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●非行

【子どもを伸ばすコツ】

子どもを伸ばす最大のコツは、(子どもがしたいと思っていること)と、(子どもが現実にしている
こと)を、一致させてあげることです。とくに乳幼児期は、遊びを通して、それを実現します。

「ぼくは、これをしたい。だからこれをする」「私はこれをしたい。だからこれをする」と。

こうして(子どもの中の私)と、(現実の私)を一致させます。これをアイデンティティの確立とい
います。

こうしてその子どもは、自分の進むべき道を、自分でさがし求めるようになります。

ただ一つ、誤解してはいけないのは、(したいこと)は、そのつど、変化するということです。たと
えば、幼児のことは、「ケーキ屋さんになりたい」と言っていた子どもが、小学生になると、「パン
屋さんになりたい」「お花屋さんになりたい」などと言うようになるかもしれません。

しかしそのときでも、(自分がやりたいことに向って努力する)という、思考プロセスは、頭の中
に残ります。この思考プロセスこそが重要なのです。

中身は、そのつど、変わります。変わって当然なのです。

ここでは、「非行」をテーマに、この問題について考えてみます。子どもの非行というのは、子ど
も自身が、(やりたいこと)を見つけ出せなくなったとき、その代償的方法(あるいは自己防衛的
方法)として、始まります。

++++++++++++++++++++++

●非行のメカニズム

 子どもの非行。その非行に子どもが走るメカニズムは、意外に単純なもの。言いかえると、
子どもを非行から防ぐ方法も、簡単。

【第一期・遊離】

 (したいこと)と、(していること)が、遊離し始める。「ぼくは、サッカーをしたい。しかし塾へ行
かなければならない」など。「私はケーキ屋さんになりたいのに、親は、勉強をして、いい大学
へ入れと言う」など。

 (〜〜したい)と思っていることと、(現実にしていること)が、遊離し始める。つまり子ども中
で、アイデンティティ(自我の同一性)が、混乱し始める。

 アイデンティティが、混乱し始めると、子どもの心理状態は、不安定になる。怒りっぽくなった
り(プラス型)、反対にふさぎやすくなったりする(マイナス型)。

 この状態を、「同一性の危機」という。

 この段階の状態に対して、抵抗力のある子どもと、そうでない子どもがいる。幼少期から、甘
やかされて育った子どもほど、当然、抵抗力がない。遊離したとたん、一気に、つぎの(同一性
の崩壊)へと進む。

一方、幼少期から、家事の手伝いなどを日常的にしてきた子どもほど、抵抗力が強い。子ども
の世界では、(いやなことをする力)を、「忍耐力」という。その忍耐力がある。

 アイデンティティが混乱したからといって、すぐ、つぎの第二期に進行するわけではない。個
人差は、当然、ある。

【第二期・崩壊】

 (したいこと)と(していること)が、大きくズレてくると、子どもは、まず、自分を支えようとする。
がんばる。努力する。が、やがて臨界点にさしかかる。子ども自身の力では、それを支えきれ
なくなる。

「野球の選手をめざして、もっとがんばりたいのに、毎日、勉強に追われて、それもできない」
「勉強はおもしろくない」「成績が悪く、つまらない」と。

 こうして同一性は、一気に、崩壊へと向う。子ども自身が、「自分は何をしたいのか」「何をす
べきなのか」、それがわからなくなる。

【第三期・混乱】

 アイデンティティが崩壊すると、精神状態は、きわめて不安定になる。ささいなことで、激怒し
たり、突発的に暴れたりする(プラス型)。

 反対に落ち込んだり、家の奥にひきこもったりする(マイナス型)。外界との接触を断つことに
よって、不愉快な気分になるのを避けようとする。このとき、無気力になり、ボーッとした表情
で、一日を過ごすようになることもある。

【第四期・非行】

 アイデンティティが崩壊すると、子どもは、主につぎの5つのパターンの中から、自分の道を
模索する。

(1)攻撃型
(2)同情型
(3)依存型
(4)服従型
(5)逃避型

 このうち、攻撃型が、いわゆる非行ということになる。独特の目つきで、肩をいからせて歩く。
独特の服装に、独特の暴言などなど。暴力行為、暴力事件に発展することも珍しくない。

 このタイプの子どもに、「そんなことをすれば、君は、みなに、嫌われるんだよ」と説いても意
味はない。このタイプの子どもは、非行を通して、(自分の顔)をつくろうとする。顔のない自分
よりは、嫌われても、顔のある自分のほうが、よいというわけである。

 アイデンティティそのものが、崩壊しているため、ふつうの、合理的な論理は通用しない。ささ
いなどうでもよいことに、異常なこだわりを見せたりする。あるいは、それにこだわる。自己管
理能力も低下するため、自分をコントロールできなくなる。

 以上が、非行のメカニズムということになる。

 では、子どもを非行から守るためには、どうすればよいか。もうその答はおわかりかと思う。

 つねに(子どものしたいこと)と、(子どもがしていること)を、一致させるようにする。あるいは
その接点だけは、切らないようにする。

 仮に受験勉強をさせるにしても、「成績がさがったから、サッカーはダメ」式の乱暴な、指導は
しない。受験勉強をしながらも、サッカーはサッカーとして、別に楽しめるワクを用意する。

 言うまでもなく、(自分のしたいこと)と、(していること)が一致している子どもは、精神的に、き
わめて安定している。どっしりしている。方向性がしっかりしているから、夢や希望も、もちやす
い。もちろん、目的もしっかりしている。

 また方向性がしっかりしているから、誘惑にも強い。悪の世界からの誘惑があっても、それを
はねかえすことができる。自己管理能力もしっかりいているから、してよいことと、悪いことの判
断も的確にできる。

 だから……。

 今までにも何度も書いてきたが、子どもが、「パン屋さんになりたい」と言ったら、「そうね、す
てきね」「こんど、いっしょにパンを焼いてみましょう」などと、答えてやる。そういう子どもの夢や
希望には、ていねいに耳を傾けてやる。そういう思いやりが、結局は、自分の子どもを非行か
ら守る最善の方法ということになる。
(はやし浩司 非行 子どもの非行 子供の非行 非行から子供を守る方法 非行防止 アイ
デンティティ アイデンテティ 自我同一性の崩壊 顔のない子ども 子供 はやし浩司 非行
のメカニズム)


●スチューデント・アパシー

 無気力、無表情、無感動の状態を総称して、「アパシー」という。そのアパシーが、若者を中
心に、部分的に現れることがある。とくに、男子学生に多い。それを、「スチューデント・アパシ
ー」(ウォルターズ)という。

 このスチューデント・アパシーが、燃えつき症候群や、荷おろし症候群とちがう点は、ここにも
書いたように、学業なら学業だけというように、アパシーになる部分が、かぎられているという
点。学業面では、無気力でも、アルバイトや、交友、遊びは、人一倍、活発にする。

 が、大学の講義室に入ったとたん、別人のように、無気力状態になる。反応もなく、ただぼん
やりとしているだけ。眠ってしまうこともある。

 こうした症状も、(本人がやりたいこと)と、(現実にしていること)のギャップが、大きいことが
原因でそうなると考えると、わかりやすい。「大学へは入ってみたが……」という状態である。と
くに、目標もなく、ただ点数をあげるためだけの受験勉強をしてきたような子どもに、多く見られ
る。

 このタイプの学生は、まず本人自身が、何をしたいかを正確に知らなければならない。しかし
たいていのケースでは、それを知るという気力そのものすら、消えていることが多い。

 「君は、本当は、何をしたいのか?」
 「わからない」
 「でも、君にも、何か、やりたいことがあるだろ?」
 「ない……」
 「でも、今のままでいいとは、君だって、思っていないだろ?」
 「……」と。

 こうした症状は、早い子どもで、小学校の高学年児でも、見られるようになる。概して、従順
で、まじめな子どもほど、そうなりやすい。友だちと遊ぶときはそれなりに活発なのだが、教室
へ入り、机に向かってすわったとたん、無気力になってしまう。

 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、それに気づき、子どもの心を取りもど
す。よく誤解されるが、「いい高校に入りなさい」「いい大学に入りなさい」というのは、子どもに
とっては、(したいこと)ではない。一見、子どものためを思った言葉に聞こえるかもしれない
が、その実、子どもの心を破壊している。

 だから今、目的の高校や大学へ入ったとたん、燃え尽きてしまったりして、無気力になる子ど
もは、本当に多い。市内の進学高校でも、5〜10%が、そうでないかと言われている(教師
談)。大学生となると、もっと多い。
(はやし浩司 アパシー スチューデントアパシー 無気力な子ども 自我の崩壊 同一性の危
機 同一性の崩壊)

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少し前、こんな相談がありました。再掲載します。

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【E氏より】

甥(おい)っ子についてなんですが、小学二年生でサッカークラブに入っています。ところがこの
ところ、することがないと、ゴロゴロしているというのです。

とくに友だちと遊ぶでもなく、何か自分で遊ぶのでもなく……。サッカーもヤル気がないくせに、
やめるでもない。こういう時は、どこに目を向ければいいのでしょうか。

やる気がないのは、今、彼の家庭が関心を持っている範疇にないというだけで、親自身が持っ
ている壁を越えさせることがポイントかな、と思ったりしたのですが……。 

【はやし浩司より】

●消去法で

 こういう相談では、最悪のケースから、考えていきます。

 バーントアウト(燃え尽き、俗にいう「あしたのジョー症候群」)、無気力症候群(やる気が起き
ない、ハキがない)、自我の崩壊(抵抗する力すらなくし、従順、服従的になる)など。さらに回
避性障害(人との接触を避ける)、引きこもり、行為障害(買い物グセ、集団非行、非行)など。
自閉症はないか、自閉傾向はないか。さらには、何らかの精神障害の前兆や、学校恐怖症の
初期症状、怠学、不登校の前兆症状はないか、など。

 軽いケースでは、親の過干渉、溺愛、過関心、過保護などによって、似たような症状を見せ
ることがあります。また学習の過負担、過剰期待による、オーバーヒートなどなど。この時期だ
と、暑さにまけた、クーラー病もあるかもしれません(青白い顔をして、ハーハーあえぐ、など)。

 「無気力」といっても、症状や程度は、さまざまです。日常生活全体にわたってそうなのか。あ
るいは勉強面なら勉強面だけにそうなのか。あるいは日よって違うのか。また一日の中でも、
変動はあるのかないのか。

こうした症状にあわせて、何か随伴症状があるかないかも、ポイントになります。ふつう心配な
ケースでは、神経症による緒症状(身体面、行動面、精神面の症状)が伴うはずです。たとえ
ばチック、夜驚、爪かみ、夜尿など。腹痛や、慢性的な疲労感、頭痛もあります。行動面では、
たとえば収集癖や万引きなど。

さらに情緒障害が進むと、心が緊張状態になり、突発的に怒ったり、キレたりしやすくなりま
す。この年齢だと、ぐずったりすることもあるかもしれません。

こうした症状をみながら、順に、一つずつ、消去していきます。「これではない」「では、これでは
ないか?」とです。

●教育と医療

 つまりいただいた症状だけでは、私には、何とも判断しかねるということです。したがって、ア
ドバイスは不可能です。仮に、そのお子さんを前に置いても、私のようなものが診断名をくだす
のは、タブーです。資格のあるドクターもしくは、家の人が、ここに書いたことを参考に、自分で
判断するしかありません。

 治療を目的とする医療と、教育を目的とする教育とは、基本的な部分で、見方、考え方が違
うということです。

 たとえばこの時期、子どもは、中間反抗期に入ります。おとなになりたいという自分と、幼児
期への復帰と、その間で、フラフラとゆれ戻しを繰りかえしながら、心の状態が、たいへん不安
定になります。

 「おとなに扱わないと怒る」、しかし「幼児のように、母親のおっぱいを求める」というようにで
す。

 そういう心の変化も、加味して、子どもを判断しなければなりません。医療のように、検査だ
けをして……というわけにはいかないのですね。私たちの立場でいうなら、わかっていても、知
らないフリをして指導します。

 しかしそれでは、回答になりませんので、一応の答を書いておきます。

 相談があるということから、かなり目立った症状があるという前提で、話をします。

 もっとも多いケースは、親の過剰期待、それによるか負担、過関心によって、脳のある部分
(辺縁系の帯状回)が、変調しているということ。多くの無気力症状は、こうして生まれると説明
されます。

 特徴としては、やる気なさのほか、無気力、無関心、無感動、脱力感、無反応など。緩慢動
作や、反応の遅延などもあります。こうした症状が慢性化すると、昼と夜の逆転現象や回避性
障害(だれにも会いたがらない)などの症状がつづき、やがて依存うつ病へと進行していきま
す。(こわいですね! Eさんのお子さんのことではなく、甥のことということで、私も、少し気楽
に書いています。)

 ですから安易に考えないこと。

●二番底、三番底へ……

 この種の問題は、扱い方をまちがえると、二番底、三番底へと落ちていきます。さらに最悪の
状態になってしまうということです。たとえば今は、何とか、まだサッカーはしているようですが、
そのサッカーもしなくなるということです。(親は、これ以上悪くならないと思いがちですが……。
決して、そうではないということです。)

 小学二年生という年齢は、好奇心も旺盛で、生活力、行動力があって、ふつうなのです。そ
れが中年の仕事疲れの男のように、家でゴロゴロしているほうが、おかしいのです。どこかに
心の変調があるとみてよいでしょう。

 では、なおすために、どうしたらよいか?

 まず、家庭が家庭として、機能しているかどうかを、診断します。

●家庭にあり方を疑う……

 子どもにとって、やすらぎのある、つまり外の世界で疲れた心と体を休める場所として機能し
ているかどうかということです。簡単な見分け方としては、親のいる前で、どうどうと、ふてぶてし
く、体を休めているかどうかということです。

 親の姿を見たら、コソコソと隠れたり、好んで親のいないところで、体や心を休めるようであ
れば、機能していないとみます。ほかに深刻なケースとしては、帰宅拒否があります。反省す
べきは、親のほうです。

 つぎに、達成感を大切にします。「自身が持っている壁を越えさせることがポイント」というの
は、とんでもない話で、そういうやり方をすると、かえってここでいう二番底、三番底へと、子ど
もを追いやってしまうから注意してください。

 この種の問題は、(無理をする)→(ますます無気力になる)→(ますます無理をする)の悪循
環に陥りやすいので、注意します。一度、悪循環に陥ると、あとは底なしの悪循環を繰りかえ
し、やがて行き着くところまで、行き着いてしまいます。
 
「壁を越えさせる」のは、風邪を引いて、熱を出している子どもに、水をかけるような行為と言っ
てもよいでしょう。仮に心の病にかかっているということであれば、症状は、この年齢でも、半年
単位で推移します。今日、改めたから、明日から改善するなどということは、ありえません。

 私なら、学校恐怖症による不登校の初期症状を疑いますが、それについても、私はその子ど
もを見ていませんので、何とも判断しかねます。

 ただコツは、いつも最悪のケースを考えながら、「暖かい無視」を繰りかえすということです。
子どものやりたいようにさせます。過関心であれば、親は、子育てそのものから離れます。

 多少生活態度がだらしなくなっても、「うちの子は、外でがんばっているから……」と思いなお
し、大目にみます。

 ほかに退行(幼児がえり)などの症状があれば、スキンシップを濃厚にし、CA、MGの多い食
生活にこころがけます。(下にお子さんがいらっしゃれば、嫉妬が原因で、かなり情緒が不安定
になっていることも、考えられます。)

 子どもの無気力の問題は、安易に考えてはいけません。今は、それ以上のことは言えませ
ん。どうか慎重に対処してください。親やまわりのものが、あれこれお膳立てしても、意味がな
いばかりか、たいていは、症状を悪化させてしまいます。そういう例は、本当に多いです。

 またもう少し症状がわかれば、話してください。症状に応じて、対処方法も変わります。あまり
深刻でなければ、そのまま様子を見てください。では、今日は、これで失礼します。
(はやし浩司 バーントアウト 燃え尽き あしたのジョー症候群 無気力症候群 自我の崩壊
 回避性障害 引きこもり はやし浩司 行為障害 買い物グセ 集団非行 非行 学校恐怖
症 初期症状 怠学 不登校の前兆症状





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●ファーバー方式

アメリカの育児、「ファーバー方式(FEBER METHOD)」(改)

●ファーバー方式
 新生児の夜泣きの対処のしかたについて、アメリカには、「ファーバー方式」というのがある。
それについての紹介文を転載する。ファーバーというのは、その考案者の博士の名前をいう。
(義理の娘が通う、母親学級のテキストからの転載)

Your baby is crying, and wakes up several times during the night. Your'e exhausted, and 
haven't had a descent night sleep, what are you going to do?  Ferberizing your baby will 
help your child sleep through the night and will help you from going mad from lack of sleep. 
Dr. Ferber, a leading pediatric sleep disorder specialist, has come up with a method 
guarantee to get your child sleeping through the night. 
 あなたの赤ちゃんが泣き、毎晩何度も起こされる。
 あなたは消耗し、安らかな眠りを得られない。
 そういうとき、どうしますか?
 睡眠障害のスペシャリストのファーバー博士が、あなたの赤ちゃんが眠るのを助けます。
The Ferber method is a progressive method and it calls for the parents to let their babies 
cry for a set period of time before comforting or "checking in on their child". Although the 
Ferber method does work for some parents, others think that it is to rigid. It is important to 
read the book and to decide for yourself. Some of the mothers in my classes have modified 
his method to fit their schedules and tolerance levels.

