも及ぶ。これは、知的能力および社会的適応 性の低下、環境の要求に対する反応性の障害となってあらわれる可能性がある」と。
つまり環境ホルモンが、人間の行動にまで影響を与えるというのだ。が、これで驚いていては
いけない。
シシリー宣言は、さらにこう続ける。「環境ホルモンは、脳の発達を阻害する。神経行動に異常
を起こす。衝動的な暴力・自殺を引き起こす。奇妙な行動を引き起こす。多動症を引き起こ す。IQが低下する。人類は50年間の間に5ポイントIQが低下した。人類の生殖能力と脳が侵 されたら滅ぶしかない」と。ここでいう「社会性適応性の低下」というのは、具体的には、「不登 校やいじめ、校内暴力、非行、犯罪のことをさす」(「シシリー宣言」・グリーンピース・JAPAN) のだそうだ。
この事実を裏づけるかのように、マウスによる実験だが、ビスワエノールAのように、環境ホ
ルモンの中には、母親の胎盤、さらに胎児の脳関門という二重の防御を突破して、胎児の脳 に侵入するものもあるという。つまりこれらの環境ホルモンが、「脳そのものの発達を損傷す る」(船瀬俊介氏「環境ドラッグ」より)という。
●忘れ物の多い子ども
【R天・掲示板での相談について……】
+++++++++++++++++++++++
UNKNOWN様から、中学1年生の息子さんに
ついての相談がありました。
「子どもの忘れ物がひどくて困る」という内容の
ものです。それについて、ここで考えてみます。
+++++++++++++++++++++++
中1の息子が忘れ物があまりに多いので悩んでいます。
中堅の私立校で、課題が結構あるのですが、息子は、私があれこれ、言わないと全くしませ
ん。時々チェックし、やらせると、次の日学校にもっていくのを忘れたり、持っていっても出すの を忘れたりを何度も繰り返しています。さらには出していないのに「出した」、とうそをつきます。
今朝、いまだに夏休みの宿題を出していないものを見つけ、さすがにこれは病気かしらと考え
るようになりました。もう10回以上、「出した」「出してない」の不毛なやり取りを繰り返し、退学 まで考え話しあった後で、こうです。
また、隠れてゲームをやりたがります。取り上げても次々中古のを買ってきたり、友だちにもら
ったり、拾ったりします。道に落ちている、おもちゃやキーホルダー、カードなども何度言っても 拾ってきます。拾い物のために帰宅が遅くなり、帰ってからのすべてが遅くなり、の悪循環が小 学校からずっと続いています。なだめたり励ましたり色々やってみても変わりません。
夫は、私以上に感情的になって怒り狂うので、夫に相談しても、何の解決にもなりません。
子どもは一貫校の小学校の持ち上がりですが、6年のとき宿題忘れと遅刻の多さで担任の先
生から何度も注意され、不登校気味になったことがあります。一転、中学校生活は楽しいよう ですが、忘れ物のないようにメモをとったりする習慣が全く身につきません。それを指摘すると 怒って暴れ出すので、どうしたらいいのかわからない状態です。
ご指導、宜しくお願いいたします。
++++++++++++++++++++++
【U様へ】
まず第一に考えられるのは、親子のリズムがあっていないことです。Uさんのばあい、親子関
係は、断絶からすでに、崩壊状態に入っているかもしれません。これ以上、親子関係をこじら せると、本当に、崩壊してしまうかもしれません。
U様自身について、いくつか気になる点がありますので、それをあげてみます。
(1)私があれこれ、言わないと全くしません。
(2)時々チェックし、やらせると……
(3)今朝、いまだに夏休みの宿題を出していないものを見つけ……
(4)退学まで考え話しあった後で……
(5)夫は、私以上に感情的になって怒り狂うので……
お子さんは、中学1年生ということですから、その年齢の子どもに対して、U様が、少し過干渉
ぎみではないかと思います。中学1年生というと、親から見ると、まだ頼りない年齢かもしれま せんが、心も体も、ほとんど、おとなと考えてよいです。
「時々チェックしてやらせる」ということですが、何をどうチェックしておられるのかも、たいへん
気になります。お子さんの人権や人格は、どうなっているのかな?、という心配を覚えてしまい ます。
「いまだに夏休みの宿題を……見つけ」というのも、そうです。どうしてそういうものを、U様
が、見つけてしまうのでしょうか。「子どものことが気になってしかたない」というのであれば、過 関心、さらには、育児ノイローゼなども、疑わねばなりません。
で、「退学まで考え話しあった後で……」という部分です。
忘れ物が多くて、退学というのも、おおげさな感じがします。あるいはU様は、退学をにおわ
せて、(本当はその気はまったくないのですが、おどしのつもりで)、退学という言葉を口にして おられるのでは、ないでしょうか。
「生活態度を改めなければ、退学しなさい!」と。
もしそうなら、これはたいへんなまちがいです。U様は、お子さんのウソを問題になさっておら
れますが、U様自身が、これまたたいへんなウソを言っていることになります。(お気づきです か?)
学校のほうから、退学の話があれば、それは親子で考えなければなりませんが、今の段階で
は、退学うんぬんの話はないと思います。仮にほかの中学校に転校しても、問題は何も解決し ないでしょう。
さらに、「私以上に感情的になって……」という部分です。U様自身が、感情的になるというふ
うに解釈できますが……? 私には、かなりはげしい母子のやりとりが、想像できます。
こうして考えてみると、この問題は、お子さんの問題というよりは、U様ご自身の問題のよう
に、思います。
(1)なぜ、こうまで、親子のリズムが狂ってしまったか?
(2)なぜ、こうまで、U様は、お子さんを、子ども扱いしてしまうのか?
(3)なぜ、こうまで、U様は、お子さんを責めたててしまうのか?
忘れ物をする。そのことで、一番、不愉快な思いをしているのは、実は、お子さん自身なので
すね。それを家に帰ってまで、母親であるU様にガミガミと叱られたのでは、たまりません。た ぶん、私でも、耐えられないでしょう。お子さん自身が、すでに心の空回りを始めているとみま す。つまり、何をしても、手につかないのです。
私はひょっとしたら、そういう状態にお子さんを追いこんでいるのは、実は、U様自身ではない
かと思います。ガミガミと感情的に、あれこれ指示しすぎてしまう。決して、お子さんのことを心 配していないわけではなく、心配しすぎるあまり、そうしてしまう。
それが裏目、裏目と出て、悪循環におちいっているというわけです。
一つ心配されるのは、お子さん自身の心の問題です。どこか病的な感じがする忘れ物グセに
ついても、気うつが蓄積したことによる、心身症(神経症)的な症状の一つとも考えられます。 「不登校気味になったこともある」ということですから、一度、そういう視点でも、お子さんを見ら れてはいかがでしょうか。
子どもというのは、不思議なもので、親のほうが先にあきらめてしまえば、その時点から、子
ども自身が自分の進むべき道を見つけていきます。年齢的には、すでに思春期に入っていま すので、ここは、U様自身が一歩、退いて、「暖かい無視」と、「求めてきたときが与えどき」と考 えてはどうでしょうか。
U様自身が、お子さんの忘れ物に、多分、異常なまでに関心をもつのは、親子のリズムが、
すでにその段階まで、乱れているということです。しかし年齢的にみて、この修復作業は、たい へんむずかしいです。
今は、今の状態をこれ以上悪くしないことだけを考えて、(なおそうとあせればあせるほど、逆
効果になりますから、ご注意ください)、「暖かい無視」を繰りかえします。こうした問題には、二 番底、三番底があります。
「まだ、以前のほうがよかった……」という状態を繰りかえしながら、その二番底、三番底へと
落ちていきます。お子さんの立場からしても、今のU様のご家庭には、お子さんの居場所すら ないように、思います。お子さんは、ゲームをしながら、あるいはそこへ自分を閉じ込めなが ら、懸命に、自分の心を支えようとしています。
今、そのゲームを取りあげたら、どうなるか? その先は、見えていますよ。落ちているおも
ちゃや、カードを拾うというのは、そうせざるをえない、心の問題が、お子さんの背景にあると考 えてみては、どうでしょうか。あるいは、帰宅が遅くなるというのは、ものを拾って帰るからでは なく、帰宅拒否の症状とも考えられます。
もしそうなら、もう少し年齢が大きくなると、外泊、さらには家出とつながっていくかもしれませ
ん。ご注意ください。
以上のことから、つぎの点を注意してみてください。
(1)今の状態をこれ以上悪くしないことだけを考えて対処する。
(2)忘れ物については、あきらめる。(なおるはずのものだったら、とっくの昔になおっているは
ずです。)
(3)暖かい無視、ほどよい親、求めてきたときが与え時を守る。
(4)子どもをチェックしない。プライバシーを守る。子どもの人格、人権を認める。
(5)学校でつらい思いをしているはずですから、家の中で、それを責めない。
(6)「宿題をやれ」ではなく、「いっしょに手伝おうか?」と声をかける。
(7)そのあとのことは、子どもに任す。先取りして、心配しない。
(8)忘れ物について、一度、担任の先生と相談する。このタイプの子どもは、珍しくないので、
先生も、わかってくれます。(15〜20人に1人くらいの割合でいます。)
(9)感情的になったり、被害妄想をもつようなら、U様自身の心の問題を疑ってみる。
(10)お子さんは、もうおとなですよ。子ども扱いをしてはいけません。
(11)心の休まる家庭づくりに、こころがけてください。親の姿、気配を感ずると、どこかへ逃げ
ていくようなら、親子関係は、かなり危険な状態にあるとみます。
(12)子どもの前に立つのではなく、横に立って、「友」として、お子さんを、受けいれてあげてく
ださい。とくに今のU様には、そういう姿勢が求められています。
以上、思いつくまま書いてみましたが、何かの参考になれば、うれしいです。なおここに書い
たことは、あくまでも、参考に! 私自身、お子さんを見ていませんので、いろいろと誤解、早と ちりがあるかもしれません。
最後に一言。
こうしたリズムの乱れは、実は、お子さんを妊娠、出産したときから始まっているはずです。U
様自身に、何かわだかまりがあれば、そのわだかまりを、しっかりと見つめてください。不本意 な結婚であったとか、不本意な妊娠であったとか、など。
あるいはあなたと、あなたの両親の関係は、どうであったかも見つめなおしてみてください。
何か、大きなわだかまりがあるはずです。いらぬお節介かもしれませんが……。
では、今回は、これで失礼します。
●無知の知(2)
●人間は哀れな動物
「(人間は)、自分は自我を支配し、統制していると、うぬぼれているが、実は、潜在意識にひ
きずり回されている、哀れな動物にすぎない」と、説いたのは、あのジーグムント・フロイト(18 56〜1939)である(志村武「釈迦の遺言」)。
わかりやすく言えば、「私は私」と思っている部分など、「私」の中の、ほんの一部にすぎな
い。言いかえると、その私が、「私」を知るのは、本当にむずかしい。最初にそのヒントをつかん だのが、あのソクラテス(紀元前470年ごろ誕生)である。
ソクラテスは、自分が無知であることを出発点にしてはじめて、真理が追求できると考えた。
しかしソクラテスが会った、いわゆる賢者と呼ばれる人たちは、それを知らなかった。つまり 「我こそは、すべてを知っている」(PHP版「哲学」)と。
そこでソクラテスは、『無知の知』という、有名な言葉を残した。「自分が無知であることを、ま
ず知る。それが真理の探究の第一歩である」と。
自分のことでさえわからない。わかるはずもない。いわんや、若い父親や母親においては、
そうである。そんな父親や母親が、子どものことなど、わかるはずもない。
しかしごう慢な(失礼!)父親や母親は、「うちの子どものことは、私が一番よく知っている」と
豪語する。しかしこれは、うぬぼれ。とんでもないうぬぼれ。
たとえば簡単な例で説明しよう。
私は市内に小さな教室をもっている。最高でも12人しかはいれない、小さな教室である。(私
には、分相応だが……。)
その教室へある日、若い母親が、小さな子どもの手を引いて、見学にやってくる。するとその
とき、子どもは、さまざまな様子を見せる。子どもによって、その様子はみな、ちがうが、しか し、大きく分ければ、いくつかのパターンに分類できる。
すぐ溶けこんでワイワイと騒ぎだす子どももいれば、親の背中に隠れて、なかなか顔を出さな
い子どももいる。しかし4〜5歳の子どもの様子としては、後者のほうが、望ましい。
はじめての場所である。警戒心をもって、当然。つまり子どもは、そうしてまわりの様子を観
察しながら、自分の頭の中で、今、自分がどういう状況に置かれているかを学習し、判断する。
が、短気な母親には、そういった子どもの心理が理解できない。子どもの様子を見て、子ども
を叱ったりする。あるいは私に向って、「この教室は、うちの子には、向いていません」などと言 ったりする。
私は「そういうものではないのだなあ……」と思うが、初対面の人には、そこまで説明する必
要はない。
さらに子ども自身が、何らかの心の問題をもっているときがある。私はドクターではないか
ら、診断権はない。診断名を口にすることも許されない。親のほうから質問や相談があったと き、それとなく、診断名を伝えるようにはしている。
が、親には、それがわからない。極端な例だが、かん黙症状の出ている子どもに向かって、
「どうしてハキハキしないの!」と、怒鳴り散らしていた祖母がいた。あるいは自閉傾向のある 子どもが、自分のすわる席にこだわっていたとき、「あなたは、前に座りなさい!」と、叱ってい た母親もいた。
さらに親の過干渉や過関心で、精神そのものが萎縮してしまった子どもに向かって、キリキリ
と、こまかい指示を与えている母親となると、いくらでもいる。
幼児教室とはいうが、実際には、母親教室。母親の指導のほうに、そんなわけで、私は重点
を置いている。それとなく、そして何となく、レッスンを通して、参観している母親たちに、信号を 送っていく。そうして母親たち自身に、自分がもつ問題に、(子どもがもつ問題ではなく、母親た ち自身がもつ問題に)、気づいてもらう。
実は、子育ても、しかり。ほとんどの親は、自分の意思で、自分で考えて子育てをしていると
思いこんでいる。しかしフロイトの言葉を借りるなら、「実は、潜在意識にひきずり回されながら 子育てをしている、哀れな動物にすぎない」ということになる。
だからほとんどの母親たちは、こう言う。きっとこの文を読んでいるあなた自身も、そうだろ
う。
「頭の中ではわかっているのですが、いざ、その場になると、ついカッとして……」と。
子育てというのは、そういうもの。頭の中で、いちいち考えてするものではない。いや、子育て
にかぎらず、私たちが自分の頭で考えて行動している部分などというのは、ほんの一部にすぎ ない。もっと言えば、あなたは、自分が受けた子育てを、無意識のまま、繰りかえしているにす ぎない。それに無数の潜在意識がからんで、あなたという「私」を決めている。
それに早く気づいた親を、賢明な親という。それにいつまでも気づかない親を、愚かな親(失
礼!)という。
愚かな親は、自分のもつ独断と偏見だけを頼りに、子育てをする。そして仮に子育てで失敗
しても、その失敗に気づかない。ハキがなく、ナヨナヨした子どもをみながら、「うちの子は、す ばらしい子だ」と思いこんでいた母親がいた。さらに子どもの自閉症を、こじらせるだけこじらせ ておきながら、「うちの子は、生まれつきああです」と居なおっていた母親もいた。
志村武氏の「釈迦の言葉」の一節には、こうある。
「自分の見解を、絶対、完全と思いこんでしまっている者は、見解を異にする人々を、"くだら
ん、話にならん"と蔑視する。そんな人は自分の見解に、あくまでも固執し、相手がどう言おうと も、一歩もゆずろうとはしない。偏見におごりたかぶり、その偏見の中に、ドップリとひたってし まっているからである」(同書P114)と。
つまり、『偏見にひたるなかれ』と。
子育てをするときは、いつもこの言葉を、頭の中で念じてみるとよい。
(はやし浩司 無知の知 ソクラテス 偏見 潜在意識)
++++++++++++++++++
少し前に書いた原稿を、手なおしして、
お届けします。
++++++++++++++++++
●三つの自己中心性
自己中心性は、それ自体が、精神の未発達を意味する。(精神の完成度は、他人への同調
性、他人との協調性、他人との調和性で知ることができる。自己中心性は、その反対側に位 置する。)
つまり自己中心的であればあるほど、その人の精神の完成度は、低いとみる。
これについては、もう何度も書いてきたので、ここでは、その先を書く。
この自己中心性は、(1)個人としての自己中心性、(2)民族としての自己中心性、(3)人間
としての自己中心性の三つに、分かれる。
たとえば、「私が一番、すぐれている。他人は、みな、劣っている」と思うのは、(1)の個人とし
ての自己中心性をいう。つぎに「大和民族は、一番、すぐれている。他の民族は、みな、劣って いる」と思うのは、(2)の民族としての自己中心性をいう。そして「人間が宇宙の中心にいる、 唯一の知的生物である」と思うのは、(3)の人間としての、自己中心性をいう。
この中でも、一番、わかりやすいのは、(3)の人間としての、自己中心性である。
しかし人間は、宇宙の中の、ゴミのような星に、かろうじてへばりついて生きている、つまり
は、(カビ)のような生物にすぎない。だれだったか、少し前、(地球に張りつく、がん細胞のよう なもの)と表現した人もいる。
(だからといって、人間がつまらない生物だと言っているのではない。誤解のないように!)
たとえば、今、私たちの視点を、宇宙へ置いてみよう。すると、ものの見方が、一変する。
この広大な宇宙には、無数の銀河系がある。そしてそれぞれの銀河系には、これまた無数
の星がある。その数は、浜松市の南にある、中田島砂丘にある、砂粒の数より多いといわれ ている。(実際には、その数は、わからない?)
太陽という星は、その中の砂粒の一つにすぎない。
で、私たちが住む、この地球は、その太陽という星の、これまたチリのような惑星に過ぎな
い。
これが現実である。疑いようもない、現実である。
こういう現実を前にして、「人間が宇宙の中心にいる、唯一の知的生物である」と言うのは、
実にバカげている。
で、こういう視点で、こんどは、民族としての自己中心性を考えてみる。……と、考えるまでも
なく、民族としての自己中心性は、実にバカげているのが、わかる。こんな小さな地球上で、大 和民族だの、韓民族だの、さらには、白人だの黒人だのと言っているほうが、おかしい。
さらに、個人の自己中心性となると、さらにバカげていて、話にならない。
そこで話をもとにもどす。
宇宙的視点から見ると、細菌とアメーバの知的レベルが、私たち人間には、同じに見えるよ
うに、人間とサルの間には、知的レベルの差は、まったくない。人間は、「自分たちはサルとは 違う」と思っているかもしれないが、まさにそれこそ、人間が、人間としてもっている自己中心性 にすぎない。
人間としての完成度は、人間が、他の動物たちと、どの程度までの同調性、協調性、調和性
をもっているかで決まる。
たとえば森に一本の道を通すときでも、どの程度まで、そこに住む、ほかの動物たちの立場で
ものを考えることができるかで、その完成度が決まる。「ほかの動物たちのことは、知ったこと か!」では、人間としての完成度は、きわめて低いということになる。
さらに話を一歩進めると、こうなる。
私たち人間は、バカである。アホである。どうしようもないほど、未熟で、未完成である。「万
物の霊長類」などというのは、とんでもない、うぬぼれ。その実体は、まさに畜生。ケダモノ。
そういう視点で、私たちが自らを、謙虚な目で、見なおしてみる。たとえば人間としての、欠
陥、欠点、弱点、盲点、そして問題点を、洗いなおしてみる。少なくとも、私たち人間は、(完成 された動物)ではない。そういう視点で、自分を見つめてみる。
つまりは、それこそが、人間としての自己中心性を打破するための、第一歩ということにな
る。
【追記】
『無知の知』という言葉がある。ソクラテス自身が述べた言葉という説もあるし、ソクラテスに
まつわる話という説もある。どちらにせよ、「私は何も知らないということを知ること」を、無知の 知という。
ソクラテスは、「まず自分が何も知らない」ということを自覚することが、知ることの出発点だと
言った。
実際、そのとおりで、ものごとというのは、知れば知るほど、その先に、さらに大きな未知の
分野があることを知る。あるいは新しいことを知ったりすると、「どうして今まで、こんなことも知 らなかったのだろう」と、自分がいやになることもある。
少し前だが、こんなことがあった。
子ども(年長児)たちの前で、カレンダーを見せながら、「これは、カーレンジャーといいます」
と教えたら、子どもたちが、こう言って、騒いだ。「先生、それはカーレンジャーではなく、カレン ダーだよ」と。
で、私は、「君たちは、子どものクセに、カーレンダーも知らないのか。テレビを見ているんだ
ろ?」と言うと、一人の子どもが、さらにこう言った。「先生は、先生のくせに、カレンダーも知ら ないのオ?」と。
私はま顔だったが、冗談のつもりだった。しかし子どもたちは、真剣だった。その真剣さの中
に、私はソクラテスが言ったところの、「無知」を感じた。
しかしこうした「無知」は、何も、子どもの世界だけの話ではない。私たちおとなだって、無数
の「無知」に囲まれている。ただ、それに気づかないでいるだけである。そしてその状態は、庭 に遊ぶ犬と変らない。
そう、私たち人間は、「人間である」という幻想に、あまりにも、溺れすぎているのではない
か。利口で賢く、すぐれた生物である、と。
しかし実際には、人間は、日光の山々に群れる、あのサルたちと、それほど、ちがわない?
「ちがう」と思っているのは、実は、人間たちだけで、多分、サルたちは、ちがわないと思って いる。
同じように人間も、仮に自分たちより、さらにすぐれた人間なり、知的生物に会ったとしても、
自分とは、それほど、ちがわないと思うだろう。自分が無知であることにすら、気づいていない からである。
何とも話がこみいってきたが、要するに、「私は愚かだ」という視点から、ものを見ればよいと
いうこと。いつも自分は、「バカだ」「アホだ」と思えばよいということ。それが、結局は、自分を知 ることの第一歩ということになる。
(はやし浩司 ソクラテス 無知の知)
Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●ものすごい情報量
一説によると、古代人が一生かかって得た情報量は、アメリカのニューヨークタイムズ紙の、
1ページ分もなかったのではないか、ということだそうだ。
つまりもし私たちが、10ページ分を読んだとすると、古代人の人生の10世代分の情報量を
手にしたことになる。「本当かな?」という疑問もないわけではないが、しかし、ここ10年だけを みても、私たちが得る情報量は、大きく変わった。
たとえば30年前、一冊の本を出そうと思ったら、まず原稿用紙に、鉛筆かペンで文字を書か
ねばならなかった。今から思うと、これが結構、たいへんな作業であった。書いては消し、書い ては消しの連続。
四六版の単行本で、400字づめの原稿用紙、100枚から150枚が、ひとつの目安になる。
それを出版社へ送り、一度、活字になおしてもらう。今でも、ゲラ刷りというのがあるが、当時 は、そのゲラ刷りでも、3〜4回するのが、ふつうだった。言い忘れたが、ゲラ刷りというのは、 ためし刷りのことをいう。そのゲラ刷りに赤ペンで、「なおし」を入れる。これを3〜4回、繰りか えす。
だから1冊の本が、できあがるのに、原稿を出版社へ送ってから、出版されるまでに、早くて
半年前後、かかった。
が、今は、ちがう。
現在、私は、1日、約10〜15枚の速さで、原稿を書いている。2日で、約20〜30枚。1か
月で、約300〜500枚ということになる。単行本にすれば、約3〜4冊分の分量である。
もっとも、私の書いている原稿などは、原稿と言えるような代物(しろもの)ではない。本にす
るだけの価値もない、ただの駄文。
しかしそれだけの量の原稿が、私という1人の人間から、世界に向けて発信される。考えて
みれば、これは恐ろしいことではないか。私という個人だけでみても、この30年間で、発信す る情報量は、20〜30倍にふえたとみてよい。社会全体でみると、ぼう大な量になる!
ほかにも、たとえばたった10年前ですら、何かわからないことがあると、図書館へ通った。し
かし今は、ちがう。インターネットで検索すれば、たいていのことが、瞬時にわかってしまう。そ ういう意味でも、時間が、どんどんと短縮されている。
こういう社会の変化にあわせて、当然のことながら、社会のしくみも、それに応じて変わりつ
つある。全体として、テンポが速くなった。そんな感じがする。
もちろん、子どもたちの世界にも、変化が起きはじめている。遊びの内容そのものが変ってし
まった。私たちが子どものころは、コマ回しにしても、タコあげにしても、それなりに技術をみが かねばできなかった。一時、木製の潜水艦が流行したことがある。それにしても、作り始めて から、近くの池に浮かべるまでに、少なくとも、1〜2週間はかかった。学校から帰ってくると、 毎日、コツコツとそれを作った。
そうした遊びが、半年とか、1年単位で、つづいた。が、今は、1か月単位とか、もっと、短い
(?)。よくわからないが、目まぐるしく変化しているのは、事実。だからこういうことも言えるので はないか。
古代人が一生かかって得た情報量は、最近の子どもが1週間で得る量よりも少なかった、
と。
もっともだからといって、現代人が、その分、より賢くなり、より幸福になったということにはな
らない。その人のもつ情報量と、その人の賢さとは、必ずしも一致しない。幸福感についていえ ば、さらに一致しない。子どもについて言えば、もの知りだからといって、賢い子どもということ にはならない。たとえば1人の幼稚園児が、掛け算の九九をペラペラと言ったからといって、そ の子どもが賢いとは言わない。
その点だけは、誤解がないようにしたい。
●正精進
釈迦の教えを、もっともわかりやすくまとめたのが、「八正道(はっしょうどう)」ということにな
る。仏の道に至る、修行の基本と考えると、わかりやすい。
が、ここでいう「正」は、「正しい」という意味ではない。釈迦が説いた「正」は、「中正」の「正」
である。つまり八正道というのは、「八つの中正なる修行の道」という意味である。
怠惰な修行もいけないが、さりとて、メチャメチャにきびしい修行も、いけない。「ほどほど」
が、何ごとにおいても、好ましいということになる。が、しかし、いいかげんという意味でもない。
で、その八正道とは、(1)正見、(2)正思惟、(3)正語、(4)正業、(5)正命、(6)正念、(7)
正精進(8)正定、をいう。広辞苑には、「すなわち、正しい見解、決意、言葉、行為、生活、努 力、思念、瞑想」とある。
このうち、私は、とくに(8)の正精進を、第一に考える。釈迦が説いた精進というのは、日々
の絶えまない努力と、真理への探究心をいう。そこには、いつも、追いつめられたような緊迫感 がともなう。その緊迫感を大切にする。
ゴールは、ない。死ぬまで、努力に努力を重ねる。それが精進である。で、その精進について
も、やはり、「ほどほどの精進」が、好ましいということになる。少なくとも、釈迦は、そう説いてい る。
方法としては、いつも新しいことに興味をもち、探究心を忘れない。努力する。がんばる。が、
そのつど、音楽を聞いたり、絵画を見たり、本を読んだりする。が、何よりも重要なのは、自分 の頭で、自分で考えること。「考える」という行為をしないと、せっかく得た情報も、穴のあいた バケツから水がこぼれるように、どこかへこぼれてしまう。
しかし何度も書いてきたが、考えるという行為には、ある種の苦痛がともなう。寒い朝に、ジョ
ギングに行く前に感ずるような苦痛である。だからたいていの人は、無意識のうちにも、考える という行為を避けようとする。
このことは、子どもたちを見るとわかる。何かの数学パズルを出してやったとき、「やる!」
「やりたい!」と食いついてくる子どももいれば、逃げ腰になる子どももいる。中には、となりの 子どもの答をこっそりと、盗み見する子どももいる。
子どもだから、考えるのが好きと決めてかかるのは、誤解である。そしてやがて、その考える
という行為は、その人の習慣となって、定着する。
考えることが好きな人は、それだけで、それを意識しなくても、釈迦が説く精進を、生活の中
でしていることになる。そうでない人は、そうでない。そしてそういう習慣のちがいが、10年、20 年、さらには30年と、積もりに積もって、大きな差となって現れる。
ただ、ここで大きな問題にぶつかる。利口な人からは、バカな人がわかる。賢い人からは、愚
かな人がわかる。考える人からは、考えない人がわかる。しかしバカな人からは、利口な人が わからない。愚かな人からは、賢い人がわからない。考えない人からは、考える人がわからな い。
日光に住む野猿にしても、野猿たちは、自分たちは、人間より、劣っているとは思っていない
だろう。ひょっとしたら、人間のほうを、バカだと思っているかもしれない。エサをよこせと、キー キーと人間を威嚇している姿を見ると、そう感ずる。
つまりここでいう「差」というのは、あくまでも、利口な人、賢い人、考える人が、心の中で感ず
る差のことをいう。
さて、そこで釈迦は、「中正」という言葉を使った。何はともあれ、私は、この言葉を、カルト教
団で、信者の獲得に狂奔している信者の方に、わかってもらいたい。彼らは、「自分たちは絶 対正しい」という信念のもと、その返す刀で、「あなたはまちがっている」と、相手を切って捨て る。
こうした急進性、ごう慢性、狂信性は、そもそも釈迦が説く「中正」とは、異質のものである。と
くに原理主義にこだわり、コチコチの頭になっている人ほど、注意したらよい。
(はやし浩司 八正道 精進 正精進)
【補足】
子どもの教育について言えば、いかにすれば、考えることが好きな子どもにするかが、一つ
の重要なポイントということになる。要するに「考えることを楽しむ子ども」にすればよい。
【武士道】(封建時代の亡霊たち)
●江戸時代
今の日本が、今の日本になったのは、明治以後のことである。明治のはじめ、日本は、当時
のインドネシア程度の、GNPしかなかったものと推察される。あるいはインドネシアのほうが、 ずっと豊かだったかもしれない。
ともかくも、江戸時代という時代は、残っている城などを見ると、それなりに国力のある時代
に思う人が多いかと思うが、それはまちがい。その生活スケールは、今とは比較にならないほ ど、小さかった。
この浜松近辺にも、たとえば新居の関所がある。当時のまま、今に現存する、唯一の関所で
ある。その関所を見ても、当時の日本が、いかに小さな国であったかがわかる。ほかに浜松市 の中心部に、浜松城がある。徳川家康の居城となった城だが、驚くほど、小さい。今では町の ビルに隠れて、どこにあるかさえも、わからない。
富や権力が、こうした為政者に集中する一方、一般の庶民たちは、生きていくだけが精一
杯。最低限の生活しか保障されなかった。先に書いた新居の関所の周辺には、当時の旅籠 (はたご)が、そのまま残っている。武士たちが泊まった本陣(宿)でさえ、驚くほど小さく、狭 い。
さらに旅籠に泊まった客たちが食べた料理も再現されているが、その内容は、実に質素。白
いご飯に、煮干、味噌汁、それに漬け物が並んだ程度。今の旅館の料理とは、くらべようもな い。
私はときどき、「日本の江戸時代は、世界の歴史の中でも、類を見ないほど、暗黒活恐怖政
治の時代であった」と書く。それは事実で、とくに江戸時代の前期においては、「切り捨て御免」 が、日常的になされていたという。侍なら、庶民を切り捨てても、罪は問われないというのが、 切り捨て御免である。
明治に入ってからでさえも、遠くで、カチャカチャと、鞘(さや)が当たる音が聞こえたりすると、
農民たちは、道端(みちばた)に寄り、地面に顔をこすりつけて、その元武士(士族)が通りすぎ るのを待ったという。
これは数年前、90歳近くでなくなった、山荘の隣に住む、女性から私が、直接聞いた話であ
る。
「明治になっても、士族は、刀をさして歩いていましたよ。その刀が、歩くたびに、カチャカチャ
と音をたてるのです。その音で、みな、道端に寄って、正座をして、顔を地面にこすりつけまし た」「顔を見ることも、許されませんでした」と。
時代が変わっても、それまでの風習は、しばらくはつづいたという。
新居の席所の話については、以前、こんな原稿を書いたことがある。
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●新居の関所
浜名湖の南西にある新居町には、新居関所がある。関所の中でも唯一現存する関所という
ことだが、それほど大きさを感じさせない関所である。
江戸時代という時代のスケールがそのまま反映されていると考えてよいが、驚くのは、その「き
びしさ」。関所破りがいかに重罪であったかは、かかげられた史料を読めばわかる。つかまれ ば死罪だが、その関所破りを助けたものも同程度の罪が科せられた。
新居の関所破りをして、伊豆でつかまった男は、死体を塩漬けにして新居までもどされ、そこで
さらにはりつけに処せられたという記録も残っている。移動の自由がいかにきびしく制限されて いたかが、この事実ひとつをとっても、よくわかる。が、さらに驚いたことがある。
あちこちに史料と並んで、その史料館のだれかによるコメントが書き添えてある。その中の
随所で、「江戸時代は自由であった」「意外と自由であった」「庶民は自由を楽しんでいた」とい うような記述があったことである。当然といえば当然だが、こうした関所に対する批判的な記事 はいっさいなかった。私と女房は、読んでいて、あまりのチグハグさに思わず笑いだしてしまっ た。「江戸時代が自由な時代だったア?」と。
もともと自由など知らない人たちだから、こうしたきゅうくつな時代にいても、それをきゅうくつ
とは思わなかっただろうということは、私にもわかる。
あのK国の人たちだって、「私たちは自由だ」(報道)と言っている。あの人たちはあの人たち
で、「自分たちの国は民主主義国家だ」と主張している。(K国の正式国名は、朝鮮人民民主 主義国家。)現在の私たちが、「江戸時代は庶民文化が花を開いた自由な時代であった」(パ ネルのコメント)と言うことは、「北朝鮮が自由な国だ」というのと同じくらい、おかしなことであ る。私たちが知りたいのは、江戸時代がいかに暗黒かつ恐怖政治の時代であったかというこ と。新居の関所はその象徴ということになる。
たまたま館員の人に説明を受けたが、「番頭は、岡崎藩の家老級の人だった」とか、「新居町
だけが舟渡しを許された」とか、どこか誇らしげであったのが気になる。関所がそれくらい身分 の高い人によって守られ、新居町が特権にあずかっていたということだが、批判の対象にこそ なれ、何ら自慢すべきことではない。
たいへん否定的なことを書いたが、皆さんも一度はあの関所を訪れてみるとよい。(そういう
意味では、たいへん存在価値のある遺跡である。それはまちがいない。)そしてその関所をと おして、江戸時代がどういう時代であったかを、ほんの少しでもよいから肌で感じてみるとよ い。
何度もいうが、歴史は歴史だからそれなりの評価はしなければならない。しかし決して美化して
はいけない。美化すればするほど、時代は過去へと逆行する。
そういえば関所の中には、これまた美しい人形が八体ほど並べられていたが、まるで歌舞伎
役者のように美しかった。私がここでいう、それこそまさに美化の象徴と考えてよい。
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だからといって、私は日本の過去が、つまらないものだったと書いているのではない。ただ、
今、あの江戸時代を、必要以上に美化する人が、あまりにも、多いということ。その一例が、N HKの大河ドラマである。
ああいうのを見ていると、現代人よりはるかに理知的な人たちが、当時の政治をとりおこなっ
ていたかのような錯覚を覚えてしまう。しかし現代ですら、そういう政治家は少ない。いわんや 当時をや、ということになる。
権力闘争一つとっても、今より、はるかに毒々しいものであったにちがいない。私はときど
き、生徒たちにこう教えることがある。
「江戸時代という時代を本当に知りたかったら、アフリカの貧しい国々を見てきたらいい」と。
残念ながら、私は、アフリカへは行ったことがない。ないが、想像はできる。(江戸時代にして
も、どういう時代であったかについては、想像するしかない。)
つぎの原稿は、由比正雪について書いたもの(中日新聞投稿済み)。少し話がそれるが、江
戸時代を知る、ひとつの手がかりにはなると思う。
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●子どもには「尊敬される人になれ」と教えよう
日本語で「偉い人」と言うようなとき、英語では、「尊敬される人(respected man)」と言う。よく似
たような言葉だが、この二つの言葉の間には。越えがたいほど大きな谷間がある。
日本で「偉い人」と言うときは。地位や肩書きのある人をいう。そうでない人は、あまり偉い人と
は言わない。一方英語では、地位や肩書きというのは、ほとんど問題にしない。
そこである日私は中学生たちに聞いてみた。「信長や秀吉は偉い人か」と。すると皆が、こう
言った。「信長は偉い人だが、秀吉はイメージが悪い」と。で、さらに「どうして?」と聞くと、「信 長は天下を統一したから」と。
中学校で使う教科書にもこうある。「信長は古い体制や社会を打ちこわし、……関所を廃止し
て、楽市、楽座を出して、自由な商業ができるようにしました」(帝国書院版)と。これだけ読む と、信長があたかも自由社会の創始者であったかのような錯覚すら覚える。しかし……?