ファーバー方式は、泣いている赤ちゃんをなぐさめたり、「あれこれ原因さがしをする」前に、あ
る程度泣かせるという方式です。
ファーバー方式は、有効なときもありますが、しかし厳格すぎるという人もいます。
大切なことは、あなた自身が自分で本を読み、判断することです。
私の(母親教室の)母親たちは、自分たちの忍耐力のレベルにあわせて、このファーバー方式
を修正して、応用しています。

 Dr. Ferber is the first one to tell parents that his method can take a toll on the family. So
me parents cannot bear to hear their children cry for extended periods of time. Ferber 
states in his book that in order for his approach to work it is very important to stick with 
the routine. There are no exceptions unless your are traveling , your child is sick or you 
have company at your house. If you disrupt your babies sleep schedule and they start to 
wake up during the night again you will probably have to referberize the child. 
ファーバー博士は、この方式は、母親の負担を減らすものだと、述べています。
母親によっては、(忍耐の限界を超えて)赤ちゃんが泣きつづけることに耐えられない。
ファーバー博士は、この本の中で、この方式を応用するためには、日常生活をそのままつづけ
ることが重要だといいます。
旅行中とか、赤ちゃんが病気とか、来客中とかいうのであれば別ですが、例外はないといいま
す。
もし赤ちゃんの睡眠スケジュールを乱すと、赤ちゃんをあやすために、また夜中に起きなけれ
ばならなくなります。

 In his method Dr. Ferber suggest that after a loving pre-bedtime routine that you put 
your child to sleep while your baby is still awake. Putting your child to sleep while he/she is 
still awake is very important and this will teach them to go to sleep on their own.

この方式の中で、ファーバー博士は、赤ちゃんがまだ目をさましていても、赤ちゃんを寝さか
せ、いつもの就眠儀式をすることを提案しています。

まだ目をさましている赤ちゃんを寝させることは、とても重要なことで、このことが、赤ちゃんが
自分で眠ることを教えます。

 Ferber suggests that children be at least 5 months old before you try to ferberize them. 
Your baby must not be sick, or on any medications that will interfere with his/her sleeping 
when you start the method. Once your child is in bed leave the room and if she/he cries, 
wait a certain amount of time before you check on your child again.(the waiting time is 
outlined in his book, 

ファーバー博士は、少なくとも五か月未満の赤ちゃんは、この方式を応用してみるとよいと言っ
ています。
この方式をはじめるときは、まず赤ちゃんが病気でないないことが前提となります。
赤ちゃんがベッドに入ったら、赤ちゃんが泣いても、(親は)部屋を出ます。
そしてしばらく様子をみます。
(その時間については、本の中のガイドに従ってください。)

(Solve Your Child's Sleep Problems). After the "waiting time" check in on your child but do 
not rock, feed or pick her/him up. Soothe your child only with your voice. Gradually increase 
the amount of time between the visits to your child's room. Eventually (usually within a 
week) your child will realize that crying means nothing more than a brief check from you. He 
or she will learn to sleep on his/her own through the night and you will also get the sleep 
that you have been deprived of for so long. 

赤ちゃんの睡眠問題を解くために……
しばらく待ってみて、赤ちゃんをチェックし、赤ちゃんを抱いてあげます。
あなたの声で、赤ちゃんをあやします。
少しずつ、赤ちゃんの部屋を訪問する時間を長くしていきます。
結果として(ふつう一週間単位で)赤ちゃんは、泣いても無駄ということを学びます。
そして赤ちゃんは夜の間、眠るようになります。
あなたも眠られるようになります。

 Ferber states that it's ok for your child to throw a tantrum or to cry for extended periods 
of time this will not hurt your child. He/she will realize that crying will get them nowhere. To 
ferberize or not ferberize is a decision that only you and your partner can make. Here's 
what some parents are saying about the Ferber Method.

ファーバー博士は、赤ちゃんがかんしゃくを起こし、ある程度の間泣いても、この方式は、赤ち
ゃんを傷つけないといいます。
赤ちゃんは泣いても、何も解決しないことに気づきます。
ファーバー方式を使うにせよ、しないにせよ、それはあなたが決めることです。
ここにいくつかコメントがあります。

" I hated it. I just couldn't ! let my child cry not even for 5 minutes". Jody 

「この方式は、嫌いです。私は五分だって、子どもには泣かせることはできません」

" I was so exhausted I couldn't do anything. His method saved my life." Sonia 

「私は疲労しました。彼の方式は、私を救いました」

"It's great to have a formula to follow. It worked with all my kids." Maria 

 「すばらしい方式です。私の子どもたちには、有効でした」

●はやし浩司より
 このファーバー方式は、アメリカでは広く知られている。子育て(parenting)の指導法として
も、一定の地位を確立しつつある。
 
 私も、外国へ行くと、よく書店をのぞいてみる。向こうでは、いわゆる「教育書」と「育児書」
が、ほぼ、同じ割合で、並んで書店に並んでいる。一方、この日本では、育児書の多くは、書
店の目立たないところに、ひっそりと並んでいる。このあたりにも、「家庭教育」に対する認識の
違いがある。つまりこの日本では、「何でも幼稚園や保育園で……」という考え方が強く、一
方、欧米では、「子育ては家庭で……」という考え方が強い。

++++++++++++++++++++++

以上の訳について、読者の方より、「訳がおかしい」
という指摘をもらった。
東京M区に住んでいる、SKさんという方からです。
ご指摘ありがとうございました。

++++++++++++++++++++++

【SKさんより……】

ファーバー方式の和訳についてひと言。英文の解釈が少し違うような気がするのですが、もう
一度注意深く読むと良いかと……特に Ferber suggests that children be at least 5 months 
old before you try to ferberize them. とAfter the "waiting time" check in on your child but 
do not rock, feed or pick her/him up. のくだりです。私には、「赤ちゃんが少なくとも五ヶ月に達
していること」と「抱き上げたりおっぱいなどを与えるな」と解釈できるのですが……

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(はやし浩司 ファーバー方式 Feber Method 子どもの夜泣き 子供の夜泣き 夜泣き)





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【問題のある子ども・子どもの心理、思いつくまま】

●ものわかりのよい子ども

 幼稚園児や小学校の低学年児であるにもかかわらず、たいへん従順で、すなお(?)で、も
のわかりのよい子どもがいる。聞き分けもよく、先生の指示にも、よく従う。

 「ブランコに乗っていたら、そこへ友だちがきて、貸してくださいと言いました。あなたはどうし
ますか」と聞くと、「貸してあげます」などと、スラスラと答える。

 このタイプの子どもは、いつも、自分が他人にどう見られているかを気にしている。他人の評
価の中で、自分の位置づけをしようとする。みなに、(いい子)に見られることによって、安心感
を覚える。

 親や先生には、その分だけ、受けがよい。「よくできた子」という評価を受ける。しかし問題が
ないわけではない。こうした不自然さは、やがて子どもの心を、少しずつ、むしばみ始める。

 見た感じとしては、いつも柔和な笑みを浮かべているといったふう。しかし何を考えているか、
よくわからない。

 子どもというのは、そのときどきにおいて、昆虫がカラを脱ぐようにして成長する。乳児期から
幼児期へ。幼児期から少年期へ、と。そのカラをそのつど脱がないため、そのツケは、おとな
になってから、ドッと出てくる。いわゆる『アダルト・チェルドレン』の問題も、そこから生まれる。

 おとなになりきえない、精神的未熟性の残った子どもを、アダルト・チェルドレンという。

 他者への依存性が強く、自立できない。そのため相対的な価値観をもちやすい。隣の人よ
り、よい生活ができれば、幸福。そうでなければ、不幸、と。が、それだけではすまない。

 外の世界で、大きなストレスをためやすく、そのため家の中で、暴れたり、親に向かって暴言
を吐いたりすることもある(プラス型)。カアッとなって、母親に、包丁を投げつけていた女の子
(年長児)がいた。

 一般的に、(すなおな子ども)というときは、心の状態と表情が一致している子どもをいう。い
やだったら、はっきりと「いや」と言う。このタイプの子どもは、ここに書いた子どもと正反対の位
置にいる子どもと理解すると、わかりやすい。
(はやし浩司 アダルトチェルドレン アダルト チェルドレン ものわかりのよい子ども 子供 
子供の心理 依存性の強い子ども 子供)


●自分を偽る子ども

 (そうである自分)を偽り、(別の自分)を演ずる子どもは、少なくない。以前、書いた、「悲しき
道化師」と呼ばれる子どもも、このタイプの子どもということになる。

 勉強ができない。宿題もやっていない。先生にさされても、答を言うことができない。そこでこ
のタイプの子どもは、ひょうきんな道化師として、みなを笑わせる。決してふざけているのでは
ない。そういう形で、自分の存在感をつくる。「みなに、バカと思われるより、おもしろいヤツ」と
思われたほうが、気が楽なのである。

 しかしこのタイプの子どもは、(この悲しき道化師タイプの子どもも含めて)、集団の中では、
相当のストレスを受ける。一見、朗らかで、明るい表情をしている。おおらかに見える。それで
つい油断して、ほかの友だちが、からかったりすると、それで大きくキズついたりする。

 つまりこのタイプの子どもは、ストレッサー(ストレスの原因)を、自分の中で、つくりあげてしま
う。

 わからなかったら、「わからない」と言う。できなかったら、「できない」と言う。そう言うことは、
何も恥ずかしいことではないし、またそうであるからといって、卑下しなければならないことでは
ない。そんな教育観を、まず親自身が取りもどす。

親が、「こんなことができなくて、恥ずかしくないの!」などと言っていると、子どもは、ますます
自分の心を偽るようになる。

 子どもが生活のどこかで、自分を偽り始めたら、要注意。それが進むと、心身症や神経症の
遠因になることもある。
(はやし浩司 悲しき道化師 心を偽る子供 虚飾 虚栄 他人の目を意識する子供)


●虚栄心の強い子ども

 その子ども(人)の生き様は、20歳くらいまでに完成する。「完成する」というより、その方向
性は、20歳くらいまでにできあがる。あとは、その子ども(人)は、自分で敷いたレールの上
を、歩くようになる。

 虚栄心と、ウソは、ちがう。虚栄心は、自分を飾り、(本当の自分)より、よい自分を、他人の
目の中で演ずることをいう。ウソをつくのは、あくまでも、その結果でしかない。

 昔、「私はイタリアの王女」と言っていた女の子(オーストラリア人、10歳くらい)がいた。そこ
で私が、「イタリアには、王女はいないよ」と話したが、その子どもは、それを頑(がん)として、
否定した。

 その子どもは、虚構の世界に住んでいたことになる。しかしこうした虚構性は、年齢とともに、
大きくなり、さらに、巧みになる。

 わざと高貴な奥様ぶってみたり、リッチな様子をしてみせたりする。家の中では、インスタント
ラーメンを食べていても、外出するときは、ブランド品で身を包んで出かけたりする。いつも、財
布の中に、10〜20万円の札束を入れて、支払いのときなどに、これ見よがしに、他人に見せ
びらかしていた女性(65歳)もいた。

 本当は、その女性は、老齢年金と、近くに住む息子氏からのわずかな仕送りで、細々と生活
をしていたのだが……。

 このタイプの子ども(人)が、悲劇的なのは、やがて、自分を見失ってしまうということ。自分が
だれであるかさえ、わからなくなってしまう。そして虚栄がそれなりにうまく作用していれば、そ
れなりに幸福感(充実感)を味わうことができるが、そうでない自分に気づいたとき、へたをす
れば、はげしい自己嫌悪から自己否定へと進んでしまうこともある。

 こうした虚栄心の強い子どもは、そうでない子どもと比較すると、よくわかる。虚栄心の強い
子どももいれば、反対に、自分をまったく飾らない子どもというのもいる。あるがままの自分を、
堂々と見せながら生きている。

 ふつう、虚栄心の強い子どもというのは、それだけ愛情に恵まれなかった家庭に育った子ど
もとみてよい。親子の信頼関係そのものが、結ばれていない。そのため、他人に心を開くこと
ができない。社会そのものに心を開くことができない。その結果として、自分の姿を偽るように
なる。

 さらに症状がひどくなり、長期にわたると、仮面をかぶっていること、そのものがわからなくな
ってしまう。

 このタイプの人は、言動が、わざとらしく、どこか不自然。ぎこちない。ことさら善人ぶったりす
る。
(はやし浩司 虚栄心 虚栄心の強い子ども 見栄を張る子ども 子供 自分を偽る子ども 親
子の基本的信頼関係 仮面 ペルソナ)


●現実を認識しない子ども

 理想や望みばかりが高くて、現実を受け入れることができない。……そんなタイプの子どもが
いる。

 もっとも、この時期(4歳〜12歳)は、自分の能力を客観的に評価することができる子どもは
少ない。しかし小学校の高学年になってくると、(現実)というカベに、多くの子どもたちは、「成
績と」いう形で、直面する。

 たとえば、能力をはるかに超えたワークブックをかかえ、苦しんでいる子どもがいる。で、そう
いう子どもには、私は、「そのワークブックは、君には合っていないから、もっと簡単なのにしな
さい」とアドバイスをする。

 しかしそういうアドバイスに耳を傾ける子どもは、少ない。「これができないと、AA中学に入れ
ない」と、反論したりする。また、「できない」と認めることは、このタイプの子どもにとっては、敗
北を意味する。

 そこで、このタイプの子どもは、解答を丸写しにしたりして、(できた)という体裁をとりつくろ
う。親は、そのワークブックを見て、「うちの子は、できる」と思いこむ。

そこで私は、こう言った。「あなたのお母さんに、正直に言いなさい。ぼくには、その力はないか
ら、AA中学は無理だ。もう少し下の学校にランクを落としたいと」と。

 しかし子どもは、そういうことを、親には、絶対に言わない。

 私は、長い間、そういう子どもの心理が理解できなかった。が、ある日、こんな男性がいるこ
とを知った。それで理解できた。

 その男性は、会社をリストラされて、職を失った。しかし家族には、それを言えず、いつものよ
うに、定刻に家を出て、また夜は、定刻に家に帰ってきていたという。その間、魚釣りをしたり、
パチンコをしたりして、時間をつぶしていた。

 つまり子どもにしてみれば、「その力がない」と告白することは、自分の存在感そのものを否
定することになる。だから親には、言わない。親に「できる」と思わせることによって、自分の存
在感を保つ。

 その心は、仕事を失った人が、あたかも仕事にでかけるようなフリをして、時間をつぶす。そ
の心と、どこも、ちがわない。
(はやし浩司 現実を認めない子供 子ども)


●ウソをつく子ども

 子どもというのは、たとえばスポーツクラブや塾、さらにはおけいこ塾などをやめたくなって
も、「やめたい」とは言わない。そういうときは、親にウソをつく。

 「先生が、まじめに教えてくれない」「体罰を加える」「ひどいことをする」と。

 そういうウソを並べながら、親をして、「それなら、そんなところはやめなさい」と言うように、し
むける。

 ……たいていのケースでは、ここまでで話が終わるが、そのあと、子どもの予想を超えて、事
件に発展することもある。

 ある母親が、スポーツクラブのコーチのところへ、ある夜、怒鳴りこんできた。ものすごい剣
幕だった。いわく、「あなたは、うちの息子(10歳)を、殴ったそうですね。息子の話では、息子
は何もしていなかったと言っています。どうしてそんなことをするのですかア!」と。

 そのコーチにしてみれば、まさに寝耳に水。「私は、そんなことをした覚えはありません」と言
うと、その母親は、「息子は、ウソをつくような子どもではありません!」「いいかげんなことを言
うな!」と。

 残念ながら、子どもというのは、よくウソをつく。その子どものばあいも、そういう母親だからこ
そ、ウソを言ったと考えられる。親の過干渉と過関心。それに加えて、はげしい気性の親をも
つと、子どもは親の前では、いい子ぶるようになる。つまり仮面をかぶる。

 だからかえって親の前では、(その母親が言うように)、かえっていい子に見えるときが多い。
まただからこそ、ウソも多くなる。

 さらにこの仮面で注意しなければならないのは、子ども(人)は、仮面をかぶることで、自分に
とってつごうの悪いことを、心の別のところにしまいこむことがあるということ。つまり邪悪な自
分を、そこへしまいこむことによって、自分はいい子だと、本気で信ずるようになる。

 しかしときとして、その別の心が、表に出てくるときがある。日ごろは、よくできたと思われてい
る子どもが、とんでもないような大事件を引き起こすことがある。そういう事件が起きると、周囲
の人たちは、異口同音に、「信じられません」「あんないい子が……」「おとなしくて、やさしい子
でした」などと言う。

 このタイプの子どもは、仮面(ペルソナ)をかぶりながら、別のところで、暗い影(シャドウ)を
つくっていたことになる。そのシャドウが、その子どもを、ウラから操ったということになる。

 子どもの仮面には、じゅうぶん、注意したほうがよい。
(はやし浩司 仮面 嘘 嘘をつく子ども シャドウ 子供の心理 育児問題)


●思いこみの強い子ども

 ふつうでないこだわりをもつ子どもは、心に何かの病気をもっていると考える。たとえばささい
なことを気にして、いつまでもクヨクヨと悩むなど。幼児期に読んでいた雑誌を、片時も放さなか
った子ども(小6男児)もいた。

 で、少し話は変わるが、こんな中学生(男子)がいた。Pケモン全盛期のころである。

ある日、窓の外に向かって、何やら呪文(じゅもん)らしきものを唱えていたので、「何をしてい
るの?」と声をかけると、こう言った。「あのビルを、ぼくの超能力で、破壊してみたい」と。

私「君が、そう思うのは勝手だけど、破壊されるほうは、困るよ。中には、人がいるしね」
子「ぼくが、やったとは、だれにも、わからない」
私「わからなくても、たいへんな迷惑だよ」と。

 私はその異常なまでの自己中心性に驚いた。自分のことしか考えていない。しかも、超能力
などという、コミックの世界の能力があると思いこんでいる!