実際のところ、それから始まる江戸時代は、世界の歴史の中でも類を見ないほどの暗黒かつ
恐怖政治の時代であった。一部の権力者に富と権力が集中する一方、一般庶民は極貧の生 活を強いられた。もちろん反対勢力は容赦なく弾圧された。
由比正雪らが起こしたとされる「慶安の変」でも、事件の所在があいまいなまま、その刑は関係
者はもちろんのこと、親類縁者すべてに及んだ。坂本ひさ江氏は、「(そのため)安部川近くの 小川は血で染まり、ききょう川と呼ばれた」(中日新聞コラム)と書いている。
家康にしても、その後三〇〇年をかけて徹底的に美化される一方、彼に都合の悪い事実は、
これまた徹底的に消された。私たちがもっている「家康像」は、あくまでもその結果でしかない。
……と書くと、「封建時代は昔の話だ」と言う人がいる。しかし本当にそうか? そこであなた
自身に問いかけてみてほしい。あなたはどういう人を偉い人と思っているか、と。もしあなたが 地位や肩書きのある人を偉い人と思っているなら、あなたは封建時代の亡霊を、いまだに心 のどこかで引きずっていることになる。そこで提言。
「偉い」という語を、廃語にしよう。この言葉が残っている限り、偉い人をめざす出世主義がは
びこり、それを支える庶民の隷属意識は消えない。民間でならまだしも、政治にそれが利用さ れると、とんでもないことになる。
少し前、幼稚園児を前にして、「私、日本で一番偉い人」と言った首相すらいた。そういう意識
がある間は、日本の民主主義は完成しない。
+++++++++++++++++++++
悲しいかな、私たちは、あの江戸時代という封建時代を清算しないまま、現代に至っている。
そのため、江戸時代の亡霊は、いまだに、いたるところに残っている。
いろいろな賛否両論があることは私も知っている。しかし今になって、どうして武士道なのか、
私には、どうしても、理解できない。もし武士道というのが、どういうものであるかを知りたかっ たら、ヤクザの世界をのぞいてみることだ。
皮肉なことに、ヤクザの世界には、その武士道とやらが、少し形はちがうが、今でも、色濃く
残っている。徹底した上意下達社会。身分制度。命令と服従。任侠の世界。もっと正確に言え ば、相撲の世界や、歌舞伎、各宗派の総本山、そういった世界が集合されたその先に、武士 の世界がある。そういう世界が、本当に日本にとって、理想の世界かと言えば、私は、そうは 思わない。
明六社に集まった福沢諭吉たちは、そういう世界を、まだまのあたりに見ていた。そしてその
否定こそが、近代日本の基礎になると考えた。「否定」である。
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●武士道とは
武士道を信奉する人たちのバイブルとなっているのが、新渡戸稲造が書いた、『武士道』(明
治32年)である。新渡戸稲造といえば、5000円札の肖像画にもなっているから、知らない人 はいない。明治時代の終わりごろ活躍した人物で、ほかにも『随想録』(明治40年)に書いたり している。
もともとは、幕末の南部藩(岩手県)の武士の子弟として生まれ、札幌農学校を卒業したあ
と、アメリカにも留学している。
その武士道でもっとも重んじるのが、「名誉」ということになる。新渡戸稲造も、『武士道』の中
で、こう書いている。
「武士は、命よりも高価であると考えられることが起きれば、極度の平静と迅速をもって、命
をすてる」と。
要するに、名誉のためには、死をも覚悟せよ、と。
新渡戸稲造が、いつの時代の武士を念頭に置いたのかはしらないが、幕末の武士たちは、
堕落し放題。権威と権力の座に安住し、その中身と言えば、完全にサラリーマン化していた。 サラリーマン化が悪いと言っているのではない。「名誉のために、死をも覚悟した」というのは、 あまりにも大げさ。
もっともこの心は、やがて日本の軍国主義の精神的根幹にもなっていった。「死して虜囚(り
ょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず」とういう、あれである。しかしその言葉の裏で、いかに多 くの日本人が、犠牲になったことか。あるいはいかに多くの外国人が、犠牲になったことか。
もっとも愛国主義が最初にあり、それから生まれた名誉のために死ぬというのであれば、ま
だ納得できる。正義、あるいは、自由や平等のために死ぬというのであれば、まだ納得でき る。しかし武士道でいう『名誉』とは、まさに主君もしくは、「家」に対する、忠誠心をいった。
ほかにも、武士道には、「義」「勇」「仁」という三つの柱があり、さらに「礼節」「誠実」「名誉」
「忠義」「孝行」「克己」の、人が守るべき、徳目として、並べられている。「名誉」それに、それか ら生まれる「恥」の概念も、こうした徳目から、生まれた。
もちろんある側面においては、武士道は魅力的であり、それなりに納得できる部分もある。し
かし武士道が、封建時代というあの時代の「負の遺産」を支えたもの事実。「影の部分」と言っ てもよい。もっとわかりやすく言えば、武士道がもつ「負の側面」に目を閉じたまま、武士道を、 一方的に礼さんするのは、たいへん危険なことでもある。
たとえばここでいう「仁・義」にしても、つきつめれば、「仁義の世界」。つまり、現代風に言え
ば、ヤクザの世界ということになる。
また、名誉についても、『武士は食わねど、高楊枝(ようじ)』(武士というのは、食べるものが
なくて空腹でも、満腹のフリをして、名誉を守った)という、諺(ことわざ)も、ある。
果たしてそういうメンツや見栄にこだわることも、武士道なのだろうか。武士道を礼さんする
人は、武士道を知らなければ、「人の正義」はないようなことを言う。しかしこの私などは、武士 道とはまったく無縁。しかしそんな私でも、礼節もあれば、名誉もある。誠実、忠義、孝行、克 己についても、自分なりに考えている。
たしかに、今の世相は、混乱している。それはわかる。しかしそれは当然のことではないか。
日本は、江戸時代という封建主義時代。明治、大正、昭和という軍国主義時代。そして戦後
の官僚主義時代。こういった時代を、それぞれ経験しながら、そのつど、過去の清算をしてこ なかった。反省もしなかった。
だから、今の若い人たちを中心に、「わけのわからない世界」になってきた。
それはわかるが、で、こうした世相に対する考え方は、二つある。
一つは、過去にもどるという考え方。よくても悪くても、そこには、一つの「主義」がある。最近
もてはやされている武士道も、その一つかもしれない。
もう一つは、新しい主義を、創造していくという考え方。当然のことながら、私は、この後者の
考え方を、支持する。またそのために、こうしてモノを書いている。それについては、これからも 追々書いていくが、ともかくも、今の段階では、そういうことになる。
最後に、忘れてならないのは、私の先祖も、あなたの先祖も、その武士階級にしいたげられ
た、町民や農民であったこと。もし仮に今でもあの封建時代がつづいていたとしたら、私やあな たも、今でも、ほぼまちがいなく、町民や農民であるということ。
そういう私やあなたが、武士のまねごとをして、どうなるというのか? 武士でもない私やあな
たが、武士道を説いて、どうなるのか。そのあたりを、じっくりと考えなおしてみてほしい。
今でこそ、偉人としてたたえるが、新渡戸稲造にしても、武士という特権階級に生まれ育った人
物である。アメリカから帰ってきたあとも、京都帝国大学教授、第一高等学校校長、東京女子 大の初代学長、国際連盟事務局次長などを歴任している。まさにエリート中のエリート。時の 権力や権威をほしいままに手に入れた人物である。その事実を、忘れてはならない。
(はやし浩司 武士道 新渡戸 義 勇 仁 仁義の世界 仁義)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●明治維新の謎
明治維新のことを、「明治維新」という。そんなことはだれでも知っている。
詳しくは、慶応3年10月、徳川慶喜(将軍)の大政奉還から、同年12月明治天皇の王政復古
宣言、慶応4年、江戸幕府の倒壊を経て、明治新政府成立の一連の統一国家形成への政治 改革を総称して、「明治維新」という。
「維新」とは、「すべてが改まって、新しくなること」(広辞苑)をいう。
しかしこの「明治維新」には、大きな謎がある。実は、日本の明治維新は、英語では、「Mieiji
Restoration」と訳されている。
ここでいう「メイジ・レストレーション」の「レストレーション」とは、政治学の世界では、ズバリ、
「王政復古」を意味する。よく知られた例に、チャールズU(CharlesU)が、1660年に復位して 行った、王政復古がある。英語では、(the Resoration)という。
しかし「維新」というと、「革命」もしくは、「刷新」という印象をもつ。事実、私は学生時代、「維
新」というのは、「革命」ほどではないが、革命に近い革命のことだと、理解していた。
しかし明治維新の流れを見るまでもなく、明治維新は、日本にとっては、まさに「王政復古」を
意味するものであった。
(King=王)と(Emperor=天皇)のちがいは、呼び方のちがいだけであって、中身はまったく
同じである。ともかくも、英語の方では、正直に、「明治王政復古」と訳している。しかし日本語 のほうでは、「明治維新」と、何かをごまかしている。
なぜ、日本では、「王政復古」と言わなかったのか。また学校でも、なぜ、そのように教えない
のか。「王政復古」と教えることに、何か、まずい点でもあるのか。
私がここで「謎」という言葉を使った理由は、そこにある。つまり日本は、明治維新によって、
民主主義国家になったのではない。学校の教科書などでは、あたかも民主主義国家になった かのように教えられているが、それはウソ。
江戸時代という時代が、あまりにも窮屈で、自由のない時代だったから、その反動として、明
治時代が、明るく華やいで見えたことは、事実だろう。しかし日本は、明治維新によって、民主 主義国家になったのではない。欧米でいう、並みの王政国家になったのである。
だから35年前のことだが、オーストラリアで使われている大学のテキストには、こうあった。
「日本は、官僚主義国家」と。「君主(ロイヤル=天皇)官僚主義国家」となっているのもあっ た。
私は、この記述に、1人の日本人として、猛反発した覚えがある。しかし日本は、官僚主義国
家だった。少なくとも、当時、日本がいう民主主義と、私がオーストラリアで感じた民主主義は、 似ても似つかない、まったく異質のものであった。
なぜ、時の政府は、「維新」という言葉を使ったのか。
理由は簡単。大政奉還によって、それまでの幕藩体制を、王政に変えただけ。わかりやすく
言えば、徳川家と天皇家を入れかえただけ。そういう事実を、国民の目から覆い隠すために、 「維新」という言葉を使った。
本来なら、英語のように、「明治王政復古」と言えばよかった。しかしそれでは、国民の反発
を買うかもしれない。そこで「明治維新」とした。ときの官僚たちが、知恵をしぼりにしぼって考 えた、その結果とも言える。(官僚たちは、こういう言葉のダマシのテクニックに、たけている! 「軍隊」を「自衛隊」と言ってみたり、「官僚主義体制の是正」を、「行政改革」と言ってみたり、 などなど。)
つまり、これがここで私がいう、「謎」ということになる。(その答も、すでに書いてしまったが…
…。)
で、明治維新は、一般大衆や庶民には、まったく無縁の世界で起きた、政変劇ということにな
る。だから江戸時代の社会システムは、ほぼそのまま明治時代へと引きつがれた。藩主は県 令(今の県知事)となり、武士は警官となり役人となった。それから140年近くたった今でも、こ うした官僚主義は、厳然と生きている。「官僚による、官僚のための、官僚の国家」ということ か。
日本は、たしかに、自由な国である。選挙もある。しかし自由といっても、アホなことを、ギャ
ーギャーと騒ぐことを自由というのではない。またそういう自由があるから、自由な国というので はない。
また選挙にしても、県知事にしても、市長にしても、はたまた国会議員にしても、選ばれるの
は、元官僚。天下り官僚。こういう現実を前にして、それでも日本は、民主主義国家と言い切る ことができるのだろうか。
「明治維新」について、私が知っていることを、ここに書きとめた。
(はやし浩司 明治維新 Meiji Restoration 王政復古)
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●上下定分の理
+++++++++++++++
どうして、日本の身分制度は、
生まれたのか?
どうして男が上で、女が下と
考えるようになったのか?
どうして夫が上で、妻が下と
考えるようになったのか?
+++++++++++++++
「自然界にある上下関係は、人間関係にもおよび、それがあらゆるものの秩序を保つ原理に
なっている」というのが、「上下定分の理」である。
男が上で、女が下、
親が上で、子が下、
夫が上で、妻が下、と。
そしてこれが江戸時代の身分制度の基本原理となったことは、言うまでもない。で、それを理
論づけたのが、林羅山(はやし・らざん・1583〜1657)。江戸時代初期、徳川家康のブレー ンとして働いた儒学者として知られている。
この思想は、当時の封建領主たちにとっては、まことにつごうのよいものであった。とくに一
部の仏教徒や、その仏教徒に指導された農民たちの反乱(一揆)に手を焼いていた、為政者 には、そうであった。為政者たちは、林羅山の上下定分の理に、とびついた。つまりこうして、 士農工商の身分制度は確立され、江戸時代が終わるまで、それはつづいた。
この林羅山、つまり私と同姓であるが、もちろん私の祖先とは、関係ない。で、一説によると、
58歳のときですら、1年間に700冊も本を読んだという(PHP「哲学」)。
58歳といえば、今月、私も、その58歳になる。で、1年間に700冊というと、1日、2冊。当時
の本というのは、今でいう本とは、かなり趣(おもむ)きが、ちがう。文字も大きく、ページ数も少 ない。全体としても、新聞1ページ分もなかったのではないか。「700冊」と聞くと、すごいと思う が……。
10年ほど前のことだが、私はあるカルト教団の信者と、こんな会話をしたことがある。その信
者は、彼らが属する教団の、X指導者について、こう言った。
「X先生は、絶対、正しい」と。そこで「どうして、そんなことが言えるのですか?」と私が聞くと、
「X先生は、すでに万巻の書を読んでいる」と。
「たくさんの本を読んでいるから、その人は正しい」という論法は、日本独特のものと考えてよ
い。隷属性の強い人が、自分の薄学をごまかす言葉として、よく使われる。それに、日本人 は、どういうわけか、「本」に対して、一種独特の幻想を、強く、もっている。たとえばこの日本で は、「教科書に書いてある」と言えば、泣く子も、だまる。
……という、どこかひがんだ話は別として、この林羅山のおかげで、日本の民主化は、その
根底から、芽を摘まれたことになる。(残念!)以後、世界に類をみない、身分制度が、この日 本を支配することになる。
が、これは、江戸時代だけの話ではない。江戸時代が終わって、140年もたつというのに、
いまだに、「男が上で、女が下。親が上で、子が下。夫が上で、妻が下」などと考えている人 は、多いのには、驚かされる。この静岡県においてですら、そうである。
これから書く話は、100%、事実である。
浜松市の郊外に、A町という、昔からミカン栽培で栄えた町がある。町というか、村に近い。そ
の町の教育委員会の依頼で講演したときのこと。そのあと若い課員(35歳くらい、当時)が、 控え室で、私にこう言った。
「先生の講演は、この地域では、まずいです。そうでなくても、嫁姑(よめ・しゅうとめ)の戦争
が絶えないところです。こういうところで、女性の地位うんぬん(=ジェンダー)の話をされると、 委員会としても、困ります。
こういう講演会では、みなが、ハハハと笑えるような話のほうがいいです。ほら、大阪の漫才
師がするような話です。このあたりの女性たちは、こういうところへ、息抜きにくるのです。こう いう講演会があることを理由に、家から外へ出られるのです。
先生の話は、嫁姑の戦争に火をつけるようなものです。覚えていますか? 一番、最後列に
すわっていた女性。先生から見て、左側の、一番窓際に座っていた女性です。先生の話を聞き ながら、深刻な顔をしていたでしょう。このあたりには、ああいう女性が多いのです」と。
私は、その課員の言葉を聞いて、あ然とした。「だったら、漫才師を呼べばいい」と思った。
「ただし私に払うような講演料では、ぜったいにこんなところには、来ないだろう」とも。
何とも不愉快な男だった。インギンブレイというのは、ああいう男の態度をいう。で、私は、背
筋を伸ばして、こう言ってやった。
「ああ、その女性ですか。窓際の、ね。……あれは、私のワイフです」と。そのとき、ワイフは、
私の運転手として、その会場へ来ていた。
ハッと驚いた様子はわかったが、私は、その課員と目を合わせることは、もうなかった。
21世紀に入った、現代ですら、こうである。いわんや、明治時代はどうであったか。江戸時代
はどうであったか。いつの世も、体制に迎合して、その体制につごうのよい研究をする学者が いる。林羅山という人も、そんな人ではなかったか。
で、その林羅山は、多くの弟子、門下生を生み出している。そしてその流れは、やがて、貝原
益軒(かいばらえきけん)や新井白石らへと受けつがれていく(参考、PHP「哲学」)。
(はやし浩司 身分制度 林羅山 上下定分 上下定分の理)
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その貝原益軒で思い出したのが、つぎの
原稿です。
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●子育ては主義の問題
ある母親から、こんなメールが届いた。私の講演を聞いたあと、今度は、S氏という評論家の
講演を聞いたというのだ。その結果、「頭の中が混乱してしまいました」と。
S氏というのは、このあたりでも、貝原益軒(かいばらえきけん)の『和俗童子訓』風の子育て
論を説くことで、よく知られた人である。貝原益軒というのは、江戸時代の儒学者である。S氏 も、「親の威厳こそが、家族をまとめるカギである」というようなことを、あちこちで話している。
私の考え方とは、一八〇度違う。だからといって、私はS氏の思想を否定しているのではな
い。人それぞれ。私は私。人は人。
そこで大切なことは、いろいろな人の意見には、耳を傾けつつも、「私は私」という部分を、自
分の中につくること。でないと、この母親のように、混乱してしまう。
子育てというのは、一見、ただの子育てに見えるかもしれないが、実は、そこに、その人の
「主義」がからんでくる。その人の生きザマや人生観が、子育てに、集約される。学歴信仰とは よく言ったもので、まさに「信仰」に近い部分もある。
だから子育てをするとき、大切なことは、どんな小さなものでもよいから、そこに「主義」をもつ
こと。これを心理学の世界では、「一貫性」という。一貫性が大切とか大切でないとかいうことで はなく、その一貫性がない子育てほど、こわいものはない。
たとえば貝原益軒なら貝原益軒でもよい。親が、一本、スジの通った主義をもてば、子どもは
それに適応する。適応しながら、ときには、親を反面教師としながら、自分の生きザマを勝ち取 っていく。まずいのは、「混乱」である。
そこで私のばあいは、「教師は、子ども※」と決め、めったに、ほかの人の教育論は読まない
ようにしている。話も聞かないようにしている。議論はよくするが、それは対等の立場の議論。 もし本を読む機会があれば、できるだけ教育とは無縁の本を読むようにしている。
それは私自身が、自分の主義を確立するためでもある。またそういう主義を、自分の育児論
の中に、織りこむためでもある。とくに私は、どこか迎合しやすい性質をもっている。すぐ相手 に合わせて、自分の意見をねじまげてしまう。
私の講演を聞いて、つづいてあのS氏の講演を聞けば、だれだって、わけがわからなくなる。
私は、「親子といえども、一対一の人間関係」と説く。一方S氏は、「親の尊厳論を説き、よい子 どもを育てるためには、先祖の墓参りが重要」と説く。
どちらをとるかは、それはみなさん、一人ずつの問題。私の意見がよいと思う人は、私の意
見を参考に、自分の主義をもったらよい。そうでない人は、そうでない主義をもったらよい。そ れは私の問題ではない。冷たいことを言うようだが、仮に、あなたが私の意見に同調してくれた としても、私が得るものは、何もない。得をすることも、何もない。
ただ私自身は、この宇宙に生まれた一つの証(あかし)として、ほんの数センチでも、あるい
はほんの数ミリでも、人間の社会を、一歩、前進させたい。そういう願いをもって、ものを書き、 自分の意見を述べている。
だからその母親の意見には、こう答えるしかなかった。
「あっちのカベ、こっちのカベにぶつかっていると、やがて子育ての輪郭が見えてきますよ。そ
れがあなたの子育てです。混乱するということは、一歩、その手前にいるということ。恐れない で、もう一歩、前に、足を踏み出し、進んでみてください」と。
……これは私の重要な主義。子育て論を組み立てていて、わからないときがあると、本を調べ
るよりも先に、子どもを観察し、子ども自身に問うことにしている。この世界へ入ってからという もの、私はただひたすら、くる日も、くる日も、アンケート調査を繰りかえした。「教師は子ども」 というのは、そういう意味。
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ところで貝原益軒という人物は、どんなことを書いているのか。
彼が書き残した『和俗童子訓』をあげて、彼についての
おさらいを、ここでしておきたい。
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【貝原益軒】
貝原益軒が、よく批判の的となるのは、彼が残した『和俗童子訓・巻之五』による。いくら江戸
時代とはいえ、よくもまあ、ここまで男尊女卑思想を、徹底させたものだと思う。ホント!
冒頭の「女子に教ゆる法」から、順に、内容をかいつまんで、拾ってみる。読みやすくするた
め、できるだけ、口語になおした。
(1)(男子は、外の世界に出て仕事をする一方)、女子は、いつも内(家の中)にいて、先生や
友から、道を学び、世の中の礼儀を見習うこと。ただひたすら親の教えにより、身を立てるもの だから、父母の教えをしっかりと、守ること。
(2)女子は、はじめは男子とは、異なるところはない、しかし、女子は他家に嫁いで、他人に仕
える立場のものだから、不徳な女子では、舅(しゅうと)、夫の心にかなうことはむずかしい。
その年がきたら、女子には、「女徳」を教えなければならない。女徳というのは、女としての心
の正しくて、善なることをいう。女というのは、容姿より、心がすぐれているほうが、よい。
(夫にかしずいた、中国の斉の宣王の夫人の無塩を、すばらしい女性とほめたたえる。一
方、唐の玄宗の楊貴妃は、容姿はすばらしかったが、女徳がなかったので、何をしても、天下 のわざわいになってしまった。以下、つづく……。)
だから婦人というのは、容姿は見にくくても、(舅や夫に)かしずき、ただひたすら、つつしみ深
くあること。
(2)女の徳は、(「女」と呼び捨てにするのには、抵抗があるが、原文ではそうなっているので
……)、和と順の2つを守ることである。和というのは、心を大切にして、身のこなしや言葉が、 うららかであることをいう。
順(したがう)とは、人に従って、そむかないことをいう。和順がなければ、他人を怒りののしっ
たり、表情もきつく、他人を流し目に見て、けんかばかりする。人をうらんだり、自分の身を誇っ たり、他人をののしったりする。他人よりすぐれているといった表情は、おぞましく、憎たらし い。
だから女は、和順で、かつ貞信で、なさけ深く、静かな心であるのがよい。
(3)そしてこのあとに、いよいよ貝原益軒の、あの有名な言葉がつづく。この部分は、原文のま
ま、紹介する。
『女は、人につかふるものなれば、父の家、富貴なりとても、夫の家にゆきては、其親の家に
ありし時より(も)、身をひき(低)くして、舅姑にへりくだり、慎みつかへて、朝夕のつとめおこたる べからず。舅姑のために衣をぬひ、食をととのへ、わが家にては、夫につかへてたかぶらず。 みづからきぬ(衣)をたたみ、席をはは(掃)き、食をととのへ、うみ・つむぎ、ぬい物し、子をそだ てて、けがれをあらひ、婢多くとも、万の事に、みづから辛労をこらへてつとむる、是婦人の職 分なれば、わが位と身におうぜぬほど、引さがりつとむべし。かくの如くすれば、舅、夫の心に かなひ、家人の心を得て、よく家をたもつ。又わが身にたかぶりて、人をさしつかひ、つとむべ き事におこたりて、身を安楽におくは、舅ににくまれ、下人にそしられて、人の心をうしひ、其家 をよくおさむる事なし。かかる人は、婦人の職分を失ひ、後のさいわひなし。慎むべし』と。
つまり「女性というのは、夫の家に嫁いだら、親の家にいたときよりも、身を低くして、舅姑に
へりくだり、朝夕の仕事を怠ってはいけない」などなど。
(4)以下、女子の心得として、「女の四行」「婦人の三従の道」「婦人の七法」とつづく。
そして結論として、『凡そ女子は、家にありては、父母につかへ、夫に嫁しては、舅・夫に、し
たしくなれちかづきて、つかふるものなれば、其身をきよくして、けがらはしくすべからず。是 又、女子のつとむべきわざたり』と。
わかりやすく言えば、およそ女子というのは、「家にあっては、父母に仕え、舅・夫に対して
は、親しく、なれ近づいて、仕えるべきものである。その身を清らかにして、けがらわしくしては いけない」と。
そして何よりも、貞節が大切だと説く。
(5)そのあと、女性の心得をことこまかく、説明。たとえば、「昔の人は、兄弟といっても、男女
は、幼いときから、席(むしろ)を同じにしない。夫が衣服をかけるところには、女は衣服をかけ ない。沐浴するところも、別々。男女の区別、内外の区別をすることは、これは古道である」と。
さらに指導は、こまかくなる。
「自分の娘が嫁ぐときは、母たるもの、中門まで見送り、娘には、『夫にそむいてはいけない』
と教えること」などなど。それをまとめて、貝原益軒は、13条として、まとめている。
このあたりが『和俗童子訓・巻之五』の折り返し点で、さらに倍程度の文章がつづく。あまり意
味のない文の羅列なので(失礼!)、ここでは省略する。
私は、この貝原益軒の文章を読んでいて、貝原益軒が、ただ単なる男尊女卑の思想の持ち
主というよりは、女性に対して、かぎりないあこがれと、幻想をもっているのに気がついた。
それはちょうど、マザコンタイプの男性が、女性に対して、常に「聖母的な偶像」を求めるのに
似ている。貝原益軒がこの『和俗童子訓』を著したとき、彼の母親はすでに他界していた。貝原 益軒がこの文を書いた日付は、宝永7年、つまり1710年である。貝原益軒は、寛永7年(16 30年)生まれというから、80歳のときの書ということになる。貝原益軒は、その4年後の1714 年に、九州福岡の荒津というところで他界している。
その年齢なら、なおさら貝原益軒は、よけいに女性に対して、「聖母的な偶像」と求めていた
とも言える。そこはまさに、森進一が歌う、『♪おふくろさん』の世界と言ってもよい。
今でも貝原益軒の教育論をたたえる人は、多い。それはそれでかまわないが、ただ必要以
上に、貝原益軒を美化するのも、どうかと思う。
私のワイフに、「妻たるもの、貞淑をまもり、夫にかしずき従うもの」と言うと、ワイフは私にこ
う言った。
「何、言ってるの、あなた。頭がおかしくなったんじゃな〜い?」と。
どうやら、その一言が、このエッセーの結論ということになる。みなさんは、どう考えるだろう
か?
【勉強しない子ども】
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兵庫県にお住まいの、Fさん(母親)から、
「うちの子が勉強から逃げる」「どうしたら
いいか」という相談をもらいました。
それについて考えてみます。
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【Fより、はやし浩司へ】
小学1年生の娘のことです。勉強に拒否反応を持ってしまいました。わからないことがあると、
考えようともせず、「わからない」と、その前に言います。パニックを起こすことも、しばしばあり ます。
宿題をするときでも、まるで好きな数字を書いて、やってしまうような時があります。あれこれ教
えてみるのですが、自分では、考えるようともしません。
娘は年齢よりも幼く見え、感情にむらがあり、失敗をすることを恐れているようにみえます。
娘のこともさることながら、それよりも私自身のことを悩んでいます。娘が、教えてとは言うけ
ど、<わからない>とバリアを自分で張ってしまいます。最後には怒りながら教えています。自 己嫌悪におちいることもあります。そのことが、娘を、余計に勉強嫌いにさせているのかもしれ ません。
私には過去にうつ病の経験があり、不整脈で、脈がまだ乱れる事があります。原因は別とし
て、私のせいで娘がこうなっている・・? 私自身が、プラス思考が出てきません。どうか助言を よろしくお願いします。
+++++++++++++++++++
まず、以前(03年)に書いた、原稿を
ここに添付します。
参考にしてください。
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●マイナスのストローク
記録には、こうある。
「A君。年中児。何を指示しても、『いや』『できない』と逃げてしまう。今日も、絵を描かせよう
としたが、もぞもぞと、何やらわけのわからない模様のようなものを描くだけ。積み木遊びをし たが、A君だけ、作ろうともしない。一事が万事。先日は、歌を歌わせようとしたが、『歌いたくな い』と言って、やはり歌わなかった」(19XX年9月)と。
このA君が印象に残っているのは、母親の視線が、ふつうではなかったこと。母親は、一見お
だやかな表情をしていたが、視線だけは、まるで心を射抜くように強かった。ときにビリビリとそ れを感じて、授業がやりにくかったこともある。
こうしたケースで困るのは、まず母親にその自覚がないということ。「その自覚」というのは、A
君をそういう子どもにしたのは、母親自身であるという自覚のこと。つぎに、私はそれを母親に 説明しなければならないのだが、どこからどう説明してよいのか、その糸口すらわからないとい うこと。A君のケースでも、私と母親の間に、私は、あまりにも大きな距離を覚えた。
が、母親は、こちらのそういう気持など、まったくわからない。「どうしてうちの子は……?」と
相談しつつ、私の説明をロクに聞こうともせず、返す刀で、子どもを叱る。「もっと、しっかりしな さい!」「あんな問題、どうしてできないの!」「お母さん、恥ずかしいわ!」と。
あのユング(精神科医)は、人間の自覚について、それを、意識と、無意識に区別した。そし
てその無意識を、さらに個人的無意識と、集合的無意識に区別した。個人的無意識というの は、その個人の個人的な体験が、無意識下に入ったものをいう。フロイトが無意識と言ったの は、この個人的無意識のことをいう。
集合的無意識というのは、人間が、その原点としてもっている無意識のことをいう。それにつ
いて論ずるは、ここでの目的ではないので、ここでは省略する。問題は、先の、個人的無意識 である。
この個人的無意識は、ここにも書いたように、その個人の個人的な体験が、無意識の世界
に蓄積されてできる。思い出そうとすれば、思い出せる記憶、あるいは意図的に封印された記 憶なども、それに含まれる。問題は、人間の行動の大半は、意識として意識される意思による ものではなく、無意識からの命令によって左右されるということ。わかりやすく言えば、この個人 的無意識が、その個人を、裏から操る。これがこわい。
A君(年中児)の例で考えてみよう。
A君の母親は、強い学歴意識をもっていた。「幼児期から、しっかり教育すれば、子どもは、
東大だって入れるはず」という、迷信とも言えるべき信念さえもっていた。そのため、いつも「子 どもはこうあるべき」「子育てはこうあるべき」という、設計図をもっていた。ある程度の設計図 をもつことは、親として、しかたのないことかもしれない。しかしそれを子どもに、押しつけては いけない。無理をすればするほど、その弊害は、そのまま子どもに現れる。
一方、子どもの立場でみると、そうした母親の姿勢は、子どもの自我の発達を、阻害する。自
我というのは、「私は私という輪郭(りんかく)」のこと。一般論として、乳幼児期に、自我の発達 が阻害されると、どこかナヨナヨとした、ハキのない子どもになる。何をしても自信がもてず、逃 げ腰になる。失敗を恐れ、いつも一歩、その手前で止めてしまう。ここでいうA君が、まさに、そ ういう子どもだった。
これについて、B・F・スキナーという学者は、「オペラント(自発的行動)」という言葉を使って、
つぎのような説明している。
「条件づけには、(1)強化(きょうか)の原理と、(2)弱化(じゃくか)の原理がある」と。
強化の原理というのは、ある行動を人がしたとき、その行動に、プラスのストローク(働きか
け)が加わると、その人は、その行動を、さらに力強く繰りかえすようになるという原理をいう。
たとえば子どもが歌を歌ったとする。そのとき、まわりの人が、それを「じょうずだ」と言ってほ
めたり、自慢したりすると、それがプラスのストロークとなって、子どもはますます歌を歌いたが るようになる。
これに対して弱化の原理というのは、ある行動を人がしたとき、その行動にマイナスのストロ
ークがかかると、その人は、その行動を繰りかえすのをやめてしまうようになるという原理をい う。あるいは繰りかえすのをためらうようになる。
たとえば子どもが歌を歌ったとする。そのとき、まわりの人が、「こう歌いなさい」と言って、け
なしたり、笑ったりすると、それがマイナスのストロークになって、子どもは歌を歌わなくなってし まう。
A君のケースでは、母親の神経質な態度が、あらゆる面で、マイナスのストロークとなって作
用していた。そしてこうしたマイナスのストロークが、ここでいう個人的無意識の世界に蓄積さ れ、その無意識が、A君を裏から操っていた。親の愛情だけは、それなりにたっぷりと受けてい るから、見た目には、おだやかな子どもだったが、A君が何かにつけて、逃げ腰になってしまっ たのは、そのためと考えられる。
が、ここで最初の、問題にもどる。そのときのA君がA君のようであったのは、明らかに母親
が原因だった。それはわかる。が、私の立場で、どの程度まで、その責任を負わねばならない のかということ。与えられた時間と、委託された範囲の中で、精一杯の努力をすることは当然と しても、しかしこうした問題では、母親の協力が不可欠である。その前に、母親の理解がなけ れば、どうしようもない。
そこで私はある日、意を決して、母親にこう話しかけた。
私「ご家庭では、もう少し、手綱(たすな)を、緩(ゆる)めたほうがいいですよ」
母「ゆるめるって……?」
私「簡単に言えば、もっとA君を前向きにほめるということです」
母「ちゃんと、ほめています」
私「そこなんですね。お母さんは、その一方で、A君に、ああしなさいとか、こうしなさいとか言っ
ていませんか?」
母「言っていません。やりたいようにさせています」
私「はあ、そうですか……」と。
実際のところ、問題意識のない母親に、問題を提起しても、ほとんど意味がない。たいてい
は、「うちでは、ふつうです」「幼稚園では、問題ありません」などと言って、私の言葉を払いのけ てしまう。さらに、何度かそういうことを言われたことがあるが、こう言う母親さえいる。「あんた は、黙って、うちの子の勉強だけをみてくれればいいです」と。つまり「余計なことは言うな」と。
……と、書いて、私も気づいた。私にも、弱化の原理が働いている、と。問題のある子どもの
母親を前にすると、「母親に伝えなければ」という意思はあるのだが、別の心がそれにブレーキ をかけてしまう。この仕事というのは、報われることより、裏切られることのほうが、はるかに多 い。いやな思い出も多い。さんざん、不愉快な思いもした。そうした記憶が、私を裏から操って いる? 「質問があるまで、黙っていろ」「あえて問題を大きくすることもない」「言われたことだ けをしていればいい」「余計なことをするな」と。
「なるほど……」と、自分で感心したところで、この話は、ここまで。要するに、子どもは、常に
プラスのストロークをかける。かけながら、つまりは強化の原理を利用して、伸ばす。とくに乳幼 児期はそうで、これは子育ての大原則ということになる。
(はやし浩司 ユング 集合的無意識 個人的無意識 弱化の原理 強化の原理 スキナー
オペラント 自発的行動 マイナスのストローク プラスのストローク はやし浩司)
+++++++++++++++++++++
もちろんFさんが、ここに書いた母親のようで
あるというわけではありません。
しかしやる気というのも、言葉で、説教したり、
叱ったりするから、でてくるというようなもの
でもないようです。
最近の大脳生理学では、つぎのように説明して
います。内容が一部、ダブりますが、お許しく
ださい。
+++++++++++++++++++++
●プラスの強化
「勉強したら、ほめられる」……これをプラスの強化という。一方、「勉強しなければ、叱られ
る」……これをマイナスの強化という。どちらも、子どもに勉強させるという意味では、効果的。 しかし長い目で見ると、マイナスの強化を受けた子どもは、確実に、勉強を嫌いになる。つまり 学力は、さがる。
子どもは、本来的に、自発的に行動する力をもっている。これをスキナーという学者は、「オ
ペラント」と名づけた。しかしその自発的行動の原動力になるものには、二種類ある。それがこ こでいうプラスの強化と、マイナスの強化である。どちらがよいかは、もう改めて説明するまでも ない。
プラスの強化をするための、一つの方法として、達成感を利用するというのがある。最近の
大脳生理学では、脳の中枢部の辺縁系にある、帯状回(たいじょうかい)という組織が、どうや ら、その「やる気」をコントロールするということまでわかってきた(伊藤正男氏の「思考システ ム」)。
達成感が満足されると、脳の中に、エンケファリン系やエンドロフィン系の麻薬様物質が放出
され、それがここちよい感覚を生みだすという。心理学では、こうした現象を、「好子」という名 前を使って説明している。
そこで子どもの学力を伸ばすためには、いかにして、その達成感を覚えさせるかを、いつも
考えながらする。
たとえばワークブックでも、子どもが懸命にやる様子を見せたら、多少、まちがっていても、そ
れには目を閉じて、大きな丸をつけてやる。こうした大らかさが、子どもを伸ばす。しかし中に は、そうでない親もいる。
「答が違っているのに、どうして丸をつけるのですか?」
「ハネやハライが、メチャメチャです。しっかりみてください」
「しっかりと、ワークブックを採点してください」と。
毎年のように、そういう苦情を言ってくる親がいる。しかし私は、答に丸をつけるのではなく、
一生懸命したことに対して、丸をつける。だいたい、あのワークブックほど、いいかげんなもの はない。(無数の学習教材を作ってきた私がそう言うのだから、まちがいない。)「半分は、お絵 かきになってもよい」と思うこと。こまごまとしたことを言って、子どもを勉強嫌いにしたら、それ こそ、元も子もない。
もちろん正解であればほめる。しかしそれ以上に大切なのは、子どもにプラスの強化が働い
ているかどうかということ。もしマイナスの強化を使わなければ、子どもが勉強しないというので あれば、あなたの家庭教育は、すでに失敗している。じたばたすればするほど、逆効果。へた をすれば、底なしの悪循環の世界に入ってしまうかもしれない。じゅうぶん、注意されたし。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 帯状回 達成感 自発的行動 子供の心理
はやし浩司)
++++++++++++++++++++
子どもの(やる気)について、だいたい、
おおまかなことは、これでわかっていただ
けたと思います。
もう1作、原稿を添付します。2年ほど前に
書いた原稿です。
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●親の意欲、子の意欲
親の過剰期待は、子どもの意欲をつぶす。わかりやすく言えば、親の期待が大きければ大き
いほど、子どもは、やる気をなくす。
一方、親自身が、意欲がないケースがある。生活自体がマンネリ化していて、毎日が、惰性
で流れていく。そういう家庭環境では、やる気のある子どもは、生まれない。
言いかえると、この二つをうまくコントロールすれば、子どもはやる気のある子どもになるし、
そうでなければ、そうでないということになる。いろいろな失敗例をあげてみる。
【「やればできはず」と、A君(中一)を責めた、母親】
そのときA君は、50番中、30〜40番の成績をとっていた。しかしそれがA君には、精一杯
の成績だった。が、たまに、A君は、よい点を取った。たぶん、何かズルイ手をつかったのだろ う。しかし母親には、それがわからなかった。だから、その点を基準に、「あなたは、ちゃんとや ればできる。だから勉強しなさい」と、A君を叱った。
【サッカーを、やめさせた母親】
B君(小五)の楽しみは、何といっても、サッカーだった。体は小柄だったが、その分、小回り
がきき、すばしっこい動きができた。が、小学五年になるころから、成績がさがり始めた。母親 は、B君を、近くの進学塾へ入れることにした。が、ここで問題が起きた。塾の時間と、サッカー クラブの練習日が重なってしまった。母親は、サッカーをやめさせることにした。
【難解なワークブックを与えられたC子(小六)さん】
母親はC子さんを、夏休み前に、X進学塾へ体験入塾させた。そしていきなり、テストと順位。
成績は30人中、25番。この結果に、母親は驚いた。そしてC子さんを叱り、その足で、近くの 書店に。母親は、難解なワークブックを、どっさりと買った。最初のころは、C子さんも、一日2 ページと決め、それなりにがんばったが、すぐオーバーヒート。
【こまかいミスを注意した母親】
その母親は、こまかいことを気にした。漢字にしても、トメ、ハネ、ハライを、神経質なまでに、
子どもに守らせた。学校のテストでも、まちがったところは、すべてノートに書き写させ、それを 子どもにやらせた。計算問題でも、まちがえると、「どうして、こんな簡単なのができないの か!」と、子どもを責めた。
子どもとて、人間。こんな簡単なことさえわからない親は、多い。ではどうするか。
ドイツのマクレランドという学者は、おもしろい実験をしている(「発達心理学」ナツメ社)。
母親の意欲の強さを、(1)最高意欲、(2)高意欲、(3)意欲普通、(4)低意欲の四つに分
け、その子どもたちの意欲の強さを調べたところ、(3)の普通意欲の母親の子どもの意欲が、 一番強かったというのだ。順に並べてみると、
(3)普通意欲→(4)低意欲→(2)高意欲→(1)最高意欲
つまり親の意欲が強すぎると、子どもはやる気をかえってなくすということ。子どもに向かっ
て、「勉強しなさい」と、あれこれこまかい指示を出せば出すほど、逆効果だということ。むしろ ここでいう低意欲(子どものことは子どもに任すタイプ)の親のほうが、子どものやる気を引き 出すということもわかっている。
しかし一方で、子どもにかまわず、外の世界に向かって伸びつづける親の子どもは、伸びる
ということもわかっている。家庭の中に、緊張感が生まれ、その緊張感が、子どもの意欲によ い方に作用するからである。
そんなわけで私は、昔、こんな格言を考えた。『親は外に向かって伸びる』と。子どもに、自分
の夢や希望を託すことは悪いことではない。しかし自分のできなかったこと、できないことを、 子どもに求めてはいけない。親は親。子どもは子どもである。ある母親は、こう言った。「どうし て、うちの子は、本を読まないのでしょうか?」と。
そこで私が、「一番、よい方法は、あなたが毎週、図書館へ行って、本を読むことです。子ど
もがついてくるというなら、連れていけばいい」と。それに答えて、その母親は、こう言った。「私 は、もう終わりましたから」と。
こういう身勝手さは、どんな親にもある。しかしその身勝手さが、子どものやる気をつぶす。
子どもに勉強させようと考えたら、命令や、おどしを使うのは、最後の最後。子どものやる気
を、じょうずに育てることこそ、何よりも大切。わかりきったことなのだが……。
(はやし浩司 マクレランド 意欲 意欲論 子どものやる気 子供のやる気)
+++++++++++++++++++
そこで、どうするか?