 こうした異常なまでの(思いこみ)でよく知られているのが、ストーカー行為である。「相手は、
自分のことを好きなはずだ」「相手を真に幸福にできるのは、ぼくだけだ」と。そうした思いこみ
だけをもとに、妄想をどんどんとふくらませていく。

 ある程度の妄想性は、だれにでもある。またその妄想性が、ロマンやドラマを生み出すことも
ある。しかしその妄想性が、ひとり歩きを始めて、手に負えなくなくなることがある。

 相手をつけまわしたり、執拗に電話をかけたりするなど。待ち伏せすることもある。いわゆる
「ドクレランボー症候群」というのが、それである。

 このタイプの人にも、異常なまでの自己中心性が見られる。相手の立場に立ってものを考え
ることができない。そういう意味で、「パーソナリティ障害」と位置づける人もいる。

 同じように、このタイプの人も、いくら説明しても、それがわからない。「ぼくは相手のためにし
てやっている」「相手を守ってやっている」などと考える。そしてささいな相手の行動や言動に、
特別な(?)意味を添えて、自分勝手な妄想をふくらませる。

 本当は、その相手は、追いかけまわされるのがいやで、別の道を通って家に帰ったのに、
「相手は、ぼくと二人だけになりたかったら、その道を選んだのだ」などと考える。

 一度、こういう状態になると、(社会性の欠落)→(ますます強い妄想性をもつ)→(ますます社
会性が欠落する)の悪循環の中で、社会生活そのものから、遊離するようになる。ひとりで、部
屋に引きこもってしまうことも珍しくない。

 こうした(思いこみ)は、子どもの世界では、決して、好ましいものではない。しかもやっかいな
ことに、こうした思いこみによる妄想性は、年齢とともに、ますますふくらんでいく。一般的に
は、思春期前後に発症すると言われている。

それまでの家庭教育が、重要ということになる。
(はやし浩司 ドクレランボー症候群 妄想 思いこみ 思い込み ストーカー行為)





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●「障害」について

N様へ)

以下の書き込みをいただきました。

+++++++++++++++++++

(Nより、はやし浩司へ)

『たとえば緘黙児や自閉症児などの情緒障害児』←こういう自閉症に対して誤解を生じるよう
な、書き方は止めてください! 自閉症児は情緒障害児ではありません。
脳の器質的な障害です。
情緒障害とは感情生活に支障をきたし、社会的適応が困難になった状態を指します。

+++++++++++++++++++

(返信)

これは私の意見ではなく、「障害」という言葉は、広く使われています。

(1)「かん黙児は、心理障害」(臨床心理学 稲富正冶 日本文芸社)
(2)自閉症―自閉性障害(広汎性発達障害)(同書)ほか。
(3)自閉症は、70〜80%が、精神遅滞を合併し……原因については、脳機能障害が有力と
考えられている(臨床心理学 松原達哉 ナツメ社)

 ふつう「情緒障害」(脳の機能に問題がある)というときは、「精神障害(脳の器質に問題があ
る)と分けていうときに使われています。簡単に言えば、「心の問題」ということです。だれにで
も、ときとばあいに応じて、あるものです。

「障害」という言葉は、実際、暗いですね。英語では、disorderといいます。「不調」という意味
でしょうか。私も、「障害」という言葉には、大きな抵抗を感じ、あちこちで、そう書いています。

また躁鬱的な症状をまとめて、「情動性人格障害」「気分障害」というときもあります(例、心理
学用語辞典 渋谷昌三ほか かんき出版)ほか。

 なお「器質的障害」というのは、脳の構造そのものに障害があるばあいをいいます。たとえ
ば、統合失調症(分裂病)や、てんかんなど。

これに対して、自閉症やかん黙症は、機能的(働きの)問題ということになります。しかし、(精
神障害)については、精神医学の問題で、教育の問題ではありません。私も、それについて、
書いたことはありません。

 情緒障害であるから、「感情生活に支障をきたし……」ということは、ありません。ご指摘のと
おりです。私はそのように書いたことはありません。(もちろん軽重の問題もありますから。)

 なお自閉傾向と自閉症とは、分けて考えます。多分、そのあたりにも、誤解があるのではな
いでしょうか。同じような言葉を使いますので……。

 ともかくも、これからは、言葉に、気をつけます。ご指摘、ありがとうございました。折につけ、
原稿を訂正していきます。(何しろ、ぼう大なHPなものですから、思うように、修正、訂正ができ
ないのも事実です。

 ですからできるだけ、最新の原稿を優先してお読みくだされば、うれしく思います。この世界
も、日進月歩で進んでいます。)

+++++++++++++++

●ついでながら

以前は、「気分の移り変わりがはげしいく、通常の社会生活に支障をきたす状態」を、「情緒障
害」といいました。現在では、「情緒」にかわって、「情動」という言葉を使います(岩波書店、「広
辞苑」)。

 一般的には、(私の個人的な見解ではなく)、脳の機能による障害を、「機能障害」、また器質
的な問題による障害を、「器質(機質)障害」と呼んでいるようです。

 このうち、自閉症は、脳の機能による障害ということで、「原因としては、脳機能障害が強いと
見られている」(「臨床心理学」松原達哉ほか)と位置づけられています。

DSM−IV、ICD−10(国際疾病分類第10版)の診断基準によっても、自閉症は、「広汎性発
達障害(特定の能力だけではなく、対人的相互作用、言語、情動行動といった領域に発達上
の障害が見られる)」と、正式に位置づけられています。

 しかし教育の分野では、親への言葉の衝撃をやわらげるため、「情緒」という言葉を使うこと
が多いようです。かえってこうした言葉のほうが、誤解を招くかもしれません。

 またそういった障害をもった子どもを、「〜〜児」と呼んでいるのは、一般的なことであって、
たとえば、「ADHD児」「かん黙児」と呼んでいます。決して、差別してそう呼んでいるのではない
と思います。(私の造語では、ありません。誤解のないように!)

 ご指摘の「器質障害」というのは、ここにも書きましたように、脳の構造(機能ではなく、構造)
そのものに、何らかの問題があることをいいます。したがって、これは精神医学の分野のテー
マであって、教育のテーマではないということになります。

 いろいろ誤解もあるようです。また調べて、報告します。
(はやし浩司 自閉症 広汎性発達障害 DSM ICD)


(補足)

●子どもの問題について

 自閉症についての補足。

 自閉症と、「症」という文字をつけて、私たちは、自閉症について論ずる。しかしここで注意し
なければならないのは、その診断権をもつのは、医師のみであって、またそれ以外のだれでも
ない。

 当然のことである。

 教育の世界では、かりに、その子どもが、自閉症児とわかっていても、その言葉を、口にする
のは、許されない。またしてはならない。知っていても、知らぬフリをして、対処する。これは教
育の、大原則である。

 しかしこうしてHPなどで、自閉症や自閉症児について書いていると、中には、あたかも、自分
の子どもに向かって直接言われたように感ずる親がいる。そして抗議してくる。

 親自身が、たいへん神経質になっている。

 しかし私はいまだかって、一度たりとも、その親に向かって、「あなたの子どもは、〜〜症児
の心配があります」などと、言ったことはない。親のほうから質問があり、「うちの子は、自閉症
ですが……」と言われたとき、はじめて、その言葉を口にする。

 これまた当然のことである。

 だから、これは何も、自閉症児にかぎらないことだが、私が書いたことが、自分にあてはまる
からといって、あるいは自分の子どもにあてはまるからといって、抗議をされても、たいへん困
る。見知らぬ人であれば、なおさらである。

 反対に言うと、問題のない子どもなど、この世にいない。だれしも、多かれ少なかれ、何らか
の問題をもっている。あえて言うなら、自閉症にしても、それらの問題のひとつにすぎない。だ
からあえて、そのテーマだけで、教育論を組み立てるということは、本来、ありえない。

 ともあれ、こうした診断名を使うときには、慎重でなければならない。読む人によっては、たい
へんなショックを受ける。

 なお、その自閉症について、補足的意見を、追加する。

++++++++++++++++++

以前は、「気分の移り変わりがはげしいく、通常の社会生活に支障をきたす状態」を、「情緒障
害」といった。現在では、「情緒」にかわって、「情動」という言葉を使う(岩波書店、「広辞苑」)。

 一般的には、(私の個人的な見解ではなく)、脳の機能による障害を、「機能障害」、また器質
的な問題による障害を、「器質(機質)障害」と呼んでいる。

 このうち、自閉症は、脳の機能による障害ということで、「原因としては、脳機能障害が強いと
見られている」(「臨床心理学」松原達哉ほか)と位置づけられている。

DSM−IV、ICD−10(国際疾病分類第10版)の診断基準によっても、自閉症は、「広汎性発
達障害(特定の能力だけではなく、対人的相互作用、言語、情動行動といった領域に発達上
の障害が見られる)」と、正式に位置づけられている。

 しかし教育の分野では、親への言葉の衝撃をやわらげるため、「情緒」という言葉を使うこと
が多い。かえってこうした言葉のほうが、誤解を招くかもしれない。

 またそういった障害をもった子どもを、「〜〜児」と呼んでいるのは、一般的なことであって、
たとえば、「ADHD児」「かん黙児」と呼んでいる。決して、差別してそう呼んでいるのではない。
(私の造語では、ない。誤解のないように!)

 ご指摘の「器質障害」というのは、ここにも書いたように、脳の構造(機能ではなく、構造)その
ものに、何らかの問題があることをいう。したがって、これは精神医学の分野のテーマであっ
て、教育のテーマではないということになる。
(はやし浩司 自閉症 広汎性発達障害 DSM ICD)






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●パーソナリティ障害

●享楽主義

 自分の欲望を、とことん、満足させてはいけない。ほどほどのところで、ブレーキをかける。あ
とは、その切なさを楽しむ。

 切なさ……年をとると、何かにつけて、その切なさを感ずる。先日、コンサートを聞きに行った
ら、美空ひばりの「悲しい酒」を演奏した。

 「♪ひとり、酒場で飲む酒は……」という、あの歌である。

 私は酒は一滴も飲めない。が、気持ちは、ヨ〜クわかる。あの切なさである。すべてが、思う
ようにならない。すべてが、だ。切なさは、そこから生まれる。

 しかし悪いばかりではない。

 自虐的な楽しみというか、その切なさをしみじみと感じながら、毎日を生きていく。それが結
構、楽しい。年相応ということもある。分相応ということもある。この年齢で、若い人と立ち向か
って、勝ち目はない。今さら、人生が大きく変わるということもない。

 私たちがすべきことは、もし楽しみがそこにあるなら、それは若い人に譲って、一歩退いたと
ころで、そのおこぼれを楽しむこと。「まあ、私の人生は、こんなものよ」と、自分を納得させる。
ほどほどのところで、あきらめる。

 そう言えば、昔、一世を風靡(ふうび)した、歌手に、M子という人がいた。そのM子が、今
度、写真集を出した。ワイフが先にそれを見つけて、こう言った。「M子って、おとなになりきれ
ない人ね」と。

 見ると、赤いミニスカートをはいて、表紙を飾っていた。明らかにx0年以上も前の服装であ
る。「精神年齢は、子どものまま」と、私は感じた。

 「同じ女性として、こういう女性を見ると、なさけなくなるわ」と、ワイフはつづけた。「いくらがん
ばっても、がんばれることと、がんばれないことがあるわ。そのむなしさが、M子には、わから
ないのかしら」とも。

 世の中には、そういう人も多い。人それぞれだが、大切なことは、表面的な「形」を取りもどそ
うとしないこと。大切なことは、表面的な「形」を乗り越えて、人間的な美しさをみがくこと。……
では、ないか?

 M子は、ひょっとしたら、x0年前の、あの栄光を取りもどそうとしているのかもしれない。「夢
よ、もう一度」と。しかし……。

 つまり、この問題は、はっきり言えば、どうでもよい。M子は、M子。世の中には、M子のよう
な生きザマを、すばらしいと思う人もいる。反対に、私の生きザマがすばらしいというわけでは
ない。

 しかしごくふつうの男として、一言。私はその表紙を見ただけだが、(全体には、ビニールシー
トがかぶせてあった)、一片の性的魅力も感じなかった。それどころか、嫌悪感さえ覚えた。(ご
めん!)今のままのM子なら、M子の時代は、もう、とっくの昔に終わったように思うのだが…
…。

(補足)

 否定的なことばかり書いたが、M子は、そのつどマスコミ的な話題をつくっては、世間を騒が
している。それもタレントとして、生きる道なのか。それとも、何か特別の心理状態にあるのか。
私は若いころ、M子が好きだったし、あのままのイメージでいてほしいと思う。どうしてM子は、
自ら、そのイメージを、自らぶち壊すようなことをするのだろうか?

++++++++++++++

●リスト・カット

 Fさんという知人の娘(21歳)が、リスト・カットをしたという。「今まで、気づかなかったが、とき
どきしていたようだ」と、知人は言った。

 リスト・カット。今、若い女性の間で、それをする人が、ふえている。とくに自殺に結びつくわけ
ではない。

 稲富正治氏の「臨床心理学」(日本文芸社)によれば、つぎのようにある。

(1)感情が不安定で、衝動的な行動を起こしやすい。傷つけたときの血が、贖罪(しょくざい)
のしるしなので、何度も繰りかえして行われる。

(2)感情が不安定で、怒りっぽく、人間関係に支障をきたす。

(3)1人でいることが苦手で、自分が見捨てられるのではないかと、不安になる。

(4)手首にかぎらず、体中に傷をつける。血を見て、自分は許されたと感ずる。何度も繰りか
えし、リスト・カットをする。

 稲富氏は、「パーソナリティ障害の中の、(境界性人格障害)にあたる人たちに多く見られま
す。感情が不安定で、怒りがあらわになりやすいのですが、見捨てられるのではないかという
不安も、非常に強いのです。

 また本人は、1人でいることに耐えられないはずなのに、対人関係も不安定です」(同書、10
8)とある。

 知人の話では、いつも神経がピリピリとしているといった感じで、ささいなことで、怒ったり、そ
れにこだわっていつまでも、不機嫌になるという症状もあるとか。ボーイフレンドもいるが、いつ
も相手がちがうという。

 で、そういう相談をもちかけられると、あれこれと、頭の中の情報を、さがしまわる。しかしこ
の分野については、私は、まったくの門外漢。経験もないし、それに私は、女性ではない。デリ
ケートな(?)女性の心理が、まだよく理解できない。

 「そんなことしなくてもいいのに」と思ったりする。3、4回、会ったことがあるが、とてもすてきな
女の子である。だまって座っているだけで、男のほうが声をかけてくるだろう。そんなタイプの女
の子である。

 が、いろいろと悩みもあるのだろう。心の緊張感が、とれないのかもしれない。見たところ、
(つまり感じるところ)、母親との関係があまりうまくいっていないようだ。心理学でいう、「母子関
係の不全による、基本的信頼関係の不足」ということになる。

 新生児から乳児期にかけて、母親に、安心して心をよせることができなかったのかもしれな
い。

 これは私の勝手な推測によるものだが、そんな感じがした。

 「時期がきて、結婚でもすれば、何ごともなかったかのように終わるのでは……」とは、電話
では言ったものの、本当のところは、私にもよくわからない。ごめん、Fさん!

「時期がきて、結婚でもすれば、何ごともなかったかのように終わりますよ」とは言ったものの、
本当のところは、私にもよくわからない。ごめん、Fさん

(Mさんからの、助言)

 こんな助言が、R天掲示板に届いています。そのまま、紹介します。こういうこともあるようで
す。

++++++++++++++++++++++

本当です。私と実母とは、私が結婚する前は、良い関係ではありませんでしたが、(リストカット
とかそういうのはしませんでしたが)、結婚して子供ができたら、今までの何十年といった関係
はなんだったのか、というぐらい仲が良くなってしまいました。

本当、母子戦争は何だったのか、というぐらいあっけなく終ります。女って不思議! 