方法は、いくつかあります。
コツは、オールマイティな
人間を求めないこと。
得意なことをさせて、少し
できたら、それをほめる。
達成感を大切にするのも、
その一つです。
以前、同じような相談をもらった
ことがあります。
参考になると思いますので、
ここに添付します。
+++++++++++++++++++
【E氏よりの相談】
甥っ子についてなんですが、小学二年生でサッカークラブに入っています。ところがこのとこ
ろ、することがないと、ゴロゴロしているというのです。
とくに友だちと遊ぶでもなく、何か自分で遊ぶのでもなく……。サッカーもヤル気がないくせに、
やめるでもない。こういう時は、どこに目を向ければいいのでしょうか。
やる気がないのは、今、彼の家庭が関心を持っている範疇にないというだけで、親自身が持っ
ている壁を越えさせることがポイントかな、と思ったりしたのですが……。
【はやし浩司より】
●消去法で
こういう相談では、最悪のケースから、考えていきます。
バーントアウト(燃え尽き、俗にいう「あしたのジョー症候群」)、無気力症候群(やる気が起き
ない、ハキがない)、自我の崩壊(抵抗する力すらなくし、従順、服従的になる)など。さらに回 避性障害(人との接触を避ける)、引きこもり、行為障害(買い物グセ、集団非行、非行)など。 自閉症はないか、自閉傾向はないか。さらには、何らかの精神障害の前兆や、学校恐怖症の 初期症状、怠学、不登校の前兆症状はないか、など。
軽いケースでは、親の過干渉、溺愛、過関心、過保護などによって、似たような症状を見せ
ることがあります。また学習の過負担、過剰期待による、オーバーヒートなどなど。この時期だ と、暑さにまけた、クーラー病もあるかもしれません(青白い顔をして、ハーハーあえぐ、など)。
「無気力」といっても、症状や程度は、さまざまです。日常生活全体にわたってそうなのか。あ
るいは勉強面なら勉強面だけにそうなのか。あるいは日よって違うのか。また一日の中でも、 変動はあるのかないのか。
こうした症状にあわせて、何か随伴症状があるかないかも、ポイントになります。ふつう心配な
ケースでは、神経症による緒症状(身体面、行動面、精神面の症状)が伴うはずです。たとえ ばチック、夜驚、爪かみ、夜尿など。腹痛や、慢性的な疲労感、頭痛もあります。行動面では、 たとえば収集癖や万引きなど。
さらに情緒障害が進むと、心が緊張状態になり、突発的に怒ったり、キレたりしやすくなりま
す。この年齢だと、ぐずったりすることもあるかもしれません。
こうした症状をみながら、順に、一つずつ、消去していきます。「これではない」「では、これでは
ないか?」とです。
●教育と医療
つまりいただいた症状だけでは、私には、何とも判断しかねるということです。したがって、ア
ドバイスは不可能です。仮に、そのお子さんを前に置いても、私のようなものが診断名をくだす のは、タブーです。資格のあるドクターもしくは、家の人が、ここに書いたことを参考に、自分で 判断するしかありません。
治療を目的とする医療と、教育を目的とする教育とは、基本的な部分で、見方、考え方が違
うということです。
たとえばこの時期、子どもは、中間反抗期に入ります。おとなになりたいという自分と、幼児
期への復帰と、その間で、フラフラとゆれ戻しを繰りかえしながら、心の状態が、たいへん不安 定になります。
「おとなに扱わねば怒る」、しかし「幼児のように、母親のおっぱいを求める」というようにで
す。
そういう心の変化も、加味して、子どもを判断しなければなりません。医療のように、検査だ
けをして……というわけにはいかないのですね。私たちの立場でいうなら、わかっていても、知 らないフリをして指導します。
しかしそれでは、回答になりませんので、一応の答を書いておきます。
相談があるということから、かなり目立った症状があるという前提で、話をします。
もっとも多いケースは、親の過剰期待、それによるか負担、過関心によって、脳のある部分
(辺縁系の帯状回)が、変調しているということ。多くの無気力症状は、こうして生まれます。
特徴としては、やる気なさのほか、無気力、無関心、無感動、脱力感、無反応など。緩慢動
作や、反応の遅延などもあります。こうした症状が慢性化すると、昼と夜の逆転現象や回避性 障害(だれにも会いたがらない)などの症状がつづき、やがて依存うつ病へと進行していきま す。(こわいですね! Eさんのお子さんのことではなく、甥のことということで、私も、少し気楽 に書いています。)
ですから安易に考えないこと。
●二番底、三番底へ……
この種の問題は、扱い方をまちがえると、二番底、三番底へと落ちていきます。さらに最悪の
状態になってしまうということです。たとえば今は、何とか、まだサッカーはしているようですが、 そのサッカーもしなくなるということです。(親は、これ以上悪くならないと思いがちですが……。 決して、そうではないということです。)
小学二年生という年齢は、好奇心も旺盛で、生活力、行動力があって、ふつうなのです。そ
れが中年の仕事疲れの男のように、家でゴロゴロしているほうが、おかしいのです。どこかに 心の病気があるとみてよいでしょう。
では、なおすために、どうしたらよいか?
まず、家庭が家庭として、機能しているかどうかを、診断します。
●家庭にあり方を疑う……
子どもにとって、やすらぎのある、つまり外の世界で疲れた心と体を休める場所として機能し
ているかどうかということです。簡単な見分け方としては、親のいる前で、どうどうと、ふてぶてし く、体を休めているかどうかということです。
親の姿を見たら、コソコソと隠れたり、好んで親のいないところで、体や心を休めるようであ
れば、機能していないとみます。ほかに深刻なケースとしては、帰宅拒否があります。反省す べきは、親のほうです。
つぎに、達成感を大切にします。「自身が持っている壁を越えさせることがポイント」というの
は、とんでもない話で、そういうやり方をすると、かえってここでいう二番底、三番底へと、子ど もを追いやってしまうから注意してください。
この種の問題は、(無理をする)→(ますます無気力になる)→(ますます無理をする)の悪循
環に陥りやすいので、注意します。一度、悪循環に陥ると、あとは底なしの悪循環を繰りかえ し、やがて行き着くところまで、行き着いてしまいます。
「壁を越えさせる」のは、風邪を引いて、熱を出している子どもに、水をかけるような行為と言っ
てもよいでしょう。仮に心の病にかかっているということであれば、症状は、この年齢でも、半年 単位で推移します。今日、改めたから、明日から改善するなどということは、ありえません。
私なら、学校恐怖症による不登校の初期症状を疑いますが、それについても、私はその子ど
もを見ていませんので、何とも判断しかねます。
ただコツは、いつも最悪のケースを考えながら、「暖かい無視」を繰りかえすということです。
子どものやりたいようにさせます。過関心であれば、親は、子育てそのものから離れます。
多少生活態度がだらしなくなっても、「うちの子は、外でがんばっているから……」と思いなお
し、大目にみます。
ほかに退行(幼児がえり)などの症状があれば、スキンシップを濃厚にし、CA、MGの多い食
生活にこころがけます。(下にお子さんがいらっしゃれば、嫉妬が原因で、かなり情緒が不安定 になっていることも、考えられます。)
子どもの無気力の問題は、安易に考えてはいけません。今は、それ以上のことは言えませ
ん。どうか慎重に対処してください。親やまわりのものが、あれこれお膳立てしても、意味がな いばかりか、たいていは、症状を悪化させてしまいます。そういう例は、本当に多いです。
またもう少し症状がわかれば、話してください。症状に応じて、対処方法も変わります。あまり
深刻でなければ、そのまま様子を見てください。では、今日は、これで失礼します。
はやし浩司
(はやし浩司 子供の達成感 達成感 子供の心理)
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【はやし浩司からFさんへ】
メールをよむかぎり、娘さん(J子さんとします)には、かなり強力な弱化の原理が働いている
ように思います。どこかで、自信をつぶされてしまったわけです。それにややオーバーヒート気 味かもしれません。
で、(やらない)→(できない)→(叱られる)→(ますますやらない)の悪循環に陥っているもの
と、考えられます。
小学1年という年齢を考えると、この部分についての、修復は、かなりむずかしいものと思わ
れます。勉強を好きにさせるための、特効薬のようなものは、ないということです。それこそ、1 年単位の根気と、努力が必要ということになります。
もし浜松市に住んでおられるなら、「私のBW教室へおいでなさい」と言うこともできるのですが
……。まず、勉強は楽しいもの、ということをわからせてあげます。
この時期は、あまり「勉強」と構えないで、子どもといっしょに楽しむという姿勢を大切にしま
す。「半分できればよし」「30分、いっしょにすわって、5分、勉強らしきことができれば、それで よし」とします。そういうおおらかさが、子どもの心に風穴をあけます。
Fさん自身が、やや神経質ではないのかな? 完ぺき主義ではないのかな? ……というとこ
ろまで、少し、考えてみてください。
それともう一つ気になるのは、Fさん自身が、かなり古風な(勉強観)をもっておられるのでは
ないかということ。今は、時代も変わりました。恐らく、今、Fさんがもっている勉強観というの は、あなたの両親から受け継いだものです。
学歴信仰、学校神話、勉強は絶対……などなど。そういった古風な意識が、あなたをがんじ
がらめにしています。これから先、そういったものと、一つずつ戦っていくしかありませんね。
で、どうすればよいか?
学校の勉強も、3、4年前とくらべると、かなり楽になっています。10月に入って、やっとくりあ
がりのある足し算を学習することになっています(小1・算数)。だからあまり気負わないで、ここ は少し肩の力を抜いて考えてみられては、どうでしょうか。
J子さんに、何か、得意分野は、ありませんか。こういうケースでは、「不得意分野には目をつ
ぶり、得意分野を伸ばせ」が原則です。私が唱える、『一芸論』も、そういうところから生まれま した。
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一芸論についての原稿を
添付します。
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●「これだけは絶対に人に負けない」・子どもの一芸論
Sさん(中一)もT君(小三)も、勉強はまったくダメだったが、Sさんは、手芸で、T君は、スケ
ートで、それぞれ、自分を光らせていた。
中に「勉強、一本!」という子どももいるが、このタイプの子どもは、一度勉強でつまずくと、あと
は坂をころげ落ちるように、成績がさがる。そういうときのため、……というだけではないが、子 どもには一芸をもたせる。この一芸が、子どもを側面から支える。あるいはその一芸が、その 子どもの身を立てることもある。
M君は高校へ入るころから、不登校を繰り返し、やがて学校へはほとんど行かなくなってしま
った。そしてその間、時間をつぶすため、近くの公園でゴルフばかりしていた。が、一〇年後。 ひょっこり私の家にやってきて、こう言って私を驚かせた。「先生、ぼくのほうが先生より、お金 を稼いでいるよね」と。彼はゴルフのプロコーチになっていた。
この一芸は作るものではなく、見つけるもの。親が無理に作ろうとしても、たいてい失敗する。
Eさん(二歳児)は、風呂に入っても、平気でお湯の中にもぐって遊んでいた。そこで母親が、 「水泳の才能があるのでは」と思い、水泳教室へ入れてみた。案の定、Eさんは水泳ですぐれ た才能を見せ、中学二年のときには、全国大会に出場するまでに成長した。S君(年長児)も そうだ。
父親が新車を買ったときのこと。S君は車のスイッチに興味をもち、「これは何だ、これは何だ」
と。そこで母親から私に相談があったので、私はS君にパソコンを買ってあげることを勧めた。 パソコンはスイッチのかたまりのようなものだ。その後S君は、小学三年生のころには、ベーシ ック言語を、中学一年生のころには、C言語をマスターするまでになった。
この一芸。親は聖域と考えること。よく「成績がさがったから、(好きな)サッカーをやめさせ
る」と言う親がいる。しかし実際には、サッカーをやめさせればやめさせたで、成績は、もっとさ がる。一芸というのは、そういうもの。ただし、テレビゲームがうまいとか、カードをたくさん集め ているというのは、一芸ではない。
ここでいう一芸というのは、集団の中で光り、かつ未来に向かって創造的なものをいう。「創造
的なもの」というのは、努力によって、技や内容が磨かれるものという意味である。
そしてここが大切だが、子どもの中に一芸を見つけたら、時間とお金をたっぷりとかける。そう
いう思いっきりのよさが、子どもの一芸を伸ばす。「誰が見ても、この分野に関しては、あいつし かいない」という状態にする。子どもの立場で言うなら、「これだけは絶対に人に負けない」とい う状態にする。
一芸、つまり才能と言いかえてもいいが、その一芸を見つけるのは、乳幼児期から四、五歳
ごろまでが勝負。この時期、子どもがどんなことに興味をもち、どんなことをするかを静かに観 察する。一見、くだらないことのように見えることでも、その中に、すばらしい才能が隠されてい ることもある。それを判断するのも、家庭教育の大切な役目の一つである。
(はやし浩司 兄弟の確執 ライバル意識 一芸論)
【付録】
●長子は神経質?