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●こだわり

 自閉症児が見せる症状のひとつに、こだわりがある。ある特定のものや、ことがらに、強くこ
だわる。

 しかしこだわりがあるからといって、自閉症ということではない。また、こだわりといっても、軽
重がある。軽いこだわりから、重いこだわりまで、症状は、さまざま。決まった席でないと座らな
い子ども(年長男児)や、決まったズボンでないと、外出しなかった子ども(年長男児)がいた。

 これらは、軽いこだわりということになる。こうした傾向は、だれにでもあるもので、またそれ
があるからといって、自閉症ということではない。ふつうの生活をしていくには、さほど、問題は
ない。「どこか気がむずかしい子ども」という程度ですんでしまう。(その分、見過ごしてしまうこ
ともあるが……。)

 が、こだわりがひどくなると、部屋の中の置き物の位置が、少しでもズレただけで、パニック
状態になったりする。生活の順序がちがっただけで、同じく、パニック状態になったりする。

 こだわる対象によって、いろいろに分類される。

(1)モノにこだわる

 ある特定のモノにこだわる。それがないとイライラしたり、モジモジしたり、あるいは不機嫌に
なって、暴れたりする。モノは、古い雑誌や、ペン、おもちゃなど。

(2)時間にこだわる

 決められた時刻に、一定のことが始まらないと、同じように、情緒が不安定になる。グズりや
すくなったり、怒りっぽくなったりする。毎日、時計ばかり見て、自分の行動を決めたりする。

(3)生活習慣にこだわる

 風呂に入っても、体を洗う順番が決まっている。使うシャンプーが決まっている。着る服の組
み合わせが決まっている、など。母親が風呂の中で、体を洗ってやるのだが、洗う順序が決ま
っている子どもがいた。その順序がちがうと、突発的に混乱状態になったりした。

(4)ささいなことにこだわる

 だれかが、何気なしに言った言葉にこだわったりする。ある特定の、部分的な言葉にこだわ
るのが特徴。全体としてみれば、何でもないことなのだが、それが理解できない。

 たとえば「わからないところがあったら、電話をしなさい。ときどき、勉強をみてあげる」などと
言うと、その「ときどき」という言葉にこだわる。それを勝手に、「毎日」というふうに、解釈してし
まう、など。

(5)儀式にこだわる

 「誕生日には、こうするものだ」というふうに、自分で決めてしまう。そしてそれがその通りでな
いと、突然、イラついたり、怒ったり、ふさいだりする。あるいは寝る前の就眠儀式が、いつも同
じパターンでないと、眠りにつかない、など。ある子ども(年長児)は、毎晩、自分でフトンをなお
すのだが、センチ単位まで正確に、フトンをなおしてから、フトンの中に入っていた。

 母親が、「寝相がよくて、朝まで、そのままです」と言っていたのが、私にはたいへん気になっ
た。

 こうして一度、何かにこだわり、カラにこもってしまうと、説得しても、効果がない。いつまでも、
グズったり、不機嫌な様子をしてみせたりする。

 子どもの世界で、こうした(こだわり)が見られたら、好ましくないという前提で、早めに対処す
る。叱ったり、乱暴な指導をしてはいけない。たいてい、こうしたこだわりが見られると、母親
は、強く子どもを叱ったりする。あるいは、「気のせいよ」と、乱暴な言い方をして、子どもの心
を無視する。

 そういう接し方が、子どもの症状を悪化させる。(が、親には、その意識がないのが特徴。)私
が、「家で、神経質に接していませんか?」と聞いたとき、「あの子は、生まれつき、ああでした」
と、どこまでもがんばっていた母親がいた。

 冒頭に書いたように、自閉傾向が見られるからといって、自閉症とはかぎらない。それはちょ
うど、熱があるから、扁桃腺炎とはかぎらないというのに、似ている。念のため。
(はやし浩司 こだわり 自閉傾向 自閉症 固執 がんこ 子どもの頑固 子供の頑固)

(補記)

 こうした一連のこだわりが子どもに見られたら、「なおそう」と考えるのではなく、「今の状態を
より悪くしないことだけ」を考えて、子どもの立場でものを考えるようにする。

 たとえばある子ども(中学生)は、CDを集めていた。そのCDを、ほんの少しでもだれかが動
かしたりすると、オドオドとしたり、ときには、突発的に、自らCDを割ってしまっていた。

 こういうケースのばあいでも、それがおかしいと決めてかかるのではなく、「そうだね。大切に
しているCDを動かしてはだめだよね」と、子どもの立場で考えて行動する。

 子どもに安心感を与えることが、何よりも重要。こうしたこだわりの強い子どもは、いつも緊張
状態にあるとみる。不安感も強い。そうした緊張状態をほぐし、不安の原因となっていること
を、いっしょに考えてやる。





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●日本の将来を教育に見るとき 

●人間は甘やかすと……?

 官僚の天下りをどう思うかという質問に対して、ある大蔵官僚は、「私ら、学生時代勉強で苦
労したのだから、当然だ」「国のために仕事ばかりしているから、退職後の仕事をさがすヒマも
ない。(だから国が用意してくれるのは、当然だ)」(NHK報道・99年春)と答えていた。

また別の女子学生は、「卒業しても就職先がないのは、社会の責任だ。私たちは言われるま
ま、まじめに勉強してきたのだから」(新聞投稿欄)と書いていた。人間は甘やかすと、ここまで
言うようになる。

●最後はメーター付きのタクシー

 私は以前、息子と二人で、ちょうど経済危機に見舞われつつあったタイを旅したことがある。
息子はともかくも、私はあの国にたまらないほどの懐かしさを覚えた。それはちょうど40年前
の日本にタイムスリップしたかのような懐かしさだった。

あの国では誰もがギラギラとした脂汗を流し、そして誰もが動きを止めることなく働いていた。
若者とて例外ではない。タクシーの運転手がこんな話をしてくれた。

若者たちは小銭ができると、まずバイクを買う。そしてそれで白タク営業をする。料金はその場
で客と交渉して決める。そこでお金がたまったら、「ツクツク」と呼ばれるオート三輪を買って、
それでお金をためる。さらにお金がたまったら、四輪の自動車を買って、それでまたお金を稼
ぐ。最後はメーター付き、エアコン付のタクシーを買う、と。

●日本には活気があった

 形こそ多少違うが、私たちが子どものころには、日本中に、こういう活気が満ちあふれてい
た。子どもたちとて例外ではない。私たちは学校が終わると磁石を持って、よく近くの小川へ行
った。そこでその磁石で金属片を集める。そしてそれを鉄くず屋へ持っていく。それが結構、小
づかい稼ぎになった。父の一日の稼ぎよりも多く、稼いだこともある。

が、今の日本にはそれはない。「生きざま」そのものが変わってきた。先日もある大学生が私
のところへやってきて、私とこんな会話をした。

学「どこか就職先がありませんか」、私「君は何ができる?」
学「翻訳ぐらいなら、何とか」、私「じゃあ商工会議所へ行って、掲示板に張り紙でもしてこい。
『翻訳します』とか書いてくれば、仕事が回ってくるかもしれない」
学「カッコ悪いからいやだ」
私「なぜカッコ悪い?」
学「恥ずかしい……。恥ずかしいから、そんなこと、できない」

 その学生は、働いてお金を稼ぐことを、「カッコ悪い」と言う。「恥ずかしい」と言う。結局その
学生はその年には就職できず、一年間、カナダの大学へ語学留学をすることになった。もちろ
んその費用は親が出した。

●子どもを見れば、未来がわかる

 当然のことながら日本の未来は、今の若者たちが決める。言いかえると、今の日本の若者
たちを見れば、日本の未来がわかる。

で、その未来。最近の経済指標を見るまでもない。結論から先に言えば、お先まっ暗。このま
までは日本は、このアジアの中だけでも、ごくふつうの国になってしまう。いや、おおかたの経
済学者は、2015年前後には、日本は中国の経済圏にのみ込まれてしまうだろうと予想してい
る。事実、年を追うごとに日本の影はますます薄くなっている。

たとえばアメリカでは、今では日本の経済ニュースは、シンガポール経由で入っている(NB
C)。どこの大学でも日本語を学ぶ学生は急減し、かわって中国語を学ぶ学生がふえている
(ハーバード大学)。

私たちは飽食とぜいたくの中で、あまりにも子どもたちを甘やかし過ぎた。そのツケを払うの
は、結局は子どもたち自身ということになるが、これもしかたのないことなのか。私たちが子ど
ものために、よかれと思ってしてきたことが、今、あちこちで裏目にでようとしている。

(参考)

●日本の中高生は将来を悲観 

 「21世紀は希望に満ちた社会になると思わない」……。日韓米仏4カ国の中高生を対象にし
た調査で、日本の子どもたちはこんな悲観的な見方をしていることが明らかになった。

現在の自分自身や社会全体への満足度も一番低く、人生目標はダントツで「楽しんで生きるこ
と」。学校生活で重要なことでは、「友達(関係)」を挙げる生徒が多く、「勉強」としたのは四か
国で最低だった。

 財団法人日本青少年研究所(千石保理事長)などが2000年7月、東京、ソウル、ニューヨ
ーク、パリの中学2年生と高校2年生、計約3700人を対象に実施。「二一世紀は希望に満ち
た社会になる」と答えたのは、米国で85・7%、韓仏でも6割以上に達したが、日本は33・8%
と際立って低かった。

自分への満足度では、米国では9割近くが「満足」と答えたが、日本は23・1%。学校生活、友
達関係、社会全体への満足度とも日本が4カ国中最低だった。

 希望する職業は、日本では公務員や看護婦などが上位。米国は医師や政治家、フランスは
弁護士、韓国は医師や先端技術者が多かった。人生の目標では、日本の生徒は「人生を楽し
む」が61・5%と最も多く、米国は「地位と名誉」(40・6%)、フランスは「円満な家庭」(32・
4%)だった。

 また価値観に関し、「必ず結婚しなければならない」と答えたのは、日本が20・2%だったの
に対し、米国は78・8%。「国のために貢献したい」でも、肯定は日本40・1%、米国76・4%
と米国の方が高かった。ただ米国では「発展途上国には関心がない」「人類全体の利益よりわ
が国の利益がもっと重要だ」とする割合が突出して高く、国際協調の精神が希薄なことも浮か
んだ。

 千石理事長は「日本の子どもはいつの調査でもペシミスティック(悲観的)だ。将来の夢や希
望がなく、今が楽しければよいという現在志向が表れている。1980年代からの傾向で、豊か
になったことに伴ったのだろう」と分析している。

++++++++++++++++++

 この原稿を書いたのは数年前。かなり悲観的なことを書いた。しかしそれから数年。今の私
なら、さらに悲観的なことを書く。

 もしこれからの若者がどうあるべきかと聞かれたら、私は、このモビリィティをあげる。「これ
がダメだから、もうダメだ」という発想ではなく、「これがダメなら、つぎにこれがある」という発想
である。

 もっとわかりやすく言えば、たくましく生きるということか。貪欲に、ガツガツ生きるということ
か。

●管理国家

 「あのころには、いろいろなチャンスがあったわね」とワイフは言った。「何をしても、お金もう
けができたわ」と。

そう、あのころには、いろいろなチャンスがあった。

 今でも、ないわけではない。私も、もしその気になれば、なりふり構わず、仕事をするかもしれ
ない。しかしあのころとくらべると、この日本も、息苦しくなった。すべてが、そしてすべての人
が、管理されているといった感じ。

 こうした日本をさして、「新・社会主義国家」と評する人もいる。スタンフォード大学の客員教授
の、野口悠紀雄氏などもその1人である(「新版1940年体制」ダイアモンド社)。日本人とし
て、日本だけに住んでいると、それがわからない。野口氏のような人には、それがわかる。

 たしかに外国から見ると、日本人がいうところの民主主義は、異質である。イビツというべき
か。日本人は、「お上」に依存する分だけ、モビリィティを失ってしまった。バイタリィティ(活力)
は、そのモビリィティから生まれるとするなら、そのバイテリィティも、失ってしまった。教育にし
ても、学校以外に道はなく、学校を離れて道はない、と。

 私も、日本がどうしてこんなバカげた国になってしまったのか、本当のところは、よくわからな
い。しかし奈良時代からつづいた、この官僚制度国家を変えることは、容易ではない。官僚制
度というより、この息苦しいほどまでに管理された、管理国家というべきか。

 この日本では、何をするにも、資格だの認可だの、許可がいる。このままでは、K国の兵隊
が日本を侵略してきたときですら、「戦っていいですか?」という許可を、国に申請しなければな
らなくなるかもしれない。

 許可がおりるころには、家族もろとも、みな、殺されている。そうなる。もっとも、今の若い人た
ちは、こういう世界しか知らないから、「これがふつうの世界」と思うかもしれない。

 しかし、ぜったいに、日本は、(ふつうの世界)ではない。異常である。日本人は、「生きる」と
いう意味すら、わからなくなってしまったのではないかとさえ思える。

ワ「あのころ、世界に目を向けていた会社は、伸びたということね」
私「そうだよ。覚えているか、S町に、小さな警報機を作る工場があっただろ。A産業という会社
だ」
ワ「あったわね」
私「あの会社だって、今では、従業員が、300人もいる会社になっているよ」
ワ「あの会社が?」
私「そうだよ」と。

 A産業の社長は、(社長といっても、社長と、従業員数人の会社だったが)、毎週のように私
のところへやってきた。アメリカの警報装置のシステムに関する資料を集めていた。当時は、
まだ日本には、光学システムで作動する警報機はなく、足や手で触れると、音が出る程度のも
のしかなかった。

 が、その社長は、いち早く、光学システムの警報機の開発に乗りだした。で、今に見る会社に
なった。もちろんその会社だけの力だけで、そうなったわけではない。そのあと、日本は、高度
成長期の波に乗り、やがてバブル経済期へと突入していく。

 だから今、外から見るほど、会社経営は楽ではないかもしれない。しかしチャンスはあった。
そしてその多様性というか、モビリィティこそが、日本にバイタリィティを与えていた。

 管理国家には、管理国家のよい点も、たしかにある。しかしその管理が強すぎると、国民は
硬直したものの考え方しかできなくなる。その硬直性が、今度は、足かせとなって、日本の発
展を止めてしまう。今が、そうだ!

 「これでいいのか、日本!」と叫んだところで、このつづきは、またの機会に書きたい。
(はやし浩司 日本の未来 教育観 モビリィティ モビリティ 機動性 日本の活力 官僚国家
 管理国家)





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●信仰と思いこみ

●Y国神社参拝問題

何でまた、この時期に!

 K国問題で、5カ国が、もっとも協力しあわねばならないこのときに!

 ……ということで、今回のY国神社参拝問題。

 J民党のT幹事長が、中国まで行って、大激論(?)をしたらしい。激論の内容は、オフレコに
され、伏せられているようだが、「Y国神社参拝問題に異義を唱えるのは、内政干渉だ」という
ようなところまで言ったらしい。

 そのせいで、昨日(5・23)、中国の副首相が、日本のY首相との会談を、無断でキャンセル
して、帰国してしまった。日本側は、カンカンに怒っているようだが、肝心のT幹事長は、「私の
せいだとは思わない」(NHK昼のニュース)などと、これまたノー天気というか、無責任なことを
言っている。

 しかし、どうして日本人は、こうまで「形」にこだわるのか? 少し脱線するが、こんな話があ
る。

 昔、隠れキリシタンをさがしだすために、日出藩(ひじはん)という藩は、住民たちに、踏み絵
をさせた。よく知られた話である。

 その踏み絵について、こんな話が伝わっている(「日本耶蘇教会年報」)。少しむずかしい文
章なので、あらかじめ、内容を簡単に説明しておく。

 つまり隠れキリシタンであった父親(加賀隼人)に対して、その娘が、こう言ったという。

「お父さん、踏み絵ぐらいのことで、家族もろとも、命を落すなどというのは、バカげているでは
ありませんか。踏み絵を、どうか踏んでください。大切なのは、家族です。家族の命です。(それ
で信仰が消えるわけではありませんから)」と。

 記録には、つぎのようにある。

 「豊前国小倉藩の家臣、加賀山隼人は、キリシタンであったという理由で、処刑されていが、
加賀山隼人の娘が、父親の隼人に、『父上、何も、裁きを受けず、大罪を犯した訳でもなく、た
だ、キリスタンなるが故の死罪、外で執行されるに及ばず。我等にとりても、此の家が一番好
都合でありませぬか』と。

繰りかえすが、娘は、こう言っている。「ただキリスト教徒というだけで、処刑なんて、おかしいで
しょう。私たちにとって、この家の幸福が、一番、大切ではないですか」と。

それに答えて、「ならぬ。かの救世主・耶蘇基督(キリスト)は罪なき身を以って、エルサレムの
城門外に、二人のあさましき兇徒(きょうと)の間に置かれ、公衆の面前で死なんと欲したでは
ないか。我もまた、公衆の面前で汚辱を受けつつ死を熱望するなり」と。

つまり、「あのイエスも、信仰を守るため、公衆の面前で処刑にあっているではないか。私も、
それを熱望する」と。

 この話は、その筋の世界では、「美談」として、もてはやされている。「命がけの信仰」として、
たたえられている。

しかし私は、こういう話に、どうしても、ついていけない。信仰心と、盲目的な忠誠心を、どこか
で混同しているのではないか? ……と書くと、猛烈な反発を買いそうだが、いくら信仰をして
も、自分を見失ってはいけない。命までかけて、信仰をしてはいけない。信仰をしながらも、自
分の心にブレーキをかける。そのブレーキをかける部分が「私」である。

 キリストの立場で考えてみれば、それがわかる。

 彼自身は、公衆の面前で処刑された。しかしキリストは、すべての民の原罪を背負って、処
刑された。決して、「自分の信者に、同じことをせよ」と、見本を見せたわけではない。いつだっ
たか、私は、「キリストも教師ではなかったか?」という文章を書いた。教師という視点で、聖書
や仏典を読むと、キリストや釈迦のそのときの心理がよくわかる。

 で、つまり信仰するにせよ、しないにせよ、それはあくまでも、「心」の問題。踏み絵を踏んだ
からといって、信仰心が崩れるというものでもない。また踏まなかったからといって、信仰心が
深まるというものでもない。

 「形」にこだわることはない。

 Y国神社を参拝したから、愛国心があるということにはならない。Y国神社を参拝しなかった
から、愛国心がないということにもならない。

 大切なことは、中国にせよ、韓国にせよ、日本のY国神社を、戦前のあの植民地主義時代の
象徴としていること。それを理解してやること。

 どうして、日本よ、日本人よ、相手の国の人たちの立場で、ものを考えることができないの
か。日本が、彼らに迷惑をかけたのは事実だし、その事実は、いくら日本がお金(戦後倍賞
金)を出したからといって、消えるものではない。

 何度も言うが、ドイツのシュレーダー首相が、ヒットラーの墓参りをしたら、世界は、何と言う
だろうか。どう思うだろうか。それと同じことをしながら、「これは国内問題だ」「内政干渉だ」と
は!

信仰は、「心の中」でするもの。どこまでも、心の中の問題。踏む、踏まないに、そこまでこだわ
るほうがおかしい。たかが、踏み絵ではないか。

 大切なことは、みんな、仲よく、気持ちよく、暮らすこと。私だったら、仮にキリシタンであった
としても、踏み絵を踏む。そして役人たちの顔を一べつしながら、ニヤリと笑ってやる。

 そういう信仰のし方もある。Y国問題とは、直接関係のない話になってしまったが、今回の騒
動のニュースを聞いているとき、どういうわけか、あの隠れキリシタンの話を、私は頭の中で、
思い浮かべてしまった。

 話をもどして、一言。

 みなさん、もう少し、まともな政治家を、選ぼう。それだけのこと。政治家が悪いのではない。
そういう政治家を選ぶ、私たちが、悪いのだ。
(はやし浩司 隠れキリシタン 加賀山隼人の娘 踏み絵 日出藩(ひじはん))

(補足)

 オーストラリアの大学にいたころ、カレッジには、毎週のように、世界各国の要人や政治化た
ちが、晩餐会にやってきた。

 その中には、もちろん日本の政治家もいた。しかし日本の政治家の中で、晩餐会のあと、英
語でスピーチをして帰っていった政治家は、ひとりもいなかった。何を聞かれても、さも私は何
でも知ってますというような顔をして、ニヤニヤと笑っているだけ。

 それから35年。日本の政治家たちも進化したのだろうか。それとも、当時のままなのだろう
か。

 私が見たところ、T幹事長などは、当時の、典型的な日本の政治家そのものといった感じが
する。みなさんは、あのT幹事長に、どんな印象をもっているだろうか。


●信仰と思いこみ

 ほとんどの信仰は、思いこみから始まる。自分で、「そうだ」と思いこむ。そこから信仰は、始
まる。一番、印象に残っている事件に、こんなことがあった。

 ある夏の暑い日だった。見ると、その女の子(小6)の首に、よごれた太いヒモが見えた。そ
れが少し肩の方に、はみ出していた。

 で、私はそのヒモを指先でつかんで、「これ、何?」と言ってしまった。とたん、その女の子は、
ものすごい声、……動物がギャーと叫ぶような声を張りあげて、こう言った。「さわらないで!」
「汚(けが)れる!」と。

 そのヒモの先には、何かのお守りがぶらさがっていた。私は、そのあまりにもすごい声に、驚
いた。私は、ただただひたすら、頭をさげて、謝るしかなかった。

 その子どもにしてみれば、そのお守りは、自分の命より大切なものということになる。絶対、
他人には、さわらせてはいけないもの……らしい。多分、彼女の親たちが属する宗教団体で
は、そう教えているのだろう。

 こういうケースでも、決して、その人や子どもの宗教を批判してはいけない。人は、それぞれ
の思いの中で、宗教に身を寄せる。それぞれの人には、言うに言われぬ、事情というものがあ
る。

 いくら「おかしい」と思っても、そっとしておいてやることこそ、大切。重要。その人が、それで
ハッピーなら、それはそれでよいこと。

(思いこみ)でも何でも、よいということになるが、しかし(思いこみ)は、(思いこみ)。自分で、そ
う思いこんでいるだけ。あるいは、だれかに、そう思いこまされているだけ。たかがお守りでは
ないか。

 しかし、当の本人には、それがわからない。つまりどんな信仰にも、程度の差はあるが、こう
した(思いこみ)が、ついて回る。「これはキリストの○○だ」「これは釈迦の○○だ」と。昔か
ら、『イワシの頭も信心から』という。イワシの頭でも、思いこんでしまえば、それなりに信心の
対象になることをいった。

 つまりそこへ、思いこみを集中させることで、心の安定をはかろうとする。「私は絶対的に守ら
れている」「私は絶対的な真理の中にいる」「私は絶対に正しい」と。自ら思いこむことで、絶対
的な安心感を覚えようとする。

 それは、心を溶かすほど、甘美な世界でもある。多くの信仰者たちは、その世界に、酔いし
れる。

 が、『イワシの頭』では、いくらなんでも、それを心のよりどころとすることはできない。そこで、
ある程度のお膳立てが必要となる。本尊でも、教義でも、何でもよい。それを信仰の中心にす
える。それを宗教の世界では、「権威づけ」という。

 この権威づけがあってはじめて、人は、そこに自分の心を寄せることができる。

 で、あとは、その時点から、一方的な思想の注入が始まる。信者自身は、自ら考えることを
放棄することによって、まず頭の中を、からっぽにする。からっぽにした上で、新しい思想を注
入してもらう

 方法は、いくらでもある。

 たとえば何時間も、同じ文句を唱えさせたりする、など。ふつうの人でも、同じ言葉を30分も
繰りかえしていると、いわゆるラポールと呼ばれる状態になる。甘い陶酔感を覚える状態にな
る。大脳生理学の世界では、脳の中の辺縁系と呼ばれる組織の中で、エンドロフィンやエンケ
ファリン系の麻薬様の物質が放出されるためと説明している。

 このラポール状態(=思考力ゼロの甘美な世界)に入ると、人は、たいへん暗示にかかりや
すくなる。指導者に、「○○教導様は、釈迦の生まれ変わりだ」と言われたりすると、そのまま、
それを信じてしまう。

 あとはお決まりの妄信……。

 そこで大切なことは、いつも、自分で考えるクセを身につけておくこと。おかしいものは、「お
かしい」と思う。たったそれだけのことでよい。でないと、死んでミイラになった人を、「生きてい
る」と思いこんでしまったり、指導者の髪の毛を煎じて飲むと、超能力が授かると思いこんでし
まったりする。

 足の裏を見ただけで、すべての病気がわかると教えていた教団も、少し前まで、あった。「お
守りにさわったら、汚れる!」と叫んだ、女の子も、その延長線上にいる。

 常識で考えれば、バカげているが、妄信の世界に一度入ってしまうと、それがわからなくなっ
てしまう。いくら信仰をしても、人間が本来的にもつ、常識まで、曇らせてしまってはいけない。




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●人格の崩壊

 人格は、一度、崩壊すると、そのあと、再生するということは、ありえない。それは健康に似て
いる。

 一度、腎不全や、心筋梗塞、肝硬変になると、そのあと、自然治癒(ちゆ)するということは、
ありえない。手術でもすれば、話は別だが、脳ミソは、手術するわけには、いかない。

 私は、このことを、一匹の犬を飼っていて、知った。

 去年、その犬は、死んだが、死ぬまで、私たち家族に心を開くことはなかった。かわいそうな
生い立ちの犬だった。保健所で、処分される寸前の犬を、もらってきた。育てた。つまりその時
点で、育児拒否、冷淡、無視、家庭崩壊など、その犬は、ありとあらゆる不幸を経験している。

 その犬の、ズルさというか、忠誠心のなさには、本当に手を焼いた。人間でいえば、大ウソつ
き。誠実さの一カケラもない。そんな犬だった。

 が、人間の前では、おとなしそうな顔をして、しおらしくしている。だれにでも、シッポをふる。コ
ビを売る。もちろん番犬にはならない。ほんの少しでもスキがあれば、すぐ外へ逃げ出してしま
う。

 追いかけて、外に出ると、私の顔を見て、また逃げ出す。一度は、500メートルほど離れた
家に保護された。連絡を受けて迎えにいくと、喜ぶどころか、私を避けるしまつ。飼い主である
自分が、ほとほと、なさけなくなった。

 15年近く飼っていたが、そんなわけで、私との心の交流は、ゼロ。一方的に、私たち人間の
ほうが、その犬の世話をするだけという関係になってしまった。

 つまり、その犬の人格は、(「犬格」と書くべきか?)、すでにその犬が、乳児期に崩壊してい
たことになる。「核」となる、柱そのものがない。不幸な犬だったが、その不幸さに気づくこともな
いまま、死んでしまった。

 で、実は、こうした人格の崩壊というのは、人間についても、経験する。

 平気でウソをつく。ウソをついたという意識すらない。その場をごまかす。とぼける。自分勝手
でわがまま。人をだますのは、平気。日常茶飯事。まさに、ウソのかたまり。だれかが同情して
くれると、そのときは、しおらしい顔をして、「ありがとう」とは言う。が、心の中では、シメシメと笑
う。喜ぶ。

 このタイプの人がかわいそうだなと思うのは、自分がそうであるからといって、他人も、そうで
あると思うところにある。万事について、猜疑心(さいぎしん)がつよく、嫉妬深い。

 他人に親切にして見せたり、やさしくして見せたりするのは、自分をそれだけよい人間に見せ
るため。つまりは演技。心理学的には、自己愛者。愛他的自己愛者。

 私もこのタイプの人と、何人か、つきあったことがある。中には、半世紀近く、つきあった人も
いる。が、結論から先にいうと、「変わらない」。

 本人が、よほど自分に自覚して、そういう自分を正そうとしないかぎり、「変わらない」。ふつう
は、そういう自覚もないから、「変わらない」。仮に自覚したとしても、その先は、イバラの道。

 実のところ、私自身が、その犬のようであった。(……と思う。)それについては、もう何度も書
いてきたので、ここではその先を書く。

 そういう自分に気づいたとき、私は、最初、父や母をうらんだ。生まれ育った、環境をうらん
だ。しかしそれも一巡すると、結局は、それは、私自身の問題であることに気づいた。

 幸いにも、私のワイフは、石頭と言うにふさわしいほど、誠実な女性である。人を疑うこともを
知らない。嫉妬心など、みじんもない。

 そういうワイフを見て、私は、「こいつは、アホだ」と思ったことも、何度かある。こんなことがあ
った。

 結婚したころのこと。1万円をもって、銀行へ預けに行った。今とちがって、当時は、窓口の
行員が、何かの機械を使って、数字を通帳に打ちこんでいた。見ると、1万円が、10万円にな
っていた。行員のミスである。

 瞬間、私は、「シメタ!」と思った、が、つぎの瞬間、ワイフは、パッと振りかえって、「あのう、
まちがっています……」と。

 そのあと、私とワイフは、けんかになった。「ああいうときは、だまっていろ」「どうして」と。私
は、そういう人間だった。ワイフは、そういう人間だった。

 つまり私は、いつもワイフと自分を対比することで、自分を知ることができた。そしてそれまで
の自分が、本来の自分でないことに、気がつき始めた。が、すぐに、私から、小ズルさが消え
たわけではない。今から思うと、10年単位の努力と時間が、必要だった。

 で、今回、やや頭のボケた兄を観察してみて、気づいたことがある。

 その兄が、去年死んだ、あの犬、そっくりなのである。約束などというものは、まったく意味が
ない。しても、5分ももたない。1分ももたない。まだらボケというか、部分的には、頭のよいとこ
ろがあって、つぎつぎと私たち夫婦を、ごまかす。だます。それを追及すると、今度は、とぼけ
る。泣きべそをかく。言い訳をして、ウソをつく。「ぼくは、タワケ(=バカ)だから……」と、自分
から言うときもある。

 たとえばワイフが、買い物に行くとき、留守番を頼んだりする。すると、調子よく、「OK!」など
と言ったりする。そこで念のため、ワイフは、台所へ入るドアにかぎをかける。「台所へは、入ら
ないでね」と念を押すと、また「OK!」と。

 しかしワイフが帰ってきてみると、台所が荒されている。ワインの入ったビンも、何本か、なく
なっている。

 兄は、窓から窓へと、侵入したらしい。そこで「ワインは、どこにあるか知らないか?」と聞く
と、「覚えていない」「知らない」「だれか、来た」と、おかしなことを言い出す。そこでしかたない
ので、兄の部屋の中をさがそうとすると、いっしょにさがすフリをしたかと思うと、突然、台の上
の、ステレオセットを、手ではたいて、下へ落としてしまう。

 「手が、すべった!」と。

 つまし兄は、そういう形で、ワインから、私たちの関心をはぐらかそうとした。しかし数千円の
ワインで、数万円のステレオセットが、こわされたのではたまらない。以後、同じようなことがあ
っても、私たちは、無視することにした。

私「クッキー(死んだ犬の名)と同じだね」
ワ「そうね。そう思えばいいのよ」と。

 人格が崩壊すると、人間は、人間でなくなってしまう。動物以下というか、動物でもしないよう
なことまでするようになる。

 さらに一言。

 一度、そういう関係になると、保護、依存の関係が、固定化してしまう。私たちは、徹底的に、
兄を保護しなければならない。一方、兄は、徹底的に、私たちに依存するようになる。また依存
して、当たり前というふうに考える。

 死んだ犬もそうだった。エサの時間になると、ガラス戸の向こうで、ジーッと待っている。いつ
までも待っている。「ほしい」とも言わない。

 で、エサを出してやると、ときどき、もう一匹の犬に、横取りされてしまう。すると、大げさに、
キャーンキャーンと泣く。その声が、私たちに「何とかしてくれ」「何とかしてくれ」と言っているよ
うに、聞こえる。……聞こえた。

 人格の「格」は、「核」にも通ずる。その「核」をつくるのは、幼児期まで。一度、その時期まで
に「核づくり」に失敗すると、そのあと、人格の形成そのものができなくなる。子育てをするとき
は、じゅうぶん、注意されたい。
(はやし浩司 人格 人格論 子供の人格 子どもの人格 人格の崩壊 崩壊)

 




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●先生との信頼関係

●掲示板投稿より

こんな書き込みがありました。少し考えてみます。

+++++++++++++++++++++++++++++

小学1年生の長女のクラスでは、毎日ひらがなの練習の宿題があります。プリント1枚なので、
宿題の量はたいしたものではないと思うのですが、長女が自信を持って書いた字でも、赤ペン
で修正され、書き直すように言われているようです。

はじめははりきって宿題をしていたのですが、最近では「直されるから・・・」と言って、なかなか
宿題をはじめようとしません。今はまだ、書くことが楽しめればいいのでは?と私は思うのです
が・・・。先生に伝えた方がいいのか、伝えずに従っていた方がいいのか迷っています。

+++++++++++++++++++++++++++++

【Yさんへ……】

 これから先、こうしたドラマは、無数に、それこそ怒涛(どとう)のように襲ってきますよ。まだま
だ序の口!

 先生の指導は、先生に任せて、その範囲で、つまりあなたは親としてではなく、友として、子ど
ものそばに立って、子どもの問題を考えればよいと思います。

 どうでしょう、こういう言い方をしてみたら……。

「先生は、あなたにじょうずな字を書いてほしいと思って、なおしてくれるのよ。だから、お母さん
も、いっしょに教えてあげるから、先生がびっくりするような字をかいてみようね」と。

 この段階で、「文字はよめればいい」と子どもに教えるのは、タブーです。(親が、そう思うの
は、親の勝手ですが、子どもの前で、先生の批判は、タブーです、とくに指導法についての批
判は、タブーです。子どもが先生の指示に従わなくなります。と、同時に、親と教師の信頼関係
が破壊されます。あなたが子どもに言ったことは、100%、ほぼまちがいなく、先生に伝わりま
す。そうなったき、先生は、あなたとの信頼関係を、切ってしまいます。

教育には、信頼関係が必要です。教師と父母の信頼関係です。それがないと、教育そのもの
が、なりたたなくなります。

 また、そういう先生の指導でよいと考えている親も、多いかもしれません。「こまかい指導をし
てくれる先生ほど、ていねいで、熱心な先生」と、です。が、一方で、あなたのお子さんのよう
に、どこかでキズついてしまう子どももいるかもしれません。

 大切なことは、そうした指導に対して、アクティブに、つまり攻撃的に、先生に意見を伝えるこ
とではなく、これから先、そういうトラブルが起きたら、そのつど、どのようにして解決するか、そ
のプロセスを、こちら側で、つくっておくということです。プロセスというのは、子ども自身が、ど
のように、心の中で処理していくかという、その解決法の手順です。

 でないと、あなた自身も、そのつど、いろいろな問題に振りまわさることになってしまいます。
またこの程度のことで、(失礼!)、子どもがキズつくことを恐れてはいけません。これから先、
冒頭にも書いたように、こうした問題は、つぎからつぎへと起きてきます。そして、ここが重要で
すが、そのつど、子どもは、たくましくなっていきます。
  
 私が勧める方法は、まず、あなたの仲のよい友だちに相談してみることです。同じクラスの母
親なら、なおよいでしょう。(ただし、おだやかに!)

 「あなたのところは、どう?」「うちの子、このところ、漢字を書くのをいやがるので、困っていま
す。何か、いい方法ない?」と。たいていこの段階で、「うちも、そうなの」というアドバイスをもら
って解決します。

 (ついでながら、書き取りの作業は、もともとめんどうなもの。いやがって当然、です。ふつう
の子どもなら、いやがりますよ。あなたなら、やりますか?)