なお神経質な子どもに関して、こんな興味深いデータがある。東海大学医学部の逢坂文夫氏
らの調査によると、「一番上の子は、下の子よりも神経質」というのだ。
東京都内の保育園に通う1000人の園児の母親について調べたところ、次のようなことがわ
かったという。
母親がわが子を神経質と認めた割合は、弟や妹をもつ長子についてがもっとも多く、42・
7%。
これに比べて、一人っ子は、35・1%、第二子は23・7%、第三子以降は、15・8%(母親の
平均年齢は、32・6歳。園児の平均年齢は3・8歳)。「兄弟姉妹の下のほうになるほど、のん びり屋さんになるようだ」(中日新聞コメント)と。
また「緊張しやすい」とされた長子の割合も、第二子の約1・5倍だったという。長子ほど、心
理的に不安定な傾向がうかがえる。これらの調査結果からわかることは、子どもが神経質にな るかどうかということは、生まれつきの性質による部分も無視できないが、生まれてからの環 境にもよる部分も大きいということである。
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ついでに、「自己嫌悪」について。
Fさんが、自己嫌悪という言葉を
使っておられましたので……。
どうか、参考にしてください。
なおあなたの住んでおられる、
O町は、よく知っています。
メールをいただいて、
なつかしく思いました。
こういう形で、O町の方に
返事を書けることを、たいへん
うれしく思っています。
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●自己嫌悪
ある母親から、こんなメールが届いた。「中学二年生になる娘が、いつも自分をいやだとか、
嫌いだとか言います。母親として、どう接したらよいでしょうか」と。神奈川県に住む、Dさんから のものだった。
自我意識の否定を、自己嫌悪という。自己矛盾、劣等感、自己否定、自信喪失、挫折感、絶
望感、不安心理など。そういうものが、複雑にからみ、総合されて、自己嫌悪につながる。青春 期には、よく見られる現象である。
しかしこういった現象が、一過性のものであり、また現れては消えるというような、反復性があ
るものであれば、(それはだれにでもある現象という意味で)、それほど、心配しなくてもよい。 が、その程度を超えて、心身症もしくは気うつ症としての症状を見せるときは、かなり警戒した ほうがよい。はげしい自己嫌悪が自己否定につながるケースも、ないとは言えない。さらにそ の状態に、虚脱感、空疎感、無力感が加わると、自殺ということにもなりかねない。とくに、それ が原因で、子どもがうつ状態になったら、「うつ症」に応じた対処をする。
一般には、自己嫌悪におちいると、人は、その状態から抜けでようと、さまざまなな心理的葛
藤を繰りかえすようになる。ふつうは(「ふつう」という言い方は適切ではないかもしれないが… …)、自己鍛錬や努力によって、そういう自分を克服しようとする。これを心理学では、「昇華」 という。つまりは自分を高め、その結果として、不愉快な状態を克服しようとする。
が、それもままならないことがある。そういうとき子どもは、ものごとから逃避的になったら、あ
るいは回避したり、さらには、自分自身を別の世界に隔離したりするようになる。そして結果と して、自分にとって居心地のよい世界を、自らつくろうとする。よくあるのは、暴力的、攻撃的に なること。自分の周囲に、物理的に優位な立場をつくるケース。たとえば暴走族の集団非行な どがある。
だからたとえば暴走行為を繰りかえす子どもに向かって、「みんなの迷惑になる」「嫌われる」
などと説得しても、意味がない。彼らにしてみれば、「嫌われること」が、自分自身を守るため の、ステータスになっている。また嫌われることから生まれる不快感など、自己嫌悪(否定)か ら受ける苦痛とくらべれば、何でもない。
問題は、自己嫌悪におちいった子どもに、どう対処するかだが、それは程度による。「私は自
分がいや」と、軽口程度に言うケースもあれば、落ちこみがひどく、うつ病的になるケースもあ る。印象に残っている中学生に、Bさん(中三女子)がいた。
Bさんは、もともとがんばり屋の子どもだった。それで夏休みに入るころから、一日、五、六時
間の勉強をするようになった。が、ここで家庭問題。父親に愛人がいたのがわかり、別居、離 婚の騒動になってしまった。Bさんは、進学塾の夏期講習に通ったが、これも裏目に出てしまっ た。それまで自分がつくってきた学習リズムが、大きく乱れてしまった。が、何とか、Bさんは、 それなりに勉強したが、結果は、よくなかった。夏休み明けの模擬テストでは、それまでのテス トの中でも、最悪の結果となってしまった。
Bさんに無気力症状が現れたのは、その直後からだった。話しかければそのときは、柔和な
表情をしてみせたが、まったくの上の空。教室にきても、ただぼんやりと空をみつめているだ け。あとはため息ばかり。このタイプの子どもには、「がんばれ」式の励ましや、「こんなことで は○○高校に入れない」式の、脅しは禁物。それは常識だが、Bさんの母親には、その常識が なかった。くる日もくる日も、Bさんを、あれこれ責めた。そしてそれがますますBさんを、絶壁へ と追いこんだ。
やがて冬がくるころになると、Bさんは、何も言わなくなってしまった。それまでは、「私は、ダ
メだ」とか、「勉強がおもしろくない」とか言っていたが、それも口にしなくなってしまった。「高校 へ入って、何かしたいことがないのか。高校では、自分のしたいことをしればいい」と、私が言 っても、「何もない」「何もしたくない」と。そしてそのころ、両親は、離婚した。
このBさんのケースでは、自己嫌悪は、気うつ症による症状の一つということになる。言いか
えると、自己嫌悪にはじまる、自己矛盾、劣等感、自己否定、自信喪失、挫折感、絶望感、不 安心理などの一連の心理状態は、気うつ症の初期症状、もしくは気うつ症による症状そのもの ということになる。あるいは、気うつ症に準じて考える。
軽いばあいなら、休息と息抜き。家庭の中で、だれにも干渉されない時間と場所を用意す
る。しかし重いばあいなら、それなりの覚悟をする。「覚悟」というのは、安易になおそうと考え ないことをいう。
心の問題は、外から見えないだけに、親は安易に考える傾向がある。が、そんな簡単な問題
ではない。症状も、一進一退を繰りかえしながら、一年単位の時間的スパンで、推移する。ふ つうは(これも適切ではないかもしれないが……)、こうした心の問題については、(1)今の状 態を、今より悪くしないことだけを考えて対処する。(2)今の状態が最悪ではなく、さらに二番 底、三番底があることを警戒する。そしてここにも書いたように、(3)一年単位で様子をみる。 「去年の今ごろと比べて……」というような考え方をするとよい。つまりそのときどきの症状に応 じて、親は一喜一憂してはいけない。
また自己嫌悪のはげしい子どもは、自我の発達が未熟な分だけ、依存性が強いとみる。満
たされない自己意識が、自分を嫌悪するという方向に向けられる。たとえば鉄棒にせよ、みな はスイスイとできるのに、自分は、いくら練習してもできないというようなときである。本来なら、 さらに練習を重ねて、失敗を克服するが、そこへ身体的限界、精神的限界が加わり、それも思 うようにできない。さらにみなに、笑われた。バカにされたという「嫌子(けんし)」(自分をマイナ ス方向にひっぱる要素)が、その子どもをして、自己嫌悪に陥れる。
以上のように自己嫌悪の中身は、複雑で、またその程度によっても、対処法は決して一様で
はない。原因をさぐりながら、その原因に応じた対処法をする。一般論からすれば、「子どもを 前向きにほめる(プラスのストロークをかける)」という方法が好ましいが、中学二年生という年 齢は、第二反抗期に入っていて、かつ自己意識が完成する時期でもある。見えすいた励ましな どは、かえって逆効果となりやすい。たとえば学習面でつまずいている子どもに向かって、「勉 強なんて大切ではないよ。好きなことをすればいいのよ」と言っても、本人はそれに納得しな い。
こうしたケースで、親がせいぜいできることと言えば、子どもに、絶対的な安心を得られる家
庭環境を用意することでしかない。そして何があっても、あとは、「許して忘れる」。その度量の 深さの追求でしかない。こういうタイプの子どもには、一芸論(何か得意な一芸をもたせる)、環 境の変化(思い切って転校を考える)などが有効である。で、これは最悪のケースで、めったに ないことだが、はげしい自己嫌悪から、自暴自棄的な行動を繰りかえすようになり、「死」を口 にするようになったら、かなり警戒したほうがよい。とくに身辺や近辺で、自殺者が出たようなと きには、警戒する。
しかし本当の原因は、母親自身の育児姿勢にあったとみる。母親が、子どもが乳幼児のこ
ろ、どこかで心配先行型、不安先行型の子育てをし、子どもに対して押しつけがましく接したこ となど。否定的な態度、拒否的な態度もあったかもしれない。子どもの成長を喜ぶというより は、「こんなことでは!」式のおどしも、日常化していたのかもしれない。神奈川県のDさんがそ うであるとは断言できないが、一方で、そういうことをも考える。えてしてほとんどの親は、子ど もに何か問題があると、自分の問題は棚にあげて、「子どもをなおそう」とする。しかしこういう 姿勢がつづく限り、子どもは、心を開かない。親がいくらプラスのストロークをかけても、それが ムダになってしまう。
ずいぶんときびしいことを書いたが、一つの参考意見として、考えてみてほしい。なお、繰り
かえすが、全体としては、自己嫌悪は、多かれ少なかれ、思春期のこの時期の子どもに、広く 見られる症状であって、決して珍しいものではない。ひょっとしたらあなた自身も、どこかで経験 しているはずである。もしどうしても子どもの心がつかめなかったら、子どもには、こう言ってみ るとよい。「実はね、お母さんも、あなたの年齢のときにね……」と。こうしたやさしい語りかけ (自己開示)が、子どもの心を開く。
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【再び、Fさんへ……】
もっと子育てを楽しみなさい。今、あなたは、すべてのものをもっている。そのことにまず、気
がつきなさい。
あなたの子どもを、友として、迎え入れなさい。あなたがもっている、古典的な親意識など、捨
ててしまえばよいのです。
そして子どもといっしょに、人生を楽しむつもりで、子どもと接する。私も今、多くの生徒を教え
ながら、いっしょに、楽しむようにしています。自分の人生を、です。
カリカリと叱りながら教えていても、つまらないでしょう。だから楽しむのです。最後の私の好
きな原稿を、いくつか添付しておきます。今でも、これらの原稿を読むと、目頭がジンと熱くなり ます。
あなたも気が楽になるはずです。
+++++++++++++++++
●子どもが巣立つとき
階段でふとよろけたとき、三男がうしろから私を抱き支えてくれた。いつの間にか、私はそん
な年齢になった。腕相撲では、もうとっくの昔に、かなわない。自分の腕より太くなった息子の 腕を見ながら、うれしさとさみしさの入り交じった気持ちになる。
男親というのは、息子たちがいつ、自分を超えるか、いつもそれを気にしているものだ。息子
が自分より大きな魚を釣ったとき。息子が自分の身長を超えたとき。息子に頼まれて、ネクタイ をしめてやったとき。
そうそう二男のときは、こんなことがあった。二男が高校に入ったときのことだ。二男が毎晩、
ランニングに行くようになった。しばらくしてから女房に話を聞くと、こう教えてくれた。「友だちの ために伴走しているのよ。同じ山岳部に入る予定の友だちが、体力がないため、落とされそう だから」と。
その話を聞いたとき、二男が、私を超えたのを知った。いや、それ以後は二男を、子どもという
よりは、対等の人間として見るようになった。
その時々は、遅々として進まない子育て。イライラすることも多い。しかしその子育ても終わっ
てみると、あっという間のできごと。「そんなこともあったのか」と思うほど、遠い昔に追いやられ る。「もっと息子たちのそばにいてやればよかった」とか、「もっと息子たちの話に耳を傾けてや ればよかった」と、悔やむこともある。
そう、時の流れは風のようなものだ。どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。そ
していつの間にか子どもたちは去っていき、私の人生も終わりに近づく。
その二男がアメリカへ旅立ってから数日後。私と女房が二男の部屋を掃除していたときのこ
と。一枚の古ぼけた、赤ん坊の写真が出てきた。私は最初、それが誰の写真かわからなかっ た。が、しばらく見ていると、目がうるんで、その写真が見えなくなった。
うしろから女房が、「Sよ……」と声をかけたとき、同時に、大粒の涙がほおを伝って落ちた。
何でもない子育て。朝起きると、子どもたちがそこにいて、私がそこにいる。それぞれが勝手
なことをしている。三男はいつもコタツの中で、ウンチをしていた。私はコタツのふとんを、「臭 い、臭い」と言っては、部屋の真ん中ではたく。女房は三男のオシリをふく。長男や二男は、そ ういう三男を、横からからかう。そんな思い出が、脳裏の中を次々とかけめぐる。
そのときはわからなかった。その「何でもない」ことの中に、これほどまでの価値があろうとは!
子育てというのは、そういうものかもしれない。街で親子連れとすれ違うと、思わず、「いいな あ」と思ってしまう。そしてそう思った次の瞬間、「がんばってくださいよ」と声をかけたくなる。レ ストランや新幹線の中で騒ぐ子どもを見ても、最近は、気にならなくなった。「うちの息子たち も、ああだったなあ」と。
問題のない子どもというのは、いない。だから楽な子育てというのも、ない。それぞれが皆、
何らかの問題を背負いながら、子育てをしている。しかしそれも終わってみると、その時代が 人生の中で、光り輝いているのを知る。もし、今、皆さんが、子育てで苦労しているなら、やが てくる未来に視点を置いてみたらよい。心がずっと軽くなるはずだ。
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●生きる源流に視点を
ふつうであることには、すばらしい価値がある。その価値に、賢明な人は、なくす前に気づ
き、そうでない人は、なくしてから気づく。青春時代しかり、健康しかり、そして子どものよさも、 またしかり。
私は不注意で、あやうく二人の息子を、浜名湖でなくしかけたことがある。その二人の息子が
助かったのは、まさに奇跡中の奇跡。たまたま近くで国体の元水泳選手という人が、魚釣りを していて、息子の一人を助けてくれた。
以来、私は、できの悪い息子を見せつけられるたびに、「生きていてくれるだけでいい」と思い
なおすようにしている。が、そう思うと、すべての問題が解決するから不思議である。
とくに二男は、ひどい花粉症で、春先になると決まって毎年、不登校を繰り返した。あるいは中
学三年のときには、受験勉強そのものを放棄してしまった。私も女房も少なからずあわてた が、そのときも、「生きていてくれるだけでいい」と考えることで、乗り切ることができた。
私の母は、いつも、『上見てきりなし、下見てきりなし』と言っている。人というのは、上を見れ
ば、いつまでたっても満足することなく、苦労や心配の種はつきないものだという意味だが、子 育てで行きづまったら、子どもは下から見る。「下を見ろ」というのではない。下から見る。「子ど もが生きている」という原点から、子どもを見つめなおすようにする。
朝起きると、子どもがそこにいて、自分もそこにいる。子どもは子どもで勝手なことをし、自分
は自分で勝手なことをしている……。一見、何でもない生活かもしれないが、その何でもない生 活の中に、すばらしい価値が隠されている。つまりものごとは下から見る。それができたとき、 すべての問題が解決する。
子育てというのは、つまるところ、「許して忘れる」の連続。この本のどこかに書いたように、フ
ォ・ギブ(許す)というのは、「与える・ため」とも訳せる。またフォ・ゲット(忘れる)は、「得る・た め」とも訳せる。
つまり「許して忘れる」というのは、「子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るため
に忘れる」ということになる。仏教にも「慈悲」という言葉がある。この言葉を、「as you like」と英 語に訳したアメリカ人がいた。「あなたのよいように」という意味だが、すばらしい訳だと思う。こ の言葉は、どこか、「許して忘れる」に通ずる。
人は子どもを生むことで、親になるが、しかし子どもを信じ、子どもを愛することは難しい。さ
らに真の親になるのは、もっと難しい。大半の親は、長くて曲がりくねった道を歩みながら、そ の真の親にたどりつく。楽な子育てというのはない。
ほとんどの親は、苦労に苦労を重ね、山を越え、谷を越える。そして一つ山を越えるごとに、そ
れまでの自分が小さかったことに気づく。が、若い親にはそれがわからない。ささいなことに悩 んでは、身を焦がす。先日もこんな相談をしてきた母親がいた。
東京在住の読者だが、「一歳半の息子を、リトミックに入れたのだが、授業についていけない。
この先、将来が心配でならない。どうしたらよいか」と。こういう相談を受けるたびに、私は頭を かかえてしまう。
+++++++++++++++++++
●家族の真の喜び
親子とは名ばかり。会話もなければ、交流もない。廊下ですれ違っても、互いに顔をそむけ
る。怒りたくても、相手は我が子。できが悪ければ悪いほど、親は深い挫折感を覚える。「私は ダメな親だ」と思っているうちに、「私はダメな人間だ」と思ってしまうようになる。
が、近所の人には、「おかげでよい大学へ入りました」と喜んでみせる。今、そんな親子がふえ
ている。いや、そういう親はまだ幸せなほうだ。夢も希望もことごとくつぶされると、親は、「生き ていてくれるだけでいい」とか、あるいは「人様に迷惑さえかけなければいい」とか願うようにな る。
「子どものころ、手をつないでピアノ教室へ通ったのが夢みたいです」と言った父親がいた。
「あのころはディズニーランドへ行くと言っただけで、私の体に抱きついてきたものです」と言っ た父親もいた。が、どこかでその歯車が狂う。狂って、最初は小さな亀裂だが、やがてそれが 大きくなり、そして互いの間を断絶する。そうなったとき、大半の親は、「どうして?」と言ったま ま、口をつぐんでしまう。
法句経にこんな話がのっている。ある日釈迦のところへ一人の男がやってきて、こうたずね
る。「釈迦よ、私はもうすぐ死ぬ。死ぬのがこわい。どうすればこの死の恐怖から逃れることが できるか」と。それに答えて釈迦は、こう言う。
「明日のないことを嘆くな。今日まで生きてきたことを喜べ、感謝せよ」と。私も一度、脳腫瘍を
疑われて死を覚悟したことがある。そのとき私は、この釈迦の言葉で救われた。そういう言葉 を子育てにあてはめるのもどうかと思うが、そういうふうに苦しんでいる親をみると、私はこう言 うことにしている。「今まで子育てをしながら、じゅうぶん人生を楽しんだではないですか。それ 以上、何を望むのですか」と。
子育てもいつか、子どもの巣立ちで終わる。しかしその巣立ちは必ずしも、美しいものばかり
ではない。憎しみあい、ののしりあいながら別れていく親子は、いくらでもいる。しかしそれでも 巣立ちは巣立ち。親は子どもの踏み台になりながらも、じっとそれに耐えるしかない。
親がせいぜいできることといえば、いつか帰ってくるかもしれない子どものために、いつもドア
をあけ、部屋を掃除しておくことでしかない。私の恩師の故松下哲子先生*は手記の中にこう 書いている。「子どもはいつか古里に帰ってくる。そのときは、親はもうこの世にいないかもしれ ない。が、それでも子どもは古里に帰ってくる。決して帰り道を閉ざしてはいけない」と。
今、本当に子育てそのものが混迷している。イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受
賞者でもあるバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、こう書き残している。
「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決
して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」 と。
こういう家庭づくりに成功している親子は、この日本に、今、いったいどれほどいるだろうか。
(*浜松A幼稚園理事長)
●教師の世界(今、学校では……)
●習熟度別クラス
習熟度というほど、おおげさではないが、子どもの能力と、やる気に合わせて、クラスを分け
て授業を進めるという方法が、この浜松市でも、あちこちの小学校で採用されている。
現在は、まだ、試行錯誤の段階で、そうした授業を、親たちに参観させながら、そのあとアン
ケート調査をするところも多い。
で、一応、親たちは、それを、「習熟度別授業」と、理解している。
従来(2〜3年前から)は、小学3〜4年生クラスにおいて、実験的に、特定の教科について、
こうしたクラス分けがなされていた。たとえば理科の実験などでは、人数を減らして、マンツーマ ンで教えるなど。
ほかに小学1年生については、国語の学習で、とくに遅れが目立つ子どもについてなどは、
個人レッスンの形で、やはりクラス分けがなされていた。これを「個別指導」というが、時間的 は、それほど、長いものではない。平均して、20〜30分程度である。
しかしこれは習熟度別というのではなく、ここにも書いたように、個人レッスン的な色彩が濃い
ものであった。こうした授業形態を、「小(こ)人数クラス」と呼び、「少人数クラス」とは、区別し ていた。
こうした授業に対して、浜松市内の大規模校を中心に、(1)テストの結果などを参考に、(2)
日ごろの観察、(3)子どもの自主性、(4)親の希望を取り入れて、習熟度別授業をもつところ が、ふえてきた。
「まだ、(本格的に)、しているところと、していないところがある」(某小学校教頭談)とのこと。
こうした習熟度別授業は、(1)固定化しているわけではなく、そのつど、流動的に生徒が、そ
れぞれのクラスを移動する。(2)クラス分けは、均等分けするときもあるし、そうでないときもあ る。たとえば2クラスを、3クラスに分けて授業をするときは、均等分けにしたりする。
実験的な措置として、特定の学校のみに、1人、余分な教師が派遣されることもある。(大規
模校には、2人)。そういう教師を利用して、2クラスを3クラスに分けるときもある。
科目によっては、とくに算数などの差のつきやすい科目については、Aクラス(レベル高)を、1
0〜20%前後、Cクラス(レベル低)を、10〜20%前後にし、中位のBクラス(レベル中)のそ のほかの生徒を置くということがなされている。
クラス名は、「上下意識」を感じさせないように、「木の実クラス」「さくらクラス」「かもめクラス」と
いうようなネーミングをつけるところが多い。が、こうした授業が、教師に与える負担も、相当な ものである。
これについて、以前、つぎのような原稿を書いたので、再掲載する。
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●忙しくなる、教師の世界
私たちが中学生や高校生のころには、先生には、「空き時間」というものがあった。たいて
い、1時間教えると、つぎの1時間は、その空き時間だった。
その空き時間の間に、先生たちは、休息したり、本を読んだり、生徒の作品を評価したり、教
材を用意したりしていた。
しかし今は、それが、すっかり、様(さま)変わりした。
このあたりの小学校でも、その「空き時間」が、平均して、1週間に、1〜2時間になってしまっ
たという(某、小学校校長談)。(学校によっては、1週間に、平均して3時間程度というところも ある。文科省の指導に従えば、週1時間程度になるが、学校ごとに、やりくりをして、3時間程 度を確保している。なお、中学校では、平均して7〜8時間程度の、空き時間がある。浜松市 内)
だから今では、平日、学校の職員室を訪れても、ガランとしている。先生の姿を見ることは、
めったにない、
「いわゆる企業や工場の経営論理が、学校現場にも及んでいるのですね。少人数による、習
熟度別指導をする。2クラスを3人の先生で教える(2C3T方式)、さらには1クラスを、2人の 先生で教える(TT方式)が、一般化し、先生が、それだけ足りなくなったためです」と。
この結果、再び、詰めこみ教育が復活してきた。先生たちは、プロセスよりも、結果だけを追
い求めるようになってきた。が、問題は、それだけではない。
余裕がなくなった職場からは、先生どうしの交流も消え、そのため、「精神を病む教師が続出
している」(同)という。とくに忙しいのは、教頭で、朝7時前からの出勤はあたりまえ。さらにこ のところの市町村合併のあおりを受けて、制度や、組織、組織の定款改革などで、自宅へ帰る のは、毎晩、7時、8時だという。
何でもかんでも、学校で……という、親の安易な姿勢が、今、学校の先生たちを、ここまで追
いこんでいるとみてよい。教育はもちろん、しつけから、家庭指導まで……。たった1〜2人の 自分の子どもでさえ、もてあましている親が、20〜30人も、1人の先生に押しつけて、「何とか しろ!」はない。
さらに一言。
1995年前後を底に、学習塾数、塾講師数ともに減少しつづけてきたが、それがここ2000
年を境に、再び、上昇する傾向を見せ始めている(通産省・農林通産省調べ)。進学競争が、 激化する様相さえ見せ始めている。
私の周辺でも、子どもの進学問題が、数年前より、騒がしくなってきたように感ずる。さて、み
なさんの周辺では、どうであろうか?