 つぎに大切なことは、たしかにやる気をなくしているかもしれませんが、であるならなおさら、
あなたは子どもの横にいて、先生からほめられるような字を教えてあげればよいと思います。
子どもを励まし、子どもと山をいっしょに乗り越えるのは、あなたです。何か問題が起きたら、
排除しようと考えるのではなく、乗り越えるのです。(……というほど、大げさな問題ではありま
せんが……。)

 子どもが先生の批判をしたり、悪口を言ったときも、一応、子どもの前では、それをたしなめ
ます。繰りかえしますが、教育には、信頼関係が必要です。それがあれば、教育は可能です
が、それがないと、教育は、崩壊します。

 どうか、お気をつけください。
(はやし浩司 書き取りをいやがる 嫌がる子ども 勉強 勉強を嫌がる子ども 子供 子供の
勉強 学習指導 はやし浩司)





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●自己の同一性

●「私」

 私が「私」であるためには、

(1)自分のしたいことと、していることが一致していること。
(2)いつも、自分が一定し、どんなばあいにも、一貫していること。
(3)他者と、いつも良好な人間関係を結んでいること。

 ……と、少し前に書いた。この3点をなしとげたとき、私は、「私」となる。力強く、前に向って
進むことができる。そうでないときは、その「私」は、ぐらつき、不安定になる。自信をなくし、キ
ズつきやすくなり、ばあいによっては、自己嫌悪から自己否定へと進む。

 そこで自分に問いかけてみる。

(1)私は自分のしたいことを、しているか。
(2)私は、いつも一貫性をもっているか。
(3)私は、他者と、いつも良好な人間関係を築いているか。

 したいことをするというのは、つまりは(生きがい)の問題と重なる。一貫性は、(信念)の問
題、そして良好な人間関係とは、(社会性)の問題ということになる。

 で、私は、これからの(生きがい)について、考えてみたい。

 しかし(生きがい)というのは、向こうからやってくるものではない。自分で、作りだすものであ
る。(「創りだすもの」と書いたほうがよいかもしれない。)が、それには、10年単位の長い時間
がかかる。何かに向って懸命にがんばっていたら、それが(生きがい)になっていたということ
は、よくある。

 で、私のばあい、その(生きがい)とは何か。

 今は、とにかく、マガジンを1000号まで出すこと。あとのことは、あまり考えていない。で、そ
れが(生きがい)になるかどうかは、本当のところ、私にもわからない。何かしらムダなことをし
ているような気分にもなることも多い。あるいは、ひょっとしたら、その先に、何かがあるのかも
しれない。(多分、何も、ないだろう……。もうすぐ600号になるが、何もなかった……! 今、
ここでマガジンをやめてしまっても、何も、変化は起きないだろう。)

 大切なことは、期待しないこと。今すべきことをすればよい。結果はあとからついてくる。……
とまあ、自分で、そう慰めながら、原稿を書いている。

 つぎの一貫性だが、もともと私は優柔不断な性格。いいかげん。チャランポラン。主義主張な
ど、あってないようなもの。だからこれからは、心して、一貫性をもつようにしたい。

 最後の(良好な人間関係)だが、これについては、努力するしかない。が、ウソや仮面では疲
れる。そこでありのままの自分で生きるということになる。

 が、その前提として、(ありのままの自分をさらけ出しても、他人を不愉快にしない自分)でな
ければならない。

 そこで登場するのが、私の持論。『一事が万事論』。身のまわりの、ほんのささいなことから、
始める。約束を守る、ルールを守る、など。それが積み重なって、その人は、善人になる。

 そこで私は、最後に自分に問いかけてみる。私は「私」か、と。

 結論を言えば、かろうじてだが、私は「私」のような気がする。多分? 自信はないが……。こ
の問題は、おそらく死ぬまでつづくだろうと思う。
(はやし浩司 自我同一性 一貫性 良好な人間関係)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司

【子どもを、まっすぐ伸ばす】

●同一性の危機

万引き、自転車盗、薬物濫用、暴走、家庭内暴力、校内暴力、性非行、無断外泊、いじめを、
非行という(会津若松警察書)。子どもは、(自分のしたいこと)と、(現実にしていること)の間に
遊離感を覚えたとき、無意識のうちにも、その距離を、縮めようとする。子どもの耐性にもよる
が、それが一定の限界(個人差は当然ある)を超えたとき、子どもの自我の同一性は、危機に
立たされる。


●夢・希望・目的

夢・希望・目的は、子どもを伸ばす、三種の神器。これら夢・希望・目的は、(自分のしたいこ
と)と、(現実にしていること)が一致しているとき、あるいは、そこに一体感があるとき、そこか
ら生まれる。「ぼくはサッカー選手になる」「私はケーキ屋さんになる」と。そしてサッカーの練習
をしたり、ケーキを自分で焼いてみたりする。「プロの選手になる」とか、「パン屋さんになる」と
かいう目的は、そこから生まれる。


●子どもの忍耐力

同一性が危機に立たされると、子どもは、それを修復しようとする。(自分のしたいこと)を、別
のものに置きかえたり、(現実にしていること)を、修正しようとしたりする。あるいは「したくない
が、がんばってやってみよう」と考えたりする。ここで登場するのが、忍耐力ということになる。
子どもにとって、忍耐力とは、(いやなことをする力)をいう。この忍耐力は、幼児期までに、ほ
ぼ完成される。


●同一性の崩壊

同一性を支えきれなくなると、そこで同一性の崩壊が始まる。子ども自身、自分が何をしたい
か、わからなくなってしまう。また何をしてよいのか、わからなくなってしまう。「私は何だ」「私は
だれだ」と。「私はどこへ行けばよいのか」「何をすればよいのか」と。それは「混乱」というよう
な、なまやさしいものではない。まさに「自己の崩壊」とも言うべきもの。当然、子どもは、目的
を見失う。


●顔のない自分

同一性が崩壊すると、いわゆる(顔のない自分)になる。で、このとき、子どもは、大きく分け
て、二つの道へと進む。(1)自分の顔をつくるため、攻撃的かつ暴力的になる(攻撃型)。(2)
顔のない自分のまま、引きこもったり、カラに閉じこもったりする(逃避型)。ほかに、同情型、
依存型、服従型をとる子どももいる。顔のない自分は、最悪のケースでは、そのまま自己否定
(=自殺)へとつながってしまう。


●校内暴力

暴力的な子どもに向かって、「そんなことをすれば、君がみなに嫌われるだけだよ」と諭(さと)
しても、意味はない。その子どもは、みなに嫌われ、怖れられることで、(自分の顔)をつくろうと
する。(顔のない自分)よりは、(顔のある自分)を選ぶ、。だからみなが、恐れれば、怖れるほ
ど、その子どもにとっては、居心地のよい世界となる。攻撃型の子どもの心理的のメカニズム
は、こうして説明される。


●子どもの自殺

おとなは、生きるのがいやになって、その結果として、自殺を選ぶ。しかし子どものばあいは、
(顔のない自分)に耐えきれず、自殺を選ぶ。自殺することによって、(自分の顔)を主張する。
近年ふえているリストカットも、同じように説明できる。リストカットすることで、自分を主張し、他
人からの注目(同情、あわれみなど)を得ようとする。「贖罪(しょくざい)のために、リストカット
する」と説く学者もいる(稲富正治氏ほか)。


●自虐的攻撃性

攻撃型といっても、2つのタイプがある。外に向って攻撃的になる(校内暴力)と、内に向って攻
撃的になる(ガリ勉、猛練習)タイプ。「勉強しかしない」「勉強しかできない」「朝から寝るまで勉
強」というタイプは、後者ということになる。決して、勉強を楽しんでいるのではない。「勉強」とい
う場で、(自分の顔)をつくろうとしていると考えるとわかりやすい。近年、有名になったスポーツ
選手の中には、このタイプの人は少なくない。


●自我の同一性
 
(子どもがしたがっている)ことに、静かに耳を傾ける。そしてそれができるように、子どもの環
境を整えていく。そうすることで、子どもは、(自分のしたいこと)と、(自分がしていること)を一
致させることができる。これを「自我の同一性」という。この両者が一致している子どもは、夢や
希望もあり、当然、目的もあるから、見た目にも、落ちついていて、どっしりとしている。抵抗力
もあるから、誘惑にも強い。


●心の抵抗力

「私は〜〜をしたい」「ぼくは〜〜する」と、目的と方向性をしっかりともっている子どもは、心の
抵抗力も強い。外部からの誘惑があっても、それをはねのける。小学校の高学年から中学校
にかけては、その誘惑が、激増する。そうした誘惑をはね返していく。が、同一性が崩壊してい
る子どもは、生きザマが、せつな的、享楽的になるため、悪からの誘いがあると、スーッとその
世界に入ってしまう。


●夢や希望を育てる

たとえば子どもが、「花屋さんになりたい」と言ったとする。そのとき重要なことは、親は、それ
に答えて、「そうね、花屋さんはすてきね」「明日、球根を買ってきて、育ててみましょうか」「お花
の図鑑を買ってきましょうか」と、子どもの夢や希望を、育ててやること。が、たいていの親は、
この段階で、子どもの夢や希望を、つぶしてしまう。そしてこう言う。「花屋さんも、いいけど、ち
ゃんと漢字も覚えてね」と。


●子どもを伸ばす三種の神器

子どもを伸ばす、三種の神器が、夢、目的、希望。しかし今、夢のない子どもがふえた。中学
生だと、ほとんどが、夢をもっていない。また「明日は、きっといいことがある」と思って、一日を
終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、全国の小学生3
226人を対象に、04年度調査)。子どもの夢を大切に、それを伸ばすのは、親の義務と、心
得る。


●役割混乱

子どもは、成長するにつれて、心の充実をはかる。これを内面化というが、そのとき同時に、
「自分らしさ」を形成していく。「花屋さんになりたい」と言った子どもは、いつの間にか、自分の
周囲に、それらしさを作っていく。これを「役割形成」という。子どもを伸ばすコツは、その役割
形成を、じょうずに育てていく。それを破壊すると、子どもは、「役割混乱」を起こし、精神的に
も、情緒的にも、たいへん不安定になり、混乱する。


●思考プロセス(回路)

しかし重要なのは、「思考プロセス」。幼いときは、「花屋さんになりたい」と思ってがんばってい
た子どもが、年齢とともに、今度は、「看護婦さんになりたい」と言うかもしれない。しかし幼いと
きに、花屋さんになりたいと思ってがんばっていた道筋、あるいは思考プロセスは、そのまま残
る。その道筋に、花屋さんにかわって、今度は、看護婦が、そこへ入る。中身はかわるかもし
れないが、今度は、子どもは、看護婦さんになるために、がんばり始める。


●進学校と受験勉強

たいへんよく誤解されるが、「いい高校」「いい大学」へ入ることは、一昔前までは、目的になり
えたが、今は、そういう時代ではない。学歴の権威を支える、権威主義社会そのものが崩壊し
てしまった。親は、旧態依然の考え方で、「いい大学へ入ることが目的」と考えやすいが、子ど
もにとっては、それは、ここでいう目的ではない。「受験が近いから、(好きな)サッカーをやめ
て、受験塾へ行きなさい」と子どもを追うことで、親は子どもの夢をつぶす。「つぶしている」とい
う意識すらないまま……。


●これからはプロの時代

これからはプロが生き残る時代。オールマイティなジェネラリストより、一芸にひいでたプロの
ほうが、尊重される。大手のT自動車の面接試験でも、学歴不問。そのかわり、「君は何ができ
るか?」と聞かれる時代になってきている。大切なことは、子どもが、生き生きと、自分の人生
を歩んでいくこと。そのためにも、子どもの一芸を大切にする。「これだけは、だれにも負けな
い」というものを、子どもの中につくる。それが将来、子どもを伸ばす。


●大学生の問題

現在、ほとんどの高校生は、入れる大学の入れる学部という視点で、大学や学部を選んでい
る。もともと、勉強する目的すらもっていない。そのため、入学すると同時に、無気力になってし
まったり、遊びに夢中になってしまう大学生が多い。燃え尽きてしまったり、荷おろし症候群と
いって、いわゆる心が宙ぶらりんになってしまう子どもも多い。当然、誘惑にも弱くなる。


●自我の同一性と役割形成

子どもをまっすぐ伸ばすためには、(子どもがしたがっていること)を、(現在していること)に一
致させていく。そしてそれを励まし、伸ばす。親の価値観だけで、「それはつまらない仕事」「そ
んなことは意味がない」などと、言ってはいけない。繰りかえすが、子どもが、「お花屋さんにな
りたい」と言ったら、すかさず、「それはすてきね」と言ってあげる。こういう育児姿勢が、子ども
を、まっすぐ伸ばす基礎をつくる。

(はやし浩司 子どもを伸ばす 子供を伸ばす 自我の同一性 役割形成 思考プロセス 子
供の非行 子どもの非行 はやし浩司 子供を非行から守る 非行のメカニズム)





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●置き換え

 子どもがグズるとき、言葉の内容そのものに、まどわされてはいけない。子どもがグズるとき
は、その向こうに何があるか、それを知る。

 もう少し、わかりやすく説明しよう。

 日本にも昔から、『八つ当たり』という言葉がある。何かのことで、ムシャクシャすると、別のこ
とに怒りを向けて、そこで爆発させる。これを、「置き換え」という。

 子どもは、いつも、つまりほぼ日常的に、その「置き換え」をする。友だちに、何か不愉快なこ
とをされたりすると、家に帰ってから、母親にグズってみたりするなど。おとなのばあいは、原因
となる(怒り)を知っていて、置き換えをすることが多い。が、子どもには、それがわからない。
わからないまま、ああでもない、こうでもないと、グズる。

 こんなことがあった。

 ある女の子(年長児)は、毎週、水曜日の朝になると、機嫌が悪くなる。グズる。幼稚園へ出
かけるときから、「今日は、足が痛い」「今日は、気持ち悪い」と。そのつど、あれこれと理由を
並べる。

 最初、母親は、幼稚園に何か原因があると思った。しかし水曜日だからといって、とくに変わ
ったことをするわけではない。が、ある日、理由がわかった。

 幼稚園へ出かけるとき、母親が、「今日は、ピアノ教室があるからね。忘れないでね」と言っ
た。が、そのとたん、その女の子が、狂乱状態になってしまったという。そしてギャーと泣き叫び
ながら、手当たり次第に、そこらにあるものを、母親に向って、投げつけたという。

 その女の子は、心のどこかで、ピアノ教室を気にしていたということになる。「レッスンがいや
だ」という思いが、グズるという行為に置き換わっていた。

ほかにも、「A君がいじめる」「B先生が、ぼくをのけものにする」と、訴えるケースもある。で、調
べてみると、「学校へ行きたくない」という思いが、別にあることがわかった。つまり「学校へ行
きたくない」という思いが、友だちや先生の悪口を言うという行為に、置き換わったことになる。

 もっとも心理学の世界では、ふつう置き換わりというときは、「怒り」をいう。本来、Aさんに向
けるべき怒りを、Bさんに向けるなど。よくあるケースは、会社でおもしろくないことがあった夫
が、妻に対して、怒りをぶつけるなど。

 八つ当たりされる妻こそ、えらい、迷惑というものだが……。
(はやし浩司 置き換え 置き換わり 置換 グズる子供 ぐずる 子ども 子供 子どもの心
理)






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●妄想(パラノイア)

 ある母親(Aさん)が、別の母親(Xさん)のことで、今、たいへん悩んでいる。Aさんが何をして
も、Xさんが、あれこれ苦情を言ってくるという。Aさんは、こう言う。

 「私は、まったくXさんのことなど、考えていません。しかしやることなすこと、私がすることは、
Xさんに対する、意地悪だと、Xさんは、言うのです。こんなことがありました。

 今度、クラス対抗のバトミントン大会をすることになりました。それについて、私が責任者にな
っているものですから、練習時間を、○曜日の○時からと決めたとします。

 するとXさんから電話がかかってきて、『わざと、私が参加できない時間に設定した』とか、言
ってくるのです。『練習には、おいでになれる方だけで、いいです』と、連絡帳には書いておいた
のですが……。
 
 さらにユニフォームについても、短パンで統一することになったのですが、それについても、X
さんは、『私が短パンをはかないことを知っていて、そうした』と苦情を言ってきます。

 Xさんからの電話が入ると、心臓がドキドキし、手が震えてしまいます」と。

 パラノイア(妄想)にもいろいろある。Xさんは、何でも自分に関係づけてしまうという点で、「敏
感妄想」ということになる。「敏感関係妄想」ともいう。言うことが、一応まともなため、かえって、
どう対処したらよいのか、わからなくなる。そのため、本人は、それでよいとしても、その周囲の
人が、とことん神経をすり減らす。

 中年期から発症しやすくなるというが、子どもでも、ときどき、そうなるときがある。「B君が、
ぼくをいじめた」と、ある子どもが言ったとする。そこで調べてみると、B君には、その意識がな
い。いじめたという覚えもない。

 ただその子どもが教室へ入ったとき、B君は、マンガか何かを読んでいて、その子どもを無
視したような感じになったらしい。それを「いじめ」と、その子どもは、誤解した。

 このパラノイアがからんでくると、人間関係も、わけのわからないものになる。ある日突然、
「お前が、石を投げたので、窓ガラスが割れた」と、隣人に怒鳴りこまれた人がいた。多分、車
か何かが、タイヤで石をはねあげたのだろうが、その隣人は、そう言ったという。

 さらに「私の家は、いつも監視されている」「盗聴器がしかけられている」と訴える人もいる。

 こうした妄想性を感じたら、その妄想性そのものよりも、その人を包む環境を改善する。何か
のストレスが、遠因になっていることが多い。そのストレスが姿を変えて、妄想を引き起こす。
「学校へ行きたくない」という思いが、妄想を生み、「ぼくは、B君にいじめられている」となる。

 妄想性だけをみて、その妄想と戦っても意味がない。その相手に向って、「あなたはパラノイ
アよ」と言えば、その結果は、どうなるか? 火を見るより、明らかである。一応、相手の言い
分を聞きながら、その周囲の環境がどうであるかを知る。
(はやし浩司 妄想 パラノイア 敏感妄想 敏感関係妄想 妄想観念)





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●悪玉親意識

親像を考える法

親が子育てできなくなるとき 

●親像のない親たち

 「娘を抱いていても、どの程度抱けばいいのか、不安でならない」と訴えた父親がいた。「子ど
もがそこにいても、どうやってかわいがればいいのか、それがわからない」と訴えた父親もい
た。あるいは子どもにまったく無関心な母親や、子どもを育てようという気力そのものがない母
親すらいた。

また二歳の孫に、ものを投げつけた祖父もいた。このタイプの人は、不幸にして不幸な家庭を
経験し、「子育て」というものがどういうものかわかっていない。つまりいわゆる「親像」のない人
とみる。

●チンパンジーのアイ

 ところで愛知県の犬山市にある京都大学霊長類研究所には、アイという名前のたいへん頭
のよいチンパンジーがいる。人間と会話もできるという。

もっとも会話といっても、スイッチを押しながら、会話をするわけだが、そのチンパンジーが九
八年の夏、一度妊娠したことがある。が、そのとき研究員の人が心配したのは、妊娠のことで
はない。「はたしてアイに、子育てができるかどうか」(新聞報道)だった。

人工飼育された動物は、ふつう自分では子育てができない。チンパンジーのような、頭のよい
動物はなおさらで、中には自分の子どもを見て、逃げ回るのもいるという。いわんや、人間を
や。