(はやし浩司 空き時間 2C3T 習熟度別指導 TT 指導システム 激化する進学熱 進学
指導 詰め込み教育)
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今後は、こうした習熟度別教室は、一部の抵抗もあるだろうが、学校内で定着していくものと
思われる。実際には、当初は、どこか遠慮がちに始まった習熟度別授業だったが、市内の小 学校を中心に、新たな単元が始まるたびに、簡単なテストをして、そのあと、クラス分けをする ところがふえてきた。
もちろん、問題点がないわけではない。
教師の負担もさることながら、こうした習熟度別授業は、親たちに、少なからず、ショックを与
えている。たとえば習熟度別授業を参観してきた、ある母親は、こう言っている。学校の帰り 道、親たちはみな、進学塾はどうしようと、そんな話ばかりしていました、と。
こうした習熟度別授業は、平等主義を貫いてきた学校教育に、大きな変化をもたらすことはも
ちろんのこと、子どもたちの間で、差別化を生む可能性もある。それをどう克服していくか、こ れからの大きな課題になるものと思われる。
●過酷な職場
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学校の先生たちが、悲鳴をあげている。
あなたには、その悲鳴が聞こえるだろうか?
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教育は、重労働である。とくに、小学校教育は、そうである。
たとえば水泳指導したあと、生徒たちといっしょに着替え、つぎの時間には、クラスで算数を
教えなければならない。
そのためかなりの体力と気力を、必要とする。
で、現実問題として、この浜松市でも、55歳をすぎて教師をしている、女性教師は、ほとんど
いない。女性教師のばあい、たいていの教師は、50歳前後に退職していく。「水泳指導ができ なくなったら、教師はやめる」というのが、一つの目安になっているという。
学校の教師のばあい、50歳少し前に、管理職に向うかどうかが、決まる。管理職になれば、
学級担任からはずされるが、それは校長と教頭、教務主任のほか、あと1名程度。そこでもっ と、女性教師を管理職に回せばよいということになるが、これもむずかしい。
浜松北部の、旧HK市のばあい、小学校は18校あるが、去年まで、女性校長は3人いた。し
かし2人、退職したので、現在(05年度)は、1人のみ。
そうでない教師は、学級担任をつづける。が、50歳過ぎてからの、学級担任は、きつい。男
性教師にとっても、事情は、同じ。
ますます拡大する教師の仕事。今では、家庭問題にまで教師が駆り出される時代である。
「子どもが警察につかまった。いっしょに行ってくれ」「子どもが家出をした。いっしょにさがしてく れ」と。
本来なら、教師は教育に専念すべきである。またそれをもって「教師」という。しかし雑務、雑
務の連続。これでは、本来の教育がおろそかになって当然。「これでいいのか」と疑問をもつの は、私だけではないと思う。
●家庭問題が、そのまま学校に!
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以前、荒れた学校が、問題になった。
しかし今は、問題になっていない?
実は問題になっていないのではなく、
荒れた学校が、当たり前になってしまった。
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今どき、荒れた学校を問題にする人はいない。教師も、父母も、そして評論家も。それが当
たり前の現象になってしまったからである。
しかし「荒れ」は「荒れ」でも、以前とは、少し質が変わってきた。H市で小学校の校長をしてい
るN氏は、こう話してくれた。
「以前は、荒れというと、暴力事件を言いました。しかし今は、少し質が変わってきたように感
じます。つまり今は、家庭問題が、そのまま学校へ持ちこまれるようになりました。
家庭騒動、親の離婚、貧困などなど。親の心の問題が、そのまま持ちこまれることもありま
す。引きこもり傾向を示す生徒がいたので、家庭訪問をしたら、親が出てこない。つまり親自身 も、引きこもってしまっているのですね。
そういう子どもが、学校の内部で、いろいろな問題を引き起こします。最近の荒れは、そうし
て起こるものが多いです」と。
ついでに言うと、その校長も、あの「金P先生」を、鋭く、批判していた。「ああいうありもしない
教師像を、マスコミが勝手につくり出すから、かえって、現場は混乱してしまうのです。
たとえばあの番組の中で、非行グループが、自転車のチェーンを振り回したとしますね。すると
つぎの日には、本当にそのチェーンをもって、学校へ来る生徒が出てきたりします」と。
金P先生については、私も、たびたび批判してきた。ああいう教師を見て、「教師とは、こうあ
るべきだ」と考えるとしたら、それはまちがい。よくテレビドラマの中で、警官と悪党が、ピストル でバンバンと撃ちあうシーンがある。
それと同じくらい、金P先生の世界は、ありえない。たとえば金P先生は、非行少年の家の中
にあがりこみ、その少年の父親といっしょに、酒を飲んで、人生論を語りあったりする。
しかしそれが教師のあるべき姿なのか。そこまでしてよいのか。あるいは、それこそまさに、
教師の(おごり)ではないのか。いや、その前に、体力そのものが、つづかない。20〜30人も の子どもを相手にすることだけでも、重労働である。その上での、教育である。
その金P先生について書いた原稿が、つぎのものである(中日新聞掲載済み)。
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教師が10%のニヒリズムをもつとき
●10%のニヒリズム
教師の世界には10%のニヒリズムという言葉がある。つまりどんなに教育に没頭しても、最
後の10%は、自分のためにとっておくという意味である。でないと、身も心もズタズタにされて しまう。
たとえばテレビドラマに『三年B組、金P先生』というのがある。武田T也氏が演ずる金P先生
は、すばらしい先生だが、現実にはああいう先生はありえない。それはちょうど刑事ドラマの中 で、刑事と暴力団がピストルでバンバンと撃ちあうようなもの。ドラマとしてはおもしろいが、現 実にはありえない。
●その底流ではドロドロの欲望
教育といいながら、その底ではまさに、人間と人間が激しくぶつかりあっている。こんなことが
あった。私はそのとき、何か別の作業をしていて、その子ども(年中女児)が、私にあいさつを したのに気づかなかった。30歳くらいのとき、過労で、左耳の聴力を完全になくしている。
が、その夜、その子どもの父親から、猛烈な抗議の電話がかかってきた。「お前は、うちの娘
の心にキズをつけた。何とかしろ!」と。
私がその子どものあいさつを無視したというのだ。そこでどうすればよいのかと聞くと、「明日、
娘をお前の前に連れていくから、娘の前で頭をさげてあやまれ」と。こんなこともあった。
●「お前を詐欺で訴えてやる!」
たまたま5月の連休が重なって、その子ども(年中女児)の授業が、一時間ぬけたことがあ
る。それについて「補講せよ」と。私が「できません」と言うと、「では、お前を詐欺で訴えてやる。 ワシは、こう見えても、顔が広い。お前の仕事なんかつぶすのは、朝飯前だ!」と。
浜松市内で歯科医をしている父親からの電話だった。信じられないような話だが、さらにこんな
こともあった。
私はある時期、童話の本を読んでそれをカセットテープに録音し、幼稚園児たちに渡してい
たことがある。結構、骨の折れる作業だった。カラオケセットをうまく使って、擬音や効果音を自 分の声の中に混ぜた。音楽も入れた。もちろん無料である。そのときのこと。たまたまその子 ども(年長男児)が病気で休んでいたので、私はそのテープを封筒に入れ郵送した。
で、その数日後、その子どもの父親から電話がかかってきた。私はてっきり礼の電話だろうと
思って受話器を取ると、その父親はいきなりこう言った。「あなたに渡したテープには、ケース がついていたはずだ。それもちゃんと返してほしい」と。
ケースをはずしたのは、少しでも郵送料を安くするためだったが、中にはそういう親もいる。だ
からこの一〇%のニヒリズムは、捨てることができない。
これらはいわば自分を守るための、自分に向かうニヒリズムだが、このニヒリズムには、もう
一つの意味がある。他人に向かうニヒリズム、だ。
●痛々しい子ども
一人の男の子(年中児)が、両親に連れられて、ある日私のところにやってきた。会うと、か
弱い声で、「ぼくの名前は○○です。どうぞよろしくお願いします」と。親はそれで喜んでいるよう だったが、私には痛々しく見えた。4歳の子どもが、そんなあいさつをするものではない。また 親は子どもに、そんなあいさつをさせてはならない。
しばらく子どもの様子を観察してみると、明らかに親の過干渉と過関心が、子どもの精神を萎
縮させているのがわかった。オドオドした感じで、子どもらしいハキがない。動作も不自然で、ぎ こちない。それに緩慢だった。
こういうケースでは、私が指導できることはほとんど、ない。むしろ何も指導しないことのほう
が、その子どものためかもしれない。が、父親はこう言った。「この子は、やればできるはずで す。ビシビシしぼってほしい」と。母親は母親で、「ひらがなはほとんど読めます。数も100まで 自由に書けます」と。
このタイプの親は、幼児教育が何であるか、それすらわかっていない。小学校でする勉強を、
先取りして教えるのが幼児教育だと思い込んでいる。「私のところでは、とてもご期待にそえる ような指導はできそうにありません」とていねいに断わると、両親は子どもの手を引っ張って、 そのまま部屋から出ていった。
●黙って見送るしかなかった……
こういうケースでも、私は無力でしかない。呼びとめて、説教したい衝動にかられたが、それ
は私のすべきことではない。いや、こういう仕事を30年もしていると、予言者のように子どもの 将来が、よくわかるときがある。そのときもそうだった。やがてその親子は断絶。子どもは情緒 不安から神経症を発症し、さらには何らかの精神障害をかかえるようになる……。
このタイプの親は独善と過信の中で、「子どものことは、私が一番よく知っている」と思い込ん
でいる。その上、過干渉と過関心。親は「子どもを愛している」とは言うが、その実、愛というも のが何であるかさえもわかっていない。自分の欲望を満たすため、つまり自分が望む自分の 未来像をつくるため、子どもを利用しているだけ。……つまりそこまでわかっていても、私は黙 って見送るしかない。
それもまさしくニヒリズムということになる。
++++++++++++++++++++++
熱血教師が悪いというのではない。しかし一つまちがえば、熱血教師は、子どもの問題にせ
よ、家庭の問題にせよ、さらにその問題をこじらせてしまう。その教師の独断と偏見、思いこみ と早とちりが、かえって騒動を大きくしてしまうこともある。
反対の立場で考えてみればわかる。
ある日、突然、子どもの問題にかこつけて、あなたの子どもが通う学校の教師が、ズカズカと
あなたの家にあがりこんできたら、あなたは、どのような反応を示すだろうか。いくらあなたの 家庭に問題があったとしても、あなたはこう言うだろう。「失敬だ」と。
話が脱線したが、こうした「荒れ」もあって、学校の教師は、ますます疲れる。ある女性教師
(小学校)は、はからずも、私にこう話してくれた。
「授業中だけが、心と体を休める場所です」と。
こうした現実を、どれだけの親たちが、知っているだろうか?
(付記)
参観日に参観授業を見てきた親の中には、よく、こう言う親がいる。「すばらしい授業でした。
先生も、あそこまで教材を用意して、授業をしてくれるとは、思ってもみませんでした」と。
しかしそれは、参観日だから、である。「参観日のあと、数日は、何もやる気が起きません」
と、その(疲れ)を訴える教師が多いことも、忘れてはいけない。
●多様化の時代(マンダラ文化)
+++++++++++++++++
価値観が多様化して、この世界は、
本当にバラバラになってしまったのか?