●子育ては学習によってできる

 子育ては、本能ではなく、学習によってできるようになる。つまり「育てられた」という体験があ
ってはじめて、自分でも子育てができるようになる。

しかしその「体験」が、何らかの理由で十分でないと、ここでいう「親像のない親」になる危険性
がある。……と言っても、今、これ以上のことを書くのは、この日本ではタブー。いろいろな団
体から、猛烈な抗議が殺到する。

先日もある新聞で、「離婚家庭の子どもは離婚率が高い」というような記事を書いただけでそ
の翌日、一〇本以上の電話が届いた。

「離婚についての偏見を助長する」「離婚家庭の子どもがかわいそう」「離婚家庭の子どもは幸
せな結婚はできないのか」など。

「離婚家庭を差別する発言で許せない」というのもあった。私は何も離婚が悪いとか、離婚家
庭の子どもが不幸になると書いたのではない。離婚が離婚として問題になるのは、それにとも
なう家庭騒動である。この家庭騒動が子どもに深刻な影響を与える。そのことを主に書いた。
たいへんデリケートな問題であることは認めるが、しかし事実は事実として、冷静に見なければ
ならない。

●原因に気づくだけでよい

 これらの問題は、自分の中に潜む「原因」に気づくだけでも、その半分以上は解決したとみる
からである。つまり「私にはそういう問題がある」と気づくだけでも、問題の半分は解決したとみ
る。

それに人間は、チンパンジーとも違う。たとえ自分の家庭が不完全であっても、隣や親類の家
族を見ながら、自分の中に「親像」をつくることもできる。ある人は早くに父親をなくしたが、叔
父を自分の父親にみたてて、父親像を自分の中につくった。また別の人は、ある作家に傾倒し
て、その作家の作品を通して、やはり自分の父親像をつくった。

●幸福な家庭を築くために

 ……と書いたところで、この問題を、子どもの側から考えてみよう。するとこうなる。もしあなた
が、あなたの子どもに将来、心豊かで温かい家庭を築いてほしいと願っているなら、あなたは
今、あなたの子どもに、そういう家庭がどういうものであるかを、見せておかねばならない。い
や、見せるだけではたりない。しっかりと体にしみこませておく。

そういう体験があってはじめて、あなたの子どもは、自分が親になったとき、自然な子育てがで
きるようになる。と言っても、これは口で言うほど、簡単なことではない。頭の中ではわかってい
ても、なかなかできない。だからこれはあくまでも、子育てをする上での、一つの努力目標と考
えてほしい。

(付記)

●なぜアイは子育てができるか

 一般論として、人工飼育された動物は、自分では子育てができない。子育ての「情報」そのも
のが脳にインプットされていないからである。このことは本文の中に書いたが、そのアイが再び
妊娠し、無事出産。そして今、子育てをしているという(二〇〇一年春)。

これについて、つまりアイが子育てができる理由について、アイは妊娠したときから、ビデオを
見せられたり、ぬいぐるみのチンパンジーを与えられたりして、子育ての練習をしたからだと説
明されている(報道)。しかしどうもそうではないようだ。アイは確かに人工飼育されたチンパン
ジーだが、人工飼育といっても、アイは人間によって、まさに人間の子どもとして育てられてい
る。

アイは人工飼育というワクを超えて、子育ての情報をじゅうぶんに与えられている。それが今、
アイが、子育てができる本当の理由ではないのか。

(参考)

●虐待について 

 社会福祉法人「子どもの虐待防止センター」の実態調査によると、母親の五人に一人は、
「子育てに協力してもらえる人がいない」と感じ、家事や育児の面で夫に不満を感じている母親
は、不満のない母親に比べ、「虐待あり」が、三倍になっていることがわかった(有効回答五〇
〇人・二〇〇〇年)。

 また東京都精神医学総合研究所の妹尾栄一氏は、虐待の診断基準を作成し、虐待の度合
を数字で示している。

妹尾氏は、「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの一七項目を作
成し、それぞれについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「しばしばある……
二点」の三段階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(四
九四人)のうちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%であった。この結果か
らみると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしているのがわかる。

 一方、自分の子どもを「気が合わない」と感じている母親は、七%。そしてその大半が何らか
の形で虐待していることもわかったという(同、総合研究所調査)。「愛情面で自分の母親との
きずなが弱かった母親ほど、虐待に走る傾向があり、虐待の世代連鎖もうかがえる」とも。

●ふえる虐待

 なお厚生省が全国の児童相談所で調べたところ、母親による児童虐待が、一九九八年まで
の八年間だけでも、約六倍強にふえていることがわかった。(二〇〇〇年度には、一万七七二
五件、前年度の一・五倍。この一〇年間で一六倍。)

 虐待の内訳は、相談、通告を受けた六九三二件のうち、身体的暴行が三六七三件(五
三%)でもっとも多く、食事を与えないなどの育児拒否が、二一〇九件(三〇・四%)、差別的、
攻撃的言動による心理的虐待が六五〇件など。

虐待を与える親は、実父が一九一〇件、実母が三八二一件で、全体の八二・七%。また虐待
を受けたのは小学生がもっとも多く、二五三七件。三歳から就学前までが、一八六七件、三歳
未満が一二三五件で、全体の八一・三%となっている。

+++++++++++++++++++++はやし浩司

●親像と親意識

 自然な形で、親としての務めができる。そのための下地を、「親像」と私は呼んでいる。(「親
像」という言葉は、私が考えた。)

その親像と親意識は、区別して考える。「私は親だ」「お前は子だ」という、旧来型の親子意識
をいう。

 その親意識には、善玉と悪玉がある。

+++++++++++++++++++++はやし浩司

●悪玉親意識

 親意識にも、親としての責任を果たそうと考える親意識(善玉)と、親風を吹かし、子どもを自
分の思いどおりにしたいという親意識(悪玉)がある。その悪玉親意識にも、これまた二種類あ
る。ひとつは、非依存型親意識。もうひとつは依存型親意識。

 非依存型親意識というのは、一方的に「親は偉い。だから私に従え」と子どもに、自分の価値
観を押しつける親意識。子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしようとする。子
どもが何か反抗したりすると、「親に向って何だ!」というような言い方をする。

これに対して依存型親意識というのは、親の恩を子どもに押し売りしながら、子どもをその
「恩」でしばりあげるという意識をいう。日本古来の伝統的な子育て法にもなっているため、た
いていは無意識のうちのそうすることが多い。親は親で「産んでやった」「育ててやった」と言
い、子どもは子どもで、「産んでもらいました」「育てていただきました」と言う。

 さらにその依存型親意識を分析していくと、親の苦労(日本では、これを「親のうしろ姿」とい
う)を、見せつけながら子どもをしばりあげる「押しつけ型親意識」と、子どもの歓心を買いなが
ら、子どもをしばりあげる「コビ売り型親意識」があるのがわかる。

「あなたを育てるためにママは苦労したのよ」と、そのつど子どもに苦労話などを子どもにする
のが前者。クリスマスなどに豪華なプレゼントを用意して、親として子どもに気に入られようとす
るのが後者ということになる。

以前、「私からは、(子どもに)何も言えません。(子どもに嫌われるのがいやだから)、先生の
方から、(私の言いにくいことを)言ってください」と頼んできた親がいた。それもここでいう後者
ということになる。
 これらを表にしたのがつぎである。

   親意識  善玉親意識
        悪玉親意識  非依存型親意識
               依存型親意識   押しつけ型親意識
                        コビ売り型親意識
 
 子どもをもったときから、親は親になり、その時点から親は「親意識」をもつようになる。それ
は当然のことだが、しかしここに書いたように親意識といっても、一様ではない。はたしてあな
たの親意識は、これらの中のどれであろうか。一度あなた自身の親意識を分析してみると、お
もしろいのでは……。

+++++++++++++++++++++++はやし浩司

 以上の原稿と似たようなないようですが、少し前に
書いた原稿も、合わせて、添付しておきます。どうか、
参考にしてください。

+++++++++++++++++++++++はやし浩司

●親風、親像、親意識

 親は、どこまで親であるべきか。また親であるべきでないか。

 「私は親だ」というのを、親意識という。この親意識には、二種類ある。善玉親意識と、悪玉親
意識である。

 「私は親だから、しっかりと子どもを育てよう」というのは、善玉親意識。しかし「私は親だか
ら、子どもは、親に従うべき」と、親風を吹かすのは、悪玉親意識。悪玉親意識が強ければ強
いほど、(子どもがそれを受け入れればよいが、そうでなければ)、親子の間は、ギクシャクして
くる。

 ここでいう「親像」というのは、親としての素養と考えればよい。人は、自分が親に育てられた
という経験があってはじめて、自分が親になったとき、子育てができる。そういう意味では、子
育てができる、できないは、本能ではなく、学習によって決まる。その身についた素養を、親像
という。

 この親像が満足にない人は、子育てをしていても、どこかギクシャクしてくる。あるいは「いい
親であろう」「いい家庭をつくろう」という気負いばかりが強くなる。一般論として、極端に甘い
親、反対に極端にきびしい親というのは、親像のない親とみる。不幸にして不幸な家庭に育っ
た親ほど、その親像がない。あるいは親像が、ゆがんでいる。

 ……というような話は、前にも書いたので、ここでは話を一歩、先に進める。

 どんな親であっても、親は親。だいたいにおいて、完ぺきな親など、いない。それぞれがそれ
ぞれの立場で、懸命に生きている。そしてそれぞれの立場で、懸命に、子育てをしている。そ
の「懸命さ」を少しでも感じたら、他人がとやかく言ってはいけない。また言う必要はない。

 ただその先で、親は、賢い親と、そうでない親に分かれる。(こういう言い方も、たいへん失礼
な言い方になるかもしれないが……。)私の言葉ではない。法句経の中に、こんな一節があ
る。

『もし愚者にして愚かなりと知らば、すなわち賢者なり。愚者にして賢者と思える者こそ、愚者と
いうべし』と。つまり「私はバカな親だ」「不完全で、未熟な親だ」と謙虚になれる親ほど、賢い親
だということ。そうでない親ほど、そうでないということ。

 一般論として、悪玉親意識の強い人ほど、他人の言葉に耳を傾けない。子どもの言うことに
も、耳を傾けない。「私は正しい」と思う一方で、「相手はまちがっている」と切りかえす。子ども
が親に向かって反論でもしようものなら、「何だ、親に向かって!」とそれを押さえつけてしまう。
ものの考え方が、何かにつけて、権威主義的。いつも頭の中で、「親だから」「子どもだから」と
いう、上下関係を意識している。

 もっとも、子どもがそれに納得しているなら、それはそれでよい。要は、どんな形であれ、また
どんな親子であれ、たがいにうまくいけばよい。しかし今のように、価値観の変動期というか、
混乱期というか、こういう時代になると、親と子が、うまくいっているケースは、本当に少ない。
一見うまくいっているように見える親子でも、「うまくいっている」と思っているのは、親だけという
ケースも、多い。たいていどこの家庭でも、旧世代的な考え方をする親と、それを受け入れるこ
とができない子どもの間で、さまざまな摩擦(まさつ)が起きている。

 では、どうするか? こういうときは、親が、子どもたちの声に耳を傾けるしかない。いつの時
代でも、価値観の変動は、若い世代から始まる。そして旧世代と新生代が対立したとき、旧世
代が勝ったためしは、一度もない。言いかえると、賢い親というのは、バカな親のフリをしなが
ら、子どもの声に耳を傾ける親ということになる。

 親として自分の限界を認めるのは、つらいこと。しかし気負うことはない。もっと言えば、「私
は親だ」と思う必要など、どこにもない。冒頭に書いたように、「どこまで親であるべきか」とか、
「どこまで親であるべきではないか」ということなど、考えなくてもよい。無論、親風を吹かした
り、悪玉親意識をもったりする必要もない。ひとりの友として、子どもを受け入れ、あとは自然
体で考えればよい。

 なお「親像」に関しては、それ自体が大きなテーマなので、また別の機会に考える。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

【Yさんへ……】

 この問題は、まず、あなたの夫が、自分自身がもつ問題に気がつくことです。そのためには、
あなたの夫の機嫌がよいときに、私が書いた原稿を読んでもらってください。

 ただしあなたの夫に問題があるのではありません。また、そういう言い方をしてはいけませ
ん。夫も、あなたの義父母も、日本の子育てという大きな(うねり)の中にいます。個人的な問
題というよりは、広く日本人全体が、共通してかかえる問題です。

 あなたの夫は、その(うねり)の中で、右往左往しているだけです。

 どうか、そういう視点で、あなたの夫の問題を考えてください。私の書いた原稿が、あなたの
夫を批判したりするための道具(資料)にならないことを、強く望みます。

 この問題、つまり親像の欠落にせよ、悪玉親意識にせよ、それに気づくだけでも、問題の半
分は、解決したとみます。あとは、時間が解決してくれます。すぐには、解決しません。つまり、
この問題は、それくらい「根」が深いということです。

 掲示板に書かれているように、あなたの夫は、かなり親意識(悪玉)の強い人です。そして不
幸にして、不幸なご家庭で、育てられたことも考えられます。とくに下の弟が生まれてから、慢
性的な愛情飢餓の状態に置かれたのだろうと思います。

 そのため、心に大きなキズをもっているとしても、何ら、おかしくありません。だから今、幼い
自分の子どもに、自分の過去を、投影しているのかもしれません。(自分の娘たちに対して、無
意識のうちに、弟への憎しみや悲しみをふつけているということです。)無意識下の行為ですか
ら、あなたの夫自身も、なぜ、そういう行為に出るのか、わかっていないないはずです。

 しかし、夫がそれに気づけば、この問題は、解決したとみます。ですからいつか、機会があれ
ば、ゆっくりと、かつ穏かに、あなたの夫に、私がここに書いたようなことを、説明してみてくださ
い。

 時間はかかりますが、必ず、あなたの夫も、心を溶かすときがやってきます。キザないい方で
すが、「愛は万能」「愛には不思議な力があります」、です。それを信じて、前に進んでください。

 短気を起こして、離婚を考えてはいけませんよ。あなたが経験している程度の問題は、何で
もない問題の部類に入ります。重要なことは、あなた自身も、あなたの夫の心のキズに気づ
き、いっしょに、力を合わせて、乗りこえることです。

 応援します。
(はやし浩司 夫の暴力 虐待 親像 親意識 悪玉親意識 子供を愛せない夫 権威主義的
な夫 夫の問題 育児問題)





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●子どもの社会適応性


【子育て相談より】

 M県在住のKさん(母親)から、「うちの子(年長児)が、乱暴で困ります。いつも近所の子ども
たちに、ケガをさせます。

 ですからこのところ、ますます、ほかの子どもたちから相手にされず、親たちにも嫌われてい
ます。突発的に、キレて、相手に殴りかかっていきます。どうしたらよいでしょうか」という質問を
もらいました。

 今回は、それについて、考えてみます。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの社会適応性

 「乱暴」が、ある一定のワクの中に収まっていればよし。しかしそのワクを超えて、社会的に、
他者との共存に、弊害が出るようようであれば、「問題がある」とみる。

 ふつう子どもの人格を評価するときは、

(1)他者との共存性(円満な人間関係が築けるか)
(2)常識的な価値基準(常識的な価値基準をもっているか)
(3)平均性(平均的な行動、ものの考え方をしているか)
(4)非異常性(異常な行動や、様子がみられないか)

 の4つを見て判断する。

 乱暴な子どもでも、そこに統一性や、行動の予測性が見られれば、問題はない。乱暴するに
も、それなりの理由がある。相手に応じて、手加減する。乱暴したあと、その処理をうまくする、
など。

 この時期、乱暴を乱暴として理解できず、遊びの一つとして、する子どもも少なくない。たとえ
ばある幼稚園では、ある時期、足蹴り(キック)が大流行したことがある。テレビのヒーローのマ
ネから始まったものだが、こうした流行性の問題もある。

 足蹴り(キック)をするから、乱暴な子というように、決めてかかることもできない。あくまでもそ
の周囲の子どもとの人間関係をみて、判断する。

 が、そのワクを超えて、良好な人間関係そのものを結べなくなるケースもある。乱暴な行為が
日常化し、暴力によって、自己主張するなど。

 ここで重要なことは、一つの目安としては、(1)乱暴をしても、抑えがきくか、どうか、というこ
と。

 乱暴な行為をしても、それを注意したり、叱ったりすることで、抑えることができれば、問題は
ない。しかしかなりきつく叱っても、効果がその場だけしかないというのであれば、ADHD児な
ど、脳の機能そのものの障害が疑われる。

 抑えがきくばあいでも、程度の差の問題もある。やさしく「だめだよ」と言って、抑えれれるケ
ースもあれば、そうでないケースもある。そこで今度は、免疫性の問題とからんでくる。

 家庭で、親の乱暴なしつけが日常化していると、簡単には抑えられなくなる。(きつく叱る)→
(ますます乱暴になる)の悪循環の中で、乱暴は、ますますはげしくなり、抑えがきかなくなる。

 が、どうであるにせよ、ほかの子どもたちと、良好な人間関係が結べなくなるというのは、そ
の子どもにとっても、悲劇的なことである。これもまた一つの目安になるが、こんなことも調べて
みるとよい。

 幼稚園児であれば、(1)どれくらい頻繁(ひんぱん)に、友だちの誕生会に誘われるか、とい
うこと。

 誕生会といっても、実際に、招待する子どもを決めるのは、親である。その親は、自分の子ど
もから日ごろの様子を聞いて、招待する子どもを選ぶ。こういうとき、乱暴な子どもは、まず、
除外される。

 「うちの子は、いつも、友だちの誕生会に誘われる」というのではあれば、問題はない。しかし
「めったに誘われることはない」というようであれば、子どもの問題というよりは、子どもを包む
家庭環境に問題がないかを疑ってみる。

 意味もない乱暴を繰りかえす子どもは、子ども自身の心が、何らかの理由で、いつも緊張状
態にあるとみる。家庭崩壊、親の冷淡、無視、育児拒否、虐待など。

 「家庭(ホーム)の第一の目的は、子どもの心と体に、やすらぎを与えること」という視点にた
ちかえって、もう一度、家庭のあり方を、反省してみるとよい。
(はやし浩司 乱暴な子 乱暴な子ども 暴力 暴力を振るう子供 暴力的な子供 子ども)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

以前、書いた原稿を添付します。
少し内容がそれるかもしれませんが、
参考になると思います。

かなる古い原稿なので、語句の使い方に
不適切な点があるかもしれません。
お許しください。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

心を開かない子ども

●EAさんの相談から

うちの子(小二)は、ほとんどよその子と、遊びません。他人と関わるのが、苦手なようです。家
の中では、ふつうだと思っていたのですが、このところ、ときどき荒れて、暴言を吐いたり、私に
向かって、突発的に、暴力を振るったりするようになりました。どうしたらよいでしょうか? (佐
賀県・EA、母親)

●子どもらしい、すなおさ

家族も含めて、他人との関わりがうまくできない子どもが、ふえています。要するに、心を開くこ
とができないわけです。子どものばあい、心を開くことができるかどうかは、やさしくしてあげる
と、わかります。心を開くことができる子どもは、やさしくしてあげたり、親切にしてあげたり、ほ
めてあげたりすると、こちらの好意が、スーッと子どもの心の中に、しみこんでいくのがわかり
ます。

 先日も、一台の車が自転車に乗っている私の横を通り過ぎました。見ると、うしろの座席に、
五歳くらいの男の子が乗っていました。そこで私が、少しおどけた顔をして見せると、その子ど
もは、ニンマリとうれしそうな顔をしました。他人に対して、心を開くことができる子どもは、そう
いう様子を、自然な形でしてみせます。「自然」というのは、「子どもらしい」という意味です。

 が、心を開くことができない子どもは、その瞬間、いじけたり、つっぱったり、ひがんだり、ひ
ねくれたりします。こちらの思いや、好意が、そのまま拒絶されてしまうわけです。さらにこの症
状がひどくなると、そうした反応そのものまで、しなくなります。心の閉じた子どもと、みます。

●子どもの心は、抱いてみればわかる

 ふつう子どもというのは、心が開いているか、あるいは開くことができるかは、抱いてみるとわ
かります。心を開いている子どもや、開くことができる子どもは、抱いてあげると、スーッとこち
ら側に、身を寄せてきます。そして力を抜いて、体を任せてきます。が、そうでない子どもは、体
をこわばらせ、かたくします。無理に抱いたりすると、まるで、丸太を抱いているかのようなりま
す。

 この話を、ある懇談会ですると、一人の父親がこう言いました。「子どもも、女房も同じです
な」と。

 つまりたがいに心を開きあっているときは、女房も、抱き心地がよいが、そうでないときは、そ
うでない、と。不謹慎な話ですが、まちがってはいないようです。

 が、問題は、ここで終わるわけではありません。心を開けない、あるいは開くことができない
子どもは、それだけ孤立します。いつも追いつめられた孤独感を覚えるようになります。しか
し、この孤独感は、それ自体が、苦痛をともなうもので、人は、そして子どもは、無意識のうち
にも、それを避けようとします。

●自己防衛

 ここでまず、二つのタイプに分かれます。孤独感を、攻撃的に処理しようとするプラス型。孤
独感を受け入れてしまう、マイナス型です。これを心理学の世界では、防衛機制といいます。い
わば心を守るための自己防衛機能のことです。

 プラス型の子どもは、自分の周辺に、強引に「孤独でない環境」をつくろうとします。わがまま
を言ったり、ときには暴力的に、相手を屈服させたりするなど。極端な例としては、家庭内暴力
があります。このタイプの子どもは、よく親に対して、「こんなオレにしたのは、お前だろうが
ア!」と叫びますが、それは、子どもの中で、子ども自身が、心を開くことができない自分と、は
げしく葛藤(かっとう)するためと考えます。

 マイナス型の子どもは、他人との関係が結べない分だけ、他人に対して恐怖感、不信感、拒
絶感を覚えます。そこで他人に対して、依存性をもったり、服従的になったりします。少ないで
すが、相手に同情を求め、相手に「かわいそうな子ども」と思わせることで、自分にとっては、居
心地のよい世界をつくろうとする子どももいます。さらに症状がひどくなると、他人との関わりそ
のものを回避するようになります。極端な例としては、引きこもりがあります。

●EAさんのお子さんは……

 そこでまず、EAさんの子どものばあい、これらのどのタイプの子どもかを、判断しなければな
りません。たとえば「心を開くことができない子ども」というとき、最初に思い浮かぶのが、自閉
症児や、自閉傾向のある子ども、さらには、かん黙児などがいます。しかしこのタイプの子ども
は、いわば症状として、様子がはっきりとわかる子どもをいいます。こうした症状が、その前の
段階で、よくわからない子どもも、少なくありません。

 私は「濃い」「薄い」という言葉を使います。同じ心の問題をかかえていても、その症状が、濃
い子どももいれば、薄い子どももいるということです。先にあげた、家庭内暴力を繰りかえす子
どもにしても、引きこもりを繰りかえす子どもにしても、「濃い」子どももいれば、そうでなく、症状
が軽く、判断がしにくい「薄い」子どももいます。精神医学の世界では、「重い」とか、「軽い」とか
いう言葉を使いますが、私は、これらの言葉が、好きではありません。好きではないというよ
り、症状を適切に説明していません。それで「濃い」「薄い」という言葉を使っています。

 で、その上で、EAさんのお子さを考えると、いわゆる「内弁慶、外幽霊」ということになりま
す。一般的に、他人との関わりがうまくできない子どもは(おとなも)、他人と関わるだけで、精
神的に疲れてしまいます。自分をつくったり、操作したりするようになるからです。

●自分をさらけ出すことができない

 もっとわかりやすく言うと、自分をそのままストレートに出すことに、恐怖感を覚えるからです。
もともと他人を信頼していませんから、他人も、自分の対してそういう目で見ていると考えてしま
うわけです。「こんなことをすれば、他人に笑われる」「こんなことをすれば、他人から、へんな
人間に思われる」と。他人とうまく関われない子どもと言うのは、つまりは他人に対して心を開
けない子どもということになり、さらには、自分をさらけ出すことができない子どもということにな
ります。

 そこでこのタイプの子どもは、外の世界では、自分をつくります。よい子ぶったり、ときには優
等生ぶったりします。いつも他人の目の中で、「自分がどう思われているか」「どう映っている
か」を考えています。心がいつも緊張状態にあると考えてあげてください。その緊張感が、とれ
ない。だから、疲れるわけです。

 問題は、まだつづきます。

●精神疲労

 この緊張状態がつづき、精神的に疲労してくると、子どもは、つぎの四つの方法で、その緊張
状態を解消しようとします。(1)攻撃型(家の中で、暴言を吐いたり、暴力を振るったりする)、
(2)内閉型(グズグズしたり、わけのわからないことを言ったりする)、(3)固執型(ものに異常
にこだわり、それらを意味もなく集めたり、大切にしたりする)、(4)逃避型(引きこもってしまっ
たり、他人との接触を避けようとする)です。

 EAさんのお子さんは、この中でも、(1)の攻撃型が疑われます。外の世界で疲れて帰ってく
る分だけ、家の中で、それを解消しようと、荒れるわけです。このタイプの子どもは、外の世界
(学校や塾など)では、たいへんよい子で通ることが多く、また成績も、それなりによいはずで
す。先生に、「しっかりしていますよ」と、ほめられることも、少なくありません。

 が、いただいたメール(注、全文は、掲載を許可してもらえませんでしたので、省略)を読ませ
ていただいた範囲では、いわゆる薄いタイプの、情緒不安定児ということになります。

よく誤解されますが、情緒が不安定だから、情緒不安定児というのではありません。心の緊張
状態が、とれない子どもを、情緒不安定児といいます。その緊張状態の中に、不安や心配が
入り込むと、その心配や不安を解消しようと、情緒が一挙に不安定になる。つまり情緒が不安
定になるのは、あくまでも、心の緊張感がとれないことによる、結果でしかないということです。

●心の緊張感をとる

 EAさんのお子さんは、そういう点では、心の緊張感がとれない、あるいはとることが苦手、さ
らには、他人に対して、いつも緊張状態にあるとみます。原因は、先にも書いたように、心を開
くことができない、あるいはありのままの自分をさらけ出すことができないところにあります。だ
から疲れる。そしてその疲れた分だけ、それを解消しようと、家の中で荒れるというわけです。

 こうした心のメカニズムがわかれば、おのずと、対処のし方もわかっていただけると思いま
す。

 方法としては、心の緊張感をほぐすということになりますが、しかしこれは口で言うほど、簡単
なことではなりません。というのも、なぜ子どもが、心の緊張感をほぐせないかということになる
と、そのルーツは、乳幼児期まで、さかのぼってしまうからです。

●ルーツは、乳幼児期

 恐らく、お子さんは乳幼児期に、何らかの理由で、神経質な子育て、過干渉、愛情不足など
が背景にあって、子どもの側からみて、全幅に心を開けない状態があったものと、推察されま
す。「自分はどんなことをしても、守られるのだ」「許されるのだ」という、意識しない意識です。
「意識しない意識」というのは、「まったく疑いを抱かない」という意味です。子どもというのは、そ
うした「さらけ出し」をしてはじめて、「心の安心感」を覚えます。覚えるというより、学ぶと言った
ほうが、正確かもしれません。

 つまり乳幼児期に、「安心して、自分をさらけ出すことができなかった」という、無意識の意識
が、心を開くことができない子どもの、根底にあるということ。EAさんのお子さんが、そうだとい
うわけではありませんが、その疑いは、かなり濃厚です。……と言っても、過去をほじくり返して
も、意味はありません。では、どうするか、ですね。

●心の開放を大切に

 最初に、こうした心の問題は、簡単には解決しないということ。これは脳のCPU(中央演算装
置)の問題ですから、子ども自身がそれに気づくということは、まずありません。子ども自身が、
長い人生の中で、無数の経験をしながら、やがて自分で発見するしかありません。恐らくその
時期は、晩年になってからではないでしょうか。それまでは、その子どもといえども、「私は私」
と思ったままでしょう。

 そこでまわりの者、なかんずく親たちがどうするかということです。方法としては、(1)子ども
の心の開放を考える。……たとえば、家の中で暴言を吐いたり、ときに暴力を振るっても、「あ
あ、この子は外でがんばっているから、家の中では荒れるのだ」と思いなおすことです。力ずく
でそれを押さえつけたり、威圧してはいけません。そうすればするほど、子どもはますます行き
場所をなくしてしまいます。

●ひとり、のんびりとさせる

 つぎに(2)心の緊張感を取りのぞくことを考える。……このタイプの子どもは、何らかの方法
で、自分の心の中にたまった緊張感を取りのぞこうとしているはずなので、それを観察してみ
てください。何かモノにこだわったり、それを集めたりするなど。あるいは、魚釣りに行くとか、ゲ
ームに夢中になることもあります。そういう行為のほとんどが、親から見れば、つまらないもの
に見えるかもしれませんが、頭から「ダメ!」式に禁止してはいけません。そのときも、「ああ、う
ちの子は、こういう方法で、心の緊張感をほぐそうとしているのだ」と思いなおしてあげてくださ
い。

 三つ目に、(3)ひとりでいる時間を大切にする。……過関心、干渉、過心配は、かえって子ど
もの心を窮屈(きゅうくつ)にしますので、注意してください。学校から帰ってきたら、ひとり、だ
れにも(親にも)干渉されないで、のんびりとくつろげる環境を用意してあげます。親の視線そ
のものを感じさせないようにするのがよいのですが、実際には、これがむずかしいようです。

そこで大切なことは、親自身が、子育てとは離れた世界で、自分のしたいことをすることです。
つまりその結果として子どもから視線をはずすようにします。「何とかしなければ……」とあせれ
ばあせるほど、かえって親自身が、あり地獄の巣の中に落ちてしまいますから、注意してくださ
い。

●スキンシップを大切に

 あとは(4)スキンシップと食事に注意する。……子どもの心の問題の特効薬は、スキンシップ
です。EAさんのお子さんは、小学二年生ということですから、まだスキンシップが重要であり、
効果的な時期です。添い寝、抱っこ、手つなぎなどは、濃厚にしてあげてください。この際、「抱
きグセがつく」とか、「依存心がつく」とか、そういうことは、あまり考えないようにしてください。子
どもの側からみて、「全幅に心を開いても、だいじょうぶ」という状態をつくるように心がけます。

 しかしここで注意しなければならないことは、仮にこういう状態にしたからといって、明日とか、
来月とかに、症状が消えるわけではないということです。先日も同じようなケースで、相談してき
た母親がいました。それで同じような返事を書いたのですが、その数日後(たったの数日!)、
その母親は、またこんな相談をしてきました。「先生の言ったとおりにしていますが、効果が現
れてきません」と。

●心の問題は、一年単位で

 子どもの心を開放させるというのは、簡単なことではありません。一年や二年、あるいはもっ
と時間がかかることです。子どもの心というのは、一年単位で、観察し、判断しますが、その一
年でも、短いほどです。それこそ気が遠くなるほどの根気が必要ということです。

 それにこうした子どもの心の問題は、たいていは(あるいはまちがいなく)、親自身の姿勢に
原因があるため、それが改められないと、簡単には解決しません。もっとはっきり言えば、あな
たという親自身の問題だということです。あなた自身が、子どもが心を開くのを許していなかっ
た。今も許していない。あなたはひょっとしたら、子どもが乱暴な言葉を使ったとき、「親に向か
って、何よ!」式のことを、言ってはいませんか?

 あとは食生活を改善します。心の緊張感をとると同時に、動揺させないことを考えます。CA
やMGが効果的なことは言うまでもありません。はやし浩司(私)のサイトのどこかに詳しく書い
ておきましたので、参考にしてください。

 全体としてみれば、EAさんのお子さんの症状は、たいへん軽く、いわゆる情緒障害の症状と
しても、たいへん「薄い」ものと考えられます。こういうケースでは、コツは、そういった症状を
「治そう」とか「直そう」と考えるのではなく、「今の状態を、これ以上悪くしない」ことだけを考え
て対処することです。なおそうと思っても、なおるものではありません。はっきり言えば、あきら
める。

今のお子さんの様子は、今までの一〇年間の総決算のようなものです。そこでこう考えてみて
ください。一〇年後に、これからの一〇年間の総決算が現れる、と。この問題は、そういう視点
で考えます。あせりは禁物。あせればあせるほど、EAさんも、そしてお子さんも、さらに底なし
の悪循環の世界に落ちてしまいます。どうか、ご注意ください。
(030401)

【追記】

 心を開くことができる、開くことができないの問題は、全人格的な問題ですね。夫婦生活を二
〇年以上もしていながら、心を開けない夫や妻は、いくらでもいます。夫婦生活のどこかに問
題があるというよりは、その人自身の根源的な問題だからです。いわんや、子どもを、や。

 そういう意味では、乳幼児期の子育ては、たいへん重要です。この時期に、子どもの心の方
向性が決まってしまうということです。そして一度決まると、その軌道修正は、ほとんど不可能と
いうことになります。あとは、その子どもが、いつか自分で気がついて、自分で軌道修正するし
かないということになります。しかしそれとて簡単なことではありません。その人自身が、それま
で、無数の失敗と、葛藤(かっとう)を繰り返すことになります。

 あなたはどうですか? あなたはだいじょうぶですか? あなたは他人に対して、心を開いて
いますか? 心を開くことができますか? 他人はともかくも、あなたの夫や妻、あるいはあな
たの子どもに対して、心を開いていますか? 開くことができますか?

 もしそうでないなら、一度、あなたの幼児期をさぐってみてください。
(はやし浩司 心を開く 心を開けない子ども 子供 心の緊張感 子供の暴力 暴力行為 心
を閉ざす子供 子ども)






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●乱暴な子ども

 一度、乱暴な子どもというレッテルを張られてしまうと、子どもは、乱暴そのものを、自ら肯定
してしまうようになる。そしてものの考え方を、乱暴を基準にして、考えるようになる。

 こんなことがあった。

 ある日、幼稚園の年長児に、こんな問題を出したときのこと。

 「ブランコに乗っていたら、ブランコを、あなたは横取りされそうになりました。そういうとき、あ
なたはどうしますか?」と。

 すると1人の男の子が、サッと手をあげて、こう言った。

 「ぶん殴ってやる。そういうヤツは、どうせ口で言ってもわからない」と。

 私はこの答に驚いたが、それがここでいう(乱暴を基準にしたものの考え方)である。幼児の
ばあい、嫉妬心と、攻撃心は、あまりいじらないほうがよい。カッと頭に血がのぼると、何をしで
かすかわからないというのは、幼児としては、あるまじき姿と考えてよい。

 もし、そうなら、つまりここでいうような症状を見せるなら、それは、もう子どもの問題ではな
い。親である、あなた自身の問題ということになる。もっとはっきり言えば、家庭教育の失敗と
みる。(「失敗」という言葉は好きではないが、子どもを責めても、意味はないということ。その自
覚をもってほしいから、あえて、そう言う。)

 対処方法は、先にも書いたように、「今の状態を悪くしないことだけ」を考えながら、一年単位
で、様子を改善していく。それには、気が遠くなるほど(ホント!)の根気と努力が必要である。

 それはかたまった心を、少しずつ溶かす作業に似ている。さらに、こうした乱暴を繰りかえす
子どもは、心に大きなキズをもっていることが多い。そういう視点でも、子どもの様子をみる。
(はやし浩司 子どもの暴力 乱暴な子ども 子供の暴力行為 乱暴な子供)
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