いや、私は、そうは思わない。
+++++++++++++++++
一つの価値観、一つの宗教観、一つの哲学観は、すでに終わったとみる人たちがふえてい
る。まさに多様化の時代、ということになる。
それを最初に提唱したのが、フランスの哲学者のジャン・フランソワ・リオタール(1924〜19
98)。彼が生み出した『ポスト・モダン』という言葉は、またたく間に、世界中に広がった。
この多様化の時代には、いくつかの特徴がある。
(1)価値観の混乱
(2)宗教観の混乱
(3)哲学観の混乱
その逆の世界がどういう世界であるかを知れば、現代という世界が、どういう世界であるかが
わかる。
その逆の世界として代表的な世界が、今に見る、あのK国の現状である。たまたま今月(10
月)の9日に行われた、K国、労働党創建60周年を記念した、慶祝報告大会である。
不気味なほどの統一性と、全体主義。「今どきああいう世界があるのか?」というのが、おお
かたの人たちの共通した印象ではないか。
しかしこうした不気味さは、部分的ではあるが、この日本の中でも、ときどき見られる。たとえ
ばK国のあのマスゲームにしても、もとはといえば、日本のある宗教団体から生まれたものだ そうだ。
だからといって、その統一性や統合性をなくしたら、どうなるか。それが今の日本の現状とい
うことになる。
それぞれがそれぞれの価値観や、宗教観や、哲学観を主張する。つまりは、バラバラ。が、
しかし本当にバラバラかというと、そうでもない。どこかで、不思議な統一性を保っている。
こうした日本の現状を見て、少し前、東京で会ったインドの友人は、こう言った。「まるで、マン
ダラ(曼荼羅)の世界みたいだ」と。彼は、東京の街並みを見て、そう言った。「すべてのもの が、統一性もなく、ゴチャゴチャに建っている。しかしそれらが、全体としてみれば、不思議な統 一性をもっている」と。
そこで私は彼の言葉を借りて、こうした世界を『マンダラ文化』と呼ぶことにした。よいネーミン
グだと思う。(あるいは、もう少し美的感覚を添えて、『万華鏡文化』と呼んでもよい。)つまり、 私たちの世界は、決してバラバラではない。つまり統一性のない世界ではなく、ゴチャゴチャで ありながらも、そこに一つの統一性をもっている。
リオタールは、「大きな物語」は終焉(しゅうえん)し、「世界が統一的な像をもつのは、不可
能」と断言したが、それがどっこい。この日本では、新しい文化が生まれつつある。それが、こ こでいう『マンダラ文化』である。
その特徴としては、これまたつぎのようなことが言える。
(1)部分的なネットワークの構築
(2)ナーナー主義的な妥協性
(3)対立と調和の混在
(1)〜(3)のどれも同じようなことだが、つまり一人の人間が、無数の多様性をもって、それ
ぞれの部分が、それぞれ他人の一部と、かかわりをもっているということ。
たとえば宗教観にしても、一人の人間の中に、仏教的な要素もあれば、キリスト教的な要素
もある。そしてそれぞれが、そのつど、TPO(時と場所と機会)に応じて、変化しながら対応して いるということ。たとえば今では、キリスト教の「キ」の字も知らない若い人でも、結婚式では、 (ニセモノではあるにせよ)、式場に付設されたチャペルで、結婚の誓いを立てたりする。
言うなれば、まさに、何でもござれ。そしてそれぞれの部分が、社会のそれぞれの部分と、こ
まかな対立と調和を繰りかえしながらも、一つのワクの中に入っている。それが大きな衝突や 対立になることはない。
一方、リオタールが生きていた時代には、個人が、それぞれ原理主義的な生き方をしてい
た。「私は、ヒューマニトだ」「私は、反戦主義者だ」「私は、実存主義者だ」とか、など。
しかし今は、それが多様化した。社会が多様化したのではない。個人が、その内部で、多様
化した。ときには、合理主義者になり、ときには、非合理主義者になったりするなど。ときに応じ て、「戦争は、反対!」と唱えてみたり、またべつのときには、「戦争も、必要!」と唱えてみるこ ともある。
一見、無責任な生きザマに見えるかもしれないが、その分、許容範囲も広くなる。たとえばこ
の私にしても、封建主義的な復古主義的なものの考え方は嫌いである。「武士道」と聞いただ けで、反発を覚える。
しかし武士道を信奉する人が、そこにいたとしても、その人を嫌うわけではない。それ以外の
部分で接点があれば、それなりに楽しく談話できる。ただ、たがいに、その話題には、触れな いようにはするが……。
このことを、もう少しわかりやすく説明すると、こうなる。
昔は、その人のカラー(色)は決まっていた。(赤)(青)(緑)……と。しかし今は、一人の人
が、その中に、(赤)もあれば(青)もある。はたまた(緑)もあるという時代になったということ。さ らにたとえて言うなら、カラフルで、いろいろな模様のあるシャツを着ているようなもの。
反戦を唱えながら、戦闘機のプラモデルを作って、どうしていけないのか。
自然保護運動をしながら、たまの休みに、家族と山の中をドライブして、どうしていけないの
か。
仏教徒であって、どうしてクリスマスの飾りつけをしてはいけないのか。
個人ばかりではない。社会そのもの、そうなってきている。一方で、ダムや道路を作りなが
ら、別のところでは、自然保護のための施策をほどこす。
そうした社会が、あたかもマンダラの絵のように見えるから、『マンダラ文化』ということにな
る。
こういう社会では、かえって単一色のシャツを着て、原理主義的な価値観にとらわれること
は、かえって危険なことでもある。社会に同化できなくなるばかりか、その社会からさえも、はじ き飛ばされてしまう。
いくら「私は菜食主義者だ」と言っても、それはあくまでも、一つの目安にすぎない。どこかの
家庭に招待されて、夕食に肉料理を出されたら、それなりにおいしそうに食べてみせる。それ がマンダラ文化ということになる。「私は、野菜しか食べない」とがんばれば、かえって、その人 との調和を崩してしまうことになりかねない。
要は、守るべきところは守りながら、あとは適当に生きるということ。それがここでいる「許容
範囲」ということになるし、それを広げるのが、融通性、妥協性ということにもなる。
そこで、では私たちは、どうあるべきかという問題に、ぶつかる。
(1)原理主義の排除……頭がカチカチでは、このマンダラ世界では、生きていかれない。
(2)許容の美徳、妥協の美徳を認める……大前提として、だれも正しくない、だれも真理を知
らないという前提で、ものを考える。もちろん私自身も、(あなた自身も)、正しくないし、真理を 知らない。
(3)絶対的なものを求めない……神にせよ、仏にせよ、絶対的なものを認めない。キリストに
せよ、釈迦にせよ、野原で立小便をした。(絶対にしたと思うよ。)宗教観をもつにしても、そう いう視点を見失わない。
私やあなたという個人で考えるなら、自分の中に、積極的にマンダラ文化を取りいれていく。
融通性があって、臨機応変に人や社会と、妥協すべき点は妥協しながら、同化していく。「これ でなければ、絶対ダメ」とか、「これは、絶対正しい」という言い方そのものが、おかしい。その おかしさに、まず気づく。
政治的に言えば、浮動票、おおいに結構。ノンポリ、おおいに結構。そういう許容性が、この
世界をますます楽しく、おもしろいものにする。大切なことは、そのときどきに自分で、よく考え て、そして行動すること。
(そういう意味でも、あのK国は、参考になる。本当に参考になる。)
(はやし浩司 多様化の時代 ジャン・フランソワ・リオタール(1924〜1998)、ポスト・モダン
ポストモダン マンダラ(曼荼羅)文化 曼荼羅の世界 はやし浩司)
【マンダラ文化2】
●多種類の主義
多様化する社会の中で、個人の生き方も多様化している。そして一人の「人」という個人とい
うレベルでみても、主義、主張は、多様化している。
たとえば実存主義という大きな哲学思想をかかえながらも、一方で、自然愛好家であったり、
菜食主義者であったりする。実存主義者だからといって、反戦主義者でなければならないとい うこともない。ばあいによっては、復古主義者であることも、また人道主義者であることも可能 である。
この反対の位置にあるのが、カルト教団。極端な原理主義を唱え、信者を、あらゆる面で、
画一化しようとする。外部の人たちとの接触を禁止したり、中には、同窓会にすら出席をさせな い教団もある。一度、電話でその教団に問いあわせてみたところ、電話に出た幹部信者らしい 男は、こう言った。
「私たちは、禁止などしていません。ただ熱心な信者なら、自分の意思で、出ないでしょう」と。う
まいことを言う! さんざんマインドコントロールしておきながら、「自分の意思」とは! で、信 者は信者で、「純粋(?)でなければ、信仰はできない」「真理に到達できない」と、思いこんでい る。
そのため、極端な排他主義や、孤立主義に走ることが多い。昔、修学旅行で、伊勢神宮へ
行ったときのこと。あの巨大な鳥居の前で、ゲーゲーとものを吐いた子どもがいたという。その 子どもの父親は、仏教系のあるカルト教団の熱心な信者だった。
「自分たち以外の信仰の場に足を踏みいれると、バチが当たる」と、その子どもは、常日ごろ
から、父親からそう教えられていた。子どもは、それを信じていた。(この話は、信仰上の美談 として、その教団内部の機関紙で紹介されていた。)
ほかにも、親がおかしな宗教を信じたため、治るはずの病気の子どもを、死なせてしまうとい
う例もある。ふつうなら、(「ふつうなら」という常識の通らないのが、カルトの世界だが……)、そ の時点で親は、自分たちの信仰に疑問をもってもよさそうなものだが、実際には、そうではな い。そうなればなったで、親は、ますますその信仰にのめりこむ。
信仰を疑うということは、同時に、自分たちが、子どもを殺したことに、気づかされることにな
る。「私はバカだった」という程度では、とうていすまされない。だから死ぬまで、その宗教にし がみついて生きていく。それしかない。
で、原理主義的な思考性の恐ろしさは、今さら、改めて書くまでもない。危険ですらある。「自
分たちは絶対正しい」と思う、その返す刀で、「あなたはまちがっている」と言いきる。そのさえ たるものが、イラクで毎日のように起きている、あの自爆テロと考えてよい。自分の命を犠牲に してまで、相手を許さないという思想は、すでに思想の範囲を超えている。狂信である。
思想というのは、自分で考えるから、思想なのである。注入された他人の思想は、注入され
た段階で、それは思想としての使命を終える。そういうのを、私たちの世界では、「マインドコン トロール」という。
私たちは、心豊かな常識人として、生きる。そのつど、すばらしいものに感動し、そのつど、
不愉快なものに、マユをしかめる。主義をもつことはあっても、それはフレキシブルなものであ っても、決して、硬直したものであってはならない。
一人の人間の中に、無数の主義があって、そういった主義が、他人の主義と複雑にからみ
あいながら、それでいて、円満な人間関係を築いていく。主義を一つにしぼらねばならない理 由など、どこにもない。
そういう私たちが、無数に集まって、調和のとれた文化をつくる。それを私は、『マンダラ文
化』という。
++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
【マンダラ文化……わかりやすく】
それぞれの人が、それぞれの考え方をもっている。
まず、それを認めてやろう。
私が正しいとか、あなたがまちがっているとか、
そんな失敬なことは、言ってはいけない。
同じように、私やあなたの中にも、いろいろな部分がある。
いくら菜食主義者だと言っていても、どこかへ夕食に招待され、
そこで肉料理が出されれば、少しくらいなら、食べることもあるだろう。
いくら平和主義者だといっても、戦闘機のプラモデルを作って
遊ぶこともあるだろう。いくら自然保護団体で活動していても、
ときには家族といっしょに、山の中をドライブすることもあるだろう。
いくら仏教徒だといっても、クリスマスには、ツリーを飾って、
プレゼントの交換をすることもあるだろう。
ガチガチにものを考えて、ガチガチな人間になることはない。
もっと肩の力を抜いて、気楽に生きればよい。
美しいものを見たら、すなおに美しいと喜べばいい。
おかしなものを見たら、すなおにおかしいと思えばいい。
「日本の文化は崩壊した」と説く人は、多い。
しかし日本の文化は、崩壊など、していない。
今、日本は、世界に先がけて、新しい文化を作りつつある。
たしかに何もかもゴチャゴチャだが、そのゴチャゴチャが、
まとまりをもって、一つの統一性をつくり始めている。
私は、これを『マンダラ文化』と呼んでいる。
マンダラに描かれた絵は、ゴチャゴチャだが、それでいて、
不思議な統一性を保っている。そのマンダラの世界に似ているから
私は、『マンダラ文化』という。
あなたにも、いろいろな主義があるだろう。私にもある。
しかし、いくら主義がちがうからといって、あえて対立する必要はない。
相手の人が古風な、男尊女卑思想をもっていたとしても、
「あなたはまちがっている」などと、言う必要はない。
また言ってはいけない。
私は私。その人はその人。ほかの部分で一致するところがあれば、
その一致するところで、話をすればいい。仲よくすればいい。
「今度、いっしょに、マスを釣りにいきませんか。これからがシーズンですよ」と。
さらに少しわかりやすく言えば、こういうことになる。
生きザマには、制服など、ないということ。私は、○○主義だから、
赤い服しか着ないとか、○○教を信じているから、青い服しか着ないとか、
そんなことにこだわる必要はない。またこだわってはいけない。
私たちが着る服には、複雑な模様がいっぱい描いてある。カラフルで、
美しい。それに服など、毎日、色違いのものを着たところで、
どうということはない。
だからといって、いいかげんな生き方がいいと言っているのではない。
その日、その日を、ただ享楽的に生きればいいと言っているのではない。
大切なことは、自分で考え、自分で生きること。懸命に考えながら生きること。
すべては、考えることから始まり、すべては、考えることで終わる。
その考えることだけは、怠ってはいけない。マンダラ文化のマンダラにしても、
最初から、その模様が決まっているわけではない。目標があるわけでもない。
マンダラの模様が、どのような模様になるかは、あくまでも、懸命に
生きる私たちが、決める。その結果として決まる。
懸命に考えて生きる人間が、無数に集まって、それぞれの糸を織りなす。
その結果として、マンダラの模様が決まる。
それが私のいう、『マンダラ文化』ということになる。
【注】
リオタールは、かつて、「大きな物語は、終焉した。世界が統一的な像をもつのは、不可能」と
断言した。
それまでのヨーロッパは、常に、大きな物語に沿って、歴史を動かしてきた。その柱の一つ
が、キリスト教ということになる。
が、戦後のヨーロッパは大きく変わった。そういう現状を見て、リオタールは、「統一的な像を
もつのは、不可能」と。
しかし逆に、統一的な像をもつことの危険性を考えるなら、私はそれを退化と考えるのではな
く、進化ととらえる。ヨーロッパも、ナチスドイツという、あの全体主義がもつ恐ろしさを経験して いる。
ただその後の、社会観というか、世界観が、混沌(こんとん)としてきたのは、事実。ゴチャゴ
チャになってしまった感じさえする。そのため、何がなんだか、わけがわからなくなってしまっ た。
こうした世相を反映してか、現在社会を憂う人もふえてきた。そして一方で、別の「統一的な
像」を模索する人もふえてきた。
しかし不可能なものは、不可能。今は、そういう時代ではないし、私たち一人ひとりも、それを
許さないだろう。つまり社会が多様化したのではなく、私たち個人が多様化した。と、同時に、 私たち個人も、その内部で、さまざまに色のちがう部分をもつようになってしまった。
クリスマスを祝って、その余韻がまださめやらぬころ、今度は、正月に、近くの神社や寺を初
詣(はつもうで)する。田舎のほうでは、神社と寺を、同じ日に、初詣する人も多い。
そして2月になれば、バレンタインデー。が、それだけではない。たった30年前には、名前す
ら知らなかった、ハロウィーンの祭をする人も、このところ、急速にふえてきた。
考えてみれば、メチャメチャな世界だが、そのメチャメチャな世界が、全体として一つの調和
を保っている。それが今の日本ということになる。
このつづきは、一度頭を冷やしたあと、また別の機会に考えてみたい。ここで『マンダラ』とい
う言葉を使ったが、適切でないような気もする。ワイフは、「やはり、マンダラ文化ではなく、万 華鏡文化のほうが、いいんじゃない?」と言っている。
そういう問題も、ある。
【父親論】
父親の役割は、二つ、ある。(1)母子関係の是正と、(2)行動の限界設定である。これは私
の意見というより、子育ての常識。
●母子関係の是正
母親と子どもの関係は、絶対的なものである。それについては、何度も書いてきた。
しかし父親と子どもの関係は、「精液一しずくの関係」にすぎない。もともと母子関係と、父子
関係は平等ではない。
その子ども(人間)のもつ、「基本的信頼関係」は、母子の間で、はぐくまれる。父子の間では
ない。そういう意味で、子育ての初期の段階では、子どもにとっては、母親の存在は絶対的な ものである。この時期、母親が何らかの理由で不在状態になると、子どもには、決定的とも言 えるほど、重大な影響を与える。情緒、精神面のみならず、子どもの生命にも影響を与えるこ とさえある。
内乱や戦争などで、乳児院に預けられた赤ちゃんの死亡率が、きわめて高いということは、
以前から指摘されている。
では、父親の役割は、何か。
父親の役割は、実は、こうした母子関係を調整することにある。母子関係は、ここにも書いた
ように、絶対的なものである。しかしその「絶対性」に溺れてしまうと、今度は、逆に、子どもにさ まざまな弊害が生まれてくる。マザーコンプレックスが、その一つである。
一般論から言うと、父親不在の家庭で育った子どもほど、母親を絶対視するあまり、マザー
コンプレックス、俗にいう、マザコンになりやすい。40歳を過ぎても、50歳をすぎても、「ママ」 「ママ」と言う。
ある男性は、会社などで昇進や昇給があると、妻に話す前に、母親に電話をして、それを報
告していたという。また別の男性(50歳)は、せとものの卸し業を営んでいたが、収入は一度、 妻ではなく、すべて母親(80歳)に手渡していたという。
また、ある男性(53歳)は、「母の手一つで育てられました」と、いつも人に話している。一度
講演会で、涙声で、母に対する恩を語っているのを聞いたことがある。
その男性は、その母と、自分の妻が家庭内で対立したとき、離婚という形で、妻を追いだした
と聞いている。しかし自分の中の、マザコン性には、気づいていないようだ。
常識で考えれば、おかしな関係だが、マザコンタイプの人には、それがわからない。そうする
ことが、子どもの務めと考えている。
そしてマザコンタイプの子どもの特徴は、自分のマザコン性を正当化するために、母親をこと
さら、美化すること。「私の母は偉大でした」と。そしてあげくの果てには、「産んでいただきまし た」「育てていただきました」「女手一つで、育てていただきました」と言いだす。
マザコンタイプの男性は、(圧倒的に男性が多いが、女性でも、少なくない)、親の悪口や、批
判を許さない。少し批判しただけで、猛烈に反発する。依存性が強い分だけ、どこかのカルト 教団の信者のような反応を示す。(もともとカルト教団の信者の心理状態は、マザコンタイプの 子どもの心理と、共通している。徹底した隷属性と、徹底した偶像化。妄信的に、その価値を 信じこむ。)
そこで父親の登場!
こうした母子関係を、父親は、調整する。もっとわかりやすく言えば、母子関係の絶対性に、
クサビを入れていく。
ここに母子関係と、父子関係の基本的なちがいが、ある。つまり母子関係は、子どもの成長
とともに、解消されねばならない。一方、父子関係は、子どもの成長とともに、つくりあげていか ねばならない。つまり、それが父親の役割ということになる。
……という話は、子育ての世界では、常識なのだが、しかし問題は、父親自身が、マザコンタ
イプであるとき。
こういうケースでは、父親自身が、父親の役割を、見失ってしまう。いつまでも母親にベタベタ
と甘える自分の子どもをみながら、それをよしとしてしまう。そしてなお悪いことに、それを代々 と繰りかえしてしまう。
問題は、そうした異常性に、母親や父親が、いつ、どのような形で、気づくかということ。
しかしこの問題は、脳のCPU(中央演算装置)の問題であるだけに、特別な事情がないかぎ
り、それに気づく母親や父親は、まずいない。(この原稿を読んだ方は、気づくと思うが……。)
そこで一つの方法として、私がここに書いたことを念頭に入れて、あなたの周囲の人たちを、
見回してみてほしい。よく知っている親類の人とか、友人がよい。このタイプの人が、何人か は、必ずいるはずである。(あるいは、ひょっとしたら、あなたや、あなたの夫がそうであるかも しれない。)
そういう人たちを比較しながら、自分の姿をさぐってみる。たとえば父親不在の家庭で育った
子どもほど、マザコン性をもちやすい。そういうことを手がかりに、自分の姿をさぐってみる。
●行動の限界設定
もう一つ、父親の大きな役割は、子どもの行動に、限界を設定すること。わかりやすく言え
ば、行動規範を示し、いかに生きるべきか、その道徳的、倫理的規範を示すこと。さらにわか りやすく言えば、「しつけ」をすること。
しかし、これはむずかしいことではない。
こうした基本的なしつけは、ごく日常的な、ごく基本的なことから始まる。そして、ここが重要だ
が、すべてはそれで始まり、それで終わる。
ウソをつかない。
人と誠実に接する。
約束やルールは守る。
自分に正直に生きる。
さらに一歩進んで……
家族は大切にする。
家族は守りあう。
家族は教えあう。
家族はいたわり、励ましあう。
さらに一歩進んで……
自分の生きザマをつらぬく。
こうした生きザマを、ごくふつうの家庭人として、ごくふつうの生活の中で、見せていく。見せる
だけでは足りない。しみこませておく。そしてそれに子どもが反したような行動をしたとき、父親 は、それに制限を加えていく。
こうした日々の生きザマが、週となり、月となり、そして年となったとき、その子どもの人格とな
る。
その基礎をつくっていくのが、父親の役目ということになる。
一見簡単そうに見えるが、簡単でないことは、父親ならだれしも知っている。こうした父親像と
いうのは、代々、受けつがれるもの。その父親が作るものではないからである。
そういう意味で父親から受ける影響は、無視できない。たとえばこんなことがある。
私には、三人の息子がいる。年齢は、それぞれ、ちょうど三年ずつ、離れている。
そういう三人の息子を比較すると、それぞれが、私のある時期の「私」を、忠実に受けついで
いるのがわかる。(もちろん息子たち自身は、そうは思っていないが……。)
一番特徴的なのは、それぞれの息子たちが、年長児から小学二、三年生にかけて私が熱中
した趣味を、受け継いでいるということ。
長男がそのころには、私は、模型飛行機やエアーガン、その種のものばかりで遊んでいた。
だから、長男は、こまかいものを、コツコツと作るのが趣味になってしまった。
二男のときは、パソコン。三男のときは、山荘作り。今、それぞれが、その流れをくむ趣味を
もっている。父親が子どもに与える影響というのは、そういうものと考えてよい。みながみな、そ うということでもないだろうが、大きな影響を与えるのは、事実のようだ。
まあ、もしあなたがあなたの子どもを、よい人間に育てたいと思っているなら、(当然だが…
…)、まず、自分の身のまわりの、ごく簡単なことから、身を律したらよい。「あとで……」とか、 「明日から……」というのではない。今、この瞬間から、すぐに、である。
この瞬間からすぐに、
ウソをつかない。
人と誠実に接する。
約束やルールは守る。
自分に正直に生きる。
たったこれだけのことだが、何年かたって、あるいは何十年かたって、今のこの時を振りかえ
ってみると、この時が、子育ての大きな転機になっていたことを知るはず。
ただし……。私は生まれが生まれだから、こういうことは、あえて努力しないと、できない。ふ
と油断すると、ウソをついたり、自分を偽ったりする。へつらったり、相手の機嫌をとったりす る。そういう自分から早く決別したいと思うが、それが、なかなかむずかしい。
がんばろう! がんばりましょう! 父親の役割というのは、そういうもの。
【はやし浩司より】
ここにあげた文章を読んでいただければ、(お父さんに、です)、少しは考え方を改めてもらえ
るのではないかと思います。
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